| 作者 | rectus | 状態 | 完成 | ||
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| カテゴリー | ビジネス・教育・社会 (ビジネス, 政治・社会) | 価格 | 350円(税込) | ページ数 | 15ページ (Web閲覧) 21ページ (PDF) |
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Twitterで人気者になった片田舎のたこ焼き屋。彼が担った役割とは何か。Twitterにおけるコミュニケーションの形を分析し、ソーシャル時代の生き方を考察したたこ焼き社会論です。「ど田舎のたこ焼き屋とtwitter」 http://p.booklog.jp/book/8407 と併せて読むと、よりお楽しみいただけると思います。
この本には試し読みページが 2 ページあります。
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はじめに
「たこ阪なう」
筆者のTwitterのタイムラインに頻繁に登場する言葉。
「たこ阪(はん)」は、鹿児島県薩摩川内市という片田舎にあるたこ焼き店です。県庁所在地にあるわけでもなく、最寄駅からもけっこう遠いこの5坪ほどの店は、一部のTwitterユーザーの間で人気です。いや、正確には店主が人気者だという言い方がよいかもしれません。
よくある「飲食店がTwitterをうまく使っている」という事例とはちょっと違う、一見不思議なコミュニケーションがこの店、あるいは店主の周りで起きています。市外、県外から新幹線に乗ってたこ焼きを食べに来るお客さんがいたり、店主とお客さんが延々と数時間も話している様子がインターネットに配信されていたり、そのためのパソコンをタダでプレゼントしてくれるお客さんがいたり。
インターネットの登場によって、コミュニケーションの形はそれまでと大きく変わりました。特にTwitterは、リアルな生活と地続きであるという意味で、象徴的なものであると思います。「たこ阪」をケーススタディとして、Twitter時代におけるコミュニケーションとはどのようなものか、を考え電子書籍にしてみたのが本書です。
Twitterなど新しいツールが次々と現れる中で、どうかすると見逃しがちな世の中の変化の本質とは何なのか、少しでも読者のみなさんがそのようなことを考えるヒントにして頂ければ幸いです。
※この電子書籍をお買い上げ頂いた方に当面の間、特典を付けることになりました。感想をブログに書いて頂き、Twitter上で@rectuswarkyおよび@otakohanの両方にリプライまたはDMを頂くと、本文中でご紹介しているたこ焼き屋「たこ阪」にてたこ焼き(350円相当)が1人前無料になります。実質0円です。
※という上記の特典を付けていたのですが、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援のため、微力ながらこの本の売上は全額パブーを通じて日本赤十字社へお送りすることにしました。それに伴いたこ焼き特典は終了させて頂きます。皆様のご協力をよろしくお願い致します。(2011.3.29)
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分人ってなんだ? - Twitterを考えるヒント
筆者は、Twitterを考えるときに「分人」というキーワードが有効であると考えています。
「分人」とは、作家の平野啓一郎氏が著書「ドーン」の中で用いた概念です。
ひとりの人間の中に同時に存在する、無数の異なる顔、とでも言えばよいでしょうか。「経営者」「一児の父親」「鹿児島人」「iPhoneユーザー」「楽天会員」など、列挙するとキリがないほど様々な側面を誰でも持っていると思います。この一つ一つを独立した人格のように、「分人」と呼んでいます。
ちなみに、いわゆる多重人格とは似ているようで全く異なります。一般的に多重人格とは、ある人格と別の人格が全く同時に現れることがありませんが、「分人」は常に共存しています。先程の例で言えば、「iPhoneで楽天を見ながら子供へのプレゼントを探している」というようなシチュエーションを想定してみると、いくつもの分人が同時に活動していることがわかるのではないでしょうか。
さて、Twitterのタイムラインを眺めてみましょう。
Twitterのコミュニケーションは、「この人の発言を読みたい」と思ったら「フォロー」する、というところから始まります。フォローした大勢の人の発言が、ごちゃまぜになって時系列に流れてくるのがタイムラインです。初めてTwitterを見たとき、この感覚に不思議な印象を持つ人も少なくないと思います。リアルな友達をはじめとして、地元が近い人とか、興味のある業界の有名人とか、趣味が同じ人、境遇が近い人など、様々な理由でフォローしているので、ひとことでいえば「混沌」というほかはありません。筆者のタイムラインにも、クリエイター、建築士、学生、主婦、芸能人、大学教授、その他分類不可能な人達も含めて本当にいろんな人が居ます。
そして、ひとりの発言に注目してみます。
デザイナーのTwitterユーザーさんは、デザインに関することばかり発言しているわけではありません。仕事のこと、テレビ番組のこと、お昼ごはんのこと、「帰りたい」といったような心のつぶやき。実にさまざまなベクトルの発言が共存しています。ひとりに注目しても、混沌としているのです。これは、ひとりの中に存在しているそれぞれの分人が発言している、と捉えることはできないでしょうか。
Twitterで良く使われる「クラスタ」という言葉があります。
ある同じ属性を持った人たち、というような意味で使われます。筆者であれば、「鹿児島クラスタ」「iPhoneユーザークラスタ」「育メンクラスタ」などと呼ばれています。ひとりの個人がそれぞれのクラスタに属している、という状態ですが、鹿児島クラスタに属しているのは筆者の中の「鹿児島人」という分人だ、というふうに考えてみたらどうでしょう。ひとりの中に存在する無数の分人は、同じ属性を持った他の人の分人とくっついてクラスタを形成している、そのような目線で、Twitterでのコミュニケーションを考えてみたいと思います。




