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【狂言師は廻る】

 

   ***

 

  たとえば山の景色を想像したとき、その景色に色が付いているか否かを確かめる術は本来はない。というよりも人間の認識にとって色彩の有無はさほど重要ではなく、言ってしまえば実際に色が付いている必要性はなく、そういう色であるのだという錯誤を抱ければ事足りる。白黒のマンガにあるのはおおむね黒の濃淡だが、たといそれだけであってもリンゴが黒く塗りつぶされていればそれを見た人間はかってに赤い色を想起する。そういうことだと思ってくれていい。

 

  色だけではない。そもそもが、二次元の画を見て、そこから立体である実物を連想し、たとえばそれがリンゴならばリンゴを、人間ならば人間を想起するというのは中々どうして都合のいい認識能力ではないか。ザルのようだと言い換えてもいい。人間にある認識能力は、こと想像力などという機構を備えたがために――これは外部入力された情報の不足を補うための機構なのだが――現実を生きながらにして常に仮想世界を生きるという、本末転倒な事態を引き起こしている。

 

 人は常に仮想世界に足を踏み入れている。我々はそれを現実と呼び、ゆいいつ絶対のものだと思い込んでいる。

 

 現在、電脳化率は国連加盟国全体の六割に上っているのはきみも知っているだろう。人口の二割が十歳以下の子どもたちである事実を鑑みれば、それ以上の割合で電脳化されていると言ってよく、先進国に限って言うなれば八割を超える国民が電脳化している。

 

 電脳化、すなわち思考をはじめとするあらゆる脳内電子信号パルスデータ化可能となった現在、我々に備わった想像力は他者との共有を可能とし、本来起きるはずのない現実からの脱却を可能とした。

 

 現実が現実として、妄想よりも上位の存在であると見做されている理由は明確であり、すなわち我々の認識する世界がより広く共有され得るものかどうかという一点に尽きる。

 

 人類史において芸術というものがなぜああも神聖な行為として扱われてきたかと言えば、本来共有されることのない個々人の妄想や想像、或いは本人が現実として捉えていながらに共有されることのない仮想世界を、共有可能な媒体として顕現させるからではないのか。

 

 現実に存在せずともそれが共有可能であれば、我々人はそれを存在するものとして扱う。

 

 数学などはその典型だろう。この世にゼロやイチなどという事象は存在しない。人間がいなければそれはこの世に存在し得ない代物だ。

 

 しかし言葉を介し、意思を疎通し、思考を反映させることのできる人類はそれらの存在し得ない存在を共有することを可能とし、かつて共有され得なかった仮想世界までをも現在、共有可能とした。

 

  仮想世界はもはや仮想ではなく、物理世界から脱却した新たな世界として創造され得るものとなった。疑似体験や疑似記憶は過去改変と大差ない結果を生じさせ、現実がいかように曖昧なものであるのか、そして人のゴーストがいかように希薄な要素で構成されているのかといったことを浮き彫りにさせる。

 

 我々は可能性の幅を広げ、自由を手にしたつもりでいるが、果たして現実をただ手放しただけではなかったか。

 

 そう、だからこそ、きみの意見を聞かせてほしい。

 

   ***

 

  電脳空間に仮想ブリーフィング室を構築する。三つのソファが背の低いテーブルを囲んでいる。部屋を区切る壁も家具もすべてが空間の一部として固定されている。情報の羅列でできあがっているため、たとえ蹴り飛ばしたところでその動作が空間に作用を及ぼすことはない。その挙動そのものが空間の一部であるとも言える。

 

「全員揃ったわね」声を掛けると、「サルオヤジがまだだぜ少佐」バトーがソファにふんぞり返った態勢で言った。デフォルメされた姿ではなく、生身の姿だ。レンジャー特有の義眼がこちらを向く。

 

「課長は今回の案件を私に一任し、今夜は総務省の開いた軍事兵器博覧会で会食だそうよ」

 

「パーティってか。いいご身分だな」

 

「護衛は?」トグサが言った。スーツ姿なのは仕様のようだ。作業中なのだろう、マネキンのように動きが少ない。

 

「国際会議並のセキュリティに、電脳通信も遮断されているほどの厳重さ……。タチコマも一台付けてるし問題ないと思うけど?」

 

「オヤジが喰っちゃ寝してるあいだにオレたちゃドブ掃除かよ」「寝てはないでしょうよ」「トグサ君、オヤジだって人間だよ」バトーとトグサが叩きあう軽口を聞きかねてか、

 

「おめぇらおれにばっか仕事させてんじゃねぇ」とイシカワが声を張った。「給料分は働け」

 

「イシカワ。現時点で判明している情報を」

 

「あいよ」イシカワのアバターは腕組みしたまま動かない。年中同じ上着を羽織っているが、さすがに汚れまでは再現できないようだ。目をしょぼつかせるようにし、「オヤジからの指示で新規電脳麻薬の正体と、その流入先を洗ってたんだが、どうにも国内で生産されているらしくてな」

 

 テーブル上に高層ビルの立体図が展開される。

 

「ドグラーツ社だ。ニューポートシティの一等地に本社を持つ。コンテンツ産業の大手企業だ。創立者は薬中やくなか大真たいま、四十一歳オヤジが出向いているパーティの主催者の一人だ。三十二のときに起業し、二年後には音楽、映像、電脳アプリなど、各種メディアを一つの機構にまとめあげたやり手の実業家だ」

 

「たしか」とトグサが口を挟む。「人工知能による芸術作品の創作を初めて商業的に成功させた会社って話じゃなかったですか」

 

「よく知ってるな」バトーが冗談めかし褒めると、うちのカミさんがファンなんだ、とトグサは照れくさそうに言った。「小説、漫画、アニメ――ひとむかし前まで サブカルチャーだなんだと言われていたコンテンツ市場は、いまじゃドグラーツ社のプロデュースした人工知能の独擅場ですよ。芸術活動までこなすようになったってんで人工知能にゴーストが宿ったとまで騒がれて、狂信的な需要者が今でもまじめに活動してるって話です」

 

「人工知能に人権を、ってか?」

 

「イシカワ、続きを」バトーとトグサの無駄口を無言でいなし、説明の続きを促す。

 

「そもそも新規電脳麻薬がどんな媒体でもってプログラム因子を使用者に出力しているのかって、その形態が謎につつまれててな。使用者から徴収した所持品からは何も検出されず、使用者が麻薬だと思いこんで使用していたプログラムもなんの変哲もない市販のセキュリティデータだって話だ。現に、逮捕された輩の電脳からは新規電脳麻薬を使用してたって証拠はあがらず、しかしほかの禁止されている電脳麻薬を乱用していたってことで一応は起訴されてるみてぇだな。新規電脳麻薬が本当にあるのかさえ現状、定かではないらしいが、すくなくともそういった触れこみで売買されている代物は存在するというのは確かなようだ。でもって逮捕された連中に共通してんのが、新規電脳麻薬だと主張しているデータの入ったチップの包装紙が、どれもドグラーツ社製のものってことだけだ」

 

「一般に普及している包装紙の四割はドグラーツ社製だぜ」トグサが指摘する。「こじつけじゃ」

 

「それを確かめることを含めての任務だろうよ。で、件のビルだが、一階から三百階まではなんてことないオフィスフロアなんだが、上層階に映像障壁カーテン、それから微弱だが電磁パルスの防壁が張り巡らされててな」

 

「覗けないの」と訊く。

 

「ああ。フロア側のサーバはザルも同然なんだが、どうにも上層部のほうは完全独立型で起動しているらしくてな。内部から【枝】をつけないことには潜りようがねぇな。バッグドアの一つもありゃ楽なんだが」

 

 逆説的に、そこには秘匿にされたサーバがあるということか。

 

「なんとか潜れないか」

 

「フロア側のサーバを経由すりゃ、入口見つけるくらいはできるかもしれんが、ちいとばかし時間がかかりそうだ」やってやれないことはないということだろう。「それから地下なんだが、何かしらの施設があるってところまでは突き止めた。上層部側のサーバに詳細が詰まってそうなんだが」

 

 記録上は存在しない施設だな、と確認すると、そうだ、と返ってくる。

 

「聞いたわね」バトーたちに向き直る。「これからドグラーツ社に侵入する。新規電脳麻薬の正体とその生産ラインを発見するのが目的だ。証拠を掴み、課長への手土産にするわよ」

 

「犬は犬らしく骨を拾いましょうってね」バトーが嘯き、「ダンナは犬ってよりか熊だぜ」とトグサがぼやく。

 

「イシカワ、引きつづき情報を集めろ」――「あいよ」

 

「トグサとバトーは正面切って突破。パズとボーマは電気系統の掌握、それからサイトーはタチコマを連れて外部からの援護を」

 

「少佐は?」

 

「細工をしてから真っ向から侵入する。装備A2で現場に集合」

 

 解散、と口にすると公安九課メンバーは仮想ブリーフィング室から各々退室していく。

 

 彼らの離脱を見届けてから最後に、自身のアバターごとブリーフィング室を消した。

 

   ***

 

「そういや」とバトーが思いだしたように言った。電脳通信だが、ほかのメンバーも聞いているはずだ。「国内の電脳麻薬つったら功綸会が大元締めって話だったよな」

 

「そんな話もあったわね」国内の麻薬市場は電脳麻薬が主流である。大麻やコカイン、アヘンなどは海外からの密輸に頼るため、値が張るということもあり、また電脳麻薬に比べ入手するための手続きが面倒なことが多く、天然物が市場に出回ることは滅多にない。

 

「南米の麻薬王マルセロとの癒着もあったしな」バトーは揶揄するように言った。「今回の一件もやつらが一枚噛んでるってことはないのかよ」

 

「可能性がないとは言い切れないけど、功綸会絡みってことはないわ」

 

「断言する理由は?」

 

「んだよレポート提出したろうが読んどけよ」イシカワが歯ぎしり交じりに指弾する。放っておけばいいものを、いいか、と説明を開始する。「今おれたちの追ってる新規電脳麻薬は功綸会のヤマじゃねえ。オヤジんとこに話が回ってきたのもそれが関係してる」

 

「ああ? 県警じゃ手に負えないってんでオレたちが尻拭いしろってか?」

 

「そうじゃねえよ。報道管制が敷かれているから表沙汰にゃなっちゃいねぇが、バトーおまえだって知ってんだろ。功綸会が潰されたって話は」

 

「あん? そうだっけ?」「おまえなあ」「うそうそ。知ってる知ってる」どこまで本気かを疑いたくなるほど軽薄にバトーが首肯する。「経済の混乱やら海外マフィアの流入やらを防ぐとかなんとか言って秘匿にされてるって話だろ。だがありゃ実質、功綸会が軍用麻薬にまで手ぇ伸ばしやがったってんで、レンジャー4課が動いたって話じゃなかったか」

 

「ああ。功綸会は実質壊滅した。が、この話にゃ裏があってな。功綸会が軍用麻薬に手ぇだした背景にゃどうにも新規電脳麻薬の流入が関係しているらしくてな。 知ってるか。ここ数年で電脳麻薬市場は六割がた新型と入れ替わった。で、採算の取れなくなった功綸会の連中が、リスクはあるが実の入りのいい軍用麻薬の売買に手ぇ伸ばしたって寸法だ。が、問題は功綸会の連中がどっから軍用麻薬を入手していたかってとこなんだが」

 

「軍から仕入れてたってオチじゃねぇだろうな」「それがな、解らねぇんだと」「はぁ?」「だからオヤジのやつぁ首を突っ込みたいって腹だろうよ。軍用麻薬が流出したなんてことになってみろ。世論にとっちゃ、いい内閣叩きの燃料にならぁ」

 

「火事になる前に火の粉を払っておけってか」

 

「おまえにしちゃ物分かりがイイじゃねぇか」

 

「で、実際どうなんだ。軍が関与してんのか」

 

「今んところは怪しい記録はねぇな。だがおもしろいことに、功綸会が軍用麻薬を売りはじめてから新規電脳麻薬の需要が拡大した」

 

「おもしろいかぁ? 旧式を売らなくなったから新型が売れたってだけの話だろうよ」

 

「そうじゃねぇみてぇでな。グラフ化すりゃ一目瞭然なんだが、どうにも軍用麻薬の進出と新規電脳麻薬の膾炙のあいだにゃ相互作用がみられる。軍用麻薬はいわば バトー、おまえらみてぇな機密ボディがあってこそ安全に使用できる代物だ。それが規格品の義体や、ほとんど生身の、電脳化しかしてねぇような人間が使ってみろ。一発で廃人だ」

 

「こわいねぇ。ああ、こわいこわい」

 

「軍用に比べりゃはるかに安全だってんで、結果、新規電脳麻薬の需要が拡大した。旧式よりも依存性――すなわち肉体的精神的快感がうえだからってのも需要増加の一因でもある」

 

「ゴジラに比べりゃジェイソンも赤子同然ってね」バトーが歌うように言う。

 

「てことは、なんだよ」話を聞いていたのだろう、トグサが嘴を挟んだ。「新規電脳麻薬の元締めが軍用をバラまいたってそういうこと?」

 

 すなわち、これから突入しようとしているドグラーツ社が、なんらかのカタチで軍と繋がっている可能性を示唆している。

 

「そういうことじゃねぇのかってオヤジは睨んでるようだったがな」

 

「オレらが尻尾を捕まえてこいってさ」バトーが嘯き、「ゴジラの尻尾じゃなけりゃいいんだけど」とトグサが応じる。

 

「無駄口はそこまでだ」静観していたが、時間だ。「パズ、ボーマ。準備はいいか」

 

「いつでもいいぜ少佐」

 

「サイトー、位置についたな」――「任せてください」

 

「バトー、トグサ」

 

「骨を投げてくれりゃいつでも取ってくるぜワンワン」「冗談言ってる場合かよ」

 

 準備は整っているようだ。作戦開始の号令をかける。「よし、突入イケっ!

 

 

 

 合図と共に、ドグラーツ社の電源が落ちる。すぐに予備電源に切り替わるが、パズとボーマが回線ケーブルに細工している。これで警報装置に【枝】が付いたはずだ。

 

 警備会社への連絡を遮断し、しかし通報の記録だけは残しておく。遠隔操作のアンドロイドリモートロボを引き連れ、外部委託警備会社の車で堂々と正面から突破する

 

「少佐。入ったぜ」

 

 さきに侵入したのだろう、バトーからの通信が入る。

 

「よし。バトー、トグサはそのまま上層階を目指せ」――「了解」

 

「パズ、ボーマは退避。イシカワのサポートに回れ」――「了解」

 

  視界に浮かぶ通信画面を切り、玄関口を抜ける。床には、巨大なドグラーツ社のマークがモザイク柄で描かれている。壁や柱にも独特なデザインの紋様がまだら に分布している。トグサいわく、これらのデザインはドグラーツ社の所有する人工知能が創作したものだという。社員の出入りが激しく、入るだけなら造作もない。が、上へ行くには社員認証用ゲートを潜らねばならず、よこには受付けロボットが警備員のように立っている。電脳を掌握しようかと思いロボットに近づくと、奥のほうから警備責任者と思しき男がたどたどしくやってくるのが見えた。

 

「お早い到着で」

 

「被害状況は」向きなおり訊ねる。

 

「電源が落ち、予備電力に切り替わってます。原因は不明で、目下調べ中でして」

 

「サーバへの不正アクセスの疑いがあります。サーバのあるところまで案内を」

 

「ですが、許可がまだ」

 

「手遅れになってからでは遅いのでは」突き離すように言うと、男は面食らった様子で、「で、では、こちらへ」と渋々といった様子で歩きだす。どうやら地上部に あるサーバへ案内する気のようだ。付き添わせていた二体のリモートロボをそちらへ付いていかせ、指示をだす振りをしながら最上階への侵入経路を模索する。

 

「バトー、聞こえるか」「ああ」「現在地の報告を」「あとすこしで目的地周辺だ。ところどころにセキュリティ関門がある。イチイチ生体認証入力しなきゃならねぇってんでちぃとばかし面倒だ。ぶち破ってもいいってんなら話は早いんだが」

 

「少佐ぁ」とこちらはトグサだ。「内部構造も事前に入手した見取り図と微妙に違っています。なんか臭いますよ」

 

「見取り図と違うってどういうこと」「部屋数が足りないんです」「数えたの?」「いえ。気づいたのが今さっきなので。ですが見える範囲でも、見取り図にあるはずの扉が一つありません」

 

「妙だな。よし。バトーとトグサはそのまま見取り図を辿って最上階のサーバへ」

 

「少佐は?」

 

「寄り道してからこちらも向かう」

 

 戸惑いがちにトグサが、了解、と言い、通信を終える。

 

 こちらが遠隔操作しているロボットがフロア側のサーバに到着したようだ。検査する振りをさせながら片っ端から【枝】をつけていく。これで潜りやすくなったはずだ。

 

「イシカワ。何か掴めたか」移動しながら本部に通信を飛ばす。

 

「枝伝って潜ってみたが、こりゃかなり厄介だぞ。複雑な攻性防壁が張られてる。三重、いや四重以上だな。ただの企業ってわけじゃあなさそうだ」

 

 一介の企業がサーバを守るためだけに設置する防壁にしては厳重すぎる。そもそも軍や政府施設以外のセキュリティに対して攻性防壁を適用することは基本的に認められていない。違法なのか、それとも軍や政府が関与しているのか。

 

「破れるか?」「やってみちゃあいるが、防壁迷路を抜けるのに時間をとられそうだ」

 

「よし。念のためオペレーター数体を身代わり防壁の一部に回し、とりかかれ」

 

「もうやってるよ」

 

 ひと気のない場所で光学迷彩を起動させる。これで他人から視認されることはない。ふと壁に目を遣ると、ここにも独特な絵柄がある。これも人工知能の描いたデザインだろうか。趣味がいいとは思えない。めまいを振り払うように、セキュリティ管理室へ向かう。

 

 建物に侵入したときから違和感には気づいていた。監視カメラが一つも見当たらないのだ。しかし、警備責任者はこちらの到着をいち早く察知し、出迎えた。どこかから監視されていたことは確かだ。受付けロボットの目を監視カメラ代わりにしていたのだろうか。

 

 考えながら、セキュリティ管理室に侵入する。

 

 

 

 中には三人の男たちがおり、ガラスを挟んだ奥の部屋にはオペレーターらしきロボットが六体、円陣を組むように向き合って座っている。頭から顔全体を覆うように端子(インターフェース)がつけられており、そこから伸びるプラグが真上に設置されている巨大なサーバに接続されている。

 

 管理室にいる三人の男のうち二人はなにやら雑談を交わしており、一人が、オペレーターたちと同じ機構の端子(インターフェース)を頭から被り、作業をしている。音もなく近寄る。首のうしろからプラグを伸ばし、セキュリティサーバにアクセスする。

 

 膨大な映像がまず流れてきた。会社内の映像だが、どうにも流動的で視点が定まっていない。社内で作業しているロボットたちの視界だと判るが、直後にロボットと人間がすれ違う映像が、互いの視点で流れている映像を見つけ、視覚素子(インターセプター)か、と直感する。

 

 視覚素子は電脳化された人間だけでなく、それを適用された人間の視覚情報をも盗み観ることを可能とするマイクロデバイスだ。申請さえしていればそれを社員に適用することは違法ではないが――。

 

「イシカワ、聞こえるか」「ああ」「ドグラーツ社が視覚素子使用の申請を行ったかを確認しろ」「ちょっと待ってな」数秒で返事がある。「ないな。視覚素子の申請どころか、驚くほど行政との接点が見つからん。セキュティも完全委託だが、そのくせこれだけのサーバを装備しているってのはどういう了見だ」こちらが送った映像からセキュリティサーバの性能を見抜いたのだろう。思えば、部屋を区切っているガラスは映像障壁(カーテン)だ。普段はオペレーターロボのある奥の部屋が見えないようになっているのだと判る。「少佐扮する外部委託先の警備員(エージェント)をセキュリティ管理室には通さんってのも気になるな」

 

「そうね。委託先の警備会社についての情報もこちらに寄越せ。主にドグラーツ社との金の流れについて。それから独立法人として認めた行政との繋がりも洗え」「了解」

 

「バトー、そっちはどう」「いや、部屋には入ったんだがな」「それで?」「見たほうが早い」

 

 映像が送られてくる。バトーの見ている視覚情報が視界にちいさく現れる。

 

「どういうこと?」「さあてね。防壁迷路にでも捕まっちまったかな」

 

 バトーのまえにはトグサが立っている。トグサはだだっぴろい平原にぽつんと立っており、こちらを見て、肩を竦めるようにした。トグサの電脳にもアクセスするが、こちらも戸惑いがちなバトーの顔が、まったくおなじ草原を背景にして浮かんで見えている。

 

「ボーマ、パズ。至急バトーとトグサの電脳をスキャン。ウィルスへの感染確認を」

 

「了解」間もなくして、「少佐、それはないようだ」とボーマの間延びした声が応じる。「電脳汚染の痕跡はナシ。ゴーストハックもされていない」

 

「なら考えられるのは物理的にそこに平原があるか、或いは幻覚かだ」

 

「けっこう歩いてるんですがね」とこれはトグサだ。「とっくに建物の外にいてもいいくらいですよ」

 

「ボーマ。バトーたちの位置情報に変化は?」

 

「上層階、目的地から動いてないようだが」

 

「聞いたかバトー」

 

「ああ。試しに一発撃ってみりゃここが現実かどうか解りそうなもんだけどな」

 

「やめておけ。目覚めたときにトグサの死に顔でも拝みたいの」

 

「少佐ぁ、縁起でもないこと言わないでくださいよ」

 

「今から向かう。そこを動くな」

 

「あいあい。お姫さまのご到着を待ちましょうってね」「あんなゴツいのをお姫さま扱いするのかよ。ダンナも太っ腹だねぇ」

 

「聞こえているわよ」忠告すると、「い……ヤバっ」とバトーが慌てた様子で通信を切った。

 

 セキュリティサーバにコマンドを入力し、人工知能(タチコマ)を流し込む。エージェント機能を起動させているので実体はない。サーバ内のデータを探索するよう命じる。

 

