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 彼らが核心的だったことは警察署に突っ込んでいったことである。2010年、の子(ギター・ボーカル)はパソコンを片手に渋谷駅の交番の目の前で絶叫。マイケルジャクソンの「ビートイット」を踊った。不審者すぎるのですぐさま警官に連行された。警察とのやりとりが生中継される。これが神聖かまってちゃん史に残る「踊り子マーニャ事件」である。

 

 

 インターネットという未来現代的なものをもっていながら、↓


 

 インターネットという未来現代的なものをもっていながら、行動はおどろくほどアナログ。の子のバイオリズムの振り幅が大きくてライブはそれがよく反映されるので彼らじつはどのバンドよりも身体性「ライブ」を感じさせる。

 デジタルという印象があるが、これほどまでアナログ感のあるバンドはいまの時代なかなか珍しい。

この事件は、パソコンだけつかっててもだめだった。実際に身体をつかって行動をおこすというひじょうにアナログ的なものが必要だった。それは勇気だ。通信媒体に勇気(アナログ)をのっけることによって神聖かまってちゃんの存在がおおきくなる。

 

ビートイットを踊って警察につっこめば100パーセント話題になる。一旦やってしまえばあとからやる者は二番煎じになってサムくなってしまうため、向こう三〇年はだれも同じことはできないだろう。勝利の方程式だ。みんなわかっている。しかし、それがなかなかできない。


 

とくに、いまの時代エキセントリックな行動・規律を無視した行動をすると想定していないおおくの人間にその情報が知られ、動画があるならアーカイブが残ってしまう。

みんなそれを避けたいと思っている。

しかし、の子は規範から外れた姿のアーカイブが半永久ネットに残ることを恐れなかった(いや、わからないけど)。

ネットができてなんでもできるというけれど、ネットができたせいでできるものもできなくなるというジレンマは当然起こっている。昔できたことが今できなくなるということもある。

 

なんでもできる事とそれが許される事なのかは別の話だ。だからわたしは「なんでもできる」という大人の何も考えずにいっていることばにはうんざりなのだ。

 


わたしたちはたまねぎ剣士である。何者でもないので仕方なくその姿でいるだけ。でもがんばれば必ず何か未来あるものにジョブチェンジできるという大人の期待を背負わされている。

これはなんだかいやな感じだ。

 

しかし、作家の阿久悠はこういっている。

 

 

 


 

 

「アマチュアは怖い。なにが出てくるか分からない。ドキリとしたものを作ってくる。ずっとおれはアマチュアでやっていくよといわれると、とても恐ろしい。でも、プロごっこを始めると、全然大丈夫。負けるわけがない。」

 



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