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変身願望

 変身願望

 

今夜俺は中目黒のBar "lumen lunae"にいる。

 

雑居ビルの地下1階にひっそりと佇むこのBarは知る人ぞ知る隠れ家だ。時には芸能人もお忍びで訪れる。それもそのはず、若い頃は舞台俳優としてそこそこの人気を博したという原田俊さんがマスター。今も現役で脚本家と俳優を務める俊さんは身長180cm超え、筋肉隆々で顔の彫りも深く日本人離れした体躯と風貌だ。この俊さんを兄貴分として慕う俳優の卵も多い。"lumen lunae"出身俳優が生まれるのも時間の問題かもしれない。

 

多すぎず少なすぎず常時10名から25名くらいの客入りのあるこの店を俺が知ったのは偶然のことだ。2年前の冬、雪の降る日に目的地のBarに辿り着けず、緊急避難的に会社の同期と入ったのがこの店だった。常連客とは明らかに毛色の違う俺達を俊さんは歓迎してくれた。「よかったら、またきてくださいね」と明け方送り出してくれた俊さんの言葉を真に受け、俺はその後3年近く通い詰めている計算になる。

 

常連といってもよい年数になってきて、この店のことも一通り分かってきたが、まだ俺が知らないこともたくさんある。その中でも今俺が一番謎に思っているのはこの店のあるメニューだ。この店のメニューには値段の付いていない不思議なドリンクがある。

 

Las metamorphosis”

 

メニューのOthersの中にひっそりとprice抜きで書かれている。俺がこの存在を知ったのは店に通い始めて半年くらい経ってから。隣に座っていたアイドル風の若い女性二人組がヒソヒソ話をしているのを聞き付け、「ごめん、今話してるの聞こえちゃった。このPrice抜きのドリンクがどうしたの?」と聞くと、二人ともマスターの俊さんのほうをチラ見して「いえ、何となく気になるねって、二人で」とはぐらかされた。

 

それ以来“Las metamorphosis”のことが気になる俺は短刀直入に俊さんにオーダーしてみたがはぐらかされるばかり。“Las metamorphosis”なるドリンクは本当に実在するのか、このミステリアスな店の雰囲気を増すためのものか。

 

すべてはマスターの俊さんのみぞ知るというのか。

 

居心地のよさから3年ほど通いつめ、正真正銘の常連さんからも常連と呼ばれるようになってきた今日、隣席に座ったカメラマンの堀江さんから、ところで「あんたよく顔見るけど“Las metamorphosis”」って知ってると尋ねられた。

 

「メニューに書いてあるお酒ですよね、値段抜きで。気になってるんですけど、誰からも教えてもらえなくて。ご存知です?」

 

「モグリだな。まだあんた常連じゃないよ。」

 

そう言って、堀江さんは煙草をふかしながら被写体を探している。

 

「ところでアンタ、あっちのほうは最近どう。見たところ更年期?倦怠期?人生折り返し地点まできちまったなぁ……っていう顔してるよ」

 

「いやあ、仰る通り。最近随分トシ食っちゃって、飲み代はあるけど活力がないというか。」

 

俺は最近薄くなってきた頭頂部を指で掻きながら本音を明かした。独身男の40代は辛い。金には不自由しないが、この先どういう人生を送るのか毎日最終警告を発せられているようなそんな気分だ。

 

「アンタ、俊さんに頼んでその辺の活きのいい若造と入れ変わっちゃったら。俺もその口だけどね。」

 

彼が指差した先は数名でこの店を訪れている20代の青年のリーダー格だ。

 

「あれが『元俺』。乗り変わられちゃって。気が付けば変態カメラマンのホリエモンこと堀江さんだよ。まあこんな人生も悪くないけどね。」

 

「え、それどういうこと。どうして堀江さんとあの若い彼があのその……??」

 

「だから“Las metamorphosis”だよ」

 