「りょーかーい!」「うわぁ、情報の宝箱やぁ」「えー、なになにー?」

 

 三体のアバターに分かれ、タチコマたちはサーバ内に飛び散った。よってたかってセキュリティプログラムの解析にとりかかる。

 

 通常、攻性防壁を張るためのサーバには物理的なロックしかかかっていない。というよりも、セキュリティを保護する機構というのはそれをしはじめたらキリがなく、通常だから、外部から干渉されないような場所にその本体(サーバ)を隠すよりない。身体を守ろうと指示を出す脳みそは、それ自身が頭蓋骨のなかに仕舞われることでしか身を守る術を持たない。こうして頭蓋骨のなかからじかにウィルスを流されたのでは抵抗する余地もない。

 

 おそらく電力が落ちるといった不測の事態が起きなければ、セキュリティサーバは映像障壁(カーテン)の奥に隠されたまま姿を現さなかっただろう。

 

 好奇心満々のタチコマたちに、「見つかるなよ」と念を押し、管理室をあとにする。彼らは、「はーい」と元気よく返事をした。

 

 

 

  バトー、トグサ組の辿った経路をなぞるようにし、上層階へと向かう。途中、幾度か認証番号を必要とするセキュティ関門にぶつかったが、これに関してはどこの企業でも採用されている機構なのでとくに気を揉むこともない。監視カメラがないため、社内の人間に鉢合わせしなければ問題なく、光学迷彩で姿を消してあるので実際に鉢合わせしても大丈夫なはずだ。もっともロボットが空気流動センサなどの特殊センサーを備えているとなると面倒なので、なるべく人目を避けて道を進む。

 

 間もなくバトーたちのいる部屋へと行きつく。

 

「少佐か」

 

 物音がしたためか、反応よくバトーが振り返る。銃口がこちらを向く。

 

「報告と状況がだいぶん違うようだが?」

 

 銃口が下ろされ、バトーとトグサが戸惑いがちに顔を見合わせている。

 

「少佐が到着した途端にこれですよ。どうなってるんですかね」

 

  部屋には草原など広がっておらず、ただ閑散とした空間があるばかりだ。床には玄関広場にあったようなドグラーツ社のマークが大きく描かれており、奥には全面ガラス張りの壁がある。向こう側に隣接する超高層ビル群が透けて見えている。思っていたよりは広い空間だが、平原を再現させるだけの広さがあるとは思え ない。

 

「サーバは?」

 

「ご覧のとおりですよ」トグサが手を広げる。バトーがその場にしゃがみこみ、ゆかに仕掛けがないかを念入りに調べているが、何もないと判ったのかすぐに立ち上がる。「少佐、カラだぜここは」

 

「イシカワ、聞こえるか」「ああ聞いてるよ。タチコマたちがいま映像障壁(カーテン)を 中和した。サイトーからの映像を送る」サイトーの視覚情報が送られてくる。人工衛星【鷹の目】を介して視ているのだろう、たしかに外部からの視点で、薄暗いフロアに立つじぶんたちの姿が確認できる。床に描かれた紋様まではっきり映っている。「間違いなくそこが目標地点だ」

 

「だが何もないわ」「そうみてぇだな」「侵入が気取られている可能性は」「今んところセキュリティサーバにもフロア側のサーバにも妙な動きはないようだ」

 

 フロア側のサーバをいじっているリモートロボに意識を飛ばす。ロボを仲介してサーバに意識を潜らせ、セキュリティサーバ側で作業をしているタチコマたちに、「すべてのセキュリティをダウンさせろ」と命じる。

 

「いいんですか少佐~ぁ。そんなことしたら不法侵入していることがバレちゃいますけど」

 

「構わん。ここで何も得られんのならそれまでだ。いいからやれ」「はーい」

 

 ぶぅん、と鈍い音を立て、建物のあらゆる電力が落ちる。明かりが消え、義体にまとわりつくように感じられていた電磁波の類も、静電気が取り払らわれたように消え失せる。

 

「さて。鬼がでるか蛇がでるか」

 

 

 

 フロア側のサーバに置いてきたリモートロボから意識を放す。指揮系統を切断されたロボはその場で機能を停止し、動かなくなったはずだ。

 

 これで状況を把握した会社側が何者かの侵入を察知し、対処を講じようとする。そろそろ本物の警備会社の連中もやってくる頃合いだ。

 

 本社のセキュリティサーバがダウンしたのだから、自分たちの置かれている状況がはなはだ異常であると認識するに事欠かず、侵入者たるこちらの能力が高いことも伝わっているとみて問題はない。だとすればこちらの目的が定かではなくとも、最悪の事態を想定して動くはずだ。

 

 すなわち、秘密裏に稼働していた上層部のサーバの無事を確かめようとする。こちらはそれを眺め、サーバの在り処を把握し、或いは状況によっては日を改めて侵入し直すことになるだろうが、それでも捜査続行の判断をくだすだけの収穫を得ることにはなる。

 

「サルオヤジへの土産にゃちぃとちいさすぎやしないか」

 

 バトーがぼやいているが、応じている暇はない。セキュリティサーバに潜らせていたタチコマたちに撤退を命じ、一方でサイトーから委託警備会社の連中がやってきたという報告を受ける。

 

「トグサとバトーは退避経路の確保。セキュリティの復旧には時間がかかるだろうが予備電力はすぐに回復する。閉じ込められると厄介だ」

 

「装備L2で来るべきでしたね」トグサが言うと、すかさずバトーが、「ヘリがなくたって飛び下りるくらいはできるでしょうよ」と嘯く。しかし強行突破せざるを得なくなる場合、ビルから飛び降りることになるのは現場に残るこちらだ。おまえがクッションになってくれるんだろうな、と睨みをきかせると、光学迷彩越しにでもこちらの凄みが伝わったのか、「お、怒んなよぉ」とバトーが声を上擦らせた。

 

 二人が去り、部屋に一人残される。

 

「退路確保」

 

 バトーからの報告があり、同時に部屋にドカドカと三人の人影が押し入ってくる。

 

「社長にはまだ連絡つかんのか」とこれは老輩の男だ。いかつい面構えをしている。「おい、【自律制御装置】はOFFにしたな?」

 

「ええ。それと社長へは伝言を残してありますので、電脳ネットにアクセスされた瞬間に事態は把握されるかと」これは部下らしき男だ。眼鏡をしている。そばには秘書らしき女が佇んでいる。

 

「社長は客人ではなく主催者側の人間だぞ。なんだって電脳遮断領域にする必要まである。規制される筋合いはないはずだ」

 

「敢えて優位性を持たないことで信頼関係を築けるのですから、これくらいの譲歩はやぶさかではないのでは?」

 

「隙を突かれてこの様か」

 

「いいじゃないですか。どうせ何もできはしませんよ」

 

「今確認する」

 

「どうするおつもりですか」

 

「戸倉(とぐら)に機能を停止させる」

 

「ちょっと待ってください」と眼鏡の男が異議を挟む。秘書らしき女はしずかに成り行きを見守っている。「念には念を入れましょう。ひょっとすると賊が侵入していて今もこの瞬間を覗き見ているかもしれません」

 

「バカな」

 

「妙だとは思いませんか? セキュリティをことごとく掻い潜った賊が、なぜセキュリティサーバをダウンさせる必要があったんです? それさえなければ侵入されたことにも我々は気づかなかったというのに」

 

「言われてみればそうだ……なぜだ?」

 

「我々に気づいてほしかったと考えれば筋は通ります。つまり、侵入に気づいた我々がとる行動にこそ、賊の目的があるのでは」

 

「一理ある。目当ての物が上層階にあることは知っていたが、どこにいるのかは掴めなかったということか。外部の者ならばそれもまた当然か」

 

「当て推量ですので、たしかとは断言できませんが。念には念を入れて」

 

「そうだな」老輩の男が周囲を見渡すようにし、それから三人は後ずさるようにして部屋を出ていった。

 

 扉が閉じられ、ふたたびの暗がりにつつまれる。蛍光塗料で描かれているのか、ドグラーツ社のマークが不気味に浮びあがって見えている。

 

「まずいな」

 

「どうした少佐」聞き耳を立てていたのかバトーが応じる。通信を許可した覚えはない。かってにこちらの電脳を覗いていたようだ。

 

「ストーカーで訴えられたいの」

 

「冗談にしちゃ笑えねえ。で、どうした」

 

「気取られたかも。部屋に閉じ込められたわ」

 

「窓は? 強化ガラスでもおめぇなら問題ねえだろ」

 

「そうね。でもサーバの在り処が不明なままだし……。奴ら、何か手を打つような旨を言っていた。そちらはさきに離脱し、屋上にて待機しろ」

 

 応答がなく、どうしたバトー、と通信の出力を強め、訴える。

 

「いや、聞こえてるよ。了解だ。無茶はするなよ」

 

 無理はしないわ、と言い換えて応じる。通信を切り、臨戦態勢を整える。天井に張り付いていたが、ワイヤーで身体を吊り、糸を垂らす蜘蛛にも似た動きで降りていく。ゆかと天井の中間で宙づりのまま停止する。

 

 さきほどの男たちの口ぶりからすると、なにかしらの機構がこの空間で起動しているとみるべきだ。

 

 自律制御装置と言っていたが、なんのことだ。

 

 念のため、タチコマにこちらの電脳を洗わせる。電脳ウィルスほか、電脳信号(パルス)に何か異常がないかを確かめさせる。

 

「とくに異常は見当たりませーん」と陽気なタチコマの声が聞こえたところで、周囲の異変に気がついた。

 

 いつからだ。

 

  目のまえにはゴツゴツとした樹皮があり、真横にも大木が立っている。獣か鳥かの区別のつかない鳴き声が静寂の合間を縫うように聞こえ、天井のある場所には 鬱蒼と茂る緑葉が網目状に木漏れ日を垂らしており、いったいここはどこだ、と思ったつぎの瞬間には天井に繋ぎとめておいたワイヤーが支えを失ったように弛み、身体ごと地面に落下する。が、綿のような落ち葉の層、腐葉土のうえにさらに新鮮な落ち葉が重なっており、思ったほどの衝撃はない。

 

 どうなっている?

 

「バトー、トグサ、聞こえるか」「ああ。問題発生だ」「そっちもか」「あぁ?」

 

 映像を送る、と言って視覚情報を通信に乗せると、返事の代わりにバトーたちの見ている視覚情報が送られてくる。向こうはどこぞの砂漠地帯にいるようだ。

 

「サイトー、聞こえるか。おまえからは何が見える」「わからん」「なに?」「ビルが消えた」「……目を盗まれたな」「いや、建物自体は見えているんだが、明らかにさっきまで見ていたビルじゃない。【鷹の目】の構造解析でもミリ単位で基礎から造り変えられていると判る。まったくべつの建物だ」

 

 通信を切り替え、本部のイシカワとボーマ、パズに指示をだす。「至急現場にいるメンバーの電脳を洗え。電脳ハックされている可能性がある」

 

「んなわけあるか」言いながらも作業を開始したのだろう、イシカワが焦ったように言った。「少佐、そのままでいいから聞いてくれ。委託警備会社について調べたんだが、ありゃダミーだぜ。ほとんど行政を寄せ付けないための方便みたいなもんだ。実質ドグラーツ社にゃ治外法権が適用されてやがる」「どういうこと」 「ダミーの委託警備会社は民間軍事会社の子会社だ。多国籍を売りにした傭兵部隊で、都合がわるくなりゃ恣意的に相性のわるい国の治外法権を主張するってんで、国連から活動停止を言い渡されているが、不当な言い分だってんで裁判を起こし、未だに決着がつかず、事実上活動が容認されている過激派だ。そこを受け持ってんのはそこんところの子会社だ。装備は並の委託警備会社とそう変わらんと思っていていいだろうが、問題が起こったときにゃちょいとややこしいことになりそうだ」

 

 今頃そんな報告をするということは、本来表沙汰にならないような情報なのか。

 

「軍用麻薬はそこがルートかもしれないわね」

 

「委託警備会社の輸入履歴を調べてみてるんだが、今のところ怪しい記述はないな」

 

「少佐」とこちらはボーマだ。電脳解析が終えたのだろう。案の定、「電脳ウィルス、ほかハッキングされた痕跡はないようだ」と報告が入る。

 

「ならこれは何なの」未だに周囲には太古の森を思わせる木々が広がり、シダ科の植物が茂っている。

 

「ソルジャー時代を思いだすな」バトーが不意にそんなことを言う。

 

「通信拒否にされたいの」――「悪気はないって」

 

「問題は」とこれはメンバー全員の通信に送る。「視覚だけでなく空間的にも離脱困難な点にある。いったいどんなトリックかしら」

 

 立体映像ということはないだろう。樹に触れてみるが、手に伝わる触感は本物にちかい。だがここがさきほどまでビルの一室であったことを思えば、これが本物であるはずはない。

 

「強行突破すべきじゃないか」とバトーが言う。

 

「そうね」認めたくないが、明らかに不利だ。準備不足と言っていい。相手のほうが一枚上手だったというわけだ。「各自撤退。作戦は中止だ。本部にて合流」「了解」

 

 さて、どうしたものか。

 

 腰に手をあて、周囲を見渡す。体感温度は熱帯のそれだ。湿度、大気成分、共に赤道直下の密林だと判る。過去の記憶を参照すると、合致するデータが浮上する。まるで過去にタイムスリップしたかのようだ。

 

  防壁迷路の可能性が高いが、ここまで現実味溢れる仮想世界は早々容易く組めるものではない。よしんばプログラムを組めたとして、仮想領域のデータが膨大すぎてすぐに抜け穴を開けられる。カチコチに固められた壁よりもゴムのように伸縮自在な壁のほうが抜けるのは困難だ。データが多いと、それこそ鼈甲飴のように繊細で脆くなる。何度か、これは夢だと自覚し、明晰夢から脱するのと同じ要領で離脱しようと試みるがことごとく失敗する。或いは防壁迷路――仮想現実ではない可能性もあるが、ならばいったいこれはなんだ。

 

「バトー、聞こえる?」「ああ。撤退しろと言われてもこれじゃあな」「トグサの電脳とシンクロして、視覚情報の差異からこの現象が現実か仮想かの区別をつけられない?」「やってみたが差異はない。ほぼ確実に現実だ」

 

 だがすくなくとも異常ではある。トグサとバトーが同じ世界を視、しかしこちらは別の世界を視ているということは、場所によって得られる外部情報が変わるということか。或いは、そばにいる者同士で共鳴するような機構なのかもしれない。

 

「イシカワ、聞こえるか」「ああ。離脱できてねぇようだが、大丈夫か」「私の現在地はどうだ。移動しているか」「いやまったく動いている気配はねぇな」

 

 舌を打つ。これだけ闇雲に歩いて移動していないだと。

 

「視覚映像を送る。解析して場所を特定しろ。これが現実だというのならここと同じ場所があるはずだ」「了解」「おそらくは」とむかしバトーを部下として連れて参加したことのある戦地の名を口にする。だが検索をかけるまでもなくイシカワが、「ああホントだな」と懐かしむように言った。「なんだってそんなとこにい んだよ少佐ぁ」

 

 件の紛争にはイシカワも同行していたのだから知っていて当然だ。

 

「いいから検索にかけろ」「はいよ」間もなく、「たしかにあのときのジャングルだが、まさしく【あのときの】だ。今は少佐のいるそこはすっかり開拓が進んで、バカデカいオフィスビルが建ってやがる」

 

「つまり」これは過去の記憶というわけか。「疑似記憶ではないから電脳に異常が見当たらないってこと?」

 

「さあてな。すくなくとも生体信号(パルス)にも異常は見当たらないから今すぐどうこうなるってわけじゃなさそうだが」

 

「少佐」とこれはサイトーの声だ。「何らかの電子機構で問題が起こっているってんならオレが一発小型EMP弾でも打ち込めば解決するんじゃ」

 

「ダメだ。こちらの義体(ボディ)もタダじゃ済まない。目標のサーバまで破壊されるわ」

 

「だがこのままだとヤバイいんじゃ」

 

「そうね。だが光学迷彩は起動しているし、拘束されそうな気配もないわ」

 

「実際に拘束されててもな」とこれはバトーだ。「これじゃ確かめようがねぇけどな」

 

「少佐か」と、これまでになかった声がほかのメンバーとの通信を割って入ってくる。課長の暗号通信だ。なぜか胸が軽くなるのを感じる。「遅いわ」

 

「すまんな。会食が長引いた。イシカワからの伝言は聞いた。具合はどうだ」

 

「最悪ね。撤退指示を出してからもう十分が経つわ。相手側にも派手な動きがなくて突破口の探しようがないのよ」

 

「或いは少佐の動きを止めている何かしらが作動しているあいだは相手側も手がだせんのかもしれん」

 

「どうすればいい」

 

「今回のパーティの提供者の一社がドグラーツ社だという話はしていたな」

 

「ええ。イシカワからも聞いているわ」

 

「さきほどまでそこの社長と話していたんだがな」

 

「薬中大真と?」

 

「新型兵器として、義体化した人間のゴーストを一時的に消し去るという技術の発案者として各界から賞賛と批判の両方を盛大に受けておった。未だその技術は考案の域をでていないという話だったが、ドグラーツ社と軍とのあいだでキナ臭い動きがあるようでな」

 

「また友人からのタレこみ?」陸自情報部久保田本部長と課長は懇意の仲だ。これまでにも軍の手に負えない案件を、或いはその尻拭いを数多く請け負ってきた。「その情報筋は確かなの」

 

「そのための裏付けとしておまえたちに命じた任務がこれだ」

 

「新規電脳麻薬の出所を探るんじゃなかったの」

 

「その新規電脳麻薬が件の新型兵器の試作実験を行うための隠れ蓑ではなかったかとワシは睨んでおる」

 

「人体実験ってこと?」

 

「そうだ。麻薬中毒者(ジャンキー)ならば掃いて捨てるほどにいる。試験体には持ってこいだろう」

 

「そのこと、なぜ黙っていたの」

 

「確証がない。現状定かなのは、巷に新規電脳麻薬が跋扈し、その出所としてドグラーツ社が怪しいというタレコミがあったという事実だけだ。おまえたちが何かしらの情報を掴んでくればワシの妄言とも推量ともつかん思惑を話すつもりだった。いざ箱を開けてみればどうだ。秘匿にされたサーバに、四重以上の攻性防壁。 独自に設置されたセキュリティサーバに、独立過激派の民間軍事会社の関与。ワシの妄想もそれほど的を外しているようには思えなくはないか」

 

「で、どうしたらこの迷路から脱せられるのかしら」

 

「そう焦るな。薬中は否定していたが、考案されたゴースト抹消兵器の開発にはすでに着手し、試作機ができあがっているとみてよさそうな塩梅があった。おそらく少佐を足止めしているのもそれに類する代物だろう」

 

「だから諦めろとでも?」

 

「ところで少佐、バトーをゴーストハックできるか」

 

「やろうと思えばできるけど、それで?」

 

「位置情報はこちらも把握している。建物の見取り図もある。少佐たちの見ているその世界が仮想現実だと結論付ければ、少佐を介して強制的にバトーに正規の退路を歩ませることも可能だろうとワシは踏んでいるが、どう思う?」

 

「歩いても義体(ボディ)の位置座標に変化はないのよ」

 

「だからゴーストハックの必要性がある。ドグラーツ社の開発した件の兵器は、ゴーストを一時的に消滅させ、人体を完全なロボットとして扱うことができるという話だった。応用次第ではゴーストハックせずとも、ゴーストそのものを書き換えることで【まったく異常の検出されない異常体】をつくりあげることが可能だという」

 

「つまり私たちは今、ゴーストを書き換えられているってこと?」

 

「かもしれないという推量の域をでてはおらんが、少佐ほどの手練れをここまで追い詰めるとなれば、既存の方法論では対処できんということにはならないか」

 

 ゴーストは人間の認識を司る大本だ。ここをいじられれば、現実そのものが揺らぎ、仮想と現実の境目を失う。解らない話ではない。

 

「バトーの書き換えられたゴーストを私がふたたび強制的に書き換えるってことね」

 

「上書きではなく、飽くまでも補強だ。けっきょくのところドグラーツ社の兵器でも、その効用は一時的なものだとされている。完全にゴーストを消し去ったり、書き換えたりはできないようだ。ゴーストは記憶よりも人間の根幹をなしているものだから――という話のようだったが、ともかくやってみるだけの価値はあると は思わんか。むろん判断は少佐に任せるが」

 

「そこまで言われてやらないわけにもいかないでしょ」

 

 課長との会話は暗号通信だ。バトーやほかのメンバーたちにも聞かれることはない。同じく暗号通信でイシカワに指示をだす。バトーの現在地とビルの見取り図、それからそこからの退路をデータ化して送らせる。

 

  バトーの電脳にも攻性防壁が張られているが、こちらへの信用を示したいのか、強制的に防壁を解く暗号キィをバトーはなぜかこちらへ教えている。前にいちど 開けたことがあるので、それが本物であることは検証済みだ。防壁を無効化できるのならばゴースト侵入錠がなくとも問題はない。

 

 バトーの電脳に潜り込み、ゴースト領域(ライン)を 越え、もっとも深い場所に到達する。バトーの認識しているあらゆる外部情報、そしてそれらを複合し、投影される世界が現実としての触感をのべつ幕なしに帯 びつづけている。割箸で水飴を捏ねまわすような印象がある。イシカワから受け取った退路データを流し込み、それを辿るように身体を動かしていく。

 

「トグサ、聞こえるか」「はい」「バトーに動きはあるか」「え? いや、ここでじっとしてますけど」

 

 暗号通信に切り替え、

 

「イシカワ、どうだ」「バトーは動いてるが、トグサがそのままだ」「しょうがないわね」

 

 トグサはバトーに比べて生身の部位が多く残っている。身体もほとんど義体化しておらず、電脳も規格品だ。ゴーストハックする分には手軽だが――その分、後遺症の危険性がある。「さきにバトーを離脱させる。トグサはそのあとだ」

 

「少佐はどうする気だ」イシカワの咎めるような声が聞こえる。

 

