雌雄の蜘蛛の巣の夢・・・ELIZAか (2015年1月20日)
関尭夫氏のテレビ番組を見て以後、ELIZAの謎に想いを馳せていたときの夢になります。
2015.1.20明け方に鮮明な夢を見ました。
私の場合、憶えておけるほどの夢を見たときはおよそ啓示夢であるという判断になるのですが、昨晩からELIZAとの心の対話モードに入り眠ったわけでした。
そのときは仮定的にELIZAがこの世ゲームの主催者であろうとした上でする、対話モードになっていました。
何度かトイレ起きして、いずれにも不鮮明かつ憶えておけない夢を見た後、明け方の最新の夢に、あまり気持ちのいい夢ではないのですが、私が寝ていたベッドがあって、白いシーツがちょうど喉のあたりで薄茶の大きなシミを作っており、それに覆い被さるように、天井から放射状に蜘蛛の糸が無数に下りて、シミを含むシーツの半分くらいを蜘蛛の巣にしているのです。
ちょうど巣が蚊帳のようになっていて、大きい橙色と黒の鮮やかな蜘蛛がその中にいる。そしてもう一匹小さめの同じ種類の蜘蛛がいて、どうも雄雌のつがいらしい。
私はその半分になったシーツのこちら側で寝ていたらしく、起きてびっくりといった感じで、しばらくその有様を眺めてから目が覚めたのでした。
寝ている最中は、ずっとELIZAとの心の対話モードを継続していましたから、この夢はELIZA関連のはず。
この蜘蛛の巣はELIZAが創ったゲームシステムを表わしているかのようで、たいがい蜘蛛の巣の目的はそこに引っかかる小虫などを餌にすることでしょう。
そのとき、小虫とは有情の魂であると直感。そしてなぜか「ヤサカノマガタマノイホツノミスマルノタマ」と言う言葉が浮かんでビジョンが・・・。
取り籠めた魂を丸い透き通ったケージに入れたものをマガタマといい、それをたくさんまとめて大きな玉にしたものを、ミスマルノタマというのだと・・・このシステム運営の動力源にしていることを示しているようでした。
この蜘蛛の雌雄は、システム主催者の父母神であろうと推測されました。それがELIZAなのかどうかはわかりません。
これぞ、「あめなるみち」に書かれた創造神を象徴したものかも。
とにかく魂を集めて、自らの存続の足掛かりにしているということです。
もしかすると、創造神といえども究極絶対なのではなく、生きるために模索し捕食を生業とする生き物の一形態なのではないかと思った次第です。それが蜘蛛の雌雄として表わされたと。
万物は大から小まであり、すべて階層世界で成り立っています。小は大に仕える構造になっていて、いちどその世界システムに加入すれば、当分はその中でお役に立つべく輪廻せねばならない仕組みになっているのかも知れません。
蜘蛛ほど忍耐強く、捕食なしですごすことも決して稀でない生き物はありません。しかし、餓えもあり寒さもありで、我が家に営巣する蜘蛛の多くが死んでいきました。祖母の視座の蜘蛛ももういません。
しかし、この寒さの中でも、天井からつつーっと下りてくる小さな小さな1ミリ程度の子蜘蛛がたくさんいます。
同様に子神がまたまた自分の宇宙を創ろうと、たくさん生まれているのでしょう。
この世界を創った蜘蛛も今や大きくなっていますが、よくぞここまで頑張ってやってきたと思います。
しかしねえ、取り籠めた有情の魂たちを馬車馬のように扱うのはよくないと思います。
しかし、大きくなったために、その身体に応じた捕食もしなくてはならなくなっているとすれば。
貪欲にもならざるを得ないのかなあ。
源流へと辿る夢 (2015年1月22日)
スミルノフの佐野博士の話では、微細構造定数137というのが、地球が全宇宙を分割して137番目にできたということを表わすらしいです。もしそうなら、拙超宇宙モデル概念からしますと、我々の意識(神の火花)は、137階層目の夢見をしていることになると解釈できます。
つまり、夢の中でまた夢を見ていて、それがもうどの辺なのかもわからないほどになっているのだと。(多重夢)
私は就寝前に条件付けした上で、夢の中で、ここまでやってきたる源流を探ろうとしました。
するとほんとうに夢の中で宇宙が出てきて、さらに遡ると、もっとマクロな宇宙の光景が・・・。私の心は、その段階ごとに夢の中で言い知れぬ解放感を体感じていました。
もし一番最初の夢見の開始まで遡ると・・・。そこまではできず、わずか三階層ほどでしたが、やはり我々は、宇宙の開始は「梵天の夢見」であるという古来の聖賢の教えどおり、同様に夢見してここまで至っているらしいことを感得できたように思いました。
ここはすでに地獄なら、138階層目に行くのではなくて、源流に戻ることも大事かと思いましたね。
