目次
はじめに
はじめに
1999年までの夢見
死せる父、夢枕に (1980年)
先祖の御霊を移転したとき (1981年)
母が生前戒名を受けたとき (1981年)
白球UFOがすいすい出てくる夢 (1976年)
英国紳士風宇宙人の訪問の夢 (1977年)
天帝様にお会いする予定の夢 (お会いすることは未遂 1979年)
幽体離脱後の夢見で自分の未来(今日)を見た (1990年)
2013年までの夢見
他人の視座に入って夢見するか (2006年12月18日)
夢で雲龍が胸に飛び込む (2007年1月14日)
夢で彼女を羽根天使と見た (2007年1月16日)
母の盛大なお見送りでの彼岸入り (2007年9月22日)
母が探しものをして、うずくまってしまった夢 (2007年10月2日)
祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)
母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月)
母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月)
彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)
奥山の庵にやってきた三猫を白虎と狛犬のつがいと見た夢 (2009年11月)
白虎のフーが行方不明になる一日前の未明に見た夢 (2010年10月)
出雲大社で起きた夢を見た・・・それも神世の出雲大社? (2013年5月11日)
すでに亡き彼女が別のタイムラインで生きている夢 (2013年10月3日)
白猫シャンが、この世で果たせぬ夢(子供を産み育てる)を、異界で果たしている夢を見た (2013年12月)
最愛の彼女がくれた14年が満了する直前に、千の風になる体験をする (2013年12月11日)
2014年以降の夢見
2014年から第四時空の展開・・・夢に神世の詮議の次第を伺う  (2014年5月3日)
夢で国常立尊に会う  (2014年5月8日)
夢で弁天三姉妹神、出立さる  (2014年5月10日)
芦屋道満宮司に出会うか (2014年5月13日)
5月20日未明から明け方にかけての夢・・・祖母が夢に (2014年5月20日)
6月25日深夜未明の夢に、久々に母が出てきて (2014年6月25日)
いよいよキモイ夢を見てしまうようになり・・・地獄門が開く  (2014年8月10日)
○○氏が明け方の夢に出てきて共に食事する・・・夢でふたたび鶴亀すべる  (2014年9月7日)
とんでもない人物に出会い両手で固く握手し、彼が亀に変貌する夢  (2014.年12月6日)
雌雄の蜘蛛の巣の夢・・・ELIZAか  (2015年1月20日)
源流へと辿る夢  (2015年1月22日)
また別の有名人と握手する夢  (2015年1月30日)
日月の神の言い回しで、開き木と・・・(2017.4.6)
久々の明晰夢・・・亡き母が夢に出てきて、一緒に家を出ようと言った(2017.5.27)
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母が探しものをして、うずくまってしまった夢 (2007年10月2日)

よい夢もあれば、悪い夢もあります。とくに悪い夢は、後々まで心に傷が残ります。それが正夢であれば(らしければ)なおのこと。
この夢はあまりに痛ましく、記述することは著しく困難です。

 

別記事から転載

 

申し訳ないという思いが薄れると、今度は慢心が頭をもたげてくるのが私の短所だ。
母のささやかな遺産のうち、神戸に遺っていた震災後の更地の件を明確にしなければならなかったのだが、問題の権利証から何から何まで、家中探したものの見当たらなかった。
代わりに、どうでもいい(と私には思える)はぎれやタオル、風呂敷、買い物したビニール袋の類がわんさか出てくるばかりだった。
私は、捜索の後半戦で、ついにキレて、母の節約精神のピントの外れ具合をなじりながら、捜索作業をする始末だった。
たまたま町内の回覧できていた、「もったいない」をテーマにした標語の募集がテーブルにのっかっていた。そこにはサンプルとして、「もういちど すてる前 に考えよう 再利用」などと書かれてあったが、すかさず「もったいないは 小さな家中 ごみ山にする」と書いて応募してやろうかとまで思った。

