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映画版ビブリオバトル参加してきました

 

皆様、ゴールデンウィークお楽しみのことと存じます。「映画に宛てたラブレター2015・5月号」を発行させていただきます。なお、発行直後、ファイルのダウンロードで不具合を発見しました。epubファイルでのダウンロードでは、「無知の知」のページが途中で途切れてしまうようです。お手数ですが、ダウンロードの際はPDFファイルの方をご利用くださいませ。

さて、去る4月19日、兵庫県神戸市のミニシアター「元町映画館」のイベント、「あなたの情熱をぶつけろ! 映画版ビブリオバトルin元町映画館」に、バトラーとして参加させていただきました。

その詳細はこちら。

映画版ビブリオバトル詳細

さて、私のオススメ映画は「U・ボート ディレクターズ・カット」です。

「Uボート・ディレクターズ・カット」予告編

なにしろ、自分でも興奮しすぎて、プレゼン中に鼻水が止まらなくなり、ハンカチで鼻水を拭きながらの映画紹介となりました。

というのも、私以上に映画への愛情を持つプレゼンターの皆様と、このようなイベントでご一緒できたことは、映画ファンとして大変嬉しい出来事だったからです。

この模様は5月下旬までyoutubeで公開されます。バトラーの皆様の素晴らしいプレゼンをおたのしみください。

なお、このバトルで最も人気の高かった作品は、8月に元町映画館で上映されます。

ぜひ皆様の清き一票をお願い致したく思います。

投票方法は動画下の「いいね!」を押していただくだけでございます。

それでは、今月のレビューをお楽しみくださいませ。

天見谷行人


バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2015年4月13日 シネ・リーブル神戸にて鑑賞

生きる可笑しみ、生きる悲哀

 

上映が始まって、最初の3分、もう映画に引き込まれた。

キャメラは最初から長廻しを続けている。

5分経った。

「えっ、まだ廻してるよ!?」

10分経った。

「マジで!!」

「これ、どうやって撮ってるの?」

むしろ、この延々と続く長廻しの「妙」もあって、ストーリーそっちのけで、いったいいつまで、この長廻しの限界に挑戦し続けるのか? そちらに注意がいってしまうのである。

20分経ってもまだ続く長廻しに、ようやくこちらも「驚き」から解放され、物語の中に入っていけるようになった。

「こうなりゃ、映画の最後までやっちゃってくれ!!」というのが僕の本音だった。

主人公は、かつて「バードマン」という映画で、スーパーヒーローを演じた舞台俳優マイケル・キートンである。

彼にはこだわりがある。

舞台が好きなのだ。

舞台作品の持つ芸術性、ライブの緊張感、それらを観客に伝えたい。

はっきりいって、映画で着ぐるみを着て、スーパーヒーローを演じたのは、金のため、生活のため、自分の地位を確保するための、まあ、いわば「方便」にしか過ぎない、と自分自身では思っている。

しかし、演劇に情熱を注げば注ぐほど、彼の熱意は空回り。おまけにプロデューサーや、役者仲間たちと衝突を繰り返す。

なにより、彼にとって一番「ムカつく」のは、したり顔で、舞台芸術のレビューを新聞に書く「演劇評論家」たちだ。

あいつらに言わせると、自分はもう過去の栄光にすがっているだけの、落ちぶれた俳優のカテゴリーに入るらしい。

そんな厳しい批評ばかりが彼の耳に入ってくる。

彼はイライラする。

かつて結婚もし、一人娘もいるが、奥さんとは別れてしまった。年頃の娘は、そんな父親をハスに構えてみている。彼女はマリファナなんかを吸ったりして、ちょっとヤサグレている。

