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黒岩岳

 小屋の中ではジン、トール、カミュがラシャを囲んでいた。ラシャの合流にカミュは喜び、それまで険しかったジンの顔もややほころんでいた。
 ケインとゲタ、ボードーも小屋の中で座っていたが、この三人とほかの四人の間には見えない一線が引かれていた。

 ラシャが最初に三人を倒した以外、誰も敵に一太刀も浴びせることができなかった。
 ケインら三人にしてみれば、すべてがラシャの手柄であるかのような場の雰囲気がおもしろくない。
「会士にしては弱かったな」
 とつぶやいた。
 トールはあくびをしながら横になった。
「こちらは敵と思って本気でかかったが、むこうは加減していたんだろう」
「いや、ラシャさまの動きは速かった。私にも見切れなかったし、おそらく上級者もそうだったんだろう」
 ジンはちらとラシャを伺ったが、ラシャは黙っているだけだった。ジンはラシャの隠された実力に気づきはじめていた。
「暗かったしな」
 トールの声は今にも寝入りそうにふにゃふにゃしていた。
「なにはともあれ、明日は全員そろって黒岩岳に到着できそうだな」
 ジンはそのことに何より心からほっとしていた。この行程では狩りおよび炊事をしている暇はない。したがって、肉食問題も起こらない。
 ケインはといえば、足に手をやりながら、難しい顔をしていた。
「痛むのか?」
 ゲタがケインの傷を見ようしたが、
「いや、たいしたことはない」
 と追い払われた。

「猪はうまかったな」
 せっかくくつろいでいた場の雰囲気が、ケインのこの一言で、一気に硬直した。
 ゲタとボートーですら、頬がひきつった。
 うとうとしかかっていたトールだが、飛び起きてケインの襟をつかみ上げた。
「今、その話をするか?」
「うまかったから、うまかったって言っただけだ。トールだって、うまいうまいって食べてたじゃないか」
「いやっ、それはっ、そのっ……うまかったが……」
 言ってから、しまったとラシャを振り返った。
 ラシャは横になって背を向けていた。小さな背中が震えているように見えた。
 カミュが寄り添うようにラシャの肩を抱いた。

「もう遅い。寝よう」
 ジンが横になると、トールはそのそばにドスッと腰を下ろした。
 ゲタ、ボードーも横になった。
 カミュとラシャは寄り添うようにして寝た。

 ケインも横になったが、目はぱっちり開けていた。ラシャのほうを見ているのだが、いつもの挑戦的な目つきというよりは、自分と戦っているような苦悶が浮かんでいた。
 ラシャもまたカミュの寝息を聞きながら、眠れなかった。何度も寝返りを打った。
 暗闇の中、ケインとラシャの目が合った。
(助けたつもりかもしれないが、俺を懐柔しようったってそうはいかない)
 ケインの目はそう言っているようであった。
(いつか、決着をつける)
 とも。 
 だが、ラシャにはケインの《殺意》がこれまでより薄らいでいるように思えた。
 相変わらず憎憎しいことを言ってくるが、ラシャに向かってというよりは、憎まねばならないと自分自身に言い聞かせているようでもある。


 次の日もまた、朝から駆け足の旅だった。下りが続く。前日の疲れからか足が笑う。下り坂は循環器系には楽だが、上り坂より足に来る。怪我をしやすいのも下りだ。

 ジンは珍しく遅れがちのケインに声をかけた。
「ケイン、大丈夫か?」
「うん?」
「足が少しフラついてないか?」
「そんなことない。平気だ」
「なら、いいんだが……」
 ケインは器用になんでもこなすが、足腰が強いほうではなかった。迂回したがらなかったのも、そんな自分の弱さがわかっていたからでもある。しかも、昨日、足に刀傷を受けていた。たいしたことないと思ったが、意外と深かったようで、かなり痛む。「引け」というジンの指示を無視して戦い、受けた傷ということもあって、何でもないかのように見栄を張った。特にラシャには知られたくなかった。「それ見ろ」とバカにされるのが癪だ。
 いつもは先頭に立って組を率いているケイン、このときはどちらかといえば一団の足をひっぱっていた。そのことが実技主席を自負するケインとしてはやりきれない。かなり無理してペースを保っていた。
 しかし、そんな無理がたたって大きな石や岩からなるゴツゴツした道で足場をとらえそこねた。
「あっ」
 ケインが立ち止まると、トールも歩みを止めた。
「どうした?」
「いや、何でもない」
 ケインはかろうじて立っていたが、動けないようだった。
「何でもないって顔じゃないぞ」
「少し……ひねった……かも」
「お~い、休憩だ!」
 トールは前を走る仲間を止めた。
 異常を察知してゲタとボードーがケインを両脇から支えた。
「そんなにしなくていい。大丈夫だ」
 ケインは無事をアピールするために歩いてみせようとしたが、
「いっ……つ……」
「やっちまったな」
 トールは困惑顔。
「目的地までは原則徒歩だが、怪我人が出た場合は馬で運んでもいいことになっている。しかし、このあたりに馬を借りられるようなところは……」
「たとえ馬があってもあまり役に立たない。最後の上りは急な岩場だ。普通の馬には登れない。登れたとしても、その先は人一人やっと通れるぐらいの尾根道で、その左右は深い断崖絶壁。訓練を受けていない馬などしり込みして進まなくなる。進んだところで一緒に奈落の底に落っこちるのが関の山だ」
 ジンの眉間のしわが再び深まっていた。
「このぐらい大丈夫だ。歩くよ」
 とケインは再び進みだした。
「だが、走れないだろ?」
「……」
 さすがのケインも強がってばかりもいられなかった。
「ジンは痛み止めを持ってるだろう?」
 リーダー役のジンには救急用の医薬品が支給されていた。
「まあな」
「それでなんとかしてくれ」
「無理をすれば治らなくなる」
「鳳凰山の医術を持ってすれば、治せるさ」
「そうかもしれないが……」
 ジンはケインの足首に湿布をしてやった。
「ありがとう。すっとする」
「そうか。そっちは大丈夫なのか?」
 ケインは左の太ももを押さえていた。
「かすり傷だ」
「ならいいんだが」
 たった今くじいたのは右足首、太ももの切り傷は左脚、ケインは両足を故障してしまったことになる。
「休んでいる時間はない。行こう」
 ケインは立ち上がり、歩き出した。
「本当に大丈夫なのか?」
 心配するボードーにも、
「たいしたことはない。もう平気だ」
 その足取りは一見しっかりしていたので、仲間たちは、大丈夫そうだと安心して進みはじめた。
 ケインが走り出すと、
「よし、行くぞ」
 とみな走り出した。

