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ご挨拶とお詫び

みなさまこんにちわ「映画に宛てたラブレター6月号」をお送りいたします。なお、epubファイルにてダウンロードしますと「パレードへようこそ」の記事が途中で途切れるトラブルが発生いたしました。恐れ入りますが、ストリーミングで閲覧いただくか、PDFにてダウンロードしていただきますようおねがいいたします。

 

2015年6月5日 天見谷行人


パレードへようこそ

パレードへようこそ

2015年5月25日 シネリーブル神戸にて鑑賞

 

実を言うと、イメルダ・スタウントンが出演している、というだけで、観に行った作品です。この何の変哲もないおばさん(失礼)が主演した「ヴェラ・ドレイク」(監督マイク・リー)予告編 

という作品を見て、僕はノックアウトされたのです。人懐っこくて世話焼き、親切を絵に描いたようなご近所のおばちゃん。その人が、こっそりと望まれない命の処分をやっていたとは……。

ちなみにこの作品、2004年のヴェネチア国際映画祭、金獅子賞に輝いております。

そのイメルダ・スタウントンが出演する本作。意外にも彼女の出番は少なかったですね。ちょっとがっくり。

物語の舞台はサッチャー政権下、1984年のイギリス。この「鉄の女」と呼ばれた首相がどのような政策を行ったのかについて、やや予習の必要ありと感じました。

ロンドンのゲイやレズが集まる団体が、炭鉱町である、ウェールズ地方の労働組合と団結し、偏見や差別、そしてサッチャー政権と闘うというストーリーです。

そもそも、なぜ、ゲイやレズの団体が炭鉱町と共闘しようと思い立ったのか?

その辺りが案外あっさり描かれておりまして、もう少し、強烈な動機の提示が欲しかった気がします。これは事実に基づいたお話なのだけれど、意外に説得力に乏しい気がしますね。やはり、労働運動はなるべく多くの人を巻き込む方が効果的。だけど、その支援を申し出てくれたのが、まさか「同性愛者の団体」であったとは? これには労組側も頭を抱えるわけです。果たして、支援を受け入れていいものやら? こうした支援される側、炭鉱町労組の人たちの戸惑い、混乱ぶりはよく描けていたように思います。

ところで、イギリスの映画を観るときに気をつけておいた方がいいのが、みなさんご承知のとおり「お郷」の問題。これはイングランドのお話なのか? それともスコットランドなのか? はたまたウェールズ地方なのか? 僕たち日本人は「イギリス映画」と一括りにしますが、イギリスとは、それぞれのお郷が集まった「連合王国」なわけですね。本作の舞台でもあるウェールズ地方の人たちの発音をよく聞くと、おもいっきり「訛っている」ことに気付かされます。そういう違いを見つけながら鑑賞するのも、洋画の楽しみ方の一つかと思います。

さて、同性愛者への偏見を持たないで付き合えるか? 色メガネで見ない、と断言できるか?と自分に問えば、僕もやっぱり100%偏見がないわけじゃない。ちょっと、身構えちゃうわけですね。ましてや、親の立場から見れば、手塩にかけて育てた自分の息子が、”実はゲイだった”となれば、ご近所や世間に対して一家の面目丸つぶれになりかねない。本作で同性愛者団体の一番若いメンバー、ジョー(ジョージ・マッケイ)がまさにその典型。優等生ですくすく育ち、思春期にも、親に反抗らしいことをしたことがありません。その彼が、まさか”ゲイ”の団体で活動していたなんて。ジョーにしてみれば、まさにこの”ゲイ”への偏見と闘うことこそ、大人への階段をひとつ上る行動だったのでしょう。しかし、その未来には「普通の」「ストレート」の人が上るより、はるかに厳しい階段が用意されていることでしょう。本作は主にこの若いジョーの成長に寄り添うような視点が多用されております。イメルダ・スタウントンという、あまりのビッグネームに当初は目を誤魔化されてしまいそうですが、若いジョーの成長と自立という面から、本作を鑑賞すると、また違った評価ができそうです。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

 

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作品データ

監督   マシュー・ウォーカス

主演   ビル・ナイ、イメルダ・スタウントン

製作   2014年 イギリス

上映時間 121分

予告編映像はこちら

「パレードへようこそ」予告編

 

 


シンデレラ

シンデレラ

2015年6月2日 イオンシネマ明石 にて鑑賞

さあ、かぼちゃの馬車で参りましょう。

 

