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譫言(うわごと)

 

 

 祖父が意識朦朧として呟く。
 書斎の机の引き出しに、

 昔、友達に貰ったビーフジャーキーがあるから持ってきてくれ、云々。
 「バカなこと言わないで、そんなもの噛めやしないでしょ」
 暑さのせいか、夢と現実がごちゃ混ぜになっているのか。
 しかし、頑なにかぶりを振って手を伸ばし、
 「頼む。早くあれを食べなくては……」
 そういえば、カレンダーに何やら印が付いているけれど……。

 


鱗片(りんぺん)

 

 

 祖母が亡くなった。
 正式な遺言とは別にしたためられた覚え書きに沿って、形見分けが行われた。
 私に届いたのは古めかしい漆塗りの黒い小物入れ。
 ごく小さな箪笥と思えばいい。
 アクセサリーや文房具の収納に使えるだろう。
 見事な螺鈿細工だ。

 

 引き出しの一つに結び状が入っていた。
 苦労してほどき、広げてみると、それは祖母から私への短い手紙だった。

 

  ――この装飾には夜光貝ではなく、人魚の鱗が使われています。

 

 光線の加減で、玉虫のように妖しく、悩ましいばかりに色を変える細片。
 鼻を近づけると微かに潮の香りがする……かのような気がしてくる。

 

 祖母の遺骨は粉砕され、葬儀はいわゆる散骨、すなわち自然葬となった。
 祖父と結婚する前に相思相愛だったという男性の故郷の海に溶けることができて、
 きっと満足しているだろう。

 

 書面によれば、人魚の鱗は、その漁村の特産品だが、公にされていないそうだ。

 


面会

 

 

 お盆休みに、おじさん一家が泊まり掛けで遊びにやって来る。
 父の従兄だから正確には「おじさん」ではないが、呼び方を調べてもいない。
 ともかく「おじさん」の一種で、その子供らは「はとこ」と認識している。
 おじさんたちは他の親戚への挨拶回りに出るのだが、
 何故か私が同行するのが慣例になっていて、

 その日は長らく入院中の身内を見舞うことになった。
 病床の老女は、おじさんのおばさんか、大おばさんか、
 よくわからないが親類には違いないそうだけれども、そこまで行くと私との関係は不明だ。
 おじさんが「ほら、タカオの娘のミキも一緒だよ」と老女に私を紹介する。
 わかっているのか、いないのか、彼女は横になったまま、
 霞がかかったような目を上向けて頷いていたが、不意に、

 

 「ミキちゃん、久しぶり」

 

 初対面ではなかったか。

 

 「お母さん似かと思っていたけど、年頃になったら変わってきたね」

 

 母もご存じですか、そうですか、すみません、私はあなたを覚えていません。

 

 「目鼻立ちが男親そっくりだ。あの子がタカオさんの前に一緒だった人にさ」

 

 ……おい。

 


秘計

 

 

 十年に一度、国の安寧を祈願し、

 籤で当たりを引いた王位継承者が神殿にて生贄として一命を捧げる。
 今般、白羽の矢が立った王子はアホだが正義感が強くて正直な、
 むざむざ若い命を散らせてはもったいない好青年。

 

 我々世話係は彼を逃亡させる手立てを講じたが、計略の露見を防ぐため、
 情報交換には、例えばパンにジャムや蜂蜜で短文をしたため、
 受け取った側が一読して頭に入れたら食べて証拠を隠滅する、という方法を用いることにした。
 ある者はマスタードまみれのナプキンで顔を拭く羽目になり、

 しばらく涙を流し続けたものだが、
 小間使いがコーヒーに添えて寄越した角砂糖にシロップで小さく刻まれた の記号。

 

 妙案に期待して数日、短い時間だけ城砦の内外を行き来する物売りの舟が堀に。
 しかし、日覆いが付いていない。
 王子は待ってましたとばかり、身一つで窓から飛び降り、
 救助マットの代わりに重ねられた布団に受け止められて脱出した。
 偶然ではあるまい、打ち合わせされていたに違いない。
 振り返ったら小間使いと目が合った。
 よくやってくれたと、感謝の意を顔に浮かべたところ、
 彼女はプッと口を尖らせ、見事に膨らんだ風船ガムを披露した。
 その表面に「どういたしまして」と書かれていたかは、定かでない。


無音(ぶいん)

 

 今夜は百物語の会にお招きいただき、ありがとうございます。
 とは言っても、怪談って呼べるほど怖い話じゃありませんが。

 

  私が小学生の頃、母がバレーボール同好会に入っていたんですよ。
  毎週水曜夜7時から9時、体育館を借りて練習。
  で、父が仕事で不在で、私が一人きりになるときに限って無言電話がかかってきたんです。
  2時間のうちに何度も、繰り返し。
  昔のことですから、ナンバーディスプレイなんて気の利いたものはなく、応答すると、
  鼻息・吐息、一切を押し殺したような無言――いえ、無音。
  数十秒、本当に、なんの音もしないんです。
  いたずらにしては神妙過ぎるのが不気味でしたね。
  受話器を通して、自分の耳に、どこからか虚無が、
  真空が運ばれてくるようで、うすら寒い気分になったものです。

 

  ある水曜の晩、母がいつもより少し早く帰ってきたら、また着信。
  母は「いい加減にして!」と怒鳴って乱暴に電話を切ると、
  怒りに任せてモジュラージャックを引き抜き、一晩放置しました。

 

  その、母の「ブチ切り」の後は、確か、音沙汰なし。
  無言電話は二度とかかって来なくなったと記憶しています。

 

 お後がよろしいようで。



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