 捻挫はくじいた直後には激痛を感じるが、その後は意外と普通に歩けたりする。大丈夫だと思って酷使すると後で《来る》のだ。そして、このときは、走りに走った。
 比較的平らな道はよかったが傾斜のついた道や岩場などではケインの表情にかげりが見えた。
「大丈夫か?」
「ああ」
 しかし苦しそうな表情は隠せない。
「肩をかしてやるよ」
 ゲタがケインの左腕をとった。
「俺も」
 ボードーが右脇から手を差し伸べた。
「いや、それでは遅くなる」
「その足じゃあ、無理だよ。歩くのも、まして走るのは……」
 ボードーの言葉にゲタもうなずく。
「山頂まで、まだ半日以上あるぞ。お前らだって俺をかついで走れるものか」
 ゲタはふとケインの脚を見た。
「あれ? それ血じゃないか?」
 左の太ももを覆う布が真っ赤になっていた。ふさがったと思った傷が開いてしまったようだった。
「見せてみろ」
 ゲタとボードーが抵抗するケインのズボンを脱がした。パクッと開いた傷から血がトクトク流れ出していた。
 それを見たジンの顔色が変わった。
「なぜ言わなかった?」
「昨日は、それに今日も……たいしたことないと思ったんだ」
「これでは歩かせられない」
 トールは思わず神山・剣山方面を振り返った。
「シーボクがあればな……」
 シーボクとはアイベックスのような尖った角を持つ草食動物だ。角があるために騎乗には注意を要するが、馬ほどの大きさで、速さ、力強さともに馬に匹敵する。急な崖の上り下りをものともしないため、山岳地帯では馬よりもむしろこのシーボクのほうが有利である。鳳凰山では家畜化に成功し、飼育・騎乗していた。
「野生のシーボクはめったに人前に姿を現さないし、まして……」
 トールはちらちらとラシャをうかがいながら、そのあとは、わざとらしく大声で言ってみた。
「出てきたところで~、人間を乗せては~、くれないだろうなあ。やっぱり~」
 それまで体をほぐしたり、カミュとマッサージしあったりしていたラシャが顔を上げた。「シーボクを呼んでほしい?」
 冷めた、というより、しらけた声だった。
「呼べるのか?」
 トールの目が輝いた。すすすす~っとラシャに寄る。
「食べないって約束するなら呼んでもいいよ」
「当たりまえだ!」
 トールは手を上げて誓うようなジャスチャーをした。
「ルルは食べたじゃないか」
 亡き友を思い出してラシャの瞳がうるんだ。
「あ~、あれは猪だ。役に立つ動物を殺したりしない」
「ルルは役立たずだって言いたいわけ?」
「ああっ、もうっ、わぁった。いくらでも謝る。とにかく食べないから早く呼んでくれ!」
 トールは手を合わせて拝むように頼み込んだ。
 ラシャは答えなかった。ケインのほうを見た。本来トールではなくケインが頭を下げるべきなのだ。
 当のケインはうんでもすんでもない。
 ラシャは何も言わずに、指をくわえるとヒューヒュルルルルと器用に音を立てた。
 しばらく待ったが、何も現れない。
「この辺にはいないのかな……」
 さらに、ラシャはふところから小さな笛を取り出して、吹いた
 ピー、ヒュルルルル。
 やはり、何も現れない。
 ケインはゲタやボードーが止めるのを振り切って立ち上がった。
「無駄だ。来ない。歩きはじめよう。待っていたら進まない」
 ラシャは笛を見つめながらつぶやいた。
「ここらでは僕より狼のほうが信頼されてるんだな」
「何? 狼がどうしたって?」
 トールをはじめ、ジンやカミュもラシャを注視した。
「おととい狼を使って警告したんだよ。僕らが進みそうな道沿いの動物に、人間に食べられちゃうから近づくなってね」
「はあ? それで昨日も今日も道中に獲物がいなかったのか」
 トールは納得すると同時に恨めしそうにラシャを見た。
「今、来いって呼んでも、友達でない限り来てくれない。この辺には親しい友達はあまりいないんだ。神山近辺のシーボクがこのへんまで足をのばしてくれていたら、つかまるかもしれないけど、あまり期待しないでね」
 怒ったようなラシャの目を受けながらトールは頭をかいた。
「こ、困ったな……」
「とにかく、歩くしかないってことだよな」
 ケインはふてくされたように、左右両足をひきずりながら進みだした。
 ゲタとボードーが支えに回った。
 ケインも仲間の手助けを、もう断らなかった。さすがに限界だったのだ。
 ジンは早足に歩きながら、言った。
「ゲタ、ボードー、ケインを抱えて走れるか?」
「やってみる」
「疲れたら、交代しよう」
 二人はうなずいた。

