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「かわいい」と死への哀れみ

 「かわいい赤ちゃん」に代表されるように、「かわいい」は明るいイメージで受け止められがちだが、本来の日本語の「かわいい」は「かわいそう」を意味している。義母の命令で継子を生き埋め(後に助け出される)にする家来の心の葛藤を表現した『今昔物語』(巻第二六・五)の「この児に刀を突き立て、箭を射立て殺さむは、なおかわゆし。」の「かわゆし」が示しているように、「かわいい」は「かわいそうだ」と哀れむ感情表現だったのだ。

 「かわいい」は死に結びついている。殺される運命の子を「気の毒」に思い、あるいは病気で弱って死んでいく我が子の生きようとしているけなげな姿の「いじらしさ」が、「かわいい」と表現される。四方田犬彦が『「かわいい」論』で説明している「かはゆし」の源流としての「かほはゆし」の赤く色づいた活力に満ちた顔(30頁)も、幼い子どものはかない命への憐憫にからめて考えないと本質が見えてこない。

 日本では「七つ(歳)までは神のうち」と言われていたように幼児の死亡率が高かった。「七五三の祝い」も、無事に三歳を迎えられた、五歳まで生きられた、七歳になったからもう大丈夫だ、という親の思いが込められていて、守られた命のお礼に神社へお詣りに行くのだ。赤く色づいた赤ちゃんの笑顔は、いつ消えてしまうかわからない、はかなさに輝いている。その輝きに清らかな「いのち」の活力が見出される。「かわいい」とは、はかない命の愛しさ、大切さへの憧憬と言えよう。そこから、保護を必要とする小さな命へのまなざしの共有化が広く普及していく。

 童謡『七つの子』(野口雨情・作詞/本居長世・作曲)の「かわいい、かわいい、とカラスは鳴くの、かわいい、かわいい、と鳴くんだよ」の母性の暖かさも、寂しい山奥で餌を待って鳴くヒナ鳥の哀れさが背景を成して抒情を醸し出す。見出されるのは、山の巣で鳴く小さなヒナ鳥の命であり、そうした命の輝きを温かく見守る心情から、自分が見出した自分のための「かわいい」保護対象を求める心理が生じ、自らを「かわいい」もので満たしたいと欲望させる。こうした疑似母性の歓びは、人形やぬいぐるみを使った女児のママゴト遊びに観察できる。

 「かわいい」ものは、小さく、弱々しく、幼く、保護を必要としている。

 それに応える優しい感情が「かわいい」として受容され、他者との間で広く共感・共有される。

 戦前の少女文化の中心も、疑似母性による保護感覚であり、保護される対象と保護する主体が相互的に交換し合いながら一体化している気分が「かわいい」として受容されていた。それは、戦時にそぐわないものと排除されても、「気高く咲く少女」の心として守られ、戦後社会へと手渡されていったのだ。


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「かわいい」なんて言わせない

 保護すべき必要、世話をする歓びが、「かわいい」感情を動機づける。それは当然の帰結として、保護すべき「かわいい」ものを求める自分もまた、他者にとっての保護を必要とする幼く弱々しい存在として意識される可能性をもたらす。実際の年齢より幼く見られることは「未熟だ」とバカにされているに等しく、思春期の女子には耐えがたい屈辱だった。

 七〇年代までの日本は、男女区別の明確化を強制する社会であり、ウーマン・リブ運動(フェミニズム)による女性の社会進出への反感の影響で、日常的に男子に見下される毎日が続いていたから、「かわいい」と言われることは一人前の人間扱いされていないと受け取られた。「かわいい」は、目下の者にだけ使われる褒め言葉であり、思春期の女子の間では禁句になっていた。

 「かわいい」ものが好まれても、自分は「かわいい」モノ扱いされたくない、と言うのが一般的な思春期女子の常識だった。

 「かわいい」の原語だった「かはゆし」には、『建礼門院右京大夫集』などに示されているように「恥ずかしい」「きまりが悪い」(「おもはゆし」)と、自己を慎む消極性の意味もある。

 奈良時代までは、女性の赤化粧に代表されるように、活力ある自らの生命力を積極的に誇示していたが、平安時代に入ると、そうした自己主張が嫌われ、赤化粧のはっきりした輝き映える「面映ゆし」顔立ちが、「顔がほてる」ほどに「きまりが悪く」気恥ずかしく照れくさいと感じられるものとなり、「かはゆし」も消極的な慎ましさの表現として使用されるように変わっていく。