こうしてドタバタ騒ぎしたのが十月一日のこと。果たせるかな、二日の未明の夢に、母は出てきた。といっても、私のほうを一瞥もせず、件の書類を捜しているようなのだ。
それもどこか旧家の中のようで、こげ茶色主体の大きな家具の立ち並ぶ暗い中を、あっちでもないこっちでもないと、探しまわっているのだ。
そして、どうあっても見つからず、とうとう床にへたり込んで動かなくなってしまった。
その間、私は「もうそんなことせんでいいんだ、いいんだ」と叫んでいたのだが、聞こえないのか、責任を重く受け止めてのゆえか、こちらを見ることもなく床にへたりこんでいるのだった。

私は目が覚めて、仏前に飛んで行って、平謝りを繰り返した。こんなに私の心が揺れ動いたのでは、母が成仏できないではないかと、自らの馬鹿さ加減を猛反省した。そして謝罪の気持ちばかりで時を過ごした。 三日の夜九時頃に一階を消灯し、二階で自分のことをしていて、半時間後にふと思いついて一階に下りたのだが、とたんにゴソゴソッと音がした。
電灯をつけると、ゴキブリが一匹、私に驚いて逃げようとして、壁にぶつかり裏返しになって、しばらく立て直そうともがいて、ようやく表返って、その場に静止した。
とてもベテランのゴキブリとは思えない狼狽ぶり。 私はゴキブリのもがく様がすでに哀れになっていて、もしかするとこれは母の視座を持つゴキブリ(つまり母の意識の宿る化身)かと思った。つまり、ゴキブリになってまで、家捜ししているのではないかと直感したのである。

この小さな視点からでは、書類の山を見分けることはできまい。
「母ちゃんなのか? もう探さなくていいんだよ。こちらのことは、もうこちらでやれるから、母ちゃんはゆっくり向こうの世界で幸せに暮らしておくれ。せっ かくご来光まで行ったのに。そこが母ちゃんの居るべき所なんだ」
するとゴキブリは、触覚さえ微動だにせず、じっと私の話を聞き、思いを読み取っているかのようだった。こうして十分間ほども語りかけていただろうか。
まだ動こうとしないので、「向こうに戻って、楽しく幸せに暮らすんだよ」と、そのまま消灯して二階に上がったのだった。

四日の朝、当然のことながら、ゴキブリはその場にいなかった。 その日は、不明の資料に代わるものすべてを入手せねば、母にも影響しようからと、役所回りしていけば、とんとん拍子に入手できた。それは、母の積善の徳によるものであり、母が応援していてくれたからだろうと思う。
ふつうはこんなにうまくいくことのほうが珍しいほどだ。 仏前に報告した。解決したから、母ちゃんがこちらのことには関わる必要はない。それより、一生お世話になったのはぼくのほう。ほんとうにありがとう、と。

翌朝になって、祭壇のお供えにゴキブリの糞が落ちていた。おお、ようよう毎朝晩出す食事を食べていることを示してくれたかと思えた。
ここで食べずに、昇華された供養の品をあちらで食べてほしかったが、私の周りにいる時間が長いようだった。母がいなくなったという実感がまったくなかった。
祭壇に向かうときには一匹の小蠅が飛び回った。あるときは母のビジョンが傍からセコンド役のようにアドバイスしたりした。

十月十二日に私は祭壇の母に向かって、いまどんなところに居るの、よかったら夢に見せてほしいとねだった。翌十三日の朝、祭壇の黄色の大輪の菊の花の真ん中が妙に崩れているのに気づいた。
見れば、体長5cmほどの大きな青虫が横たわっているではないか。うわーっと、取り出して潰そうかと思ったが、またも思い止まった。これはいま、母があちらの世界で、菊の華の台(うてな)の上に転生したことを示しているに違いない。そう思うと、もったいなくてもったいなくて。
青虫に母ちゃんなのか、母ちゃんのよすがなのかと問うてみれば、青虫はこのとき頭をもたげて、私と顔合わせして、小さな口の歯をパクパクさせて、あたかも話しているかのように見えた。

