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1 昔のケータイ

 

1 昔のケータイ 

 

 の日はいつもと何一つ変わらない、平凡な日曜の午後だった。 

中学生の真田冬輝(ふゆき)は自室のベッドの上に寝そべり、買ったばかりのCDを聞きながらマンガ雑誌をめくっていた。 

部活は休み。試験も先週終わったばかり。とり立てて今すぐにやらなきゃいけないこともない。 

これを読み終わったら、レンタル屋にでも行くか。 

そんなことを考えながら二個目のポテトチップスの袋を開けたところで、 

「冬輝! 冬輝!」 

姉、ミホのかん高い声がメロディの隙間から耳に飛び込んできた。ミホは高校生、冬輝より三つ上の十七才だ。 

「聞こえてるの? 冬輝」 

返事をする間もなくドアが乱暴に開く。 

「何だよ、勝手に開けんなよ」 

「だってさっきから呼んでるのに」 

「いいから、なに」 

「あんたのMD一個貸してくれない? 使いたいんだけどちょうど切らしちゃって。あとでちゃんと返すから」 

「ああもう、めんどくせーなあ」 

冬輝はうめくように言うと、渋々ヘッドホンを外して立ち上がった。 

「あんた、買い置きしてたよね」 

「たぶん」 

確かこの中にあったっけ・・・。 

冬輝は机の一番下の引き出しを開けた。が、途中で何かが引っかかってちゃんと開かない。力任せに無理矢理引っ張ると、引き出しの中は、わけのわかんないモノ、モノ、モノであふれかえっていた。 

そういえばここ最近、引き出しなんて開けたことがなかったな。えーと、MDMD・・・・。 

「あ、ほら、そこにあるじゃない」 

ミホが先に見つけて、さっさと目的のモノを取り出した。 

「それにしてもひどいね。ぐちゃぐちゃじゃない。たまには整理しなさいよ」

 「うるせー」

 ミホが行ってから、姉に言われたからというわけではないが、冬輝は引き出しの中の片付けを始めた。いや、というより、そこに入っているものの確認作業、といったほうが正確かもしれない。 

使いかけのケシゴムとか、何かの景品でもらったファイルとか、昔遊んだゲームとか、変ちくりんなもんがいっぱい出てくる。こりゃほとんどゴミだな。

あ、これ」

冬輝は思わず声を上げた。ケータイだ。小学生の時に初めて買った携帯。

「ひえ―、なつかしいなあ」

今のヤツに変えた時に解約して、そのままにしてたんだった。

いかにもガキ向けのカラーにでっかいボタン。当時、男子の間で流行ってたキャラクターのストラップがジャラジャラついている。

冬輝は、その妙に横幅の広い、オレンジ色の携帯を手に取り、適当にボタンを押してみた。

――それはもちろんただのいたずらだった。いや、そのはずだった。

そんなことをしてもどこにもつながるはずがないってことはわかっていた。むしろそうじゃなければいけないはずだ。だって引き出しの奥から見つけたこれは、もう何年も前に解約した携帯。いわば過去に置いてきたモノだ。そもそも電源すら入るはずがない。

それなのに――、冬輝が適当に押した番号がどこかにつながったのだ。確かに呼び出し音が鳴っている!

嘘だろ・・・。

呼び出し音が途切れ、誰かが出た気配がした。冬輝はそのまま携帯を耳に押し当て続ける。

「・・・さ・・・しい・・・」

何だかよく聞こえない。

「・・し・・・い・・・」

「ああん?」

「寂しい・・・」

「は? 何言って――」

「寂しいよう! 寂しいんだよう!」

「うわっ!」

冬輝は思わず携帯を投げつけた。

何だよ、これ!

不気味な声だ。男か女かもよくわからない。押し殺したような、まるで地の底から聞こえてくるような――、でも若いヤツかもしれない。自分と同じくらいの・・・。いや、そんなことより今電話に出たのは誰なんだ? どこにつながったんだ?

