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~1~

 

伊賀は忍者とかでよく聞く「伊賀(いが)」で、(とう)()は「冬の矢」って書きます。新卒入社です。よろしくお願いしますっと」

 

 二階が事務所となっている建物の壁に、這うようにして鉄製の外階段が備え付けられている。所々錆が目立つ。踏みしめる度にカンッと甲高い音が、東風と共に響く。

 

 段ボール箱いっぱいに詰め込まれたを、階段上まで運んだ冬矢は足元に、重量級の箱をドザッと置いた。段ボール箱の中から誇りっぽい臭いが噴き上がった。

 

 重てぇ、初日早々、腰痛になりそうな重さだ。

 

 汗ばんだ顔に、また冬の気配を残す春風が当たって心地よい。

 

 初出勤して早々、表紙からして『妖しげ』な本の山を運ぶとは予想外だった。新人に運ばせようと、今日まで置いてあったに違いない、絶対にそうだ。

 

「華奢のわりに、力があるのね、はぁ、学生時代、何か、スポーツでも、はぁ、していたの、かしら?」

 

 後ろから紙袋に詰め込まれた本を運んで来た女性社員が、ぜえぜえ息を上げながら、言葉を切れ切れに並べて訊ねてきた。

 

「小学校時代は空手やってたんスよ。中、高はバスケに転向して、万年補欠でしたけど、腕力だけは昔からあって。今でも畔戸さんぐらいなら抱き上げられるッスよ、五十キロないぐらいですよね?」

 

 その時、何故か会話のキャッチボールが止まった。さらっと空気が冷ややかになって冬矢はやっと気付いた。

 

 後ろを従いて来ていた女性社員は、前に垂れた黒髪を後ろへさらっと流し、深呼吸してから精悍な顔付で口を開いた。

 

「貴方、女性と会話をしたことがないのかしら? まぁ女性と付き合った経験がなさそうとは言わないけれど。普通は、訊かないわよね、しかも数字付きで」

 

 確かにデリカシーに欠けていた事実は認めるが、現に彼女がいた時代がないわけじゃない。

 

偉そうには言えないが、付き合ったとしても、三週間とか、一週間とか。ちゃんと作る必要性がなかっただけだ。全てフラれたが。

 

「すいませんでした、デリケートな部分をストレートに言ってしまって、でも悪気はありませんよ。口が滑ってしまうぐらい、畔戸さんのスタイルがいいんスよぉ」

 

 精一杯の自分へのフォローだったが、初日早々、先輩の機嫌を損ねてしまっている状況に冷や冷やし始めた。

 

「だからって、セクハラって言わないでくださいね、デリカシーがないのは若気のいたりっていうことで」

 

「まぁ、仕方ないわね、そう言うことにしておいてあげる」

 

 二度目はないぞと脅されているような目で一瞥され、今後の関係の雲行きが心配された。

 

 というか、とことん上から目線なんですけど。先輩なので仕方ない。

 

 人生で十八年目の春、地元の《廃棄物(ジャンク・)処理(マネジメント)会社(・カンパニー)》に入社した。廃棄物(ジャンク)といっても、普通の廃棄物ではない、らしいのだが。

 

 バスで通っていた高校は山一つ越えた隣町にあり、地元には中学校までしかなく、地元で新卒を募集していた会社は、ここだけだった。

 

 コンビニさえも、高校がある隣町まで行かなくてはいけないド田舎から離れたい意思はあった、家を出るなら上京がしたい。でも一人暮らしを始めるには、金がなかった。いや、金がないのは建前で、家賃を払うのも、アパートを探すのも、引っ越し先で職を探すのも、面倒だっただけなのかもしれない。

 

 それならと、コンビニが嫌になるほど遠くても、住み慣れた田舎で、少ない求人を片っ端からあさりまくったのだ。

 結果的にド田舎の地元に就職して正解だったと、今ならまだ言える。

 何せ、目の前にいる女性社員がカワイイからだ。残り物には福がある、でその福を引き当てた気分だ。ちょっと冷たい福だが。

 

「あの、たぶん俺と年齢近い気がするんですよね、また失礼な質問だったらすいません、おいくつですか、えーっと、く、くろとさん?」

 

 冬矢は自分と同じぐらいの年なら、訊ねられてもまだ年齢を言うのに恥ずかしくはないだろうと踏んだ。ついでに、名前もさりげなく確認したいのだが。

 

(くろ)()(しゅ)()畔戸は辞書で調べて、朱色の「朱」に「香り」。てっきり気付いて(・・・・)いる(・・)のかと、まあ、いいわ、今年で二十一よ

 

 ということは学年で言うと二年上か、やはり同じぐらいだった。地元が上条なら、もしかして同じ中学に通っていたかもしれない、と冬矢は訊きたい質問を幾つも浮かべた。

 

 にしても気付いてるとは、年齢のことか? 引っ掛かる要素を残したまま、事務所のドアを開けて、段ボール箱を中へと運び入れる。

 

 腕ではなく、腹筋と背筋を使って重量級の荷物を抱えて事務所の中に入ると、「おお、早かったな」と男性社員の一人が、資料室のドアを開けた。

 

「中に入れといてくれ、通路狭いから、なるべく奥にな」

 

 資料室は、インクとカビ臭い香りに満ちていた。

 

 ドサッと段ボール箱を下ろすと、本棚に囲まれた狭苦しい部屋に圧巻した。

 

 腰を軽く叩きながら本を眺めてみると、どの本のタイトルもゾクッと背筋を震わせるものばかりだった。

 

 ますますこの会社が処分する「モノ」が何なのか気になった。

 入社試験の面接で、「物の怪はいると思いますか?」と訊ねられ、何故そんな質問が突然出てきたのか、質問の意図を考えるのに必死で、「いいえ、目に見えるものだけを信じます」とか適当に答えたのだ。

 

「奇怪……、妖怪、民俗学? 神秘現象? 古来から纏わる祭り? なんじゃ、こりゃ」

 

 知らずうちに独り言を発していた冬矢は、後から入ってきた朱香に「どうしたの」と押されるように訊ねられた。

 

「ああ、これね。後から分かるわ」

 

 んふ、と小さく喉で笑われた。

 

 意味不審な言葉で返され、不可思議に「はぁ」と頷くしかなかった。

 

「そうそう」と朱香は思い出したように資料室から出た。

 

「文房具類がなくなりそうだったら、経理の菊沢永久子さんに言ってね。通販で頼んどいてくれるから」

 

 朱香の視線の先には事務デスクが六つ向き合って並んでいた。一席残して、社員は席に就いていた。

 