マイケルは、もうじき次の舞台公演がある。今はそのリハーサル中だ。

演目はレイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語る事」

この作品はマイケル自身が脚色、演出し、登場人物を演じている。

この作品の解釈をめぐって、新しくメンバーに入った役者と彼は対立する。

この作品はどう演じるべきなのか? 彼は悩みだす。本当にこれで正解と言えるのか? 自分にもわからなくなってくる。

そんなとき、彼には、ある声が聞こえてくるのだ。それはかつて自分が演じた、もう一人の自分。そう、「バードマン」の声だ。

「ダメなら、またバードマン・スーツを着て、羽ばたいて見せればいいのさ」

「映画の客はアホなアクションが大好きだぞ」

「ミサイルを撃ち落とせ! ヘリコプターをぶちのめせ!」

「お前はバードマンだ! さあ、飛んで見せろ!」

彼はこの、もう一人の自分の声に頭を抱え、悶え苦しむのである……。

本作は冒頭触れたように、長廻しのショットが印象的だ。まさに、上質の演劇を鑑賞しているかのようである。

俳優たちの動きに連動して、キャメラは動くが、決して「手ブレ」をしない。ここら辺りが、監督のうまいところなのだ。

今時の風潮だが、アホな監督は、すぐブレブレの「手持ちカメラ」とか、中途半端なワンシーン・ワンカットの長廻しを使う。なぜ、それを使う必然性があるのか? と観客の一人である僕はいつも疑問に思う。

僕は専門家ではないが、おそらく本作での撮影機材は、ただの「ハンディ・キャメラ」ではなく「ステディカム」を使っているはずだ。

「ステディカム」はキャメラマンの体に固定され、手持ちカメラのように自由自在に動ける。しかし、その安定した機構によって、手ブレが起きないように制御されている。

また、本作でバックに流れている音楽。特にジャズ・ドラムの演奏がいい。スクリーンに映る映像に、絶妙の緊張感とライブ感を与えていて「次は何が起きるんだ?」と観客を映画に引き込ませてしまう。

本作の主人公は、紛れもなく舞台を愛している人だ。

自分が輝ける場所はいったいどこなのか? 自分は何者なのか?

難しい言葉で言えば「アイデンティティ」というやつである。

彼はそれを必死で掴もうとしている。まさに雲をつかむように、彼は必死に自分を探している。その必死さが、第三者である僕たち観客から見れば、「ユーモラス」に、そしてある種「滑稽」にさえ見えてしまうのである。

ところで僕は落語という芸術が好きだ。

かつて桂枝雀師匠は「笑い」とは「緊張と緩和」が生み出すものだ、と言った。また、立川談志師匠は「落語とは人間の”業”の肯定である」と言った。まさに名言だ。

本作「バードマン」には、この二つの名言がピッタリ当てはまるのである。

本作の主人公マイケルは、演劇、舞台という「ナマモノ」そういう緊張感の中で日々を暮らす。そして「緊張」が極限に達すると、それを「緩和」するために、時折、暴走したり、感情を爆発させたりする。

その生き様がなぜか、第三者である僕たち観客には、生きている事自体の「可笑しみ」と「悲哀」を感じさせる。

彼は、どんなにもがこうとも、演劇の呪縛から逃れられない。また、それは自分が望んだことでもある。まさに”業”としか言いようのないものを背負ってしまった人物だ。

どんなジャンルでもそうだが「芸術」に真摯に取り組もうとする人たちは、なにか”業”と言えるものを背負わざるを得ないのである。

その覚悟がなければ、「芸術」をやる資格はないと僕は思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

主演   マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス

製作   2014年 アメリカ

上映時間 120分

予告編映像はこちら

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)


セッション

セッション

2015年4月25日 神戸シネリーブルにて鑑賞

107分前のあなた、107分後の人生

 

あなたは本作を観る。観る前のあなた、観た後のあなた。もう、あなたは別人になっているかもしれない。

だって、107分前の自分は「セッション」という映画の持つインパクトを知らずに生きてきたからだ。

107分の上映時間ののち、あなたは戦慄と、感動と、狂気と、熱情のシャワーを全身に浴びて、映画館を後にすることになる。

この映画は、大げさに言えば「人の人生狂わせる」ほどのインパクトを持っている。

本作は19歳の、若い、才能あふれるジャズドラマー「アンドリュー」が、アメリカ最高のジャズ音楽学校の教師、「フレッチャー教授」に徹底的にしごかれ抜く、師弟関係のお話である。