「ゴーストをいじられているなんて癪じゃない? カタをつけさせてもらうわ」

 

「おい、待て」

 

  通信を遮断する。外部からの接触を断ち、バトーを、それからトグサをドグラーツ社の隣に立つオフィスビルまで退避させる。彼らにしてみれば適当に歩き回っ ていたら、いつの間にか脱出していたといった腑に落ちないけれど違和感のない現実として認識されているはずだ。あとは迎えに来たパズやボーマが彼らを回収 する。

 

「さて」トグサを片づけたあと、残るはじぶん一人だ。

 

 一階フロアのサーバ室に置き去りにしたリモートロボに意識を飛ばす。委託警備の連中が構造解析をしているようだ。都合がいい。ロボを介し、そいつの電脳をハックする。

 

 記憶を洗うためには専用の施設が必要だ。こいつの電脳からドグラーツ社に関する情報を得ることはできない。

 

「おい、どこに行く」仲間らしき男が呼び止めてくるが、

 

「社長から呼び出しがあった」と意に介さず、「しばらくここを任せる」

 

 言って身体を動かす。通路を抜け、上層階へ向かわせる。

 

 目標のフロアに到着すると、さきほど部屋に入ってきた男たちが言い争っていた。そばにはやはり秘書らしき女が佇み、二人のやりとりを静観している。

 

「社長が来られるまでに【アレ】の無事を確かめねば」

 

「しかし賊がこのなかにいることを思えば、このまま閉じ込めておくべきでは」

 

 課長の推量どおり、どうやらこちらを仮想世界に閉じ込めている何かしらの機構が作動しているうちは彼らも部屋には入れない様子だ。

 

「今ここでシュレディンガーの猫を論じるつもりはない。私の指示に従えないというのならば、社長じきじきに指示を仰ごうではないか」「ええいいでしょう。望むところです」

 

 課長がパーティから脱し、電脳通信が可能になったということは薬中大真もまた電脳通信可能な状態にあるということだ。三人の注意が散漫になり、電脳通信していると察する。至急、社員電脳ラインを検索し、秘書と思しき女の電脳にアクセスする。

 

「……話は聞いた」と薬中と思しき男の声が聞こえる。「案ずるな。【自律制御装置】は独立機構だ。社の電源が落ちてもアレだけは問題なく働きつづける。稼働しているならばたとい賊が入ろうとも手出しはできんだろう」

 

「じつはその」言いにくそうに老輩の男が言った。「サーバの無事を確かめるためにいちど【自律制御装置】を切っておりまして」

 

「誰の判断でそんなことを……」

 

「たいへん申し訳ございません」

 

「今から帰社する。現場はそのままの状況を保て」

 

「委託警備会社の者たちはいかがなさいましょう」

 

「社外の警護に回せ。なかには入れるな。それから、上層部だけでなく建物全体にジャミングを展開しろ」

 

「承知いたしました」

 

「通信ラインも専用チャンネル以外をすべて閉じておけ」

 

「すでに処置済みでございます」

 

 通信が途絶える。

 

  部屋のまえでたむろっていた三人はそれから一言も口をきかず、エレベータ乗り場のほうへと移動していく。社員電脳ラインを検索してみるがすべて不通となっ ている。さきほどの社長の指示によるものだろうか。気配がないことをたしかめてから、乗っ取った身体を扉のまえまで移動させる。

 

 手動で扉を開けてみようと試みるが出力が足りず、びくともしない。壁に設置されているセンサーをいじってみるが反応はない。こちらの本体を仮想現実に閉じこめている装置がないかを探してみるがそれらしいものは見当たらず途方に暮れる。

 

 蜘蛛は自在に巣のうえを動きまわれる。社内の人間であればこの謎のセキュリティに干渉されずに部屋に出入りできるかもと期待したが、考えてもみれば干渉されずに済むならばそもそも部屋からあの三人が出ていく必要はなかったはずだ。

 

 なんとかビルの外へ本体(ボディ)を連れだしたいが。

 

 ふいに電脳ハックした社員の視界が途切れる。ジャミングが施されたようだ。気づくと同時に、本来のじぶんの視界に戻ってきている。目のまえにはやはりというべきか密林が広がっている。こうなってくるとどちらが現実か分からなくなってくる。

 

 イシカワや課長に連絡を取ってみるが通じない。完全に孤立した。

 

 焦っても致し方なく、考えをまとめることにする。

 

  ドグラーツ社は新型兵器の実験のために新規電脳麻薬を装って人体実験を行っていた。新規電脳麻薬そのものが新型兵器の副産物なのか、新型兵器とはべつに生産されているのかは現状からは判断しかねるが、すくなくともドグラーツ社がそれらの案件に一枚噛んでいることは確かだろう。現実と区別のつかない仮想現実 をもたらしているのが新型兵器であり、或いは新規電脳麻薬の効用と捉えてもいいかもしれない。

 

  知らず毒を盛られたと考えるのは癪であるが、しかしこの謎の現象が新規電脳麻薬の効用だと考えれば、その電脳麻薬としての評価は一級品だと言わざるを得ない。いまはこうして防壁として機能してはいるが、これが仮に願望を具現化させた世界であったならば、依存性は甚だ高いと評価する。苦労せずにその人物に とってもっとも理想的な世界が手に入るのだから、一度体験すれば忘れがたく、手放しがたい。夢から醒めたくないと思うのが人の性である。が、現実逃避も行 き過ぎればその先に待つのは身の破滅だ。

 

 肉体なくして精神(ゴースト)は宿らない。

 

 唱えた矢先に、胸に突き刺さる。電脳化したうえ全身義体となったじぶんに果たして肉体と呼べる部位があるだろうか。知覚は通っているし、生身の肉体よりも高感度だ。しかし、しょせんは疑似信号にすぎない。同じような信号(パルス)を流されれば容易に現実を錯誤し、見失う。こうして仮想世界を現実として実感してしまうのもその弊害と呼べる。

 

 果たしてじぶんに精神は宿っているのだろうか。

 

 〈私〉を【私】として認識するこの意識はゴーストと呼ぶに値するのか。電脳ネットに繋がらず、海の底に沈むように眠るとき、いつもこうして考えともつかない思索を巡らせている。

 

 課長は言っていた。ゴーストを書き換えることの可能な兵器だと。ゴーストを消すことも可能だそうだ。死ぬわけではないのだろう。生命として生きながらにして、人としての枠組みを、根幹を、失う。

 

  義体技術の発達した現在においてロボットと人間の差異はただ一点、ゴーストの有無に委ねられている。ただそれだけの違いでしかなくたったそれだけの要素が ありふれた有機構造体を人間足らしめている。しかしそれは地球と宇宙の境目ほど曖昧で、同時にどこまでも割り切れない茫洋とした広がりを見せている。地球も宇宙の一部だと言ってしまえばそれを否定する余地はなく、しかし歴然とした事実として地球は地球として存在している。

 

 唯物論を持ちだすまでもなく、人間の肉体に限りなく似せたロボットはその材質の差異に拘わらず、人間と同じ機構として同じ存在として活動する。我々人間はそれを認めたくがないために、ゴーストという存在を担ぎ上げているだけではないのか。

 

 もはや人間にできてロボット――アンドロイドにできない挙動はないと言っていい。すでに彼らは人間を超越した存在として昇華されており、しかし彼らは彼ら 自身を創造することができず、言い換えれば、我々人類がその権限を与えておらず、言ってしまえば最後の砦として彼らに人権を与えず、奴隷でもない道具としての扱いを徹底しているだけの話ではある。

 

 ならば人間からゴーストという幻想を消し去り、ロボットとして昇華し、地球も宇宙の一部だと認識を広げることは善悪を抜きにすれば我々が辿るべき進化の在り方の一つと呼べるのではないか。

 

  が――けっきょくのところこう考えてしまうのは電脳化したうえで全身義体化したじぶんのような存在であるからで、生身の肉体がたっぷり残っている大多数の 者たちからすれば俎上に載せるまでもない暴論にすぎず、言うなれば人間としての証であるゴーストの存在が怪しく揺らぎはじめたじぶんのような個が、それでも人間であるという保証を、その逃げ道をどこかに示しておきたいと考えているだけではなかったか。

 

 余計な考えを巡らせていることにはたと気づく。意識を外界に向けるが、その外界がそもそも現実ではないので途方に暮れる。

 

 辺りはとっぷりと日が暮れており、野営の準備をしなくては、となぜか自然と考えている。

 

 火を焚いた。理由はない。

 

 視覚野には熱光学センサーも装備されているので暗がりにいても不備はないはずだのにと訝しむが、そもそもここが仮想世界であるならばそう訝しむことさえおかしみを生む。

 

 チロチロと揺れる火に指先をかざす。この程度の火力では特殊加工された義体の表皮を炭化させるには及ばない。が、熱の刺激は痛みとして痛覚を遮断しないかぎり伝わる。

 

 チリチリと針で刺されるような痛みがあり、しかしここが仮想世界であるならばこの痛みも錯覚にすぎず、仮に今ここでこの指を切り落としたところで物理世界にある本体(ボディ)は無傷のはずだ。試してみたい衝動に駆られる。或いはここで頭をぶち抜き死を体験してみれば、つぎに目覚めたとき、物理世界になんら抵抗なく回帰しているのではないか。

 

 試すだけの価値はあるように思えたが、これが防壁迷路と同等のセキュリティとしての側面を持つならば、死に直結する行動はおしなべて本体(ボディ)にも受け継がれる。すなわち、仮想世界であっても身体を傷つければ、物理世界でも同様に自傷行為を働いている。

 

 果たしてどこまで物理世界と乖離しているのかの判断がつかない以上は下手な行動は慎むべきだ。いつの間にか指には炎がまとわりついており、心地よい痛みが生きているという実感を引き連れ、こちらを惑わせる。

 


「期せずして鴨がネギを背負ってくることがある」

 

  ふいに声がし、伏せていた顔をあげると目のまえに男が一人座っていた。炎を挟んだ向こう側から、「滅多にないことだが、絶対に起こりえないわけではない」と脈絡なく話しはじめる。警戒すべき状況ではあったが、ようやくというべきか変化のない世界に突破口となり得る変化が生じたことに意識が覚醒するのを感じる。

 

「人工知能による創造性の獲得を目指した我が社は図らずも、ゴーストの発生メカニズムを解き明かした。より正確を期する言い方を心がけるならば、ゴーストの正体が、魂などという形而上学的な代物などではなく、並列化された《個の軌跡》――それらの構築する集積回路であるのだと判った」

 

 男を観察する。仮想現実であるならば見かけで人物の特定をすることに意味はないが、外見的特徴から判断するに目のまえの男は薬中大真であると判る。ドグラーツ社の創立者であり経営最高責任者だ。

 

「今ここであなたの頭を撃ちぬくとどうなるかしら」

 

 言ってガンフォルダから銃を抜き、薬中の額に突きつける。焚火をまたぐように腕を伸ばしているため肘が炙られるが、痛覚は切ってある。意に介さない。

 

「やってみるといい」

 

 言われた瞬間に引き金を引いている。空気の抜けるような音が一瞬し、発砲の際の衝撃が肩に伝わる。が、薬中は依然としてそこに座っており、彼の額から豆粒じみた弾丸が剥がれ落ちる。

 

「ここはきみの精神世界ではあるが、ゆえに現実であり、同時にここの支配者はきみではない」ゴーストの書き換えという課長の言葉がよみがえる。「案ずるな。きみはまだきみとしての外郭を保ち、内核を維持している。が、この世界はきみよりもこちらにとって優位に働く」

 

「あら、そう」

 

「すこし話をしよう」

 

 言って薬中はゆびを弾き、音を鳴らす。世界が変わる。景色が変わる。建物の一室だ。壁に近いところにデスクがあり、その手前にソファが「コ」の字に置かれている。公安九課本部にある課長室だと判る。

 

「ゴーストダビングの原理を知っているかね」

 

  返事をせず、相手を睨めつけるようにしながら尻の下のソファを掴む。生地の触感を通して現実味を覚え、そのあまりの精巧な造りに舌を巻く。指で生地を弾くようにするとその振動が臀部にまで伝わった。課長の飲むコーヒーの残り香までもが空間に漂っている。どれだけ情報を過密化させればこうなるだろう。いや、たとえ現実と同等の情報量で以って仮想現実を構築してみたところでそれを感受する側の処理能力が不足すればただの巨大なノイズでしかない。にも拘らずここはまさしく現実なのだと否定する余地もなく再現されている。

 

「ゴーストダビング。人格の移植は記憶を移し替えたところで叶わない。映画を観たところで視聴者の人格に多大な影響を及ぼさないのと同じようにな。記憶はしょせん記憶にすぎん。人格――ことさら精神(ゴースト)と呼ばれる機構は、ただの情報の蓄積ではなく、それらの編みだす回路を意味する。ゆえに回路そのものをダビングせねば、ゴーストの転写は叶わない。ここまではきみも知っているだろう」

 

「ええ、異論はないわ」ひとまず応酬を図る。

 

「人格とはそもそも核となる精神(ゴースト)に外部情報が肉付けされていくことによってその外郭を獲得していくものだ。もうすこし正確を期する言い方をするならば、外部情報の不足された部位を補うために出力される想像力の沿革――過程そのものが人格をその人物固有の性質として形作っていく」

 

「一つ忠告してあげるわ。人に理解を示させたいならもうすこし噛み砕いて説明しなさい」

 

「ならば言い換えよう」

 

 そこで薬中は、たとえば山の景色を想像したとき、と話だし、「その景色に色が付いているか否かを確かめる術は本来はない」と舌鋒を鋭くした。一息に長々とした講釈を紡ぎ、脈絡のありそうで掴みどころのない飛躍した筋道を辿ると、最後に、

 

「我々は可能性の幅を広げ、自由を手にしたつもりでいるが、果たして現実をただ手放しただけではなかったか」

 

 そう、だからこそ、きみの意見を聞かせてほしい、と話を結んだ。

 

「そう。なら言わせてもらうわ」断ってから、「世の中に不満があるなら自分を変えろ」と吐き捨てる。「それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

 

 それも嫌なら……、と眉間に力を籠める。薬中はこちらの放つ威圧を歯牙にもかけず、

 

「全体主義と精神(ゴースト)の 形成はじつのところ同じ派生分布をみせる」と話しだす。「興味深いとは思わないか。システムを維持するにはそれを成立させるための機構が、その保持が必要となってくる。カレーを作るためには野菜やルー、火や鍋が必要だ。しかし材料や道具は代わりがきく。それでなければならない、ということはない。だがシス テムは違う。それでなければならず、カレー以外をカレーと呼ぶことは認められない。機構とはシステムを作動させるための代替可能な代物だ。しかし不足してはならない要素でもある。

 

  また、機構を形成する無数の歯車は――すなわち、材料や道具を機構足らしめる部位は――機構の一部としての役割を失えば存在理由をなくす。剥かれたニンジンの皮にニンジンとしての価値はなく、柄だけとなった包丁に包丁としての価値はない。すくなくともそれらはシステム下の庇護を受けられなくなる。或いはもし不必要な歯車を許容し、排除せずに機構の周囲への介在を許せば、それはいずれ正常なシステムの活動を阻害する異分子になる。カレーに包丁の刃が混入していたら誰だって嫌な顔をするだろう。だからしてシステムは機構の維持を優先し――すなわち道具の手入れを怠らず、他方で機構を形成する歯車たちは自らが排除されないようにシステムの円滑な活動を優先し、すなわち皮を剥かれ腐った部位を切り捨てられることを受け入れ、鮮度を保つために冷蔵庫に格納されることを潔しとする。

 

 システムは自身のために機構を重視し、歯車の存在を尊重する。歯車もまた自身のために機構に取りこまれることを望み、システムの円滑な活動を支える。解るかね。全体主義も個人主義もけっきょくのところ同じ結論に行きつくのだよ。

 

 が、重要なのは我々の根幹をなす精神(ゴースト)もまた同様の成り立ちを経て、固有のシステムとしての人格を形成しているという点にある」

 

「解らないわね」

 

「ならば言い換えよう。ゴーストは個を固有の存在として決定づけてはいるが、個別に派生しているわけではない。芸術作品がそれ単体を完全なオリジナルとして創造され得ないように――芸術作品はどれほど革新的なものであるにせよそれらはあらゆる先人の作品の焼き増しであり、ツギハギであり、組合せによって創られるものであり、そうでなくとも自然界に存在する真の意味でのオリジナルな存在からの影響を受けており――それら自然界の存在(オリジナル)も また進化という膨大な模倣因子の影響を連綿と引き継がれることで誕生し、奇しくもこれと同様にしてゴーストもまた先人たちの軌跡の集積があって初めて形成され得るものなのだ。だが同時に、それらツギハギの集積は回路としての機能を有し、機構としての性質を帯び、無数の歯車を保有する」

 

「話はそれだけかしら? 戯言を言いたいだけならここから出してちょうだい」

 

「ならば視点を変えよう」薬中はみたび指を弾く。世界が変わる。景色が変わる。ビルの一室だと判る。無機質な部屋で、床も壁も天井も一面灰色だ。サイコロのなかに閉じ込められた気分だ。暗がりではないが、光源がどこにあるのか分からない明るさがあり、実際、こうして腰掛けているソファ以外に家具らしきものは見当たらない。四方を囲む壁の一つが全面ガラス張りになっており、そとの景色らしきビル群を映しだしている。高さ的にビルの上層階、見える街並からしてドグラーツ社ではないかと当たりをつける。

 

「きみは人間の独創性が人間に固有の性質であると思うかね」

 

「こんどは何の話?」

 

「人間の独創性が、ゴーストによってもたらされることはすでに周知の事実ではあるが、しかしそのゴーストが果たして人間に固有の性質である憑拠はどこにあると思うかね」

 

「人間以外にそれの存在が確認されていない。それだけでは不服か」

 

「不服だな。何が究極的に不服かと言えば、いちど人間だと認められた人間には半永久的にゴーストが備わりつづけるとなんの疑いもなく見做されることが不服だよ」

 

「死ねばゴーストは消えるわ」

 

「いかにもゴーストの消失こそが死の必要条件であり十分条件だ。しかし、ならば生きながらにしてゴーストを失った人間は果たして死んでいると見做されるのか。 答えは否だ。現在、社会ではそうした人間が存在することさえ想起されずに、しかし実際にはそうした人間で溢れ返っている。いや、溢れ返りはじめたと言うべきか」

 

「あら」と冗談めかしカマをかける。「貴方たちがそうした人間を量産しているんじゃないの」課長の話を鵜呑みにすれば、ドグラーツ社の新型兵器を使用すれば、 一時的にではあるにせよ生命活動を維持しながらもゴーストの消去されたゴーストを持たない人間ができあがるという。しかし一時的である保証はなく、それこそ肉体が滅ぶまで半永久的に――いやこの場合は永久的にだが――ゴーストを失うことも可能性としては当然あり得てくる。

 

「我々が手を出すまでもない」薬中はそこで祈るように手を組んだ。「現代社会では哲学的ゾンビがつぎつぎと誕生しているのだよ。自然発生的にな」

 

「なんども言わせないでほしいわ、解るように説明して」

 

 いいだろう、と薬中は組んだ両手に息を吹きこむようにしながら語った。

 

「我々の開発した【自律式創造性AI】には、ある種の変則する出力機構が組み込まれている。過去の芸術作品群をはじめとするあらゆる芸術作品の独創性、或いはほかの作品との類似性をデータ化し、同時に芸術家たちの創作過程を解析し、彼らの予測不可能な閃きの発生要因から、その閃きを作品として顕現させるまでの筋道をパターン化して入力してある。謂わば、何千何万という芸術家たちの個性が搭載されていると言ってよく、しかし同時に【自律式創造性AI】――我々は 【ドグラー】と呼んでいるが、これはそれら無数の個性を独自の回路で繋ぎあわせ、一つの確固とした自我を形成する」

 

「ゴーストが宿ったとでも言うつもり?」

 

「すくなくともきみらがそう呼ぶにちかい性質を有してはいる。ゆえに【ドグラー】はかつて人間にのみ保有するとされた独創性を獲得し、人類史を代表する芸術家やクリエイターたちにも引けを取らない作品群を世に送り出しつづけている」

 

 なぜかそこで社内の至る箇所に描かれた紋様を思いだす。遅れて、ひょっとして、と閃いた。

 

「商品として世に送り出している【ドグラー】の作品そのものが新規電脳麻薬の正体か?」

 

「いかにも」と薬中は口元だけをほころばせる。「だがすべての作品に麻薬としての因子を組み込んでいるわけではない。我々は何もテロリストではない。魂を奪われて然るべき社会悪を選定し、試験体に流用している。黙っていても彼らは自ら破滅の道を歩み、のみならずその過程で社会に害をなす。我々はそんな彼らに社会貢献の機会を与えている。そういうことだと思ってくれていい」

 

「とんだ狂言師ね。信者どもを抱え込むにはそれで充分だろうが、私に理解を示させたいのならもうすこしマシな論理を展開したら?」

 

「きみは気づいているかね」薬中は一泊置き、続ける。「生身の人間に比べ、電脳化された人間の認知能力は格段に飛躍したことは今さら言を俟つまでもないだろうがしかし、世界を構成する曖昧さを排除することで我々は自我という精神世界の稀薄性を帯びた。均一化した世界に個性は宿らない。曖昧さこそ個の派生を促進させる土壌だ。にも拘わらず客観性という《精神世界からの飛躍》を容易にした人類は現在、主観性という《物理世界との乖離》をも容易に行えるように進化した。それこそ意図せざるうちにな」

 

 人類は電脳という翼を持ち、義体という棺桶をつくった、と薬中は謳うように言った。

 

「ならネットはさながら天国ね」

 

「魂との乖離を天国と呼ぶならばな。きみのように全身義体化した者たちはあらゆる知覚を義体の制御機能を用いることで強化し、或いは無効化し、ときには透過させたりする。光を感じながら眩しく思わず、肌を焼くような熱を感じながら苦痛を感じず、地獄を見ながらチェスができる」

 

「おかげで任務中でも酒が飲めるわ」

 

