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目 次

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      まえがき

 

第1章  近代科学の方法論の登場

     ヨーロッパ中世の社会基盤 /ガリレオの偉業 /近代科学の方法論の確立

 

第2章  近代科学に対する東国の学風

   南方熊楠とは /西欧文明に立ち向かう南方熊楠 /南方熊楠が模索した科学方法論

 

第3章  還元手法と必然性で進む近代科学

     近代科学の認識論 /量子力学の奇妙な現象と実験 /量子世界との境界

 

第4章  物の学問と偶然性

     南方曼荼羅モデルによる学問 /萃点と量子力学 /マクロ世界と量子世界の偶然性

 

第5章  事の学問と偶然性

     事を生物学とすれば /機械論に基づく生物学の進展 /生物に及ぼす偶然性

 

第6章  不思議な微生物の働きが新科学の萌芽

    複合微生物による放射性物質の分解消失 /地動説と複合微生物説の類似 /

    野外実験と西欧科学との齟齬から

 

      あとがき

 

      参考文献

 


まえがき

 筆者は、福島放射能除染推進委員会が2013年10月22日に福島県庁で行った野外実験の報告記者会見をユーチューブで視聴しました。野外実験は、高嶋開発工学総合研究所の高嶋康豪(たかしま やすひで)主導で、福島県浪江町の高放射線量地域の農地に対し 「複合微生物の複合発酵法による放射性物質分解消失」 を試みた驚愕の内容です。土壌発酵する場所によりばらつきがあるも、15日~20日で放射性物質が1/40~1/50、90日経過すると最高で1/200~1/500になりました。

 政府は、高嶋康豪から 「複合微生物の複合発酵法による放射性物質分解消失」 の説明を受けましたが、悲しいかな土の削り取りを選択しました。土の削り取りで高放射線量地域の対策に努めるも、予想通り高放射線量は一時的にしか下がらず、削り取った土の保管場所(=中間貯蔵地及び最終貯蔵地)で住民を困らせています。

 原発は西欧科学に基づく発電プラントであり、放射性物質はいわずとしれた原発のゴミです。日本原子力研究所、核燃料サイクル開発機構及び電力中央研究所は、1988年から巨大な粒子加速器を使った核種変換の研究をするも、放射性物質の消滅を実現しておりません。しかし複合微生物の複合発酵法は、放射能除染という名の”移染”技術の中において、真の放射能除染技術です。しかし、原子力村は物理学の法則に反する理由から、唯一の放射能除染技術を徹底的に否定しました。筆者は、野外実験を否定する状況が、ガリレオの宗教裁判と類似していると思います。

 カリレオは、’近代科学の父’と呼ばれるように、近代科学の方法論を確立しました。ガリレオによる近代科学の方法論は、17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代を経ると、機械的自然観の思想を生みました。機械的自然観とは、本来的に無生物を存在モデルとし、生物をモデルにしない、そして無生物の理(=物理学)が一切存在の基本であり、その延長線上で生物の理(=生物学)が理解されるべきだという思想です。(※)啓蒙時代を終えた頃は、明治維新です。

 南方熊楠(みなかたくまぐす)は、明治維新前年の1867年に今の和歌山市に生まれ、20歳の1886年に訪米、アメリカに足掛け6年、26歳から30歳までをイギリスで暮らしました。イギリスではロンドンに滞在して大英博物館にかよい、古今東西南北の図書の書き読み、抜き書きして、独学で学問を修業しました。当時の日本人が有していた生命的自然観と機械的自然観が激しくぶつかり合ったことでしょう。南方熊楠は、そのような中で独自の科学方法論を模索しました。機械的自然観は必然性しか問いませんが、南方熊楠の科学方法論は、必然性と偶然性の両方を考えます。

 原発は、機械的自然観に基づく西欧科学を象徴する発電プラントです。2011年3月11日の東日本大地震により、福島第一原発の1号機から4号機が相次いで爆発し、陸海空に大量の放射性物質を放出しました。原発は、2010年1月現在世界中で437基稼働しており、原発から出る使用済み核燃料棒の後始末は、深度地下に10万年超保存の処分しかなく苦悩しています。西欧科学の技術では、放射性物質の消滅処理ができず、複合微生物の複合発酵法では放射性物質の分解消失を実現しました。