アンドリューは、ジャズの最高峰を目指す者たちが集まる音楽院に進学できた。どんなすごい連中が集まっているんだろう、どんな授業を受けられるんだろう、若い彼は胸いっぱいの想いを抱いて、入学してくる。

ある実技授業を受けていると、そこに突然、頭はツルツル、引き締まった肉体、黒シャツに黒ズボン。まるで独裁者のような威厳に満ちた人物が現れる。彼こそが、この音楽院での名物教授、フレッチャー教授だ。

彼は次々に演奏者に音を出させてみる。それもワンフレーズだけだ。わずか数秒。

「よし、もういい!」「次!」「もういい!」「次!」

こんな調子で、あっという間にアンドリューの番になる。彼は無心でドラムを叩く。

「よろしい。オマエ、明日、朝6時に練習室に来い。以上だ」

あっという間に来て、あっという間にオーディションは終わり、フレッチャー教授は、部屋から出て行く。

彼はこの音楽院、最高のメンバーを集めて、ジャズコンテストに出場するのだ。アンドリューは、このフレッチャー教授に選ばれ、コンテストに向け、ジャズとドラム演奏にのめり込んでゆく。

ジャズの本場はもちろんアメリカ、それもニューヨークであることは、なんとなく知っていたけれど、まさか、こんなに本格的なジャズ専門の音楽学校があって、しかもそこで「ジャズ・エリート」を育てている、というのは知らなかった。

例えばスポーツ。テニスの世界では、今、話題の錦織圭選手を育てたのはアメリカのスポーツエリート養成機関であったことは有名だ。特別な才能を持った若者を、世界で通用するように、さらに鍛える。

もちろんアメリカのことだから、そのエリート養成機関が、トップのプレイヤーを数多く輩出すればするほど、知名度も上がり、入学者、スポンサーが増え、それによって「マネー」が転がり込んでくる。そういう図式なのだろう。

それにしても、フレッチャー教授の教え方は凄まじい。

その昔、日本では「巨人の星」という熱血根性野球漫画があった。主人公の星飛雄馬をスパルタ、熱血で野球エリートに育て上げる父親。その名も「星一徹」

本作のフレッチャー教授は、まさに「星一徹」のジャズバージョンだ。

教授がもし「巨人の星」というアニメを見ていたら、「ジャズドラマー養成ギブス」を作りかねない。そんな男だ。

本作で描かれるのは、どうやって、プロフェッショナルのジャズマンを養成してゆくのかである。フレッチャー教授はまさに「体育会系」の「シゴキ」を行う。

ここでひとつ、注目して欲しいのは、彼がほとんど、一つの音、一つのフレーズ、一つのリズム、で良し悪しを即座に判断していることである。

実際クラシック音楽では、そういう鍛錬をする。

大ヒットした「のだめカンタービレ」という映画がある。

若き才能あふれる指揮者「千秋真一」がヨーロッパの指揮者コンクールで、受ける審査。そのなかに、オーケストラの音の間違い探しがある。

オーケストラには、あらかじめ、いろんな楽器に、一つだけ間違った音をあえて仕込んだ楽譜が渡されている。コンテストを受ける指揮者は、その間違いの箇所を指摘する。いろんな楽器の音の洪水のなか、そんなことできるのか? と思う方もいるかもしれないが、実際若き頃の小澤征爾氏は、国際コンクールで間違い探しをやって、正解し、ちゃんと優勝している。

そういった難関を突破した、とんでもない才能を持った若者たちが、さらに芸術の高みを目指す。本作においても、アンドリューは、ジャズの「頂点」「最高峰」を目指そうとする。そのためには、付き合い始めたばかりの彼女も遠ざけ、周囲との協調性もなくし、あえて孤立を深めてゆく。そうすることで音楽漬け、ジャズ漬け、ドラム漬け、の日々を送る。

ジャズ、音楽、そして芸術は、過酷で残酷だ。

その高みを目指そうとする者に、ここまでの試練を強いるのか? と思わせる。 生きることのすべてを捧げ、時にはそれが人間を廃人同然にしてしまう場合さえある。いわゆる「燃え尽きて」しまうのである。

そうまでして、人間はなぜ、芸術を求めるのだろう?