「あの酒は別々の人間の心と身体を入れ替えることができる。もっともこんな経験をしたのはこの中では俺と彼だけだけどね。俊さんがどうして出し渋るのかは知らない。俺のときは、結婚を約束していた彼女をマブダチに寝取られたんだ。人生に絶望した俺は、俊さんに『楽に死ねる方法を教えてくれ』と泣き付いた。そうしたら、この変態カメラマンに俊さんがナシを付けてくれて同意の上で入れ替わりという訳。」

 

決めた。俊さんのスペシャルドリンクで俺は若者に生まれ変わる。人生八十年。四十歳という折り返し地点を越え、下り坂に差し掛かったこの人生から俺は脱却したい。

 

俺は変態カメラマン堀江さんがチェックを済ませるタイミングで、俊さんを呼び止めた。

 

「俊さん、頼みがある。ずばり“Las metamorphosis”のこと。」

俊さんは相変わらずのポーカーフェイスだ。

 

「堀江さんから今聞いたんだ。例の話。」

 

俺は店のメニューをめくりながら最終ページの“Las metamorphosis”を指差す。

 

「一杯いただきたい。」

 

俊さんは珍しく苦い顔をしながら、あごひげを左手の親指と人差し指でさすっている。

 

「動機は?相手は決まってるんすか。」

  

「俺は金は要らない。自由に生きる時間と仲間がほしい。こう見えても俺にも蓄えはあり、無茶さえしなければ彼が遊んで暮らせる金くらいは提供できると思う。等価交換とまではいかないまでも生かすも殺すも自分次第という取引じゃないかな。相手はズバリ彼。」

  

俺は店の片隅で騒いでいる集団の中の色黒の青年を指差した。輪の中に常にいながら中心には決して入らず、ちょっとすかした感じで異彩を放つ彼。見ようによっては彼が仲間達の中で一番大人のようにも見えた。

  

「アツくんかぁ。」俊さんは思案し、「この件は彼には話してないんですよね」と俺に確認すると、腹を決めたかのように「いいでしょう」と言い残し、奥に引っ込んだ。約10分ほどして戻って来た俊さんは俺の前に黄金色に透き通るドリンクを差し出した。

「青木さんはこのまま飲み干して。アツくん!ちょっと」 

俺はその無味無臭のドリンクをゆっくりと飲み干した。天と地がひっくり返るとかいろんな想像をしていたが、特段の変化は現れなかった。一方で、輪の中で微妙に浮いていた彼は身体を重たげに動かしながら「俊さん、どうしました」とゆっくりカウンター越しに話しかけた。

 

「俺からのプレゼント。悪くない取引話だ。」

 

俊さんはカクテルグラスを右手にかざして見せると左手で手招きした。カウンターの中に入ったアツくんと俊さんは何やらヒソヒソ話をして盛り上がっている。アツくんの「それ、いいっすねぇ。笑っちゃうわ。ありえねー」という声が漏れ伝わってくる。交渉成立か。

 

するとアツくんは俊さんの肩に右手を回してVサインを作り、左手で黄金色のカクテルグラスを揺らして俺のほうに向け「カンパーイ!」と一気に飲み干した。

 

  

明くる朝、俺は灼熱の工事現場で立ち尽くしている。警備会社から支給されたユニフォームを着用し交通整理員の勤務。午後1時にこれを終えると土木作業の現場に向かう。合わせて日給12千円。彼はこうやって夜の飲み代を工面していたんだなと思うと若さって一体何なんだろうと感じる。

 

夏の日差しが否応なく照りつける。朝まで飲んでもこんな仕事をなんなくこなせる肉体がなんとも皮肉だ。昨日までの俺ではありえないスタミナだが、ありがたくもなんともなかった。

  

どうりでこれだけ色黒な訳だ。てっきり海焼けか日サロかと思っていたが……

  

そんな生活を一週間繰り返し、ようやく手元に5万円の金ができた。新聞を買う金も "lumen lunae"に行く電車賃も惜しい。時間だけが余るほどあり、俺はとぼとぼと歩く。