 南方熊楠が学んだ西欧学問に通底する機械的自然観の隘路が放射性物質の処分に現れており、生命的自然観に基づく複合微生物の複合発酵法こそが放射能から人類を救います。ガリレオはそれでも地球は動いていると言いましたが、高嶋康豪はそれでも微生物が放射線を消すと言うかもしれません。生命的自然観による微生物の不思議な働きが、新しい科学方法論と新しい科学を示唆しています。

 

 ※ 高山岩男著 文明の哲学 「没落の問題をめぐって」 より


第1章 近代科学の方法論の登場

   ヨーロッパ中世の社会基盤

 ヨーロッパ中世は、キリスト教の教義が学問と日常生活を規定していました。主たる学問(=哲学)は、キリスト教の福音がギリシャ哲学の地盤に移し植えられて、アリストテレスの哲学をかりて、キリスト教の教義の神学が最上位の学問として成立しました。ゆえに、数学や天文学は哲学の学説に従わねばならず、更に、哲学も神学の教義との整合性を第一にしました。このように、学問は中央集権的な階層構造になっていましたが、中世社会の権力構造はどうだったでしょうか。

 下田淳著 『ヨーロッパ文明の正体』 を引用します。

 

 ヨーロッパの諸権力競合体制には独占は許されなかった。これはヨーロッパ諸王権・諸侯レヴェルだけではなく、一国内の王様・貴族・聖職者・都市民といった身分についても言える。身分とは役割であるから、これは 「機能的棲み分け」 と理解できる。したがって、諸権力競合体制を王権や貴族が空間的に領地を分かち合っていると捉えるだけでなく、身分として機能的にも分かち合って競合し均衡しているものと理解し、これを 「権力の棲み分け」 と定義しよう。ヨーロッパでは、権力の独占状態が常に回避され、諸権力(諸王権・諸侯・中小貴族・聖職者・都市民)が分散・競合して均衡していた。

 

 下田淳は、権力の棲み分けがヨーロッパ文明の大きな基盤であり、さまざまなヨーロッパ文明の所産を産み出した目に見えない要因と考えています。つまり、諸権力の分散・競合の目に見えない要因が、異色な自然観を有する人を産み庇護し、近代科学の誕生に繋がりなりました。

 

 ガリレオの偉業

 大学の数学講座教授の職を得ていたガリレオ(1564~1642)が望遠鏡を空に向けて天体観測をした頃は、天動説の時代です。私たちは、学校で地動説を学びますが、日常感覚では太陽が動いているように見えますから、アリストテレスは地球が静止しているとしたのも無理ありません。また、 「ヨブ記」 9章6節には、太陽が動き、地球が止まっていることを表す一節があり、アリストテレスの哲学も天上界の不変性に言及していました。

 ヨーロッパ中世のキリスト教は、信仰と日常生活を規定していましたが、ガリレオの天体観測の発表からキリスト教の権威が揺れだしました。ガリレオの天体観測に基づく地動説は、極一部ではあるが聖書(=神)の誤りを正すことゆえ命がけの学説です。ガリレオは、望遠鏡の観測結果を得て、数学的考察から地動説を確信しました。ゆえに、ガリレオは ’近代科学の父’ と呼ばれています。

 ガリレオは、1609年7月にヴェネツィアを訪れたとき、望遠鏡の話を聞き独力で制作しました。ガリレオが最初に作った望遠鏡の倍率は、3倍という当時の一般的倍率でした。その後、改良を重ね20倍の倍率の望遠鏡を制作しました。ガリレオは、高倍率の望遠鏡から次の観測結果を得ました。

 

① 月の表面の影が時間と共に縮む。 → あたかも、太陽が昇るにつれ地球の山の影が縮むがごと

      くの様相を呈しており、地球と同様に山、谷、平地があると推論しました。

② 木星の衛星を4個発見した。 → 木星が4つの衛星を引き連れて地球または太陽の周りを回っ

      ており、地球が月を引き連れて太陽の周りを回っても、別に不思議でないと推論しました。

③ 金星の満ち欠けを発見・観察した。 → ガリレオは金星が満ち欠けするだけでなく、同時に大

      きさも変えていることから、地動説の証拠になると考えました。天動説では、金星の観察結果を

      うまく説明できないからです。

④ ある人から 『太陽黒点に関する三書簡』 を受け取り、依頼により太陽の黒点を観察をした。

      → 弟子が考案した投影法により、あらかじめ円を紙に描くことで、円の上に太陽の像を投影

      するので、正確な黒点の図を描けました。また、円の大きさを揃えておくことで、時間的経過の

      正確な観測結果が得られました。継続的な観測記録を比較検討することにより、ガリレオは生成

      消滅、形の変化、運動の速さなどの黒点の振る舞いについて、より正確な情報を集めることがで

      き、れらが彼の主張を支える経験的な証拠になりました。ガリレオは、太陽表面に黒点がある仮

      定と太陽表面から離れた場所にある二種類の仮定をおいて、観測結果から数学的(=幾何学的)