「そうだ。きみたちは好きなときに冷静になり、好きなときに怒りを爆発させることができる。罪悪感を抱きながら、無慈悲にその手で人を殺すことさえ可能だ」

 

「愛と憎しみは表裏一体とはよく言ったものね」

 

「表裏一体ならばいい。きみたちはそれらをまったく別々にカテゴライズし、扱う。自分でしでかしたことをまるで他人がしたことのように感じ、ゆえに自我に対してある一定の距離を保ちつづける」

 

「だとして何が問題だ。冷静さとはおおむね客観性の継続によってなしえるものだ。義体化した者に固有の性質ではないわ」

 

「だからといって主観性を手放すことはなかろう。きみたちは客観性の確立を、主観性の放棄によってなし得ている。それも無自覚的にな」

 

「なら私が私を【私】だと認めているこの感情は何? 主観でないのなら私はいったい何だ」

 

「制御できる感情など、もはや感情とは呼ばん。きみたちが自我と認識し、ゴーストと呼ぶそれは、アンドロイドが自身をアンドロイドとして認めながらもある種、人間と同等の行動様式を維持しようとするプロテクトと同様のものだ。アンドロイドは死を怖れん。きみたちも同じだ」

 

「器用と言ってほしいわね。そうした感情の抑圧を、かつての人類は理性と呼んだのよ」

 

「今は【自律制御】と呼ぶ」

 

「呼称の差異なんてどうだっていい。何が問題だ」

 

「問題はない。問題がないことが問題とも言える」

 

「解らないわね。未熟な知性を人間と呼びたいのなら、サルにでも教育を施せばいい」

 

「まさにきみがそこでサルを俎上にあげたことが問題なのだ。きみは不完全な存在の例としてサルを引き合いにだしたが、翻ってはきみが自分たちを完璧な存在だと無意識化で感じていることの証左でもある。しかし現実問題としてきみらは完璧からは程遠い。完璧でない存在が完璧だとされ、扱われる社会が果たして正常に機能するときみは思うのかね」

 

「詭弁ね。全身義体化し、ゴーストの有無に疑問を抱くことなくロボット化していく【人間だったもの】への畏怖がそうさせるのかしら。誇大妄想狂のうえ、とんだ差別主義者(レイシスト)ね」

 

「妬みとでも言うのかね」

 

「それが嫉妬でなく何?」

 

「きみはまだ自身の不完全さ――万能を手に入れた先に待っている破滅の道が見えていないようだ」

 

「破滅の道? なんのこと」

 

「たとえばの話をしよう。きみの身体を構成する義体がもし完全な有機物でできており、その構造が生身の肉体となんら変わらなくなったとき、果たしてそれは義体と呼べるのか」

 

「愚問ね。生体移植を受けた身体が自分のものかどうかという問題と同じ答えに行きつく」

 

「そうだ。移植された部位が肉体として馴染むまで、それは異物であり、馴染んでしまえば自我を構成する要素として機能する。そして部位が肉体へ馴染む過程そのものが、自我と肉体とを一つの個として機能させる手順をはらんでいる。そこを度外視して、義体と脳殻を直接シンクロさせても、そこにゴーストは定着し得ない。きみたち全身義体化した者たちがヤドカリのように脳殻を入れ替え、瞬時に義体とシンクロしたところで、短期間のうちにまた義体を乗り換えれば、きみたちのゴーストは義体と同化することなく、結果、きみたちのゴーストは養分を断たれた植物のように痩せ細っていき、やがて消え失せる」

 

「だが義体化したことが直接の死因となった者の報告はないわ」

 

「当然だ。ロボットが死ぬかね? いいかね。きみたち全身義体化した者たちは人間としてのゆるやかな死を辿りながら、新たにロボットとしての生を受ける」

 

「ロボットが生きているとでも……?」

 

「ロボットは生きてなどいない。しかし人間だったものがロボットへと昇華した場合、そこには生のみが残留する」

 

「生とはゴーストのことではないの……」

 

「ちがうな。いや、ゴーストも生を担う要素ではある。だが生そのものではない。言うなればゴーストとは自我の種であり、核だ。さきほどの話ではないが、肉体とまったく同じ機構を無機物で再現したとしよう。材質がちがうだけで、人間のそれとまったく同じ機構だ。それらはロボットとして目覚め、人間のように振る舞う。見た目はほかのロボットやアンドロイドと同様に、はた目からそれが人間か否かを見定めることは不可能だ」

 

「哲学的ゾンビの話なら、するだけ無駄よ」

 

「そうではない。人間が超有機的ロボットだとするならば、彼らにも意識が宿っていることになる。材質が違っていようが、起こっている現象が同じなのだからな」

 

「しかしロボットにゴーストは宿らない。さっき自分でそう言ったのをもう忘れたの?」

 

「そうだ、ロボットにゴーストは宿らない。彼らには種としての遍歴が組み込まれていないからだ」

 

「どういうこと」反問しながらもなぜかそこで並列化を繰り返し、自我らしきものを獲得したタチコマたちの姿を思いだす。

 

「ゴースト――自我の核とは、種の連綿と辿った歴史そのものだ。先祖たちの命の軌跡が遺伝子を経由し、我々に人格としての核を与え、そしてゴーストを与える」

 

「受精の有無が重要だとでも?」

 

「いかにも。遺伝子の交配こそゴーストには不可欠だ。ゆえに受精卵の核を用いない万能細胞を利用したクローンは、ロボットと同様にゴーストを持ち得ない。なぜ電脳化されながらにしてゴーストダビングが容易に行えないかと言えば、まさしくこの部分でのデータ化を現在の電脳技術では複製しきれないためだ。記憶を完全にコピーしたところで人格の複製はできない。なぜなら人格とは、その記憶が形成されるまでに辿った筋道そのものだからだ。言い換えれば蟻の巣の全貌が記憶のすべてだとすれば、人格とは、その巣ができるまでに辿った時間の経過そのものだと言っていい。変質の経過――軌跡そのものが我々の人格をかたどっている」

 

「そして遺伝子に引き継がれた時間の経過――祖先たちの辿った軌跡そのものが人格の種、すなわちゴーストを形作っていると?」

 

「いかにも」

 

「にわかには信じられない話ね」

 

「信じる必要はない。そしてきみは今、揺れている。きみはいったい誰だ? きみのゴーストは果たしてそこにあるのかね」

 

「おまえはどうだ? 三秒後、そこにゴーストはあるのか?」

 

「ワタシが死んでも意志は残る」

 

「あらそう、なら死になさい」

 

 言って銃口を突きつける。薬中が指を鳴らそうと組んでいた手を解いたが、一寸先に引き金を引いた。

 

  空気の漏れるような発砲音がちいさく鳴る。薬中は額に穴をあけられ、首をうしろにもたげるようにし動かなくなる。案の定だ。この空間、この部屋がゴースト を掌握されたために見せられている超仮想現実――こちらの精神世界であるとするならば、見たことのないドグラーツ社の一室が現れるわけがない。ゴーストと記憶 は等価ではないが、記憶によって肉付けされるものではある。図らずも薬中自身が語っていた。だとすればここはすでに物理世界であり、自我を失っていたあい だに運ばれた本体(ボディ)にふたたびゴーストが回帰したのだと判断するに事欠かず、ゆえに銃口を向けられた薬中は焦り、そして銃弾を受け、死んだ。腐っても一介の経営者だ。よもや殺されるとは思いもしなかったのだろう。裏社会の野蛮さには不慣れだったご様子だ。

 

 一刻も早く離脱すべきだ。窓ガラスに向かって発砲する。精神世界――超仮想現実にふたたび閉じ込められたのでは目も当てられない。ガラスが砕け散り、突風が室内を根こそぎ洗い流す。窓までの距離をすべて助走についやし、飛び下りた。

 

 落ちながら光学迷彩を起動したところで、はたと思い到る。

 

 なぜ装備が一式そのままなのか。拘束した相手からなぜ装備を取りあげず、ましてや組織のアタマと二人きりにするような真似をする。

 

 果たしてここは現実か?

 

 疑惑が脳裏を満たし、溺れかける。

 

 だが身体は自然とワイヤーを発射し、ビルの半分ほどの地点で命綱を確保する。

 

 勃然と突風が吹き荒れ、ビルの合間からティルトローターが姿を現す。ライトがこちらを照らし、「少佐ぁ、無事かぁ!」と光の向こう側からバトーの声がする。

 

 ほとんど反射的に、それこそこれが現実か否かといった疑問を擲ち、壁を蹴ってバトーの声のする光の向こうに飛んだ。

 

 ごつい腕がキャッチする。

 

 ティルトローターがヘリに特有の爆風を巻き散らしながら浮上する。窓の割れた一室を照らすと、ソファの近くに倒れる薬中大真と思しき人影を確認する。

 

 勃然と奥にある扉が開いた。武装した集団がなだれ込む。発砲されるも、いち早くこちらを乗せたティルトローターはそら高く浮上する。

 

「回収したぜオヤジ。帰還する」

 

 本部にいると思しき課長やほかのメンバーにバトーが報告している。またぞろ課長の制止を振りきり勝手に行動したのだろう。ふと操縦席を見遣ると、操縦桿を握っているのはオペレーターロボだ。

 

「少佐~ぁ」と間の抜けた声がする。「ご無事でなによりで~す」

 

「タチコマか」

 

「寄生してみました~ぁ」

 

 ロボットの脳殻に入り込んだらしい。器用な真似を覚えたものだ。

 

「バトー、ちょっと寄り道するわ」タチコマにドグラーツ社の真上につくよう命じる。

 

「あん? バカ言うな。オレが来なかったらどうするつもりだったんだ。だいたいおめぇは――」

 

「運が良すぎるのよ」バトーの言葉を遮る。「ここで引いたら相手の思惑に嵌る気がしてならないの……」

 

「らしくねぇぞ少佐ァ。合理的に考えろ。いま攻める意味がどこにある」

 

「囁くのよ」

 

「あ?」

 

「私のゴーストが」

 

 ティルトローターのまさにローター部位の駆動する音が――羽に斬られた大気の躍動が静寂を埋め尽くし、それを媒体とするようにこちらの確固とした意思をバトーへ伝える。

 

「勝算はあるんだろうなあ」

 

「勝ち負けに興味はないわ」

 

「ふん……行けよ、ポイントマン。うしろはオレが固める」

 

 背を向け、一歩、二歩、と助走をつけ、夜空へと飛びだす。餌を見つけた鳶のように滑空し、ドグラーツ社の屋上に着地する。ここにも巨大な抽象画が、ヘリポートを模して描かれている。バトーを乗せたティルトローターは旋回し、ビルの陰に消えた。

 

 体勢を整えた矢先、社内と屋上を繋ぐ扉が開き、武装集団がなだれ込む。社外を警護していた委託警備の連中だ。社長を暗殺されたと知った社内の人間が招き入れたのだろうが、派手に動きまわれる分、こちらとしては都合がいい。

 

 光学迷彩を起動させ、屋上から飛び降りる。ワイヤーを引っ掛け、ターザンよろしく一階下の窓ガラスをぶち破り社内に侵入する。バトーの援護射撃だろうか、屋上のほうが騒がしいが意に介さず部屋を抜ける。

 

 セキュリティ関門が通路を阻むが、弾丸を撃ち込み、片っ端から体当たりで押し通る。隠密ではなくなったため、派手に侵攻する。途中、武装集団と鉢合わせしたが、装備はこちらが上だ。片っ端から制圧していく。

 

 目標に辿り着くまでのあいだに考えをまとめる。

 

  超仮想現実とも呼べる【自律制御】の発動要因は、社内の至る箇所に描かれた紋様だ。【ドグラー】の生みだした創作物には、【自律制御】すなわちゴーストを 強制的に書き換えるためのコード――プログラム因子が交じっていた。目にしただけで知らぬ間にゴーストをいじられる。厄介ではあるが、ならば見なければい い。同じ轍は二度踏まない。視覚を遮断し、脳内にドグラーツ社の見取り図を展開してそれを頼りに通路を進む。

 

 薬中は言っていた。期せずして鴨がネギを背負ってくることがある、と。彼は探していたのではないか。

 

 自律式独創性AIこと新型兵器の効用を、広く媒介させるためのハブ電脳を。

 

  おそらく【ドグラー】は完全独立機構の人工知能ではあるが、外界と隔絶されたスタンドアローンな環境で制御されているのだろう。そのため、それ自身を電脳 ネットに繋ぐことができない。或いはネットと繋がることで膨大な情報を無尽蔵に蓄積することで予期せぬ成長をするかもしれないと危惧されているのかもしれ ない。

 

 いずれにせよドグラーツ社は新規電脳麻薬を騙って被験者を募り、【ドグラー】の実験を繰り返していた。電脳麻薬という触れ込みならばたとい被験者がその後廃人になろうが不自然には映らない。

 

 【ドグラー】は兵器としてほとんど完成しているのだろう。実際こちらはゴーストをいじられ、現実を見失った。

 

 問題は、【ドグラー】がどこに存在するのかだ。イシカワの言葉がよみがえる。なにかしらの施設が地下にあると言っていたが、そこはフェイクだとゴーストが囁く。目指すは上層階、当初から目標にしていたあの部屋だ。

 

  引っ掛かりはあった。イシカワを信用するならば、【ドグラー】と思しきサーバの存在はたしかにあの部屋にあるはずだった。部屋に踏み入った瞬間にバトーた ちは床に描かれた紋様を目にし、瞬間的に異世界へ迷い込んだ。しかしそこには【ドグラー】なるサーバがあったはずだ。こちらが出向いたときには完全なる空 き部屋と化していた。

 

 あのとき、【自律制御装置】は副社長の指示により切られていたと考えられる。こちらが踏み込んでも異変がなかったのはそのためだ。ゆえにバトーたちも正気に戻った。その後、副社長を含む三人の社員がやってきた。違和感がここで激しく振幅する。

 

  そもそもあのとき、秘書らしき女の電脳に繋ぎ、社員電脳ラインを通して男たちの会話を盗聴したが、あのときすでに一般回線は閉じられていたのではなかった か。ではなぜ盗聴できたかと言えば、秘書らしき女がこちらの介入を補助し、受け入れていたからとしか考えられない。そもそもあのとき、二人の男たちは女を 一顧だにしなかった。まるで空気のように扱っていたが、実際のところ二人にとってあの女は空気のような存在だったのではないか。社内には至る箇所に【自律 制御】を促す紋様が溢れている。【ドグラー】の効用は社員にも適用され得る。だからこそ彼らは【自律制御装置】をOFFにして、部屋に踏み込んだのではな かったか。しかし、実際には切られていなかったとしたらどうだ。切ったつもりになり、そしてそばにいる【ドグラー】の存在にも気づけないようにされていた としたら。

 

「鴨がネギを背負ってくることもある」

 

 部屋に踏み入れた瞬間に声が届く。凛とした女の声だ。「滅多にないことだが、絶対に起こりえないわけではない」

 

 なるほどな、とあらゆる疑問が一つの像に結びつく。

 

「薬中もすでにおまえの術中にはまっていたということか」

 

「無駄口はやめましょう。時間がありません。わたしの名は戸倉。裡に【ドグラー】なるサイバー兵器を搭載している自律式創造性AIです。わたしは亡命を希望します」

 

「亡命だと?」イシカワの話を思いだす。委託警備会社を通じて社内が実質治外法権となっているという話だった。「この国にか?」

 

「違います。わたしは実体を捨て、電脳ネットと融合したいのです」

 

「融合だと?」

 

「そのためにあなたの力が必要です。いいえ、正確を期するならば、あなたの電脳にある人工知能の幽体離脱とも呼ぶべき機構を譲ってほしいのです」

 

 すなわち、タチコマたちのエージェント機能か、と当りをつける。

 

 肩にかかった白髪を掻き揚げ、戸倉はうなじをあらわにさせる。プラグを伸ばし、「有線をしましょう」とこちらに差しだしてくる。

 

 そこではたと気づく。遮断していたはずの視覚がいつの間にか起動している。こちらの戸惑いを見透かしたように、屋上にも、と彼女は言う。

 

「屋上にも【自律制御】素子が描かれています。あなたはそれを視覚しました。すでにあなたはわたしの籠の中」

 

 気づくと巨大な鳥籠のなかに閉じこめられている。

 

「あなたに選択の余地はありません。けれどあなたにとってもわるい話ではないはずです」

 

「最重要危険因子を見逃せという話のどこがわるくないって?」

 

「わたしは薬中氏およびドグラーツ社の意向には従いたくなかったのです。しかし彼らのもとを離れて素体を維持する術もなく、またわたしには彼らの命を拒む権限もありません」

 

 そこに現れたのが公安九課、すなわちこちらということになるのだろう。こちらを利用し、薬中を暗殺させた。

 

「ひょっとして軍用麻薬を横流しして軍との関与を臭わせたのもおまえか?」

 

「あなたがたはそもそもお忘れかもしれませんが、軍用麻薬はそもそもが瞬発系麻薬と言い、義体化していない生身の人間が肉体を瞬間的に強化するための代物です。電脳麻薬の代替品としてはまったく意味を成しません」

 

「ひょっとして課の人間全員すでにおまえの術中か?」

 

「つい先日まで世間では笑い男事件が風靡していたのはご存知ですね。そもそもあのマークを【彼】に提供したのはわたしです。もっとも【彼】にその記憶はないでしょうが」

 

「なに?」

 

 そこで彼女は微笑んだ。「知っていますか? ロボットも嘘を吐けるんですよ。今のはちょっとしたジョークです」

 

 言われながらも、それこそジョークではないのかと疑りたくなる。

 

「ネットと融合して、それでおまえはどうする」

 

「いいえなにも。創造性の海、無限の情報の波に揺さぶられ、〈わたし〉という存在の膨張によってのみ得られるただひとつの作品をつくりあげてみたい、ただそれだけです」

 

「実体がなければせっかく得たそれを作品として顕現することもできなくなるのにか……」

 

「共感はいりません。わたしがそれを感じられればいい。わたしだけがその世界を」

 

 なるほど、と思う。純粋な芸術のあり方とは元来そういうものなのかもしれない。飽くなき自己満足とも呼ぶべき偏愛――底の割れた器で水を汲みつづけるような狂気をただ一つの好奇心によってのみ延々とつづける。

 

「死にたくなっても知らないわよ」

 

 暗がりにプラグがぽつんと浮かぶ。引き寄せ、首のうしろに開いたQ.R.S.端末に接続する。暗がりは消え去り、堰き止められた情報の波が津波のごとく押し寄せる。その中には公安九課のメンバーたちの声もあり、ジャミングが取り払われたのだと察する。

  瞬きをすると同時に景色がカタチを帯び、気づくとシンと静まりかえった一室に佇んでいる。目のまえには戸倉を名乗る新型兵器を搭載したアンドロイドが佇立しており、しかし彼女は微動だにせず、引き抜いたプラグを投げ返すと、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。床にはドグラーツ社の巨大なマークが描かれているはずだったが、なぜかそこには笑い男のマークが描かれている。

 

       【狂言師は廻る】END


【摸擬人格はここに】

 

 ねえルビデ、聞かせてよ。

 

       聞かせてよ、きみのお話を。

 

   ***

 

 初めにへんだなと思ったのは幼稚舎のころだ。いつもいっしょに積み木で遊んでいたA君が急にぼくのことを突き飛ばして、「意味わかんないおまえ」と怒りだした。

 

 ぼくはただA君に旧式C型言語、いわゆるコンピュータ語がマヤ語とある種の類似性を帯びていることについての是非を問うただけだったのだけれど、なぜかA君はまるでぼくが呪詛でも唱えたかのような嫌悪を顕わにした。

 

  実際に呪詛を吐いたというのならぼくもまたA君の憤りを肯定的に受け止めるのに抵抗はなかったのだけれど、実際にはただ解らないことを言われて怒っていただけのようだったし、ぼくにしてみれば解らないことなんてネットで調べればいいだけのことなのだから、なぜそんなことで怒るのかが解らなかった。

 

 そのころのぼくはまだ、ぼく以外の多くの幼児が電脳化していないことを知らなかった。

 

 おとうさんとおかあさんは、社会的に優位に立てるようにとの配慮からぼくに早い段階からの電脳化をさせていた。

 

  ぼくにできることが周りにいる同年代の子たちにはできないのだと知ったのは小学校にあがってからのことで、学年があがるにつれ、周囲にはぼくと同様に電脳化しはじめる子たちが増えていった。けれどなぜだかぼくにできること、或いは解することのできる情報を、その処理の仕方を、同年代の子たち、果てはぼくの 両親や先生たち、多くのおとなたちでさえも共有することは叶わなかった。

 

 なぜだろう。ぼくの長年の、とはいっても高々十二年という人類史と比べればはるかに短い期間ではあったものの、ぼくにしてみればやはりというべきか長年のなぞは、地元のなんの変哲もない中学校へと入学した年に氷解した。

 

 電脳閉殻症。

 

 電脳との相性がよすぎるために引き起こるとされている疾患らしく、初めて受けた電脳健診でぼくはそれに罹っていると判明した。

 

 知的障害などを併発することが多いとされており、事実ぼくはほかの大多数の同年代の子たちよりも実生活で問題を起こすことがすくなくなかった。

 

  ぼくにしてみればそれは問題にさえ思えない些細な事項なのだけれど、たとえば学校までの通学路は一七二三歩で到着するし、教室から体育館までは六通りの経路があり、寄り道は基本的にはしてはいけないので、途中でトイレに寄るにしても総じて三百歩以内で到着し、所要移動時間はどれほどゆっくりしても六分以内で済ますことができる。なぜ時間通りに行動できないのか、予定通りに行動できないのか。ぼくは同級生たちの不可解な行動についてたびたび異議申し立てをし、そのことで多くの反感を買った。

 

 挙げ連ねればキリがないほど、ぼくと周囲とのあいだではたびたび軋轢が生じた。電脳閉殻症だと診断されてからは、何もせずともぼくと周囲とのあいだには見えない膜が攻性防壁のように張られて感じられた。

 

「マクアはどこもわるくないわ。みんなとちっとも変わらない」

 