  

一週間ぶりに訪れた "lumen lunae"。外から店内の様子を窺うとなんだか妙に盛り上がっている。何事かと思いながら店に入ると店内に札束が舞っていた。

 

「青木さん、ごちっす!」

若者達が宙を舞う万札を次々と掴み取る。

 

「なんすか、この乱痴気騒ぎ?」

 

ストールに座りつつ俊さんに尋ねると、「アナタ言ったじゃないですか、等価交換って。若さの価値なんてこんなもんじゃないですよ」

 

そう言って俊さんが差し出したiPadの株価のページを見て俺は目を疑った。俺は若い頃からA社に目を付け、同社の株式をコツコツと買い増し今では十万株を保有していた。その株価が、画期的な新商品開発発表とライバル社の倒産が相俟って一気に12倍に急騰していた。

 

「嘘だろ……

 

いずれは間違いなく成長するだろうと見込んだ自分の眼力を信じ、月々の給料と賞与を充てて一点買いで買い貯めたA社株。まさかこのタイミングで花開くとは......。

  

俺の風貌をしたアツ君は店に入った俺に気付き、「青木さんも飲みましょう。今日はボクの奢りですよ」と満面の笑顔で俺に語りかけた。俺は笑うに笑えず、彼から手渡されたDuvelを一気に飲み干した。


可逆的な時間、不変の空間

 「可逆的な時間、不変の空間」

 

1

 

 ふと腕時計に目をやると0時過ぎ。

 

「さすがに終電は逃したくないなぁ

 

 心地よく酔ったせいもあり腰が重い。そうも言っていられないのでストールから腰を浮かし、マスターに指でチェックのサイン。

 

「今日、ラムコークは?」

 

「うん、時間切れ。また来るよ。」

 

 〆はいつもラムコークと決めている。マスターの勝さんは私の所作をほぼ知り尽くしている。「何故ラムコーク?」と言われると困るのだがとにかく口に合う。ただそれだけ。

 

 店内はまだ若者達でにぎわっている。

 

 彼らは朝までいるんだろうか。それともこの辺りに住んでるのか。ちょっとうるさかったけど、こういう雰囲気も悪くないな。

 

 勘定を済ませて外に出ると寒い。勝さんがわざわざ店の外に出て見送ってくれる。

 

「じゃ、また。」

 

「またお待ちしてます。」

 

 いつもの決まりきった締めの挨拶。それでもこの積み重ねが勝さんと私との距離を縮めてきた。思えばこのBARを知ったのは偶然中の偶然だった。広尾にある別の店で待っている友達を訪ねる予定が天性の方向音痴っぷりを発揮し彷徨っている間に外はひどい雨。そこで緊急避難的に入ったのがこのお店。当然、私一人での入店。初対面のマスターにコトの顛末を話すうちに雨も止まないし、「今夜はこの店でいいや」と話し込んでいる間に勝さんとの意外な接点を知ることになった。まず同郷人。同じ広島出身。ここまでは百歩譲ってありうる話として、なんとタメ。同年齢。さすがに学校は違ったけれど奇跡でしょ、奇跡。今から約20年前まで同じ広島に住んでいた2人が何の申し合わせもなく今はカウンターを挟んでバーテンダーと客という関係。話は尽きず、その日は終電を優に逃がし、その店で夜を明かすことに。

 

 

                                                       2

 

私の職業は機械メーカーのエンジニア。普段は会社でCADの図面とにらめっこしたり、機械が納入されると現場に出て試運転や完成検査に立ち会ったりとごく普通のサラリーマン生活を送っている。ただ、自分の人生、これだけで終わっていいなどとは思っていない。

 

言い忘れたが、私にも一応家族がいる。同じ職場で知り合った妻と小学生の息子、娘が一人ずつ。まあ、家族構成だけ見ればありふれた平和な家族といったところ。ただ「本当の自分はこんなもんじゃない」という思いがここ数年日増しに強くなっている。

