閉じる


<<最初から読む

58 / 79ページ

「相田、起きろよ、相田」

 

猛の声に気づいて、貢は我に返った。

 

――また、ミーティング中に眠ってしまったのだろうか。いけない、また健吾さんに怒られてしまう――

 

焦りとともに目を開くと、大きなピンク色の兎が自身の顔をのぞき込んでいた。驚いて叫ぼうとしたが、声が出ない。目は動かせるのに、口は1ミリ動かすのがやっとの状態だ。

 

「俺だよ、相田。お前の先生、縫原猛さ」

 

聞き覚えのある声で、夢うつつから覚めた。そして、今まで起きたすべての出来事を思い出し、憎しみをたぎらせた。

 

「そんな怖い顔で見るなよぉ。ウソついたのは悪いけどさぁ、俺、この村の人間なんだぜ? 故郷の為に行動するのは当然だろ?」

 

「ほら」と猛は手に持った被り物を見せた。死んだ美佳が被っていたものとよく似ているが、こちらは表情が勇ましい。おそらく、これが着ぐるみ様の「男形」なのだろう。

 

「今からお前はこれを被って、着ぐるみ様になるんだぞ。南は女形、ずっと一緒になれるんだ! 嬉しいだろ!?」

 

貢の心の中で憎悪がますます燃え上がるが、もはや動けない身体ではどうしようもなかった。

 

「嬉しいよなあ。お前、吉川のこと好きだったもんなぁ。二人で一緒に血まみれになるんだ。これって究極の愛じゃないか? なぁんてな」

 

一通りべらべらと喋った後、猛は貢の頭に先ほどの被り物を無理矢理はめた。貢は中からふーふーと息を吹いて、精一杯の抵抗の意志を示すが、全く効果がない。

 

 


「しびれ薬がなけりゃ、今頃俺を殴りたいんだろうなぁ。まあ、時間が経ってお前が死ぬ頃にゃ解けるよ、ぎゃはは!」

 

着ぐるみ越しに悪辣な馬鹿笑いをしながら、猛は貢を乱暴な手つきでうつ伏せにする。頭が木板にぶつかり痛みが走ったが、それを意志表示することすらできない。「自身が情けない」臆病者の彼は、その人生において何度もそう感じたことがある。だが、この状況下において、今までのそれよりも遙かに大きな自責の念を抱いた。

 

吉川南。入学式で一目見た時から、運命的な何かを感じていた。はっきりとよくは分からないが、他の女性にはない、貢にとって大事な何かを、彼女は有してると確信した。だから彼は、彼女と同じ民俗学サークルに入った。自己中心的な美佳や粗暴な健吾のふるまいに耐えてこられたのも、すべて南がすぐそばにいるからだった。

 

そして昨日の夜「あなたを守る」と、彼女に告げた。胸中に抱えている大きな塊の、ほんの一欠片。それを告白したにすぎないが、彼にとっては大きな進歩であり、また、それまで虚無に近かった彼の人生において初めて大きな目標がはっきり確立された瞬間だった。

 

なのに。それにも関わらず、自分はこうして無力さをさらけ出し、ニヤついたうさぎの着ぐるみをきた裏切者に、いいように扱われながら、言葉の一つも返すことができない。

 

「お前、自分のこと嫌いだろ?」

 

そんな彼の心を見透かすように、うさぎは言った。


「分かるぞ。俺がお前のこと嫌いなんだからよ。うじうじして、はっきりしやがらねえ。はっきり言わせてもらうと、蛆虫みてえに思ってたよ」

 

 

繊維質に包まれた猛の手が、貢の背中に触れる。その瞬間、貢は自身の背中の一部がむき出しになっていることに気がついた。そしてそこに、どろどろの液体が流し込まれはじめた。鈍い銅色をしたその液体が入った器を傾けながら、猛は語る。

 

「これはな、この地方に自生してる大変珍しいマツの一種なんだ。こいつの樹液は熱と反応すると、強力な接着剤になる。重機でも持って来なきゃ剥がれないぐらいの、丈夫なやつにな」

 

バルブが回される音の後、シューッ、と、気体が吹き出る音が聞こえてきた。貢はその方向に目を向けたかったが、叶わない。ガス溶接用のバーナ-を、猛は着ぐるみ越の分厚い手で器用に調節していた。

 

「喜べよ相田。お前は今から神様になるんだ。社会に不必要ないじめられっこが、皆から崇められる存在になるんだぜ? 嬉しいだろ」

 

(やめろ! やめてくれえ!)