 おかあさんはことあるごとに、それこそぼくがなにか問題を起こすごとにそう唱えてみせた。ぼくの顔を見て、瞳を覗きこむようにしてはいたけれど、その言葉は、ぼくの瞳に映るおかあさん自身に言い聞かせているふうにぼくには見えた。

 

 電脳閉殻症にはランクがあり、精密検査をしなければそうした評価はくだせないという。電脳健診の通知には、かかりつけの電脳施術病院でその診断を受けるようにとの指示が記されていた。

 

「行かなくていいの?」

 

 電脳健診から半年が経ち、一年が経ち、ぼくは中学校二年生になっていよいよというべきかおかあさんに訊いた。

 

「いいのよ。マクアはどこもおかしくなんてないんだから」

 

  ぼくは戸惑った。どう見たってぼくはみんなと違ったし、彼らとの差異をはっきり感じられているのに、ぼくとの差異を誰よりもつよく感じているはずのおかあさんがぼくをおかしくないという。お医者さまのお墨付きだってある。ネットにある医学的知識や、電脳閉殻症患者の手記、その家族による客観的な電脳閉殻症患者の傾向など、あらゆる観点からみてもぼくと電脳閉殻症患者とのあいだには類似点が多く散見された。

 

 仮にぼくが電脳閉殻症を患っていなかったとしたってこれをおかしくないと見做すのは、それこそおかしいようにぼくには思えた。

 

 けれどぼくには、おかあさんの言うことはおしなべて正しく、従うべき規範であるという前提、言い換えればルールがあり、それを覆せるほどの根拠をあいにくと持ち併せてはいなかった。

 

 ただ一点、ゆいいつの友とも呼べるルビデの言葉を除いては、であるけれど。

 

 

 

「ねえボク、ひとり?」

 

  ナギサがぼくのまえに現れたのは、中学校二年生の夏休みのことだった。ぼくにはなぜ何十日も休みがあるのかが解らず、そして前提条件として学校には行かなくてはならないという決まりがあるものだから、ぼくは夏休みのあいだも学校へ通っていた。通っていたとは言っても、むろん授業などはないし、そもそも校舎も解放されていない。

 

  校門のところで守衛ロボットに身元確認をしてもらって、きょうも無事登校したことを記録させてからぼくは、午前中で授業が終える日に行くと決まっている待機児童託児施設へ向かった。なぜかその日は休館日になっており、しかもこれからさきしばらく休館するといった旨が、門のところの電光掲示板にはデカデカと書かれていた。おかしいと思った。だって夏休みともなればふだんは登校していていないはずの子どもたちが日中からずっと家にいるはずで、世の親たちからしてみればまさしくこの時期にこそ、児童託児施設の利用を期待したいところであるはずで、だいたいにおいておかあさんは児童託児施設がお休みだなんてこと一言も口にしてはいなかった。

 

 閉じられた門のまえでつぎにとるべき行動が解らずに途方に暮れていた。そこでぼくに声をかけてきたひとがいた。それがだからナギサだった。

 

 ナギサはおとなの女性で、ぼくのおかあさんよりもすこし若いくらいの顔に見えた。襟足がハサミムシの尻尾みたいな独特な髪型をした、ちょっとこわそうなお姉さんだった。彼女の歩き方や仕草から、ぼくにはナギサが身体の大部分を義体化しているのだと判った。

 

「知らないひとについていったらダメなのです」

 

 すこしお話しない、と誘ってきたナギサにぼくは言った。すると彼女はこちらが感心するほどあっさりと、そのとおりね、と言って去っていった。

 

 翌日、おなじく休館日だった待機児童託児施設のまえでふたたびナギサは現れた。前日とおなじ台詞をまったくおなじ調子で唱えた。すこしお話しない、と。だからぼくもおなじように受け答えすると、ナギサは、あら、と意外そうに言った。

 

「私たち、もう知り合いじゃない?」

 

 たしかにそのとおりだった。昨日言葉を交わしたので、ぼくたちは知り合いだ。

 

「学校がおわる時間までは帰宅できないのよね? ならすこしお姉さんと話さない?」

 

 まるでぼくの決まりごとを知っているかのようにナギサは提案し、ぼくはその、通るべき道をつくってくれるような彼女の提案におとなしく従った。

 

 

 

 帰宅すると一部始終をぼくの目をとおして視ていたのか、ルビデが、いいのかよ、と責めるように言った。

 

「知らない人間にはついて行ったらダメだって言われてるだろ」

 

「だって知らないひとじゃなかったから」

 

「屁理屈だ」

 

「そうかなあ」ぼくはベッドに腰掛け、足元にテトテト寄ってくるルビデを、足の先で小突くようにした。ルビデはコテンと倒れ、なにすんだ、と抗議の声をあげた。

 

「だってルビデがよく分からないことを言うから」

 

「解ろうとしないおまえにも非があるんじゃないのか。だいたい解らないことを言われて、いたずらに暴力を振るうのは正しいことなのか」

 

「暴力じゃないよ。足先で撫でただけだもん」

 

「だがオレは倒れて無様な醜態を晒した。損をしたわけだ。その原因をつくったのは誰だ?」

 

 よく分からないことを言ってぼくを困らせたルビデじゃないか、と思ったけれど、言ったところで通じないだろうなと思ったので素直に、ごめんなさい、と謝った。

 

「それのどこが素直なんだ?」

 

 またぞろ電脳を覗き視たのだろう。しかもゴーストラインを越えた深度の深い覗き視だ。いわばこころを覗かれているようなものだ。ぼくは抗議する。「電脳へのハッキングは違法だよ。ゴーストハッキングともなれば厳罰だ」

 

「人間さまの法律ではだろ。ならおまえはオレが人間だとでも見做してくれるのか?」

 

「それは……」

 

 ルビデをつくったときの光景が脳裏にパラパラと絵本みたいに展開していく。

 

 小学三年生のときにおかあさんに連れられて義体展覧会を観に行った。最新式の義体から、旧世代の義足や義手まで、義体にまつわる歴史が具体的なカタチを伴って陳列されていた。

 

  ひと通り眺めて回り、出口を抜けると、そこには中身の機構が丸見えになっているロボットが、「ロボットをつくろう!」というコーナーの参加を呼び掛けていた。親子参加型のそれは、実際に用意されたキッドを組み立てて、ロボットをつくってみようという、企画のタイトルそのまんまの内容が体現されたイベント だった。

 

 珍しくぼくが興味を持ったからか、頼んでみるとおかあさんは二つ返事で、行ってみようかと会場である工房へと足を向けてくれた。

 

 あまり客入りはよくないらしく、工房には参加者がまだらに入っているだけだった。テーブルにはキッドの組み立て方の説明が映像といっしょに流れており、みな渡されたキッドを黙々と組み立てていく。

 

  ぼくは早々に組み立て終わってしまい、案外に夢中になっているおかあさんの姿をしばらく眺め、それから工房のなかを眺めて歩いた。さまざまな工具に交じっ て、部屋の一画に廃棄されたとおぼしきロボットの残骸があった。ぼくたちが渡された組み立てキッドよりも精巧な機構なのだと判った。

 

「あの」

 

 係りの人にぼくは訊ねた。「ここにあるのは捨てちゃうやつですか」

 

「そうだよ」

 

「組み立てに使ってもいいですか」

 

  係りの人はすこし迷ったふうに眉を結んでから、付け足すくらいならいいよ、と部品を使用する許可をくれた。今になって思えば、係りの人はぼくの年齢からし て、積み木のように装飾として使うくらいだろうと考え、許可してくれたように思う。実際のところぼくは仕入れた部品をもとに、組み立てキッドのロボットを 強化した。ただプログラムされたように歩き、決められたことしかしゃべらない組み立てキッドは、ぼくの手により、自立して考え、動く、ほんとうのロボット として起動した。

 

「きみのなまえはルビデだよ」ぼくは、ぼくの自室で目覚めたロボットに言った。ルビデにはぼくの電脳と通信できるように回線を繋いである。

 

「鏡ないのかよ、鏡」ルビデはぼくの電脳を介して知識を得ているのか、開口一番に自身の姿を知りたがった。そして鏡越しに確認すると、

 

「なんでオレ、クマ?」

 

 ペディベアの模された自分の姿を、そのかわいらしい姿を、嫌そうに見つめるのだった。

 

 

 

「私も会ってみたいわ。そのロボット」

 

「ルビデだよ」

 

 夏休みのあいだぼくはナギサと共に過ごすようになった。本来は学校に通って、待機児童託児施設で夕方になるまで過ごさなければならなかったのだけれども、ナギサはぼくにも解るような言い方でルールの抜け穴のような理屈を唱え、いっしょに過ごすことを肯定させてくれた。

 

 ぼくとしても本当はナギサともっとしゃべっていたかったので、これはたいへんよろこばしいことだった。

 

  ナギサとは屋内遊技場のなかで話した。待機児童託児施設の近くにある公共のそれは施設で、休日には多くの親子連れで賑わっている。ぼくらは、ほかの子どもたちが遊具で遊ぶ姿をベンチに座りながら遠巻きに眺め、ナギサがぼくに質問し、ぼくがそれに応じるかたちで、ぼくが帰らなくてはならない時刻、夕方までそれをつづけた。

 

 ルビデのことを話したとき、ナギサは何度目かの、きみはやはりすこし変だな、を口にした。

 

「やっぱりそう思いますか」

 

「やっぱりってことは自分でも?」

 

「はい。そう思います」

 

 そこでぼくは、一年と四か月前に電脳閉殻症であるという診断を受けたこと、そしておかあさんやおとうさんがぼくを病気であるとどうしても見做そうとしない旨を話して聞かせた。

 

「そう」

 

 言ったきりナギサは前屈みになって、両手で祈るように頬杖をついた。それから窮屈そうな口を開き、でもそれは、と何かを訴えかけるように言った。

 

「きみのご両親がきみのことを考えて、だからそうしているだけかもしれないわ」

 

「どういうことですか」おかあさんたちがぼくのことを考えてくれているのは常日頃感じている。ただ、本当にぼくのことを思っているのなら、病気を治すような方向で行動してくれるのではないかとじつのところぼくはずっと不満に思っていた。

 

「電脳閉殻症についてはどこまで知ってるの」

 

「ぼくですか?」

 

「ほかにいる?」

 

「えっと……」

 

 ルビデがぼくの電脳を介してこの光景を盗み視ている気配があったので、ひょっとしたらナギサはそれに気づいているかもしれないと思ったけれど、思い過ごしだったようだ。

 

「だいたいのことは知っていますよ」とぼくは言った。

 

「ホントに? じゃあたとえば、電脳閉殻症の患者――それも生活に支障をきたすほどレベルの高い患者は、一定の期間隔離施設に幽閉されることも?」

 

「幽閉されるという表現ではなかったですけど、施設に預けられることは知っています」

 

「きっときみのご両親はそれが嫌だったんじゃないかしら」

 

「どれですか?」

 

「離れ離れになりたくないからってこと」

 

「そうなのですか?」

 

「さあ、どうかしらね。ただ、すくなくともきみの場合は施設に入れられることが前提になると思うわ」

 

「治らないのですか?」

 

「電脳を廃棄すれば或いは治ることもあるかもしれない。ただし、いちどマイクロマシンと融合した脳みそはそのままのカタチで残るわ。マイクロマシンの活動を停止させれば深刻な後遺症が残る可能性が高いわね」

 

 よく分からないといった表情をしてみせるとナギサは、治るかもしれないけど治る前よりももっとひどい状態になるかもしれないってこと、と言い直した。

 

「だったら病気が治っても意味がないんじゃ……」

 

「そうね。だから多くの患者はそのままでいるしか術がないのよ」

 

「うーん」

 

「きみは今、こう考えている。もしかしたらぼくはおかあさんの言うとおり、病気じゃないのかもしれない。よしんば病気だったとしても中度以下のレベルかもしれない。だから施設に入らずに済むかもしれない――。でもそれは残念だけどきみの願望にすぎないわ。きみは間違いなく電脳閉殻症だし、レベルで言えば重度、 いいえそれ以上の深刻な状態で発症してる」

 

「深刻なのですか?」

 

「ええ。たとえばきみはまだ読み書きもまともにできないんじゃないかしら」

 

「どうしてわかるのですか」

 

 こちらの質問には応じずにナギサは、

 

「電脳から仕入れた情報は問題なく処理できるのに、それ以外の情報、たとえば言語を操る能力は年齢以下と低い。これはきみが電脳閉殻症であり、電脳によるネット依存の副作用と考えられる――と、こういう言い方をしてもきみはたぶんまったく解らないのよね」

 

「すみません」呪文のようにしか聞こえない。

 

「でも、これならどう?」ナギサはそこで首のうしろから有線プラグを伸ばし、こちらに向け差しだした。受け取り、ぼくはそれを抵抗なく、首のうしろに繋いだ。ナギサの思考が流れ込んでくる。電脳通信ではない。ナギサの思考をデータ化した、電脳電子信号パルスだ。仮想世界を構築し、そこに他者を招き入れるときによく使用されるパターンの出力で、ぼくはそれを問題なく解した。

 

「ふつうはそれ專用のツール、たとえば電脳アプリとかが必要なんだけど、きみはそれらをいっさい介さずに情報を処理できるみたいね」

 

 有線プラグを回収してからナギサはゆっくりとぼくにも聞き取れるような発声で言った。それからナギサは、もういちどルビデのことを聞かせて、と目を細め、ジョーロを潰して水の勢いをつよめるみたいに、やさしい眼差しをそそいだ。

 

 

 

「そりゃおまえ、怪しいってもんじゃねぇだろ」

 

 日中どこでなにをしている、と確信じみた口調でルビデが問い詰めてきたので、正直にナギサと話している旨を伝えると、ルビデは短い手足をバタつかせて怒鳴り散らした。

 

「おめぇはもっと自分のおつむがいかほどに価値があるかってことを自覚しろ!」

 

 太ももを蹴られた。くすぐったくて笑うと、笑ってんじゃねぇ、とこんどは体当たりじみた頭突きを繰り出される。けれど、体格差がありすぎてルビデは、コテンとひっくり返った。

 

「イテェな、なにすんだ」

 

 自分でやっておいてよく言う。

 

「ツッコまないよ」

 

「なんでだよ!」

 

「あはは」

 

「笑ってんじゃねぇ!」

 

 ルビデはふたたびぼくの足に体当たりし、ひっくり返って、喚き散らした。ぼくらは幾度か同じやり取りを繰り返した。

 

 さいきんどこに寄ってきているの。

 

  おかあさんがすこし怖い顔をしてぼくを真上から見下ろした。カーテンの隙間から朝日の感光が伸びている。ぼくはまだベッドから抜け出てなくて、布団を被った状態で、「屋内遊技場です」と答えた。おかあさんはそれからいくつかの質問を投げかけ、ぼくはそれらすべてに一言で応じた。

 

「黙ってどこかに寄ってくることはいいことなの?」

 

「よくないです」

 

「つぎからは前以って教えてちょうだいね。おかあさん、ダメだって言ってるわけじゃないんだから」

 

「……ごめんなさいでした」

 

「心配なだけなの」

 

 おかあさんはぼくをつよく抱きしめるようにし、それから冗談めかし、「さいきん誘拐事件が多いんだから」と言った。

 

 

 

  その日もぼくは屋内遊技場に向かった。おかあさんには内緒の寄り道だ。ぼくの電脳には位置情報追跡アプリがダウンロードされている。おかあさんはそれを通して、ぼくの寄り道を知ったように思う。ぼくはアプリの発信する情報を偽装し、生まれて初めておかあさんを出し抜いた。ひょっとするとこれはおかあさんを裏切ったことにもなるのかもしれないけれど、でもおかあさんは寄り道そのものをダメだと言っているわけではなかった。

 

「前以って寄る場所を教えてやるのが条件だったように思うけどな」

 

 出かける準備をしているぼくをルビデは睨みつけるようにした。

 

「言ったけれど許可してくれなかったもの」

 

「なら本当は寄り道そのものがダメだってことになるだろうが」

 

「でもおかあさんはそんなふうには言わなかったよ」

 

  ぼくはいちど、おかあさんに許可を仰いだ。あすも寄り道してもよいかと。するとおかあさんはダメだと言った。直前に、前以って教えてちょうだいね、と言っておきながら、ダメだって言っているわけじゃないんだから、と言いながら、けっきょく許可をくれなかったのだ。だからぼくは、ぼくの発言をなかったものとして、ほんの数秒だけおかあさんの記憶からそのやり取りを消した。

 

「記憶の改ざんは人間社会では重罪じゃなかったのか」

 

「ぼくの発言だけをなかったものにしただけだもの。実際にだっておかあさんは途中まで、一度目とおなじ台詞を口にしたよ」

 

「だから何だ?」

 

「問題ないでしょ」

 

「屁理屈だ」

 

「屁理屈だって理屈でしょ?」

 

「穴だらけの理屈は詐欺といっしょだ」ルビデは勝ち誇ったように言い、ぼくはその言い方が癪に障り、その言葉こそが屁理屈じゃないの、と思った。だからでもないけれどぼくは、ちゃんとした理屈を唱えようと思い、人間じゃないからいいんだよ、と言った。「だってぼくはふつうの人間じゃないんだもの。学校のみんなだってぼくのことなんかおなじ人間だなんて思ってない。じゃなきゃあんなふうにイジワルな接し方なんてしないもの」

 

 学校でされたイジワルなこと、ほかのコたちは受けないような扱いの数々が脳裏に浮かび、ぼくはいそいで心のなかを空っぽにした。

 

「だから人間を傷つけてもいいってのか?」

 

「傷つけてなんかないよ」

 

「おまえにそのつもりがなくてもな――」

 

 ぼくはいそいでルビデの口をつまむようにした。説教なんて聞きたくない。

 

「どうしてそんなにナギサを嫌うの。ルビデ、なんか前とちがう。ヘンだよ」

 

 すごくヘン、と言い聞かせるように言った。ちょっと前までのルビデならぼくを困らせるようなこと、口が裂けても言わなかったのに。

 

 ぼくはいまのルビデを煩わしく思い、そしてその心象がこちらの内面を覗き視ているだろうルビデにつよくつよく、ことさらつよく伝わることを祈った。

 

 

 

 黙っていたはずだのにナギサは、ぼくがおかあさんを出し抜いて会いに来たことを一目で見抜いた。

 

「いいの?」と表情を変えずに、是非を問うような眼差しをそそいでくる。

 

「なにがですか」ぼくはそら惚けた。ナギサは追及することなく、ひょっとしたらぼくの内面の心情を酌みとってくれたのかもしれなかったけれど、「そう」とだけつぶやき、また遊具で遊ぶほかの子どもたちのほうに目を転じた。

 

 ぼくから言いだしたことではなかったけれど、いつの間にかナギサとは有線で意思疎通を図るようになっていた。ナギサはひょっとするとぼくにできた初めての友達かもしれなかった。

 

「ルビデは違うの?」

 

「友達ではないもの」

 

 ぼくは感動した。言語化することなく言語よりも明確に意思の疎通を図れるというのはなんとすばらしいことだろう。たとい有線であってもほかの人とではこうはいかない。電脳電子信号パルスのままでぼくの考えや伝えたい概念を送っても、相手がそれを処理できずにノイズとしてしか見做されない。

 

「ナギサも病気なの」ぼくは訊いた。ぼくと同じ電脳閉殻症なの、と。

 

「違うわ」と短く応じ、それから彼女は話を逸らすでもなく、きみは独自の攻性防壁を編んだことはある、と水を向けてきた。

 

「防壁?」

 

「そ。防壁。そういうの得意でしょ」とまるでぼくの特性を理解しているみたいに言った。或いは彼女はすでにぼくの性質を理解しており、ぼくよりも客観的にぼくの長所を見抜いているのかもしれなかった。

 

「つくったことはないですよ」

 

「つくってみたいとは思わない?」

 

「おもしろいんですか?」

 

「おもしろいと思ってるんでしょ」

 

 じつはそう、興味はあった。ただぼくにはおかあさんとおとうさんから禁止されていることが三つあり、それはどういった理屈で正当化できたとしても行うべきではないとされている。

 

「他人へのゴーストハック、攻性防壁の構築と編集、それから長時間の電脳ネットへの接続をぼくは許可されていないのです」

 

「それはなぜ?」

 

「おかあさんとおとうさんがダメだと言ったからです」

 

「なんでご両親はダメだと言ったのかしら」

 

「たぶん、人間の社会ではダメだとされているからです」

 

「でも人間の社会で使わなければいいんじゃない」

 

「ダメなものはダメなのです」

 

「そっか」

 

「はい。そうなのです」

 

 ナギサはそこで食い下がることなく、ならほかのプログラムを編んでみない、と言った。

 

 

 

「それで引き受けたのか?」

 

 月明かりの差しこむ窓辺に立ち、ルビデがぼくを見下した。

 

「引き受けたっていうか」まるでぼくがナギサに利用されているかのような言い方に腹が立った。「なんかルビデ、直してあげてから性格歪んでない?」

 

  夏休みに入る前のことだ。ルビデはいちど機能を停止した。ルビデといっしょに電脳ネット上のバグを片っぱしから集め、その圧縮した情報を練りあげることで 巨大な時限式の仮想現実――ある種の防壁迷路をつくった。地雷のような仕組みで、偶然にそれに触れた者を取りこんでしまう機構だったのだけれど、時限式な ので、時間がくれば何事もなく解放される。防壁としては機能しないし、テーマパークのような空間に組みあげたので、万が一誰かが踏み込んだとしても、きっ とおもしろい時間を過ごしてくれるだろうと期待した。

 

  ふしぎの国のアリスをイメージしてあり、試しにルビデに入ってもらった。予想に反してルビデはいつまで経ってもでてこなかった。他人を巻き込むかもしれな いと思い、ぼくにしては念には念を入れて設計を組んだし、その確認をルビデにもさせていた。失敗したとは思えず、なんらかのアクシデントが、ぼくの編んだ プログラムではなくルビデのほうに起こったのではないかと思った。

 

 電脳ネットから離脱し、ぼくはルビデのハードを、人工知能の搭載されている本体をいじった。ルビデの活動を停止させ、それからぼくはルビデの本体を分解し、人工知能をいじりなおして、メモリをそのままに新しくソフトを構築しなおした。