      に黒点は太陽表面上またはすぐ近くにあるということの証明をしました。

 

 ガリレオは、天体観測以外にも落下運動を観測結果から運動を数学で表現し論じており、今様に言えば数学教授が専門外の天文学や物理学を研究しました。その研究の方法論が革新的です。その革新性を表1で示します。現在の天文学や物理学の研究方法は、ガリレオの方法論を踏襲していると言えます。

 

                               表1:神学者とガリレオの学問の方法論

 

 

 

 近代科学の方法論の確立

 数学は論理的に組み立てられており、公理を基に論理の将棋倒しのように決められた方向へ進むことからある種の必然性を有しています。ゆえに、数学的記述をすることは、必然性を述べていると見做せます。数学的論理の組み立ては、ユークリッド幾何学が代表的です。5つの公理から論理的に 「三角形の内角の和は二直角に等しい」 という定理を演繹的に導きます。ガリレオが、観測データの分析及び考察に数学を援用できたのは、数学が有する論理的必然性と天体運行の因果論が非常に相性が良かったからです。

 デカルト(1596~1650)によれば、物質的な宇宙は、機械そのものであって、また機械以外の何ものでもありません。宇宙は、物質であるから、そこには目的、生命、精神性などまったく存在しません。したがって、自然も、機械的な法則に従って運動し、物質界は、それを構成する部分の配列と作動によって可能と考えました。←A

 ニュートン(1642~1727)の運動の三法則が一般に受け入れられるようになった最大の理由は、あのケプラーの法則ー ティコ・ブラーエが残した膨大な天体の運動に関する観測データを、弟子のケプ

ラーが苦心惨憺の末にようやく一個の法則にまとめ上げることにより、特定の理論を前提にすることなく、完全に 経験的にのみ発見された、あの天体の運動に関する法則ー を、ニュートンの運動の三法則から数学的に導き出すことができるという事実のうちにあります。←B ゆえに、自然科学の物理学がニュートンにより発展し、学問のひな形となりました。

 ガリレオ、デカルト、ニュートンらによって構築された物理学は、科学技術を発展させまばゆい工業製

品を続々と生み出したゆえ、多くの絶大な支持を得ました。同時に、物理学の観察対象を構成要素に分解して調べ、法則を発見する方法論から、分解した要素の働きで現象が説明できるとする還元主義が、物理学以外の学問にまで広がりました。この還元主義は、複雑な現象はより小さい構成要素に分けた方が考えやすいという常識にありますが、分けた構成要素から現象を法則で説明しようとするため、常に必然性を問います。つまり、偶然性の現象を問わずに切り捨てます。

 古典力学は、日々の経験的な観察を形式化・抽象化することにより成立しました。ニュートン以降、理系学者なら誰しも観察を形式化・抽象化し、数学的に記述できれば、演繹的効力絶大と考えました。物理学の発展を目のあたりにして、自然科学はもとより社会科学・人文科学までもが、実験によりデータを収集し、数学的考察を加える方法論を取り入れました。特に、ニュートンの古典力学の数学的な美しさに魅了されたレオン・ワルラス(1824~1910)は、荒川章善著 『思想史のなかの近代経済学』 によれば、ニュートンの古典力学を模倣してアダム・スミスの経済学を数学モデルで説明できるよう新古典経済学に築変しました。

 ガリレオから始まった近代科学の方法論は、ニュートンの登場で完成し現在も踏襲しています。その方法論は、 「数学を活用し仮説を立てる → 実験し結果から仮説を検証する → 仮説から導かれた結果と実験結果を比べ、合致すれば仮説を認める」 です。この方法論は、因果律ー必然性ーの発見を目指しています。数学を活用し仮説を立てるとは、数学における合理的な因果関係を説明することを言い、ひとつの原因にひとつの結果が定まる場合です。仮説が実験で検証できれば、ある結果に対して原因を定めることができます。これを数学的に言えば、あるX(原因)に対してY(結果)がひと通りに決まるので、 「YはXの関数である」 となります。