~ワンスポンナタイム、ロングロングアゴ~、

昔々、あるところに小さな王国がありました。王さまは、ご高齢で、病を抱えております。王様には一人の若い王子がおられます。王子はある日、鹿狩りに出かけました。その時、森で偶然出会った娘に一目惚れをしてしまいます。しかし、娘は名前も名乗らず、王子のもとを立ち去ってしまいます。この娘「エラ」は貿易商の父と母の元、幸せに暮らしておりました。しかし、母親の死後、父親は、とある未亡人と再婚。この夫人にはすでに娘が二人おりました。父はこの再婚相手の夫人と、二人の新たな娘を家に迎え入れます。エラに不幸が続きます。父が旅先で病死。一家の主となった継母とその二人の娘は、エラにつらくあたります。家事の全てを彼女に押し付け、部屋も寒い寒い、屋根裏部屋をあてがいます。エラはたまらず暖炉の残り火のそばで眠るほどです。寝起き顔のほっぺに煤をつけたエラを見て、継母や義理の姉妹たちは「灰かぶりのエラ」(シンデレラ)と”あだな”をつけてこき使うのでした。

さて、王子は、あの森で出会った娘が忘れられません。国王は自分の命がもう永くないことを悟っています。早く王子に、どこかの国の王女と結婚させたい。そこで王子の結婚相手を探すため、各国の王女を招いて、大舞踏会を催すことになりました。その折に、王子は一計を案じます。国中の未婚女性を、この大舞踏会に招待する、と宣言したのです。王子はこの舞踏会で、あの森で出会った娘を見つけようとするのです……。

本作は言うまでもなく「シンデレラストーリー」という言葉の源になった、誰もが知っているお話。それをいまさら、どのツラ下げて映画化しようというのでしょうか? もし自分が映画監督なら逃げ出すでしょう。

よほど、映画づくりへの自信と勇気、心臓に剛毛を生やしたような人物でないと、監督および役者さんは務まらないでしょう。ちなみに監督は、シェークスピア劇など、歴史物への造詣が深いケネス・ブラナー氏。キャスティングも的確ですね。

シンデレラ役のお嬢さん。リリー・ジェームズ、よかったなぁ~。探せばこういう女優さん、いるんですね。けっしてグラマーではなく、目、鼻、口のつくりも馬鹿でかくない。いわゆるアメリカ式の美人ではない感じ。調べると、彼女イギリス国籍なのですね。本作の主役として気品もあり、申し分ないと思います。しかし。欲を言えばですよ。ああ、もし神様が魔法を使うことをお許しになるのなら、この「シンデレラ」こそ、あの伝説の大女優、オードリー・ヘップバーン王女様が演じるべきでありましょう。

無い物ねだりはさておき、本作で特筆すべきはケイト・ブランシェットさんでしょう。

エリザベス女王の役さえ演じたことのある、アカデミー賞を受賞した大女優さんですね。

業突く張りでわがまま勝手、意地悪な継母役を、それはそれは、実に楽しそうに、大仰なマイムで怪演しておりまして「ああ、やっぱり、役者さんって、悪役演じるのは楽しいのね」と納得してしまうのであります。

シンデレラといえば、数々の必須アイテムがありますね。本作でも、あの「かぼちゃの馬車」が出てきます。魔法使いのおばあさん(ヘレナ・ボナム=カーター)が、かぼちゃを馬車に仕立ててくれるんですが、それはもちろんCG。だけど、そのあと馬車が舞踏会をめざして王宮に向かうところや、到着してシンデレラが馬車から降りるシーン。これをみると、この豪華絢爛たる馬車は実物かしらん? と思わず見入ってしまいました。それぐらいリアルです。まあ、ディズニー映画なんで、制作費はふんだんに使うでしょうから「リアルかぼちゃ馬車」をつくちゃっても不思議ではないです。

西洋にしろ、日本にしろ、映画で昔話、時代劇を観ることの楽しさ、醍醐味はなんといっても、衣装やお城などに代表される舞台装置、美術ですね。

王子様がお暮らしになっている王宮。舞踏会が催される大広間。クリスタルガラスがキラッキラに煌めく巨大シャンデリア。音楽好きな方ならご存知でしょう。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが開かれる楽友協会大ホール。あのシャンデリアにそっくり。

シンデレラは子供の頃から動物たちとお話ができます。家で飼っている小さなネズミや、トカゲ、アヒルたちとも仲良し。魔法使いのおばあさんは、彼らをかぼちゃの馬車の従者に変身させて、一緒に宮殿に向かわせます。ここで、あの有名なお約束。

「魔法の効き目は12時までだよ。それまでに戻ってくるんだよ」

素敵な時間が過ぎるのは夢のように早いものです。

深夜12時の鐘が鳴る。魔法の効き目はもう、終わろうとしています。早く帰らなければ。宮殿の大階段を慌てて駆け下りるシンデレラ。その時おもわず残してしまった「ガラスの靴」。

