閉じる


前途多難。白髪鬼からのヒアリング

 

                                    建築家の檻 1

                       http://p.booklog.jp/book/97575/read

 

           

       4
 両脇に二人の秘書を従えて、長身の丹下会長が入ってきた。

 やや足腰が弱くなっているのか、細いステッキをついている。会長は入口の所で一瞬立ち止まり、短い首を亀のように伸ばすと、会議のメンバー連の顔を見渡し、さも面白くもなさそうに口元を歪めた。
 人をまず疑ってかかるような険しい眼で、ギロリとこちらを見た。
 なるほど白髪鬼という顔をしている。もっともオールバックの髪はタバコの脂に染まって黄ばんでいるので、黄髪鬼だ。長身のわりには小作りの四角い顔が、幅の広い肩に埋め込まれたように乗っている。

左の片腕は動かず、袖はぺたりと垂れたままで、手首も見えない。眉は薄く酷薄な印象で、真ん中に矢印を逆さにしたような鉤鼻がついている。
「ほれ、ゴミ! 誰だ、会議室担当はッ。ゴミだよ、ゴミ」
 いきなり老人は割れるような声で、怒鳴った。神経にじかに触るような、威嚇的な第一声だ。そしてステッキをバシバシと床に打ち鳴らした。
 脇にいた女性秘書が慌ててしゃがみ、一つまみの紙片を拾った。

ほんの小さな白い紙切れである。それからが一騒動だった。

 毛皮の女専務は、きつい視線を重役連中に送り、いい年をした白髪頭の役員たちも、たちまち腰を屈めて会議テーブルの下に潜り込み、中にはわざわざ下の階からチリトリを携えて来た者すらあった。

まるで何かのゲームであった。 

 重役連中は、会議室の四隅やVTRなどの装置の裏、カーテンの陰などに塵や埃がないかどうか、細かく確認し合った。あるいはそうする振りをした。
 動かないでいるのは、会長の外には、女専務と社長と僕だけだ。

 養子の副社長などは、真っ先にテーブルの下に滑り込んだ。その妻の専務は、腕を組んだまま考え込むように親指の爪を噛んでいる。例の社長は立ちあがると、えらく体がでかく見えた。

 背が高いというより、全体的にヒグマが立ち上がったように大きいのである。瞳は青みがかっていた。唇も心なしか普通よりも赤い。彼は嬉しそうに周囲の有様を眺めていた。テーブルの下に潜ってゴミを拾っている副社長など、馬鹿みたいなものだ。

 やがて一通り掃除が終わった。

「あんたかね、わしの偉人伝を書いてくれるのは」
 会長が灰色の険しい目で、僕を見た。片手を耳元に伸ばして何かいじっている。補聴器を調整しているらしい。
「申し訳ございません。予定の日がズレて伝わってしまったみたいで」と僕。
「そうだよ」憮然として、会長は言った。

「わしも忙しいんだ。今日もこれから、銀座で菱田物産の常務に会わなきゃならない。おい、大垣さんとは、何時だ?」
 老人が筋張った首をねじ曲げると、秘書の女が黒皮のスケジュール表を開いて答えた。 

 会長がポケットからタバコを出すと、秘書はライターを寄せ火を点けた。それにしても、しっかりしている。まだ六十代後半と言っても通じるだろう。
「前の男はハー、とんでもない奴だったな。ジャーナリストぶりやがってな。あの男は辛島って言って『経済人脈社』の奴でな。あそこの顧問知ってるんで、今度ひとこと言ってやろうと思ってるんだ。あんなペイペイ、どうとでもなるわ。あんたはまさか、そういうことはないんだろ、ア? 角さんや金丸先生と、わしが酒飲んで何で悪いのかね。談合なんつったって、昔はハー、当たり前のことで、誰も文句言わんかった。新聞屋どもが、国民にヘタに知恵つけて騒ぎ立てるもんで、犯罪でもないものが犯罪みたいに言われおって」

 苦虫を噛み潰したような顔で、吐き捨てるように老人は言った。
 口をへの字にし、補聴器をしきりにいじっている。副社長と娘の専務は、老人が何かとんでもないことを言い出さないかと、注意深く見守っている。
 会長は、ギロリと会議テーブルを見渡すと、不意に壁が割れるような大声で怒鳴った。

