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●プロローグ

——どんな悩みも吸収してくれる不思議な不思議なきゃんたま袋。

 

 我が家に代々伝わるこの不思議なきゃんたま袋と呼ばれる置物は、鉄製だか鉱石だかわからないけれど、硬質で灰色の中にところどころ銀色が混ざっていて、鈍い光を放ってる。

 不思議なきゃんたま袋の大きさは、ちょうど両手の平に乗るくらいで、野球ボール大の球体がふたつくっついている形をしていて、表面には横皺が無数に走っている。

「いいこと? 藍月(あづき)。もし困ったことがあったら、このきゃんたま袋を撫でながら、そっと囁くのよ。あなたの悩み、そして疑問と苦しみを。そうすればきっと、このきゃんたま袋があなたのことを助けてくれるわ」

 母はいつも、このきゃんたま袋をめがね拭きシートで磨きながら、幼い私にこう言った。

 大きくなって私が母の膝の上で遊ばなくなると、彼女は時折思い出したようにこう言った。

「ふとした疑問やちょっとした悩み事は、きゃんたま袋に打ち明けてみるといいわ」

 母が失踪したのは私が成人式を迎えた翌日だった。

 残された手紙で私は母がオランダへ向かったことを知る。

 幸い家には父がいるから、生活費には困らないけど20年間仲良くしていた人がいなくなった衝撃というのはやはり大きくて、寝ても醒めても喋っても食べても何となく気持ちが晴れない。

 

 今年の梅雨は非常に長い。

 観測史上第一位などとテレビでは言うけれど、これはきっと毎年更新され続ける記録なのだろう。

 曇天と低気圧が喪失感を苛んでいた。

 世界に希望を見いだせない。

 

 42日目の雨の日に、わたしは不思議なきゃんたま袋のことを思い出す。 

 絶望した私は囁いた。きゃんたま袋に。

 この世界の終わりを。

 そして世界が変わることを。

 


●一章

●一章

 
 梅雨が明けると願いは叶った。
 不思議な不思議なきゃんたま袋は、母の言葉通り私のことを助けてくれた。
 世界を終わりへ導く力。世界を変える力。
 きゃんたま袋はわたしに二つの力を授けたのだった。

 渋谷駅井の頭線ホームの女子トイレの中で、私は叫ぶ。

「行くぞ、変身っ。えれくちおーーーーーんっ!!」
 
 瞬く間に身体は、丸みを帯びた筒型になり、全身がサーモンピンクに色を変える。
 頭頂部はまるみを帯びた三角形で、ちょうど矢印の先端のような形だ。
 これが真実の私。
 怪人・振動機人間だ。
 今や桜田藍月(さくらだあづき)の方が、世を忍ぶ仮の姿となっている。
 戸籍も口座も「桜田藍月」で残っているけど、アイデンティティーはすっかり怪人・振動機人間の方へと移行している。

 トートバックの持ち手にぶらさがった、マイメロディのパスケースをピッと改札に当てて、わたしはハチ公口へと続く階段を一気に駆け下りる。
 目指すはデパ地下だ。

 この地球(ほし)のすあまというすあまを、ういろうに変えてやる!!

 すあまが消え、ういろうがこの地球(ほし)を覆い尽くすことは、私が思っているよりもずっと小さなことかもしれない。
 けれど世界はそんなことで変わるのだ。
 
 もしもあの時、落ちた消しゴムを拾っていたら?

 そんな小さなことを私は何度悔やみ続けたことだろう。

 すあまがういろうに変わることは表面上の変化のみならず、私の後悔が正統なものであるということの、いわばスケープゴート……違う、えっと、シンボル? うーん何かしっくりこない、えーと……あ。

「象徴的な出来事でアるっ!!!!」

 思わず大声が出てしまった。
 渋谷駅ハチ公口にいる人々の半分くらいがこちらを振り返る。
 恥ずかしくて私の顔は真っ赤になり、身体が震え始める。

——う゛ぅぅっぅぅん。

——う゛ぃぃぃぃぃぃんんん

 心情的には貧乏揺すりや、歯がガチガチ鳴るのと同じようなものだ。
 けれど、通常の「桜田藍月」で居るときと違って、身体が次第に熱を帯び、妙に硬くなっていくのを感じる。
 全身がどくんどくんと脈打って、血の流れが早くなっていく。
「えっ、えれくちおーーーんっ!」
 深呼吸をするとこんな声が漏れた。
 肺一杯に新鮮な渋谷の空気を吸い込むと少し楽になる。

 しかし、動悸が収まったのも束の間だった。


●二章

 

