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まいど、おおきに

ここ23週間というもの携帯が鳴りっぱなしだ。俺は呼び出し音が切れると安心して着信履歴を確認する。大抵は電気かガスか水道料金の徴収だ。引き落とし口座を指定しておけばこんな督促の電話が来ることもないが、今は手元に払う金がない。電気だのガスだの早く止めればいいのにとも思うが、商売上そういう訳にも行かない。

 

10万や20万くらいでかなんな、ホンマ。そのうち倍返ししたるさかい!」

 

心の中では威勢よくしているが、今のところ金が入るアテがない。迂闊に電話に出る訳にも行かず、俺はとりあえず電源をオフにしてソファーに埋もれる。

 

ここは俺の恩師から経営を託された京都御池通にある瀟洒な5階建てのビルだ。地元の商業高校を出てゴロツキをしていた俺に目をかけてくれたのが今は亡き事業家の藤田有朋であり、幼い頃両親と死に別れた俺にとっては親代わり的な存在だった。

 

木屋町の飲み屋で管を巻いている俺に偶然目を留めた藤田は、「ワシはお前のような飢えた目付きのヤツが好きや。東山で事業してみぃひんか」と自身が多数経営するビルの中のひとつを俺に譲渡してくれたのだ。

 

藤田の経営指導を受けること5年、俺はビル経営の何たるかを学んだ。藤田が亡くなったのを契機に、2階のブティックと4階のBarは藤田有朋時代からのテナントをそのまま残し、まず3階をクラブにして客層を変えた。1階は目立つので客引きできる店にしたかった。何か飲食店がいいだろうと思っていたところ、4階のBarの常連客から「関西言うたらお好み焼きや」と勧められ、お好み焼き屋「まゐど」を開店するに至った。

  

一国一城の主となった気分はそうなったものにしか分かるまい。ツイている。俺の人生はツイているのだ。

 

と、ここまでは順風満帆の人生だった。

 

今思えばお好み焼き屋なんて手掛けたのが大失敗だった。飲食業は仕込みに想像以上の手間がかかるし、何しろ幸か不幸か店が流行り過ぎた。俺が言うのも何だが、お好み焼きなんてのはどこも大して味は変わらないと思っていた。開店にあたり、とりあえず木屋町にある行きつけの和食屋の大将にお好み焼き屋の店員募集の相談をしたところ、亀田という20代後半の男を紹介してきた。元高校球児だが、ゆくゆくは嵯峨野に料亭を構えることを夢見て修行中らしい。店の設計から実際にお好み焼きをつくる過程まで亀田に試させてみたが、なかなかセンスがある。お好み焼きも亀田ならではの京都独特のこだわりがあり他店よりも若干高めで売り出せそうだ。即日で採用を決めた。

 

2、4階の店からのテナント料がそこそこ入るのと、3階のクラブの経営が割と順調なだけに当面は何とかこの店も回していけるだろう。しかし、お好み焼きでは平均客単価は高々1,500円程度だ。早いところ経営を軌道に乗せて月給18万円の亀田に卒業してもらい、気の利いたバイト23人で切り盛りしていけるようにしなければダメだ。俺は亀田に本心を隠したままバイト募集の張り紙を店の外に出した。

 

今思えば、俺じゃない誰かに経営を任せればよかったのかもしれない。

 

飲食業は流行り廃りが激しい。この店も早いところ儲けて次の店に鞍替えする資金に充てる。店の目新しさがなくなる前、もっと美味い本格的な店が出る前、ここ12年が勝負所だ。そう思った俺は早速面接に来た宮田という大学生バイトを受け入れた。亀田と宮田にマンツーマンで仕事させ、2箇月後に亀田を予定どおり解雇した。それが運の尽きだった。

 

俺はもう概ね宮田が店の回しを覚えたと思っていたが、亀田抜きでは何もできない。結局俺が店を切り盛りせざるを得なくなった。

 

「亀田のヤツ、宮田が使えねぇなんて一言も言ってなかったじゃねぇか。まったくの誤算だ。」

 

亀田がいなくなり味が落ちたせいか、それとも店の雰囲気が悪くなったせいか、客足もパタッと落ちた。二人しかいないときにも俺と宮田の間にも会話らしい会話は生まれなかった。俺は金勘定のことしか頭になかったし、宮田は所詮バイトだ。早く上がって女のケツでも追っていたいのだろう。

 