アンドリューはなぜ、そこまでして、ジャズを極めたいのだろう?

そして、ぼくはなぜ、この「セッション」という映画の”痛いほど”の「体験」を文章にしているのだろう?

ラストシンーンでの演奏。まさにこの瞬間にしか存在し得ない緊張感あふれるドラミング。

アンドリューは、重圧と、緊張と、諦めと、苦悩の先に、ようやく、音楽の持つ「楽しさ」を感じ取ったのかもしれない。

映画が終わり、劇場を後にしても、僕の体にはアンドリューのドラムの響きがまだ残っている。上映時間107分後の自分は、まさに107分前の自分とは変わっていた。

本作は、その力を持った作品である。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   デイミアン・チャゼル

主演   マイルズ・テラー、J・K・シモンズ

製作   2014年 アメリカ

上映時間 107分

予告編映像はこちら

「セッション」予告編

 


仲代達矢 「役者」を生きる

仲代達矢 「役者」を生きる

2015年4月15日 元町映画館にて鑑賞

一日、いちにちを「生きる」

 

実に濃密な90分だった。日本を代表する名優、仲代達矢氏と、彼が主催する「無名塾」で、演劇を学ぶ若者たちを追った、ドキュメンタリーである。

本作は、仲代達矢氏が、セリフを覚える「作法」を映すところから始まる。仲代氏は筆ペンで台本を紙に書き写している。自分のセリフは濃い墨で描き、相手役のセリフは薄墨で描いてゆく。一言もおろそかにはしない。

黙々と筆ペンでセリフを描く。そうする事によって、自分の体に「セリフを入れてゆく」のである。

このシーン。私は涙が出そうになった。

仲代達矢氏ほどの名優が、セリフを覚えるために、コツコツと台本を書き写しているのである。私は自分の生活を省みて、自分を恥じた。

このシーンを撮影する事を、よく許可したものだと、感嘆した。

厳しい芸能、演劇、の世界で、役者の人生を歩んできた仲代達矢氏は、紛れもなくプロ中のプロなのだ。そんな人だからこそ、舞台に臨む準備の様子、舞台裏での影の努力は、決して見せたがらないだろう、と思っていた。

なぜなら、それは「言い訳」「弁解」に直結するからだ。

プロがプロたる所以は「結果を出す」という事に尽きる。

「結果が出せない」者はプロとは言えない。そこに「言い訳」「弁解」は許されない。

野球選手ならば、結果とは勝ち星であったり、打率、ホームランの「数字」で現れる。役者ならば、舞台を最後まで演じきり、そして観客を感動させる事。

「お金を払ってでも、この人の演技を見たい」と、客を呼んでこれる人。下賎な言い方だが、「銭が取れてこそ」プロの役者なのである。

そこに言い訳は通用しない。舞台でしくじった、セリフを忘れた、体調不良、または怪我で公演に穴を空けたりしたら……。

「でも、私は私なりに頑張ったんです!!」という言葉が、もし、許されてしまうのならば、それは本人と観客が「しょせん、アマチュアだから」と認めてしまっていることに他ならない。(ちなみに、その最も顕著な例がAKBグループという、”ビジネスモデル”である。少女たちが頑張っている舞台裏の様子、メイキングこそ、実に美味しい「商品価値」がある事を見出した秋元康氏の先見の明には、その部分について頭がさがる)

仲代達矢氏は、本作において「頑張っている」舞台裏の自分、素の姿を、まさに晒け出した。

なぜ、それが映像化できたのだろう?