●二章

 気がつくと私は人々の中心にいた。

 女子高生たちが私のことを遠巻きに見ながら取り囲んでいる。
 人垣が邪魔で、デパ地下まで行ける気がしない。

う゛ぅぅぅぅぅぅぅぅんっ

 ふつーの溜息なのに、震え声になってしまう。

「見付けたぞ!! 怪人・肉バイブ!!」

 不意に人混みの中から、男の叫び声が聞こえた。
 きょろきょろ辺りを見回すと、男は私の右斜め後ろから、女子高生を掻き分けて現れた。

 淡い碧色の髪の毛と、茶色の革のファー付きジャケット、そして黒縁メガネの奥の気弱そうな目。
 彼の姿は私の目を捉えて離さない。

「お前の持って居る、その不思議な不思議なきゃんたま袋を渡すんだ!」
「そうです! 渡すんです!」

 男から一歩下がった所にいる少女が拡声器で私に言う。

「な……なんでそれを……」

「何だっていいだろう! さぁ、渡すんだ!」

 男が私ににじりよる。

「だめぇぇえぇぇっ、これは先祖代々伝わる大切なきゃんたま袋なのぉぉぉぉぉっ!」

 この姿に変身すると、どうも声が震えて仕方が無い。

「そ、それにぃぃぃっ、私はぁあぁぁぁっ、肉っ……んんんんっばいぶぶぶぶっぶぶぶぶぶ

 とここで、私の舌先は制御不能に陥る。

 私の名前は肉バイブじゃないって否定しようとしたのに、これじゃあ肉バイブ宣言でしかない。

「そうだろうそうだろう。わかっている。ここは人々が沢山いて危険だ。怪人肉バイブ、空き地でお前を倒してやる!」

男は私の鼻先を人差し指で指した。

「何なんですかぁぁあぁぁぁっ、あなたはぁあぁぁぁぁんっ、私まだぁあぁぁぁっ……何もぉおぉおぉぉっしていな……あぁぁぁぁぁんっ」

「彼の名前は囚われ探偵・トラウマ。怪人を倒すのは探偵の宿命なのである」
少女が拡声器のざらついた声で彼を紹介すると、彼の方は胸を張る。

 だからなんなんだ。
 どうしたらいいんだ。

 私のサーモンピンク色の身体はピクッピクンッと不規則に脈動する。
 逃げなくちゃだめだ、逃げなくちゃだめだ。
 全身の細胞が私にそう囁いた。

 気がつくと私は、女子高生の中を掻き分けて、スクランブル交差点の方へ走っていた。

 

 


●三章

 

 渋谷は変わってしまった。

 小さな事件が少しずつ街を変え、そのことを繰り返すことにより、いつしか渋谷は大きな変化を遂げていた。

 かつてはギャルの聖地だったという縦長のビルはもうずっと前から廃墟だし、蔦屋のビルの裏側には、もう西武もロフトも何もなくそこにはただ荒涼としたコンクリートとアスファルトが広がっている。
 
 囚われ探偵トラウマから逃れるために私は走る。

 ぶぶぶぶぶ

 頭頂部の先端が小刻みに震えて、汗がじんわり滲んでいる。

 走るのは得意じゃないから、どこかに身を潜めたいところだけど、「青の日」や「パラダイスショック」、そして度重なるその余波で、この街の建物は殆どみんな消失していて、サーモンピンクの肉体を隠す場所はどこにもない。

 灰色の地面はところどころひび割れていて、隆起した割れ目から野菊が生えていた。

 街灯の上の看板に『センター街』という文字があって、ここがそう呼ばれていた街だと言うことを知る。

「逃げても無駄だぞ、肉バイブ!」
「そうです! さっさと倒されるんです!」

拡声器越しのざらざらした声が路上に響く。

 脇腹に痛みを感じつつ、めちゃくちゃに走っていたら、左手に文化村の大きな白テントが見えた。
 てっぺんはつんと尖って天を差していて、乳頭を思わせる。

 右手を見れば急激な坂道、そして前方遙か彼方には国営放送の巨大な建造物がそびえ立っている。
 灰色のビルからは、古今東西和洋を問わず、老若男女に人気のアイドルたちの像が、壁からにょきにょき飛び出していて全体にいびつな印象を与えていた。