 ちらっと冬矢は視線を配った先で、永久子が「どうもー」とヒラッと軽く手を振った。

 

「荷物運びお疲れ―、男手が増えると助かるよねぇ、永久子でーす、若いなぁ、ねえいくつ?」

 

 きゃはきゃはした甲高い声で訊いてきた永久子の目は、付け睫毛とアイラインで支配されていた。眼力だけで、人を石にしてまう能力って本当にあるんだと悟る。

 

 素顔が想像できないぐらい濃いメイクだったので、返す言葉を呑み込んだ。

 

 コテで頑張って巻いているのだろう茶髪の髪は、手入れが行き届いていないようで、金色に色褪せていた。

 

「今年で十九です」

 

 初日の冬矢はビジネス・スーツだが、社員は私服だった。だから、永久子も事務服ではなく、ストールが散りばめられた黒のミャミソールに、薄ピンクのカーディガンを羽織っている。

 

 下はミニのデニム・パンツだ。ミニ過ぎて、目のやり場にちょっと困った。

 

「やっぱり若いなぁ、私と十も違うのかぁ、もう笑っちゃうね。若い子もカワイイなぁ」

 

「永久子さん何言ってるんですか、デリカシーのない彼に何の魅力を感じるんですか」

 

 うわ、ひどい。こっちは謝ったのに、人前で堂々と貶してくる朱香の方が、デリカシーがないのでは、と言い返してやりたかったが冬矢は苦笑いだけ作った。

 

「さっそくセクハラされた? やっぱり若いっていいよねぇ、力仕事は男に頼むに限るわ」

 

 ひたすら若い若いと言ってくるが、まだ二十代であるのにそこまで違うかと、女の思考はよく分からん。

 

「どうも」と冬矢は軽く会釈で返した。

 

 嬉しいには嬉しいが、女子の微笑には騙されない。なぜなら、教室の大掃除の時、女子が大物を動かそうとしていたので、手伝ったのだか――まぁ、過去の苦い思い出は割愛する。

 

 永久子と目が合って、冬矢はとんでもなく照れ臭くなったが、「弟目線だよ」と釘を刺された気がした。

 

「ま、習うより慣れろだよ、新人君。大丈夫、皆親切だからさ、分からないことがあったら何でも訊いて。え、年齢? 僕はねぇ永久子さんと一緒だよ、二十八、今年二十九か」

 

 何故か訊いてもいないのに、訊かれたフリまでして年を発表した熊野揺太は、ニッと小生意気そうに八重歯を見せて笑った。

 

 優男風の熊野は長身で、色素の薄い髪はおそらく天然の栗毛色。色白でハーフかと見まがうほどだ。美形の分類に入るだろう、もしこの人がアンドロイドと同じ、白い血を出しても、なんら不思議ではない感じがした。

 

「私は早生まれなのー、一緒にしないでよぉ」

 

 永久子がムッと頬を膨らまして否定した。

 

「ハイハイ、どっちでもいいじゃないっスか、年齢なんて」と永久子の横の席から、虫を手で追い払うよりも軽くあしらった男は、永久子から反感を浴びた。

 

「よくないわよ! 重要でしょ! ト部は今年で二十五でしょ、そっからが早いから」

 

 永久子が名前を出してくれたので、思い出せた。ト部大輝が「本を資料室に置いておいて」と指図した男性社員だ。

 

 熊野と永久子よりも若干は若そうにも見える。スポーツマン・タイプだ。

 

「助言は、素直に受け取っときまーす」

 

 背凭れに身を預けているト部は、クルッと椅子を回転させた。

 

「とにかく分からんことがあったら、誰かに訊けよ。ちょいと変わった業種だしな、怪談とか昔話とか、三十三観音とか、知ってる? 一応、ここら辺の民俗学なんだけどさぁ」

 

 ソフト・モヒカンの青年は体躯がデカいくせに、カラッとした真夏の空みたいな笑顔を作った。

 

 カーキ色のTシャツを着ている。Tシャツの中央にはよく分からないぼやけたイラスト。下は普通のデニム・ジーパンだ。

 

「んー、三十三観音ぐらいなら、皆で肝試しと称して、怪談話ならしましたけど」

 

 まるでデジャブだ。何故、そんな質問をされたのか、さっぱり理解できず、冬矢は眉根を寄せた。

 

 三十三観音とは、地元にある峠沿いに三十三観音霊場が点在し、ウォーク・ラリーもできる、いわゆる巡礼地だ。名前ぐらいは、冬矢も知っている。

 

 地元の子供会で、巡礼の地を、怪談話をしながらみんなで歩き回ったりした記憶は微かにある。

 

「ト部先輩、今度みんなで巡礼地を回りながら、怪談話に花を咲かしに行きましょうよ」

 

 朱香が用意されていた科白を、棒読みするかのようにト部に耳打ちした。しかも冷淡に。

 

「残念だなぁ、その日、俺用事があってさぁ―、行けねぇんだわ」

 

「まだ日にち、言ってないですけど、やるとも、決定してませんが」

 

 完全に焦っているト部はハハハ―とあからさまに、顔を引き攣らせていた。つまり、大柄男にも弱点はあるということだ。

 ていうか社内のアットホーム感に、完全に置いていかれている。

 初日なので、部外者感覚は仕方ないかもしれないが、馴染めるんだろうかと不安が苦笑いからこぼれていた気がする。

 

「そんじゃあ、運んで来た本をさ、空いてる棚の中にでも、しまっといて」

 

 投げやりに言われ「はい」と冬矢は渋々ながら返事をした。これが会社という所か、としみじみ実感している間もなく、再び埃っぽい本に囲まれた。

 

 朱香も資料室に入ってきて、手伝ってくれた。

 

 冬矢が脚立の上に立ち、朱香が本を下から差し出してくれた。

 

「そうそう。私、伊賀君の教育係でもあるから――と言っても、私もまだ入社して二年目なので、素人同然なんだけどね」

 

女の子にしては低めだが、上品な低音だ。ちょっと掠れていて、綿飴みたいにやんわりした喋り方だ。相手を受け入れようとゆっくりと向かってくる感じが心地良い。それなのに冷たく感じるのは気のせいだろうか。

 

黒髪のストレートは背中に落ちて、白い肌がさらに白く見える。それこそ日本人形みたいな顔立ちで、瞳が透き通るぐらいに潤っていた。

 

落ち着いた感じでナチュラル・メイクは朱香に見事に似合っていた。

 

 黄色のミャミソールの上に、白のシースルーのブラウスを着ていた。ブラウスの下の、豊胸と思われる小高い山に目が留まり、朱香から本を受け取るたび、襟口から谷間が見えそうになっていた。

 