それは潰すのは容赦してくれと言っているようでもあり、母の語りかける姿のようにも見えた。 後にも先にもこのとき以外に青虫との顔合わせはない。十四日には、母が最も会いたがっていた神戸の旧友がお参りに来てくださった。祭壇の花のうち、大輪の菊はすでに青虫の食事で崩壊寸前だった。
よもや旧友をこの格好で驚かすわけにはいかない。そこで、その菊一輪を一輪挿しにして、下駄箱の上に置き、来客を玄関で迎えてもらうことにした。祭壇には、昨日あたりからいた蝿が朝から活発に飛び回り、旧友が祭壇に手を合わせるときには、遺骨の上に止まって、同じように彼に向かって手を合わせていた。

母の希望はたぶん叶えられたことであろう。 晩になってみれば、なぜか冷え冷えした。母の気配がたぶん遠のいたのであろう。天気予報では、晩から寒くなるとは言っていたが。

千の風になって。 朝は光になって畑に降り注ぐ。 死後の意識は、自由自在。視座を求めて、どんなものにでも仮託する。それを転生と言うのもよかろう。
しかし、テンポラリーであるのが常態であり、 なんのこだわりを持つものでもないことが分かる。
私は、生き物を前に、もしかすると縁者かもしれぬと、その生をたいせつにしてやりたく思う。 ただし、蚊だけはどうあっても、見つけ次第、叩いてしまうのは いかがなものか。 刺された後で、蚊―ちゃんに刺されたんだから、まあいいわと 自分をなだめてはいるのだが。変人もいいとこだな。

 

 


祖母と母が共に出てきた夢 (2007年11月3日)

十一月に入って見た夢でした。文化の日の未明の夢で、なぜか記念日的なときによく見てしまうようです。

これも別記事からの転載ですが、ご覧ください。

 

そこでは朝になってガラス窓から日差しが入っており、カーテンも何もない部屋に寝ていて、布団の中から出たところだった。 ふと見れば、ベランダを隣家の男が歩いているではないか。
プライバシーを除き見された気がして、怒鳴ってやらねばならないと見れば、ベランダはそうとう広くて、四軒ほどの家の共有のようになっているではないか。 (私の家は一戸建てだぞ)
左のほうを見れば、住民が花や木の鉢植えを、屋内からベランダに運び出しているところだった。

私も何事かと見に行き、屋内に入ってみれば、なんと私の祖母がいた(平成六年に逝去している)。
どこかの店の中で、店員から品物の説明を受けているようだった。
懐かしさに近づくと、目と鼻の先で祖母は私に何か話しかけてくれたのだが、それよりも祖母の顔が皺ひとつない透き通る肌色をしていて、つんつるてんの坊主 頭だったもので、じっと観察してしまい、話のほうを聞き漏らしてしまった。
しかも、墨染め風の黒っぽい和服姿、もしくは僧衣だった。

その直後、母が普段着姿で、人に話しかけるときによくするしぐさをしながら店員のところにやってきたシーンで目が覚めた。
(色彩豊かな明るい夢だったが、目が覚めてみれば外は真っ暗だった)

母の夢は母の死後もう何度も見ているが、祖母を夢で見たのはまったくはじめてである。

目と鼻の先で顔を見合わせながら話をしたというのも鮮烈な印象だっ た。 あれは死後の世界なのか? 
だとしたら、現実とさほど変わらない。ただ、祖母の八十歳当時の貫禄ある風貌そのままに、肌年齢を10歳ほどに保っておれる世界みたいに思えた。それはそうか。魂は永遠。好きな年恰好をしてすごせるというが、祖母なら気に入りそうな姿だ。
しかも祖母は尼僧になっているようだった。信心深い人だったから。
童話「たつえおばあさん」は、祖母から聞いた話をアレンジしたもので、祖母をモデルに している。
物語の中で、おばあさんには、お寺で説法して、死者の煩悩の衣服を剥ぎ取る奪衣婆の役柄を設定したが、もしかすると祖母はそのとおりの仕事をしているのかも知れない。