 

家族にも許されている唯一の趣味が芝居。舞台俳優としての活動に力を入れている。もちろん金にもならないし、メディアに取り上げられるでもない。家族にしたって自由にさせてくれているだけで応援などしていない。

 

でも私は、あの狭い舞台で一つのストーリーを演じる仲間達のことを第二の家族のように感じている。気が付けば古参メンバーになり、今は脚本、監督、舞台俳優と3足のわらじを履いている。それこそ一回りどころか2分の1にも満たない年齢の団員もいる。年齢構成から言ってもファミリーという感じ。さながら私が父親。祖父・祖母にあたる先輩方や兄弟分、そして子供達。

 

概ね四季に合わせ1回の舞台に向け、私が脚本を書き、皆で稽古をするのだが、ほとんどのメンバーが仕事との掛け持ちなので監督としては本番が無事うまく行くか、いつも気掛かりで仕方ない。先日の舞台などは事前の稽古で全員が一堂に会した日が皆無という散々な有様。まあ、そんな状況だから誰一人として一線の舞台に挑戦することなくここに安住してくれているのだろう。私としては望みどおりの環境ではあるが、皆にとってどうであるかも今度個別に聞いてみなければ。これでも一応「父親」だから。

 

 

3

 

雑踏の中、急ぎ足で職場を後にする。

 

「監督不在じゃシャレになんねぇよなぁ!」

 

どちらが本業だよ、と突っ込まれそうだが、「私の本業は別にある」というのは社内周知の事実。あれは確か5年前の職場の忘年会。見事に芝居の日と重なり、私は当日の朝「急に風邪をこじらせて」と休暇をとった。冷や冷やものながらここまでは作戦通りだったのだが、芝居も無事終わり、観客の皆さんを見送るべく並んでいると、

 

「野村さん、お疲れ様でした。舞台上の野村さん、すごく生き生きしてましたね~。」

 

 他部署のノリちゃんからこう声をかけられ冷や汗。まさか忘年会と重なるなんて思わず、かなり前に飲み屋でうっかり口を滑らせてお芝居があることを話してしまったのだ。わざわざ観に来てくれたのはとても嬉しかったのだけど、口止めをお願いしたにも関わらず、翌日には「野村、仮病して芝居に」という情報が社内に蔓延。「俺、クビかぁ?」と本気で思ったものだ。割と寛大な会社なので、その後は飲み会に誘われないかわりに、邪魔もされなくなった。という訳で、今の私にとっては芝居仲間のほうが職場の仲間以上にはるかに大事。

 

 

4

 

「とりあえずビールを」

 

「今日は会社から?稽古後?」

 

勝さんはトレードマークの長髪をなびかせながら、いつもの笑顔で出迎えてくれた。舞台に上がると映えるだろうなぁ、というか、よっぽど俺よりも舞台に似合うよなぁ、と前々から思っているのだが、芝居に招いたことも、芝居の稽古に誘ったこともない。何となく彼にはこの小空間の主でいて、いつも話し相手として待っていてほしいという願望が私にあるからだ。

 

「もちろん芝居帰り。今日もいい汗かいたよ。」

 

店内は割と人口密度が高いが今日は年齢層が低い。

 

「今日はにぎやかだね。何かあったの。」

 

「うん、大学のサークルのイベントの打ち上げだとか。といってもOBの社会人も混じっているみたいだけどね。」

 

ふと、自分の学生時代に思いを馳せる。最大で約300人規模のイベントを主宰したこともある。だからといって何をしたという訳でもないし、今になって何が残ったという訳でもないが、あの当時の熱狂的な空気を醸し出したのは自分とごく少数の熱い仲間達だった。

 

 そんな青い思い出を頭によぎらせると、何となく自分が今この場にいるのが場違いな気がして私は席を立った。「もう帰るの?」という表情の勝さんに「シャンパンを1本彼らに」と言い残し、支払いを済ませて外に出た。今日もラムコークを飲み損ねた。どうも最近ラムコークに嫌われているようだ。こうなったらトコトン通ってやる、と半ば自虐的に心の中でつぶやいた。外は寒い。早く帰ろう。

