1.南米に生息する不思議なナメクジ
「刑事さん。南米のジャングルにはね、不思議なナメクジがいるって、知ってらっしゃる?」
オレの目の前にいるのは、「天才的女泥棒」とまで言われる、宝石泥棒で有名な女。
女が、このビル最上階の宝石店に展示されていた五十カラットのダイヤ「ナイルの女王」を狙っていることは知っていた。
その「ナイルの女王」を、女は今、手にしている。
我々警察は、情報を元に厳重な警備を敷いていたが、女にまんまと裏をかかれ、ダイヤを奪われてしまった。
だが、今、オレたちは、女をこのビルの屋上に追いつめている。女の逃げる場所はない。
「知らん! そうやって逃げる時間を稼ぐつもりか知らんが、もう袋のネズミだ! おとなしく逮捕されろ!」
「フフフ、聞いて。 その不思議なナメクジはね、体の九九%が水分なの」
「それがなんだ?!」
「そのナメクジは、自分の体を蒸発させて、木の枝から、別の木の枝へと空中を移動するのよ」
「なっ?!」
オレは自分の目を疑った。しゃべっている女の上半身が、頭から霧のようになって消え始めている。
「こんな風に…」
目の前で、女の体は、着ている物も一緒に、「す~~っ」と消えていく。まさにそのナメクジが蒸発していくかのように。
道路を隔てた向かい側に、このビルと同じような高さのビルがあった。
消えかかっている女が、手で指し示す先の、そのビルの屋上に目をやると、な、なんと! 女の姿がある。
こちら側の女の姿が薄れ、逆に、小さく向かいに見えている女は、次第に輪郭がハッキリしてくる。
「クソッ! やられた!」
向かいの屋上の女が「ニヤッ」と笑っているのが分かる。手を振ってオレたちをあざ笑っている。
目の前にいたはずの女はもうここにいない。体を蒸発させ、こちらから向こうへと、空中を移動した女は、
身をひるがえし、向こうのビルの屋上のドアの中へと姿を消してしまった。
「追え! 追え!」
オレたち全員、その屋上をあとにして、向かいのビルに殺到したが、大勢の客に紛れた女を、ついに逮捕することは出来なかった。
不思議なナメクジが、南米のジャングルに生息していると、オレはずーっと信じていた。
あとになって、女に双子の妹がいたことを知るまで。
そして女が、過去、売れないマジシャンだったってことを知るまで……。
〈ion─ドキ出来ショート(683)〉
2.牙をむくヤツら!
このところシトシト長雨が続いていた。
その日、美弥は久しぶりの晴れ間となった休日、赤い愛車で町に出掛けた。
ショッピングを楽しみ、すっかり遅くなっての帰り、車は思わぬ事故渋滞にハマってしまった。
辺りは闇が迫っている。車の列は少しも動かない。
美弥は、朝来た道とは違う海岸沿いの道に迂回することにした。
意外にも選んだ道はガラガラに空いていた。だが、それもつかの間。
しばらく行くと前方に、進入禁止のトラ柵と黄色いランプの点滅するのが見えた。
「しまった」と思った。
けれども、近づいてみると柵は道の端に寄せられ、車一台分のすき間が開いている。
どうやら通行止めは解除されたらしいと勝手に解釈し、彼女は侵入することにした。
片側に山を削った急斜面がそそり立つ海岸沿いの道は、最近舗装し直されたばかりで、走行は快適だった。
スピードを控え目に、ためらいつつ進んだが、どこにも工事らしき箇所はない。
だが、前方にハザードランプを点滅させて停止しているワゴン車が見えた時、心に言いようのない不安が湧いた。
赤くブレーキランプを灯したまま、道の端に寄せている車に、警戒心から美弥は少し手前でブレーキを踏んだ。