 たとえば、原発推進者は、今も原発の安全性(X)を危惧する人に対して、 「福島第一原発事故で死亡者は”ゼロ”であるが、交通死亡事故(Y)は年間5000件も起きているのだから、 『自動車を廃止』 と言

うべきでないか」 と反論します。簡単に言えば、原発推進者は原発事故と交通事故の2つの事故を死亡者数で比較しています。自動車は移動手段に使う交通分野の機械、原発は発電手段に使うプラントであり、別々の領域に属します。関数で考えると、原発の安全性(M)と原発死亡事故(N)の関数及び自動車の安全性(P)と交通死亡事故(Q)の関数は別になります。異なる関数で得られる 「結果」 は、比較できないのは言うまでもありません。原発事故と交通事故の2つの事故が、同じ関数でないと比較できません。これが、数学を活用した思考です。

 なお、原発推進者は福島第一原発事故の関連死亡者1232名(2015年3月10日の東京新聞)にな

ぜか言及しません。


第2章 近代科学に対する東国の学風

 南方熊楠とは

 南方熊楠(みなかたくまぐす)は、明治維新前年の1867年に今の和歌山市に生まれました。幼少期から記憶力に優れ、家人をはじめ近所の人を驚かせました。1884年に和歌山中学を卒業後、東京帝国大学の前身の大学予備門を中退し、20歳の1886年に訪米、アメリカに足掛け6年、26歳から30

歳までをイギリスで暮らしました。南方熊楠は、西欧学問(=洋学)の習得が目的の官費留学ではなく、家庭が裕福なこともあり自費で勉学に励みました。ゆえに、しがらみがなく、立身出世を考えることなく自分の意思に沿って西欧学問を学びました。

 イギリスではロンドンに滞在して大英博物館にかよい、古今東西南北の図書の書き読み、抜き書きして、独学で学問を修業しました。ロンドン滞在中に 『ネイチャー』 に論文、 『ノーツ・エンド・クィアリーズ』 に寄稿しました。その学問領域は、生物学(特に粘菌の蒐集(しゅうしゅう)と研究)や民俗学をはじめとして、歴史学・心理学・社会学・地理学、更に基礎科学として数学・論理学などに渉ります。

 父親の死去もあり送金は途絶えやむなく1900年秋に帰国し、和歌山県那智勝浦に隠栖(いんせい)

したのち、和歌山県中部の田辺に定住しました。帰国後も粘菌の研究に励むとともに、明治政府の神社合祀に対し自然環境保護の立場から7つの理由を掲げ反対運動の実践活動をしました。神社合祀とは、1888年に市町村制が公布され、原則として、一町村につき一社に限り神社を認めるおふれです。市町村合併が強制的に進められ、一町村に二社以上の神社が存在することから小社小祠は廃止されたのです。一方で微生物の研究に励み、当時知られていた粘菌196種のうち99種は南方の発見です。内、 「ミナカタ・ロンギフィラ・リスター」 という、ミナカタの名をもつ新種の苔の発見もあります。

 南方熊楠は、在野の微生物の学者として神社合祀反対運動をしたにもかかわらず、1929年6月行幸の折り、田辺湾に浮かぶ神島(かしま)を訪れた生物学者でもある昭和天皇に粘菌について進講する栄誉を賜りました。南方熊楠は、生涯を 「中卒」で、大学にゆかず、学会に加入せず、無位無官のままで終わりました。それでも南方熊楠は、生涯中に 『ネイチャー』 に50編の論文、 『ノーツ・エンド・クィアリーズ』 に323編を寄稿しました。まさしく、南方熊楠は在野の巨人であり、1941年定住の地、田辺で亡くなりました。

 

 西欧文明に立ち向かう南方熊楠

 南方熊楠が反対運動をした神社合祀の明治の時代背景を、塩見鮮一郎著の 『江戸から見た原発事故』 から抜萃します.

