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真っ暗な道を、急激な坂を、南は必死に走った。着ぐるみを纏った状態では極めて走りづらく、途中で何度もバランスを崩しそうになったが、それでも転倒せぬよう、命がけで踏ん張った。

すぐ後ろから、苦しみに満ちた着ぐるみどもの声が追いかけてきているのだ。もし立ち止まるようなことがあれば、それは即ち死。亡者に抱きつかれ、ともに火だるまとなって残酷な死を迎えるのみ。同じサークルのメンバーであった、他の三人のように。

被り物を取ったことが幸いして、息切れは今のところ起こしてはいないが、心臓が破れそうなぐらい痛い。車の停めてある宿泊所を目指し、南はがむしゃらに足を動かす。この村で初めて夜を迎えた時、美しいと感じた様々な景色が、あっという間に視界を通り過ぎて行く。貢と二人で話をした、あの時のことが頭に浮かぶ。今の自分と当時の自分、短い間の出来事なのに、まるで別人が体験したことのように感じられた。

長い間走り続け、宿泊施設が姿を見せた。ひょっとして、車がないのでは?そんな不安が頭の中を巡ったが、その心配は杞憂であった。猛が運転してきたワゴン車は、四隅にドラム缶が置かれただけの粗末な駐車場に停車されていた。すがりつくように運転席の扉を掴み、鍵を差し込もうとするが、着ぐるみ越しゆえなかなか上手くいかない。そうしている間にも、彼女を追う亡者達の声は近づいてくる。途中で力尽きたのか、明らかに人数は少なくなっているが、その分より恨みと憎しみの募った叫びが響いてくる。


ようやく、扉が開いた。急いで乗り込み、エンジンをかけようとする。が、上手くいかない。


「かかって……かかってよぉ!」

空しい駆動音の不発が、何度も繰り返される。

 

前方から、紅い塊がやってくるのが見えた。言うまでもない、村人達である。体中を焼かれている間、着ぐるみと生身が融合したのか、もはや独特なクリーチャーのようなおぞましい姿をした者達が、苦悶の叫びを挙げながら、車へと近づいてくる。何人かはたどり着くことすらできず、その場に倒れ込んでそのまま動かなくなったが、3匹の怪物達がボンネットへと張り付き、無理矢理こじ開けようと試みだした。自らの体をいたぶる炎をエンジンに引火させ、南諸共消し炭にしようと考えているのだろう。

 

「来るなぁ! 来るなぁ!!」

今まで一度たりとも挙げたことのないような、とてつもない怒りと焦りが彼女の口から発せられる。だが、エンジンはかからない。

全身の毛をむしられたペンギンの丸焼きのような怪物が力尽き倒れた後、右手が焼けただれた犬が最期の力を振り絞り、ボンネットをわずかにこじ開けた。やがて、駆動部にその燃えさかる手が伸ばされんとしたその時――。

 

「やめてぇぇ!」

最期のエンジンスタートが成功し、車体が激しく揺れ始めた。躊躇することなく、そのままアクセルを踏んだ。怪物達は凄まじい勢いで吹き飛ばされ、地面を激しくころ転がっていく。

村の入り口に向かって、南は猛スピードで車を走らせる。かすかに自分を追ってくる声が聞こえてくるが、もう追いつかれそうにはない。


ぐらぐらした不安定な道を乗り越えると、やがて二日前に通った林道が見えてきた。もう、声は聞こえてこない。それまでの緊張が一気に解かれ、この上ない安心が南を包んだ。

自分は助かったんだ……! 狂人の集団から、ただ一人逃れることができたんだ……!

暗い道を走らせていると、自動車のハイビームが何かを照らした。有名なアニメをもじったキャラクターが牧場の宣伝をしている看板が映し出されていた。ここを通った時、健吾がバカにしたあの看板……。貢に似て、不細工だと言っていた……。それを聞いて、美佳も意地悪に笑っていた。でも、皆もういないんだ……。全く意識してないのに、ぼろぼろと涙が零れ出し、口元がひきつってくる。南は、夜の林道で、一人泣いた。

 

 


翌朝、付近の駐在所にたどり着いた南の通報によって、包み村の一斉捜索が行われた。村へと入った捜査員を待ち受けていたのは、所々に残された異様な風習の跡、そして着ぐるみ達の焼死体であった。

 

この奇っ怪かつ凄惨な猟奇事件は、たちまち世間の注目の的となった。現代日本において、このような信じられない事件が起きたという事実は、丁度流行していた田舎暮らしブームを吹き飛ばす程の力を持ち、皮肉にも地方の過疎化を加速させる要因の一つとなってしまった。とあるサブカル系の映画監督はこの事件を映像化しようとし、周囲からの猛烈な批判を浴びた。

 

だが、当の吉川南本人は、この事件について何らコメントをすることはなかった。記者団だけではなく、あらゆるメディアからの取材や出演要請を、彼女は一切受けず、ただただ沈黙を守り続けた。世間にとっては好奇心を満たす格好のイベントかもしれないが、彼女にとっては大きな災いである。それを振り返るなど、出来るわけがなかった。南は大学を中退して実家へと戻り、クリニックでの治療とスーパーのレジ打ちをしながらひっそりとした日々を送り続けていた。


バイトの帰り、夕飯の食材が入ったビニール袋を手に商店街を歩いていた彼女の耳に、脳天気な歌が聞こえてきた。

 

自分がいつも通っている道で、着ぐるみが風船を配っている。最近流行りのキャラクターらしい。歌は側に置かれたラジカセから流れてきている。

 

思わず、腰が引けた。あれ以来、着ぐるみが以前にも増して怖くなった。実際に見るだけでなく、テレビの映像が目につくだけでも、寒気がする。

 

別の道を通って行こう。そう思って着ぐるみから目を背けた時、貢の顔がフラッシュバックした。最期に彼が見せた、穏やかな瞳。その意味が、未だに理解できない。いや、理解できるが、受け入れられないのかもしれない。おそらく、彼に対して感じた唯一の想い、抱ける人はもう現れないだろう。でも、彼は私をどう思っていたのだろう。どのような私を見て、あのような表情を見せたのだろう。

 

なんとなく、足が前に動いた。着ぐるみは彼女に気がつくことなく、寄ってきた子供達とじゃれている。恐れはある。でも、恐れたままじゃ駄目だ。その勇気が、彼女を前に進ませる。

 

着ぐるみとすれ違いそうになった時、何かが目の前にニュッと突き出された。ハッとしてそれを見ると、風船の紐だった。着ぐるみが赤い風船を持って首を傾げている。これを受け取れということらしい。

 

やや戸惑ったが、南はそれを受け取り、そして再び歩きはじめた。それまで抱いていた黒いもやのようなモノが、若干ではあるが薄まった気がして、体が軽くなった。今までの悲しい記憶からなる負の感情が、少しだけだが和らいだ気がした。

 



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