 

 

5

 

背後に人気を感じて、声をかける前に振り返った。まだ終電を迎えるような時間帯ではないが、この辺りも決して治安万全という訳でもなく、時には警戒心も持つ。するとそこにいたのは一人の若者だった。

 

「あの、困ります。」

 

「え?」

 

「シャンパン代です。」

 

どうやら勝さんからシャンパンを受け取るなり経緯を聞いて、店から飛び出してきたようだ。札束を手に、まだ息を切らしている。

 

「そんなの受け取れないよ。あの店の客仲間ということでいいじゃない。今日は打ち上げだったんでしょ。ささやかだけど、どうぞ。」

 

「そう言われましても

 

私と彼の間にしばしの静寂が続いた。そして彼が切り出した。

 

「じゃあ今度、客仲間ということで私から御馳走させてください。何がお好きですか。」

 

「ありがとう。じゃあ、ラムコークを一杯いただこうかな。」

 

 

6

 

今日は早めの時刻に例の場所へ。家族との約束があり、時間制限付きということで、仕事帰りに急いで突撃。開店時刻を少し過ぎたときには店の前にいた。

 

「お、早いですね~、野村さん。今日は先約ありって言ってたじゃないですか。」

 

実は今日親友との飲みを入れていたのだが、彼の家族が熱を出したというのでドタキャン。それで今日はまっすぐ帰ると家族にメールしてしまったのだ。なので深酒はできない。

 

「急に予定がなくなってね。でも今日はゆっくりできないんだ。とりあえずビールを。」

 

最近縁がないラムコークを一発目からというアイデアも頭にはあったが、やはりアレは〆がふさわしいのでまずはビール。

 

「野村さん、そういえばこの間振る舞ったシャンパン。彼ら、すごく喜んでましたよ。店を飛び出して行った彼に会ったでしょう。亮くんって言うんですけど、『野村さん、かっこいいなぁ』ってずーっと。野村さんがココに来るタイミングを教えてくれって言われたんで、『金曜日の終電間近には大抵いるよ』って答えたんですが、今日は予想外でした(笑)。」

 

まだ開店時刻の20時を15分回ったところ。店内の客は私一人だけだ。

 

「『亮くん』っていうんだ。誠実そうな青年だったねぇ。御礼にラムコークを御馳走してくれるって(笑)。」

 

今日は勝さんとじっくり話そうと思っていた。最近はどうも邪魔が入ったりで店にゆっくりいられない。今日は短時間でも客がまばらなのでサシで話す時間はいくらでもある。勝さんは芝居こそしないものの音楽活動をしている。ボーカル兼ベーシスト。彼はルックスもよく上背もあるし、メジャーデビューすることも夢じゃないと思うのだが、敢えてチャレンジしたことがないと以前本人から聞いたことがある。

 

「趣味を仕事にしてしまうことは趣味を失ってしまうこと」

 

確かそんなことを当時の彼は言っていた。

 

「勝さん、今度ウチのお芝居で歌ってみない。」

 

ちょっとした時間の隙間に今まで口にできなかった言葉を差し挟んでみた。無意識にではあったけれど。

 

「お、直球ですね(笑)。ありがとうございます。考えておきますよ。」

 

ガタイもでかいし、パッと見は強面の勝さんだが笑顔がとても似合う。飛び切りの笑顔でこう返してくれて私はかなり安心した。はっきり言って彼がウチの芝居に出ても何の得にもならない。二人以外の人から見れば、単なるリップサービスに過ぎないと思うであろう。でも彼もしくはこの店との間には何か不思議な縁があるように私には思える。それはココを知ったときからずーっと持っている感情でもある。

 

「僕でも別にいいんですけど、さっき話題に出した若い彼、亮くん、音楽やってるんですよ。僕だったら彼を推薦するな。」

 

