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惜別

 

 塾の「おじいちゃん先生」が亡くなった。
 高齢にもかかわらず、若先生よりよほど活力のある人に見えて、
 死ななそうだと勝手に思っていたから、ちょっとショックだった。
 お葬式にはトモ君と一緒に行った。
 本当の年はいくつだったんだと、大人たちが不審そうに話していた。
 老人には違いなかったが、寿命を引き延ばしながら
 一定の年齢レベルの壮健さを保っていたとか何とか……
 要するに、結局、不老不死の夢は叶わなかったけれど、
 老化を遅らせる秘術を尽くして粘っていたらしい――云々。

 

 「つまり、コイツ」

 

 トモ君はビーフジャーキーのようなものが入ったジッパー付きのポリ袋を振ってみせた。
 人魚の肉を乾燥させた保存食で、とても硬くて少しずつしか食べられないという。

 

 トモ君はお父さんの仕事の都合で、夏休みの終わりに海外へ行ってしまう。
 しかも、転任を繰り返すと決まっていて、いつ帰国できるかわからないそうだ。

 

 「だから、ね」

 

 ポリ袋の中から、もっと小さい袋を出し、その赤茶色の薄片を分けてくれた。

 

 「これ食べて、100年後に、また会おう」


譫言(うわごと)

 

 

 祖父が意識朦朧として呟く。
 書斎の机の引き出しに、

 昔、友達に貰ったビーフジャーキーがあるから持ってきてくれ、云々。
 「バカなこと言わないで、そんなもの噛めやしないでしょ」
 暑さのせいか、夢と現実がごちゃ混ぜになっているのか。
 しかし、頑なにかぶりを振って手を伸ばし、
 「頼む。早くあれを食べなくては……」
 そういえば、カレンダーに何やら印が付いているけれど……。

 


鱗片(りんぺん)

 

 

 祖母が亡くなった。
 正式な遺言とは別にしたためられた覚え書きに沿って、形見分けが行われた。
 私に届いたのは古めかしい漆塗りの黒い小物入れ。
 ごく小さな箪笥と思えばいい。
 アクセサリーや文房具の収納に使えるだろう。
 見事な螺鈿細工だ。

 

 引き出しの一つに結び状が入っていた。
 苦労してほどき、広げてみると、それは祖母から私への短い手紙だった。

 

  ――この装飾には夜光貝ではなく、人魚の鱗が使われています。

 

 光線の加減で、玉虫のように妖しく、悩ましいばかりに色を変える細片。
 鼻を近づけると微かに潮の香りがする……かのような気がしてくる。

 

 祖母の遺骨は粉砕され、葬儀はいわゆる散骨、すなわち自然葬となった。
 祖父と結婚する前に相思相愛だったという男性の故郷の海に溶けることができて、
 きっと満足しているだろう。

 

 書面によれば、人魚の鱗は、その漁村の特産品だが、公にされていないそうだ。

 


面会

 

 

 お盆休みに、おじさん一家が泊まり掛けで遊びにやって来る。
 父の従兄だから正確には「おじさん」ではないが、呼び方を調べてもいない。
 ともかく「おじさん」の一種で、その子供らは「はとこ」と認識している。
 おじさんたちは他の親戚への挨拶回りに出るのだが、
 何故か私が同行するのが慣例になっていて、

 その日は長らく入院中の身内を見舞うことになった。
 病床の老女は、おじさんのおばさんか、大おばさんか、
 よくわからないが親類には違いないそうだけれども、そこまで行くと私との関係は不明だ。
 おじさんが「ほら、タカオの娘のミキも一緒だよ」と老女に私を紹介する。
 わかっているのか、いないのか、彼女は横になったまま、
 霞がかかったような目を上向けて頷いていたが、不意に、

 

 「ミキちゃん、久しぶり」

 

 初対面ではなかったか。

 

 「お母さん似かと思っていたけど、年頃になったら変わってきたね」

 

 母もご存じですか、そうですか、すみません、私はあなたを覚えていません。

 

 「目鼻立ちが男親そっくりだ。あの子がタカオさんの前に一緒だった人にさ」

 

 ……おい。

 


秘計

 

 

 十年に一度、国の安寧を祈願し、

 籤で当たりを引いた王位継承者が神殿にて生贄として一命を捧げる。
 今般、白羽の矢が立った王子はアホだが正義感が強くて正直な、
 むざむざ若い命を散らせてはもったいない好青年。

 

 我々世話係は彼を逃亡させる手立てを講じたが、計略の露見を防ぐため、
 情報交換には、例えばパンにジャムや蜂蜜で短文をしたため、
 受け取った側が一読して頭に入れたら食べて証拠を隠滅する、という方法を用いることにした。
 ある者はマスタードまみれのナプキンで顔を拭く羽目になり、

 しばらく涙を流し続けたものだが、
 小間使いがコーヒーに添えて寄越した角砂糖にシロップで小さく刻まれた の記号。

 

 妙案に期待して数日、短い時間だけ城砦の内外を行き来する物売りの舟が堀に。
 しかし、日覆いが付いていない。
 王子は待ってましたとばかり、身一つで窓から飛び降り、
 救助マットの代わりに重ねられた布団に受け止められて脱出した。
 偶然ではあるまい、打ち合わせされていたに違いない。
 振り返ったら小間使いと目が合った。
 よくやってくれたと、感謝の意を顔に浮かべたところ、
 彼女はプッと口を尖らせ、見事に膨らんだ風船ガムを披露した。
 その表面に「どういたしまして」と書かれていたかは、定かでない。



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