 膝上スカートは黒地で、ドット柄のシフォン・スカート。白い脚は細すぎない、均整のとれた形だ。つい目が脚をチラ見してしまう。

 

「そのほうが、畔戸も勉強になって、いいだろ」

 

 背筋に定規でも刺さっているかのような、キレのある口調が資料室の入口付近から発せられた。

 

ビクッと冬矢は視線を上げた。

 

「あ、豊原部長、そうですね。この業界は奥が深いですから」

 

「部長」という響きに冬矢は緊張したが、朱香はそうでもなさそうで、爽やかに口角を吊り上げていた。

 

 唯一、豊原だけは、スーツだった。グレーのネクタイに、紺色の背広を羽織っていた。

 

「いっぺんに名前も覚えられないだろうから、もう一度、ここで言っておく、豊原昂だ。君の働きに期待する」

 

 初出勤した時、従業員駐車場の隣の倉庫の前で、ト部と出迎えてくれた人だ。

 

 漆黒の短い髪をワックスでオールバックにしている。厳格そうな太い眉が印象的だ。

 

 目尻に小皺があるものの、まだ張りのある肌を見ると、三十半ばといったところか。

 

「あ、はい、よろしくお願いします」

 

 冬矢は凝り固まった声を、ぎこちなく吐き出した。

 

 豊原が自分の席に戻っていくのを見送り、再び本を棚へしまっていく。

 

 本を全て棚にしまい終わり、自分の席に戻る。

 

皆の机の上は、やたらに資料らしき書類が、たくさん積まれていた。何がどこにあるのか把握しているんだろうか。

 

 一番きれいに整頓されているのは――と冬矢は皆の席を見回してから、横の席に視線を移すと、朱香と目が合った。

 

「どうしたの? きょろきょろして」

 

 声は出さずに驚いた冬矢は「いえ、なんでも」と、苦笑いで誤魔化した。

 

「あの、俺は今から、何をすればいいんですか?」

 

 一応、教育係の朱香に訊ねた。

 

 冬矢のデスクには、まだパソコンも置かれていない。やることもないので、とんでもなく手持無沙汰だった。

 

「今から君には、部長の講習を受けてもらいます、私と一緒に。ノートと筆記用具を持ってきてください」

 

 きびきびと押し付けてくるような口調に、気圧された冬矢は「はい」と事務的に返事をした。

 


~2~

 応接室に通された冬矢は、豊原部長が向かいのソファに腰を下ろしてから、浅くソファに腰掛けた。

 

 冬矢の隣に座った朱香は、既に字が書き殴られたノートを開いた。開かれたノートを盗み見て、ゾッとした。キレイな顔の作りを裏切るかのように、字は汚くて、とても読めない。暗号だ。

 

 冬矢は横罫だけが引かれた大学ノートを開いて、ボールペンを用意した。

 

「では、今から、伊賀のための講習を始めます」

 

 豊原に名指しされて、冬矢は思わず「はい」と声を張った。

 

「この骨川廃棄物処理会社(ジャンク・マネジメント・カンパニー)は、文字通り、廃棄物(ジャンク)を処理する業者だ。それは君も承知で入社したと思う。で、その廃棄物だが、我々が処理をするのは【(わけ)(あり)モノ(もの)】だとか【(わけ)モノ(もの)】ともいうが、どちらでもいい、言いやすいほうで言ってくれて構わない」

 

 構わないといわれても、冬矢は「はぁ」と眉根を顰めかせた。

 

「【訳有モノ】の説明はできるな、畔戸」

 

「はい」と返事をした朱香は大学ノートにコロッとボールペンを置いて、揃えた膝ごと姿勢を冬矢に向けてきた。イイ臭いがしそうで、思わずドキリとした。

 

「【訳有モノ】とは、オモイレのある物に人の思念が込められ、妖怪化する。その妖怪化した物のことを【訳有モノ】といいます」

 

 聞き慣れないというより、非現実的な言葉に、冬矢は半口を開けてメモを取っていた手を止め、隣に座っている朱香を、唖然と見つめた。

 

「ヨウカイカ?」

 

「そう、【訳有モノ】を処分するのが骨川廃棄物会社です。単なる廃棄物の処分依頼が来た場合は、通常の処分業者を紹介します。あくまでも我々は奇怪な現象を起こす【訳有モノ】を処分する会社です。中にはオモイレがあるから、という理由だけで、うちを選んでくれるお客様もいます」

 

「へぇ、そうなんですか」と平然と頷いた後に、「ちょっと、待ってください」と冬矢は声を上げて、クセのある襟足の髪を掻いた。

 

「奇怪な現象って、そんな物が実存するんですか? 本当にあるとして、そういう厄介物って、神社で処分とかじゃないんですか?」

 

 混乱する冬矢は、つい二人の前で早口になった。

 

 豊原と朱香は黙ったままだった。ちょっと経ってから、「伊賀君!」と朱香が真剣に声を張った。

 

「わっ、はい! ビックリした」

 

「これからが、最も大事な内容。妖怪または物の怪の類は存在しないと、骨川社長が証明して、世界妖怪協会裏付け国際機関にも認定されました。なので、【訳有モノ】が妖怪化しているという事実は、存在しません」

 

 言い切った後に、朱香はスマイルを作って、無理にでも納得させようとしてきた。

 

「へぇ?」と思わず冬矢は、声を上げた。ますます理解不能になり、朱香と豊原を交互に凝視した。いやいや、ちょっと待てと。

 

「あのですね、今さっき、奇怪な現象を起こす【訳有モノ】を処分するって、言ってましたけど」

 

 朱香に対して敬語を使うのを忘れそうになり、冬矢は慌てて語尾を丁寧にした。

 

 閉じた膝の上に朱香は両手を乗せて、近距離から真っ直ぐ冬矢を直視する。

 

 ずっと見続けないでほしい、心臓に悪いし、倍疲れる気がした。

 

「はい、世間には、そう謳っています。伝承や伝説、怪談、三十三霊場に纏わる噂はこの土地に限った文化ではなく、日本全体に及びます。奇怪な現象が起こり、物を妖怪化させている原因は、そういった話を現実に置き換えた依頼主、人だということです。実際は、枯れ尾花です。現実的な理由があるんです。私たちは依頼主の話を聞き入れ、裏付けを取り、要望通りに【訳有モノ】を処分するんです」

 

 朱香の黒髪が昼の斜光を反射させて、艶めいていた。抜かりのない手入れをしているのだなと、誰もが思う艶髪だ。

 

「は、はぁ、そうなんですか。つまり骨川社長が証明した事実が大前提にあるから、【訳有モノ】の処分は、つまり、結局は一般の廃棄物と同じように処分されるんですよね?」

 