冬輝はまたおそるおそる携帯を拾って耳に近づけてみた。もう何も聞こえない。さっきの衝撃で切れてしまったようだ。

「気持ちわりっ!」

冬輝はその携帯をゴミ箱に捨てようとしたが、思い直し、また引き出しの中にしまいこんだ。 

 

自室を出てリビングに行くと、ミホがテレビを見ながら携帯をいじっていた。

「姉ちゃん」

「ん?」

「携帯ってさ、普通に捨ててもいいんだっけ?」

「何よ、あんた携帯捨てるの?」

「いや、前のやつが出てきたからさ」

「ふうん。まあ悪くはないと思うけど、普通はリサイクルに出したりするんじゃない」

「それって、どうすればいいの」

「買ったお店に持って行けば、引き取ってくれるはずだけど」

「そっか。わかった」

冬輝は部屋に戻って、一度しまった携帯をまた取り出した。

明日学校の帰りに携帯ショップに寄ってこれを返してこよう。絶対にそうしよう。こんな気味の悪いの、もう持っていたくない。

冬輝はそう固く決心し、そのオレンジ色の携帯電話をカバンのサイドポケットに入れた。 


2 現れた分身

 2 現れた分身 

 

昼休み。給食に出たクリームシチューのにおいがまだただよっている教室で、クラスの連中が騒いでいる。 

――うるせえなあ。 

冬輝は机に突っ伏したまま、口の中でつぶやいた。 

昨夜はあれからあの不気味な声が頭に響いて眠れなかった。とにかく眠い。このままじゃ五時間目の数学は地獄だ。少しでも眠りたいのだが、キンキンした声がうるさくて眠れない。原因はあいつだ。 

曽根雄一。 

うぜえんだよ、全く。中二にもなってガキみたいにギャアギャア騒ぎやがって。

 冬輝は、曽根の、前歯が大きなちょっとネズミに似た顔を思い浮かべた。

 あいつは一年の頃からどうも虫が好かない。大体いつも無駄にテンションが高すぎるんだよ。チビのくせに調子にのりやがって。

 「死ねや」

 冬輝は自分だけに聞こえるように言い、イライラしながら顔を上げた。

 次の瞬間、冬輝の頭から一気に眠気が吹っ飛んだ。

 黒板の横に――そこに、自分が立っている!

 制服を着て、突っ立ったままじっとこっちを見ている。

 えっ、あれって俺?  

冬輝は自分の頭がおかしくなったのかと思った。 

いや、あれが俺のはずがない。だって今、俺はここに・・・ここにいるじゃないか。 

冬輝は、両手でベタベタと自分の身体を触ってみた。間違いない。俺はちゃんとここにいる。じゃあ、あそこにいる、あれは一体誰だ? わけがわかんねえ。

 冬輝はそっと周りを見渡してみた。特に変わりはない。誰も気付いていないのだろうか。 

もしかしたら他のやつらには見えていないのか――?

 

その時だ。ワアワア騒ぎながら教室内を走り回っていた曽根が、ちょうどそいつの横を通り過ぎようとした。と、その冬輝そっくりのそいつが、曽根の腕をつかまえた。そして、そのまま曽根を窓までズルズルと引きずっていき、そこからいきなり曽根の体を突き落とした。 

「ぎゃああああああ!」 

曽根の叫び声が響いたかと思うと、すぐにドサッという鈍い音がした。 

「大変だ! 曽根が落ちた!」 

一気にクラス中が騒然となった。 

「ヤダ、今の声、なに?」 

「落ちた! 曽根が窓から落ちたんだよ!」

 「嘘だろ」

教室内にいたみんなが一斉に窓際に駆け寄っていく。

 騒ぎにまぎれて冬輝も席を立ち、恐る恐る窓の下を見下ろしてみる。みんなの頭の間からうつぶせで横たわっている曽根の姿が見えた。

 「し、死んでるのかな」 

「わかんねえよ」 

「とにかく先生呼んでくる!」 

誰かが教室を飛び出していった。 

そうだ、アイツは? 

冬輝ははっとして教室内を見回した。どこにいった? さっきの……。

 ――いない。いつのまにか消えている。

 (一体何が起きたんだ? これは、本当に俺がやったのか? いやまさか。俺はずっと席に座っていた。俺じゃない。でも曽根を引きずってここから突き落としたのは、あれは間違いなく俺だった。何だよ、これ。ほんとにわけわかんねえ。どうなっているんだ?) 

