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継承問題

 アシュが山を去ってから、数ヶ月が経った。

 このところ、シエラは体がだるかった。朝はなかなか起きられないし、昼間も元気がない。後継者に指名されたストレス、そして……
「シエラ、どうしたの?」
 母も心配そうに娘の額に手を当てる。
「少し熱っぽいんじゃない?」
「うん、風邪かも」
「気をつけなさい。今日は少し休んだら?」
「ん、でも……」
 シエラはじっと母を見つめた。
 母は夕食の汁物を小皿にとって味見をしていた。
 シエラはその横顔におそるおそる近づくと、
「母さん」
 思いつめたような娘の顔を横目に見ながら、母は小皿を台に置いた。
「シエラ、何も心配することはありません。あなたならできますよ」
「母さん……」
 シエラの瞳には涙が浮かんでいた。心配ごとは鳳凰会だけではない。
「まあ、子どもみたいに」
 母はシエラを抱きしめた。
「母さん、話があるの」
「なあに?」
「私……」
 エリカは震えながら胸にすがる娘の髪をなでた。
「どうしたの」
「私のおなかに……」
「え?」
 エリカはシエラの肩を起こし、その顔をのぞきこんだ。
「あなた、まさか……」
 シエラは母の顔をまっすぐ見られなかった。だが、
「まあ、おめでとう……」
 シエラは頬を染めた。
 母に怒られるかと思っていた。
 しかし、母は冷静に受け止め、喜んでくれてさえいるようだ。
「お相手はトーマね」
 エリカはシエラがトーマと親しく接しているのを知っていたから、ある程度心づもりがあったのだろう。
 シエラはびくっとした。
「そうよ」
 声がうわずった。
 あながち嘘ではない。
 ただ、シエラにもわからなかった。
 お腹の子はトーマの子か、それともアシュの……。
 考えたくなかった。

「でも、ちょっと早いわね。トーマは四年は剣山から出てこないし……」
 エリカはシエラがトーマの子を宿したことを喜ぶ一方、不安に感じているようだった。
 トーマは剣山に入ったばかりだ。
「トーマはこのことを知っているの?」
「いえ。彼が剣山に入門するときは、まだ気がついていなかったから」
「そう。おめでたい話だけれど、あなたたちはまだ若いわ。親になるには早すぎると思うの」
「でもこの子が生まれたら親よ。それに麓の町や村には若い親もたくさんいるわ」
 十代で結婚・出産というのは、この地域に珍しいことではなかった。
「ええ、でも……」
 母は躊躇した。
「でも、何?」
「その子は私の子ということにしたほうがいいと思う」
「お母さんの子?」
「そう、あなたの弟か妹になるということ。公にはね」
「私はトーマと一緒になっちゃいけないの?」
 シエラは母がトーマとの仲を良く思っていないのかと不安になった。
「そういうわけじゃないわ。トーマはいい子よ」
「じゃあ、なぜ?」
「四年は会えないのよ。あなたたちだってこれからどうなるかわからないでしょう?」
「トーマは私を裏切ったりしないわ」
 シエラは声を荒げた。
「ええ、そうね。トーマはね。でも、あなたはどう?」
「どういうこと?」
 エリカはシエラの心の揺れを感じ取っていた。
「ほかに好きな人はいない?」
「いないわよ」
 母は突然何を言い出すのだろう? トーマのほかには誰もいるはずがないではないか。
「そう。とにかく、そうしたほうがいいと思うの。あなた方の思いが変わらなかったら、そのときは本当のことを言えばいいわ」
 シエラはふと、あの夜のことを思い出した。母はアシュのことを知っているのだろうか。知っていて、自分が兄であるアシュを異性として愛していると思っているのだろうか……。
「……はい」
 心から納得したわけではなかったが、シエラは母に従うことにした。確かに、万が一にも子どもがアシュの子なら、そうしておいたほうがいい。

