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 おいおい、いきなりSFかマンガの世界の話かよ。勘弁してくれよ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。そうだった。俺自身ここに、あの摩訶不思議な縄梯子を登ってやってきたのだった。あり得ない話でもないのかもしれない。

 俺は確かめるように、そいつに聞いた。
「じゃあ、こちらの世界では、お前が俺……なわけか」
「そういうことだね」

 ううむ、それにしてはお前は俺とは違い、ずいぶんと羽振りがいいじゃないか。そんな俺の心の声が聞こえたのか、そいつが続けた。
「パラレルワールドは無数に存在していて、それぞれが少しずつ異なった未来をたどるんだ。こちらの世界ではご覧の通り、私は発明家として大きな成功を収めているのさ。むこうの世界の君とは違ってね」

 ふーん、こちらの世界の俺は、発明家で富豪で自分のことを私と言うようなやつで、その上たいそうなイヤミなんだな。たしかに俺は、むこうの世界では冴えないやつだが、あらためて言葉にされると、事実とはいえ腹立たしい。

 


 そいつの俺さま自慢は、まだまだ続いた。
「この部屋の眺望、凄いだろ。百階建て億ションのペントハウスで、都内でも最高のロケーションなんだよ」

 たしかにそうだった。こんな景色は初めて見た。でも、だからなんだと言うのか。
「あと、ほら。そこの写真。私のとなりの女性、けっこう美人でしょ。こちらの世界じゃすごく有名な女優なんだが、私の婚約者なんだよ」

 言われたとおり、目の醒めるような美人が写っている。もう何年も彼女がいない俺にとっては、羨ましい限りだった。

 すべてにおいて完敗だ。こうなったらもう、ふて腐れるしかない。
「はいはい、その大成功されているお方が、冴えない俺のような下層民に、いったい何の用があるんですかね。まさか贅沢自慢をするためだけに、わざわざ俺をおびき寄せたんじゃないだろうな」
「まさか。いくらなんでも、そこまで意地悪くはないさ」

 よく言う。じゅうぶん意地が悪い。

 


「どうだい、この恵まれた環境の中で暮らしてみたくないか」
「えっ」
「だからつまりね、こちらの世界の私と、あちらの世界の君とで、入れ替わってみないかということだよ」

 耳を疑う申し出だった。そりゃあ俺だって、こんな暮らしをしてみたくないこともない。いや、むしろしたい。でも、コイツはどうなんだ。あちらの俺の暮らしぶりを体験したいとでも言うのか。だとしたら、よほどの物好きか変人か危険人物としか思えない。
「そんなに、俺のみじめな暮らしぶりに興味があるのか」
「だから、そんなに卑屈になるなって。私は、いまの生活に飽きてしまったんだよ。もう、それなりの富も地位も女も手に入れてしまったからね。人生でもっとも面白いのは、ゼロから成り上がる過程なんだ。私はもう一度それを味わってみたい、ただそれだけなんだよ」

 


 何を贅沢ぬかしてやがるんだか。なめるんじゃねえぞ、俺の日陰者生活を。

 いや、そんなに言うのなら存分に味わってみるがいい。こっちにだっていろいろ、大変な事情があるんだから。陽の当たらないオンボロアパートでインスタント食品を主食にし、女にまったく縁のない悶々としたアングラ生活を堪能しやがればいいんだ。

 あとから泣き言ぬかしたって、俺の知ったこっちゃない。お前が苦しんで音をあげるころには、こっちは贅沢三昧、例の美女とねんごろにやってるだろうさ。

 というわけで、俺はこの申し出を受けることにした。
「後悔するなよ」
「ありがとう、感謝するよ。こちらの世界では、君が何もしなくても特許料がたんまりと入ってくるからね。思う存分、残りの人生を謳歌するといいよ。それじゃあ、さらばだ。君の幸運を祈る」

 そう言うなりそいつは、さっそく手ぶらのまま縄梯子を降りはじめた。


「えっ、もう行くのか。それに、何も持っていかないのか。知らんぞ、俺の部屋にはろくな物が無いんだからな」

 イヤミなもう一人の俺は、手を振りながら濃いブラウンの床へと沈んでいった。俺は、すぐに縄梯子のあったあたりを手の平で確かめたが、ごく当たり前のように、ただのフローリングでしかなかった。

 さて、たったいまから俺は、働かずとも大金が転がりこむ富豪になったわけだ。立派な住居もあれば、美人の婚約者もいる、生命の危険もない、なに不自由ない暮らしができるのだ。

 あらためて冷静に考えれば、なんとめでたい日だろうか。少し間をおいたら、あまりのラッキーさに笑いがこみ上げてきた。そうだ、祝杯でもあげるとするか。

 鼻歌まじりに、キッチンの大型冷蔵庫からシャンパンとツマミになりそうなものを探しだし、ふたたびソファへと陣取った。
「俺の未来に、乾杯っ」

 



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