「彼と縁があればね。なんか勝さんとはその『縁』がある気がして。まあすぐにって言う訳じゃないから気にしないで。」

 

今までずーっと切り出してみたかったフレーズをひょんなタイミングで口に出せたせいか私はすっかり満足して後は四方山話に明け暮れた。90年代の音楽の話であるとか、地元広島の話であるとか、今度のお芝居の構想とか。ここでは仕事の話は絶対にしないのが私の信条である。

 

 

7

 

たまには早めの時間にも顔を出してみるもんだなぁ、と思いつつ恵比須駅へ歩を進める。とにかく寒いので自然と早足になるが、ふと腕時計を見るともう少し遅くなっても大丈夫そうだ。もともと今日は飲んで遅く帰る予定だったし。直進していた身体を左に90度回転させた。

 

ここのラーメン屋は割と有名らしい。私は単に行列に引き寄せられて入ったのが初めてだったが、そのときはそんなに美味とは思わなかった。そう言いつつ、今回でもう5回目くらいだろうか。徐々にこの店の味に洗脳されつつあるようだ。

 

「一人ね」

 

カウンター席しかないこの店はとにかく回転が速い。この時間帯から席はほぼ埋め尽くされているが一席だけ空いていた。

 

「ゆずこしょうラーメン、麺固めでお願い。」

 

暖を取りながらぼーっとしていると、どうも左側からの視線を感じる。「うん?」と思って左に目をやると先ほど勝さんと話題にしていた亮くんが横の席にいた。

 

「お!びっくり。今まで勝さんと君達の話をしていたところなんだよ。この間はどうも。」

 

「先日はありがとうございました。みんな大喜びで。あーいうのって何というか初めてで。僕も面食らっちゃって。」

 

彼も私が若かった頃のようにサークルでイベントの企画などをしているらしい。音楽もやっている関係でイベントの中身の練り上げなどのために勝さんからアドバイスを時々もらうことがあり、今日はその相談で一人店に立ち寄る予定だったらしい。

 

「野村さんはお芝居をやられてるんですね。ご家族もおられるのに趣味を貫いていらして凄いですね。」

 

「と言っても、みんな本業があっての『趣味』だから、今以上に大きくなることもないだろうし、芝居を通じて第二の家族との生活を楽しんでいるって感じかな。」

 

「第二の家族?」

 

「うん、こればっかりは当事者じゃないと分からないと思うけど……。」

 

話は思いのほか弾み、二人のラーメンは空っぽ。店員の視線がかなり痛い。

 

「アソコに場所を変えようか。」

 

「そうですね。」

 

もはや、家族と約束した帰宅時刻のことは頭になかった。

 

 

8

 

「あれ、野村さん。え、亮くん、一体どうしたんですか!」 

 

戻った店内はまだ客がまばらだ。勝さんがこんなに驚いた顔は初めて見た気がする。

 

「帰りの足でラーメン屋に立ち寄ったら、まさかまさかの隣り合わせ。勝さん、もしかして私達も縁があるのかも。」

 

「ホントにそうですよねぇ。」

 

「なんか嬉しいっすねぇ。亮くんはビールから?野村さんは?」

 

「野村さんにラムコークをお願いします。」

 

義理堅い彼に軽く両手を合わせる私。勝さんがダークラムのボトルを上段の棚から片手で取り出す。その姿がまた絵になる。こういう何気ない所作を見るだけでもこの店に来る価値があると私は思う。

 

 

9

 

終電に向けて足早に帰路に付く。気が付けば3時間近く、音楽と芝居とのコラボや90年代の私と2010年代の亮くんを重ね合わせたり、勝さんを交えた3人で盛り上がりまくっていた。

 

「当時からそういう発想があったんですねぇ。目からウロコですよ。」

 

 さすがに敬語は取れない亮くんもアルコールが入り、ようやく言葉が少しくだけてきた。打ち解けた証なのかもしれない。

 