 

 まず明治維新は、西洋グレゴリウス暦の採用、貨幣単位の改変、徴兵制と洋学の新設、一般の無税地の廃止など、農民や漁師や工人(こうじん)などに多大の影響をおよぼす改革になっている。江戸は東京になり、藩は県になった。人びとは 「国民」 にされ、 「国語」 を教えられ、 「国歌」 を斉唄し、祝祭日には 「国旗」 を戸別にかかげるよう指示された。国威、国体、国運、国益、国恩、国技、国士、国賊、国土、国宝、国防など、市民の頭のうえに国家がずしりと乗った。江戸時代のお殿様とちがって、 「国」 は

抽象である。どこに 「国」 があるのか、だれにも見えないし、どなたが 「国」 なのかとたずねてもはっきりしない。天皇が 「国」 なのだろうか。いや、天皇は 「現人神」 といわれて、 「人」 であるし 「神」 であって、 「国」 ではない。

 

 明治維新の空気は、上記の文章から読み取れます。帰国後の南方熊楠は、このような時代の空気の中で、明治政府が推し進める中央集権政策の一環として、強制的市町村合併に呼応した伊勢神宮を頂点とする国家神道の神社中央集権化(=神社合祀)に反対しました。江戸時代までは神仏習合であり、自然村には1つの神社がありました。神社の境内には樹木が生い茂っており、神域ゆえか伐採を禁止しました。また、神社境内の豊かな森は、周辺の農民に恵みを与えており、先人は理解していたと思われます。しかし、強制的町村合併により、一町村に二社以上の神社が存在することから小社小祠は廃止されたのです。南方熊楠は、自然環境保護の立場から下記の7つの理由を掲げ反対運動をしました。エコロジーという言葉をはっきり掲げて、自然保護運動を行ったのは、日本では、南方熊楠をもって嚆矢(こうし)とします。

 

 (1) 敬神の念を減殺(げんさい)する。

 (2) 人民の融和を妨げる。

 (3) 地方を衰微させる。

 (4) 庶民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を乱す。

 (5) 愛郷心を損ず。

 (6) 土地の治安と利益に大害。

 (7) 景勝史跡と古伝を湮滅(いんめつ)す。

 

 南方熊楠は、少年の頃から動植物に興味を持っていたことが、逸話からうかがえます。その後、海外での広範囲な学問修行を基底に生涯、生物学(特に粘菌の蒐集と研究)に打ち込みました。上記の神社合祀反対理由を忖度するに、自分の研究領域である微生物の宝庫である神社の森が破壊されると言う狭い了見ではなく、神社の森の破壊が地球規模の自然破壊及び道徳の堕落に繋がると考えています。その背景には、西欧の機械論的自然観とは異なる山川草木悉皆成仏(※さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)の生命的自然観があります。

 

 ※ 山川草木悉皆成仏

 九世紀の天台宗の高僧安然が 「草木国土悉皆成仏」 と記しているのが、同種の表現で早いもののようです。ただ、それより古い弘法大師空海の書物に 「草木また成ず、いかにいわんや有情(うじょう)

や」 という一節があり、 「そういう考え方」 という点では、かなり古く、同種の表現は他にもあるかもしれません。いずれにしても、密教から出てきた思想です。 ← 教えてgooベストアンサーより、下線追記

 

 南方熊楠は、青年期に文明の中心地ロンドンで大英博物館にかよい、独学で広範囲の学問を修業しました。世界最初の万国博覧会が、1851年にロンドンで開催されました。以来、数年おきに万国博覧会が開催されました。万国博覧会には、最新の科学技術品(例:鉄とガラスで造られた当時の画期的な建造物、電話機にミシン、エジソンの蓄音機や自動車、エッフェル塔など)が目玉です。南方熊楠が海外に滞在中に、バルセロナ万国博覧会・第4回パリ万国博覧会・シカゴ万国博覧会が開催されています。西欧文明が華やかな時期に、南方熊楠は海外で広範囲の学問を修業しました。その結果、西欧文明及び西欧学問に流れている機械的自然観を見抜いていました。ゆえに、明治政府の神社合祀に対し自然環境保護の立場から反対運動をしました。

 原発は西欧文明の象徴です。原発設置前から反対運動がされていましたが、政府の強権により54基もの原発が設置されました。2011年3月の福島第一原発の事故が起こっても、政府は自然保護をないがしろにし、原発再稼働に猛進しています。明治時期の神社合祀の環境破壊が、平成時期では原発の環境破壊へと変わりました。西欧文明の欠陥がいかに大きいか物語っています。南方熊楠は、神社合祀反対運動を実践した結果、その地域社会の自立を守る強固な意志がなければ、外からの応援や圧力によって、自然を守ることはできないと結論付けています。