 それからはゲタ、ボードー、ジン、トールが交代でケインを補佐して進んだ。体格的に小さいカミュとラシャはケインを支えることはできないとしてこの負荷は負わされなかった。
 もちろん、一団はそれまでのようには進めず、ペースが落ちた。
 ラシャはときどき笛を吹いたが、依然としてシーボクは現れない。

 日が傾いて、まもなく夕刻を迎えようとしていた。
 目的の黒岩岳が見えた。強健な剣山修行者の七人。絶好調なら、明るいうちにたどりつける距離だったが、普段のぺースで進めない七人には、黒岩岳頂上は遠く手の届かない天上界のように思われた。
「今日のうちに山頂にたどり着くのは無理か……」
 誰とはなしにそんな弱音が漏れた。一行の誰もが悲観的になってきていた。
「俺をおいていけ」
 とケインが言った。
 しかし、ジンはかぶりをふった。
「それはできない。全員で到達しなければ意味がないんだ」
「俺のせいで不合格になったと言われたくない」
「君をおいていけば、怪我した仲間を見捨てたことになる。やはり不合格だ」
「そうなるとは限らない」
 昇級試験の合格基準は実は曖昧だった。受験者への通達どおりでないらしいことを入門の受験者たちも知っていた。
「不合格なら不合格でいいんじゃないか? みんな仲良く入門をやり直そうぜ。ゴン師匠はいい人だしな」
 トールはこんなときも明るさを失わない。
 しかし、そんな冗談もケインにとっては不愉快だった。
「気休めにもならない」
 笛を吹くラシャにもケインはイライラをぶつけた。
「もう、いい加減やめろよ。気がおかしくなりそうだ」
 清涼感のある音だったが、笛の音を聞くたびにケインの神経は逆なでされていた。ゲタやボードーの手助けは受け入れたが、いつも敵意を持って接してきたラシャの世話にだけはなりたくなかった。
 ラシャが笛を吹くたびに、ケインにもシーボクを待ち望む気持ちが沸き起こる。そして、待てど暮らせど結局シーボクは現れないのだ。絶望感で足の痛みが増す。頼りたくないものを頼りにし、さらに期待を裏切られて打ちひしがれる自分というのが途方もなく嫌だった。

 ラシャは笛を吹き続けた。
「不合格になりたくないんだ」
 とピーピー吹く。
「畜生! 走ってやる」
 ケインはボードーとゲタを振り切って一人で走り出した。右足首がズキズキ痛んだ。左腿はキリキリする。結局、痛みに耐えかねて、五十馬身ほど行ったところで膝をついた。
「畜生、畜生、畜生!」
 ケインは拳で地面をたたいた。