 「かはゆし」が隠すべき欠点になっていったのは、「かわいそう」「気の毒」「いじらしい」と感じさせる忌むべき死の意味が内包されている必然かもしれない。

 幼児のよちよち歩きの危なっかしさの「かわいさ」も、よろける老人の〝よぼよぼさ〟となれば、見るに堪えない醜態となる。だから『徒然草』(第一七五段)の「世には心得ぬことの」に代表されるように、「かわいい」は否定的な意味でも使われ出す。『太平記』(巻第三九)に登場する「カハユ気」のように、「かわいい」が「幼さ」「未熟さ」ゆえの笑われる醜態の恥ずかしさになっていくことで、「かわいい」は支配関係の立ち位置を示す権威言葉になっていく。ちょっと古くなった現代語の「カワイ子ちゃん」みたいに、男性が女性をからかい半分に「かわいい」と評する意味も、人間として未熟な存在であるという見下しが暗示されている。男同士の間でかわされる「かわいい」も、主従関係の主体性が意識されている。また、「カワイ子ちゃん」は女同士の対立語にも使用される。「かわいい」とは、同等ではない、劣った存在性を自覚させる差別的な指示語だったのだ。ゆえに、女性が男性を「かわいい」と評するのは禁止されていた。女は「かわいい」、男は「カッコいい」、が常識的な判断だった。

 こうした背景から考えれば、思春期の女子が嫌がるのも無理は無いと理解できよう。「かわいい」は「恥」を意味していたのだ。

 「かわいい」の拒絶は、大人に見られたいと背伸びする思春期女子の成長願望の表れと言え、日本的な幼顔への嫌悪も手伝って欧米人の容姿への憧れを形成する。とても日本人には見えない少女マンガの碧眼金髪のヒロインは、そうした外人化願望を吸い上げる装置でもあった。

 こうした日本人コンプレックスが九〇年代のギャル文化を生み出すのだが、そこに至るまでには紆余曲折があった。七〇年代後半の乙女チック・ブームなどが、代表的なものと言える。


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カワイイ「わび・さび」

 世界をパッケージ化したファンシーな〝カプセル〟として楽しむ乙女チックの「かわゆい」世界は、日本人の文化的精神性を象徴する「わび・さび」の感覚にも不可分に結びついている。折口信夫も、小さなものへの憧憬が日本人の生活を精神面で豊かにしてきた実態を述べている。

 

 さびを感じるのは、日本人が極僅かの材料で、自分だけの世界を作る事の出来る習慣があるからだと思ふのです。それを他の人に見せて、他の人にもその小さな世界のよさを感じる様に導くといふ道があるのです。かう言ふ行き方は、生活の全面ではないが、多少でも人を教へようとしてゐる人の、時には持つことが出来なければならぬ心境だと思ひます。(折口信夫「日本美」 『全集・第21巻』中央公論社 1996 237頁~238頁)

 

 自分だけの世界を作って、他者とその小さな世界のよさを共感し合う心情は、なんでも「カワイイ」と称賛して自己の内面世界に取り入れ、その感情を他者と共感していく乙女チックな「かわゆい」少女文化と共通している部分が少なくない。

 「さび」とは、古びておもむきのある「さびれた」情景の寂しさの静寂美を愛する精神価値であり、廃墟趣味とも結びつく、こうした風流愛好と少女文化の「かわいい」は、陰と陽に対極する正反対の感覚に思えるかもしれないが、「かわいい」の語源の「かわいそう」を思い出せば、寂しさの清浄を貴ぶ「さび」や質素な素朴さを愛する「わび」の美学が、現代の「かわいい」感覚につながっている必然性が見えてこよう。骨董とかわいい小物雑貨には、共通して語りかけてくる物の存在感の味わいがあるのだ。

 自分の感じている印象への静かな没入、物に同化して感情化された淡い世界空間と共鳴していく自己陶酔感覚を日本語で「萌え」と言う。

 「萌え」とは、特定の対象を媒体として心が拡散的に解放された状態を表現した言葉であり、「かわいい」感覚にも結びついてくる。

 「わびすけの椿が、あのさゝやかな莟の中に何物もなく、ひそやかにふくれてゐる――あゝ言う小世界――」(同書・237頁)を感じる情感が「萌え」であり、必然的に「かわいい」感覚にもつながっていく。