世界中の人たちが知っている、この一連のストーリー展開。お話の先はもう見えている、結末さえ分かっているけど、なぜか物語の世界に引き込まれる。それこそ、本作が優れた脚本と演出手法であることの証明でもあります。

映画の中で、「我が国は小さな国です。国の安寧のためにも、王子に大国の王女をお妃に」と、側近が王様に上申するシーンがあります。

う~む、国の安全保障の問題ですな。日本の戦国時代、や江戸時代はもとより、ヨーロッパの各国は、まさに国の安全保障のため、政略結婚を繰り返してきた、そういう歴史の積み重ねなのですね。陸続きで、列強に挟まれた小国の運命のはかなさ。王族の政略結婚に、国の未来を託さざるを得ない事情。海に囲まれた島国の日本とは、そのあたりの皮膚感覚が違うのでしょう。こういうところをさりげなく描くところなど、本作が大人の鑑賞に十分耐えうる要素を持っているところだと思います。

以前、池波正太郎さんの映画のエッセイで「ハリウッドの大作は、それだけで一見の価値はある」という一文を目にしたことがあります。

このところ、シリアスで、世の中が嫌になるような、ちまちました映画作品ばかり観ていたような気がします。しかし、本作を見て、救われる思いがしました。

映画は、ほんのひと時でも、現実を忘れさせてくれます。映画は夢の世界を歩いてもいいのです。映画は無限の想像力を働かせていいのです。

美しいものをより美しく映画として撮る。そんな当たり前のことを、僕はしばらく忘れていたようです。本作を見ながら、その美しさに、なぜか思わず涙ぐんでしまった、純情可憐な、お腹突き出た55歳のオヤジなのでした。では参りましょうか「かぼちゃの馬車」で夢の世界へ。

*****

(なお、本作上映の前に短編「アナと雪の女王/エルサのサプライズ」がご覧になれます。僕は吹き替え版で見たので、神田沙也加のアナ王女、松たか子のエルサ女王に再びスクリーンで出会えました。これはちょっと得した気分ですね。お客さんを映画館に引っ張ってくる手段として、過去に大ヒットした作品のキャラクターを使って新作短編をつくり、それこそ女性向けファッション雑誌の「オマケ」「付録」のように、封切り映画とワンセットで公開する。これは、映画界活性化のためにも、大いに有りだとおもいました)

 

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   ケネス・ブラナー

主演   リリー・ジェームズ、ケイト・ブランシェット

製作   2015年 アメリカ

上映時間 105分

予告編映像はこちら

「シンデレラ」予告編


龍三と七人の子分たち

龍三と七人の子分たち

2015年5月10日 OSシネマズミントにて鑑賞 

 

爺いヤクザの仁義をみせてやるぜ!

 

「タケちゃんも歳とったのかなぁ~」というのが率直な感想。

この映画は、引退した元ヤクザの爺さんたちが、若い詐欺師集団と対決するお話である。

主人公の龍三(藤竜也)は元ヤクザである。背中一面に彫り物がある。義理と人情、仁義を重んじる「体を張った」古いタイプのヤクザだ。久しぶりに昔の「兄弟分」を呼んで一杯やろうや、と思い立つ。まあ、ヤクザの老人会である。

龍三はある日、オレオレ詐欺にひっかかった。

どうやらこの詐欺グループ、元暴走族などの連中を巻き込んで、合法的な会社組織にしているようだ。立派なビルを借りて事務所を構え、ビジネスとして「オレオレ詐欺」の業務に、日夜いそしんでいる。

「俺たちのシマで、生意気な小僧がなにをしやがる」

龍三じいさんと、七人のヤクザ老人たちは、一致団結して、この詐欺師集団と対決しようとする。それを本作では、全編に渡り、コメディタッチで描いてゆくのである。

安直な世代論にするつもりはなかったのだろうが、本作において北野武監督は「イマドキの若いモン」の、小手先で器用に世の中を渡って行く「ずる賢さ」とか「したたかさ」とかが、もう、ハナについてしょうがなかったのだろう。そういう若い連中に一丁、文句を言ってやろう、もっと真正面にぶつかってみろ、というメッセージ性を僕は感じとってしまった。

ところで僕は以前、レンタカー屋さんで、車洗いのアルバイトをしていた時がある。店舗のスタッフは、店長を含め、皆若かった。春になると、店舗には新入社員が配属されてくる。その働きぶりを見ていたのが、入社数年目の、とある二十代女性スタッフ。休憩時間にタバコのけむりをプカァ~っとフカしながら、彼女が放った一言。