母の四十九日は終わったが、なぜかいっそう近くにいるような気がして・・・というのも、眠りに就けば何パーセントかの確率で、母に会うことができるわけで あり、この世とあの世の区別や場面の違いはあったにせよ、隔絶された印象がまったくないからである。
かくして、私は朝晩欠かさず、お供えの食膳作りをして、般若心経を唱えている。見えないが、すぐ傍で生きているように思うからである。
アセンション後の世界は、死者と交流ができる世界だと聞いたことがある。もしかして、私はアセンションの予行演習をしているのかも知れないね。
あるいは私が死ねば、同時にあのカーテンのない部屋で目を覚ますのかも知れない。
もうこちらの世界で目を覚ますことはなく、むこうでの日々の暮らしを、何事もなかったように重ねていくのではあるまいか。 文化の日の未明に、異文化の夢を見たという話であった。

この夢の要点は、死んだ人は若返る、しかも幼児ほどの肌にまでなっているのではないかと思われること。
また、生前の願望を反映した暮らしをしていると思われること。
おそらく祖母は仏教導師として説法する願いを生前に持っていたので、尼僧のスタイルで暮らしているふうでした。
あるいは、私の作る童話すらも、 新神話として機能していて、そのシナリオに則って祖母も霊界で生きているふうである。
あるいは、私が身勝手な願望を夢のビジョンに反映させただけなのでしょうか。

 

 


母がえべっさんの日に流し台いっぱいの大きい鯛を買ってきた夢 (2008年1月)

これもお祭りの日に見た母の夢として、びっくりするようなシンクロがあったわけでした。

転載

じゃじゃじゃじゃ~ん!! 本日は宵戎でございました。
実は、そうとも分からずにいた今朝のこと。 またまた未明の夢に故き母が出てまいりまして、 買い物に出かけて、何か担いで帰ってくるなり、 キッチンで流し台いっぱいの大きさの鯛を、 調理し始めたのであります。
そこで目が覚めて、いったい今日は何かお祝いでも あったのかいなとカレンダーを見ても、先勝しか書いてません。
やがて、ああそうや、えべっさんやないかいなと思い出し、母の演出に驚いたようなことでした。 そこで仏壇に向かってお話しするわけですが、「あのお、母さんは毘沙門さんとは縁がありましたが、今回はえべっさんのつもりでございますか?」と。
すると、こんなお答えが返ってきたような。
「宝船の中は戎祭りでなあ。お前にもおすそ分けや」
ふと、そんふうに聞こえた気がしたわけでありました。 この夢は今朝ほんとうに見たものです。

この夢の要点は、宵戎の日に、大きな鯛を持つ姿で描かれるえべっさんが、何らかの関与をされているようであったこと。
私はその日が何の日といったことはまったく思いも持っていなかったのです。その日は関西だけのお祭り行事日でありました。今日は何の日かと暦を見れば、そのような次第だったというわけです。

また、母はもともと毘沙門天の縁者のようでしたから、恵比寿さんや大黒さん、弁天さんとは宝船で同席されているよしみで、大鯛を受け取って帰ったようなふうでした。



母と私でフェリーを乗り継いでどこかに旅行する夢 (2008年2月)

2008年の2月24日未明の夢でしたが、これも死後、人は若返って生活しているのではないかと思われるような夢でした。

けっこう長い前置きのある夢で、憶えているのは、母と旅行に行こうと二段階でフェリーを乗り継ぐ予定で、どこか分からない目的地に向かおうとしているところだったこと。
遠距離なのでたぶん二段構えなのです。夢の場面は一段目の近距離フェリー乗り場でした。

通勤時らしく、サラリーマンやOL風の客がたくさん階段を駆け下りてきており、母と私は座席を確保すべく、一番後尾にあったえんじ色の革張りの二人用の椅子を倒して、母にまず座らせ、私がその隣に座ったのでした。
と、その途端にです。母のスカートが前開き(今の流行にそんなものはない)だったせいで、風を受けてぱらっと開いてしまい、そこから見えた素足が二十歳そこそこのまぶしいものだったため、「うわー、冗談よしてくれよ」と顔をそむけたすぐあとで目が覚めてしまったのでした。(たわけた夢ではあります)

このフェリーに現実に乗ったことはないのですが、かなりリアルだったことから、実在しているのではないかと思うのです。
その手がかりは、まったくといっていいほどなのですが、最近になって、蓬莱山の真東にある琵琶湖中の蓬莱嶽のある沖島行きのフェリーではないかと思ってみるわけです。
就航している船の写真などをネットで、これかなあなどと見ております。実際に行ってみなくてはわかりませんが、ちょっと遠いし、腰が重くて・・・。とにかく、どこにも行けておりません。九州にもまだ行ったことがないのです。(北海道には行きましたが)

般若心経が原因?