愛車を左に寄せて停めると、そのワゴン車からドアを開けて男たちが降りるのが見えた。
街路灯の明るさで、離れていても彼らの顔がハッキリと分かる。アラブ系の外国人のようだ。
ジーンズに黒革のジャンパーという服装の若い男ばかり三人、手をバツ字に交差させ美弥の車に駆け寄って来る。
近頃、外国人の若者による暴行事件がニュースになっている。ハンドルを握る手に汗がにじんだ。
女一人で、渋滞を避けてとは言え、こんな淋しい道を選んだことを悔んだ。
男たちは大声で怒鳴り、運転席側の窓を荒っぽく叩いた。
一人は分からない外国語で、他の一人は日本語にも聞こえるが、訳の分からない言葉でわめいている。
怖ろしくなり発進させようとする車を、残りの一人が両手を拡げて立って、前を塞いだ。
男たちは更に激しく窓を叩き、「開けろ!」という仕草で威嚇する。
恐怖でパニックになった頭を抱え、身をよじって顔を伏せた時だ。
「ガスッ、ガスッ!」という怖ろしい音が耳に響いた。
見ると、男の一人が拳よりも大きな石でガラス窓を叩き割ろうとしている。
「キャーッ!」
思わず美弥が悲鳴を上げたのと同時に、砕けたガラスが飛び散った。
男の手が伸び、ドアロックが外され、ドアが大きく開かれた。
男たちの手が、叫んで逃れようとする美弥を捕らえ、車から引きずり降ろす。
「イヤーッ! やめてーっ!」
叫んで、必死に抗ったが、男の一人に、美弥の華奢な体はやすやすと抱え上げられてしまった。
男は、そのまま美弥を抱きかかえて走り、少し離れた側道の草むらに無造作に降ろした。
叫ぼうにも震えて声が出ない。
恐怖に体をこわばらせ、立ちはだかる男たちを絶望の目で見上げた時だった。
「ズズズズーーーーーンンンンン!」
不気味な地鳴りがした。
「グォロゴロゴロゴロロロォォーーンッ!」
岩の崩れる音と同時に、山側の斜面の上が大きくうねり、地響きを立てていくつもの黒い塊が落ちて来た。
男たちの向こう側、
美弥の目に、落下してきた巨岩に、彼女の赤い車が無惨に押しつぶされたのが映った。
〈ion─ドキ出来ショート(815)〉
3.女房
「どうしてうちの人をさそうの?」
ヤツの女房から、そう言われた。
次の仕事の誘いに、ヤツのところへ仲間と訪ねて行った時だ。ヤツが座を外した合間のことだった。
「わりいな。けど、ヤツは今度の仕事にどうしても欠かせねえんだ」
「もうやめて。うちの人には足を洗わせて…。いつか捕まるんじゃないかって、心配で心配で…」
「そいつはできねえ…」
「子供がいるんです…」
女は自分の腹をそっと押さえた。
「なに話してたんでえ?」
いつの間にかヤツが戻ってきていた。
「あ、たいしたことじゃないの…」
「イヤ、オメエがドジだって話してたとこだ」
女がオレを見る。本心からてめえのダンナを案じている目だ。
「オレがドジだぁ?」
「あんた、ちがうの」
「おめえは黙ってろ! アニキ! オレがいつドジ踏んだっていうんだ?!」
「オレたちの仕事に、もうオメエはジャマなんだよ」
「オレがジャマぁ?!」
「今度のヤマで失敗は許されねえ。捕まったらしめえだ」
「だからこそ、オレが必要なんとちがうんか?!」
「オメエは仲間の足を引っ張るだけだ」
「冗談じゃねえぜ! オレをハバにしようってえのか?!」
「もう、オメエはいらねえ。今日はそれを言いに来た。足、洗え」
「アニキ!」
「あばよ!」
ヤツの後ろで、女が涙をにじませて手を合わせていた。
ヤツが抜けたのは痛手だった。
オレたちは仕方なく、若いチンピラを引き込んで仕事を決行した。
だが、この若いのがとんでもねえ誤算だった。
