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 何を贅沢ぬかしてやがるんだか。なめるんじゃねえぞ、俺の日陰者生活を。

 いや、そんなに言うのなら存分に味わってみるがいい。こっちにだっていろいろ、大変な事情があるんだから。陽の当たらないオンボロアパートでインスタント食品を主食にし、女にまったく縁のない悶々としたアングラ生活を堪能しやがればいいんだ。

 あとから泣き言ぬかしたって、俺の知ったこっちゃない。お前が苦しんで音をあげるころには、こっちは贅沢三昧、例の美女とねんごろにやってるだろうさ。

 というわけで、俺はこの申し出を受けることにした。
「後悔するなよ」
「ありがとう、感謝するよ。こちらの世界では、君が何もしなくても特許料がたんまりと入ってくるからね。思う存分、残りの人生を謳歌するといいよ。それじゃあ、さらばだ。君の幸運を祈る」

 そう言うなりそいつは、さっそく手ぶらのまま縄梯子を降りはじめた。


「えっ、もう行くのか。それに、何も持っていかないのか。知らんぞ、俺の部屋にはろくな物が無いんだからな」

 イヤミなもう一人の俺は、手を振りながら濃いブラウンの床へと沈んでいった。俺は、すぐに縄梯子のあったあたりを手の平で確かめたが、ごく当たり前のように、ただのフローリングでしかなかった。

 さて、たったいまから俺は、働かずとも大金が転がりこむ富豪になったわけだ。立派な住居もあれば、美人の婚約者もいる、生命の危険もない、なに不自由ない暮らしができるのだ。

 あらためて冷静に考えれば、なんとめでたい日だろうか。少し間をおいたら、あまりのラッキーさに笑いがこみ上げてきた。そうだ、祝杯でもあげるとするか。

 鼻歌まじりに、キッチンの大型冷蔵庫からシャンパンとツマミになりそうなものを探しだし、ふたたびソファへと陣取った。
「俺の未来に、乾杯っ」

 


 シャンパンの味は、ひときわ格別だった。

 大きな窓の外は、間もなく日が暮れようとしていた。徐々に下界に沁みてゆく闇の中に、点々と灯りが浮きあがりはじめる。あるものは明滅し、あるものは流れを作り、またあるものは何万年も昔からそこにあった星のように、じっとしていた。

 夜景を肴に、酔いがほどよく回ってきた頃だった。平和な静寂を電子音がうち砕いた。テレビのリモコンに紛れて置かれていた携帯電話だった。

 手にすると女の名前が表示されていた。とっさに頭に浮かんだのは例の女優の顔だった。どうする、シカトするか。だが、遅かれ早かれ、この女の相手もしなければならないだろう。酔った勢いもあり、俺は思いきって通話ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「出るの遅いっ」

 最初のひと言で、気の強い女であることが察せられた。そうであるのならば、酔った振りでいなすのが無難というもの。まともな会話からボロが出ても困るし、とりあえず、適当に相づちだけ合わせておくとしよう。


「いまどこなの、テレビの臨時ニュース見たでしょ」
「いや、家にいるけど、ニュースは見てない」
「じゃあ、いますぐにテレビをつけて。どこのチャンネルでもいいから」

 俺は、わざとだるそうな返事をしつつ、テレビをつけた。

 実物以上の大きさで大画面テレビに映し出された男性のアナウンサーが、何やら深刻そうな面持ちで警告を発している。
「大陸から核ミサイルが多数発射されたんだって。そのうちの何発かが東京に向かっているらしいの。あと数分しかないから、あなたは急いで地下駐車場に避難して。私はたまたま伊豆でロケだったから、大丈夫だから」

 携帯電話の向こうから女が急かしたてる。

 なんだって、冗談じゃないぞ。いっきに酔いが醒めた。
「自衛隊か米軍が迎撃するんじゃないのか」
「全部を迎撃するのは無理かもしれないって。だから、とにかくいますぐに避難して」

 


 画面の中ではアナウンサーが、一人でも多くの人に危機を伝えねばならぬという使命感からなのか、いまだに警告を発し続けていた。彼は、殉職するつもりなのだろうか。いや、他人のことを気にしている場合ではない。俺もいますぐに逃げなければ。
「必ず生きのびてね、愛しているわ」

 泣き声まじりになった女を適当にあしらい、携帯電話を切った。映画でいえば、ひとの愛情の深さを表現するだいじな場面であるのだろうが、なにせ俺はその女に一度も逢ったことが無いのだから、致し方ない。

 それにしても、せっかく手にした幸運が、こんなにも早く崩れ落ちてしまうなんて。

 巨大な夜景の窓ガラスに、ソファから立ち上がる俺が映っていた。

 その落胆したスウェット姿のむこうに、閃光が奔った。

 瞬間、視界がハレーションを起こし、俺の淡い幸福はすべて、光の中で消え去った。

 

 

 



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