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「今日は来るのが早いねぇ」
 ゼミ室にはみとはちさんがいた。みとはちさんは悪役っぽく逆光の中に座っていた。
「その顔だと、解けたんだね?」
 みとはちさんはニヤリと笑って、眼鏡を上げた。
「分かるんですか」
「分かるよ。私、占い師の家系だから」
「初耳ですが」
「なんでも分かるよ」
「そうですか」
「香織っち、今日は……水色だね」
 みとはちさんはニヤリと笑って、眼鏡を上げた。
 こいつ、何を当てに来ている。
「まぁとりあえず、解けましたよ。僕なりの仮説を持ってきました」
「さすがだよ。香織っちはいつも謎を解いてしまうね。さすが水色のしましま」
 しましまではなかった。
「あれ、二人早くない?」
 草苅さんが戻ってきた。カバンは置いてあったし、手にした電気ポットを見るに水を汲みに行っていたのだろう。
「香織っちがなんか解いたって」
「本当?」
「はい」
「さすが香織」
 この人の『さすが』にはやや不安が残るが。
 紅茶を淹れて。僕たちは話し始める。

 問2。
 なぜそのような『都市伝説化』が生じたと考えられるか。
「色々考えましたが、僕の考えだとその理由は、このアシキが便利だからです」
「便利」
 三人が復唱する。
「怖い話だからでも、笑える話だからでもなく、便利だから。それが理由だと思います」
 僕は言う。
「都市伝説が語られるのは、語られる必要があるからです。江ノ島の都市伝説を知っていますか」
「江ノ島?」
 三者三様にわからないといった顔をする。燈花もどうして江ノ島の話が、という顔だ。
 上手いもんだね。
「『江ノ島に初デートに行ったカップルが別れる』というものです」
「あぁ、それなら知ってる」
 草苅さんが言った。
「あの都市伝説に何か関係が?」
「僕は関係があると思いました。というか、そこから思いつきました」
「あー、それで二人は週末江ノ島デートだったの?」
 みとはちさんが言った。
「なぜ知っている!」
 思わずテーブルを叩いた。カップとソーサーがガチャンと音を立てる。
「分かるよ。私、占い師の家系だから」
 みとはちさんはニヤリと笑って眼鏡を上げた。
「さすが八恵」
 さすがではなかった。
「まあ、香織、私たち別に隠して付き合っているわけではないですし」
 隠してはいないが付き合ってもいないぞ。
「え、で、その都市伝説ってなんか関係あるかな? 元ネタは弁天様でしょう? 神話や伝説が世俗的な都市伝説に変化した、っていう点が共通しているということかな」
 みとはちさんはさっさと話を進めようとした。
 えふん、と僕は咳をした。燈花の発言に突っ込んでおくか迷ったが流すことにした。みとはちさんがにやにやした。こいつ。
「そうです。はい。週末にこの都市伝説を燈花に教えてもらいましたが、まさにそういう共通点があると思ったのです。それで、なぜ江ノ島の都市伝説が生まれたかを考えました」
「私が聞いたことあるのは」
 草苅さんが言う。
「江ノ島って結構急な坂とか階段とかが多いから、そういうところに付き合って日の浅い男女が来ると、どうしても女の子の方が疲れちゃったりしてあまり雰囲気が良くならないんだ、みたいな」
「それは違います」
 燈花が言った。
「確かに結構坂がきつかったですが、香織は私のペースをちゃんと気にかけてくれました」
「そういうことではない」
 なんかいやな汗出てきた。
 みとはちさんがニヤニヤしつつ、言う。
「はるかが今言ったのは、都市伝説に対する解釈だよ。香織っちが聞いているのは、なぜ都市伝説が必要なのか、だよね」
「そうです。必要だった。必要だったから語られた」
「デートすると別れるという都市伝説が必要だったの? つまり、別れる理由を作りたい人がいた?」
「確か行くと回避できる神社が近くにあったよね。その神社の陰謀か」
 みとはちさんが陰謀論を唱えた。分かっていて冗談を言っている顔だ。
「そういうことではありません。龍口明神社による回避策は後付でしょう。みとはちさんが先週言ったように、回避策というのは都市伝説がある程度人口に膾炙したとき、突如追加されるものであって、つまり都市伝説が語られた後からついてくる」
「でも、それじゃあますますわからない。この都市伝説が必要とされるのは、別れたい時か、江ノ島に行きたくない時じゃないのかな」
「デートを前提とするなら、ですね。他の場所でデートすればいいわけですから」
「……デートではないことが目的だとしたら、違うのか」
 みとはちさんが言った。この人は気付いたな、と思った。
「そうです。調べたんですが、この都市伝説が生まれたのは、一説には江戸時代からと言われています。案外古いんです。その時期というのは、七福神ブーム、弁天様ブームが巻き起こった時代ですね。人々は財産を増やそうと、弁天様にあやかろうと、競って参拝するわけです。江ノ電も湘南モノレールもありません。そんな時にこんな伝説があったら、どうでしょう。『初』デートかどうかは、おそらく、後からの追加というか条件の緩和です。そのころは、単に『江ノ島には男女で訪れてはいけない』ということを言っていた、としたらどうでしょう」