そこには当然、本作の監督との、篤い信頼関係が築けたからだろう。

そして何より、

「自分は老いたのだ」

という重い現実を、仲代達矢氏は感じているのだ。

だから今まで、おおっぴらには見せなかった、舞台製作の裏側、その隅々まで、演劇人としての魂を、後世に伝えたい、残しておきたい、そう思ったのだろう。

実際、仲代氏は持病の喘息があり、稽古中も酸素吸入のチューブをつけているのだ。

老いた自分に鞭打ってでも、次の世代、次の演劇人を育てていきたい、その切実な思いが伝わってくる。

本作は仲代達矢氏が惚れ込んでいる演劇作品「授業」。

その製作過程を丹念に記録してゆく。

この「授業」という舞台は、仲代氏が奥様、宮崎恭子さんと共に、フランスで鑑賞し、大変感銘を受けた、思い入れのある作品であるそうだ。

その奥様は1996年に亡くなられていた事は、うかつにも私は知らなかった。

もともと「無名塾」という、俳優養成の私塾を作ろう、と言い出したのは、奥様、恭子さんであったという。

本作の後半、この無名塾のオーディション映像が記録される。入塾を希望する若者たちを前に仲代氏は言う。

「ここに入ったら、三年間は演劇漬け、舞台漬けになってもらいます」

そして「プロの俳優」としてやってゆけるよう、俳優・役者の「技能・技術」を身につけてゆくのである。

仲代氏は「技」(わざ)という言葉にこだわる。それこそ、大工さんや料理人としての「職人技」を身につけるように、俳優も演技の「職人技」「テクニック」を身につける必要があると、仲代氏は考える。「無名塾」で演技の基礎、舞台芸術の基礎をしっかり身につければ、世の中に一人で役者人生を漕ぎ出す折に、その後押しをしてやれるのではないか、そういう親心を感じるのである。

どんな「芸事」も、やはり「基礎・基本」がしっかりしているからこそ、応用が利くのである。世界的指揮者の小澤征爾氏がいい例である。小澤氏は師匠である斎藤秀雄氏から「お前は日本で生まれたのだから、世界で勝負するのなら、まず、徹底的に基本を身につけろ」と言われ、音楽、指揮法の研鑽を重ねた。そしてヨーロッパに渡り、指揮者コンクールで優勝し、その突出した才能が、カラヤンやバーンスタインという、音楽界の「雲の上の人たち」から認められ、愛弟子となってゆくのである。

芸術の高みを目指すのであれば、相当な覚悟がいる。才能など持っていて当たり前だし、その上で、豊富な練習量と、向上意欲、さらには「運」も必要だ。

その道でスターとなる、脚光をあびる人間には「運」が欠かせないのだ。

これら総合的な「人間力」を磨く事によって現れてくるのが、世間一般の人が言う、いわゆる「オーラ」に他ならない。

仲代達矢氏は、舞台に登場する、ただそれだけで、観客から、どよめきと拍手が起きる。

紛れもない、その「オーラ」が生まれる秘密は、映画冒頭、丹念に、たんねんに、台本を書き写す、その努力の日々、一日、いちにち、にあるのだ、と気付かされるのである。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   稲塚秀孝

主演   仲代達矢、西山知佐、山本雅子、無名塾の皆さん

製作   2015年

上映時間 90分

予告編映像はこちら

仲代達矢 「役者」を生きる予告編

 

 


無知の知

無知の知

2015年4月20日 神戸アートヴィレッジセンターにて鑑賞

自分で歩いて、自分で見つめる「原発」

 

本作を撮った石田朝也監督のスタンスがいい。

あんまり、肩肘張ってない感じ、でも好奇心は旺盛。ゲンパツとか、ホーシャノー、とかよくわかんない、でも、なんだかコワそうだし……。

そうだ、「分からないから」とにかく「分かる人」に訪ねて訊いて回ろう。てくてく自分の足で歩いてキャメラ取材を続ける。

とっても謙虚なスタンス。

この人、スクリーンで自らインタビュアーとして登場するけど、本当に、ふつぅ~の、近所にいるお兄さん、という感じなのだ。

「問題意識を持って!!! 原発問題に!!! 鋭く!!! 切り込むのダァァァ~!!!」

などという気負いは全くない。だから、見ている観客も、とっても客観的に、僕ら自身が考える材料を、提供してくれている気がする。

そういえば、70年代に「アツく」「反戦だ!!」「安保反対だ!!」と叫び、機動隊と肉弾戦まで演じた、学生達のほとんどは、のちに企業戦士となって働いた。当時を語る、あるフォーク歌手は

