目次
緑と楯1
page 1
page 2
緑と楯2
page 1
緑と楯3
page 1
緑と楯4
page 1
緑と楯5
page 1
緑と楯6
page 1
緑と楯7
page 1
緑と楯8
page 1
緑と楯9
page 1
緑と楯10
page 1
ロマンチックガーデン1
page 1
page 2
ロマンチックガーデン2
page 1
ロマンチックガーデン3
page 1
ロマンチックガーデン4
page 1
ロマンチックガーデン5
page 1
君は夢のどのあたり1
page 1
page 2
君は夢のどのあたり2
page 1
君は夢のどのあたり3
page 1
君は夢のどのあたり4
page 1
君は夢のどのあたり5
page 1
君は夢のどのあたり6
page 1
君は夢のどのあたり7
page 1
君は夢のどのあたり8
page 1
僕たちを使って夢をみている1
page 1
page 2
僕たちを使って夢をみている2
page 1
僕たちを使って夢をみている3
page 1
僕たちを使って夢をみている4
page 1
僕たちを使って夢をみている5
page 1
僕たちを使って夢をみている6
page 1
僕たちを使って夢をみている7
page 1
楯と緑1
page 1
page 2
楯と緑2
page 1
楯と緑3
page 1
楯と緑4
page 1
楯と緑5
page 1
楯と緑6
page 1
楯と緑7
page 1
楯と緑8
page 1
プラトニック五目あんかけ
page 1
プラトニック投稿生活
page 1
プラトニック・ティーカップ
page 1
ビューティフルチェアー
page 1
剣と楯
page 1
渡りに月の船
page 1
子どもミドタテ着せかえ
page 1
page 2
page 3
page 4
子どもミドタテ北海道旅行篇
page 1
指輪をもらう日、そして俺を坊ちゃんと呼ぶ人たちのこと
page 1
page 2
page 3
page 4
page 5
page 6
page 7
page 8
page 9
担当編集岩橋さんコメント
page 1
あとがき
page 1
奥付
奥付

閉じる


試し読みできます


試し読みできます

緑と楯

 

 

 

 

 こんなに寒いのに窓をあけたやつがいるのか? 床に枯葉が落ちている。校舎二階の渡り廊下でモップを押しながら歩いていると、生徒をしたの名前で呼ぶ主義の担任に「緑(みどり)」と声をかけられた。

 ふり向くと、近づいてきて「頼みがあるんだわ」と調子のいい笑顔でいう。

「はあ」

「きょうこれから用事ある?」というその手もとを見ると、さっきの英語の授業で集めた、担任お手製ワークブックの束が。

「とくに……

「じゃあひとつ頼まれてよ――楯(たて)がもう十日休んでるだろ?」

 そこまで聞けば内容はわかった。

「お母さんの話だと週明けには出てこられそうなんだけど。さいきんの授業のこととか、ちょっと教えにいってやって」

 やっぱ用事あるっていおうかな、と思いながら、モップを上下にカシャカシャ振ってごみを落とす。担任の靴のうえに埃が舞った。

「そこにいるとかかるけど」

「ねえ頼りにしてるよ委員長、副会長」

「関係ない」

「おまえいじょうに適任なのいるか?」

「関わりたくない」

「なんだ、けんかしてるのか」担任は目を丸くして。

 おれがそんなことするように見えるんだろうか。

「荻原女子のほうが仲いいでしょ」

 担任はまあねと笑いつつ、「そういうなよ。帰り遅くなるかもしれん」

 ワークブックのいちばんうえの一冊をつき出し「緑のだけもう採点しておいたから。きょうのところとくに大事だから教えてやって」という。

「あー」いらいらと声が出る。おれが行くもんだと決めてかかっている。「水ぼうそうって、もう大丈夫なの?」

「人にうつす段階はすぎたそうだ。おまえはやってるな?」

「いちおう」

「ビュンって行ってやってよ、あ、ビュンって、くれぐれも安全運転で」

 通学路を単車で走る。十月もおわり。ニットの手袋だと走り出して五分で指先の感覚が鈍くなり、バイク用の冬グローブを出さねばと思いつつとちゅうでホットレモンのブロックを買って指を温める。たしかこのへんで曲がるはず、と端末に地図を出す。

「馬め」

 自分の息からレモン香料の匂いがする。卒業まで関わりたくなかった人間のひとりが、というか筆頭が荻原楯で、三年のこの時期につかまってしまった感をどうしてくれよう。

 さっさとすませて帰ろう。筋斗雲ビルを通り、そこから五分ほどで住所の家につく。荻原林業という看板のしたで、セーターにデニム、サンダルばきのおばさんがはき掃除をしていた。落ち葉が玄関前にたまっている。