昔話とはいえ300人規模のイベントを回した経験はダテじゃない。今でも通用する要素はいくらでもある。今ほどデジタルな時代じゃなかったからこそハンドメイドの手心が当時は随所に利いていて、それが他のイベントにない動員を生んだと自己分析している。

 

亮くんはラムコークを本当に御馳走してくれた。それどころか、今度ウチの芝居の稽古を見に来ると言っている。「芝居のほうはそんなに見せられたもんじゃないんだけどなぁ……」と思いつつ、虚勢を張っても仕方がないので「いつでもOKだよ」と二つ返事で受けておいた。そのうちに彼が私達の舞台に上がるのも夢じゃないかもしれない。

 

 

10

 

それからちょうど10日後の舞台稽古に彼は本当にやってきた。アコースティックギター持参で。

 

「おぉ、ありがとう。みんな、今日見学の亮くん。ところで弾き語りでもしてくれるの?」

 

「みなさん、はじめまして。亮です。よろしくお願いします。ギターは何かそういうシーンがあったら、と思って。」

 

新顔の登場にみんな刺激されたか、この日の稽古には覇気があった。彼の登場シーンはあいにくなかったが、最後に2曲、彼の持ち歌を披露してもらった。

 

「一緒にやりたいねぇ」

 

そう切り出したのはウチの一番の若手なっちゃん。この芝居仲間の付き合いが今後も続くようであれば、いずれは彼女に主宰を、と私が秘かに思っている才能の持ち主だ。

 

「そうねぇ、でも彼の意思を尊重しないと。でも君達は年齢層も合うし、じっくり相談してみてよ。」

 

「いやぁ、僕こそどうやったらこの中に溶け込めるかなぁってずっと探っていて。お芝居の世界って奥が深いですね。またお邪魔させていただきます、皆さんさえよろしければ。」

 

思いのほか、自然と雰囲気に馴染んでくれたようだけれども、さすがに芝居と音楽とのコラボをリハーサルなしでやるというのは難しかったようだ。彼も「即興で入ろうと狙ってたんですけど無理でした(苦笑)」とこっそり私に打ち明けてくれた。でも、このノリは私にはとてもフィットする。果たして、本当にこの先も彼は私達に関わりを持ってくれるのだろうか。

 

 

11

 

稽古後の食事を終え、亮くんと私は恵比須のあのBARへ。私の「隠れ家」的存在なので芝居仲間ですら連れて来ることはまずない。店に入ってきた私達2人を見て、勝さんは笑顔で迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ。なんだか昔からの知り合いという感じですね。」

 

「勝さん、何言ってんの(笑)。年齢が倍半分違うんだよ、下手したら息子に見られてもおかしくないし。」

 

「そんなことありませんよ。野村さん、お若いじゃないですか。やっぱり夢を追ってらっしゃるからだと思うんです。」

 

この3人が集うと、音楽と芝居とのコラボ話に花を咲かせるのが定番になってきた。私は亮くんから若さという刺激をもらい、亮くんは私から経験という価値を得ているのかと思う。勝さんは差し詰めお目付け役だ。彼が時折挟むアイデアは凄く斬新。亮くんが助言を求めに通っていたのも分かる気がする。というか私も四方山話するばかりでなく、芝居の方向性なんかも相談に乗ってもらえばよかったのかなぁと今更ながら思う。とはいえ、亮くんのおかげで遅ればせながら滾々と新たなアイデアが生まれつつある。勝さんが本気になったら凄いことになるんだろう。ある意味、今この瞬間にも勝さんは亮くんのサークルと私の劇団の陣頭指揮を執っているとも言える。そんな彼の本気を見てみたいという思いと、彼は今のまま謎めいた存在で居続けていてほしいという複雑な思いが交錯する。

 

 

「二人がすっかり打ち解けたお祝いということでスペシャルなカクテルを振る舞いますよ」

 