冬輝は、クラスメートたちの泣き声や騒ぎ声が交差する教室の隅で、彼らとはまた違う種類のパニックに、ひとり陥っていた。 


3 クラスメートの死

3 クラスメートの死 

 

曽根が死んだ。担任の説明によると、頭を打ち、ほぼ即死だったそうだ。

 事故のあった当日は、午後の授業は当然中止になり、無関係の学年の生徒たちは急遽家に帰された。だが、冬輝たち二年A組は、全員が学校に遅くまで残され、状況を調べに来た警察や教師らから何度も同じことを質問された。

 しかし、大人たちからどんなに問いただされたところで、生徒たちが口にすることは皆同じだったのだ。 

「曽根君が落ちたときはどんな状況だったのかな」 

「状況も何も……。てか、曽根が勝手に自分から落ちた」 

「じゃあ、直前に誰かとふざけ合っていたということは?」 

「うーん。教室の中を走り回ってたけど、窓のそばにいたわけじゃなかった」

 「はっきり聞くが、曽根君が誰かに押されて落ちたということはないのか。正直に言いなさい」 

「違います。曽根が自分で落ちました」 

「その時、窓の近くには曽根君の他に誰かいたのか」

 「いなかったと思います。うん、誰もいなかった」

 「そうか。じゃあ、質問を変えよう。彼はふだん何か悩んでいた様子はなかったか」

 「いや、別に・・・」

 「窓から落ちる直前の彼はどんな様子だったかわかる?」

 「どんな、って……。だから、普通に友達と騒いでた」

 「じゃあ、楽しく友達と遊んでいた彼が、何の理由もなく、いきなり窓に近寄っていってそこから飛び降りたというのか。そんなバカな話はないだろう」

 「でもそうなんです」

 実際あの様子では、誰だってこう説明するしかない。

 当然冬輝も皆と同じことを言った。もう一人の自分が急に現れて、そいつが曽根を窓まで無理矢理引っ張っていき突き落とした、などとはとても言えなかった。そんなことを言ったところで、気がふれたと思われるか、下手すれば冬輝自身が疑われる恐れもある。いや、百パーセントそうなるだろう。 

警察や教師たちは、クラスで何か揉め事があり、生徒たちの中の誰かが曽根を突き落としたのではないかと決めてかかっていたようだったが、その場を見ていた者全員が「曽根が自分で落ちた」と口を揃えたのだ。これではどうしようもない。生徒たちが口裏を合わせているということは考えづらいし、またそんな時間もなかったはず――。 

特に学校側は、生徒に自殺されるよりも、まだ生徒同士の事故であってくれたほうが体裁がよいという思惑もあったはずだ。だが、現場の状況も含め、特に誰かがやったという証拠も出てこなかった。 

それに事故とするには、やはり二年A組の生徒たちの証言がネックとなった。

 曽根が自分から窓に近付いていき、いきなり頭から落ちた。その際、窓の近くには本人以外誰もいなかった――。

これがもし窓のそばで誰かとふざけていたとか、あるいは本人が身を乗り出していた、などの行為があったあとならば、不注意による事故の可能性が高くなるが、生徒たちの証言が本当だとすれば、どうしても彼が明確な意志を持って自ら落下したと考えざるをえない。

結局、曽根の死は自殺ということで断定された。

しかし、曽根が自殺とされたことについて一番釈然としない気持ちを持っていたのは、あの時教室にいた、当のクラスメートたちだったかもしれない。

大体いつもあんなにハイテンションで騒ぎまくっていたやつが、自殺なんかするはずがない。ありえない。このことは「曽根は自分で落ちました」と証言しながらも、クラスの皆が心の中でひそかに抱いた疑問だったに違いない。

 

とにかくこれではっきりしたことがある。と、冬輝は思った。

アイツー―、曽根を突き落とした真犯人、もう一人の冬輝の姿を見たのは、いや、見ることができたのはどうやら冬輝本人だけだったらしい。あの時、クラスの中で冬輝以外に真実を目撃したやつはいない。そう考えて間違いなさそうだ。

それにしても――。自分にしか見えないもう一人の自分がいて、そしてその自分が人を殺しただなんて、こんなとんでもないことが本当に起きたのだろうか。

もしかしたら単なる見間違いだったのかもしれない。いや、違う。あれは絶対に見間違いなんかじゃない。でも・・・。何がなんだかわからない。

この時冬輝は、自分の周囲で起こりつつあることの気配に、ただおびえるしかできずにいた。 


4 ミスコール

 4 ミスコール 

 