 江ノ島まで参拝する人間が、『カップルで来てはならない』という話を必要とする理由。
 男女で来てはならないなら、どうやって来ればいい?

「女遊びだ……」
 草苅さんがつぶやいた。
「そうです。男女で来てはいけないのなら、一人で来ればいい。江ノ島街道は遊女の集まるスポットでした。男たちは江ノ島まで出かけるのに、妻についてきて欲しくない。だからこういう話が語られた。申し訳ないけれど、お前と一緒に行って弁天様に嫉妬されちゃかなわん、留守番していておくれ、と。もちろん一説に過ぎません。本当のことはわかりません。この由来話自体が都市伝説ということもあると思いますが、まあそこはちゃんと検証してません。しかし、僕が面白いと思うのは、この便利な都市伝説が、決してゼロから作られたわけではないということです。龍と弁天の話は、正しく伝統的な伝承であって、遊女遊びより昔からあの土地にありました。それを、都市伝説が都合よく拾い上げたというわけです」
「なるほど……」
 みとはちさんと草苅さんが頷いた。燈花も微笑んでいる。
「それと同様のことが、この妖狐伝説でも起きた、というのですか」
「そう、このアシキは、便利なんだよ。便利だったから活用された。便利だったから拾い上げられた。嫉妬深い弁天様と同じように」
 僕は言う。
「このアシキの話は、都市伝説とはいいつつ、『口裂け女』みたいな典型的な妖怪都市伝説とは少し趣が違います。口裂け女に出会うと殺されますが、アシキに行き合っても死にはしない」
「友情が破壊されるだけで、命までは取られない、ということ?」
「そうです。しかも、それがアシキのしわざだと、その場であれ後からであれ気づくことができれば、実際に友情は破壊されないわけです。ああなんだ、アシキのせいだったのか、怖い怖い。それでおしまいです」
「なるほど?」
「草苅さん、草苅さんは失言って経験ありますか」
「え?」
 燈花は失言とかしなさそうだし、みとはちさんは別の意味で失言とか無さそうなので草苅さんに聞いた。
「あるよ?」
 なのにみとはちさんが答えた。
「みとはちさんではなく」
「いや、はるかは失言するよ? 失言っていうかなんていうか、朝弱いからさ、こないだもなんか寝起きで不機嫌なときに、私が熱い目玉焼きだして塩胡椒振ったのになんかキレてさ、『いらない、捨てて』とか暴言を」
「あー! あー!」
 草苅さんが柄にもなく真っ赤になって大声を出した。
 ていうかなに、二人同棲でもしてるの……。燈花と目が合った。燈花が耳打ちしてきた。
「(だからDまで行ってるって言ったでしょう)」
「(Dって同棲か)」
「(ところで香織は目玉焼きには何派ですか)」
「(ケチャップ)」
「(少し教育の必要がありそうですね)」
 そんな必要はない。
「でね、はるかも、それだけならただの好き嫌いと暴言だけどね、だんだん目が覚めたら青ざめてきてさ、どうやって謝ろうみたいもぐ」
 みとはちさんの口にカントリーマアムがねじ込まれた。
「そのもぐやっちゃったっていうマジな顔もぐが失言もぐ可愛もぐ」
 度重なるサイズダウンによる実質値上げが響き、一枚のカントリーマアムでは口をふさぐのに足りなかった。草苅さんは四枚ほど追加した。みとはちさんが、お茶もぐが怖もぐい、と言った。僕はポットに残っていたパッションフルーツティーを注いであげた。
 そろそろ話を戻そうか。
「草苅さん、そういう時に、彼女は便利なんですよ」