けたたましくベルが鳴り、パトカーが駆けつけ、オレたちは警官に囲まれた。
「すいませんでした、すいませんでした…」
ヤツの女房がブタ箱のオレに面会に来てくれ、何度も何度も頭をさげた。
そして、ヤツが、堅気の職に着くことが出来たと話してくれた。 涙流していた。
「うらやましい…」
「えっ?」
「イヤ、元気なヤヤ子でかせよって、言ったんだ。ヤツのためにな」
オレは心ン中でつぶやいたんだ。「いい女房を持ったよ、オメエは…」
〈ion─ドキ出来ショート(689)〉
4.ポチの絵
売れない画家がいた。
自分の才能に限界を感じていた。
ある時、冗談で、飼っていたポチのしっぽに絵の具を付け、絵を描かせてみた。
しっぽがカンバスの上を縦横に走り、なかなかの絵が出来上がった。
画商は、「すばらしい絵だ!」と、その絵を高値で買い取ってくれた。
味をしめて、次々にポチに描かせた。
絵は次々と売れ、画家の名はいっぺんに広まった。
「ネオ・シュール・レアリズムの旗手」
と、絵は、惜しみない賛辞を受け、作品展は黒山の人だかりとなった。
絵には、自分のサインがある。
だが、賛辞はポチへのものだ。
画家はポチに嫉妬した。
自分も芸術家のはしくれ。
嫉妬心は高じ、ポチにつらくあたるようになった。
画家のいじめで、ポチは衰弱していった。
だが、しっぽに絵の具を付けると、忠実にポチは描き続けた。
やがてポチは死んだ。
そして、作品が出せなくなった画家の名は瞬く間に廃れ、忘れられていった。
* * * *
「ママ。この絵、買って。」
母親に手を引かれた少女が、路上で絵を売る画家の前で、声を挙げた。
少女は、画家の手から、嬉しそうに、絵を受け取った。
落ちぶれ果てた、売れない画家の、たった一枚売れた自分の絵。
丹精込めて描いた、生前の「ポチの絵」だった。
〈ion─ドキ出来ショート(5)〉
5.汝のパンを水の上に投げよ
――汝のパンを水の上に投げよ。
後の日に、汝はそれを見出すであろう。――
ある暑い夏の日の夕方、
田舎の国道を一人の男が車を走らせていた。
家に帰っても待っている人がいる訳でもない。夕飯はどうせ、カップラーメンにお湯を注ぐだけだ。
「トウモロコシ一本百円」
見ると、男の目に、前方の道ばた、農家が無人で野菜を売っている直売所の看板が映った。
「トウモロコシの茹でたヤツをかぶりつきたい」
だが、車を停め、降りて覗くと、棚の上には貧弱なトウモロコシがひとつ残っているだけ。
ガッカリはしたが、男は、その貧弱なトウモロコシを手にし、ポケットの小銭入れを取り出した。
見ると中に、折り畳んだ五千円札が一枚あるだけ、小銭はない。
棚の上の料金箱は空っぽで、お釣りももらえそうもない。
男は五千円札を広げ、風で飛ばないようにと小石を乗せて箱に入れた。
ほどなくして、その同じ道を、自転車で日本列島踏破を目指す若者が通った。
若者は前の晩泊まった安宿で、サイフをなくして文無しになっていた。
今夜泊まる所もないが、何より今、腹ペコで死にそう。
見ると、道ばたに無人の野菜直売所がある。
自転車を止めて覗くと、料金箱の中の小石の下に五千円札があった。
天の助けだ。これで今夜、飯にありつける。そう思い、若者は五千円をポケットにねじ込んだ。
若者は、今夜の目的地に着き、昨夜の宿に問い合わせの電話を入れた。
返事は朗報だった。彼のサイフが見つかったという。
明日朝一番で、自転車を走らせて取りに戻ろう。
とって返す道で、あの直売所に五千円を返そうと思った。
その夜、彼が泊まった宿で自殺騒ぎがあった。