 

 南方熊楠が模索した科学方法論

 比較社会学者の鶴見和子は、南方熊楠を日本における民俗学の草分けであり、微生物学者であり森林保護などのエコロジー運動家の先駆者であり、近代科学の方法論に対し独自の方法論を模索したと評価・絶讃しています。鶴見和子は、南方熊楠と真言宗の高僧である土宜法竜(ときほうりゅう)との往復書簡を丹念に読み・咀嚼の結果、南方熊楠の科学方法論が必然性と偶然性の両方に着目していることを見出しました。図1は、南方熊楠の科学方法論の象徴的な図であり、仏教哲学の中村元博士が名付け、鶴見和子が流布した南方曼荼羅です。図1の真ん中に少し黒いところがありますが、 

 それを萃点(すいてん)と言います。萃はあつめ

る意味です。さまざまな因果系列、必然と偶然の

交わりが一番多く通過する地点が一番黒くなりま

す。南方熊楠は、特定の問題について謎解きをし

ようとする時、まず、その問題について、もっと

も多くの因果系列の鎖が交差しているところを見

つけ出し、次に、その問題と関連している出来事

の鎖を一つずつ研究していくことであるとします。

南方熊楠は、この方法を 「やり当て」  「まわり

合わせ」 と言っていますが、論理学の用語では

「類推」 というべきもので、帰納法・演繹法以外

の論理です。類推は、異なるもの(例:人間と熊)

を異なるがままに共通項で理解する論理です。二分法のような排除の論理ではなく、多様なるものを多様なまま認める思考です。更に、土宜法竜への書簡には南方曼荼羅への心意気が書かれていました。

 

 今日の科学、因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるか)縁が分からぬ。この縁を研究するのがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑として生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求めるのがわれわれの任なり。

 

 因果律というのは、一つの原因にはひとつの結果があるとする論理です。原因と結果には一対一の対応関係(=関数関係)があり、同じ原因からは同じ結果が生まれます。それゆえ、偶然性(=縁)は除外されます。まさしく、19世紀に確立した科学方法論であり、現在にまで踏襲されています。

 また、鶴見和子は南方熊楠と土宜法竜との別の往復書簡から、図2ように必然性と偶然性との関係性を解説しています。

 

   因は因果律をあらわし、縁はさまざまの因果

系列の鎖が偶然に出会うことをあらわしている。

ある一つの原因から結果が生じる過程で、別の

原因と結果の生じる過程と偶然出くわすことが

ある。一系の原因結果の連鎖が進行中に、他の

原因結果の系列が接触することによって、第一

の因果系列が単独で進行したのとは異なる結果

を生じることがある。

 図2の右の方は、AからA’に行く因果です。

それからBからB’に行くも因果です。共に必然

方向です。因果と因果、AからA’へ、BからB’

へというこの二つの因果系列がOという時点で

偶然出会う。ところが偶然出会うけれどもお互いに影響しあわない出会いです。一方、図2の左の方は、AからA’に行こうとして、BからB’へ行こうとして、Oという時点で偶然出会うことによって曲げられる出会いです。

 

 南方熊楠は、ロンドンに滞在して大英博物館にかよい、広範囲な学問修行に励みました。西欧における学問の煌々は、科学方法論にあると喝破したのかもしれません。また、西欧で概容が解明された学問の受け売りをよしとせず、 「東国の学風」 を作る心意気かもしれません。ゆえに、西欧で確立した学問の深耕研究するだけでなく、偶然と必然の科学方法論及び山川草木悉皆成仏の生命的自然観に基づく学問を模索したと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 


第3章 還元手法と必然性で進む近代科学

 近代科学の認識論

 近代科学の方法論を形成したガリレオ、デカルト、ニュートンには、共通する近代認識論があります。認識論は哲学の主要課題であり、カント(1724~1804)が中世のキリスト教の世界像に代わる世界

像が悟性により獲得できると論じました。カントの認知モデルに倣えば、知覚(=五感)を通して外部の世界を知ることができ、理性で認識しています。カントの認知モデルは物と理性の二元論であり、ガリレオ・デカルト・ニュートンから現在に至るまで西洋の哲学思考です。別の言い方をすれば、認識する主体と認識される主体(客体)を分離し、対象(客体)を外側から認識しています。しかも、近代科学は対象(客体)を部分的に切り出し分析し、理性を使い論理的に解析します。近代科学の方法論は、自然科学で輝かしい進展を見せ、自然科学以外のあらゆる学問に及びました。

