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ドライブデート

 

 苦労の末、ようやく免許を取った。 

 教習中、助手席の指導教官が横目でじろりとぼくを見て言ったものだった。

「事故を起こさない唯一の方法が分かるか」

「分かりません」ぼくは正直に告白した。

「運転しないことだ」

 運転しないわけにはいかなかった。ぼくはさゆりさんをドライブに誘うために免許を取ったのだ。ぼくと彼女は同じショッピングモール内で働く仲だった。挨拶をすると、彼女はいつも笑顔で挨拶を返してくれた。脈ありだった。

 

「やめとく」

 さゆりさんはにこやかに笑って断った。デートプランを詳しく説明しようとすると、彼女は笑顔のまま黙って首を振った。

 いいさ、また次の機会がある。ぼくは彼女と仲のいい涼子さんを誘った。外堀から埋めていこうというわけだ。

 涼子さんは在庫整理をしてる手を止めることなく「ノーですねー」と言った。彼女は同じモール内にある雑貨屋で働いていた。

「いいじゃないですか」ぼくは食い下がった。「いいじゃないですか」

よくないんだな、これが」涼子さんはぼくを見もせずに言った。「だめったらー、だめよー」彼女はまるで労働歌でも歌うように節をつけて言った。

 涼子さんと仲のいいクミさんに声をかけた。彼女は一階の食品売り場で働いていた。異性関係にだらしがないと評判の人だった。狙い目だった。

 交渉の結果、出費はすべてぼく持ちという条件でOKしてくれた。

 デート中ずっとマスクをしててもかまわないかと聞くので、理由を尋ねてみた。彼女は顔が小さく、まっすぐおろした前髪は眉毛をすっかり隠すくらいの長さだった。マスクをしたら目と耳くらいしか見えなくなってしまいそうだった。

「別に。なんとなく」クミさんは言った。

「花粉症?」

「多分」

 

 翌週、ぼくは親から借りた車で、助手席にクミさんを乗せて箱根を走った。白のセダンでレンタカーを借りるよりは安かった。ただし、万が一傷をつけてしまうとずっと高くつくのだった。

 平日だったこともあり、道は空いていた。おっかなびっくり走るぼくの車を原付が二台追い抜いていった。

 ぼくたちは美術館に入った。印象派の企画展はたいして印象に残らなかった。

「どうして睡蓮ばっかり描くの? 睡蓮睡蓮、睡蓮だらけ」クミさんは言った。マスクはまだ一度もはずしてなかった。

「どーもスイまレン」ぼくは何か気の利いたことを言わなければと思い、昔の落語家のギャグをいただいて言った。

「え、なに?」クミさんが眉間にしわを寄せて聞き返した。

「あの、いや、なんでもないです」ぼくはあたふたと発言を取り消した。うまくいかなかったギャグの説明をしたくはなかった。

「すいまれん? どういうこと?」

「なんでもないス。なんでもないスから」

 クミさんはむっつり黙り込んだ。前髪とマスクの間から覗いた目は、不愉快そうに見えた。

 

 仙石原へ移動中、車内は沈黙が支配していた。ぼくは何か言わなければならないように感じた。

「クミさんが、こんなにステキな人だとは知りませんでした」

 助手席のクミさんは、窓の外を見たまま何も答えなった。

 突然、ぼくはキスをしたい衝動に駆られた。彼女のマスクをはがし、唇を奪いたくなった。

 赤信号で止まると、ぼくは身を乗り出してクミさんのマスクに手をかけようとした。ところが、シートベルトをしていたので十分前に出ることができなかった。ぼくの手は無様に空を掻いた。