 そのときだった。
 グッグググ、グググググ。
「この音は?」
 一同の行く道の右側は岩壁になっていた。ググググという異音はその上から聞こえてくる。
 見上げると、岩壁の上端に白い獣。ヤギと馬と羊を足して三で割ったような姿。頭上には大人の腕ほどもあろうかと思われる太く立派な角、節目がごつごつとしており、まるでアンモナイトの渦を引き伸ばしたよう。オスのシーボクだった。
「ラミナス!」
 ラシャが叫ぶと、呼ばれたシーボクはほとんど垂直とも思われる崖を一気に駆け下り、ラシャの前にやってきた。
 ラシャはラミナスの頭を抱き寄せた。
「ラミナス、ラミナス~。よく来てくれたね。この辺はお前の縄張りじゃないだろう? ライバルや肉食獣に追いかけられなかったかい? そうか、そうか。よかった」
「やっと来たか!」
 トールは両手を上げて喜んだ。
 ジンは、ほっとした表情をみせながら、あくまでもシビア。
「感動的な再会を邪魔して悪いんだが、急ごう。日が暮れてしまう」
「わかった」
 ラシャはシーボクをケインのそばに連れて行った。
「ラミナスだよ」
 ケインは膝をついたままシーボクを見上げたが、ラミナスはケインなど気にかけていない様子。
「ラミナス、ケインを乗せてくれる?」
 ラシャが問いかけると、
 グググググ
「君が嫌そうにしてるってさ」
「……」
 確かにケインはラシャの《友達》に乗せてもらうなど、あまり気がすすまなかった。
「野生のシーボクだからね。角は切ったり丸く研いだりしてないし、鐙(あぶみ)もないけど、何とか乗ってよね。それとも綱で巻きつけたほうがいい? この上、シーボクから落ちて首の骨を折ったりしたら、目も当てられないからね」
 淡々と嫌味を言うラシャをケインは地面に座りこんだまま苦々しく見上げた。
「俺が怪我をしていると思って、言いたい放題だな。お前が振り落とせって命令するんじゃないのか」
「それもいい案だね。で、どうするの? 怖いから乗りたくないってこと? せっかく呼んだのに」
 ラシャはケインを見ず、ラミナスの角を撫でていた。巨大な巻貝の渦を引き伸ばしたような立派な角が後方に弧を描いて伸びている。ラシャは、このぼこぼこした角に触るのが好きだった。
「ケイン、強がってる場合じゃないだろ。乗せてもらえ」
 ゲタとボードーがケインをかつぎあげようとすると、
「自分で乗る」
 ケインは二人をふり払い、びっこを引きながら、まずは恐る恐るラミナスに触れ、それから抱きつくように乗った。ラシャをちらりと見ながら、内心ビクビクしていた。
「じゃあ、行こうか」
 ラシャはラミナスの背を押した。
「うわあああっ」
 ずり落ちそうになったケインをラシャが支えて止めた。
「格好よく乗ろうとしないで、しっかり抱きついたほうがいい」
「わ、わかってる」
 ケインがとりあえずシーボクに乗った(抱きついた)のを確認したジンは、
「じゃあ、また走るぞ」
 と指示を出した。
 一行はうなずき、一斉に走り出した。
 ケインを乗せたラミナスは、ラシャのすぐ前や後ろを伴走をするように進む。
 ときどきラシャがラミナスに話しかける。それは人間の言葉であることも、シーボクの発するググググという異音に似た音の場合もあった。
 そんなラシャはケインがいつも剣山の道場で見る傲慢で鼻持ちならない《クソ生意気なガキ》ではなかった。動物と遊ぶ無邪気で愛らしい子ども。その笑顔も屈託がない。人間相手には、仲良しのカミュにも見せないようなやさしい微笑みだった。
 ケインが不思議そうにラシャを眺めていると、ラシャの目線がさっとケインに移動した。
 人間を見るときは挑戦的な目つきに戻る。特にあまり仲がいいとはいえないケインへの視線は厳しい。
「何?」
「いや、別に何でも……」
 ケインは顔をそむけた。


 各々が走り出したら、黒岩岳ふもとまでは早かった。
 しかし、そこから頂上までは急な斜面が続く。
「さあ、急ぐぞ。暗くならないうちにたどりつかないと、いよいよ難しくなるからな」
 地平線に向かう夕日が赤々と燃えていた。

 斜面には、ところどころ鎖が設けてあるが、足場の悪い急斜面を上るのはやはり骨が折れた。
 それに対してシーボクは崖のエキスパート、すいすいと行く。
「いいなあ。俺も乗りてえ」
 トールはうらやましそうにケインを見た。
「乗り心地は最悪だよ」
 ググッ
「うわああああ」
 ラミナスがケインを振り落とそうとするように揺すりはじめたので、ケインは必死でしがみつかなければならなかった。
「乗せてもらって文句言っちゃあだめだよ。怒っちゃったじゃないか」
 ラシャがラミナスの背をなでて宥めにかかった。
「こいつに人間の言葉なんかわからないだろ!」
「態度でわかる。ほら、こうやってなでて、ごめんねって言ってよ」
「そんなこと言えるか!」
 ラシャは目を細めた。
「振り落とされたい?」
「う……」
 ケインはボソッと何かつぶやいた。聞こえないような小声だが、謝ったようで、ラミナスは再びおとなしく歩き出した。
 ケインは半分ずり落ちたような姿勢を立て直すのに苦労したが、なんとか座り(抱え)直した。



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落下

 ほとんど崖のような急斜面を上りきると、景色が開けた。
 沈む夕日が空を黄金色に染めていた。
「さあ、いくぞ。ここを抜ければ黒岩岳だ。気をつけていこうぜ!」
 トールが先頭を切って進む。
 進む道は左右が千尋の谷という尾根道だ。しかも足場のごつごつした石はしっかり固定しているとは限らない。

 尾根道半ば、踏み出しかけて、トールは躊躇した。
 足元の石がグラグラしたのだ。
 ケインを乗せたシーボクはトールの横を通り過ぎた。人が一人通るのがやっとと思われるような狭い道なのだが、シーボクは何食わぬ顔でトールを追い抜いていく。
 どこにそんな幅があるんだ? と不思議そうなトールなど無視して黙々と進む。
 行き先はラシャの指示を受けてわかっているようだった。
 幅のない道も、ガタガタする石の上も難なく進む。
 シーボクが足を乗せたから大丈夫だろうと思ってトールが足を掛けると、グラグラしたりするので、人間の進む道の参考にはあまりならない。
「俺も捻挫すればよかったな」「まったくだ」
 ゲタとボードーは冗談とも本気ともつかないことを言いながら、シーボクの尻尾を見つめていた。