 茶室に飾られた一輪挿しの椿の花の「かわいい」美しさが「わび」であり、それを感じる心情が「萌え」なのだ。鮮やかな椿の花は「ひそやかにふくれて」、〝にじみ〟広がり、〝ぼやけ〟ていく心象のヒーリング効果によって沈静化していく気持ちを意識する境地が「萌え」にほかならない。

 「萌え」は「かわいい」であるから、本田透のいう「脳内恋愛」も、あながち間違いではないが、その程度の話では終わらない、日本人の意識の根底にある文化的感性にもとづいている。

 ゆるキャラ・ブームがそうであるように、萌えが男女共通の「かわいい」文化に育ったのも、根底に日本文化の「わび・さび」への親しみがあったからなのだ。「癒やし」は、現代版の「わび・さび」と言えよう。


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爆弾テロにハローキティ

 全世界で愛されているサンリオの「ハローキティ」は、爆弾テロのなかで生まれた。

 キティの誕生した1975年は、前年に起きた東京・丸の内の三菱重工爆破事件に代表される連続企業爆弾テロの脅威に日本中が騒然としていた。関西では図入りの爆弾製造マニュアル「腹腹時計」が秘密出版されて出回り、街のどこに時限爆弾が仕掛けられていてもおかしくない不安が社会全体に蔓延していた。

 国連が1972年に世界一と発表した狂乱物価も相変わらず続き、空前のゼネストで東京の都市機能が一時的にマヒし、ピアノ騒音殺人事件が起こり、原子力船むつの放射能漏れ問題があり、海の向こうのアメリカではウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任するという、そんなバカげた世界に少年マンガの「こまわり君」(山上たつひこ『がきデカ』)が「死刑!!」を宣告していた翌年に、キティは生まれたのだ。

 無表情なキティには、爆弾テロの衝撃と恐怖に茫然としつつも、動じない、淡々として変わらず続く〝したたかな〟日常性が感じられた。

 破壊された三菱重工の瓦礫の中をよろめき逃げる血だらけの男の姿に、テレビの前で凍り付いていた日本人みんなが、「キティ」だったのだ。

 キティには、赤塚不二夫のニャロメみたいに「コンニャロメ!」と不満を吐き出す口が無い。そうした無言の否定で動じないクールな達観性が、爆弾テロに騒然とする日本社会が求めたものだった。

 口無しのキティは、女子にとって感情を押しつけない「慎ましさ」に寄り添い同化するための「かわいい」愛玩対象だったが、その変わらない柔らかな日常性のクールさは、男子にとっても重要なアイテムとして密かに欲望された。女子の聖地であるサンリオ・ショップに行って、「ハローキティ」のグッズを買えるかどうかが、オタク男子の試金石でさえあった。

 キティは、自分自身だった。キティが象徴する「かわいい」は、爆弾テロの不穏な世の中を生き抜く力だったからだ。そうしたアンニュイな虚脱美は、『機動戦艦ナデシコ』(1996)のホシノ・ルリや『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の綾波レイといった無感動・無表情が魅力のアニメ美少女の「かわいさ」に引き継がれていく。生まれたばかりのキティの小さな目は、サイゴン陥落(ベトナム戦争のやっとこさの終結)や爆弾テロの主犯グループ「東アジア反日武装戦線」のメンバー逮捕を横目でクールに眺めながら「バカばっか」と、そっぽを向いている。

 ハローキティとは、静止した時間の絶対なる永遠性を象徴している。だから、喋ったり、動いたりして欲しくなかった。キティの「時は止まり」、豊かにゆっくりと流れていくからこそ美しい。そのスローな時間存在のクールさは、伝統的な日本文化の「わび・さび」の寂滅美にもつうじている。

 静止によって生み出される揚力感覚は、ハローキティのみならず、萩尾望都や大島弓子の文学的に結晶化したマンガ表現や『りぼん』の乙女チック・ロマンにも見出せた。

 当時の男子もまた、ユックリズムに生きるためのスローな永遠性を求めていたのだ。


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妖怪ブームと郷土玩具

 水と油ほどに違う乙女チック・ロマンと恐怖少女マンガを関連づけて、後のロリコン・ブームをもたらしたものもまた「かわいい」感覚であり、そこには六〇年代の妖怪ブームの背景がある。