「反戦ダァァァ~!! なんて言ってりゃあ、カッコよかったからね」

ちなみに日米安全保障条約、その全文を僕は読んだ事がないし、今更、読む気もしない。

同じように、「原発」に関連する法律にどんなものがあるのか? 僕は全く知らない。それを調べてわざわざ読む気も起こらない。

そんな僕が、原発に「反対」か、あるいは「賛成」か?

それを選べと言われても、思考停止に陥ってしまう。

そもそも、なぜ選択肢が二つしかないのか?

僕にはそれすらよくわからない。僕にはまるでわからない。

だから、僕はお金を払って、この映画を観てみよう、と思い立った。

それが僕の原発に関する、ささやかなスタンス、「立ち位置」である。

石田監督は何のケレン味もなく、福島の地元の人たちに話を聞く。

時には怒られ、拒絶され、それでも、黙々と映画を撮る。

福島のおばちゃんたちと話をする時も、菅直人元総理と話をする時も、相手に対する距離感は変わらない。それ自体が、本当に不思議な人だなぁ~、と思う。

鳩山由紀夫、村山富市、細川護煕、といった、元総理大臣経験者、そうそうたる重鎮へ直接取材する。

やはり、3:11のまさにあの時、総理であった菅直人氏、官房長官であった枝野幸男氏へのインタビューは興味深い。

事故発生の直後、首相を補佐する、危機管理の対策室が立ち上がる。だが、その指揮に当たるトップは、経済畑の官僚であり、原発の知識は、ほぼゼロであったという。

「はぁ?!」である。

そういう人選をすること自体、行政、官僚たちが危機意識を持っていなかったことを、さらけ出してしまった形だ。

当時の官邸、菅首相は、事故が起きた原発の、最前線の情報を求めていた。当然の話だ。

だが、せいぜいテレビのニュースで、現状がうかがい知れる程度であったらしい。

”キレ菅”の異名を持つ菅首相は、まさに、キレて、福島の現地へ乗り込んだ。これがのちにマスコミのバッシングのネタになる。

福島原発の現場指揮所は、まさに大混乱していた。一分一秒ごとに、原子炉の状況は変化する。そこに内閣のトップが来るなんて事は、余計現場を混乱させる事は明らかである。しかし、現場のトップである吉田所長は、貴重な時間を割いて、首相に会い、現状を説明する。

東電の吉田所長から、直接説明を受けた菅総理は

「ああ、やっと、ちゃんと原発の話ができる人と会えた」とホッとしたという。

また、本作で驚かされるのは、東電の政府への対応である。

福島第一原発と東電本社には、実は、映像のホットラインがあり、リアルタイムで現場の責任者と、テレビ会議ができる体制が既に構築されていたのだ。ところが、そのテレビ会議ができるシステムが東電本社にある、という事実は、隠されていたのだ。

しかも、「もう、危ないから、原発ほったらかして、逃げます」と、東電は言い出すのである。

これはのちに「何としてでも現場に残って欲しい」という政府の要請で、東電の現場スタッフは、ほとんど決死隊の覚悟で現場にとどまることになる。

さて、一旦事故が起きてしまうと、取り返しがつかない事態となる原発だが、それでも、原発を推進する人たちがいる。

石田監督はその人たちにも意見を求める。

さらには、そもそも、なんで原発を作ろうとしたのか?

歴史を巻き戻して、当時を知る政治家たちへもインタビューする。

そんななか、原発推進派の、ある人物は、福島に何度も足を運ぶ。現地で被害に遭われ、被曝をし、避難している人たちとも話をする。その人物が言うには

「実はね、原発を推進してる人も、これこそ、日本を救うんだ、日本のためになるんだって、信じてる。同じように原発を反対する人も、我こそは正義だ! 我こそは日本のためだ、と信じてる。お互いが『日本のため』で対立してるんだよね」

誰もが、明日はもうちょっと、いい日本でありたいよね、と思う。

そのより良い暮らしをするためには、原発が必要なのか? 要らないのか? なぜ、「正義」同士は対立しあうのか?