 小柄で身の軽いラシャやカミュは大きい少年たちよりも楽々と進んでいた。
 しかし、それに油断したのか、カミュの足元の石がぐらついた。
「えっ、えっ、あれっ……うわああああああ」
「カミュ!」
 落下しかかったカミュの腕をラシャが捕らえた……が、そのラシャもまたバランスを崩してしまった。
 さらに、前を行くトールがラシャを支えようと手を伸ばしたが間に合わなかった。
 崖を少しずり落ちたラシャは幸い木の枝をつかんで止まっていた。
 しかし、枝がたわみ、裂け目が入った。ラシャとカミュの体重を支えられる強度は……ない。
 トールは足場の悪い崖を這いつくばりながらラシャとカミュのぶら下がる木に向かって降りて行った。
「なんとか持ちこたえてくれ!」
 そして、トールがラシャの手首をつかもうとしたそのとき、
 バキッ
 と枝が折れた。
「ラシャさ……」
 トールは落ちていく二人に手を伸ばした。届かないとわかっていても、その手を伸ばし続けた。
「畜生、あと少しなのによ~! なんてこった」

「ラシャさま~」
「カミュ~」
 落ち行く二人は互いの名を呼び合った。
 二人は瞬く間に深い谷へと沈み、尾根道の仲間たちからは見えなくなってしまった。

 崖にへばりついたまま放心しているトールにジンは手を伸ばした。
「上がって来いよ」
 トールはジンの手を取り、ジンを見上げて、
「死ぬようなことは……ないよな……」
「ラシャさまは大丈夫だろう。カミュは……」
 鳳凰会士は崖を降りる(落ちる?)訓練も受ける。命綱もつけずにあえて危険箇所を渡るのは、落ちても命を落とすことはまずないし、それもまた課題の一部であったからだ。ラシャの身の軽さ、敏捷なことは入門組の中でも抜きん出ていた。しかし、カミュはあまり器用ではなかった。なにかとよくドジを踏む。ジンはその点に不安を感じていた。
「カミュだって剣山会士だ。大丈夫だ」
 そうあってほしい。そのはずだ。トールが願うそのそばで、ジンは悲観的だった。
「普段の稽古中にも命を落とすものがないわけではない」
「お前、暗いことばかり言ってんじゃねえ!」
 トールが怒鳴ると、
「すまん」
 珍しくジンがトールに下った。
「おい、あれは?」
 トールは黒岩岳から落ちるように走る白いシーボクを認めた。
「ラミナスじゃないか?」
「ケインを乗せてないな」
 ラミナスは尾根道を渡りきり、とっくに黒岩岳山頂にたどりついていた。そこでケインを《振り落とし》、ラシャの危機とみるや後を追って駆け出した。
「俺たちは……どうする?」
「とりあえず黒岩岳に行くしかないだろう。そこで二人を待つ」
「待つって……。生きているとは思うが、谷底から上ってこられるわけ……」
 言いかけてトールは指を鳴らした。
「あっそうか。シーボクなら……。でも、それってズルじゃないか? 徒歩で上らなきゃいけないのが原則だ」
「怪我をしていれば別だ」
「あ~、ううむ……、何か複雑だな。無事でいてほしいが、こうなると多少怪我もしていてほしいな」
 トールはジンに支えてもらいながら、元の尾根道に這い上がると、さぐるように足を前に出し出し、念入りに足場を確かめながら進んでいった。


 谷底は靄がかかっていた。その上、もう、暗くなりかけていた。

 ラシャは生きていた。
 落ちながらも適当なところで岩壁を蹴り、また駆けるように急斜面の岩壁を下り、木の枝をつかみ、見事に着地。
 だが、ラシャが降りた地点からカミュの姿は見えなかった。
「カミュ! カミュ~」
 大声で呼んだ。
 それほど離れたところに降りた(落ちた)はずはない。
「どこだ? 返事がないということは気絶しているか、声が上げられないような怪我をしているかだ。まさか死……!? いや、絶対そんなことはない」
 目をつぶり、神経を集中し、辺りの気配をうかがった。
 ラシャのアンテナにひっかかったのはカミュではなく、
「ラミナス!」
 ググググググッ
 異音と共に現れたラミナスはラシャの顔や首、そのほか全身を嘗め回した。
「大丈夫だよ。ボクは平気。それよりカミュを探してくれないか」
 クオ~ン
 ラミナスは横を向いて鳴いた。そして、ググググ、ググググ。
「あっち? 先にカミュを見つけたの? 怪我してる?」
 ラミナスの顔が向く方角へラシャは走り、ラミナスはその後ろに続いた。