それからしばらくの間、学校内では曽根が死んだ話でもちきりだった。 

新聞や週刊誌にも、 

「中学二年男子、五階教室の窓から飛び降り自殺。学校内でいじめか?」

 「直前まで友人らと談笑。問われる教師の責任」

 「十四才少年、謎の飛び降り自殺。教室で何があったのか?」

 などのセンセーショナルな見出しが躍った。

 校門の前には、マスコミの関係者たちが常時張り付いて、生徒たちから何か情報を聞きだそうと待ち構えている。 

そんな、どう見ても異常な状況の中で、一応通常の授業が始まった。

――ヒマだな。 

生徒が一人死んだあとも変わらない、退屈極まりない授業。廊下側の列の前から二番目の机に、白い花を生けた花びんが置かれている。曽根が座っていた席だ。 

冬輝は、松村という中年の女教師が読む英文を、耳に入るそばから頭の外に追い出しながら、見るともなしにその白い花を眺めていた。 

――曽根は自殺なんかじゃない。この目で確かに見たんだ。アイツが、俺の姿をしたヤツが曽根を突き落とすところを。結局、曽根を殺したのは自分なのだろうか。いや、まさか。そんなはずがない。それじゃ、あの時見たアレは何だったんだ?

 

あれ以来、この疑問が、起きている間中、冬輝の頭から片時も離れることはなかった。冬輝自身、いつか自分が本当に気が狂ってしまうのではないかと、本気で心配になるほどだった。 

もしできることなら、誰かにすべてを話して楽になりたいとも思う。でもそんなことはとてもできそうになかった。親にも友達にも先生にも、まして警察にも、誰にも話せない。話せるわけがない。そんなバカな話を信じてもらえるとはとても思えなかった。自分のしたことの言い訳をしているととられるか、精神病扱いされるのがおちだ。 

と、いきなり携帯音が鳴った。

 (げっ、授業中なのに。ヤバ・・・)

 冬輝は慌てて机の横にかけていた通学用のカバンを取り、手を入れてカバンの底をまさぐった。 

――変だな。朝、ちゃんとマナーモードにしていたはずなのに。

 携帯を取り出すと、案の定着信はしていない。なのに、まだ着信音が鳴っている。

 どこだ? 自分の携帯じゃないのか? いや、確かにこのカバンの中から聞こえている。

 冬輝ははっと気付いた。

あれだ。あの、例の古い携帯のほうだ。あの日、学校の帰りにショップに行って引き取ってもらうつもりでカバンに入れたまま、すっかり忘れていた。あんなことが起きてそれどころじゃなかったん

サイドポケットからその古い携帯を取り出す。やはりそうだ。着信ランプが点滅している。またか・・・。冬輝は、背筋に不快な寒気が走るのを感じた。

これは、とっくの昔に解約しているはずだ。ということは、どこからも誰からもかかってくるはずがない。しかし確かに今、この携帯に誰かが電話をかけてきている。ディスプレイを見ると、携帯かららしい番号が表示されている。

「090―2×2×―4×6×」

これを見ても、発信先がどこなのか特に思い当たらない。

冬輝はいぶかしく思いながら、とにかく急いで電源を切ろうとした。と、突然受話器の向こうから声がした。

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。着信音は他のやつらには聞こえていないから」

誰だ? わからない。

「この前みたいにいきなり切らないでよ。お願いだから」

ああ、そうだ。冬輝は確信した。あの時・・・曽根が死んだ前日の日曜日。部屋でこの古い携帯を見つけて、いたずらのつもりで適当にボタンを押してみたら、なんとどこかにつながった――あの時に聞こえた声と同じだ。

「授業中でしょ? わかってるよ。そっちは何もしゃべらなくていいんだ。こっちで勝手に話すから。君はただこの携帯を耳に当てているだけでいい」

「・・・」

「この前のこと、気にしてるでしょ?」

冬輝が黙っていると、

「お友達を殺したのは、君だよ」

「!」

冬輝は、大声が出そうになるのをなんとか押さえた。

「正確には、君本体じゃなくて君の分身だけどね。君も見てたでしょ?」

「で、でも俺じゃない」

たまらず冬輝は小声でそう言った。

「でも君、あの時『死ね』って言ったはずだよ」

はっ? 俺が? 冬輝はまだ新しい記憶を必死でたぐり寄せる。

そうだ、思い出した。確かにあの時、曽根があんまりうるさいのにイラついて「死ねや」そう言った。でもそんなの本気じゃなかった。当たり前じゃないか。死ね、くらい誰だって言うだろう。だから自分が殺したことになるっていうのか? いや、そんなことより、今電話の向こうでしゃべっているコイツはそもそも誰なんだ。なんだって、こっちの状況をいろいろ知っているんだ?