「近頃の若いモンは、全く……」

会社をリストラされた四十八歳、中年オヤジの僕は、その光景を「ふぅ~む」と眺めた。

若いモンには「若いモン」同士で、世代間ギャップがあるのだ。言い出したらきりがない。

まあ、この映画、一般受けはするんでしょうな、と僕は思う。

ただ「アウトレイジ」をすでに観た人が「あれはヨカッたな」とおもって本作を観ると、ちょっと肩透かしを食らうことは確かだ。

「アウトレイジ」は北野武監督の映画作家としての感覚、センス、切れ味の良さ。それを感じさせてくれる作品だった。いわゆる「エッジの効いたヤクザ映画」である。

本作はそれとは全くの別ジャンル、と考えたほうがイイ。あくまで本作は「娯楽映画」であり「コメディ映画」なのである。

にもかかわらず、北野武監督は、本人も意識しないうちに、作品の中にメッセージを込めてしまう。それは映画作家としての性分というか、いわゆる「業」のようなものではないかな? とおもってしまうのだ。

それは映画本編で描かれる、オレオレ詐欺集団の、手口のずる賢さなどに見て取れる。また、その若者たちが、どうしてそのような集団に組み込まれていったのか? その過程は本作では描かれていない。つまり、北野武監督は、本作に登場する若者について「親近感を抱いていない」という立場を取っている。

僕が感じた北野監督の「イマドキの若いモン」への反発、というのはそういうことだ。

それに比べて、藤竜也演じる龍三や、近藤正臣、中尾彬、などのメンツが演じる、爺さんヤクザたちの生態、性分。その「義理と人情と仁義」を重んじる古いタイプのヤクザたちへの哀愁。

「昔は良かったよなぁ~」という北野監督の、ため息とつぶやきを映画の裏側に見てしまうのである。まあ、スカッと楽しめる映画ではあり、クセはなくて、万人向きです。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   北野武

主演   藤竜也、近藤正臣、中尾彬、ビートたけし

製作   2015年 

上映時間 111分

予告編映像はこちら

「龍三と七人の子分たち」予告編


あん

あん

2015年5月30日 イオンシネマ明石 にて鑑賞

「あ」・「ん」への飛躍と解放

 

シネコンで、河瀬直美監督作品を観るというのはどんなものだろう。不思議な感覚である。商業映画の対極にあるアート系、芸術作品に限りなく近い作品を作ってきた人である。シネコンの座り心地のよいシートに座って、あたりを眺めてみる。結構、おっちゃん、おばちゃんが多かった。このひとたち、きっと、本作の女流監督さんが「カンヌ国際映画祭」の審査員を務めたこともある人だなんて、きっと知らないだろうなぁ~、などと思う。

いかんいかん、これも先入観だ。

いつも映画を観るときは予備知識なし。ニュートラル。

僕も、映画のことなど何もわからない、ど素人でいたい。そこらへんにいる、おっちゃんの一人として、作品そのものに接していたい。

僕はそういう風に映画を観ようと、いつも思っている。

どら焼き屋の雇われ店長、千太郎(永瀬正敏)は、ある事件から、この店のオーナー(浅田美代子)に莫大な借金がある。彼が一人で切り盛りしてきた、この小さな店舗は、ある種の「鳥かご」でもあり、彼はその中で飼い殺しにされてきた、鳴かない無愛想な鳥であるのかもしれない。

この、どら焼き屋に毎日のように立ち寄る、中学三年生のワカナ(内田伽羅)。彼女は一羽の鳥を飼っている。ワカナの母親は、この籠の鳥が狭い自宅の部屋で鳴くのをうっとおしい、とおもう。

「もう、この鳥、どうにかしなさいよ」と娘のワカナに文句を言う。

ワカナには父親がいない。母親とは口もきかない。心を許せるのは、この籠の鳥だけだ。

ある日、千太郎のどら焼き屋に一人のおばあちゃん、徳江さん(樹木希林)がやってくる。

「アタシ、五十年、あんを炊いてきたの。ここで雇ってもらえないかしら」

徳江さんは、自分で炊いたあんこを千太郎に渡した。

千太郎は決してこの店を繁盛店にしようとか、行列のできる店にしてみせよう、という熱意はない。

千太郎はもともと甘党ではない。どら焼きが好きでもないんでもない。というより、そもそも彼は、どら焼きを一個まるまる食べたことすらないのだ。

店で使っている「あん」も一斗缶に入った「業務用」のあんを使っている。

千太郎と「どら焼き」との距離感については、情熱や愛情とは程遠いものがある。あくまで「雇われ店長」であり、「仕事」なのである。

オーナーに借金を返さなくては……。

その義務感から、毎日もくもくと、女子中高生相手に、どら焼きをつくり続けているだけなのだ。

一度は徳江の申し出を断った千太郎。ただ、五十年あんこを焚き続けてきたおばあちゃん、ということがひっかかった。ためしに徳江が置いていった「あん」を指で一すくい、口の中に入れてみた。その味は、千太郎の舌に、体の奥底に、波紋のように広がる。衝撃の味わいだった。