 ややこしかったが、要はそういうことだろ、と冬矢は心の中で付け加えた。

 

「そうだ。うちの会社にも、廃棄物の選別置き場がある。だが、それは、外からは見られない構造になっている。世間からはあくまで【訳有モノ】との決別の場所となるから、特別に処分される場所と認識されている。だから、依頼主の中には、処分当日に立ち合いたいという要望を持ち出してくる事例もある」

 

 豊原が朱香に代わって、つらつらと口を開いた。ビターな感じで低い美声だ。男の冬矢が訊いても、ずっと聞いていたいような声をしている。

 

 組んでいた脚を解き、豊原はソファーから立ち上がった。

 

 窓の外を見下ろしたので、冬矢も立ち上がって、同じほうを見た。

 

 事務所は建物の二階にあるので、北側の景色は、そこそこ悪くなかった。三階より高い建物がない土地では、遥か彼方のアルプスまで眺望できる、まだ薄ら稜線に雪がかぶっている。山脈の手前には、新緑豊かな山々が奥へ奥へと続いていた。

 

 会社は山の中腹にあるので、この高さから地元を見下ろしたのは、かなり久しぶりだ。

 

 山道沿いに点々と住宅や商店が点在する、渓谷になっている地域なので眼下がやたらに深く掘り下がっていた。

 

 会社の敷地内を見下ろすと、いくつかコンテナが並び、中には分別された廃棄物が入っていた。

 

 全体的に埃っぽい感じだが、分別エリアからは隔てられた表側には、能を披露する時に使われるような舞台があった。鉄壁によって区切られた、二つの世界を神様視点で見下ろしているみたいだ。

 

「な、なんですか、あれは」

 

「立会い処分を希望してきた場合、あそこで悪神退散儀式や、祭礼、神楽を行う。「モノ送り」とも言うな」

 

「えっ、それって、誰がやるんですか」

 

 豊原が話す内容にいちいち声を張るのが流儀のように、冬矢は訊き返さずにはいられなかった。

 

「私です」と、さらりと朱香が答えた。

 

「えっ、畔戸さんが? 巫女、ですか?」

 

 朱香を見張る双眸に、つい、力が入る。

 

「本物の巫女ではないですが、一応、神社で習ったので。といっても、形だけです。依頼主が納得する形で【訳有モノ】と決別させる、それが仕事です。またはお客様には【訳有モノ】の裏付け調査資料をお渡しする仕事もあります」

 

 朱香は日本人形みたいな崇高的なキレイさがある、きゅるんと小さく猫みたいに笑んだ。

 

 処分するモノがモノだけに、資料室にあった数々の本のタイトルが奇妙なのはそのせいかと納得した。資料室の本の数々を見ているだけで、気分が重苦しくなった。

 

 夜は絶対に一人では残業するものかと、冬矢は心中で誓った。

 

「まぁ、私たちも説明されろと言われると困ってしまうぐらいだ。だから、これから君には場数を踏んでもらい、感覚で理解してもらう」

 

 ソファーに腰を下ろした豊原は、膝下が長い脚を組み、いかにも思わせぶりに、口端を上げたのだった。

 


~3~

 

 説明が終わって、事務所に戻ってくると、朱香がアルミ製のファイル棚から、黒いファイルを取り出してきた。表には「許可証コピー」と書かれたテープが張ってある。

 

「通常の廃棄物処理会社なら、県と市で、廃棄物委託処分許可証、運ぶ際にも、廃棄物委託運搬許可証が必要になるんだけれど、うちの会社は、ここで直接処分するわけじゃない。よそ様の廃棄物を一旦は預かり、最終的には業者に委託します。だから、ここで保管しておく許可が必要になるの。『(わけ)(あり)モノ(もの)』は、全国各地にあるわ。だから、うちみたいな業者も全国にいくつも点在します。骨川社長の証明が国際機関に認定されてから、国で特別枠が設けられたんです」

 

 長い長い科白を言い終えた朱香は、小さく深呼吸した。

 

 冬矢の隣の席でファイルを開いた朱香は、椅子のコロを転がして横移動すると、冬矢の席にファイルを置いた。シャンプーの香りが鼻につくぐらい近くまで寄ってきた。

 

「これが、特殊訳有廃棄物一時保管許可証、のコピー。本物は金庫にしまわれています。管理責任者は熊野さんです。これがないと、運営できません」

 

「へぇ、そうなんですか」と冬矢は他人事のように頷いた。

 

「お客様に渡す契約書と一緒に、許可証も添付します。決まりだから。まぁ説明は、こんなものね」

 

 ファイルを閉じて、朱香は棚へ戻しに行った。

 

 どこにでもあるアルミ製でグレーのデスクが向かい合って並び、パソコンと資料室、北向きの大窓が三枚、いたってどこにでもあるような事務所なんだが、とにかく業務内容が理解し難い世界だった。

 

「じゃあ、早速、クライアントの家に行くか、新人」

 

 すこぶる上機嫌なト部が、ガシッと冬矢の肩を掴んだ。

 

 ト部の目尻は日焼けで、にわかに赤く、笑うと細く皺が刻まれた。髪の長さ五ミリほどしかないソフト・モヒカンに見下されると、やはり暑苦しさを感じる。

 

 無意識に身を退いた冬矢は「は、はい」と声を詰まらせた。

 

「畔戸とお前と、俺で行く。現場までは、車で行く。鍵を持ち出す時は、ホワイトボードに名前と帰社予定時間を書くようにな」

 

 窓際を背にした豊原の席の隣に、ホワイトボードが掛けられていた。ト部はそこに名前を書いて「帰社予定時間、十三時」と記入し、掛けられていた車のキーを掴み取った。

 

「んじゃ、行ってきまーす」

 

 とト部が声を放った後に、「行ってきます」と朱香が透る声を響かせた。

 

 一瞬びくっと竦んだ冬矢も、意を決して「行ってきます!」と気合を込めた。

 

「はいねぇ」と熊野は爽やかに手を上げ、「行ってらしゃあい」と永久子はデスクに膝を突いた姿勢で、ヒラッと手を振った。

 

【訳有モノ】への怖いもの見たさみたいな興味を抱いた冬矢は、一抹の不安を抱えながら、事務所の玄関を出た。

 

 一階へ降りるには、外階段をエッチラオッチラと、地道に下る。鉄製の階段は、所々が錆びついていて、朱香が履いているヒールの音がカンカンと乾いた音を響かせる。

 