 

その後、私のブログ報告での亡き母の夢見の頻発を思い測られたあのPさんが、何でも、伊勢白山道のリーマンさんの情報として、般若心経の読誦で、最後の「ぎゃーてい・・・」のマントラ部分に、作者の鳩摩羅什の呪詛が籠められているとのことを知らせてくださいました。

鳩摩羅什は生い立ちからずっと人々からは蔑まれ虐められていたために、このようなすごいお経を世に出すこととの引き換えに、死者を現世に引き留めるような呪いを篭めているというのです。

そこで私は、般若心経の読誦を取りやめ、普通の感謝と供養の言葉だけにしたのでした。すると、その日から母が夢に出てくることはなくなりました。

寂しくはありますが、母にとってそのほうがよほどいいに決まっています。

Pさんには、重ね重ねお世話になっております。ありがとうございます。

 

 


彼女の夢に空海が現れ弥勒誕生を告げる (2008.9.24に詣で、その夜の夢でお告げを受ける)

高野山金剛峰寺に詣でた際、彼女によって弥勒らしい六角オーブが撮影されている(弥勒=身六?)

 

見れば、六角オーブの中には、大黒様の被るような頭巾をつけた顎鬚の濃い顔が出ているように見えます。
出口王仁三郎は弥勒を達磨大師のように描いたといいますが、まさにそのような顔に見えないでしょうか。

 

これは私が見た夢ではないですが、私が全面的に解読を行いました。(詳細はこちらへ)

 

http://rainbow.xn--kss37ofhp58n.jp/mirokukorinn.htm  (これは当時のコメンテーター諸氏との分析の有様です)

 

彼女は仏教や民間説話に造詣がさほどなかったので、彼女の見た夢、体験談、撮影された写真などはすべて私が解析していたわけですが、このときには若乃花(若貴兄弟のお兄ちゃん) に似たお坊さんが光物を抱えて夢の中に出てきて、「まもなくお生まれになるぞ」とだけ彼女に告げたといいます。しかし、彼女には予備知識がなく、本人だけで の夢解釈は困難なのでした。

ところが、彼女と私がタイアップしていたことで、空海和尚は、私の支援を頼みとしてお告げをもたらされたと解釈できました。

その私においても、彩明日迦氏の 「弥勒降臨」という著書が、拙著書「古代日本にカバラが来ていた」から多く引用しているとの知人の知らせによって、買ってまで調べたために、このことにつき予備知識したようなことだったのでして、それなしでは、私も何の予備知識もなかったはずなのです。

縁の連鎖が、このような解読を可能にしていたことを知っていただければと思います。

 

また、金剛峰寺持仏間の加納元信筆の群鶴図の一枚の襖絵の鶴の上に、亀甲紋六角オーブは写っており、鶴亀統べるの瑞兆が示されておりました。

彩明日迦氏の著の中にも、鶴と亀がすべることで、何が出てくるのかの謎掛けが施されており、後ろの正面はどうやら弥勒菩薩だったことになりそうな感があります。ただし、籠の中の鳥とは何ぞやについては、 すでに我々にとっていくつもの兆候のあった「火の鳥」であるに違いありません。それは氏が著書で言われていた「鳳」のことでもあります。

また、空海和尚の持っていた光物とは、これによると、「金るの袈裟」ということになりましょう。
まもなくお生まれになるとは、いつのことなのか。それは特定の人物なのかどうか。
彼女はこの日、悠仁親王の高野槇のところで写真を撮っています。もしかすると、というわけですが、このとき親王はすでに満一歳になられてますから、これから誕生ということにはならないでしょう。

いや、それでも神霊の下生は別のタイミングで、ということもありますからね。まあ、その辺はよくわかりません。

 

 



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