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とくに、いまの時代エキセントリックな行動・規律を無視した行動をすると想定していないおおくの人間にその情報が知られ、動画があるならアーカイブが残ってしまう。

みんなそれを避けたいと思っている。

しかし、の子は規範から外れた姿のアーカイブが半永久ネットに残ることを恐れなかった(いや、わからないけど)。

ネットができてなんでもできるというけれど、ネットができたせいでできるものもできなくなるというジレンマは当然起こっている。昔できたことが今できなくなるということもある。

 

なんでもできる事とそれが許される事なのかは別の話だ。だからわたしは「なんでもできる」という大人の何も考えずにいっていることばにはうんざりなのだ。

 


わたしたちはたまねぎ剣士である。何者でもないので仕方なくその姿でいるだけ。でもがんばれば必ず何か未来あるものにジョブチェンジできるという大人の期待を背負わされている。

これはなんだかいやな感じだ。

 

しかし、作家の阿久悠はこういっている。

 

 

 


 

 

「アマチュアは怖い。なにが出てくるか分からない。ドキリとしたものを作ってくる。ずっとおれはアマチュアでやっていくよといわれると、とても恐ろしい。でも、プロごっこを始めると、全然大丈夫。負けるわけがない。」

 


 

これ、アマチュアこそすごいぞ!といっている。それこそどんより壁になっている何かを突破するといっている。つまり、タマネギ剣士こそ最強ということである。

いまの時代なんでもできないよ!と気づいているわたしたちは、いまの時代のNGに気づいていることである。どこをどうはみ出ればどうなるか分かっているのだ。それは「いま」の時代に「生きている」者の特権である。

 

 

さらに、そこに切りこんで勝負を挑みにいけるのは、まだ何者にもなっていないアマチュア、つまりわれわれたまねぎ剣士だ。

 


 

の子もそれらのことを分かったうえで戦いにいき、カウンターをあてにいってる。つねにのど元一撃を狙っている。

 

それでないと、こちらに勝機はないからだ。時代と世代はどんどん新しくなる。焦りと迷いがでてくるだろう。でもそこで絶望するならいい。腐らなければいいだけだ。神聖かまってちゃんから学べるのはテクノロジーや小手先の技ではない。勇気である。←



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