「君の分身は、君の言葉に忠実に動いたんだ。君があの子のことを『死ね』と言ったからね」

「な、なんで、そんなこと・・・」

「便利でしょ? 君にプレゼントだよ。僕からの」

「プレゼントだって?」

「君が僕のところに電話をかけてきてくれたお礼だよ。携帯が鳴った時は嬉しかったなあ。僕、ず―っと一人ぼっちだったんだ」

「な・・・」

「ね、友達になってよ。寂しいんだ、僕」

「おまえ誰だよ。悪ふざけはやめろ」

「あれ、信じないの? じゃあ、証拠を見せてあげるよ。前を見て」

言われて目を上げると、教壇の横に冬輝が立っている! いや、これは・・・、相手の言葉を借りるなら、冬輝の分身というのか―ー。いずれにせよ、あの時と同じだ。

「これは・・・おまえのせいなのか」

「やだな。せい、っていうのは聞こえが悪いよ。言っただろ。あれは君の分身だって。これから君は、殺したいと思うヤツが現れたら『死ね』と言葉にするだけでいいんだ。あの時みたいにね。そうすれば代わりに分身がそいつのことを殺してくれる。だから君は自分の手を汚さずにすむし、絶対に捕まらない」

「うるさい! おまえは誰だ。何者なんだ!」

思い切り怒鳴ってから、冬輝は、はっと我に返った。

――ヤバイ。授業中だった。クラスのやつらがみんな驚いた顔でこっちを見ている。

松村がカツカツと靴音を立てながら歩いてきて、冬輝の横に立った。

「何してるの、真田くん。今は授業中でしょう」

「すいません・・・」

「これは私が預かります。あとで職員室に取りに来なさい」

松村は冬輝の手から携帯を取り上げると、それをスカートのポケットにしまい、朗読を続けながら教壇に戻っていった。

「何してんだよ。バーカ」

後ろの席の達也の言葉が引き金となり、一気にクラス中に嘲笑が広がった。

「静かにしなさい!」

松村がヒステリックに怒鳴る。

――失敗した。しかしこの際そんなことはどうでもいい。

冬輝はグシャグシャと髪の毛をかきむしった。

もうだめだ。以前より頭の中が混乱している。今のヤツは誰なんだ? そもそも解約したはずのあの携帯に、どうしてつながるんだ。そうだ。聞き出したいことは山ほどある。もう一度あいつと話さなければ。

教壇に目をやると、冬輝の分身というやつが、こっちを見てにやりと笑っている。

冬輝は、今すぐ席を蹴って外に飛び出したくなるのを何とかこらえた。

なぜか、曽根の席に置かれた白い花の束が、自分をめがけて襲ってきそうな気がした。 


5 教師の死

 5 教師の死  

 

昼休み。冬輝は、給食を食べ終わるとすぐに職員室に行った。 

普段はめったに寄り付かない場所なのだが、今は一刻も早くあの携帯を返してもらわなければ。普通の携帯ならまだしも、あの携帯だけは――他人の手に持たせておくわけにはいかない。強くそう思った。 