「お前たち何やってんだよ、こんな忙しいさなかに。――わし個人の取材で、何で設計部長や土木部長が、ここにいなけりゃならねえんだ。お前ら雁首揃えたって、何にもならんだろうが、ボケッ。わしが喋ればいいんだよ、わしが。トローンとした顔しおって」
 役員たちは、肩を窄めて眼を閉じ、ひたすらスコールのような罵声に耐えていた。
「古森、塩田、川島―。キサマら何でいまの時間、仕事についてねえんだ。都庁でも霞ヶ関でも、行って来いってんだよ。おう、営業はトイレの窓直しでもいいから這いずり廻って仕事取って来いってんだ。

設計は、線の一本でもよけいに引けってんだよ。この不況に、何でお前らみたいなトーヘンボクに、高い給料払わなきゃならねえんだ。今度、倉林に仕事取られたら、お前らの首叩き切るぞ、馬鹿もん!」
 老人は額に青筋を立て、杖でテーブルを大きく二度、バシリバシリと叩いた。
「水、持って来てくれんか芳田。喉が渇いた」
 秘書は畏まって礼をしてから、後ろ手に髪を直しながら会議室を出た。
 肩を落とした重役たちが、ぞろぞろと去って行った。低い声で私語を交わしているのを、僕は聞き逃さなかった。
――何だよ。結局こうなったじゃないの。
――だから言ったでしょう。さっきいきなり専務に呼びつけられたんですよ。

  全員出席だって。どうもおかしいと思ったんです。チッ。馬鹿馬鹿しい。 
 幹部連中を呼びつけた張本人の女専務も、むっとした表情で立ち去ってゆく。

 両手を厚い毛皮のコートに突っ込み、父と同型の鉤鼻で憮然としていた。最後にヒグマのような「社長」が、大きな頭を左右に揺すりながら鼻を鳴らし、愉しげに歩いて行った。両足を普通より高く上げる、独特の歩き方だ。
「あんた、わしの部屋に行こうかね。これから、わしの偉人伝の取材をやるんだろう」
 喜作老人が、細かく震える片手でコップの水を飲みながら言った。僕は愛想よく頷いた。 

 それにしても自分史のことを偉人伝とは、どういう神経だろう。
「ここじゃ冷えてしょうがない。おい芳田、用意せい」
 
 九階が会長室だった。
 先に部屋に通された。芳田という秘書が紅茶をいれてくれた。広い部屋だ。
 何よりも驚かされるのは、壁や棚に飾られた無数の剥製群である。

 虎、鷲、水牛、山猫、そんな野獣が白い牙を剥き出して、鋭い眼で睨みつけている。そのためこの豪華な部屋も、ひどく悪趣味な感じがする。
 壁に剣道の竹刀が一本、吊るされていた。筆文字で『丹下精神注入棒』と、意味不明な言葉が書きつけられている。
 準々大手とはいえ一応ゼネコン、さすがに立派な会長室だ。

 窓辺には、蘭やサボテンなどの植物が並べられ、柔らかい黒革のソファに身を埋めると、ずっしりと気持ちよく体が沈んだ。
 それにしても色川さんに貧乏籖を引かされたような気がする。同族企業とはいえひどいところだ。僕は鞄の中からテープレコーダーとノートを出した。
 展望台のように大きく開かれた窓からは、霞んだような築地一帯の建物が見渡せる。

 広い魚市場の建物や、巨大な倉庫群。聖路加病院、電通本社、築地本願時、勝鬨橋。

 そして白い波を左右に広げて進む運搬船。ここ何年かで建設された幾つもの高層マンションが、厚い雲を支えている。隅田川の鉛色の鈍い流れ。その隙間を埋める無数の背の低いビルの増殖。