この構図っていうのは、それこそ、キリスト教圏の「正義」とイスラムの「正義」が対立していることと、なんら根っこは変わらないんじゃないか?

どっちも自分こそ、「正しい」と信じ込んでいる。

僕には正義を振りかざす勇気は到底ない。

僕は、これまで平和な日本で、会社勤めをし、給料をもらい、社員旅行で海外旅行に行き、更には、一匹、五万円の鯉が泳ぐ、会員制ゴルフ倶楽部で、大名ゴルフをやったことさえある。

それが経済的に可能だった要因の一つは「原子力」で作った電気を「僕自身が」使ってきたからだ。

僕たちはそういう電気、エネルギーを使ってきた。それで日本は繁栄してきた。

実は福島に住む人たちは、複雑な事情を抱えている。

福島原発は一大城下町を築き上げていた。

原子力発電のおかげで、雇用が生まれ、地域の経済は潤い、各家庭のお財布は豊かになった。

いまさら、「原発反対!!」なんて、大声出して言えた義理じゃないのだろう。地域に住む人たちは、紛れもなく、原発事故の被害者であるものの、しかし、今まで生活を支えてくれたのも、まぎれもなく「原発」だった。地域の繁栄は「原発」がもたらしてくれた。

ところで、僕が不思議に思うことがある。マスコミはなぜ、菅直人を叩いたのだろうか? 叩くことによって、それで得をするのは誰なのか? 

僕と違って「お利口さんな人たち」は、そんなこと、すぐ分かるはずだ。

お陰様で、自民党政権になり、アベノミクスのおかげで、いまや日経平均株価はついに2万円の大台(2015/4/23現在)に乗った。

もう、笑いが止まらないほど、儲かっちゃっている、一部の人たちがいるのだ。それはまさに

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

という言葉を思い出させる。

しかし、批難を続けている14万人の人たちは、今も、故郷に帰れないでいる。

地元のおっちゃん、おばちゃんたちが話しているその会話。

「シーベルト、ベクレル」という単語、単位が、当たり前のように話される。そして普通の家庭、家族だんらんのなか、「線量計」という道具が当たり前に使われる、現実の姿。

原発に関係した事で、僕には今でも忘れられない体験がある。

2012年6月23日、僕に、東京在住の知人から、一通のメールが送られてきた。

「いま、総理官邸で大変なことが起きてます。Youtubeで見てください!!」

僕は指定されたアドレスの映像をパソコンで見た。タクシーの車内から、素人が撮ったと思われるビデオだった。

タクシーは首相官邸を一周した。ビデオは一般市民たちが総理官邸をぐるりと取り囲んでいる様子を撮影していた。

手に手に、「原発反対」のプラカード。

僕はその日のテレビのニュースを片っ端から見た。翌日もニュースを見た。

しかし「首相官邸をデモ隊が取り囲んだ」という、驚くべきスクープは

「一秒も、そして一行も」

メディアで語られることはなかった。

大手マスコミが、この、市民が自発的に行ったデモを最初に報じたのは、僕がメールをもらってYoutubeを見た、その一週間後である。

どのテレビも、どの新聞も、この件については、一週間の間、固く、かたく、口を閉ざしたのだ。

僕はゾッとした。

「この国ではまだ”大本営発表”がつづいているんだ……」

政党などの組織的動員ではなく、子供を持つ、普通のお母さんや、お父さん、一般市民たちが、初めて自発的に、総理官邸をぐるりと取り囲んだ、あの驚愕の日。

なぜ、大手マスコミは一斉に口を閉じたのか?

石田監督に是非「記者クラブ」という「パンドラの箱」を開けて欲しいものだと思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   石田朝也

主演   枝野幸男、福山哲郎、菅直人

製作   2014年 

上映時間 107分

予告編映像はこちら

「無知の知」予告編


この本の内容は以上です。


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