「失礼します」 

中に入ると、 

「ああ、真田くんね」 

松村が椅子に座ったまま、にらむように冬輝を見る。 

――けっ、ゴキブリでも見るような目で見やがって。自分で取りに来いって言ったくせに。 

冬輝は、すでに自分でもはっきりと自覚できるくらい、いらつきを覚えていた。 

「あのね。真田くん。先生もうがっかりよ」 

「はあ、すいません」 

「授業中に、あんなに堂々と携帯を使うなんて、そういうことをしてもいいと思ってるの」 

「いや」 

「誰と話していたの。この学校の子?」 

「さあ」 

「さあ、じゃないでしょう。こういうことがあるから、学校に携帯を持ってきちゃいけないって規則があるの。わかる?」 

ああもう、ねちねちねちねち、うるせえなあ。いいから早く返せよ。 

そう喉まで出かかったのを、冬輝は何とか飲み込んだ。 

「ほんとにねえ。あなたは、まじめなほうだと思っていたのに」 

「・・・」 

「黙っていないで、何か先生に言うことはないの」 

だから最初にちゃんと謝ったじゃねえか。そう思いながら冬輝は、 

「これから気をつけます」 

と、わざと抑揚をつけずに言った。 

「今回はこのまま返すけど、今度また同じことがあったら、おうちの人に話しますよ」 

はいはい。わかったから早く返せって。 

冬輝が、携帯を取るために手を伸ばしかけると、 

「おう、真田。どうかしたのか」 

突然、ごつごつした手が冬輝の肩に置かれた。 

振り向くと、体育の早坂が立っていた。こいつは冬輝が所属しているサッカー部の顧問でもある。典型的な運動バカだ。 

あーあ、またうるせえのが来た。 

冬輝は思わず顔をそむけた。 

おまえ、今度何かしたら、もう大会に出さないって言っておいたはずだぞ」 

今度? ああ、この前のアレか。 

冬輝は、一ヶ月前の出来事を思い出した。たまたま教室でアメを食べていたのをこいつに見つかり、連帯責任とかいうわけのわからない理屈で、三日間部活停止になったのだ。あの時は、いやというほどこいつにお灸をすえられた。たかがアメくらいでほんと、あほくせえったらねえ。 

「おい、真田。わかってるんだろうな」 

「はい」 

けっ、えらそうにしやがって。こういうのを職権乱用というんだ。 

心の中で思い切り毒づきながら、冬輝が職員室を出ようとすると、自分の机に戻った早坂が大口を開けて菓子にかぶりついているのが目に入った。 

「早坂先生。お茶お淹れしますね」 

若い女の事務員が気をきかして立ち上がる。 

「ああ、すいません。できればコーヒーにして頂けませんかね」 

早坂の間延びした声を聞いた瞬間、冬輝の頭にカッと血がのぼった。 

クソ! ふざけんなよ。生徒がアメ一つ食っただけであんなに大騒ぎするくせに、自分は職員室で菓子にコーヒーかよ。いい気なもんだ。クソ野郎。 

「死ねや」 

廊下に出ると、その言葉が無意識に口をついて出た。 

「あっ、ヤバイ・・・」 

すぐにそう思ったのは、 

「これから君は、殺したいと思うヤツが現れたら『死ね』と言葉にするだけでいいんだ。そうすれば代わりに分身がそいつのことを殺してくれる」 

という、さっきの不気味な声の主が言ったことを思い出したからだ。 

――はん、ばかばかしい。 

冬輝は、大きく息を吐いた。そして、 

「あんなの、嘘に決まってるよな」 

自分自身に言い聞かせるように、そう声に出して言った。 

しかしそのそばから、急にたとえようのない恐怖感が全身に突き上げてくる。 

冬輝は、教室には戻らず、そのまま学校を飛び出した。なぜかわからないが異様な恐ろしさを感じる。震えが止まらない。 

その恐怖を振り来るように冬輝は全速力で走った。階段を降り、校庭を横切って、扉が閉まったままの校門を乗り越える。ブレザーのポケットの中で、今戻ってきたばかりの携帯が激しく揺れた。 

 

学校の裏手に、ふだんあまり人気のない公園がある。 

冬輝は色あせたベンチの前に立ったまま、携帯を持ち、フタの開け閉めを何度もくり返していた。もう下校時間なのだろうか、黄色いランドセルをしょった子供たちが数人、団子のように固まりながら、公園の横を通り過ぎて行く。

冬輝は意を決したように、着信履歴の画面から通話ボタンを押した。もしさっきの番号が本当にあるのなら、きっとかかるはずだ。恐る恐る携帯を耳に当てると、やはり呼び出し音が鳴っている。 