「俺も初陣の時は、緊張したなぁ。奇怪な現象を起こすブツってなんだよって感じだろ。お化け屋敷とかも苦手でさぁ。なのに俺の彼女お化け屋敷とか好きでさぁ、まいるぜ」

 

 豪快に苦笑いするト部に、冬矢は何もコメントできずにいた。すると――。

 

「ト部先輩の怖がりはともかく、ト部先輩に彼女がいた事実のほうが、驚愕ですよ」

 

 ピクリとも笑わずに朱香が冷徹にキツイ一言を返した。

 

 おおと冬矢は驚きもしたが、同感だったので、鼻から吹き出しそうになった。

 

「おいおい、失礼だな、俺にだって一人や二人いても、おかしくないだろ。しかも彼女に、この職業を説明しても、怪しい会社だと思われてんだぞ」

 

 でしょうねぇ。と冬矢は素直に納得した。

 ベソを掻きそうになりながらト部が話している間に、階段を降り切り、駐車場へと向かっていた。

 

 冬矢も車の免許は持っているが、車を持っていないので、毎日、原付で通っている。バスもろくに走っていない、辺境の地では、必須アイテムだ。

 彼女を乗せる車が欲しい、寧ろ、彼女付きの車が欲しい。

 

 会社と駐車場は隣接しているので、二言三言ほど話している間に車の前に着いた。

 

「じゃあ、初日は俺が運転する、これからは交代で運転しようぜ、そのほうが平等だろ」

 

「賛成です。ト部先輩に運転を任せると、いつ命を落とすか分かりませんから。今年に入って四度も事故を起こす常習犯よ。伊賀君、とりあえず覚悟はしておいたほうがいいわ」

 

 ぷりぷりと唇を尖らせた朱香は、険しい視線を冬矢に送ってきた。

 

「勘弁してくださいよ、でも大きな事故にならなかったのは、不幸中の幸いですね」

 

 車のロックを解除し、皆は一斉に車に乗り込んだ。ト部が運転席で、朱香が後部座席へ乗り込んだので、冬矢が必然的に助手席になった。

 

「まあな。ってか、大きな事故じゃないってどうして決めつけられるんだよ!」

 

真剣に訊ねられるとは思ってもみなかったので、「えっ」と笑みを引き攣らせた。

 

「だって、大きな事故になってたら、新聞に載るだろうし、骨でも折っていたら二、三カ月はギブスですよね、まぁ憶測ですが、なにか?」

 

 何故、こんな説明をしなきゃならんと思いながら、冬矢は眉根を歪ませた。

 

「よしッ、お前には推理力がある――」

「はぁ? 何を――」

 

「ト部先輩ッ、そんなチンケな質問で推理力を図るのは、やめてください! こっちが恥ずかしいです。それと、さっさと出してください!」

 

 運転席と助手席の間から顔を出した朱香が、いい加減にしないと堪忍袋の緒を切るぞと言わんばかりの、苛立ちを放ってきた。

 

「冗談だって。じゃあ、行くぞ」

 

 車はやっと駐車場から出ると、坂を下った。

 

 この村には、平坦な地形など存在しない。どの道も大なり小なり勾配があり、四方八方を緑豊かな山々に囲まれている。斜面にさほど広くもない茶畑があったり、狭い土地を利用して野菜畑が作られていたりするが、やはり名物は蕎麦畑だろう。

 

 アルプスを望む絶景の場所に蕎麦畑があるのだ。見頃の季節になると、雪が積もったかのように白い花が一面に咲き誇る。この村には、パノラマを楽しめる展望公園が多い。

 

 春なら、やはり桜だ。山桜が眺望できる公園には、カメラを提げた観光客が絶えない。

 

 十五分ばかり車を走らせると、代々この土地に住む大農家、といった雰囲気の漂う、趣のある日本家屋が建ち並んだ住宅地に入った。

 

車がやっと二台通れる、荒いアスファルト道路には、背の高い生垣があり、白壁に鬼瓦屋根を乗せた倉の頭が外からでも覗えた。

 

「スゴッ、どの家も、金持ちそうだなぁ」

 

 感嘆に言葉を漏らす冬矢の横では、ナビを見ながらト部が「ここら辺なんだよなぁ」と独り言を呟いた。

 

 ゆっくり車を走らせていくと、「あれじゃないかしら?」と朱香が指を差した。

 

 門構えが立派な日本家屋だ。コケと、手入れの行き届いた竹藪の前庭があり、奥に敷居の高そうな旅館みたいな母屋があった。

 

 車を外壁の側に付けて停めから、三人は車から降りた。

 

 春近い新緑の香りを乗せて、頬を滑っていった。鼻がむず痒いのは、終盤のスギ花粉が最後の力を振り絞っているからだろう、早く巻き散ってしまえ。

 

 ゴクリと生唾を飲む冬矢は、尻込みしたまま、先輩たちが先に踏み込んでくれるのを、ひたすら待っていると。

 

「ほら、行くぞッ」とト部に尻を叩かれ、「うぎッ」と冬矢は変な声を出して、飛び出すように門を潜った。

 

 庭園はひっそりとしていて、肌寒ささえ感じた。これが【訳有モノ】を所有している家の、独特な雰囲気なのかと思うと、更に鳥肌が立った。

 

 古風な引き戸玄関の前に立つと、ト部がインターホンを押した。

 

「はい、どちら様でしょうか」

 

 物腰の堅そうな中年女性の声が返ってきた。

 

「先日、連絡を頂いた、骨川廃棄物(ジャンク・)処理(マネジメント)会社(・カンパニー)です。例の物を、拝見しに伺いました」

 

 冗談を言って笑っているト部からは想像もつかないような、ビジネス用の落ち着いた口調が出てきて、冬矢は一瞬だけ度肝を抜いた。

 

 これが大人だと、見せ付けられたみたいで、ぴりっと背筋が伸びた。

 

「今、行きますので、お待ちください」

 

 一分と経たない間に、玄関がガラリと音を立てて開いた。

 

 ト部が半歩下がったので、冬矢も慌てて下がった。隣に佇んでいる朱香は、前にビジネス・バッグを持って、いたって平然と構えていた。

 

「初めまして。ご依頼主の水木様でしょうか」

 

「はい、そうです。ご足労、有り難うございます」

 

 水木さんはクリーム色のカーディガンを羽織り、薄いジーパン生地の長めのスカートを揺らす、落ち着いた雰囲気の出立ちだった。ボブヘアーで白髪染めをしていて、全体的に薄化粧で、ベージュに近い口紅をしている。

 

 長身のト部を、穏やかでありながらも、少々緊張気味に見上げた。

 

「私は、骨川廃棄物処理会社のト部と申します」

 

 ト部はいつの間にか用意していた名刺を水木さんに渡した。

 