 カミュは倒れて、額から血を流していた。
「カミュ、カミュ~~~~!」
 ラシャが呼んでも返事をしない。
 脈を診る。
「生きてる」
 まずは、ほっと一息。
 さすがにカミュもそのまま落ちたわけではなかったらしい。
「足がおかしいな」
 足の向きが不自然だった。ラシャはカミュの体を調べはじめた。あちこちに傷があった。かなり色々なところにぶつかったと見える。 
「足の骨が折れている。でも内臓は大丈夫そうだ。頭はどうかな……。どうしよう? このままにしたほうがいいのかな。動かしてもいいのかな」
 ふと上空を見上げた。頂上は見えない。
 暗くなりかけると、闇の深まるのは早い。すでに視界は悪くなっていた。
「う……ん」
 カミュが唸った。
「あ、よかった。気がついた?」
「い、痛い」
「どこが痛い?」
「う~ん、頭と足と、背中と……ほかにもあちこち痛い」
 体中が痛くて、どこが痛いのか実はカミュ自身にもよくわからない。
「動ける? あ、足は動かしちゃだめだよ」
 カミュは腕を上げた。首も問題なく動く。
 ラシャはカミュが上体を起こすのを手伝った。
「骨折したのは足だけだね」
「ズキズキする。特に右足。でも……左も痛いな」
 だんだん《本当に》痛い場所がはっきりしてきた。
 右脚が折れているのは一目瞭然だったのでそのままにし、左脚を動かしてみた。
「痛たたた」
「左も折れてるの?」
 ラシャはカミュの靴を脱がせて指を動かした。
「足の指、自分で動かせる?」
 カミュは指を動かすことができた。
「骨は折れてないみたいだ。打撲かな。ジンの薬箱が欲しい……。落としてくれないかな」
 しばらく山頂を見上げていたが、ふと思いついたようにラシャは懐から紙と筆を取り出すとすらすらと書きつけ、ラミナスの角に結びつけた。
「悪いけど、もう一度登ってくれる? ジンの薬箱を持ってきて」
 ググッ
 ラミナスは飛び跳ねるように駆け出したかと思うと、崖に飛びつき、そのままの勢いで駆け上って行った。


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助け合い

 黒岩岳頂上では入門組五人が円状に座っていた。
 誰も何も言わず、シーンとしている。
 目的地に到達したにも関わらず、あまり喜べる状況ではない。
 五人だけは頂上にたどりついた。二人欠けているが、それでも合格できるのか。あとの二人はどうなる?
「暗くなってきた。もう夜だな。二人が今日中にここまで来るのは、やはり無理だよな」
 トールは腕組みをしながら珍しく渋い顔。
「何か来たぞ!」
 ググッ、ググッ
「シーボクじゃないか?」
「ってことは、二人を乗せて上がってきた? 早いな」
 しかし、上がってきたのはラミナスだけで、ラシャもカミュも乗ってはいない。
 ググッ、ググッ
 ラミナスは角でジンを押した。
「な、なんだ?」
 最初は意味がわからず、避けてしまったが、さかんに押してくるシーボクの角に結ばれている紙に、まもなくジンも気がついた。
「これは……」
 ジンが紙を広げるとトールも覗き込んだ。
「手紙か? は! やっぱ生きてる。さっすが、ラシャさんだ。でも、薬が欲しいってことは怪我してるんだな」
 ジンはさっそく薬箱を背負い袋から取り出し、別の小さな袋に入れて、ラミナスの胴まわりに備えつけた。
「頼むぞ!」
 ラミナスはググッっと一声上げると駆け出した。そして、崖っぷちで跳ね上がった。ラミナスが跳ねた先に地面はない。
「うわっ、大丈夫なのかよ」
 トールはラミナスが飛んだ崖に寄って、首を出すようにしてラミナスの姿を目で追ったが、もう何も見えなかった。
「はやっ」
「とても野生とは思えない従順さだ」
 ジンはひたすら感心していた。
「ラシャさんの友達らしいからな」
「うん。野生のシーボクをよくここまで手懐けたもんだ」
 シーボクは頑固で、家畜化したものでも人の指示に素直に従わないことがある。まして野生のシーボクは通常、人に寄り付かない。

 崖の下、カミュはミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「これでよし!」
 カミュの足を固定し、血の出ている額に包帯を巻き、応急処置を済ませたラシャは立ち上がった。
 カミュは、あまりよくないと言いたげな表情だったが、せっかく介抱してもらったのに文句も言えない様子。
 不恰好に太くなった腕や足。固定の必要のないところまで固定されて、動くに動けない。
 不満そうなカミュに、ラシャは口をとがらせた。
「薬部の会士みたいなわけにはいかないよ。こんな大怪我の治療なんて、したことないもん」
「も、もちろん。いいんだよ。ありがとう」
 カミュは唯一思うように動かせる顔を精一杯の笑顔にした。
 ラシャは空を見上げた。
「行こう」
「どこへ?」
「決まってるだろ。頂上だ」
「えっ、これから登るの?」
「カミュはあきらめが早すぎるよ。まだ今日は終わっていない」
「でも、もう暗いよ」
 まだ真っ暗ではなかったが、刻一刻と闇は深まっていた。頼りの月も厚い雲に覆い隠されがち。
「カミュは怪我をしているから、シーボクが使える」
「で、ラシャさまは?」
「僕は足で登る」
「この崖を?」
 ラシャはたった今二人が落ちてきた崖をまじまじと見上げた。
「こいつはさすがに無理だ。もっとちゃんとした道具がないと。シーボクでも単独ならともかく、人を乗せて上がるのはどうかな」
「じゃあ……」
「もう一度、登るんだ」
「今日の道?」
 ラシャはこっくりとうなずいた。
 カミュは上半身に大きな怪我がないとは言っても、鐙もないシーボクにバランスよく乗ることは難しそうだった。
 ラシャはカミュをラミナスの背に縄で縛り付けた。
「気分が悪かったら言ってね」
「うん」
 シーボクとそれに乗った(くくりつけられた)カミュ、そしてラシャは再び山を回り込み、夕方と同じ登り坂に挑むこととなった。