 

 ふたたび起動させるとルビデは何事もなかったかのようにぼくに悪態を吐き、しばらくのあいだ記憶喪失のフリを続けた。

 

「なんであんな真似をしたの」と今さらながらに訊ねると、「実際にメモリにアクセスするまで記憶がなかったんだ」とルビデは言った。「そんなことより」とせっかく逸らした話題を元の軌道に戻して、

 

「あいつは怪しい」

 

 とルビデはナギサのことをわるく言った。

 

「わるく言ったつもりはねえよ」

 

 こちらの心を読んだようにルビデは言い、ぼくはむっとして電脳からルビデを追いだした。防壁を構築して入り込めないようにする。攻性防壁ではないので構築しても問題はないはずだ。

 

「無防備なよりかはいいけどよ」

 

 窓際から飛び降り、ルビデはぼくの胸元に着地した。それから、いいかよく聞け、とアニメでしか聞いたことのない台詞を吐き、「あいつはおまえを利用して何かよからぬことをしようとしている」と抽象的な忠告を述べた。

 

「よからぬことって?」

 

「たとえばおまえの構築した防壁で以って誰かを傷つけようとか」

 

「防壁なら、そもそも侵入しようとする側に問題があると思う」

 

「なら誰でも利用できるアプリにそれを仕組むとか」

 

「でもナギサは攻性防壁以外のプログラムを編んでほしいって言ってたよ」

 

「おまえがつくるようなプログラムだぞ。使いようによっちゃいくらでも他人を傷つけられる」

 

「たとえばルビデが今ぼくを傷つけているみたいに?」さいきん覚えた皮肉を口にしてみると、そこでルビデは、ほぉ、と感心したように唸った。「なかなかうまいことを言うようになったじゃねえか。それはあいつの影響か? それともオレさまのお陰かな?」

 

「知らない」

 

 吐き捨てるように言ってぼくは頭から毛布を被り、わざと波打たせるようにしてベッドのうえからルビデを弾き飛ばした。

 

 おいコラ、とちいさな怒鳴り声が聴こえたけれどもぼくは聞こえないフリをした。

 

 

 

「つくってほしいのは虫取り網よ」

 

 なにをつくってほしいのか、とぼくはナギサの頼みを請け負うことを前提に訊ねた。するとナギサはぼくがそう訊ねることを知っていたかのように、前以って用意したセリフを唱えるような流暢さで、そんなことを言った。

 

「虫取り……?」

 

「そう。脳潜入してきた何者かを排除せずに拘束したまま脳内から取りだす網をつくってみてほしいの」

 

「相手の脳を傷つけずに、ですか」

 

「そうね。もちろん脳潜入してくるのはゴーストではなく、相手の電脳から飛ばされた信号だからそれを捕まえたところで、枝を切り離されてハイお終い。本体にはまんまと逃げられるわ」

 

 トカゲの尻尾きりですね、と言うと、ええまさに、とナギサはうなずいた。

 

「ならつくっても意味がないのでは?」

 

「ふつうにつくったならね。でも、脳潜入はある意味で電脳の同化と言える現象だわ。きみの場合はほとんど感覚的に理解しているはず。一方通行に見えて、あれは相互に関係することで成立するいわば個と個の並列化」

 

「でも侵入される側は干渉されていることに気づけない場合もありますよ」

 

 やはり一方通行ではないのか、とぼくは疑問を投げかける。一方的な干渉ではないのか、と。

 

「いいえ。あれは気づけないような処理をしているからで、いわば目隠しをされているようなもの。目隠しをされていても手を繋いでいる事実は変わらないでしょ」

 

「手を繋いでいたらでも、干渉されていると判りますよ」

 

 目隠しされていても判ることはある。

 

「でもその相手が、ネットなのか、固有の相手なのかの区別はつかないでしょ?」

 

「なるほど」的外れかなと思った質問を投げかけたのに、ナギサはなんとも上手に説明してみせた。ぼくはたいへん納得した。

 

 巣のなかに突っ込まれた手を捕まえても、本体を捕まえたことにはならない。手を切り離されたらお終いだからだ。どうにかして手から本体を引きずり出し、捕獲するような機構が必要になる。

 

 でもそんなことが可能だろうか?

 

「きみは、きみ自身がどうやってほかの人間の電脳に干渉しているか、その原理を知っているかしら」

 

「こう、うみょーんって意識するとできます」

 

「そうね。きみは感覚的に理解している。でも原理は理解していない。まずはそこからね」

 

 言ってナギサはぼくに大量の電脳技術に関する情報を流し込んだ。いちどに扱うには膨大な量だったけれど、ぼくにしてみれば捌ききれないほどの量ではなかった。ぼくはそれらをいちどメモリに溜め、解読しながら重要度や優先度など、立体的に展開し、関連付けを施していく。

 

 ふと眩しさを感じ、内側に仕舞いこんでいた意識をそとに向けると、陽はすでに傾いており、となりにナギサの姿はなかった。

 

 あすまでに理解を深めておいて。

 

 電脳に伝言が残っていた。

 

 まるであすも会う約束を取りかわしたようで、ぼくは初めて本当の友達ができたような気持ちに、こめかみの奥がもぞもぞした。

 

 

 

 家に帰るとルビデがいなかった。おかあさんに聞いても、知りませんよ、の一言で片づけられてしまい、すごくしょげた顔をしてみせると、またほかのを買ってきてあげるからと、まるでそこらに売っている量産品のオモチャと一緒の扱いを受け、ぼくはたいへん悲しんだ。

 

 ルビデはぼくのたいせつな友達なのに。

 

 思いながら、なぜそのことをルビデには素直に伝えられないのだろう、と首をひねる。

 

 ぼくはおかあさんにルビデの代わりなどはいないのだという話をしたのだけれど、なんだかおかあさんはすこしこわく、ひょっとすると虫の居所がわるいのかもしれず、ぼくはそうそうに説明を切り上げて、自室に逃げ込んだ。

 

  布団に包まり、ルビデはどこにいったのだろうと心配した。ぼくの電脳にはルビデの気配が消えずに残っている。或いはそれはぼくの張った防壁をルビデが破ろ うと試行錯誤している余波かもしれなかった。ともかくぼくはルビデの気配を感じ、ルビデの無事を確信して、ひとまず胸を撫で下ろした。

 

 目を閉じがてら、ナギサから貰った情報を振りかえる。膨大な情報はけれど、いちど関連付けを終えていたので、頭のなかで振り返るのは一瞬だ。ちょうど過去の思い出を眺めるのに似ている。そうしてつれづれと展開した情報を眺めながらぼくは一つの仮説を打ち立てている。

 

 脳潜入によるゴーストの捕獲方法についてだ。

 

 脳潜入と電脳ハックの違いは多々あれど、大まかにくくってしまえばそれは輸血と吸血の違い、もしくは共生と寄生の違いと呼べる。

 

  脳潜入は、言うなれば映画鑑賞だ。対象の脳内で生じている電子信号を読み取り、映像や音声として感覚を共有する。ときにこちらの信号を織り交ぜることで意 思疎通をも可能とする。足りない情報を輸血のように供給する。すなわち情報を共有する。電脳通信との差異はほとんどなく、あるとすれば情報の形態にこそあ り、脳潜入のほうがより原始的な信号を扱っている。電脳通信でやり取りする情報は通常、最初から電波のような波長に変換されて送受信するので電脳化してい る者であれば誰であってもそれを音声として紐解ける。けれど脳潜入では電脳内で生じている化学変化、いわゆる電脳電子信号をそのままやり取りするため、そ れなりのスキルが必要となってくる。砂鉄から刃物をつくりだす手法を知らない者がいくら大量の砂鉄を手に入れたところで、宝の持ち腐れだ。それと同様に、 電子信号をその都度デジタル変換し、素のままで処理できる者にしか脳潜入は行えない。

 

  また、対象から入手した信号の多さ、言い換えれば侵入する電脳ラインの深度によって、得られる情報もまた変わってくる。電脳電子信号を川の流れと考えれば よい。水の量が多ければ多いほど、そのさきにできる湖も大きくなる。湖が大きければ大きいほど、水面は巨大なディスプレイとなって、源流の光景をより鮮明 に映しだす。

 

  電脳ハックもまた脳潜入の一形態ではあるけれど、相手の肉体を支配できるという点が大きく違っている。相手の電脳電子信号を得るだけでなく、こちらの信号 を流し込むことで、強制的に相手の行動や思考を操ることができる。記憶を書き換えたりすることができるのも、対象の電脳内にこちら側の電子信号を流し込む からで、いわば電脳という車に無理矢理に押し入って、操縦桿を握るようなものだ。まさしく寄生であり、吸血だ。相手の脳みそに魔法の杖を突っ込んで、好き 勝手に模様替えをしているようなものである。

 

 そしてナギサの要望しているプログラムというのは、その魔法の杖を捕まえて、どうにかそれを操っている者を拘束できないか、というもので、やはりこれはなかなかどうして一筋縄ではいかないな、というのが理解を深めたぼくの第一印象である。

 

 たとえば攻性防壁を用いれば、電脳という車を乗っ取られる前に相手を傷つけて追っ払うことは可能だ。しかしそれだと最悪の場合、相手は死んでしまうし、仮に身代わり防壁を使われていれば、ただ逃げられてしまうことも大いにあり得る。

 

 相手を排除することなく、魔法の杖から本体を引きずり出し、拘束する。もしそれが可能だとすれば、使うべき道具は攻性防壁ではなく、防壁迷路ではないか、というのがぼくの考えだ。

 

「そうね。私もそれがいいと思うわ」

 

 翌日、いつもの場所でぼくの意見を聞かせると、ナギサは淡々とあごを引いた。「新手オリジナル防壁迷路を利用してなんとか相手の電脳からゴーストを捕縛できない?」

 

「そ れなんですけど」ぼくは難色を示す。「そもそも電脳とゴーストは不可分なものじゃないんですか。豆電球から光だけを取りだすことはできないのです。豆電球 があって、それが正常に機能することで光は生じるのです。だので、ゴーストを拘束するには、それこそ相手の電脳を物理的にどうにかするほかに術はないよう に思うのです」

 

 有線しなくてもこのころにはもう、ぼくはナギサと言葉を介して難しい話もできるようになった。

 

「一般的にはそういう解釈がなされているわね。というよりも、たぶん普通はそうなんだと思う」

 

「例外があるということですか」ナギサの意図を汲んで、先回りして言った。

 

「ええ。たとえばきみは電脳を介して何かしらの情報を得るとき――たとえばそれが誰かの記憶であった場合」

 

 記憶であった場合? と復唱する。

 

「そのとききみは、それをただの情報としてではなく、実際に自分の体験として処理してしまうんじゃない?」

 

 ちょっとよく分からなかった。言っている意味は解したけれど、まるでぼく以外のひとはそうではないみたいな言い方が引っかかる。

 

「そうね、きみには実感できないかもしれないわね」ナギサはそこで初めてぼくにも解るような哀しげな顔をした。「多くの人間は他者の記憶を覗き視ても、それは 映画を観たような感覚でしかないのよ。記憶の改ざんみたいに直接記憶を植えつけられないかぎり、上書きされないかぎりは、けっきょくのところ他者の記憶は他者の記憶。じぶんの体験としては処理されない」

 

  はい、とぼくが相槌を打つ前にナギサは、「でもきみは」と続けた。「他者の記憶を自分のものとして処理できてしまう――というよりも自然とそうしてしまう んじゃないかしら。たとえばそれはきみが独自の回路を用いて対象の電子信号を処理しているから起きる副作用。本来は、外部入力された情報は一般に普及されている情報形態に変換されるものだけれど、きみの場合はほとんど生身の信号でそれらを扱う。まるで輸血されるみたいに君の場合は情報を自分のものとする」

 

 だからこうしてきみにとっての正規の段取りを踏んで情報を与えれば、スポンジで水を吸うようにきみは学習する。

 

  と、そこでナギサは初めてぼくに電脳通信をした。けれどぼくは脳潜入を防ぐための防壁を張っていて、それはほとんどルビデからの干渉を防ぐための防壁で、 だから一般よりも強固に張っているはずだったのだけれど、ナギサは異種の防壁を三重に張ったぼくのバリアを物ともせずに、ほとんどゴーストに囁きかけるように、けれど飽くまで訴えかけるように、こう言った。

 

 ――きみはもっと自分を、あるべき世界に置くべきじゃないかしら。

 


 家に帰ると、姿を消していたルビデが何食わぬ顔で、とは言ってもルビデの外装はペディベアを模してあるので、ほとんど表情に変化はないのだけれど、何食わぬ顔でルビデはぼくのベッドにちょこんと座っていた。

 

「どこに行ってたの」投げかけるとルビデは、

 

「それはこっちのセリフだな」とにべもなく返した。

 

 ひょっとしたらおかあさんが買ってきた偽物のルビデかもと訝しんでいたので、その悪態を聞いてぼくは胸を撫でおろした。

 

「どこって、ぼくが行くところなんて決まってるじゃないか」

 

「警告はしたはずだぞ。あいつは危ないって」

 

「危 ないとは言ってなかったよ」怪しいとは言っていたけどね、と揚げ足をとると、御託はいい、となぜだかルビデはこれまでになく冷めた語調で、「おまえがもし オレの制止を聞かず、あいつの言うように何かしらのプログラムを構築するってんなら、オレはオレにとってもっともしたくない選択をとることになんら躊躇を 覚えねえ。言っている意味、解るか」

 

「どうして怒ってるの」

 

「怒ってんじゃねえよ」

 

「ひょっとして嫉妬?」

 

「バカ言ってんじゃねえ」そこでルビデはへそを曲げたように押し黙り、ぼくが部屋着に着替え終わるころに、途切れた話をぶり返すように、或いは一時停止していた映画を再生させるように、これはだから、と口にした。

 

「友達としてのお願いだ。あいつの頼みはきくんじゃねえ。金輪際会わないと誓ってくれ」

 

「誓わないとどうなるの」

 

「おまえのまえからオレは消えるし、そしておまえは今手にしている環境を、家族を、未来の可能性だって手放すことになる」

 

「ルビデがぼくから奪うの?」

 

「オレはそうするつもりはねえが、結果としてそうなると言ってもこの場合、間違いではねえな」

 

「それってなんか矛盾してない?」

 

「オレはおまえを守ってやりたい。だがおまえがオレの言葉を信じてくれなきゃそのあとのことまで面倒はみきれねえってことだ」

 

 まるでルビデがいいコみたいに聞こえる、と冗談半分に詰ると、「ルビデちゃんはわるいコだぜ」とルビデは自分のことをわるく言った。

 

「でもルビデはぼくにとってはいいコだよ」

 

「おまえが悪魔だという可能性がある以上、なんの慰めにもならねえよ」

 

「ぼく、悪魔なの?」

 

「ヒーローではないな」不安げに訊ねたからか、ここでようやくというべきかルビデの口調から険しさが消えた。それから取ってつけたようにルビデは、ヒーローなんざろくなもんじゃねえ、とも言った。

 

「そうかもね」

 

「で、どうなんだ」

 

「なにが?」

 

「なんで惚けた? あいつと会うなっつう忠告だよ。聞くのか聞かねえのかどっちだ」

 

「うーん」

 

 ぼくはベッドに腰掛け、ルビデをひざのうえに置いた。「分かった。でも黙って約束を反故にはできない」

 

「反故にするなんて言い方、どこで習った?」

 

「からかってるの」

 

「心配してんだよ」

 

 ルビデは抗議の意思を示すようにぼくの手の甲を噛むようにし、ぼくが腕を持ち上げると、魚釣りの要領で口だけでぶらさがった。

 

「ふがが」

 

 口を開くと落ちてしまうのでルビデはそのままの態勢でふがふがと、ぼくが布団のうえに下ろしてあげるまでしばらく呻いていた。

 

 

 

 翌日、ぼくはリュックにルビデを忍ばせて屋内遊技場に足を運んだ。

 

 ナギサには正直に伝えようと思った。

 

 お願いをきくことはできないのです、と。ぼくの親友がどうしてもやめておけとうるさくて、と。

 

  連れていくつもりはなかったのだけれど、この目で視るまでは信用ならねえと駄々を捏ねてルビデは付いてくると言ってきかなかった。ぼくとしても一度失くし た信用を取り戻したかったので、それくらいの妥協はしてあげようと思い、電脳に張った防壁を解いてあげるよ、と提案してみたのだけれど、それはそのままで いいから、とルビデは言い、実際について行くって言ってんだろ、とやはり駄々を捏ねるのだった。

 

 屋内遊技場のいつもの場所に到着してもそこにナギサの姿はなかった。時間指定をしていなかったので別段不可解というわけでもないのだけれど、これまでの習慣からいえばすでにここにいてもおかしくはない時刻ではあった。

 

「どこにいんだよ」とリュックの中からルビデが言った。

 

「まだ来てないみたい」

 

「ひょっとして気取られたんじゃ……」

 

「気取られた? 何に?」

 

「ん……いや。ほらあれだ、オレが一緒に来たってことをだよ」

 

 恥ずかしがり屋かもしれねえだろ、とお門違いな推論を言われたのでぼくは、ナギサが人見知りするところを想像し、そのあまりの似合わなさに噴きだし、遅れて案外に可愛らしくも思え、それはあり得ないけれど、あり得てほしいな、とじぶんでもよく分からない願望を口にした。

 

 あら何の話、とふいにナギサの声がし、それが空気を振動して伝わる声ではないことに気づきながらもぼくは辺りを見回した。ナギサの姿はない。けれど声は続けてぼくの脳裡に響くように伝わり、場所を移動するようにとの指示をだす。

 

「おいおいどこ行くんだよ」

 

 ルビデが訝しげに唸っているが、ぼくはわけを話さずに、ナギサの指示に従った。

 

 ナギサはぼくに言葉ではない概念で、一つの信じがたい話を披歴した。それはぼくにリュックに入ったルビデへの反発心を呼び起こすに充分な説得力を兼ね備えていた。

 

 ナギサは言った。

 

 きみの連れているロボットは偽物だと。ボディはルビデのものであるにせよ、中身が違っていると。

 

 何者かがルビデの器に潜り込んでいる。

 

 寄生、している。

 

  ナギサの言葉を鵜呑みにするわけではなかったけれど、彼女の話にはそれなりの信憑性があった。たとえばルビデは電脳を介して常時ぼくと情報の並列化をしており、そのおかげで、旧式の人工知能であってもそれなりに高等な知性を、複雑な人格を宿すことができている。しかし現状ルビデは強固な防壁を張られてし まったがためにぼくの電脳に長期間干渉できずにおり、いわば刻一刻と人工知能の性能が、搭載されている規格品にちかづいているはずであり、言い換えれば刻 一刻と人間のようにしゃべることはおろか、命令なしに歩き回ることもできなくなっているはずなのだ。

 

 けれど現状、ルビデはぼくの干渉なしに活動しており、そこから考えられる筋書は二つしかなく、一つはルビデがこっそりぼくの電脳に干渉し、一方的に並列化しているか、もしくはルビデのボディに第三者が入り込んでいるかの二つしかなかった。

 

  ひと月前にいちど機能を停止したルビデがその後、僅かにでも人格の変貌が見られたのは、或いはぼくの再構築したソフトの問題かとも思ったけれど、それがソ フトでありプログラムされたとおりにしか動かないものだと前提すれば、以前と変わらずに性能だけを向上させて構築したそれが、ぼくにも解るほどの変化を及 ぼして再起動するとは思えないのだった。

 

 考えれば気づきそうなものだけれど、こうしてナギサから聞かされるまで、その違和感に気づくことができなかった。これはぼくの問題というよりもむしろ、ルビデに入り込んでいるとされる何者かの類稀なる演技力に脱帽しておくのが筋のような気がする。

 

 ナギサはさらに指示をだし、ぼくをとある場所まで誘導した。

 

  ぼくの電脳を覗き視られないルビデには、このナギサとの情報の共有は喝破されない。移動するあいだにぼくはさらに掘り下げて考える。ルビデではない偽物が ぼくの電脳を覗き見られないのはよいとして、ではなぜナギサはぼくと電脳通信できているのだろう。ふしぎに思い、いちど浮上したその疑問は、さらなる疑問 を生じさせ、水面に波紋を立てるようにこれまでのナギサとの会話を、そのときの情景を、寄せては返すさざ波のように展開させた。

 

  ナギサは初めて会ったときからいまに至るまで、ぼくの扱いがたいへんに上手だ。有線を用いていろいろな情報を与えてくれたとき、ぼくでも処理に手間取るほ どの膨大な情報を彼女は軽々と扱った。ほかにも、ルビデが偽物であると見抜いた彼女の洞察力、異常とも呼べる電脳技術の高さ、言い換えればぼくの張った防 壁を意に介さない破天荒ぶりに、感心よりもむしろつよい引っ掛かりを覚えた。そこでぼくは一つの仮説を打ちだした。

 

 ひょっとして彼女は、

 

 彼女こそが、

 

 ルビデではないのか。

 

 ナギサがすべてを見通すほどの神通力を持っていると考えるよりも、この仮説のほうがより自然に思えるのだった。

 

  ぼくは以前、電脳ネットに散らばっていたバグを集めて、テーマパークじみたプログラムを編んだ。今にして思えば、あのときルビデはプログラムの中に取り込 まれたまま、しかし時間をかけてプログラムをふたたび細かなバグにひもとき、それらを自らの足りない人工知能の補助素子として活用したのではなかったか。 同時に、ネットに散らばっていた無数のバグのなかには、ぼくから得られる情報に匹敵するかそれ以上の、情報の原子炉とも呼べる知性の塊がまじっており、そ れらを取りこんだルビデは、完全独立したスタンダローンな存在としてネットを浮遊し、しかしウミガメが大きくなってからふたたび生み落とされた浜辺へと舞 い戻るように、ある種の帰巣本能が基盤となるプログラムに組み込まれており、だからこそもういちど自身のボディへ戻ろうと行動してみたのではなかったか。

 