「本日は宜しくお願いします。どうぞ、中へ」

 

 互いに軽く会釈をすると、本邸の中へ促された。

 


~4~

 

 玄関ホールを抜けて、日差しが降り注いでいる縁側を、まだあるのかと呆れるぐらい歩いた。

 

 外壁と縁側の間の庭は、枯山水を思わせる造りだった。庭師を雇っているに違いない、と勘繰らせる完成度だ。

 

 見るからに、人並み以上の良い暮らしぶりを想像する。

 

「では、先ず、絵をお見せします」

 

 依頼主の水木さんは、縁側の終着地で立ち止まり、「あれです」と階上に向かって指差した。

 

 暗い木造階段は真っ直ぐ二階へと伸びていて、問題の絵は二階を登りきった廊下の上部の壁に掛けられていた。

 

 視線を上げた冬矢は、沢蟹が背を駆け上がったような、ゾゾゾーッと物凄い勢いで全身の毛が逆立った。四月の中旬というのに、この寒気は、尋常ではない。

 

 まさか、高校新卒で入社した先で、寒気を感じずにはいられない仕事に就くとは思ってもみなかった。

 

 奇怪な現象には必ず理由があると、骨川社長は定理を証明してみせたそうだが、頭では分かっていても、ブルうものはブルうのだ。

 

「あれが、例の、顔の向きを変える絵ですね、なるほどぉ」

 

 冬矢の背筋にゾワッと毛虫が走ったような悪寒の正体は、ト部が冬矢の背後に隠れて、耳元でぼそぼそ喋ったからだ。

 

「ト部先輩、うっとおしいですよ、それより顔の向きが、変わるって」マジですか。

 

怖いもの見たさの冬矢は、尻込みしながらも、絵に目を凝らした。

 

 色褪せた金メッキの額縁に、背景は灰色に近い銀色、赤い服を着て、頭からは薄い金色のベールを被った、左向きの女性の絵だ。

 

「あの絵を壁から外しても、よろしいでしょうか」

 

 冬矢の前で絵を見上げていた朱香が、営業口調で、凛と訊ねた。

 

「ええ、今、脚立を持ってきますね」

 

 水木さんは、直ぐ近くの納戸から脚立を持ってきて、階段を上ろうとした。

 

「私どもで取りますから、脚立を貸してください」

 

「あ、はい、ではお願いします」と水木さんは戸惑いながらも、朱香に脚立を渡した。脚立を受け取った朱香は、ト部にそのまま押し付けるように渡した。

 苦笑いながらもト部は軽々と脚立を持って階段を上り、不安要素を抱え込む水木さんと、朱香も階段を上った。

 

 最後尾を、今すぐ引き返して逃げ帰りたくて堪らない冬矢が続いた。

 

 絵はちょうど階段を上った先にある。二階に到着したト部は椅子の脚を広げ、ひょいっと乗って、手際よく絵を壁から外した。

 

 さっきまで怖がって人の後ろに隠れていたのが嘘みたいだ。だったら始めからしゃんとしていてくれ。

 

 下されると、絵は意外と大きかった。大人の肩幅ぐらいはある。

 

 さほど大きくもない双眸を限度まで見開いた冬矢は、問題の絵がビーズで描かれていると見切った。

 

「つまりこの絵の女性が右を向いていたりすると、ご主人は仰っているわけですね」

 

 朱香が訊ねると、「はい」と不安げに、水木さんは返事をした。

 

「ご主人は、いつ右向きの女性を見ると」

 

 壁に立て掛けながらト部が水木さんを見上げた。しゃがんだだけでもト部の体格のデカさは際立っていた。ソフト・モヒカンに刈り上げられている人相は、下から見上げられても異様に迫力がある。

 

「夜中です。お手洗いで起きた時に見ると、言ってました」

 

「手洗いか、こっちの部屋は寝室ですか」

 

 立ち上がったト部が、右の部屋を指差した。階段を上って直ぐ右の部屋だ。

 

「はい、そうです」

 

「なるほど、目敏いご主人だなぁ」と低く唸りながらト部は腕を組んで頭上を見上げた。

 

 となると、ご主人はト部のように、真上を見上げていたんだろうなと、想像上のご主人の立体映像がト部と重なった。

 

「だったら、手洗いに行った帰りじゃないですか。そこを左に曲がった廊下の先がトイレですよね。トイレの帰りでも絵は見えるみたいだし、気付くなら、寝室に戻る時かなって。おそらく初回は、ですけど」

 

 壁で仕切られていないコの字の廊下だったので、見えないことはないと、冬矢はさりげなく意見を豪語してみた。

 

 ブルっているだけじゃないところを見せてやると。

 だが、トイレの帰りに気付いたからなんなんだよ、と冬矢は自分にツッコんだ。

 絵の顔の向きが変わる正体何て、見当もつかない。

 

「確かに、伊賀くんの言うとおり、ここからでも見えますね」

 

「おっ、ビックリした。いつの間に」

 

 後ろから声が飛んできたわけは、朱香がトイレの前に立っていたからだ。

 

 口角をキュッと上げて、精悍に笑んでいた。

 

 小柄で華奢の朱香だが、ネコ目で眼光の印象強さは金縛り並みに強烈だ。

 

 小さく咳払いしたト部は「やっぱり、だろうと思った」などと取って付けたような科白を口にした。

 ウソだろ! 絶対気付いてなかっただろ! 冬矢は心の中から叫んだ。

 

「にしても綺麗な絵ですね、よく見ると、ビーズで描かれているんですね」

 

 冬矢の横からひょいっと顔を出してきた朱香が、しゃがんで絵をまじまじ見詰めた。

 

「その絵は、主人の祖母が趣味で描いたものです。亡くなって、十年が経ちました。私が嫁いできた時には、既に絵は飾られていました。主人が奇妙な現象を見るようなったのは半年前ぐらいからです。気味が悪いから壁から外したいと言っているんですが、外した後、納戸か倉庫にしまっておくのも気味が悪いし、だから、そういった専門の業者に任せようと」

 

 水木さんは、もう一度、切なげな眼差しを絵に向けた。

 

「そうですか。絵は、我々が責任もって処理します。規約に目を通していただき、ご了解して頂けたのであれば、契約書に捺印をお願いします」

 

 体の横に立て掛けてあったビズネス・バッグから、朱香はクリア・ファイルに挟まれた書類を取り出した。

 

 クリア・ファイルから取り出したA4用紙を、水木さんの前に差し出す。

 

「はい、分かりました。印鑑ですね。では、居間へ。そこで少し、お待ちを」

 

 水木さんは居間へ案内した足で、別の部屋へ歩いていった。

 

