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算命学余話 #U79 (page 1)

 前回の余話#U78を少し引っ張って、人間の伝達欲求について思考を遊ばせてみます。当ブログの読者にも視聴者が多い「西部ゼミ」で西部邁氏がこんなふうなことを言っていました。「自分は無資産家庭の生まれで親から受け継いだ財産など皆無だが、それでも世襲を否定するということは同時にその文化を否定することだと思う」。世襲には極端な富や権力の偏りなど弊害もあるけれど、そうした極端な偏りをある程度解消できるなら、歴史を背負った文化の継承という意味で世襲は大いに役立っているというわけです。

 世の中は富(禄=財)と権力(官=名声)だけで出来上がっているわけではなく、知恵(印)の伝道(寿=伝達)を世代世代で行っていかなければ、経済活動から芸術活動まで幅広く包括している文化というものを再生更新する、つまり豊かにすることはできません。複雑で熟練を要する宮大工の技は、血縁の有無はともかく積み木遊びで育った大工の息子に伝授するのが一番手っ取り早く、動物学者の知恵は食事の時間も動物の話ばかり聞かされてきたその子供たちの方が、余所の子供たちより吸収が早い。それが自然な近道というものです。世襲がなんでもかんでも悪いという考えだと、こうした自然な伝達が阻害されるので、自然をモットーとする算命学は西部氏の考えに賛成です。

 

 一方、お馴染みの佐藤優氏がヨーロッパの宗教改革を取り上げた著書によると、中世キリスト教の聖職者が妻帯を禁じられたのは、当時既に富と権力の偏りが著しかった世相にあって、聖職者の持つ財産なり権力なりが血縁者のみに渡ってしまう弊害を避けるためだったと指摘しています。私はまたてっきり神様に仕えるために女性への欲望を断念する気概が要求されたためだと思っていましたが、これは仏教的発想なのかもしれません。

 合理主義を重んじるヨーロッパ社会では、カネと権力の合理的運用のためには、男一人を断種する必要ありと見做したようです。算命学見地から見ればなんとも不自然な行為ですが、歴史的にこういうことを積み上げてきた民族なので、遺伝子組み換えにより合理的生産性を高める方を優先して、結果として作物そのものの断種を招くことにも違和感を覚えないのかもしれません。

 

 前回も申し上げた通り、子孫を残すという行為は人間に許された最低限の伝達欲求の成就です。五徳の並びは福寿禄官印でありますが、寿が二番目と早いのは、福(基本的な自己維持)が満たされたあとの次に得られる最低限の欲求、つまり生物としての必須条件が子孫を残すことであるという思想に基づいているからです。どんなに富を築いても、権力を手にしても、知恵を持っていても、次世代が死に絶えていたらそれらを継ぐ者はいない。そんな富や権力や知恵にどんな意味があるというのかと、算命学は問い掛けているのです。

 貧乏人の子沢山という言葉があるように、子供ばかり増やしただけでは次の富(禄)には繋がらないので、妄信的な子孫繁栄を冷笑する風潮に理がないとはいいませんが、寿と禄の間には相生関係があり、火生土、つまり寿が禄を支えている以上は、寿は禄が存在するための前提条件です。寿は生殖の他に健康や伝達を意味するので、必ずしもわが子を産まなければ達成できない目標ではありませんが、最も自然に則した形はやはり生殖・出産なのです。

 

 最近では、ガン予防のために生殖・出産を断念してまだ健康な体の各所を切除した人物が話題になりました。精神的な浄化が目的ではなく、世俗の事象の合理化のために聖職者に断種を強いる文化を背負った人間のやることは、日本人の感覚ではなかなか理解しがたいものがあります。もちろん彼らから見れば、精神の浄化などという目に見えもしない曖昧なもののために性欲を抑制するという感覚の方が理解しがたいのかもしれませんが、今回の余話はせっかくですので、ガン予防で乳房・卵巣・卵管を切除した米国人女性について、まだご存命ではありますが宿命を観察して、どうしてこのような決断に至ったのかを考察してみようと思います。

 一体どれほど自然から逸脱した命式なのかと思いきや、意外にも納得できる命式だったのでちょっと驚きました。これはこれである意味自然な行為だったのです。やはりこの世に不自然なものは存在しないのです。仮に存在したとしても、すぐに淘汰されてしまうのです。


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最終更新日 : 2015-04-05 15:21:22

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