 急な坂道を走る自信はなく、国営放送の建物は遠い。
 ならば、文化村の白いテントの陰に身を潜めよう。

 そう考えた私は、サーモンピンクの肉体を左曲がりに逸らして行く手を見定める。

「文……っ化、村……方面……だっ!」
「神泉駅も……はぁ、はぁ、……ありますっ!」

息も絶え絶えな二人の声が聞こえた。

 まずい。何か行き先バレてる。
 私は少し考える。

「っはぁ、はぁ、っはぁ」

 どれだけ酸素を吸い込んでも、全然足りない。頭は回らない。
 あいつらに文化村へ行くという思惑がバレているのなら、それを逆手に取ってやろう。

 神泉駅へ行くと見せかけて、渋谷駅へ戻るんだ。

 私は文化村の白い建物を目前に、踵を90度回転させると両手を水平に広げて、ダッと駆け出した。

 最後の力を振り絞ったダッシュだ。

「こ……こらぁ……」
「ま、まちなさー……い……」

 私は坂道を駆け上がる。頭頂部はいつの間にか汗でぬるぬるに湿っていた。

 

 


●第四章 〜きゃんたま袋よ永遠に〜

 

 坂を登り切った先は荒涼とした大地だった。
 剥き出しの乾いた土がひび割れていて、草一つ生えていない。

 なんて寒々しい光景なんだ。

 心細くなった私は、トートバッグに手を入れてきゃんたま袋を撫でさする。

 こうしていると気持ちが落ち着く。

 囚われ探偵トラウマの気配は背中に感じない。

 渋谷駅からここまでずっと走り通しだったのだから、坂道を上る力までは残っていなかったのかも知れない。

 けれどそれは私とて同じで、追っ手の足取りが重くなった今が逃げるチャンスなのは分かっているけど、脇腹は痛く、肺が苦しく走れる状態ではない。

 私は坂道で力を使い果たしてしまっていた。

 せめて出来るだけ早く歩こうと思っても、猫背でよろよろ進むので精一杯だ。
 怪人ともあろうものが、情けない。
 視線はつい下がりがちになる。

「覚悟しろ! 怪人肉バイブ!」

 不意に男の声が辺りに響いて、私は顔を上げる。
 3メートルほど前方に、なんとあの探偵と少女が立っていた。

「お前にはもう逃げ場は無いっ!」

ーーソウデスネー。

 少女が拡声器で合いの手を入れる。

「わかるか? お前は我々の手によって、まんまとこの地へ追い込まれたのだ」

ーーソウデスネー。

「お前は自分で道を選んでいたつもりだったのかも知れないが、実は我々によって選ばされていたのだ」

ーーソウデスネー。

 なんてことだ。

 自覚的に選んだはずのことが、すべて誰かの意によって操られているのだとしたら、私は一体何を信じれば良いのだろう。

 張り詰めていた肉体から力が抜けて、頭部の先がへたれていくのを感じる。

「さぁ、早くその不思議な不思議なきゃんたま渡すんだっ!

ーーソウデスヨー。

「い、いやだっ。これは先祖代々伝わるきゃんたま袋なんだからっ」
わたしはじり、と後ずさりをする。

 前方を彼らに塞がれているのなら、逃げ道は背後にしかない。

 だが、残った体力は乏しく、今ここで駆け出したところで勝算は低いだろう。

 私は、彼らと話すことで時間を稼ぎ、少しでも体力を回復させようと考えた。

「どうしても渡さないと言うのなら、仕方無いな……。これは使いたくなかったのだが」

囚われ探偵トラウマが少女に「あれを」と言うと、彼女は革のポシェットからゲームの巨大なコントローラーのようなものを出した。
 遠くから見るに、レバーが左右に二つとちぐはぐな色のボタンが数個、規則正しく配置されているようだった。