 十分に明るかった一度目より、全身の感覚を研ぎ澄ますようにして進んだ。もっとも、暗くても、目が慣れれば、ある程度は見える。
 シーボクにとってはまったく問題ないようだ。相変わらず軽々と進む。
 ラシャとしてはそんなシーボクの先導についていけばいいだけでも助かっていた。
 しかも、ところどころ例のグググッという声で警告してくれる。「足場が悪いぞ」「すべるぞ」と。
 この分ならなんとか《今日》のうちに頂上までたどりつけるかと思った矢先、ラシャの額に冷たいものが落ちてきた。
「あれっ……雨?」
 水滴がポツポツ……。まもなく、ボトボト落ちてきた。
「まずいな。早く登らなきゃ」
 雨は次第に激しさを増し、ザアッとやってきた。
 足場がすべる。なかなか進めない。
 どんどんペースが落ちていく。
 しかも、焦れば焦るほど、足を踏み外すことが多くなった。
「落ち着け、落ち着くんだ」
 ラシャは自分に言い聞かせた。
「ラシャさま、大丈夫?」
 上からカミュが心配そうに声をかける。
「ああ、今行く」
 クオ~ン
 ラミナスも応援しているようだった。ラミナスにとっては雨もあまり関係ないらしい。
 だが、ラシャは雨に打たれて一気に疲労感が増した。登るより、滑って下降する距離のほうが長いように思われた。
「ちっとも進まない」
 ラシャは岩に這いつくばりながら、目をつぶってしばらく考えた。
 そして刀を抜いた。

 竜騎兵の国へ行ったとき、切羽詰った状況で刀に黄金の光をまとわせ、龍の子チビのつながれていた鎖の錠を壊し、竜輝兵とも戦った。全身鎧のようなリュウをも傷つけた黄金の刀なら岩をも砕くに違いない。
 ただ、その後、剣山に帰ってからどんなに練習してみても、いつでも出せる技とはならなかった。黄金の光はいまだに恣意的に用いることができない。

 ラシャは目の前の岩山を登ることだけを考えた。
「光あれ!」
 ラシャの目に力がこもった。次の瞬間には、逆に全身から力が抜け、刀が光を帯びた。
「ふん!」
 光る刀は岩を斬る。あるいは、溶かす。
 ラシャは刀を岩に突き刺して這い上がった。刀を抜いた跡にできた窪みは足をひっかける踏み台にした。
「いいぞ。これなら進める。せっぱつまらないと使えないってのが、この技の難点だけど」
 カツン。
 刀が光を失い、岩にはじかれた。
「うわわわわ。だめだ。余計なことを考えちゃいけない。集中、集中」
 しかし、刀は、もう光らなくなってしまった。
「集中しすぎてもダメなのか? え~っと、さっきは、どうやったっけ?」
 雨はやまない。
 濡れた体が冷えてきた。
「ううっ、寒い。とにかく進むんだ」
 一箇所にとどまって発光術の研鑽にはげむより、今は一歩でも二歩でも進むことのほうが先決だった。抜いた刀は納めず、杖のようにして使った。 
 遅々としていたが、そうやって何とか岩を登りきった。最後のほうは、傾斜が緩やかになったわけでもないのに、どういうわけか比較的楽に登れたような気がした。

 登ってきたラシャをシーボク上のカミュが不思議そうに見ていた。
「ラシャさま、何か光ってない?」
「え?」
 ラシャはふと手元を見た。その瞬間に消えてしまったが、それは黄金の光。
 手だけではなく、全身がうっすらと光っていたようにも思う。
「光ってたんだ。登りやすくなったのは、そのせいか……」
 体が光っていたことに自分では気がつかなかった。やはり、使おうと思って使える技ではないのだ。

 ラシャは前方を仰ぎ見た。
 ここからはもう黒岩岳頂上が見える。そこにたどりつくためには、二人が踏み外した例の険しい尾根を越えなければならない。
「あとは、また尾根道だね」 
 カミュは不安そうにラミナスの頭を見た。ラミナスが急に動き出した。
「うわああっ」
 シーボクは何食わぬ様子で進んでいく。
 カミュは目をつぶった。
 ラシャが頂上に向かって叫んだ。
「みんな~、今、行くよ~」
 黒岩岳の仲間もラシャの声を聞いて、頂上から顔を出し、尾根道に注目。
「登ってきたか!」「こっちだぞ~」「まだ間に合う!」
 カミュを乗せたラミナスの後をラシャは全身目にして尾根を行く。
 月は雲が覆い隠し、十分な明かりを得ることができない。
 ここでもシーボクの先導はありがたかった。音で先の足場の様子がわかる。
「また光らないかなあ?」
 黄金の光、照明としても使えるのでは? と思ったのだが、期待に反して、もうラシャの手も体も光らなかった。
 二人と一頭はゆっくり進んでいった。
 シーボクは本来もっと速く進めるのだが、後ろのラシャに合わせてくれているようだった。
「着いた! 今、行く~」
 そう言って駆け上ろうとした瞬間、ラシャの足を乗せた岩が動いた。
「しまった」
 ここで落ちたら、もう間に合わない。今日中にもう一度登って目的地にたどり着くことは不可能だ。
「ラシャさま!」
 カミュは倒れかかるラシャに手を伸ばしたが、届かなかった。
 シーボクにくくりつけられたカミュには、もうどうすることもできない。
 クオ~ン。ラミナスも悲しげに鳴いた。
 ラミナスの後ろにラシャはもはやいなかった。
「ラシャさま! そんなあ……、あと少しだったのに」
 カミュの目からは涙があふれてきた。