「こんにちは」

 ヘルメットを脱ぎ兼古ですと名乗る。担任に頼まれて授業のことを伝えにきたといった。わざわざありがとう、と顔をほころばせたおばさんは楯の母ですと名乗った。

「先生からお電話もらって、お待ちしてました。バイク寒かったでしょう」

 おばさんはほうきを倉庫の入口にひっかける。高い天井の倉庫には木材が積まれ、木目のきれいな一枚板が飾られるように壁にならんでいた。

「兼古くん来てくれたよー」

 おばさんは玄関の引き戸をからからとあけながら、歌うようなふしをつけていう。「たーてー、たーてー起きてるーウー」

 すこしして、の、の、の、の、と階段を降りてくる音がして茶色い半纏を着た荻原があらわれた。

「すごい顔でしょ」

 おばさんは荻原のかさぶただらけの顔を指して、おもしろそうに。

「大丈夫なの……

「うん」荻原は寝ぐせのはげしい頭でうなずく。

「ねー、この人ったらこの年で水ぼうそうやるんだもん。こないだ従兄の子どもと遊んだらうつっちゃったの」

 部屋に入ると、着ぶくれて動作の鈍い荻原が折りたたみテーブルを出そうとするので手伝う。向かいあって座ぶとんに座る。

 おれは鞄から学校用の端末を出し、担任にもたされたプリントやなんかを渡す。

「進んだんだろね」荻原はぽつりと。

「たいしたことない」おれは棒状の端末を握り、「ヘパイストス」と呼んで起こす。すっとウィンドウが伸びて荻原に伝えるよう、教えるよう頼まれている内容があらわれる。

「渋いなヘパイストス」

「おまえの名前なに」

 荻原は十二けたの英数字をいった。

「なにそれ?」

「工場出荷時のまま」

「え、名前つけてないの」

「べつにいいかなと……」荻原はあくびをかみころす表情でいう。

 端末をもらうと皆はしゃいで自分のすきな名前をつけるものなのに。ヘパイストスなんて名づけた自分が幼いような気がしてくる。

「やって」おれは日本史のプリントを渡す。「十五分で」

 彼はプリントをたぐりよせて解きはじめる。おれは部屋を観察する。

 シールがべたべた貼ってある二段ベッドにまず目がいく。シールがまた、妖怪封じのお札みたいな気味のわるいのがおおい。上段はベッドとしては使ってないのか、物置きになっているようだ。紙の漫画が詰まった本棚と、壁に作りつけの棚には地球儀と月球儀らしきもの、工具箱、よくわからぬたくさんの石。机の横には筒の太い天体望遠鏡がある。

 おれは思わずいう。「ササヅカのいいやつだ」

「え」

「なに見るの」

「ふるさとの星」

 と、うつむいてプリントを解きながら答えた荻原は、冗談なのかなんなのか。「ふるさとって」と訊こうとしたとき、ドアがノックされておばさんが入って――くるかと思いきや、おない年くらいに見える男だった。ケーキとお茶セットの盆を床におき、

「楯これ……

「おいといて」と荻原はいい、おれに「弟の剣」と紹介する。そして弟に向かっておれを指し、「こちら逸材。兼古くん」といった。

「兄がお世話になって」くせ毛なのか、波うった長めの髪をゆらして頭をさげる。荻原を野生の環境で育てたような顔立ちをしている。

「あのしゃれたマシーン兼古さんの?」と弟は目を輝かせていう。

「そう」

「かっこいい、鳥居工場。あれで通学してんすか」

「うん」

「えー、いいんだ」

「よくないけど。うち学校に近いから」

 自宅のある区域は自転車までしか認められていない。単車は乗ると決めたから乗っている。 

「それでなんにもいわれないんすか」

 もちろん教師たちにはいろいろいわれたが、しつこくつづけていたらあきらめたのか放っておかれるようになった、というのを略して、「いわれない」

「あんな目立つの乗ってたら、傷つけられたり盗まれたりしそうだなあ」

「保険かけてるから」

「歩く治外法権だね。職員駐車場にとめてもいいなんて」と荻原。

「職員用じゃない、出入りの業者用」おれは修正する。「あと、とめていいわけじゃなくて小言はいわれる」

 いいなあすげえなあといいながら弟は去った。

「弟でけえ、何歳」

「中三」

「あれで」

「俺を抜かしたってよろこんでる」

「張りあうタイプか」

「終わった」荻原はプリントの向きをくるりと変えて。採点してみると目立ったまちがいがなく、きょうは教えるつもりで来ていたのに肩すかしをくう。

「食べよう」

 荻原が注ぎわけた紅茶を飲み、ショートケーキを食べる。

 話題が思い浮かばなくてもくもくと食べてしまう。

「兼古ありがとうね」

 皿から顔をあげると、荻原がおれを見ていた。顔いちめんに紅梅のようにかさぶたが散るなかで、頬から鼻をまたいで反対の頬に、たどるとM字のように見えるひときわ大きいものがあり、