 そう言って勝さんは鮮やかな赤に炭酸水の泡が立つグラスを私達の前にひとつずつ置いた。

 

「たまにはサービスさせていただきます。」

 

「本当にいいんですか?」

 

「勝さん、気前いいなぁ」

 

勝さんはとびきりの笑顔だ。彼のこんな笑顔は出会って以来初めてだと思う。

 

「じゃあ、遠慮なく!」

 

 私達は乾杯してグラスに唇を付けた。私の好きなラムベースのカクテルのようだけれども、濃厚な味わいが喉の奥まで絡み付くような味わいだ。グラス半分飲み終えたところで亮くんがカウンターにコトンと音を立てて突っ伏し眠ってしまった。「彼、そんなに弱くなかったはずだよな……」と思いつつ、私も自分の中の異変に気付き始めていた。勝さんの姿が遠く見える。どんどん遠くなる。すぐ傍にいるはずなのに表情すら分からない。そして亮くんの姿がなく、私の隣に私がいるような錯覚を感じる。

 

 

 

12

 

腕時計を見ると時計は0時を回っていた。終電が近い。眠ってしまったようだ。

 

「勝さん、亮くんと私、寝てたんだね。」

 

 亮くんをさすって起こしながら、淡々とグラスを磨いている勝さんに声をかけた。

 

「うん、ずいぶん気持ちよさそうに。電車が動いている間に目が覚めてよかったよ。」

 

 

うん……

 

 

何か勝さんの口調がいつもの私に対するものと違う気がする。よく見れば横で寝ているのは私だ。私が私を起こしている。一瞬何が起きたのか分からなかったが、どうにも信じられないことが起きているようだ。そして目を覚ました「私」も驚きの表情を隠せない。

 

私達のほうに向き返った勝さんがこう切り出した。

 

「昔、南米を旅したことがあって、道すがら会った現地の老人に『今から5年後、いや10年後に特別な二人と君は会うだろう。その時にこれを彼らに。食べてもいい。飲んでもいい。』と言われ、ハーブのような香りのする草を一掴み渡されたんです。『特別な二人でなければ何も起きないし、特別な二人であっても何が起きるか誰にも分からない』と。無責任なようですが、野村さんと亮くんがその『特別な二人』だと初めて3人で会ったその瞬間から感じていたんです。こういうことだったんですね。」

 

その説明を聞いて勝さんを恨むでもなく、この一方向の変化に戸惑いつつも、私はこんなことを考えていた。私になってしまった亮くんはおそらくこの先、あの芝居に音楽を融合させて、とんでもない成功を収めるだろう。そして亮くんになり代わった私は90年代の自分さながら最高のイベントプランナーとしてやっていくのだろう。

 

実は出会ったときから、亮くんに自分の影を見てきた。彼とて同じであろう。

 

ふと腕時計を目にした。時刻は0時を回っている。実は今日が私の誕生日だ。正確に言うと彼と私の誕生日だ。20歳の私も、40歳の私も、私以外の何者でもない。

 

 

ふと横を見ると、一瞬驚きの表情を見せていたはずの「私」は落ち着いた感じで、既に帰り支度を始めている。

 

「勝さん、今日は僕のおごりで。じゃ、亮くん、また!」

 

そういうと、私の姿をした亮くんは少し多めに支払いを済ませ、颯爽と店外に出て行った。店内に取り残された亮くんの姿の私、そして勝さん。

 

勝さんは少し間を置いてこう囁いた。

 

「最初から『亮くん』なんていないんですよ。そろそろお分かりでしょ。」

 

20歳を迎えた私は、少し老成した感じでこう答えた。

 

「僕は僕です。」

 

外は凍て付く寒さ。ひらりと白い桜の花びらのようなものが頬に落ちた。

 

「初雪か。」

 

普段より軽い足取りで家路へ向かう。明日は朝から講義がある。今日はもう遅い。早く帰って寝よう。

 


奥付


変身願望


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著者 : 小杉 匠
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