「ちょっとなに」クミさんは怪訝そうに言った。

「シ、シートベルトをはずして、座席を倒しましょう」

 ぼくは言いながら自分のシートベルトをはずした。焦ってわけが分からなくなり、がむしゃらに前進しようとした。

 ぼくがのしかかろうとすると、クミさんは「ぎゃっ!」と言って平手打ちを食らわせてきた。

 メガネが飛んでいった。それでもぼくはひるまなかった。

「お手、お手柔らかに!」

「触んじゃねーよ!」

 クミさんは、さっきよりもずっと力を込めて拳でぼくを殴った。

 ぼくは、運転席側の窓に叩きつけられた。

 後続の車がクラクションを鳴らした。信号が青になったのだ。

「行って」クミさんが言った。「行って! 早く!」

 抗議のクラクションが何度も鳴らされた。ぼくは足元に落ちたメガネを拾い上げ、車を発進させた。足にぽたぽたと鼻血が垂れた。

 ぼくはみじめな気持ちで車を走らせた。しばらく両手の震えが収まらなかった。

 

 少し行くと、脇道から急に車が飛び出してきた。

 ぼくは思わずハンドルを切って急ブレーキを踏んだ。衝突は免れたが、前輪が路肩の溝に落っこちてしまった。

 相手の車に乗っていたのは、ぼくと同年代くらいの若い男二人だった。ぼくとクミさんが車を降りると、向こうも降りてきた。ぼくが何を言うよりも前に、彼らは自分たちは何も悪くないと不貞腐れた様子で言った。

 ぼくの走っていた道路が優先だった。悪いのは飛び出してきた彼らの方だ。そのことを指摘しようとすると、クミさんまで彼らは悪くないと言い出した。

 ぼくは慌てて説明したが、もはや誰も聞いてなかった。クミさんは男二人とぼくそっちのけで談笑をはじめた。いつの間にかマスクもはずしていた。

 男たちが送ってあげるとかなんだとか言うと、彼女は喜んでついていってしまった。何の断りもなしだった。

 ぼくは脱輪した車と一緒に取り残された。JAFを呼び、助けてもらった。

 

 途方に暮れたまま、一人でデートプランを続行した。

 芦ノ湖までやって来て、遊覧船に乗った。

 湖面に夕陽が反射して美しかった。ぼくはやぶれかぶれな気持ちになり、船上で女の子をナンパしようと決めた。

 デッキの隅に、こちらに背を向けて一人で立っている女性がいた。長い黒髪が風になびいて、気持ちがそそられた。

「お一人ですか」彼女に近づいて、座席案内の給仕みたいに声をかけた。

 振り返った顔を見て驚いた。ぼくの意中の人、さゆりさんだった。

 向こうも驚いたようだった。しかし、彼女はすぐにこんなところでナンパかよという蔑んだ目になってぼくを見た。

 ぼくは事情を説明しかねた。

「何だ、お前」

 そこへ男が現れた。さゆりさんの彼氏だった。両手に一つずつ紙コップのホットコーヒーを持っていた。船内で販売しているのだ。

「変態よ、こいつ」さゆりさんが非情にも言った。

 男は険しい目つきでぼくを睨んだ。首が太く、肩の筋肉は盛り上がり、鍛え上げられた体をしていた。両手がコーヒーでふさがっていてよかった。

「船の上は冷えますな。コーヒーを飲むと体が冷えるので気をつけて」

 ぼくは何とか誤魔化してその場を去った。船を下りるまで、生きた心地がしなかった。

 

 帰り道は一人淋しいドライブだった。

 のろのろ走るぼくに、一台の車が無茶な追い越しをかけた。クミさんと男二人の乗った車だった。マスクをはずした彼女の横顔は、実に楽しそうだった。

 きっと男のうちどちらかとキスをするにちがいなかった。もしかしたら、両方とするのかもしれなかった。ぼくはあの後どうなったか今度聞いてみようと心に決めた。

 雨が降り出した。霧が出た。

 霧が出たらどうするんだっけと手元を見て、前方不注意になった。

 あっと思う間もなく、脱輪した。

 どうにもならなかった。ぼくはまたしてもJAFを呼んだ。さっきと同じ人が来た。その人はぼくを哀れみの眼差しで見たのだった。

 

 

                                               了


この本の内容は以上です。


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