 二十畳ほどある畳の居間には、檜の一枚板でできたロー・テーブルがあった。三人が横に並んで座っても、まだ余裕がある。

 

 依頼主の水木さん不在のまま、喧騒から切り離された和室で待った。縁側の向こうにはコケが茂り、背丈の短い竹藪が微かに揺れていた。

 

 冬矢には、仕事をしている充実感が全く感じられなかった。

 

 仕事内容が奇怪過ぎるのかもしれないが、何故この会社を選んだのだろうかと、過去の自分に戻って、目を覚ましてやりたい。

 

「初現場だけど、どう?」

 

 隣で座っていた朱香が、キュッと口角を吊り上げて訊いてきた。決して笑顔ではない冷徹な美貌に、心臓を鷲掴みされドキッと胸を打った冬矢は、首筋の裏を掻いた。

 

「どうといわれても、まだ、何が何だか」

 

 笑顔を引きつりながら冬矢は襟足を掻く。

 

「にしては、意外と冷静に家の中の間取りを観察するのね」

 

 鼻先で皮肉るように、朱香はほくそ笑んだ。

 

「いやそれは別に、偶々ですよ」

 

「今回は偶々、お前に指摘されたってことかぁ、新人にしては鋭い洞察力だ、これからは偶々じゃなくて、『常に』を意識しろよ」

 

 偶々を強調したト部は、正座している足の指を、もぞもぞと動かした。

 

「痺れた」

 

「えっ、もうですか? 後少しなんですから、我慢してください」

 

 体躯が立派なト部とは対照的に、スッキリと細く纏まっている朱香は呆れ返った。

 

 駄弁っている間に、水木さんが戻ってきた。

 

「では、契約書にサインと、こちらに捺印をお願いします」

 

 朱香が細い指先で示した。

 

「はい」と、まだどこか不安げ交じりの返事をした水木さんは、言われた通りサインをし、印鑑を捺した。

 

「では、これで処分に入らせてもらいます」

 

「あの、処分に当たって、持ち主も立会いできると伺ったんですが。人形供養みたいな儀式をするんでしょうか?」

 

 印鑑をケースにしまいながら、ト部と朱香を交互に水木さんは見据えた。水木さんから一番離れている場所に座っている冬矢にまで、視線が来なかったので、心なしか不貞腐れた。

 

「はい、「モノ送り」ですね。うちの社員が執り行います。しっかりと学んだ者が行いますので、ご心配なく」

 

「そうですか」

 

 水木さんは肩から力を抜き、絵の末路に安堵しているようだった。

 

 絵はこれから何処に運ばれるかを理解しているはずはないが、描かれている女性はモナリザのように穏やかに微笑んでいるようには見えなかった。

 

「宜しくお願いします」と水木さんは深々頭を下げた。

 

「では、回収いたします。立会いの処分日程は、こちらからご連絡いたします、ご請求はさらに後程、こちらから書類を郵送いたします。本日は有り難うございました」

 

 三人は、ほぼ同時に頭を下げた。

 

 ト部が絵を持ち、先に居間を出た、冬矢と朱香も後に続く。

 

 玄関で再度、礼を言ってから屋敷を出ると、門の外からもう一度、冬矢にとっては初陣となった現場を眺めた。

 


~5~

 

 車は会社の駐車場に滑り込んだ。

 

「んじゃあ、伊賀。絵は、お前に託した。無事に、事務所まで送り届けてやってくれ」

 

 運転席から降りたト部は熱血刑事にでもなったような意気込みで言い放ち、感心するぐらいの足の速さで事務所へ帰って行った。 

 

「だ、そうよ。ト部先輩って、どこか変だと思う。彼のテンションが変なのかしら」

 

 後部座席で絵と一緒に揺れていた朱香が、腕を組んで首を傾げていた。なんだか可愛らしいしぐさだ。

 

「ハイテンションですよね、ト部さんって。おまけに、タフそう」

 

 一応、先輩なのだから、素直に従わなくてはと思う。だが、顔の向きを変える絵を持たなければならない嫌な役回りを押しつけられたと、冬矢は勘繰った。

 

 後部座席の絵を持ち出すと、意外と重みがあった。

 

「案外、重い絵よ。後ろの席で軽く持ってみたけど、幼気な乙女には辛い重さね」

 

 寧ろ意外なのは朱香のほうだ。自分で幼気とか言っちゃってるし、まさか冗談とかいう人間だったとは、しかも冗談を言ってのける時も、聡明さは失われていない。

 

「先に階段を上って」と朱香は冬矢に先を譲った。背中は私が守るわよと、言ってきそうなぐらいの頼もしさを感じた。

 

「これぐらい、なんてことない重さッスよ。ところで、畔戸さんも高卒で、この会社に入社したんですか」

 

 絵を抱えて階段を上りながら、朱香に訊ねた。

 

「ええ、十八の時にここに来たわ」

 

「へぇ、そうなんですか、じゃあ地元の人ですか?」

 

 根掘り葉掘り訊いてしまっているが、不愉快じゃないだろうかと思いながらも、冬矢は質問してみる。

 

「私は山挟んで隣の町、車で二十分ぐらいは掛かるのかしら。高校をバスと電車で通う日々を思えば、天国だわ」

 

 行きの時より随分と朱香の口調が軽くなった。慣れてきたのか、お互いの口調が明るくなった。

 

「うわ、もしかして、中学って上条南部中学っスか?」

 

「エッ」とちょっと驚いた顔で朱香はぽけんと口を開けた。なんだかおかしな反応に、冬矢は「あのー」と首を傾げた。

 

「あっ、ええ、そうよ、南部中よ」

 

「やっぱり! じゃあ、一年間だけ重なってたんスね、じゃあどこかですれ違ってたりして、世間って狭いなぁ」

 

 些細な共通点が嬉しくて、冬矢の口調は弾んでいた。

 

 時折吹く春風が、朱香の長い髪を浚う。手で髪を抑える仕草につい、見入ってしまう。

 

 社内で一番話しやすいのは、朱香かもしれないと、冬矢はスキップしたい気分だ。

 

「高校卒業したら一人暮らしかなぁ、とか思ってたんですけど、現実問題、金がなかったんですよねぇ。ここの会社に拾われて、本当にラッキーでしたよ。友達の中には県跨いで通ってる奴もいるんで」

 

 話しながら事務所への階段を上りきった。

 

 外階段なので、少し汗ばんだ額を、爽やかな春風が撫でてくれた。

 

 上から眺める景色は、抜群だった。

 

