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夕暮れ

まあ、どうしてこんなことを考えるようになったのか。頭が痛い。

 

私はどうしても自分の今の姿を鏡で見たい。

そうしたら、すべてを受け入れよう。

しかし、それもできない状態でここでいて、それを受け入れろというのは、今の私には少し酷だ。

 

私は妻とピアノの発表会から帰ってくる娘を、駅まで迎えに来ただけだ。

もう少し時間がある--10分くらいだ。

このくらいの時間差なら、誰でも相手が来るのをじっと待つだろう。

私もそうだ。

本当は座っていたかったが、あいにく椅子がない。

乗ってきた車は、少し遠くに止めてきた。

 

だから立って待っていた。


失礼

ボーっとして待っていた。

ただ立って

動かず。

 

そうしたら坊やがやってきて

バシバシ私をたたく。

「なんて失礼な子だ」と思ったが、

何も言わなかった。

すると母親らしき人が来て

「こら、柱は叩くものじゃありません」と言った。

子も子なら親も親もとんだ無礼者だと思ったが、何も言わなかった。

そうしてボーっと待っていた。

ただ立って

動かず。

 

そうしたら若い女性がやってきて、私に背を向け寄り掛かってきた。

「いったい何なんだ」と思ったが、何も言わなかった。

すると向こうから友人らしき人が来た。

「おまたせ。あれ?こんなところに柱なんかあったっけ?」と言った。

それは私のことを言っているのか、失礼なやつだと思ったが、何も言わなかった。


待ち合わせ

何も言わなかった。

そうしてボーっと待っていた。

ただ立って

動かず。

そうしたらやっと妻と娘が来た。

「おーいここだ。」と言おうとしたが、何も言わなかった。

すると妻と娘の目が合ったが、

私に気づいた気配がない。

そうして、私の方に近づいてきて、妻が

「アケミ、この柱で待っていてね。お母さん、お父さんを探してくるから」と言って去って行った。

冗談のつもりかと思ったが、何も言わなかった。

娘に発表会はどうだったかこうとした。

そうしたら、何も言えなかった。

 

妻はとうとう私に気づかず、娘を連れて言ってしまった。

私はここだと言おうとしたが、言わなかった。

言えないような気がしたから。

娘と目があった。

娘は私に向かって「パパ」と呼んだが、

私は何も

言わなかった。


つなひき

神が宿った聖書は、ただの教科書にしか感じない。

ただの幻想・夢へのいざない

「神々はすべての人々との涙をぬぐい.....」

この世はすべて幸せに満ちるのだという。

ただのきれいごとには飽き飽きする

 

イエスが生まれた紀元元年

そこから長い時間を費やしているのに、すべての幸せは

今でも見通しが暗い。

将来ととともに、たくさんの問題が、私たちと歩んでいる。

 

「つなひき」で考えよう

一方が綱を引くと、もう一方は前へひかれる。

そうれあろう。

だれかが綱を引こうとする限り、綱に引き込まれる誰かがいるのだ。

 

ではみんなが綱引きをしなかったら、

誰かがひかれることも巻き込まれることも、なくなる。

そうして、もっと自由になれるのではないか。

そこに幸せはあるのかもしれない。

 

生まれた時から、手に綱がつながっている。

そんな世界がいま構成されている。

 

ただ、その綱を手放すかどうかが、私たちの選択なのだ。

 


ブドウ

その一粒のブドウに、たくさんの実が付いていて、一粒一粒おいしい実になっていました。

そのブドウはある日、もぎとられ、たくさんの笑顔の中で一粒一粒、甘い味を出していました。

 

「先生、先生」

そう呼ぶ女の子の声が聞こえます。

森が今年もまた紅葉をし始め、虫が夜を歌い、風が北風を運ぶ季節になりました。

春ならポカポカ温めてくれそうな太陽の光も、北風までは温めきれないそうです。

今、こうしてベンチに座り、小説を静かにふけり、新しい世界へ浸っている間も寒さを忘れません。

いつもより暖かい服を選んだのですが、あと少しのところで、今日は北風さんの勝ちです。

そういいながらも、私はこの肌寒さの中で、紅葉している葉、またそうなりきれないまま落ちているの葉を、特にみているわけでもなく、ただ何となく感じながら読書にふけています。

 

小さいころは北風さんが大嫌いでした。なぜかというともちろん寒いから。

でも今は北風さんは少し、えらいなあと思います。

木の葉を選んでは少しずつ少しずつ、落ち葉にしているからです。

落ち葉を掃除している人には迷惑な話だと思いますが、少しずつ時間をかけて葉を赤く染め、落ち葉を作り出し、私たちに一つの季節を呼び掛けています。

そして私たちはある日の夜の冷え込みと、朝の寒さからはじまり、外に出て紅葉している木々や山々を見て、そうしてまたある日に、そこに作り出される落ち葉を待っているかのように、自然を受け止めるのです。

 

私は去年と違う場所で、何も変わらない落ち葉とみたとこのない町並みで暮らしていかなければなりません。

大きな大きな町で、北風や鳥、虫の合唱がなんだか小さく聞こえる街です。

 

昨日のことです。大きな通りをずっと歩いていると、今まで縁のなかったような素敵な服が飾られておりました。

「どれでも好きなん一つ選び。ただし一着しか買うてあげられへんけど。」

その言葉に甘えて、どれにしようか迷っておりました。どれも素敵過ぎて、選べるかどうか不安になっていました。店の隣に、ブドウのモチーフがついたワイン屋さんがありました。ふとそちらに目をやると後ろから声が聞こえてきました。

「ぶどうねえ」

そうして、私に向かって言いました。

「人生ってね、ブドウに似ていると思わない?子供のころ、学生のころ、大人のころ、年寄りのころってさ。世間では第2の人生って言葉で大きく分けて表現しているけどね。子供のころは子供で、学生は学生、大人でも大人って一つにくくれないくらいいろいろあるから、そんなに大きく人生を区切れないよねって思うの。たとえば年単位での出来事もあれば、1日だけの出来事もいっぱいあるでしょ。まるでブドウ。ブドウは小さい実や大きい実がたくさんあって、私たちは今そのブドウの粒を、一粒一粒食べてるみたいよね。明日は明日の実を味わって、どれもどれもおいしい一粒を味わうのが人生だって思うの。」

その話は私も同感でした。

 

明日はどんな粒を食べよう。そうやって私たちは今生きてるんだって思うと、この街を楽しめる気がしました。


この本の内容は以上です。


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