「カシオペア」

「え?」

「かさぶたが星座っぽい」

 荻原は鏡をとってのぞきこみ「ほんとだ」と笑った。

「馬がどうしても行けっていうから来たけど」担任は馬面なので馬と呼ばれている。ほんとはあいつやあいつが来たほうがよかったのでは、と、荻原がよく話しているのを見かける女子たちの名前を出してみた。

「いや、いやいや……兼古でうれしいよ。話したことなかったから」

「なんでそんな人気あんの」

「人気?」

「女に」

「なにをもって人気というか」と、つづいて現代文のプリントをやりながら荻原はつぶやく。「話しかけやすいだけじゃない」

「よゆうだね」おれは荻原のペンの先を目で追いながら、「たいそうもらってるって、チョコレート」

「うん」荻原は素直にうなずく。

「いままでもらっていちばんすごかったのって?」

 なんでこんなこと訊いてるんだろうか、どうでもいいのに。荻原楯にかんする知識は女と親しげということくらいしかない。

「家の前にでかいばらの花束があった、ことがあった」

 胸にこぶしがねじこまれた感覚がして声がうらがえる。「えェえェ! だれ? うちのクラス?」

「いや……学校ちがうのかな……よくわからない」とぼんやりした返事。どうしてそこで相手の身元をつきとめようとしないのか、理解できない。

「ばらって赤……?」

「うん」と眠いのか目をこすりながら。

 さっきの引き戸の玄関前に真紅のばらの花束がおいてあるところを想像する。異様だ。 

「それさいしょに見つけたのだれ」

「向かい家の人」

「え?」

「花束落ちてますけどって、いいに来た」

 熱い紅茶を二杯も飲むと体が温まって、緊張が解けてくる。テーブルに頬づえをついてちらちらと漫画の本棚を見ていると、荻原が「読んでいいよ、なんでも」といった。

「なにがおもしろい」

「『パパはママの三助』」

 いわれた本を手に取ってみる。色白でおっぱいのでかい「ママ」と、妻を溺愛するイノシシみたいに毛深い「パパ」の日常を、ロボットみたいな息子「ぼく」の立場から描いたギャグ漫画だった。裸エプロンでパンツを履かないママはラリッた目をしていて、壊れた発言を連発する。シュールでおかしくて毎ページ笑ってしまう。

 一巻を読み終え、二巻を手に取ってひろげる。そのとき、ゴッ、という鈍い音がして、ふりむくと荻原がテーブルに突っ伏していた。

「え?」

 そうだ、あれだ。荻原についてもうひとつ知っていたことは――貧血なのか校内でときどき失神していること。体育祭でも入場行進のときグラウンドに顔から倒れて保健室に運ばれていた。

 これはおもしろいことになったかもしれない。去年の夏休みに教養として市民救命士の資格をとったものの、そのご応急処置の必要な人に出くわすことがなかった。

「おい」肩をゆすって呼びかけてみる、反応はない。口もとに耳を近づける、呼吸はある。気道確保のため回復体位にする。荻原の背後から脇に腕を入れてテーブルから体を起こし、体のした側になる腕を前に伸ばして横向きに寝かせる。もう片方の腕は曲げて手の甲を頭のしたに敷く。うえ側の脚を九十度に曲げる。

 呼吸のある人間にできるのはここまで。あとは人を呼ぶ。

「おばさん、荻原くんが」

 廊下に出る。おばさんがポットを抱いて階段をのぼってくるところで、「あ、倒れました?」

「はい」

「ごめんね、びっくりするよね」

 部屋に入ったおばさんは、荻原を見るなり「あー、回復体位」といった。

「わかりますか」おれはちょっとおどろいて。

「うんわかる。むかし応急処置の講習受けたことあるの」

「おれも去年とりました」

「なにか必要があって?」

「資格とるのすきで」

 荻原に毛布をかけるおばさんに訊く。「これ、寝てんですか」

「うーん、なんていったらいいかなあ。夢の世界に、ちょっと行ってる」

「寝てるのとどうちがうんですか」

「寝てるだけなら、ゆすったり声かけたら起きるでしょー、遠くまで行ってるとなかなか起きなくて」

「遠く?」

「冷たくなってないかときどき触ってみて」と、冗談なのか本気なのかわからないことをいっておばさんはポットをおいてゆく。

 知識がもっと生かせる事態にならないかなと期待しつつ、荻原のプリントに手を伸ばす。ほとんど回答し終えている。しかし字がへろへろ。手に力が入らなくなったのか後半は薄くて読みにくい。