 ブゥウン……と、扇風機が首を振る。

「なるほど、ね」
 嚥下の完了後、みとはちさんが頷いて言った。
 燈花の表情にもはっとしたものが浮かんでいる。

「つまり……失言をアシキのせいにできる」
 草苅さんが言った。

「そうです。簡単です。自分の失言を悔いる気持ちがあるのなら、友情を傷つけたくないのなら、翌日すっとぼければいいだけです。その上で、自分は本心ではそんなことは考えてもいない、と説明すればいい。相手はきっとわかってくれますよ。相手からしても、そんな酷いことを本心から言われるはずはないんだという考えは魅力的ですし」
「資料B1には友達の悪口を言って去ったアシキが出てきます。もちろんこの話だけから何も断言できませんが、こういうシチュエーションは子どもたちの間では普通に起こることでしょう。B群の資料は他も似たようなものですね。普段は仲良くしているけれど、ふとした拍子に友達への不満が爆発する。酷いことを言ってしまう。そうしてそれを後悔する。本当はあんなこと、言うつもりじゃなかった。あれは自分の本心ではない。そう、あれは自分ではない。自分そっくりの、偽物だ、と」
 それが僕の仮説。
「物語には、必ず語られる理由がある、目的がある。ハッキリ言ってアシキの話は口裂け女みたいにセンセーショナルなものではありません。それでも語られるとしたら、こういう理由なんじゃないかなと僕は思います。小中学校の子どもたちにとって、人間関係は切実ですから」
 出題者の稲荷木燈花への、答えだった。

 僕は彼女の顔を見ないようにして、仮説を語り終えた。


9
最終更新日 : 2015-06-30 00:52:49

 ゼミで回答編をやらかし、さんざんみとはちさんに絡まれた後、急いだのだけれど、それでも家につく頃には日が落ちていた。しかし今回は家を離れる時間もなかった。自宅しかない。
 額の汗を拭い、玄関の扉に鍵をかける。チェーンもかける。コップに水をくんで、薬を飲む。白い正円。二錠飲み込む。もう一錠飲む。さらにもう一錠口に含んで、今度は水で流し込まずにゆっくりと舌の上で転がす。ビリビリとした苦味が頭痛を押し戻す。吐き気をこらえながら僕はすべての窓の鍵がしっかりとかかっていることを確認し、遮光カーテンを閉めていく。閉めていく。ベランダに出られる一番大きなサッシには防犯用の追加錠を取り付ける。口の中の錠剤が消えているのでもう二錠口に放り込む。いま全部で何錠飲んだ? 頭が痛い。頭の奥が引きつって、頭蓋骨が締まる。脳が頭蓋骨という水槽の中に浮かんでいるのを僕は想像する。水圧で脳が押しつぶされそうだ。目をしっかり開けていられない。もう一度玄関に戻り靴箱から大きな電子錠と手錠を取り出す。錠前の方はドアの取っ手部分に取り付けることで内側からドアが開かないようにすることができる。手首の骨にしっかりと嵌る手錠にも連動しているので、同時に僕の両手を拘束し、翌朝までこの場から動かさない。一度ロックすれば規定の時間数が経過するまで外す方法はない。設定は十時間。十時間後、夜が明けるまで、ロックは外れない。頭が割れるように痛みだす。錠剤の瓶を取り落としてしまい床にぶちまける。白い錠剤がバラバラと廊下を満たす。小瓶から吐き出される錠剤は止まらない。呪われた薬壺のように毒を吐き続ける。錠剤たちが無限に床を転がる。ザラザラと耳障りな音が鳴り続ける。錠剤たちの震えは止まらない。僕の細胞一つ一つが不快な震えを続けている。細胞と細胞の間の隙間がギシギシときしみ、表面を撫でればその隙間が引き千切られ、ボロボロと剥がれてしまいそうだ。吐き気と悪態を喉の奥に抑えながら、散らばった錠剤を集めるのは諦めてただ床から一掴み拾ってポケットに突っ込む。頭頂の左右がムズムズと痛み、頭蓋全体が締め付けられる。僕は叫んでしまわないように口を拘束する金具を用意する。最後に錠剤を三錠ほど追加して飲む。口の中いっぱいに刺すような苦味が広がり頭痛が一瞬遠ざかる。長い夜の前半だけでも昏倒して過ごせるよう、僕は落としたのとは別の薬瓶の蓋を開け、その中の強力な睡眠薬を、