 凄まじいエネルギーだ。乾いたコンクリートの立方体で出来た海原。

 ――これが東京なのだ。僕は大きな窓ガラスに鼻をおしつけるようにして、眺めていた。
(ここは、あの軍艦の上に張り出した司令塔のような部分だろうか)
 下から見上げたときの最上階の菱形の司令塔を思い出した。一体どんな設計者が作ったのだろう。奇怪な建築だ。
 眼の前に立ち並んでいる厖大なコンクリートの結晶群も、戦後さまざまな企業が関わって、エネルギッシュに建設されたものだろう。それを思うと、溜め息が出る。
 ゆっくりと扉が開き、人影が見えた。会長か女性秘書のつもりで振り返ると、例の女専務が入ってきた。彼女は眉をはねあげ、無言でデスク脇の棚を開けた。
「あなた、経験は? いままでこういう仕事をしたこと、あるの」
「建設会社ではありませんが、企業の取材記事などは多少……」
「多少―。ふっ。あの色川さんにもなめられたもんだわ。ウチの会社も格が下がるわねえ。どっちにしろ消去法の人選なんだから、しゃあないか。――ともかく、会長があたかも自分で書いたように、演出するのよ。分かってるでしょうけど」
「はい。それは一応」
 高圧的で、嫌な女だ。
 彼女は両腕を胸の前で組んだまま床を睨み、まるで悩み事でもあるかのように、部屋をコツコツと歩き回った。ときおり口元に手を持ってきて、爪を噛んだ。

 昔は一応美人の部類に入ったかも知れないが、愛嬌のないおばさんだ。
 手持ち無沙汰になった僕は、テープレコーダーにカセットを嵌め込み調整した。ひっそりとした部屋に、テープの回転する小さな音だけが響いた。
 扉が開き、今度は会長と秘書が姿を現した。
 老人は、秘書に導かれながら杖を脇に抱え、唇を歪めながらそろそろと入ってきた。娘を認めると「律子、お前何の用だ」と、強い口調で言った。
「インタビュー、同席させて貰います。心配してるのよ。お父さん、何言出すか分らないから。こんなもの、何もいまわざさわざ作らなくても。本当はもう少し後にして欲しいんだけど、どうしてもって言うんだったら、しっかりとチェックさせて貰うわ。いくら個人的な自伝だからって、そのまま書かれたら、世間に誤解を与えかねないでしょ」
 老人は話が終わらないうちに、体が小刻みに慄えだしていた。
「何を―。馬鹿もの! わしの偉人伝は、わしが言った通りに書けばいいんだ。こんなものとは、何だ。もう題名も決めてある」
「題名? 何ていうの」
「『人生連峰』じゃ。『人生連峰-我が半生記-』。わしの人生の幾山河の記録を、そのまま後世に伝えようと思ってな。いいか。これは会社の社史じゃないんだ。わしの生き方の問題だ。わしがどういう男で、お国のためにどういう働きをしてきたか、それを世間様に分かって貰おうってんだ。お前ごとき娘っ子に、どうこう言われる筋合いはない。それに、何であの馬鹿どもを、会議室に呼ばなけりゃならねえんだよ。この仕事に、あいつらがしゃしゃり出て来ることは、ないんだよ」
 ステッキを脇の下に挟み、ドスの利いた声で老人は怒鳴った。体を曲げて黒革のソファに座ると、たらりと垂れた左腕の袖が、折れる。
 娘は両掌を机に乗せ、憎しみを帯びた眼で父親を睨んだ。
「そうやって、ヤクザみたいな声で、まくし立てないでよ。あたしは土建屋時代の子分じゃないんだからね。ウチのそういうとこが、一流ゼネコンの連中から、馬鹿にされるの。お父さんは大体、自分で自分の状態が分ってないじゃないの。悪いけど最近、言ってることがトンチンカンよ。あたし、これはまだ言うまいと思ってたけど、いい機会だから教えてやるわ。どうせ、ウチの会社の男なんて、みんな腰砕けのイエスマンなんだし、誰も忠告してくれやしないでしょうから。兄さんだって伸雄さんだって、何も言い出せやしないんだから。……自分じゃ頭がしっかりしてると思っているでしょうけど、アルツハイマーって言うのよ。脳軟化症かもしれないわ」
 娘はそれだけ言うと、苛立たしげに会長室を歩き廻った。
「どうなるのこれから、この会社。大変なときなのよ今。お父さんは、もうちょっとすりゃおねんねしちゃうから、いいでしょうけど。あたしたちに、重たい岩がのしかかってくるの。毎晩、眠れないのよあたし」
 彼女の顔は、怒りのため湯気でも立ち昇りそうだった。
「あたしはね、この性格だから、すべて事実を事実として伝えてあげるわ。もし父さんの癌が再発したら、ちゃんと隠さないで報告してあげるからね。昔自分でそう望んでたようにね。とにかくいまの会社の現状を、自分で正確に把握することよ。自分史なんか作って、過去に逃避してる暇など、ないはずよ。会社を建て直すことが、最重要課題じゃないの。怒鳴ってばかりいないで、少しは可愛いげのある老人になる訓練をしたら。フッ、昨日だって、風呂場とトイレの場所を、間違えていたじゃない」
「何を言ってるんだ」