 

徐々に近づいてくる熱気に対して、貢は恐怖し、心の中で必死に叫んだ。だが残酷にも、バーナーから噴出される鮮やかな火は、彼の背中を熱でいたぶり、塗りたくられた樹脂と強制的に融合させていく。

 

(ああああああああ!)

 

とてつもない激痛で、貢の両目は端から端へ、何十回も往復する。この激しい苦しみを表現できないことが、余計に彼の感覚を追いつめた。

 

「痛いだろう! 苦しいだろう! でも我慢しろよ! 注射みたいなもんさぁ!」

 

被り物の内側から、けたたましい笑い声が響いた。


「おらぁ、えらいきんちょうすっぞぉ」

 

松明を片手に、ペンギンの着ぐるみが言った。

 

「まったくじゃあ。五十年に一度っちゅうから、わしもはじめて見るわ。どんなすごいもんじゃろ」

 

竹割用の鉈を手にした乳牛の着ぐるみが言葉を返す。

 

「去年死んだ作造じいさんは見たことあるっちゅうとったよ。ばあさまが祝詞を挙げた後、男と女の着ぐるみ様に向かって皆で滅多刺しにするんじゃあ」

 

すっかり錆びた草刈り鎌を手に、腰の曲がったかばの着ぐるみが会話に加わる。

 

「いくら村のためとはいえ、少々おっかないもんやのぉ」

 

「なあに、形になるのは都会もんじゃ。平気じゃ平気」

 

ペンギンの言葉に、かばは表情一つ変えず、うんうんと頷いた。

 

「あいつらは経済や政治やらえらそうなことばかり言いよて、えらいわがままやからのぉ。少しはこうして減らした方がええんよ」

 

その通り、とペンギンが声を大にした。

 

「鹿やイノシシやって増えすぎたらあかんから、鉄砲で数を減らすじゃあろう? それと同じやて」

 

「やつらの生み出したギジツは有り難く使わせてもらっちょる。それが供養の代わりやあ。ぼたん鍋や鹿肉食うのと同じやて」

 

「なるほど、それやったらええことやあ」

 

村人二人の言葉に乳牛は納得したとみえて、いくつもの乳首がついた腹をポンと叩いた。

 

 


「しかし、松明をずっと上げながら歩くのもしんどい。ヨシよ、ちょっと変わっとくれ」

 

ペンギンがおもむろに松明を近づけてきたので、乳牛は焦った。

 

「わわっ! あんまり近づけるな。生地をふりぃすにしたんを忘れたか」

 

「あらっそうだった。いかんいかん」

 

まったくモウ、などとぶつくさ言いながら乳牛は松明を受け取り、先を照らした。すると、向こうから一匹の着ぐるみがやってきたのに気がついた。警官帽を被った、ぶち柄の犬。

 

「あら、駐在どんではねえか」

 

一番最初に乳牛が気づき、声をかけた。続いてペンギンが駆け寄る。

 

「形集めの役を仰せつかってたそうじゃのう。ご苦労なこってご苦労なこって」

 

ぶち犬は何も答えず、ただコクリとだけ頷いた。それを見て、カバが訝しがる。

 

「なんじゃらお前。いつもはようさん喋るのに、風邪でも引いたか」

 

ぶち犬は再び、コクリと頷いた。ペンギンがポンとその背中を叩く。

 

「そりゃお前、夜中にあんだけ飲んだ後やのに外おったら、風邪でも引かん方がおかしいわ。駐在所戻ってゆっくりせえ」

 

その言葉にぶち犬が押し黙っていると、向こうからもう一人着ぐるみがやってきて、三人に声を掛けてきた。

 

「皆さん、何をしとるんですか。もうすぐ着ぐるみ様が始まりますよ」

 

ぶち犬は何かに気づいたのか、ハッと声の方へと振り向いた。ピンク色のうさぎが、にっこりとした笑顔でこちらへと歩いてくる。



読者登録

エンジンさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について