 『悪魔くん』や『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる水木しげるが紹介した江戸時代の鳥山石燕の妖怪キャラクターは、無共闘世代小学生の心をつかみ大流行を招いた。しかし当時は、今日とは違いキャラクター・ビジネスのノウハウがなかったので、妖怪キャラクター商品は限られていた。ウルトラ怪獣ブームと同時進行だったから影に隠れてしまったのだろう。ソフビの妖怪キャラクターでも出れば買いあさっていたのだが、そんなものは無かった。大映の実写版「妖怪ブロマンド」やプラモが出るのは、まだ先の頃の話だ。そうした望んでも手に入れようがない妖怪キャラクター商品を渇望する欲望が見出したものが、郷土玩具だった。

 もっとも、男子の間で流行したわけではない。ほんのひとにぎりの男子が夢中になったにすぎないが、これが乙女チックの「かわいい」ものを受容する布石になっていく。

 現在、女子を中心とした第三次こけしブーム(「こけし女子」)となっているが、第二次の中心は男性で、こけしだけではなく、郷土玩具一般がコレクターアイテムとして注目されていた。と、言っても、大人世界の話だ。子どもにまで波及していたわけではない。たまたま、1972年刊行の横山宗一郎の『東京の郷土玩具』(芳賀書店)や保育社のカラーブックスの一冊として出ていた木下亀城/篠原邦彦の『日本の郷土玩具』(1962)などに出会った男子を魅了したにすぎない。今日でも、高額換金できるブリキのおもちゃのほうがメジャーであるように、当時の子どもの間でも「変わった趣味」として見られていた。ディスカバージャパンが叫ばれていても、相変わらずの戦後嫌日主義の社会通念が常識だったからだ。日本的なものは、何でも古くさい無価値なゴミと見なされていた。誰も見向きもしない見捨てられたものだからこそ、希少性と「かわいい」哀れさが感じられたのだ。そこには、妖怪と通じるものがあった。

 郷土玩具を蒐集することは、失われていく過去の日本を保護・保存する行為として意味づけられ、自分だけが、その価値に気付いているという優越感が味わえた。他者と共有化できない自分だけの価値を発見した喜びだったのだ。

 郷土玩具ブームは戦前にもあり、清水晴風の『うなゐの友』(1891)に始まって柳田國男の民俗学とも結びついて流行した。そこで主張された大供主義の「大人のための子供文化」による近代の超克は、戦後の高度経済成長に振り回されるストレス社会の処方箋として復活し、柳宗悦の民芸運動に混同されさえした。

 むろん当時の男子に、「妖怪としての郷土玩具」という意識はない。現在から振り返って分析した結果にすぎない。はっきりしているのは、郷土玩具と妖怪は、共通して江戸時代のノスタルジーを語るものとして求められた事実だ。横山宗一郎の『東京の郷土玩具』のカバー表紙の「西新井大師の住吉踊り」と裏面の「浅草富士神社のむぎわら蛇」は、どこか呪いのわら人形を連想させるし、なによりも、木や土や張り子で作られたカッパや鬼や竜や天狗の小さな人形たちは、形象化された妖怪ではないか。三重県四日市の「大入道と舌出し狸」や愛媛県宇和島の「ぶうやれ(牛鬼)」みたいに、妖怪そのものもある。それらは、江戸時代から生き続ける〝形あるもの〟として意識された。もっとも、多くの郷土玩具は戦後に考案された地方の観光みやげにすぎないが、そこに感じられるのは、まぎれもなく妖怪天国の「江戸」なのだ。

 どこかユーモラスな鳥山石燕の妖怪キャラクターは、郷土玩具のなかで、より「かわいい」ものになっていく。特に、1953年から『週刊朝日』に連載された清水崑の漫画『かっぱ天国』人気から始まった河童ブームなどで、怖いはずのグロテスクな妖怪は「かわいい」ものに水路づけられていった。郷土玩具は、「民芸品」や「民俗学」といった高尚な趣味のバリアーで守られた男として恥ずかしくない「かわいい」対象物として愛されたのだ。木や土や紙で作られた素朴な「かわいさ」は、サンリオの「ハローキティ」につながっていく。キティとは、〝妖怪〟なのだ。ゆえに、女子であふれかえるサンリオ・ショップで、どんなに恥ずかしい思いをしても手に入れる必要があったのだ。

 「ハローキティ」とは、もはや江戸を語る必要のない新しい郷土玩具であり、それは現在のご当地ゆるキャラ人気や「妖怪ウォッチ」大ブームの布石でもあったのだ。



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