 電話が鳴った。

 非通知設定。

 普段の僕ならもちろんこんな状態の時に電話などでない。電子音がガンガンと頭に響く。また、こんな状態とか関係なく、非通知の着信なんて怪しいし、出たくない。電子音がガンガンと頭に響く。しかし、電子音がガンガンと頭に響く僕は出る前から、電子音がガンガンと電話をかけてきたのがガンガンと頭に響く誰か、想像響くが電子音が響く頭電子音がガンガンと響く頭想像非通知ガンガンと頭に響くついて

「……もしもし」
 言葉を発すると自分の息で口の中の苦味が増幅されるようだった。
「僕だよ」
 電話の相手は、紛れもなく神谷内香織の声色でそう言った。
「話したいことがある。君の家のすぐ近くまで来ている。出てこられるかな」

 *

 アパートから徒歩一分の公園。それが、彼女の指定した場所だった。本当にすぐ近くだ。いくらすぐ近くであっても今夜外に出るのはものすごく怖かった。それでも僕は、そこに自分がいるということに我慢がならなかった。

 一目見て確認する必要がある。

「夜遅くにごめんなさい」
 ベンチに腰掛けていた神谷内香織は僕を見て立ち上がり、言った。それは紛れも無く神谷内香織らしい神谷内香織だった。ただ、この満月の夜には、本物よりも出来過ぎていた。
「話って何? こんな夜中に」
 僕は荒い息で言った。
「具合、悪いの?」
 神谷内香織は心配そうな顔をした。
 その瞬間、僕の中で一気に何かが冷めていった。
 馬鹿め。
「……それではっきりしたよ。お前は偽物だ。中身までコピーできていない」
 僕は大袈裟にため息を付いた。偽物の表情からは何も読み取れない。
「化けるっていうのは、その時の体調までコピーするわけではないよ。体調悪く見せようと思えば、そう見せることはできるけれど」
「違う。君は神谷内香織のことがわかっていない。僕ほどには」
「君、ずいぶん自意識過剰だ」
 偽物の神谷内香織はそう言った。
 僕はポケットから錠剤を取り出して噛み砕きながら微笑んだ。そうだ。僕は自意識過剰だ。
「僕は自分が知りたい。知らなければならない。自分の罪は自分で背負いたい。あれはアシキでした、偽物でした、なんて都合の良い都市伝説で言い逃れしたくない。だから今すごく安心したんだ。君は僕じゃない。劣化コピーですらない。偽物以下の偽物だ。僕は君を知る必要すらない」
 錠剤の苦味を感じない。舌のしびれを感じない。夜風にあたり、月の光に撫でられる皮膚が燃えるように熱い。皮膚が軋む。ダメだ、もう抑えきれない。一瞬恐怖を感じるけれど、すぐにそれが、興奮に取って代わられる。きっと後悔する。それすらも愛おしい。
「そこまで言われてしまうとは心外だなぁ。これでも『三言喋るのを聞けば、物言いから頭のなかまで』だ。神谷内香織を完全に体得したつもりなんだけれど。君がそんなにヤク中みたいになってるとは知らなかったけどさ。もしかしたらそのせいかな? 薬で人格が変わってしまった、とか」
 僕は半分唸り声になりながら言う。