千太郎は徳江を雇うことにした。やがて千太郎の店のどら焼きは評判を呼び、行列のできる「どら焼き専門店」となる。しかし、ある日、パタリと客足が止まった。

雇っている徳江が「ハンセン病患者」であることが、噂として広まったのだった……。

徳江は「あん」を炊くときに小豆に向かって話しかける。

「がんばりなさいよ~」

自分は、ずっとハンセン病患者として、隔離された専門病院で人生を過ごしてきた。外の世界とは隔絶された空間。

そして彼女は、あんを炊くことを人生の楽しみとしてきた。

彼女にとって「あん」を炊くことは、材料である小豆との会話なのだ。

「あんたは生まれてきてよかったんだよ」

「美味しい”あん”になろうね」

徳江さんは小豆と自身へ語りかけている。

 世の中から「消された存在」として生きて来たハンセン病患者、その自分の元へ、外の世界からやってきた小豆。目のまえの小豆は、誰に、どのように育てられ、どんなドラマを経て、何のいきさつで、隔離病棟にやってきたのだろう? そんな小豆を徳江さんは”愛おしい”と思うのだ。

「あん」という「言の葉」について。

「あ」と「ん」は日本語のひらがな表記の最初と最後の文字である。小豆を煮詰めた集合体である”あんこ”が「あん」という象徴的な二文字で表すことが出来る事。しかもそれが、ひらかなの最初と、最後の文字。いわば、たった二文字で、この世の全てを表現できる、という象徴的な意味。

原作者ドリアン助川氏が「あん」というタイトルを「発掘」した時の、感動と興奮はどれほどのものだっただろう? と想像してみるのである。

ハンセン病棟で、かごの鳥のように生き続ける徳江。

どら焼き屋の小さな「鳥かごのような」店舗の中で生き続けている千太郎

そして、母子家庭という「カゴ」から、今まさに飛び立とうとする、ワカナ。

本作は「精神の解放」のお話ではないか、と感じた。

「徳江」という存在はあらゆる制約の象徴でもある。

その徳江さんの手によって、小さな、小さな粒の小豆は、この世の全てを煮詰めた物質「あ」「ん」へと高次元に飛翔するのである。その味わいは、人の心に飛躍と解放の勇気を与える。

映画作りの作法について、感じたことを少し。

映画のタイトルからくる印象とは真逆と言っていい。

河瀬直美監督は観客に、あえて「甘ったるい」余韻を与えていない。

シークエンスの切り替えの潔さと厳しさが印象に残る。

こういうカット割りをする人は、きっと自分に対しても厳しいのだろう、と思う。お客さんに対してウケようとか、そんなこと全く考えていないように思えるのだ。

しかしながら本作は、紛れもなく商業映画としてのシステム、体裁をもって制作されている。

河瀬監督としては珍しく原作があるし、キャスティングもプロの名だたる俳優たちを起用した。しかも、エンディングには秦基博の楽曲が使われるなど、いかにも一般の客受けを意識した印象が濃い。

公開直前には、主演の樹木希林や市原悦子までもが、珍しくテレビで番宣をおこなうなど、プロモーション活動も活発に行われている。

こういう、金のかかった商業映画は元が取れなきゃ、終わりである。

主人公の千太郎ではないが、莫大な借金を抱えて、身動き取れなくなる。

次の映画はもちろん撮れなくなるし、最悪、監督の家族は路頭に迷うことになる。

数字も取れて、内容も面白い、難しいことを易しく、そして味わい深く。そんな作品がなかなか生まれてこない。

「嗚呼……」と深いため息をつきつつも、なぜか僕は映画館に通う。「奇跡の一本」に出会えるかもしれない、という淡い期待を込めつつ。

本作はその「あん」という内容について、相当丹念に、手間暇かけて煮詰めた作品であることは、疑いようもなかった。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   河瀬直美

主演   樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市原悦子

製作   2015年 日本、フランス、ドイツ合作

上映時間 113

予告編映像はこちら

「あん」予告編

 



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