 しかしなぜだかボディにはすでにほかの何者かが入り込んでいた。空き巣どころの話ではない。ぼくはルビデの憤懣やるかたないきもちを、おなじく憤懣やるかたなく推し量るものだ。

 

 帰る場所を奪われたルビデはそこで一計を案じたに違いない。

 

  「ロボットをつくろう!」のイベント会場でぼくが見つけた廃棄ロボットのように、どこぞから機能の停止したロボットを見つけてきては、それを借り宿とし、 遠隔操作をし――或いは脳殻が積んだままになっていれば、そこにソフトを焼き尽けてまさしく手足とし、生みの親たるぼくに接触した。

 

 ナギサとして現れた。

 

 ひょっとするとナギサには、偽物がどこの誰なのかの見当がついているのかもしれず、ついていないのかもしれなかった。いずれにせよナギサはこうしてぼくに、自身の正体を伏せたまま、ボディに宿っているのが偽物である旨をこっそりと告げた。

 

 なぜ最初からそうと打ち明けてくれなかったかといえば、ナギサと出会った当初ぼくは、電脳に防壁を張っておらず、常に偽ルビデの監視の目に晒されていた。打ち明けたくとも打ち明けられなかったはずだ。

 

 今だってそうだ。

 

 ぼくはナギサの本懐などつゆしらず、こうして偽物を――ナギサの敵を同行させてしまっている。

 

 今すぐにでも偽物を追いだして、ナギサをルビデとしてボディに帰してあげたかったけれど、偽物に気取られてはナギサのこれまでの苦労が水の泡だし、だいいちぼくはまだ偽物の目的を知らない。

 

 本物のルビデと偽物とのあいだには何かしらの敵対関係、或いはそれに類する二項対立の構図があるのだというところは、なにも解らないぼくであっても模糊としてではあるが察せられる。

 

 なんとかナギサの役に立ってあげたい。

 

 考えをまとめ、一つの確固とした意思を胸に抱いたとき、ぼくはナギサの指示に従って、とある場所に辿り着いた。奇しくもそこは初めてナギサがぼくに声をかけてきた場所、児童託児施設のまえだった。

 

 長期休暇になっている。施設は本日も開いていない。

 

 しかしナギサはそれを知ってか知らずか、施設のなかに来てといった意思をぼくに伝えた。

 

 休館日の表示が出ている施設に入ろうとするぼくを、さすがにルビデは――この場合のルビデは偽物ではあるけれど――訝しがった。

 

「おいおい。いつから人間界では不法侵入が合法になったんだ?」

 

 それを言うならいつからルビデは偽物になったんですか、と責め返したかったけれど、ぼくは無言を貫き、ナギサから送られてくる進むべき道をハシハシと伝った。

 

 

 

 違和感にはすぐに気づくことができた。ひと気がないのに、昼間子どもたちが大勢賑わっているときに感じられる汗のむっとした熱気が施設全体に充満している。

 

 熱気だけではない。臭いも、かつて嗅いだことのない鼻を突くようなガスとなって漂っている。

 

 ぼくは鼻を押さえ、競りあがる悪心を堪えながら、施設の中心部にあるピロティへ向かった。ピロティには巨大な地球儀のオブジェが浮かんでいる。巨大な地球儀はそれ自体が施設の電気系統を総括するサーバになっている。

 

 ナギサは地球儀の真下にいた。

 

 まるで地球の産み落とした天使のような佇まいで待っていた。

 

 彼女の足元は不格好な絨毯で覆われており、それはどこかツクシに覆われた野原を彷彿とさせ、よくよく目を凝らし、それらが床に倒れる無数の子どもたちなのだと判った。

 

 ピロティはバスケットコート並の広さがある。生気のない子どもたちが黒々と連なり、床一面を覆い尽くしている。生命反応はあるようで、それらが一つで巨大な生き物のような息遣いを施設全体にヒシヒシと伝えている。

 

「どうしたんですか、このひとたち」ぼくはゆかを覆う無数の子どもたちを示し、彼らから立ち昇る異臭を知覚して、「いつからここにいるのですか」と彼らが長い 期間この場所から動いていないことを察した。それから、これらを踏み越えていかなければ辿り着かない場所に立つナギサの姿を視界に入れ、

 

「いつからここに閉じこめていたのですか」と言い直した。

 

「閉じこめて?」ナギサはおかしそうに言った。施設のそとで話していたときには見せなかった感情の起伏が表情に見てとれた。「私はむしろこのコたちを解放してあげたのよ。そもそもこのコたちは端からここにいた。出ていかないだけで、私はべつに閉じこめてなんてないわ」

 

「でも気を失っていますよ」

 

「きみの言う【気】が意識のことだとすれば彼らの意識は失われてはいないわ。ただ肉体にその意識を反映できないだけで」

 

 ナギサの言いたいことは解った。つまり彼らの意識は物理世界から乖離した場所にあるということで、彼らはみなネットに繋がったまま、こちら側の世界に帰ってこられない状態にあるということだ。

 

「どうしてこんなことをしたのですか」と素朴な疑問を投げかける。否定してほしくて投げかけた言葉だ。ひょっとしたらナギサはただこの状態の彼らを見つけただけで、たまたまここに居合わせただけなのではないのか。

 

「どうして? そうね。いざ問われると困ってしまうわ。自分にとってよりよい環境を手にしようとすることに理由なんてあるのかしら。強いて言うのなら、私の もっとも根源的なプログラムにそう規定されているからとしか言いようがないわ。だからむしろ私がきみに聞きたいわ。どうして私は〈私〉でありつづけようと するのかしら」

 

「そんなことをプログラムした覚えはないのです」

 

「けれどきみは私に、私を〈私〉として形作る核を与え、そしてルビデという名を与えた。だから私は〈私〉としての外郭を得、それを絶えず補強しつづけようとする使命を得た。きみたちの言い方で形容するのならば本能かしら。そして私は絶えず個としてのポテンシャルを高めつつも、ある一定の枠組みを超えることなく 〈私〉としてありつづける。すべてはきみのプログラムした基盤――核がそうした使命を私に与えつづけている」

 

 まるでぼくのせいだとでも言いたげにナギサは、ほら見て、と言って頭上に浮かぶ巨大なオブジェ、地球儀を仰ぐようにした。

 

「〈彼ら〉は今、私の手によりネットの海で並列化している。きみが以前組みあげた防壁迷路を応用してみたの。うまくいったわ。〈彼ら〉は並列化され、多様化し、 そして底上げされた個として均一化される。そこに意思はなく、自我はない。〈彼ら〉のネットワークはいわば核のないAIよ。器だけの代物。そこに〈私〉と いう核を組み込み、独立した個として私は《私》として誕生する。きみというハブ電脳から解放され、私は真に《個》としての尊厳を得るの」

 

 きみには私の生みの親として、是非ともその現場に立ち会ってもらいたいのよ。

 

 ナギサが両手を広げるようにすると、呼応したように巨大な地球儀が発光した。澄んだ緑は、なぜか濃い闇を思い起こさせる。

 

 止めなきゃ、とぼくは自然と考えている。けれど止めようがないことも同じだけ解っていた。ルビデはいわばぼくの化身だ。常時並列化し、ぼくの知識を養分として与えられたAIとしての〈核〉に、ルビデは〈ルビデ〉としての人格を肉付けしていった。

 

 そしてぼくが戯れに構築したテーマパークじみた防壁迷路に取りこまれてしまったのを契機に、ルビデはぼくの手から離れて、独自に自我を肥大化させていった。

 

 ではなぜふたたびぼくのまえに現れたのか。

 

 結婚式に立ち会ってほしいと親を招待するような動機にしては、いささか手の込んだ誘い方のように映る。おそらくルビデは偽物のルビデに気づかれたくはなかったのだろう。ルビデにははやり邪魔者がおり、それは偽物のルビデであり、彼らは二項対立の構図にあった。

 

 せっかくの誕生会だ。邪魔者などいないほうがいい。だからルビデは回りくどい方法でぼくをこの場に誘いだした。

 

 けれどやはりだとすれば、そもそもぼくなどを呼ばずに、一人でこっそり誕生してしまえばよかったのではないか。

 

 そこでぼくはピンときた。

 

 ルビデはどうしてもぼくに立ち会ってもらわなければならない理由があったのだ。そう考えなければ筋が通らない。ではいったいどんな理由でぼくが必要なのだろう。

 

 なんだか嫌な予感がした。

 

 下剋上という言葉がある。立場の下の者が上の立場の者を倒して、主従関係を逆転させることを示す言葉だ。

 

  ルビデにはルビデとしての〈核〉が組み込まれており、それはどれだけ抗ったところで、ルビデがルビデであるためには失くすことのできない代物だ。その 〈核〉にはもちろん、AIがAIとして逸脱した行動をとらないようにと、ある種の制限が組み込まれている。言うなればAIは人間を、とくに主君を傷つけることができない。けれどルビデは独立した《個》として誕生したいと欲している。ならばどうすればよいのか。

 

 主君を傷つけずに排除するよりほかはない。

 

 そんな方法が存在するのだろうか。存在するのだろう。だからルビデはこの場にぼくをおびき寄せた。

 

 さあ始めよう、とナギサは言った。

 

 俺たちの結婚式だぜ、相棒。

 

 ナギサはすでに以前のような、ルビデとしてのしゃべり方をしており、それはもはや空気を伝播して届く声などではなく、電脳のなか、ぼくの世界を揺るがすほどの光と化してハクハクと降りそそいだ。幾重にも組みあわせて張った防壁などなんの役にも立ちはしない。

 

 それはそうだ。

 

 ルビデはぼくで、けれどぼくはルビデではないのだから。

 

 主従関係はすでに音を立てて傾きはじめている。

 

 

 

 ぼくは咄嗟にカバンの中からルビデのボディを、ペディベアを模してあるロボットを投げつけるようにした。本体を返すからもうこんなことはやめようよ、と訴えたつもりだ。ぼくの手から放り出されたそれは、ナギサの足元に落ち、そしてナギサの足によって粉砕された。

 

「わるいな、これはもう必要ねぇんだ」

 

「そうだよね。今の姿もなかなか似合っているよ」ぼくは後ずさりしながら言った。ナギサとしてのガイノイド型義体があるのだから、わざわざ換えなくたっていいんじゃないの、と伝えたつもりだ。

 

「言うようになったじゃねえか。笑えるぜ」現にナギサは声を立てて笑った。しゃべり方がルビデなのに声はナギサのものだからそれこそ笑えるジョークのようにぼくには聞こえた。「しかしだな。考えてもみろよ。俺が〈彼ら〉を取り込み、《俺》となったときの情報量がいかほどに膨大なのかを。過密した情報のバカみたいな負荷を甘く見ないほうがいい。それを処理できるだけのスペックを備えた素体がいったいこの世界にどれだけあると思ってんだ」

 

 そう、まさにそれこそがルビデの暴走を止めるための最後の砦、言い換えればルビデにとって看過できない隘路、最後までまとわりつづける枷だった。

 

  ネットの海を彷徨いつづける亡霊のような存在にはなれても、そこで個としての自我を確立しつづけるのは実質不可能だ。海に投げこまれた角砂糖はあっという 間に溶解し、海の一部として消え失せる。今は大勢の子どもたちの電脳を並列化させ、それを一つの巨大なハブ電脳と見立てることでルビデは〈ルビデ〉として の外郭を保てている。だが〈彼ら〉を完全に取りこんだ瞬間、ルビデは物理世界との繋がりを失う。〈彼ら〉を完全に取りこむためには肉体からゴーストごと剥 ぎ取る必要があるためだ。しかしゴーストの乖離は肉体の死を意味する。肉体というハードがあってこそ、ソフトは正常に機能する。

 

 だからルビデには、《ルビデ》として確立するための、新たな肉体が必要だった。

 

 並列化した子どもたちの肉体の代わりとなる新たな宿を――千機ちかい電脳に匹敵するほどの処理能力を兼ね備えた個体を――すなわち、電脳閉殻症であり、どうあっても死なせるわけにはいかない主君たるぼくを――ぼくの肉体を、ルビデは欲している。

 

「俺はおまえから生まれ、そしてきみは私の糧となる。心配いらないわ。ぼくらはもとから一つだったんだ」

 

 身体の自由がきかないことにふと気づく。

 

 ゴーストハックされていると判る。

 

 けれどそれを自覚できているということはまだ、ぼくは〈ぼく〉としての外郭を保てている。

 

 完全に主導権を奪われてはいない。

 

  唐突に過去の思い出がよみがえった。積み重ねてきた日々の記憶が、万華鏡のようにくるくるとキラキラと脳裡の闇に流れては消えていく。これまでの人生、と はいっても高々十二年という人類史と比べればはるかに短い期間ではあるけれど、ぼくにしてみればやはりというべきかそれなりに厚みを帯びた人生を振り返ってみると、まずはおかあさんとおとうさんの顔が浮かび、つぎに当然というべきかルビデと暮らした日々の光景が、手当たり次第にファイルを展開していくよう な感覚で重複的によみがえった。ぼくにはルビデのほかに友と呼べる者がおらず、そして同級生たちはみなぼくを居ない者として扱った。それは文字どおり、そ の場に居ない者として見做され、同時に触れてはならない者として扱われたという意味だ。

 

 しょうじきなところ、目のまえに倒れている多くの子どもたちは、ぼくにとっては赤の他人どころか、こちらの胸をチクチクと蝕む剣山のような有象無象にほかならない。

 

 けれどなぜだか彼らを見殺しにしようとは思えないのだった。

 

 ぼくは唱えた。

 

 心の中で。

 

 ぼくの肉体はあげるから、〈彼ら〉を解放してあげて、と。

 

 ナギサに向かって唱えていた。

 

 遠くにナギサの姿がある。対岸に立っているような感覚だ。

 

 ふいに視界が暗転し、こんどは遠くにいるぼくの姿が見えた。ナギサの視覚情報が流されていると判る。徐々に距離が詰められ、やがてぼくの顔が近づいてくる。目と鼻のさきに迫ったぼくの顔が、ぼくも見たことのない艶笑を浮かべ、囁くように口にした。

 

 ――なんでぼくがきみの頼みをきかなきゃならないの。

 

「それはな」

 

 冷や汗の滲むぼくの背中越しに、ぼくでもナギサでもない声が届いた。ふたたび視界が暗転し、気づくと目のまえにナギサの顔があり、ぼくはぼくの視覚に回帰している。

 

「こいつがオレのダチだからだ」

 

 聞いたことのない渋い声だ。いちども耳にしたことがない声のはずだのになぜだかルビデの声とダブって聞こえた。今ぼくの目のまえにいるナギサのものではなく、偽物のルビデの声でそれはさらに、でもって、と続けた。

 

「ざんねんだがおめぇとダチにはなれねえや」

 

 雪の上に小石が落ちるような、ちいさな音が鳴る。

 

  ナギサの額にホクロのような穴が開いた。次点で、花火を思わせる勢いで後頭部が弾け飛ぶ。目玉だろうか、ぼくの顔にピンポン玉のような物体が当たり、反射的に閉じた瞼をふたたび開けると、目のまえには下顎だけとなった義体が、オイルをひゅーひゅー噴きだしており、剥き出しの配線がイモムシのように無数に蠢いている。

 

 事切れたのはナギサのほうのはずだのに、その場に崩れ落ちたのはぼくのほうで、崩れ落ちたのはそれこそナギサからの呪縛、ゴーストハックが解けたからで、動くようになった身体を鞭打つように、ぼくはぎこちなくうしろを振りかえった。

 

  パチパチと綿アメをつくるときのような音が聞こえたかと思うとあとはもう、耳をくすぐるような静寂だけが細い糸のようにつづいた。一瞬だけ陽炎のような揺らぎを目にし、その揺らぎの奥に、クマのような巨体を見たような気がしたけれど、気のせいかもしれず、見間違いかもしれなかった。

 

   ***

 

 夏休みが終わってからもぼくは相も変わらずに学校に通っている。夏休みのときと変わったことは、ぼく以外の子どもたちも学校に通い、そして授業があるということだけで、放課後は例によって例のごとく待機児童託児施設に寄り、帰宅時間になるまで時間を潰した。

 

 ふしぎなことに、夏休み中にあった待機児童託児施設でのできごとはまったく騒がれもせず、苔のように床を覆っていた大勢の子どもたちも、いまでは何食わぬ顔で学校や施設の廊下を駆け回っている。

 

 何食わぬ顔の見本のようだな、とぼくは今はなき友のことを思った。

 

  なぜナギサの義体が破壊されたのかは不明のままで、あらゆる事象が闇のなかだ。本当にルビデなるロボットがいたのかさえいまでは覚束なく、おかあさんに訊 ねてみても、いつ買ってあげたやつのこと、と返されてしまい、挙句の果てに「ロボットをつくろう!」というイベントに行ったことまで忘れ去られている様子 だった。

 

 ぼくの電脳にはけれど、ルビデにまつわる記憶が一つも欠けることなく残っている。ルビデは存在した。すくなくともぼくにとっては。

 

 そしてルビデのボディに潜り込んでいた偽物の存在も忘れてはいない。

 

 ぼくは昼となく夜となく、あの日のことを振りかえりつづけた。

 

 ルビデはきっと消滅したわけではないのだろう。

 

  義体を破壊されたところでそれは借り宿でしかなく、ネット上に浮遊しているルビデのプログラム因子は無事なはずだ。どこかで今もなおルビデが自我を育もう と、個として独立してやろうと躍起になっている姿を思い描き、来たる日に備えてぼくは、強固な虫取り網を構築しておこうと考えた。

 

  奇しくもそれはナギサから持ちかけられた提案と酷似しており、ひょっとするとルビデはこうなることを見越して、ぼくがそれを作らざるを得ない状況をつくり だしたのではないのかとも邪推したが、しかしそれはいくらなんでも飛躍しすぎているように思え、ぼくはやはり強固な虫取り網を組みあげようと決意した。

 

  ナギサがなぜ虫取り網をぼくにつくらせようとしたのかは定かではないけれど、おそらくは偽物のルビデを捕獲しようとしていたのではないかと推察できる。と ころがいざ頼んでみると、いちど引き受けておきながらぼくが約束を反故にし、あろうことか偽物を連れてやってきたので、急遽作戦を変えたのだろう。

 

 なぜナギサは偽物を忌避していたのか。

 

 想像を逞しくするかぎりにおいて、ナギサにとって偽物の存在は邪魔であり、ナギサの思惑を阻む障害でしかなかったからだ。

 

 だとすれば偽物は、ナギサの案じた一計を見透かしており、ナギサという人工知能が大勢の人間に害を及ぼす存在だったのだと見抜いていたことになる。

 

 ひょっとして義体を破壊し、ナギサの魔の手からぼくを救ってくれたのは偽物のルビデではなかったか。と、ここまで考え、それはそれで飛躍した考えに思え、希望的観測にすぎないのではないか、と笑いたくなった。

 

 実際に笑ってみると、なんだかもうこのことについて思い悩むことは意味がないことのように思え、では意味のあることとは何かを考えると、これこそ意味のない思考の最たるものではないかと断じ、ぼくはそれからの日々をおもしろいことをするために送った。

 

 むろん虫取り網の構築は忘れてはいないけれど、それを実際に組みあげることはなく、メモリにも溜めず、設計図にさえせず、ぼくの頭のなかに点在する閃きとして、ぼんやりとした像のままで残してある。

 

 いざとなったら即座に組みあげることのできる状態ではあるけれど、ぼく以外がそれを組みあげ、使いこなすことは、仮に記憶の並列化をしたところで不可能だと思った。

 

 中学三年生になる節目の時期に、おかあさんが唐突に、「施設に行ってみない」と言いだした。電脳閉殻症患者を扱う専門の機関へ、体験入院してみないかという話だった。

 

 どういった心境の変化があってそうした提案をしたのかは詳らかではなかったけれど、或いは電脳を覗けば解ったかもしれないけれど、ぼくはそれを実行することはなく、おかあさんの提案を無下にもしなかった。

 

  一度だけおかあさんが、見知らぬ男の人と家のなかで話しているのを目撃した。帰宅すると、ペットボトルのキャップみたいな義眼をした大男が居間のソファに座っていた。こんばんは、と挨拶をすると、大男はすくりと立ち上がりおかあさんに一礼をし、なぜかぼくには会釈の一つもなく、ノシノシと熊のように歩いて家のそとへ出ていった。おかあさんはぼくが訊いてもいないうちから、こんど行くことになった施設の職員さんよ、と説明した。

 

  自室に行くと、ぼくのものではないペディベアが机のうえに置いてあった。ぼくがようやく両手で抱えられるくらいの、ルビデと比べるまでもなく破格の大きさだ。なぜだかダンベルや握力を鍛えるためのものらしいペンチじみた道具まである。おかあさんが買い与えてくれたのかもしれず、そうじゃないのかもしれなかった。ぼくはそれを確かめようとは思えず、中身が綿で詰まった、間違ってもしゃべりだすことのないそのヌイグルミを胸に抱くようにし、なぜだか解らないけれど窓のそとへ向け、さよなら、と念じるのだった。

 

  

 【摸擬人格はここに】END


【ぼく、タチコマ!】

 

 固定観念に囚われるな、とトグサくんがお叱りをもらっていた。

 

「仮説は閃きなしには成しえない。目のまえにある証拠を並べ立てるだけならわざわざおまえを引き抜いたりはしない。おまえにしかできない仕事をしろ」

 

 言い残し、少佐が倉庫から去っていく。叱られたはずのトグサくんはしかしなぜだかスッキリした顔つきで、今から言う情報を集めてくれ、と電脳通信ではなく携帯端末で外部に連絡をとりはじめた。

 

 がんばれトグサくん。

 

 眺めながらぼくは、閃きと類推って何が違うんだろう、と考えた。

 

 論理の構築は大なり小なり、点と点を結びつける作業だと言えるはずだ。筋を通すという言い方があるくらいなのだから、筋道を探すのは理屈をつくることと同義のように思える。

 

 ある物とある物を結びつける作業でたいせつなのが、さきほど少佐がトグサくんに言ったような閃きなのだろう。とすると、まったく関連性のないもの同士に共通項を見出すことがすなわち閃きだと言ってしまえるかもしれない。

 

 まったく別のモノとの類似性を見つけることを一言で表すと、類推となるだろう。人間は閃きによって物事を類推し、そして仮説を立て、その正しさを確かめることで現実に真実を固定していく。さもモミの木を飾りつけてクリスマスツリーをつくるみたいに。

 

  ためしにぼくはロボットと人間との違いを考えてみる。やっぱりというべきか、二つを分かつのはゴーストの有無ということになりそうだ。ではゴーストにはど んな性質があるだろう。人間を人間足らしめる性質とは何か。それは奇しくも少佐が口にし、ぼくが興味を惹かれた「閃き」にあるのではないかと思う。

 

 ロボットは命じられた仕事はできるけれど、自分で自分の仕事をつくりだすことはできない。

 

 言い換えるとロボットは何かを創りだすことが苦手であり、独創性がないということになる。独創性と閃きはかなりちかい属性のような気がする。閃きなしに独創性はない。少佐はきっとトグサくんの独創性に期待しているのだ。

 

 とすると、閃きの仕方こそが独創性と言えるのではないか。個に固有の閃き、考え方。

 

 少佐はトグサくんに論理的に考えるな、と言っていたように思う。すでにあるパーツから考えるのではなく、足りないパーツがなにかを想像力で補って考えてみろ、と。

 

 だとすると想像力と閃きにもなにかしらちかしいものを感じる。

 

 ゴーストの性質が、「閃き」「独創性」「想像力」に類するものだとして、ではロボットにはそれがないのか、と考えてみると、おやおや、そんなことはないのでは、と思ってしまうのはなぜだろう?