 かように哲学は、数学的認識や自然科学において、人間間で客観的認識が一致する根本原因を考究しています。この考究で避けて通れないのが空間と時間です。カントによれば、時間および空間は先験的な概念です。なぜならばこの2つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからです。我々は空間と時間があると思い、人間間の共通了解の土台にしています。我々は空間が三次元であり、時間が過去から現在、そして未来へと流れていると考えます。このように考えないと、因果律が成立しないからです。

  科学は、人間の認識構造について問わず、もっぱら五感で認知できる諸対象を自然に限定し、無条件に存在するとし、自然を物理法則が隠れている宝庫と見做します。我々は、空間と時間の画用紙に自然を描いているわけで、科学者が発見した物理法則から逆に自然を理性で再構築して認識します。そのため、五感で認知するには空間に物体が位置しなければならないし、運動を認知するには時間がなければなりません。たとえば、物理学の教科書ではギターの弦の動きを空間と時間を使い次のように説明します。

 

 今、ある時刻のギターの波の空間部分の様子がφ(x)であったとしましょう。ギターの弦は、同じ所で

上下に振動していますが、波の形φ(x)そのものは変わりません。この様子は、時間が変わるとφ(x)の振動が上下に変化しているとみなすことができます。そこで時間が変わる振動をT(t)と置きましょう。すると、波の関数は空間部分の形φ(x)に時間によって変わる振幅T(t)の関数になります。 ← C

 

 物理学は、日常経験に合致するニュートンの古典物理学からアインシュタインの相対性理論及び量子力学の驚異的発展へと展開されました。相対性理論は強い重力及び光速に近い世界の運動における空間と時間の常識を変え、量子力学は電子・光子など素粒子の運動における空間と時間の常識を覆しました。いずれも、日常経験の運動ではなく、観測器の測定結果と事前の数学的結果との一致による運動認識です。まさしく、科学者は空間と時間の画用紙に発見した物理法則から逆に運動を理性で再構築して認識しています。

 

 量子力学の奇妙な現象と実験

 現在物理学は、相対性理論と量子力学が二大柱です。相対性理論は、日常経験に合致する古典物理学を光速の世界に拡張したもので、因果律が適用できる理解可能な世界です。一方、量子力学が扱う電子・光子など素粒子の世界では、日常経験の基盤である因果律が通じない奇妙な現象が生じています。量子力学に内在している課題は、森田邦久著 『量子力学の哲学』 で4点挙げています。

 (1) 測定前の物理量は確定した値をもつか(実在するか)

 (2) 非局所相関はあるか(空間的に遠く離れたものどうしが一瞬で影響を与え合うのか)

 (3) 射影公理をどう扱うか(状態の収縮をどう扱うか)

 (4) 粒子と波の二重性をどう考えるか

 この内、(2)と(4)について筆者のおぼろげな理解で実験の概要を説明します。

 最初は、非局所相関が”ある”それとも”ない”の実験です。量子力学の理論が日常経験と相いれず、量子力学が完全かそれとも不完全化か議論が量子力学誕生後から続けられてきました。アインシュタインは不完全と考え、ボーアは完全と考えました。この議論の結着は、量子系に対する数学的考察により、非局所相関(=量子の絡み合いはあるか)の有無に絞られました。つまり、非局所相関があれば量子力学は完全、局所相関があれば量子力学は不完全というわけです。

 北アイルランドのジョン・ベルは、数学を頼りにベルの定理(=ベルの不等式-2<S<2)を導きました。この定理は、不等式が成り立てば局所相関が成立、不等式が成り立たなければ非局所相関が成立していることを意味します。

 

 

 フランスのアラン・アスペは、図3の実験装置を製作しました。Sは、ひとつの原子から振動数γ1と振動数γ2の光子を同時に送出します。送出された光子は、長さL(13m)の両端にある光学スイッチ(C1とC2)で二種類の偏光分析器に振り分け、計数管(PMx)を通過します。そして、光子は最終的に同時計