あるとき常連客に「ちょっと資金繰りがアカンのですわ……」とヒソヒソ話で打ち明けたところ、「えぇ金貸し紹介したろか。今から行こか!」と誘われた。俺は秘かに次の事業として企んでいた貿易商としての事業用に調達していた10カラットのサファイア数点と毛皮のコート数点を5階の事務所から持って降りた。不安そうな表情を見せる宮田に「見せたるわ。すごいやろ、コレ。めっちゃ高いねんで。ちょっと売ってくるわ。1時間店番頼むで」と言って質屋に向かった。宮田の不安を解消するよう気丈に振る舞ったが、俺の人生で質屋に頼ったのはこれが初めてだった。むしろ俺のほうがこの初めての挫折に不安に覚えた。この頃には既に店の経営は限界を迎えていた。

 

そんな頃だ。相変わらず客がおらず二人きりの店内で宮田が「バイトやめさせてください」と言ってきた。俺は店の資金繰りでイライラしていたこともあり、一も二もなく「おぉ、わかった」と告げた。「じゃあ、これまでのバイト代を」という宮田に「用意しとくわ。また来てや」と適当に鼻であしらっておいた。宮田にはまかないこそ自由に取るよう指示していたが、今まで一銭たりともバイト代を支給したことがない。

 

その後は店の番を俺一人でやることになった。客足が途絶えた中、金の無心に来る宮田を追い払うのも鬱陶しい。ここ1週間で2回も顔を出してきたが、「来週でええか、来週で」と適当にいなしておいた。

 

俺は藤田から託されたビル全体の経営をしなければならない。売れないお好み焼き屋にがんじがらめになっている場合ではない。俺は何度も自分自身にそう言い聞かせた。元々勝ち逃げは得意だったが、誰がどう見ても敗戦撤退のこの状況に納得するのは至難の業だった。俺は悩み抜いた末、当ビルの顔にあたる1階部分なので不本意だったが、お好み焼き屋の自動ドアにこう張り紙を出した。

 

-しばらくの間休業させていただきます。

 

これで暇な店番からもゾンビのような宮田からもしばらく解放される。そう思ったが、嫌なことを思い出させるかのように今度は電気、水道、ガスなどの使用料の延滞通知が山のように自動ドアの隙間に挟まっていた。5階の事務所に向かう際に嫌でも目に付くが、身を隠しているフリをするためにも敢えてそれらを片付けずそのままにしておいた。

 

一週間各方面を当たった。藤田有朋の墓前にも出向いた。しかし、何の打開策も見出せぬまま、俺は張り紙をこう差し替えておいた。

 

-当分の間休業させていただきます。

 

そのときだ。木陰から俺のことを待っていたかのように、こう声をかけられた。

  

「給料出せよ」

 

元バイトの宮下だった。こいつがもうちょっと使い物になればまだ何とかなったのかもしれないな、と思いながら「おお、すまん、すまん。また今度な」とエレベータで5階に戻ろうとすると背後から肩を掴まれ、振り向きざまに左の頬骨付近をぶん殴られた。

 

「ざけんじゃねーぞ、おっさん」

 

そして俺の財布から万札を3枚抜きとると、「ほら、請求書と領収書。まいど、おおきに」と吐き捨て、ご丁寧に封書を延滞通知の山の脇に差し込んで立ち去って行った。

 

「ナイスパンチ。まいど、おおきに」

 

俺は腫れ上がった左頬を左の掌でさすりながら、その場にドカッと腰を下ろした。

 

「経営なんてロクなもんじゃないな」

 

 

その数箇月後、御池通のビルの1階は賑わいを取り戻していた。かつてのように亀田が厨房に立ち、バイトの宮田がそのサポートをする。亀田が経営する本格割烹「まゐど」。本格的な和食屋はこの界隈では意外と珍しく、週末などは予約でいっぱいになるほどだ。

 

3階のクラブも経営権を知人に譲渡した。テナント料だけで十分な稼ぎになる。俺は5階を本格的なオフィスに仕立て直し、ネット通販の貿易商として充実した時間を送っている。あの頃俺は何を難しく考えていたんだろう。何もかもうまく回らなくなっていた俺を救ったのはおそらくあの一撃だ。あの宮田のパンチで俺は目を覚ましたような気がする。

 

「まいど、おおきに」

 

5階の窓から顔を出すと宮田が客を迎え入れる姿が見える。俺は宮田に向けてグーパンチを繰り出しながら心の中で唱える、「まいど、おおきに」と。


奥付


まいど、おおきに


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著者 : 小杉 匠
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