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たとえば、週刊少年ジャンプでNANAみたいな性描写ガンガンあるマンガ連載してもらえるかと云えばむりだ。人はこういう。「ジャンプに合うようなマンガにしないと。それか、少年ジャンプじゃないところに連載目指せば。そんなに描きたかったら個人で同人誌でやってみれば?」と。

「なんでもできる」っていうのはつまり、やりたいならだれにも当たらないところでやれるよということなのだ。当てたい人たちがいる場所にボールを投げれないのなら、全然なんでもできないだろ…。

 

週刊少年ジャンプに載っけて、その読者にわたしのマンガを読んで欲しいという願いなのに、読ませたい内容を変更するっていうのは「いまの時代なんでもできる」と矛盾する。ちっとも、思ったとおりにできないからだ。


 

 

 

知らぬ間にわたしたちはことばの意味を拡大解釈していたのだ。

ほぼ誰も振り向かない場所ならば表現の場は開かれているということである。

 

 

 

 

自己探求だけなら作品は日記に書けばいい。↓


 

 

自己探求だけなら作品は日記に書けばいい。それをしないのは他者を求めているからだ。作品を人にみせたい、できれば多くの人に、というのは自己顕示欲を満たすこと以外に、人から認められたい、褒められたい、好かれたいという思いが必ずある。だから、人は表現を見てもらいたくないと感じつつ恐れ恐れながらも人に見てもらいたいのだ。

 

 

 

 


 なんでもできるぞというのは便利なことば。言いかえると「おまえずっとたまねぎ剣士だぞ!」っていわれているようなものである。

 

つまり、ばかにされているのだ。

 

 

 

 


 が、そんなマネごとできるか、って話である。前の世代がやったことをなぞるなんてダサくて出来るわけがない。なぜならば、わたしは「今」生きているからだ。

 



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