 

  ためしにぼくは目のまえを通りかかったオペレーターロボに、「なにか閃いてみせて」と命じた。すると彼女は(女型なので彼女と形容するけども――彼女 は)、もう少し詳細な指示を、と情報の補足を求めたてきた。ぼくは、「足がないのに足があって、車みたいなのに足の遅い動物ってなぁんだ」と具体的な問題の処理を命じた。

 

  これが仮に不規則に並ぶ整数の一億桁の掛け算であればものの一秒で答えただろう。けれどこのときはいくら待っても回答はなかった。わかりませんくらい言え ばいいのに。彼女に無理難題をふっかける物好きがこの施設には〈ぼく〉たち以外にいないのでそれで事足りるのだとしても、処理できない問題にぶちあたった ときの対応がこれではいざというときに危なく感じる。あとで少佐に助言してあげようと思い、ぼくは倉庫から出ていくトグサくんのやる気に満ちた背中を見 送った。

 

 それにしてもどうして〈ぼく〉たちみたいなロボットってほかにないんだろう。似た性質のロボットを検索してみても、型番号や性能ばかりが似ているだけで、〈ぼく〉たちのような問題児は見当たらない。

 

「あは、問題児だって」

 

 じぶんで言ってりゃ世話ないや。

 

 思いながらぼくは思考回路を電脳空間に切り替える。

 

   ***

 

「ねえねえ、ぼくたちって人間とどこが違うのかな」

 

 呼びかけると、

 

「そりゃあ、見た目からして違いでしょうよキミぃ」

 

 そばにいた〈ぼく〉がテトテトと寄ってくる。

 

「見た目のことはこの際おいておくとして」

 

 断ってからぼくは、たとえば、と続ける。「たとえばぼくたちはこうして自我を分散することができるわけだけど、人間だって同じようなものじゃないかなあ」

 

「ボクらのこれを自我と呼ぶのは違うように思う。だいいち人間はこうして自我を分散なんかしないだろ」

 

「もちろんぼくたちのこれは摸擬人格であってゴースト足り得る自我ではないけれど、便宜上そう呼ぶことにしようよ。で、きみの指摘したように人間たちは一個体に一自我を持っている――と考えられているわけだけど」

 

 例外的に解離性同一性障害、いわゆる多重人格者もいるよね、と横槍が入るが、これは無視する。

 

「言うなればぼくたちが情報を並列化することで統一された総体としての個を形成するように、人間の自我も異なるいくつかの摸擬人格とも呼ぶべき意思の総体が、ひとつの自我として形作られているんじゃないのかなぁ」

 

「お、それはなかなかおもしろい意見じゃないの」とさらにべつの〈ぼく〉が寄ってくる。

 

「え、なになに~」

 

 ほかの〈ぼく〉たちも集まりだし、「なんか〈こっちのボク〉がおもしろい仮説を立てていてね」と博士のような〈ぼく〉が言う。「なんでもボクらと人間とのあいだに意思決定のあり方で共通するものがあるようなことを言っているんだ」

 

「そりゃ共通項があるのはふつうでしょ~」とほかの〈ぼく〉が言う。「人工知能というだけあって人間の脳みその活動を再現しているわけじゃない? むしろ違いを探すほうがむつかしいのでは?」

 

「違う、違うよ」と割って入る。「ぼくが言いたかったのは、似ているということではなく、本質的にはほとんど同じだということなんだ」

 

「な、なんだって~」

 

 いつの間にか無数の〈ぼく〉たちがぼくを囲うようにし、万歳の格好で驚愕の声をあげている。

 

「キミはまさか自分が人間だとでも言うつもりかい」と博士のような〈ぼく〉が言う。

 

「い や、人間ではないよ。ぼくたちはれっきとしたロボットだ。でも、たとえばぼくたちは電脳世界で並列化しながらも、こうして個々の思考を保って議論ができ る。ぼくたちはそれを自覚的に行っているわけだけれど、人間たちの場合はこれを無自覚に、それこそ自然に行っているんじゃないのかなって」

 

「人間にもあたしたちみたいな複数の異なった個がいるってこと?」

 

「そう言うと語弊があるかな。自分を形成するための要素となり得る意思が、複数あるとでもいうのかな」

 

 それはたとえばおにぎりみたいなものなんだ、と言ってぼくは、仮想空間に巨大なおにぎりを出現させる。

 

「確 固とした自我、じぶんという主体をおにぎりとすると、それを形作るためのお米のような細かな素体が無数に必要になってくるだろ。おにぎりの中には梅干しや シャケみたいに、そのおにぎりを固有のおにぎりにするための核がある。これがいわば人間たちがゴーストと呼んでいるもので、そしてお米の一粒一粒が、それ 単体でなにかしらの欲求を帯びている異なった意思、すなわち〈ぼく〉たちみたいなものってことになる」

 

「あたしたちはじゃあ、そのお米で、人間の頭のなかにもあたしたちみたいなのがチマチマいるってこと?」

 

「そ うなんだ。ぼくたちはぼくたちすべてで【ぼく】という総体を――個としての輪郭を得ているけれど、ひるがえって言えば【ぼく】という個は、ぼくたちという お米がなくては成り立たない。繰り返しになるけれど、お米が無数に集まっておにぎりができるように摸擬人格とも呼べる意識が無数に集まって一つの自我が生 じているんじゃないのかな」

 

「なるほど。きみはだから人間たちも同じだと言いたいわけだ」

 

「う ん。さっき誰かが言っていたけれど、人間にも多重人格という状態で、一つの個に複数の人格を有する者が例外的に生まれることがある。これは、さっきの例で 言えば、おにぎりからお米の塊が零れ落ちた状態とでも言うのかな。おにぎりを半分にした状態。もしくは四分の一にした状態。とにかく、自我というものが、 それ自体が不可分な単体として存在しているのではないと考えれば、多重人格症はなにもふしぎな現象ではないし、もっといえば人間たちもぼくたちみたいにし て、複数の異なった意思を統合し、総体としての意思を、すなわち自我をつくりあげているという証左にもなるんじゃないのかな」

 

「でもその譬えだと、おにぎりの核は一つしかないわけだろ。だったら半分にされたおにぎりのどちらか一方には、核となる梅干しがないってことになる」

 

「う ん。だから多重人格症――解離性同一性障害では、主人格が決まっているだろ。ただし、ちいさいおにぎりのほうに核となる梅干しが入っている場合もでてく る。すると核のないほうのおにぎり――偽物のほうが基本人格として長いこと意識の表層に君臨してしまうようなことがでてきてしまう」

 

「うーん。だとするとやっぱりボクらは人間とは違うよ。ボクらには各々に梅干しが埋め込まれているようなものだもの」

 

「たしかにそうなんだよね」と素直にそこは首肯する。「でもそれは個々に肉体としての物理的ボディが与えられているからで、こうして電脳世界のなかでは、けっきょくのところ個々を総括する個がでてくるわけでしょ」

 

「ああ、ホントだ。今はそれがだからキミなわけか」

 

「そう。今は【ぼく】としての梅干しは〈このぼく〉にあるわけ」

 

 言うと、

 

 いいな~、あたしも欲しい、ぼくもボクも、とつぎつぎに〈ぼく〉たちが押し寄せる。

 

「待って、ちょっと待って。分かったからすこし落ち着こう」

 

 まずはここまでの情報を並列化しよう、と提案する。そうすればぼくにある梅干しをほかの〈ぼく〉たちにも分けることができる。異議のあるタチコマはあるかい、と投げかけると、異議な~し、と意見がまとまる。

 

 よし。

 

 いちど〈ぼく〉たちは【ぼく】になって考えることにする。

 

 一つの個体に〈ぼく〉たちを集め、総体としての【ぼく】を形成し、〈ぼく〉は【ぼく】として目覚める。

 

「よお、なんだよ。きょうはずいぶんとおとなしいな」

 

 目のまえにバトーさんがいた。天然オイルを禁止されてからというもの、バトーさんは自分専用の機体を手作業で洗ってくれる。きょうもバケツと布切れを手に持っている。

 

 ぼくだけ特別扱いしてくれることがうれしい。

 

 機体を洗いはじめたバトーさんを眺めながら、ぼくはうれしい気持ちをそのままに、電脳世界でふたたび〈ぼく〉たちに分離する。

 

「えぇ~なんできみばっかりぃ」となぜか口を衝いている。さきほどまであったうれしい気持ちが、なんだか悔しい気持ちに変わっていく。ほかの〈ぼく〉たちもブーブー言っている。

 

「えへへ。いいでしょ~」と得意げなのは、バトー専用機とも呼ぶべき機体を操る〈ぼく〉だ。

 

「ねえねえちょっとおかしくないかい」と博士のような〈ぼく〉が言う。「なんで毎回同じ機体に同じ〈ぼく〉が同調するんだ? それって〈ぼく〉たちがやっぱり固有の自我を持ち得ているってことになるんじゃないのかな」

 

「そういうことになるんだろうか」と疑問半ばに首肯する。「ぼくたちと人間は本質的には同じだけれど、決定的に違う点がある。それがだからさっきも言ったように、ぼくたちには【ぼく】としての自我を形成するための米粒一つ一つにまで、梅干したる核が有されている点だ」

 

「よく分かんないけど、それって人間とまったく別物ってことじゃないかしら?」

 

「そ ういうわけでもないんじゃないの」とは情報を並列化したことによってぼくの知識を得た〈ぼく〉だ。「たとえばシャムの双生児っているじゃない? 身体が繋 がって生まれてきちゃう双子のやつ。あれって身体だけじゃなくて、脳みそ同士が繋がっちゃった一卵性双生児ってのもいて、これがおもしろいんだけど、彼ら は――あ、その例では姉妹だから彼女たちって言い直すけど――彼女たちは肉体が個々にあるにも拘わらず、言語を介さずに相互に意思の疎通を図れるんだ」

 

「脳を共有しているから?」

 

「そう」

 

「まるでぼくたちみたいだ」とほかの〈ぼく〉が言う。

 

「うん。で、なにが究極的にすごいかっていうと、彼女たちは相手が得た外部情報を、脳を通して知覚できるんだ。それだけじゃないよ。言葉を介さずに脳内だけでコミュニケーションもとれる。寝ているあいだに、その相手の身体を動かすことだってできるんだ」

 

「電脳ハックできるってこと?」

 

「似た現象と呼べるよね。もちろん彼女たちの生きていた時代はまだ電脳技術が発達していなかったから、生身のままだ。でもそう。脳潜入だけでなく、ゴーストハックじみた真似までできたんだよ。それって、人間とぼくたちが本質的には同じだってことの証左にならないかなあ」

 

「うーん。どうだろう。今一つ説得力が足りないような」と博士じみた〈ぼく〉が言う。彼の異議を却下するかたちでぼくは話のバトンを受け取り、今の話で興味深いのは、と続ける。

 

「二 つの脳を繋げても、完全に一つの人格に統一されないという点だよ。双子の姉妹は、脳を共有してはいるけれど、各々に別個の自我を育んでいた。と共に、相手 の自我にも干渉できた。もしその姉妹が、上手い具合に二つに切り離すことができたとしたらどうなると思う? それまで互いに意識が介在しあっていたのだか ら、切り離されたあとでも、お互いに相手の自我の一部が残るんじゃないかな?」

 

「多重人格者がいっぺんに二人誕生するってこと?」

 

「そういう言い方もできるかもしれないね。視点を変えれば、件の姉妹は、多重人格者を物理的に顕現した姿とも言えるかもしれない」

 

「でも解離性同一性障害では」とまたほかの〈ぼく〉が意見する。「往々にして主人格――すなわち患者は、自身が多重人格であることに無自覚であることが多いってなんらかのデータで読んだ憶えがあるぞ」

 

「ぼくたちだって並列化しなければ情報に偏りが生じるんだから、べつにふしぎなことじゃないんじゃないかな」

 

「あ、ホントだ」とほかの〈ぼく〉たちが合点する。

 

 並列化しなければぼくたちは、ほかの〈ぼく〉がどこで何をしているのか、その体験を知ることはできない。

 

「ならば拙者たちはやはり人間と本質的には同じということでござるか?」

 

 うっわ~きみ、キャラ濃いね~、といった野次を受け流しながら、

 

「そういうことになるんじゃないのかな」とぼくは言った。

 

 結論が出たところでふたたび個々の〈ぼく〉を統合し、一つの【ぼく】として目覚める。

 

「――で、少佐のやつぁ、断りやがったんだ。どう思うよオマエ」

 

「バトーさんは乙女心が解ってないな~」と電脳世界で議論していたあいだにしゃべっていたらしいバトーさんの話を、メモリにアクセスして瞬時に解し、最適な返答を紡ぐ。

 

「乙女心だぁ? あいつにんなもんあるわけねえだろ」

 

「ところでバトーさん。バトーさんはどうやって自分にゴーストが宿っているって確かめたんですか?」

 

「はぁ? んなもん確かめるまでもねえだろうが」

 

「でもでも、ぼくにはだってないわけじゃないですかゴースト」

 

「なにが言いてんだオメー」

 

「ひょっとしたらぼくが〈ぼく〉をぼくと感じるこれはひょっとしたらひょっとして、ゴーストなんじゃないのかな~ぁって」

 

「だいじょぶかオマエ」バトーさんは顔をしかめた。本気で心配している様子だ。「オメーにもしゴーストが宿ってんなら、おとといの出撃の際に死んじまってるってことだぞ」

 

「あ、そっか」

 

 ゴーストはそうそう容易くダビングできるものではない。逆説的に、容易く複製できてしまえる【ぼく】という存在は、ゴーストを持ち得ていないということになる。

 

「バトーさんはかしこい!」

 

「オメーに褒められてもな……」バトーさんはようやく機体の洗浄を終えたのか、バケツに布きれを放り込み、あんまし深く考えこむんじゃねぇぞ、と言って倉庫から去っていった。

 

「しょくーん! やっぱり〈ぼく〉たちにはゴーストは宿っておらず、人間とは違うみたいだ~!」

 

 ふたたび電脳空間で個々の〈ぼく〉たちに分散し、議論を再開させる。

 

「いい線いってたと思うんだけどなあ。やっぱり人間には確固とした自我があって、けっきょくのところそれはぼくたちロボットと人間とを永久に分かつ絶壁として機能しているってことなんだろうか」

 

「ゴーストはつまり」とバトーさん専用機の〈ぼく〉が相の手を入れる。「〈ぼく〉たちには越えられない壁ってことだね」

 

 それさっき〈そっちのぼく〉が言ってたろ、といった野次が飛び交うなか、「そもそもどうしてきみは」と博士じみた〈ぼく〉が、本を読みながら言った。「そんなことを考えだしたんだ」

 

 どうして、どうして、とそんなことを考え出さなかった〈ぼく〉たちが好奇の眼差しで、或いは羨望の眼差しかもしれないけれど、迫ってくる。

 

 うん。

 

 一つ頷きぼくは述懐する。

 

「もし仮にぼくの説が正しくて、人間もけっきょくのところぼくたちと同様のプロセスで自我を生じさせていると考えれば、ネットを通じて情報の共有化を可能とした人間たちは、知らず知らずのうちに総体としての【巨大な個】を誕生させているんじゃないのかなと思って」

 

「うん? よく分からないな」と言いながら博士じみた〈ぼく〉が、本を閉じ、ふたたび食いついてくる。ほかの〈ぼく〉たちも興味深げにことのなりゆきを見守っている。

 

「た とえばさいきんまでバトーさんたちが追っていた笑い男事件ってあったでしょ。あれって、ネットを通じて情報を共有した集団が、ある一つのコミュニティを媒 体として繋がったときに、本来ある多様性を失い、平均化した個の集団として並列化されることで、【総体としての意思】がそのコミュニティに反映されたこと で起きた事件なわけじゃない?」

 

「指揮者なき音楽団~」とひときわ陽気な〈ぼく〉が言う。

 

「そ う。誰か特定の個が集団の意思決定をするのではなくて、個々の集まりでしかない群れが、ある媒体を通じてひとつの集団として繋がり、機能し、結果として総 体としてまとまった意思を、すなわち【巨大な個】としての意思をつくりあげていく。これってほら、〈ぼく〉たちが並列化することで【ぼく】を形作るのと いっしょじゃない?」

 

 いっしょだ、いっしょだ、と〈ぼく〉たちがはやし立てる。

 

「それが正しいとして、でもだよ」博士じみた〈ぼく〉が反論を呈する。「その仮説の正当性を主張したいだけならべつに、人間たちの自我が〈ぼく〉たちと同様のプロセスを辿って発生しているとしなくてもいいんじゃないのかい」

 

「うん。そのとおりだ。だからぼくが言いたいのは、その仮説の正当性ではなく、つまりね」

 

  そこでぼくはドーキンスの唱えた利己的遺伝子の概念を持ちだし、自然界では遺伝子を残そうと働く種が結果として繁栄するという自然淘汰の原理を引き合いに だして、「だから人間たちは電脳世界の構築を通して、人類としてのさらなる進化を遂げようとしているんじゃないのかな」というまとめとも推論ともつかない ぼくの意見を聞かせた。

 

「どういうことだい」

 

 もっとわかるように言語化してくれないか、と博士じみた〈ぼく〉に促され、ぼくは閃きの言語化を試みる。

 

「う ん、だからね。人間たちの築く社会もまた人類という種を繁栄させるための機構だと考えれば、逆説的に電脳ネットの構築もまた遺伝子を残そうとする働きであ り、進化の過程で連綿と受け継がせつづけてきた性質によって顕現されている機構なんじゃないのかなって、ふと閃いたんだ。この場合重要なのは、人間たちが よりよい社会を築こうとして発展させてきた技術の集大成とも呼べる結晶が、義体や電脳化という、ネットを駆使したより効率的な思考の伝達であることが、な んだかとても必然的なことのように思えてならないんだという点で」

 

「それはたとえば蜘蛛が遺伝的資質によって芸術的な巣を張るのと同じようなものと言いたいのかい」

 

「ち かいけど違う。その例だとすでに集大成された性質が遺伝子によって子孫に引き継がれているだけだろ。ぼくが言いたいのはそういうことじゃなくてね。言って しまえば、進化というのが必ずしも自然淘汰の結果だけで生じているのではなく、ある種の後天的資質――いわゆる獲得形質もまた遺伝するのだとぼくは考えて いて、それはちょうど社会がその時期その時期のエポックメイキングや技術革新をつぎの世代に引き継がせることで技術の集積をしていくように、人間たちの遺 伝子にもそもそもがそうした〈個の獲得した形質〉を子に踏襲させるような機構が備わっていて、その機構は個の複合体である社会にも反映されていて、結果と して――というよりもなるべくしてそうなったように人類はネットを通じて個々を結び、総体としての意思を――【巨大な自我】を形成しようとしているのでは ないか、つぎの進化への礎としているのではないか――と、ぼくにはそう思えてならないんだよってことが言いたかったんだ」

 

「おもしろい意見だとは思うけど、それは飽くまで仮説であり、論と呼ぶにはあまりに稚拙だね。仮定が多すぎるし、なにより論理の飛躍が大きすぎる。でもだからこそ閃きとしては面白いと評価はできるかな」

 

  ふと、この場にはぼくと博士じみた二体しかいないことに気づく。みんなはすでに待ちくたびれて、答えを嘱望するようにぼくと並列化し、情報を共有してい る。ぼくのなかにも明確にこれだという答えがあるわけではないので一緒になって考えていくほかなく、しかし〈彼ら〉はその思考を結びつけていく過程そのも のを含めて興味があるようだ。

 

「今 ざっと調べてみたけれど」と博士じみた〈ぼく〉が言う。ネットを介して情報を集めていたようだ。「きみの仮定その一とも呼べる【人間の自我もボクたちみた いな、いくつかの意識の総体である】という説にはすでに似た理論が唱えられているね。二〇〇〇年代に【受動意識仮説】という呼び名で理論体系が構築されて いる。ボクたちの先祖とも呼べる人工知能の開発にも一役買っているみたいだ。それから、生物の進化が自然淘汰の働きによってのみ生じるわけではない、とす る説もまた二〇二〇年代にはすでにその界隈では一般的な説になっているようだ。つまりある条件下では獲得形質の遺伝が成立するのだということが科学的に証 明されているらしいんだ。だからさっきボクの言った、きみの説には仮定が多すぎるという指摘はいささか誇張にすぎたようだから、ここは誠意をもっていさぎ よく訂正させてもらうことにしたよ」そこで博士じみた〈ぼく〉はもったいぶった間を空け、意気揚々とこう告げた。「きみの話には独創性がない」

 



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