「よく生きてんなー」と、あきれるの半分、いまいましさ半分でおれはつぶやく。

 失神しやすいというこれいじょうないくらいの弱点をもっていながら(もっているから?)女に護られて生きているイメージ。他人につけこまれる可能性は努力ですこしでも減らしておきたいおれにとって、隙があるというにはあまりにもごっそり欠けたままへらへらしている荻原は目障りだった。教室の対角にこいつがいると感知するだけで、自分が否定されている感じがする。

 あとがのこらないならいじめていいような気がしてきた。ちょうど肌にいっぱいかさぶたや掻き傷みたいのがあるのでそれがカモフラージュになるていどの。棚に工具箱がいくつかあり、束ねられてぶらさがっているロープに目がいく。

 ロープはちがうロープは、と思いながらもロープの可能性について想う。教養としておれは亀甲縛りができる。母がむかし趣味の洋裁で使っていた女性ボディーで練習した。茶色い半纏のうえから縛られハムのようなすがたで泣きながら「ゆるして兼古、俺はこれから硬派になる」と懇願する彼を想像すると気味がいい。

 ちょっと落ちつこう。ポットから差し湯して紅茶を飲んだ。部屋はしんとして、家の前を通る車の音がときどきブーンと響く。

 ――これまでうまくいってたのに。馬め。

 冷たくないか触ってみろっていわれた、と思い出して、荻原の右頬に触れる。人さし指の先は吸いよせられるようにカシオペア座のセギンにあたるかさぶたへ。

 ――こんな奴。

 ルクバ、ツィー……と、なぞってゆく。ツィーは鼻の頭。あとの星は反対の頬にある。手の甲で荻原の顔をうえに向かせると、かすかに唇がひらいて熱い息が手にかかった。おれはなにをやっているのかな。指は左頬のシャダルに触れ、カフまで、つつつと星座の軌跡をたどった。すると、正解! とでもいうようなタイミングで、錠があいたように荻原が目をひらく。

 荻原はじっとおれを、というかおれのうしろのほうを見ていた。焦点のおかしな目で。 

――いま?」とかすれた声でいう。

「おばさんが、冷たくないか触ってみてっていったから。起きたならいいんだ」

 荻原は体を起こして濡れた犬のように頭をふった。かりかりと頬をかくとかさぶたがひとつふたつとれた。

「貧血? ときどき倒れてるの」

「う……」荻原は眉をしかめて唸り、「そう思ってて」

「そう思っててって?」

「話すと長いし」とプリントに手を伸ばして、「ええと、どこまでいったっけ」

「現代文。採点してみたけど」

「これ作者ちがうんだ、へえ」荻原はおれの書きこんだ解答を眺めて。そして、いま気づいたというように額を押さえて「なんか痛い」といった。

「そりゃおまえ、テーブルに思いっきりゴンっていったもの」

「どうりで」

「たいへんだな、いちいち中断して」

「無駄に引きとめてごめん」すまなそうに彼はいう。

「まだこれしか終わってねえけど。残りの渡す」

「ありがとう」

「そうだ、ノートも」おれはヘパイストスのノートを十日ぶんさかのぼり、荻原あてに送る。 

「兼古の書きこみわかりやす……」荻原はひろげた端末を眺めてひとりごとのようにつぶやく。そういうことはもっと大きな声でいえばいいのに。

「帰る」

「うん」

「月曜から来るって?」

「たぶん」

「残りそれひとりで大丈夫?」

「たぶん」と荻原は首をかしげて笑う。

  彼とおばさんに見送られて単車にまたがり、安全運転でねといわれながらエンジンをかける。澄んだ夜空にはふくらみかけた月が。きゅうに寒いところに出たからなのか、体が震えて歯の根があわない。止まりたくないのにこんなときにかぎって信号に引っかかりまくる。指先に荻原のかさぶたの感触、頬の温かさがいつまでも残っていて、ハンドルから手を放してぶんぶんと振った。


試し読みできます


試し読みできます


試し読みできます



読者登録

雪舟えまさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について