「やっぱりかけてきてくれたね」 

すぐに誰かが出た。さっきのあの声だ。 

「きっと君は、ここに電話をかけてくると思ってた」 

「さっき言ってたこと、もっとちゃんと説明してくれ」 

「いいよ。何でも聞いてよ」

 「まず、今この電話で俺と話しているおまえはどこの誰だ。何者なんだ」 

「僕? 別に何者でもないよ」 

「ふざけんな。今おまえ、どこにいるんだ。大体この携帯でどうして通話ができるんだよ」 

「まあそうわめかないでよ。ね、そんなことより、君、プレゼントは気に入ってくれた?」 

「はっ?」 

「やだなあ、とぼけないでよ。わかってるくせにさ」 

「・・・」 

冬輝は黙り込んだ。電話の声が、冬輝の気持ちを見透かしたように口を開く。 

「じゃあもう一度言うよ。君がこれから誰かを殺したくなったら、『死ね』って口にするだけでいいんだ。わかるよね?」 

「・・・」 

「君の分身――アイツの姿は絶対に他のやつらには見えない。だから君は、誰にも気付かれずに、気にくわないヤツをこの世から削除することができる」 

「削除?」 

「そう。実際あの時はうまくいったでしょう」 

「そ、曽根が死んだのは、おまえのせいだ! 俺は知らない。関係ない!」

 「その言われ方は心外だなあ。君のために、せっかくあの『トクベツなチカラ』をプレゼントしてあげたのに」 

「だから、何で俺に――」 

「言ったじゃない。君が僕の携帯に電話してくれたお礼だよ。あの時僕、ものすごく嬉しかったんだ。前にも言ったでしょう。ずっと一人ぼっちだったんだ。僕」

気色悪いんだよ。この野郎! 

冬輝は心の中で怒鳴った。 

「そんなチカラ、いらないって言ったらどうする」

 「それはありえないね」 

急に電話の声が、それまでのなよなよした感じから一転、低いトーンに変わった。 

「一度も人を殺したいと思ったことがない人間なんていないよ。人を殺しても絶対につかまらないってことが保証されていたら、殺してやろうと思うヤツの一人や二人、必ずいるに決まってる。誰だってね」 

そう言われれば、確かにそうかもしれない。冬輝は返事をする代わりに、軽くため息をついた。 

「だから遠慮なく使ってよ」

おまえの正体を教えろ」 

「そんなの、別にないって言ってるじゃない」

「まともな人間じゃないだろう」

さあ、どうかな」

ふざけんな。またそう言いかけた時だ。いきなり空気を切り裂くような、けたたましい音が周囲に響き渡った。音のする方を見ると、パトカーが数台走り去っていくのが目に入った。その後を救急車が続く。学校の方角だ。

――学校で何かあったのか?

嫌な予感がして、冬輝は携帯を胸ポケットに投げ入れ、急いで学校に戻った。 

 

大通りに面した門から校内に入り、校舎の脇を抜け、校庭に行くと、みんなの輪の中に救急車が止まっている。

やっぱり何かあったんだ・・・。

その場に立ち尽くしていると、冬輝を見つけた達也がこっちに向かって走ってきた。

「冬輝! おまえどこ行ってたんだよ。五時間目サボってただろ」

「ちょっとな。それよりどうしたんだ、これ」

「早坂が自殺したんだ」

「ええっ!」

嘘だろう・・・。冬輝は、心臓が急にどくどくと鳴り出すのを覚えた。

「なんかさ。サッカーの授業中、いきなり自分でナイフを胸に突き刺したらしいぜ。ひでえよな」

「そんな・・・」

足に力が入らない。とっさに、足元に転がっていたサッカーボールを拾うふりをしてしゃがまなければ、冬輝は、もう少しで横にいる達也にもたれかかってしまいそうだった。

「そ、それで、あいつ死んだのか

さあ、どうだろ。救急車が来たってことは、まだ生きてんじゃねえか」

早坂を乗せた救急車がサイレンを鳴らして校庭を出ていくと、周囲には、どこか気まずさを含んだ、居心地の悪い静粛が一気に広がった。少し間をおいて、教師たちがはっとしたように動き始める。

ほらほら、みんな早く教室に戻りなさい!」

「各自、教室で待機!」

口々にそう言いながら、生徒たちを追い立てていく。

冬輝もその人波に押されるように歩き出した。そして、ぎくりとして足を止めた。目の前に、校舎の脇にアイツが立っている。アイツ――。冬輝の分身だ。目が合った。アイツはすかさずこっちを見てピースサインを出した。

やっぱり・・・。早坂は自殺なんかじゃない。アイツがやったんだ。アイツが早坂の胸をナイフで刺したんだ。

冬輝はそう確信した。 

 

その日の夕方のニュースで、早坂の死亡が報じられた。若い女のアナウンサーが、傷は背中まで達しており、ほぼ即死だったということを伝えていた。恐ろしく感情のない声で。  



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