 会長は、わなわなと体を痙攣させていた。「過去に逃げてるだと?どこが逃げてるんだ。世間様の役に立とうとして、何で逃げることになるんだ。わしのことは、わしが言った通りに、すりゃいいんだ。出ていけ馬鹿もの。ここは俺の部屋だ」 

 家庭内の不和を、そのまま会社に持ち込んでいるとしか思われなかった。
 それにしても『人生連峰』。何だか、暗澹とするタイトルだ。
 老人はよろよろと奥の長椅子まで近づくと、秘書の手を借りて倒れ込むように身を沈めた。片腕だと身体のバランスにも影響してくるらしい。眼を閉じ、指で目頭をこすった。

「お父さん、あたし思うの」娘が歩み寄った。
「いいから、出ていけ――」
 声がかすれていた。
「実はねえ、金融機関のひとつが……」
 いきなり老人は杖をソファの側面にバシリッと叩きつけ、激しく鋭い音を響かせた。どうやらこの杖が最終兵器らしい。その場にいる者の全神経が凍結するような音だ。
 専務は眼をそむけ、無言で出ていった。
「すまんな。ナニ、育て方をしくじったんだ。あのお転婆は、昔のわしにそっくりだよ」 

 会長は、苦笑いして口を片方に思い切り歪ませた。天井を向いてふーっと溜め息をついてよろけながら立ち上がり、のろのろとこちらの黒革のソファに来て、すとんと力無く腰を落とした。秘書が心配そうに両手を添える。会長は身を乗り出して眼を閉じると、黄色い顔をつるりと撫でた。
「さてと。アー、私の名前は丹下喜作。大正四年、福島県の二本松に生まれました。父親の名前は、丹下徳治。母は丹下ツネ。生まれたのは烈風の吹く、雪の降りそうな二月の四日、ひどく寒い晩だということだ。

 戸籍上の届出は三月一日になっておる。家は当時農業を営んでいたが、もともとは相馬藩の藩士で、まあ世にいう没落士族だ。農業以外にも、いろいろ商売をやっておったな。わしはきかん坊だったが、手に皹を作りながら、親父を手伝ったよ。当時親父の商売は……」
 こうして丹下会長の自分史、彼の言う「偉人伝」のための、前途多難な取材が始まった。

      

                                     (続く)

            

 

                          5章  http://p.booklog.jp/book/97775/read

 

 

『建築家の檻』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1   丹下会長は片腕のない白髪鬼で…

http://p.booklog.jp/book/97575/read

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

2   そして、戦艦のような建物の中へ

http://p.booklog.jp/book/97692/read

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

3    第一印象で、もう落第

http://p.booklog.jp/book/97717/read

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

4    前途多難。白髪鬼からのヒアリング

http://p.booklog.jp/book/97734/read

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

5   父親殺しの建築家。旧左翼ふうジャーナリスト

http://p.booklog.jp/book/97775/read

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

6   満州で馬賊の親分になりたかったのさ

http://p.booklog.jp/book/97814/read

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 7 「ハルピンの悪魔城」を思わせる私邸には

http://p.booklog.jp/book/97885/read

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

8   最高会議は家族会議。妄想のユージェニクス

http://p.booklog.jp/book/97960/read

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 9  大陸での忌まわしい出来事。ルイーズ・ブルックスと佐伯祐三

 http://p.booklog.jp/book/98117/read

 


奥付



建築家の檻 4


http://p.booklog.jp/book/97734


著者 : Grasshouse
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/grasshouse/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/97734

ブクログ本棚へ入れる
http://booklog.jp/item/3/97734



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社ブクログ



この本の内容は以上です。


読者登録

草原克芳さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について