 いいよ、もう。
 言ってやる。

「『三言喋れば』は、それは君の母親の話だ。君には伝説の妖狐の血は四分の一しか流れちゃいない。君の変身はそれ自体が劣化コピーだ」

 偽物はきょとんとして首を傾げた。

「さすがだ。そこまで分かってたんだ」
 当たり前だ。僕は吠えそうになった。それに気付いてもらうための茶番劇だったはずだ。わからないほうがおかしい。
「その首を傾げるの、僕の友達の癖だよ」
 偽物は首を傾けたままだ。
「その子は僕が君を目撃した二回とも、直後に僕の前に姿を表した。まえに両親はもともと××方面の出身だと言っていた。彼女が民話を収集してきたのは××県だ。みんなの前では父親の実家、としか言わなかった。けど、お父さんはお母さんと結婚するのを実家に反対されて、ひどく喧嘩して家を出た、とその子は僕に教えてくれた。半人半妖狐伝説の絶頂期を飾る事件として、『親子の仲違いが村全体を巻き込んで、息子が縁を切られて村を出るまでになった』と、資料に書いてあった。それが多分二十年くらい前の出没事件なのだろうけれど、そのことは不自然に資料にまとまれていない。僕はこの縁を切られた息子というのが、彼女の父親かもしれないと想像する。だから民話の収集に際しては、絶対に本名を名乗れない。騒動の当事者だからだ。では、母親は誰だろう?」
「これは本当にただの想像なんだよね。見方を変えてみる。そもそもなぜ彼女の問題意識は資料B群、現代に生きる都市伝説の方にあったのだろう。妖狐伝説そのものだって十分面白いのに、そしてその伝説が二十年ほど前に途切れているのだって十分検討の価値があるのに、彼女はそこを避けて、僕たちを都市伝説の方に誘導した。理由は単純なんじゃないだろうか。彼女はBのほうが気になった、それだけだ。なぜ気になるか。彼女はもう、その妖狐が村にいないことを知っているからだ。Aは終わった話だと知っているからだ。けれど、Bは違う。既に妖狐がいなくなった後も、伝説が生きている。改変されて子どもたちに語られている。なぜだろう、一体どういう機能があるのだろう。それが彼女の問題意識だったんじゃないかと思う。そう考えると自然だ。だから僕は彼女が、半妖狐のアシキを母親に持つ、妖狐のクオーターなんじゃないかと想像する」
「その上で、僕のドッペルゲンガー問題は、君が投げ込んだヒントだ。偽物がうろついている時に、本物は偽物の存在をどのように言い訳に利用できるのか、それに気づかせるための餌だ」
 偽物は首をかしげたまま、問う。
「それだけで? 君にしては、なんとなく論理性にかける気がするよ」
「僕もそう思うよ。だからただの仮説なんだけれど、それにしてもあからさまだし、これしか信じられない。それに一つ、決定的な要素がある」
「なにかな」

「その子の大好物は油揚げだ」

 神谷内香織の姿をした稲荷木燈花は、にこりと笑った。
「さすがですね、香織は」
 稲荷木燈花はツクリモノの声で喋る。
「本当は周りの人たちに見られて、噂されるくらいに留めるつもりでした。あそこで香織本人に姿を見られるつもりはなかったのです。それでヒントを出したかった。それだけです。姿を直接見られてしまうと、さすがに香織はこっちの謎を解きに来てしまうだろうと思ったので。案の定そうなってしまったわけですね。昼間この姿を見てから気付いたのでしょう」

 嘘だ。
 はじめから僕に見せつけるつもりだったくせに。

「今日呼び出したのは、謝ろうと思ったのです。あの時、怖がらせてしまったようでしたから。その通りですよ。質の悪い偽物と言われてしまったのは悔しいですが、そうです、私は香織ではありません」

 事故みたいな言い方をしている。
 嘘だ。
 君ははじめからそのつもりだった。
 そうじゃなきゃ、僕に化ける理由なんてない。動機がない。

 僕はイライラした。
 もうとてつもなくイライラした。
 錠剤を飲んでも飲んでも足りないくらいにイライラした。
 叫んでもおかしくないくらいイライラした。
 この子相手にこんなにイライラするなんて想像しなかったくらいイライラした。

 今僕が並べ立てただけの理由で、彼女が狐だなんて気づけたもんじゃない。
 そのことは燈花だってわかっているくせに。

 物語には語られる理由がある。目的がある。

 僕は他人の秘密に土足で立ち入るのを何より嫌う。『解いていいよ』と言われないと謎を解こうとしない。そのことをわかっているから彼女は、それをゼミの場で出題した。そうすれば僕が彼女の秘密に辿り着くだろう、辿り着いてくれるだろう、『解いて』くれるだろうと見込んでのことだ。

 けれどそれだけではまだ足りない。
 僕の興味の向く先を、彼女はもう一つ見抜いていた。

 自分だ。
 だから彼女は、僕になった。
 そしてその姿を僕に見せた。
 僕に解き明かしてもらうために。

 そうして彼女は僕になおも甘える。僕にその行為を受け入れてもらえると期待している。僕が彼女の嘘を暴いて、問い詰めたりしないと思っている。ああ、しないよ。しないさ。そうでなければ殴り飛ばしている。いや、これからするかもしれない。もっと酷いかも。
 ほとんど八つ当たりだとはどこかで分かっていた。でも頭が沸騰している。どうしてこんな、僕を試すようなやり方にしたんだ。普通に打ち明けずに。僕に変身して。普通に相談してくれれば、僕だってこんな身体だ。少なくとも話を聞くくらい出来たはずだ。なにしろ藤木先生のゼミだ。多少、人外がいたところで不思議はないだろう。驚きやしなかったさ。それをどうしてこんな。