彼の部屋近くの非常口のドアが開いていて、階段の手すりを乗り越えようとする女の姿が見える。
若者は駆け寄り、「離して! 死なせて!」と叫ぶ女の体を押さえ、大声で人を呼んだ。
幸い、すぐ、数人が駆けつけ、なだめ、説得して思い留まらせることはできた。
警察沙汰にはしないでという女の願いは聞き入れたが、いつまた実行に移すか分からない。
若者は自分から買って出て、一晩中、女のそばについていた。
彼は、女に、自分が日本列島踏破を目指して自転車の旅をしていることを話した。
両親が離婚し、自分を育ててくれた母が過労で死んだ、その悲しみから逃れる旅であることも話した。
女は、同棲していた男が、自分と別れ、別の女と結婚すると知って、人生に絶望していた。
だが、若者の話を聞く内に、思い直し、ついには再出発を決意した。
田舎に帰って、一から人生をやり直そうと思った。
遠い田舎で、都会に出たきり帰ってこない娘を心配する両親の元に、電話があった。娘が帰ってくるという。
しばらく家の手伝いをして過ごすことになるがいいか、と聞く娘に両親は、喜んで待っているから、と応えた。
家を飛び出したきりになっていた娘が、どんな事情があったか知らないが、我が家に帰ってくる。
浮き立つ気持ちを、母親は地方紙の投書欄に「子を思う母の気持ち」と題して投稿した。
長年、そりの合わない母親との諍いが絶えなかった娘がいた。
娘は、地方紙の投書欄に載った「子を思う母の気持ち」を読んだ。
最近、自分の生き方を反省させられる小さな出来事があった。
自分が教師をしている小学校のクラスで、母親を事故でなくした生徒が作文を書いた。
「もっとお母さんのいうことを聞いておけば良かった」
読んで涙があふれた。そんな時また、新聞の「子を思う母の気持ち」の投書を読んだ。
娘は、母の言葉を素直に聞こうと思った。
好きな男がいなかった訳ではない。だが、この人とならと思える相手はいなかった。
母親が勧める縁談を、真剣な気持ちで考えてみようと思った。
母親が、口うるさく言うのは、自分の将来を一生懸命考えてくれるからだ。
結婚しても、今の仕事は続けられる。そう思った。
女教師は母の勧める男性と見合いをし、まもなく結婚した。小学校教師は止めずに続けた。
この女教師と、とても仲の良い同僚の友人がいた。
彼女は、仕事を取るか結婚を取るか悩んでいた。最近、好意を感じていた男性からプロポーズを受けた。
仕事にはやりがいを感じている。
しばらく前に結婚した仲の良い同僚は、結婚後も仕事を続けている。その同僚に相談した。
同僚は、「仕事は続けられる。ぜひ、プロポーズを受けるべきよ」と、励ましてくれた。
暑い夏の日の夕方、田舎の国道を一人の男が車を走らせていた。
男は、気持ちが浮き立っていた。
家には温かいご飯を用意して待っていてくれる人がいる。
半年前、好きだった女性に自分の気持ちをうち明けた。
小学校の教師をしている彼女は、結婚しても教師の仕事が続けられるか、迷いがあったという。
だが、同じ教師をしている同僚の女性から、心配いらないと教えられたという。
その同僚の助言もあって、彼女は素直に、彼のプロポーズを受け入れてくれた。
前方を見ると、無人の野菜直売所がある。
「トウモロコシ一本百円」
その看板を見て男は、数年前の夏、同じこの道を走ったことがあるのを思い出した。
「トウモロコシか。妻に茹でてもらってかぶりつくか」
そう思って、男は、直売所の前で車を停めた。
〈ion─ドキ出来ショート(652)〉

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