数器に入ります。アスペは、左右の計数管の数値を調べてベルの不等式の成立または不成立を判定しました。実験の結果、ベルの不等式が不成立との結論を得ました。これにより、量子論の完全性が実験で証明され、かつ、非局所相関(=量子の絡み合い)現象が生じていることを意味します。

 次に、粒子と波の二重性の有無です。量子論が誕生する前から物理学者の間で光は、粒子の性質を有する考えと波の性質を有する考えの二通りがありました。クリスティファ・ホイエンスは光は波であるという理論を提唱、アイザック・ニュートンは光は波ではなく、色に応じて異なる速度で運動する微小な粒子からできていると主張しました。量子論が誕生した頃、光子と同類の電子で粒子と波の二重性の有無が、1927年に図4の二重スリット実験で確かめられました。

 

 

 電子銃から発射された電子は、二重スリットを通り抜けて蛍光スクリーンに衝突します。電子はとても

小さな物体であり、発射した電子は小さな粒子です。電子銃から電子を一個ずつ時間を空けて発射します。その都度、蛍光スクリーンには二重スリットを通り抜けた電子が衝突した痕跡が明示されます。電子を一個ずつ時間を空けて発射するため、時間をかけて忍耐強く二重スリット実験をすると、波の特徴である干渉縞が現れました。電子銃から発射された一個の電子は、スリットの前で波となり、同時に二個のスリットを通り抜けて干渉を起こし、蛍光スクリーンに衝突するときには一個の粒子に戻ったと考えざるを得ません。電子たる実体が、粒子 → 波 → 粒子と変身するのですから、電子は粒子でもありながら、波の性質も有します。ゆえに、電子には粒子と波の二重性質が備わっています。ただし、電子は同時に両方の性質を示すことはありません。

 

 量子世界との境界

 我々が住む五感で感知できる世界と量子の世界は根本的に異なり、量子の奇妙な現象の実験がその一端を示しています。それでは量子世界の特徴を、名古屋大学上羽牧夫(うわはまきお)著 『基礎セミナー資料 「物理学の不思議」 資料(5)』 から引用します。

 

 (1)微視的な世界では、物理系の状態の変化が不連続に起こりうる。(粒々には思えない物質が

           実は原子から成っていたように、滑らかに起こると思われていた運動も飛び飛びに起こるこ

           とがある。)

 (2) その不連続的な変化では、ある状態から移りうる状態が複数あり、そのどれにいつ移るかは

           全く確率的なことがらである。(原因と結果の1対1対応がなくなり、決定論的な因果性が

           成立しない。移りうる変化が一意的でないのは私たちの知識がまだ不十分だからではなく本

           質的に不確定なのだ。)

 (3)宇宙を作る単位となる粒子(必ずしも普通の意味のツブではない)があり、同種の粒子は全

           く区別ができず本質的に同じものである。

 (4)科学的世界観の根幹と思われていた素朴な実在論は成り立たない。(量子力学を深く知った

            はずの多くの人が 「量子力学は理解できない」 と言うのは、とくにこのことを意識してい

            るからだ。)

 

 最後に、量子の世界と我々が住む世界の境界はどこにあるか考えます。微小の世界は量子の世界であることに間違いありませんが、どの程度の大きさの粒子から量子の世界と言えるかです。ある大きさの粒子を二重スリット実験し、干渉縞が生じるか否かで量子の世界と我々が住む世界の境界判定ができそうです。電子の大きさは約1.0×10のマイナス29乗ナノメートル(nm)です。これよりも遥かに大きい炭素原子60個からなる炭素分子(バッキー・ボールと称されている)は、約0.7nmの大きさです。バッキー・ボールで二重スリット実験をすると、干渉縞が現れました。バッキー・ボール相当の大きさのモノは、量子の世界に入れると言えます。バッキー・ボールより大きいモノによる二重スリット実験の結果は、インターネットで見つけることができませんでした。筆者は、どの大きさのモノから量子の世界に入れるか知りたいところです。

 なお、二重スリット実験で分かるように量子の世界は微小の世界ですが、超伝導の場合は冷却された導体自体にひとつの波動関数が適用でき、あたかも巨大な原子が出現したと見做せます。つまり、絶対温度4.2K(ケルビン)以下の条件なら、電子がたくさん集まると個々の電子の時とは思いもよらなかった量子特有の現象が我々の住む世界に顔を出します。量子世界への入り口は、複数あるということでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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