 階段を上って南側は、小高い山の急斜面になっていて、村の商店や学校、住宅が点在している谷が見渡せる。視線を飛ばせば、同じぐらいの標高の山々が連なっている。

 

 就職した会社から地元を見下ろすと、見た目ばかりが成長した姿を、お披露目しているようで、口の中が苦くなった。

 

 今のご時世、就職できただけでも儲けもん、と思わなくちゃいけねーよな。

 

 仕事も何一つ分からず、この先、続けていく自信も持てないのに。つくづく甘ったれだなと、冬矢は自分に呆れた。

 

「そう。じゃあ、君がここを見つけたのは、必然、だったのかもしれないわね」

 

 同じ景色を眺望しながら、朱香はおしとやかに呟いた。

 

「必然、なんですかねぇ」

 

 朱香の言葉が否に意味ありげだったので、冬矢は訊き返すように、同じ言葉を繰り返した。

 

「そう思うのも悪くないわよ。さあ、中に入りましょう。皆も絵を見分したがっていると思うから。あなたの一人占めは、許さないわよ」

 

「そんなことしませんし、したくないですよ。この絵を、早くどこかに置きたいです」

 

 時々謎めいたセリフを口にするのでギョッとする。

 

 苦笑い交じりの冬矢は朱香に背中を押されながら、事務所の玄関を開けた。

 

スリッパをぺたぺた音を立てつつ、事務所に入るなり、熊野が「おかえりー」とおしとやかながらも、景気良く言い放った。

 

「二人仲よくお帰りぃ」と給湯室から出てきた永久子がからかうように言ってきた。

 

「ほお、それが例の絵なんだ、顔の向きを変えるんでしょ?」

 

 どれどれーと、湯気が昇るコーヒーカップを片手に永久子が絵を覗き込んだ。

 

「ちょっと待ってください、今、壁に立て掛けるんで」

 

 手の握力を奪われる重さにやっと解放され、冬矢はどっと肩の力を抜いた。

 

「僕も観させてもらおうかな」と物腰柔らかに熊野が椅子から立ち上がって、野次馬の輪の中に加わる。

 

「すごーい、ビーズでできてるんだ、この絵」

 

 永久子が感嘆した直後、デスクで沈黙していた豊原部長が重い腰を上げた。

 

 熊野の背後まで歩み寄り、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、絵を見下ろした。

 

 何を考えているんだろうかと、冬矢は横目で豊原の横顔をチラ見した。

 

「依頼主の旦那様のお母様が描かれた絵、みたいですよ。階段下から見ると、確かに夜は不気味かもしれませんね。絵自体は、とてもキレイなんですけどね」

 

 自分の席から野次馬と絵を傍観していたト部が説明を加えた。

 

「でも、不気味だけじゃなくて、顔の向きを変えるなんで、いくら母親の絵だからって、申し訳ないけど、俺も処分したくなります」

 

 絵を囲む皆の一番後ろから、冬矢はささやかに持ち主に同情した。

 

「伊賀君、本当に顔の向きを変えると思ってる?」

 

 呆れ笑いを浮かべながら熊野が、空気を吸うよりも当たり前に口走った。

 

「え?」と声を上げたのは冬矢だけだった。

 

「え、でも、依頼主の夫は顔の向きが変わるのを見たって。だから、処分したいと、依頼してきたんですよ」

 

 何が何だが分からなくなった冬矢は、女性の横顔と対峙したまま、金縛りに遭ったみたいに動けなくなった。女性が顔の向きを変えるとしたら、こんな感じかなと想像だけが膨らむ。

 

「顔の向きは、変わらないよ」

 

 熊野が何故きっぱり否定をしたのか理解できず、「え、え」をアホみたいに繰り返すしかなかった。

 

「不思議でしょうがないか、伊賀」

 

 絵を見下ろしながら、豊原が低い声で呟いた。

 

「ど、どういうことなんですか、しかも、え――」

 理解していないのは自分だけなのかと、広げた瞼に力を込め、眼球だけを動かして皆を直視した。

 

「だーかーらー、骨川社長が証明したでしょうが。『奇怪な出来事には、理由がある』って説明を受けただろ」

 

 ズシンとト部が冬矢の肩に手を置いた。重量感があって、置かれただけで肩が凝りそうだ。さっさとどかしてほしい。

 

「顔の向きを変えるなんて、ありえないのよ、伊賀君。依頼主の奥さんは知らないのかもしれないですね、旦那さんが嘘をついていると」

 

 怜悧に解説してくれた朱香に見詰められて、冬矢はビリッと背筋が痺れた。

 

「何がどうなっているんですか。嘘、だった?」

 

「理由は知らんが、本当に家には置いておきたくなかったんじゃないか。だから、嘘をついてまで処分したかったんだろ。俺が思うに、奥さんにも嘘をついてたんだと思うぜ」

 

 何もかも見切ったような口調のト部はぽんぽんと冬矢の肩を叩いた。

 

「僕も、そう思う。そのほうがリアリティ増すしね。うちの会社は奇怪な現象を起こす、【訳有モノ】を処分する会社、そう世間には謳っているし、世間もそう理解してる。だから、ご主人は自分の嘘が俺たちにバレるのはマズイと思ってた」

 

 理解したかな? と熊野に笑顔で問われた気がした。

 

「じゃあ、これは、お祖母さんが描いた、普通の絵ってことですか」

 

 突如、絵の厚みが極薄化したかのような錯覚に見舞われた。依頼主の屋敷で、アホみたいに怖がっていた自分は何だったのかと、冬矢は無性に恥ずかしくなった。

 

「だったら、ト部さんこそ、俺の後ろに隠れて怖がるふりなんかしないでくださいよ!」

 

「またト部君怖がってたのー、それとも新人君への嫌がらせぇ」

 

 永久子は目じりを細めて、相変わらずだねぇの視線をト部に向ける。

 

「分かっていても怖いものは怖い! あ、そういや、依頼主が「モノ送り」したいってよ」

 

「そうだったわ、お神楽の準備をしないと。予定が決まり次第、水木さんにも連絡ね」

 

 人差し指で顎の先を突きながら、朱香は誰かに対して言うのでもなく、独り言のように呟きながら、自分の席へ戻って行った。

 

 朱香が言った『神楽』とは、二階の応接室から見た、あの一風変わった能舞台みたいな空間だよな、と冬矢は思い返した。

 

 皆が自分の席に戻る中で、冬矢だけは絵と対峙していた。

 

 何も捨てなくても、と絵に対して少しばかりの同情の念みたいなものを抱いた。

 

これからも、持ち主から必要とされなくなったモノたちが、色々な事情を着せられてここにやって来るのかと、冬矢は横目で一瞥してから席に戻った。

 



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