ーーここはシブヤクマルヤマチョー。

拡声器のざらついた声が響くと、探偵は端のボタンを押した。

「覚悟しろ、ここがお前の死に場所だ!」

ーーすっぴんなんて見せたくないのに、こっちの方がかわいいって彼氏が言うから仕方無く。

少女がそう言うと、探偵と私の間にどーーん! と爆発が起きて辺りに土塊が飛び散った。土煙が立ちこめる。

「な、何これ!!」

地中で起きたと見られる破裂のおかげで、乾いた大地に穴があいた。

「ここは渋谷区円山町だ。これがどういうことかわかるか!?」
「……円山町?」
「リア充たちの夢の跡!」
探偵が右上の黄色いボタンを押す。

ーーお前が大事だからって言うけれど、付き合って3ヶ月も手を出してくれないなんて……。

再びどーんという衝撃音と共に爆風が舞い上がって、もうもうとした土煙が視界を奪う。

 私は背を丸めて、咳き込んだ。

「何なの、これは……」

幸い声は震えない。身体が硬く張り詰めていない時は、平常時のように喋ることが出来るのだ。

ーーえっちの時は顔が見たいからって言って、バックで突いてくれないの。

その言葉を聞くが否や、私の脳裏にいつかティーンズラブ系少女漫画で見た濡れ場が蘇る。

 顎の尖ったイケメン彼氏が、行為中ずっと手をつないで「愛してる、お前を壊したいほどに」って囁いていたっけ。

 私の身体が3割増しで、ぎゅんっと硬くなると同時に、左前方から衝撃音が聞こえ、爆風が起きる。

 小石が私の頬を強かに叩いた。

「……痛っ」

「どうだ、参ったか! リア充の爆発力!」
ーーソウデスヨー。

「これ以上、リア充の爆発にやられたくなかったら、早く不思議な不思議なきゃんたま袋を渡すんだな!」
ーーソウデスヨー。

私はトートバックを抱き締める。

 こいつらは自称探偵で、怪人を倒すだの何だの言っているけど、これじゃただのカツアゲじゃないか。

 私は未だに肩で息をしている。
 もう少し会話をして時間を稼ごうと思った。

「待ってくれ。最後に教えてくれ。リア充の爆発力とか一体どういうことなんだ!?」

「よくぞ聞いてくれたな! さあ、助手、こいつに教えてやれ!」

「ハイ。えーとですね。ここは渋谷区円山町。ここはかつてラブホテル街でしたっ。「リア充爆発しろ」の乱によって、埋められたリア充たちの魂が今もここに眠っていて、先生の持ってるこの「爆発君コントローラーver.2」を押したあとに、のろけの言葉を唱えると、それに反応したリア充魂が適宜爆発するという仕組みになっておりますっ」

少女は拡声器を下ろして、ビシッと敬礼した。

「ちなみに、爆発君コントローラーは秋葉原で売ってますねっ」

秋葉原といえば、山手線で渋谷の丁度反対側に位置する街だ。


「リア充の破壊力は凄まじい。のろけというのろけは、すべて気力体力ともに奪われるものだが、その中でも最も破壊力の強いものは「愚痴に見せかけたのろけ」だ。こいつは本当に厄介である。何故なら、『大変だね』と心配して親身になって聞いてやったら、結局のところ唯ののろけなんだからな! 他人の親切心につけ込んで、己らの愛情を確認するなど、土足で風呂場へダイブするも等しい行為!」


ーーソウデスヨー。

少女は再びノイズ混じりの相槌を入れる。

「そもそも、のろけというのは他者を使い、2人の愛を確かめる行為なのだ。何故2人の愛に他人を介在させる必要がある? それは2人の愛に自信がないからだ! 確かめたいのは不安だからなのだ!」

ーーソウデスヨー。

「などと分かっていても、それでも愛を疑う相手すらいない者にとっては、それすら命を削られる行為。俺はやつらを許さない。この俺を、2人の愛のまな板として利用した、リア充どものことを」

ーーダイジョブデスヨー。
少女が悲しそうな目で探偵を見上げた。

「そっ、そんなことっ、言うけドッ……!」
私は言う。
 身体が硬くなりかけたせいなのか、声が震えた。

「ふっ、2人はっ、つっつきあってッ……るンじゃないのっ……っ?」

「ばっ、ばかっ、そんなわけねーだろっ、ちげーよ!!」
探偵は途端に顔を真っ赤にして、首をぶんぶん横に振る。メガネが落ちないか心配になるほどに。

「ば、ばっきゃろー! こ、こいつ未成年じゃねーかっ。未成年に手ぇ出したら、お縄じゃねーかっ。だめだっ、だめだ。そんなのリア充の極みすぎるっ。逮捕に罰金牢獄なんてリアルすぎだろっ! てめ〜」