 シーボクは首を前後左右に振り、どちらに行くべきか迷っているようだった。
 クオ~ン、クオ~ンと鳴き続けた。
 しかし、そのうち鳴き声が変わった。
 ググググッ、ググッ。
 また何事もなかったかのように進みはじめた。
 尾根を渡りきり、少し傾斜のある道を上り、黒岩岳山頂へと向かう。
「シーボクはあきらめが早いんだな」
 一瞬だけ、悲しそうに鳴いたものの、もうラシャのことなどどうでもいいように見える。やっぱり、しょせん動物……、そんなことを思いながらカミュはラミナスに揺られていた。

 黒岩岳頂上では、カミュを乗せたシーボクが上がってくるのを見たトールが元気な声を張り上げた。
「よおっ、間に合ったな」
 そして、ラミナスにもねぎらいの言葉をかけた。
「ご苦労さん。大活躍だな」
 グググググ
 シーボクは声色が単調で無表情だが、それでも褒められて喜んでいる様子が伺える。
 カミュの縄をときながら、ジンもうれしそうだ。
「よく上がってきた」
「ラシャさまとラミナスのおかげだよ。でも、ラシャさまは……」
 カミュはべそをかきながら、下を向いた。
「僕がどうしたって?」
「えっ?」
 カミュは顔を上げ、声のほうを見た。しかし、暗くてよく見えない。
 ラシャが近づいてきて、カミュの背に触れた。
 カミュは何度も瞬きした。ラシャの顔に触れて確かめた。
「すごい、どうやったの?」
「意外なやつが助けてくれたよ」
 ラシャはケインを指差した。
 ケインは袋を開けてごそごそしていた。
「ふん。借りを作りたくなかっただけだ。それに不合格になりたくないしな」
 縄をまとめて背嚢に仕舞っているところだった。
「あれを僕に投げてくれたんだ」
「もう少し遠かったら届かなかった」
 と少し照れくさそうなケイン。
「間一髪だったな」
 トールはケインの肩に手を回した。
 何かとジェスチャーが大仰なトール、このときもケインを抱きつぶしそうだった。
 

 風が吹いた。
 ラシャとカミュは身震いがした。
 雨はもう上がっていたが、濡れているので強風に当たると凍えるように寒い。
「とにかく、小屋に入れ。ここの小屋は狭いけどな」
 トールはカミュを抱き上げた。
 ラシャはその後に続いて小屋に入った。

 七人やっと入れるぐらいの小さな小屋だった。
「俺たち、受かったのかな?」
「さあな」
「剣山に帰るのが恐いな」
「じゃあ、このままここにいるか?」
 七人には必ずしも合格の自信はなかったが、冗談に笑いあう余裕が生まれていた。
  

 師匠たちも夜中までしっかり起きて受験者たちを監督・観察していた。
 剣山の《目》カズはすべてを報告し終わると疲れきって、机に倒れ伏した。見ること自体はいつもの仕事、たいした負担ではないが、今日は逐一実況報告しなければならなかった。
 しかも、周りからいろいろとうるさく注文が入る。入門担当師匠のゴンは教え子の行動が気になるし、初級のスズリもまた、まもなく担当することになるであろう現入門組の受験者を見たがった。
 上級担当のカブトは上級者についての報告を要求した。
 総長ナグールはとりわけラシャが気になるようで、ラシャが仲間から離れたときなど、カズは三箇所の報告を同時に行わなければならなかった。
「ご苦労さん」
 ゴンとスズリがねぎらって声をかけると、カズは顔を伏せたまま軽く手を上げた。
「なんとかたどり着いたようだ」
 ほっとしたゴンは椅子の背にもたれて大きく吐息をもらした。
「ぎりぎりだったな」
 ナグールもまた乗り出していた身を引き、椅子に深く腰掛けた。
「一応、合格ですか?」
 スズリは顎ひげを指に巻いていた。
「うむ、全員合格……か?」
 ナグールはその場の師匠たちを見回した。誰にも異議はないようだった。
「息が合っているとも、協調性があるともいえない組だが、奇妙な面白さがありますな。ぎりぎりのところで助け合うというか」
 スズリはまもなく自分の担当となる進級者たちをそう評価した。
「この試験を通じて助け合う関係ができたように思われます」
 ゴンはうれしそうだった。教え子たちの敢闘、何より中の悪いラシャとケインの和解(?)がうれしかった。
「そうかね」
 ナグールの瞳は暗く重々しかった。例によって遠くを見ているような目であった。

 第九章 『昇級試験』 完


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鳳凰の舞 10 ~昇級試験~


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著者 : 慈鈴(じりん)
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