 僕は試されるのが大嫌いなんだ、と自覚した。
 その嫌悪は、この回りくどい告白みたいなものを塗りつぶして余りある。

 本当は、燈花が普通の人間ではない可能性を考えていたけれど、さすがにこんな茶番をやる意味がわからないと思っていた。そんな手間とかリスクとかかけて、僕に化けたりするだろうか、と思っていた。知らないふりをしていた。でもここまでやられたら無視はできない。そこまで韜晦を気取ってはいられない。それをわかっててやっているんだろう。僕がそうやって結局受け入れてくれる、それに期待しているんだろう。イライラする。本当に。
 血が燃えている。背後に月が輝いているのがしっかりと分かる。偽物の僕の顔をキラキラと照らしている。偽物の僕は満足げだ。目論見通りうまくいったからだろう。見込みは正しかった。しかし。しかし彼女は日を間違えた。今日にすべきではなかった。全身がガクガクと震えだす。
 知らなかったのだろう。そりゃそうだ。知るわけがない。
 そもそもなぜ僕が、自分を知りたいと思っているのかを。
 知らなければ怖いと思っているのかを。
 なぜ毎晩寝る前に寝室のカメラを起動して、自分がベッドを抜け出していないことを確認しているのかを。
 なぜ満月の夜にはありったけの道具で自分を拘束しているのかを。
 なぜ藤木先生の研究に興味があるのかを。
 そりゃそうだ。僕が彼女には伝えていないんだから。
 僕が秘密にしているんだから。
 知らなかったから、まさか僕がここまで自分がもう一人存在することに対して神経質になるとは思わなかったから、あの時あんな顔をしたのだ。僕と鉢合わせてしまった後のあの顔は、僕の精神状態をひどく悪化させてしまったことへの申し訳なさだ。偽名を使わないといけなかった、ということを軽率に言ってしまい、僕を混乱させた時と同じ顔。
 馬鹿か。僕に化けるのはよくて、僕に心配させるのはダメなのか。どうかしている。

 そして僕は、馬鹿な彼女が、少し妬ましかった。
 妬ましかったのだ。
 こんな馬鹿げだやり方にせよ、自分から秘密を開示できる彼女が。
 僕とは違う馬鹿な彼女が。

「……香織?」
 いつしか彼女は稲荷木燈花の姿に戻っている。その方がいい。彼女のふわふわしたロングヘアーには神谷内香織風の服装がおそろしく似合わない。しかし何にせよ、自分自身の姿をしたやつを襲うのはゴメンだ。いくら室の悪い偽物とはいえ。いくら、満月の夜の僕の本性をコピーしきれていなかった偽物とはいえ。僕は自分が何を考えているのかについて考えて慄然とする。全身が粟立ち、興奮で口の中に唾液が溢れてくる。
 ううううう、と低く唸り声を上げる。目をつむって、拳を握りしめ、歯を食いしばり、声を絞り出す。

「ゲームの世界だと、妖狐っていうのは、噛めないって言うけれどさ」

 背骨がガリガリと音を立てている。
 僕の身長が伸び上がる。
 身体が一回り大きくなって、焼けた皮膚にザワザワと灰色の毛が沸き立つ。
 ぐいと顔を上げれば天の満月が飛び込んできて、顎が広がって牙が口の中を埋める。
 狼は夜目が効く。鼻もいい。小さく悲鳴を上げて後退りする稲荷木燈花のにおいが分かる。月明かりに照らされた白い肌に牙を突き立てる数秒後を想像する。一歩一歩にじり寄る。稲荷木燈花が尻もちをつく。声にならない悲鳴が吐息になってその小さな口から漏れる。
 君と僕、二人分の吐息が混じる。君からはもう、僕のにおいはしない。もっと甘いにおいがする。

「四分の三が人間だったら……」

 噛めるだろうか。きっと噛める。僕は知っている。

 狼が、狐に襲いかかる。


(第二部につづく)

 


10
最終更新日 : 2017-04-17 21:33:05

第二部『稲荷木燈花は貴方が知りたい』はこちら。

http://p.booklog.jp/book/114287


11
最終更新日 : 2017-04-25 23:42:58

この本の内容は以上です。


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