言葉とは裏腹に、探偵は嬉しそうな顔で言う。

ーーで、で、でも先生っ。結婚したら、いんこーにはならないんですっ。女の子は16歳からお嫁さんになって堂々と孕めるんですっ。

少女が拡声器を使ってこう言った。

「孕むってお前、意味分かっていってんのか!?」

「はいっ、だいじょぶですっ。保健体育で習いましたからっ」

少女がえへっと笑い、探偵がそわそわと慌て出す。

 なんだよ、こいつら。良い感じになってんじゃねーよ。
 私の身体は苛立ちで熱くなって行く。

ーーヴウウウウウウン。

 自然と身体が震え出した。

 苛立ちから身体が硬くなることは滅多になくて、もしかしてこれが所謂「鬱勃起」なのだろうか、と思う。

 けれど私は、この2人のことなんて何とも思っていないのに。

「怪人肉バイブ! どうやら本気を出したようだな。つまり即ち、お前はここで終わりだ。お前を倒して俺は、きゃんたま袋を手に入れる!」

探偵はコントローラーのボタンを押した。

ーー彼氏のために徹夜してお菓子作ってたら、無理すんなって怒られちゃったの。

少女がそう言うが否や、私の足下が爆発する。
「わぁぁぁあぁぁんっ!」
私は尻餅をついた。

ーー寝る時も手を繋いでるから、毎日肩が凝ってつらいのよ。

どーん。

今度は後方から爆音が聞こえて、小石がぱらぱらと私の頭頂部の割れ目に直撃する。

ーーはぁ〜。明日は3ヶ月記念日だから、ご馳走作ろうと思うけど、私お料理下手だし……。

爆破直前の地面の軋みを右足元で感じる。その瞬間、私は反射的にで左側へ腹這いで転がって逃げた。
どーんという衝撃音が聞こえて、ギリギリ間に合ったことを私は知る。

「どうだ参ったか、怪人肉バイブ! 」

朦々と立ちこめる土煙の向こうに、仁王立ちの探偵としなを作って立つ少女の影が見える。

 リア充たちの爆発は着実に私に迫っており、もしこの爆破位置の狙いがまぐれでは無いとしたら、私は本当に追い詰められていることになる。

 破壊の衝撃は凄まじく、正直言うとビビッた私は立ち上がることが出来ない。

「お前の命も、最早これまでだ!」

 探偵がボタンを押す。

 南無三。わたしはトートバッグの中から、硬く冷たいきゃんたま袋を取りだして、サーモンピンクの腕で抱き締める。

「お願い、きゃんたま袋。私を助けて……」

ーーもうやめてって言ったのに〜。

少女の声が荒涼とした円山町に響き渡るが、それと同時にきゃんたま袋は内側から発光し、強烈な閃光を放つ。

「怪人肉バイブっ。お前、まさか……!」

ーー先生、危険です! きゃんたま袋の力が解放される前触れです!

「ま、まずいぞっ」

2人が慌てふためく。


 きゃんたま袋……どうかお願い……。わたしは真っ白な光を放つきゃんたま袋を撫で続けた。


 するとその時、私の背後から突風が吹きつける。

「うわっ!!」

「先生っ!?」

頭上を追い越す風には色が付いていて、私には炒り卵のような鮮やかな黄色に見えた。

 黄色の風がびゅうっと吹き荒れ、探偵をぐるぐると包む。

「うわっわわわっ」
「ちょっ、先生っ! 大丈夫ですか!?」
「ぶぇぇぇぇ……っくしょんっ!」

探偵は背中を丸めてくしゃみをする。

「先生っ!?」
「くしょっ、くしょんっ。ううううっ……くしょっ」

探偵トラウマが連続でくしゃみをする間も、黄色の風はびゅうびゅうと音を立てて彼を包んでいた。

 何が起きたのか、よくわからず私は腹這いのままで事の成り行きを見守っている。

「先生っ、ティッシュなら沢山ありますよ! ほら!」

少女がポシェットから、ポケットティッシュを沢山出した。

「す、すまない……うぅぅぅ」

ティッシュを受け取ると探偵は鼻水をかもうとするが、再び「へくしょっ」とくしゃみをして、タイミングを逃す。

「この風は……花粉ですね! 匂いがします。スギ花粉の匂いが!」

と、少女は言うが否や、彼女も「へくちょんっ」とくしゃみをする。

「ううう……お前のせいだな、肉バイブ……! くしょんっ、一体何をしたんだっ!!」

「人の弱みにつけ込む……くちゅんっ、卑怯なんですっ」

2人は徐々に猫背になって、声もぐずぐずで弱くなっていく。

「あぁ、もう……これじゃ……」

「ううう……諦めるのは……へっくしょんっ」

2人にはもう、私を攻撃する力がなさそうだった。

 あの風がどこまで2人に張り付いているかは分からないけれど——。

 私は腕の中のきゃんたま袋を撫でながら「ありがとう」と囁くと、ゆっくり立ち上がり、そして小走りで円山町の坂道を降りた。

「ま、まてぇーっくしょんっ」

——そぉですよぉー!

 二人の声が背中に響く。

 掴まるわけには行かない。私はピンク色の短い足がもつれないように、慎重に、けれど迅速に駆ける。

 下り坂は私の足を必要以上に加速させた。

 私はこの世界を変える。

 すべてのすあまをういろうに。

 そのことがどんな結果をもたらすのか、見当も付かないけれど。

 私にはこの能力しかないから、こうする事しか出来ないのだ。



おしまい。



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