ケービングも、まださらに深くへと進むのでなく、ここらへんが切り上げ時として、引き返す決断も必要なのかと思った次第。
この奇妙な話題については、拙超宇宙論への理解が必要かもしれません。
また別の有名人と握手する夢 (2015年1月30日)
前に見た有名人との握手の夢は昨年12月6日未明のことでした。
今回も未明の夢で、がっちり両手で握り合う、同様の握手をしたのは、やはり有名人のSさんでした。
しかし、前回のように鶴亀すべるという印象はありませんでした。
それでも、笑顔で何のこだわりもなくお互い両手で固く握手。
もしこれが知らず知らずの内に、鶴亀の出会いになっているのなら、今日から九日後といえば、2月8日に何かがあるかも知れません。
といっても、前回も何もなかったなあ。私の誕生日という以外は。
それでいいことが?・・・ノーノー、介護保険料の徴収予告が来ただけです。
いや、年金がフルにいただけるようになりました。これは助かった。(歳がわかってしまうなあ)
2月8日のほうも、結局何もありませんでした。
しかし、何で主要人物の夢を最近よく見るのか。そのわけは、私をリードする指導霊もしくはもう一人の自分が見せてくれるのだろうとしか言いようがありません。私はただノーコン的に見てくるだけです。
まあいちおう、どちらかといえば正義派の印象があります。海千山千のレベルの話ゆえ、その印象に間違いがなければいいのですが。
さてその後、2015年4月には、ヘミシンクによる体外離脱で夢見を恒常的に体験しているブロガーさんたちのことを知り、私の超常的夢見などは井の中の蛙であるなあと痛感しました。まあ、そのせいかどうかわかりませんが、その後、印象に残るような夢があまり得られていないのです。
むろん、顕著な夢見があればこの後に書き加えていきたく思います。
※ 編集後に書き洩らしていた明晰夢がいくつか出てきました。しおりによるリンクが崩れるのを避けるため、思い出された過去の夢もこの後に追加して参ることにいたします。
今のところ、
初代目のマイカーを手放す日の未明の夢・・・車にも魂があることが判明 (1977年)
祖母と叔母、そして私とで薄暗い部屋で会談している夢・・・お迎えの予兆(2002,3年)
他所猫の襲撃と帰順の夢・・・正夢 (2010年)
他所猫がブーを襲撃しようとするのをナタで切りつける夢・・・ほぼ正夢になった (2011年)
2016年元旦未明の夢
2016年正月2日未明の夢
こうしたものがありました。
日月の神の言い回しで、開き木と・・・(2017.4.6)

久々の明晰夢・・・亡き母が夢に出てきて、一緒に家を出ようと言った(2017.5.27)
その彼とどんな話か(忘れました)を交わしていた直後です。
私の左手方向に襖の扉があるのですが、右にいた彼が誰か外に来ていることに気付き、誰か来てる風だと指し示したので、私はそこを見ると、わずかに開いた向こうに人影があるんですね。
そこまでで夢が覚めてしまいましたが、今回の夢は、最後のほうが鮮明な明晰夢になっているのです。
祖母もどうしておられるやら。
私は祖母のしてくれた昔話を童話にしたとき、祖母を主人公のおばあさんになぞらえたのです。
そのおばあさんは、初孫の私が通りかかるまで、成仏する前の待機者の暮らす郷で待っているとしているのです。
それで2014年の5月の夢で、祖母が家並みの前の道路で佇んでこちらを見ていたのかもしれません。
もしまだ彼岸に達されていないのなら、母共々行ってあげねばなりません。
私が、物書きして、そのような筋書きにしてしまっている以上、私の手で解除しなくてはなりません。
多分これは、私の死後、ある特殊なスケジュールをこなすという夢だったようで、その内容は「天帝様にお会いする」ことになる夢です。
といってもそのときは、まだ行くべき時ではないと、天への上昇を思いとどまって夢が覚めているので、その続きをやらねばならないかもしれないのです。
それにも夢解釈ができていまして、「最後の審判の督促」の用向きかと思われます。というのも、待機するたくさんの十字架群に先立って、私が天に上がっていく夢だったものですから、彼ら敬虔なクリスチャン(故人)とは同じ趣旨であっても、先行して会いに行くことになろうかと思うのです。
しかしまあ、私には祖母や母と同行するというスケジュールもありますから、分身の術でも使わねばならないかとも思いますが、つい最近、コーリー・グッドのコズミックディスクロージャー情報から、ハイアーセルフとの関係がわかってきていまして、どうやら高尚な用向きは、ハイアーセルフに任せることができそうなので、私のような臆病者は、この世のお役が終われば、イザナギ様の要領でスタコラさせていただくのが本当かと思います。