「ところで、数日前にナグール総長からお話があってね」
「ナグール総長? 剣山の?」
 鳳凰山の幹部養成機関である剣山の総長ナグールはエリカ、カリンガに次ぐ鳳凰山の重鎮だった。
「どんなお話?」
「あなたの縁談です」
「へ? なんで総長が?」
「総長の息子さんと、どうかって」
 シエラは総長の息子エノを思い浮かべた。会って話したことはあるが、凡庸で良くも悪くもあまり印象に残らない男だ。それに、シエラより十は年上ではないだろうか。そんな目で見たことはないし、エノの方もシエラに気があるようなそぶりを見せたことはない。当人同士の気持ちなどそっちのけで、そんな話を持ってくる総長の気が知れない。腹が立つよりあきれた。
「冗談じゃないわよ。そんな話、断って!」
「あなたよりだいぶ年上だし、あなたにはトーマがいるものね」
 シエラはほっとした。
「じゃあ、断ってくれたのね?」
「断るというか……、私に話を持ってくるのは筋違いと言っておきました」
「私が聞かれたら、すぐに断ってやるわ」
 シエラは拳を握った。そこにナグールがいたら殴り倒してやりたい気持ちだった。好きでもない男と一緒になる気はさらさらない。
「そう思って私に話したんでしょうね。ナグール総長はなかなかのやり手で、鳳凰会が大きくなるにあたってはいろいろ知恵を出してくださった方なの。お父さんも私も一定の技術は持っているけれど、組織力はあまりなかったのでね。そちらの方面ではカリンガ師匠とナグール総長に頼りっぱなし。総長の息子さんもなかなか有能な青年で、彼みたいな人があなたのそばにいてくれるのも悪い話ではないと思うの」
 シエラは耳を疑った。
「お母さんは私とエノを一緒にさせたいの?」
「いえ、そういうわけじゃないわ。ただ、若いあなたにはまだピンとこないかもしれないけれど、そういう考え方もあるってこと」
「どういう考え方よ」
 シエラには全然わからない。
「まあ、いいわ。今は総長があなたに直接その話をするようなことはないと思うけれど、後々そんなことがあっても、総長には総長なりの考えがあるのよ。悪くとらないでね。そう思って、話があったことだけは、言っておきたかったの」
 シエラはすっかり不機嫌になっていた。トーマ以外の男との縁など考えただけでも気分が悪い。母がちゃんと断わってくれずに、保留のような形になっているのも気に入らない。
「私はトーマを待つわ。他の人なんて絶対いやよ」
 エリカは宥めるように、
「はい、はい。でも、断るのはいいけど、あまり角が立たないように応対してちょうだいね」
 母はナグールに気を使いすぎだとシエラは思った。あまりにもメチャクチャな話ではないか。



 それから数ヶ月もたたない、ある日のこと、鳳凰山に激震が走った。
 ついに、会主ジュートが危篤に陥ったのだ。
 豪雨にもかかわらず、落ち葉の重なる山道を行く人や馬、シーボクの行き来が激しい。
 ジュートの家はひっきりなしの見舞い客の対応に追われていた。
 大きな組織の長の家というには質素な作りで、大勢を迎えて応対できるような家ではなかった。待ち人は家の前で待たされ、そのため、庭に臨時の幕が張られた。

「父さん、しっかりして」
「あなた、あなた!」
 シエラとエリカはときどきジュートが動くと、しきりに話しかけた。
 覚悟していたこととはいえ、こんなに早くその時がやってくるとは誰も思っていなかった。医術の心得があり、毎日そばにいるエリカですら予想が外れた。
 少し前までは、本人も周囲も、あと十年は生きられると思っていた。アシュが山を下りてからめっきり弱くなっていたが、それでも五年は生きる、いや生きてもらわねば困るというのが会主一家、および鳳凰山幹部の思いだった。

 早朝に倒れ、そのまま意識を失って、こん睡状態に陥っている。
 回復の見込みはない。それがエリカをはじめ鳳凰山医師の見立てだった。
「父さん、どうしたの?」
 何も知らされていなかったラシャは、何が起こったのかよくわからない様子だった。
「ラシャ、父さんはね……」
 シエラにはその先が言えなかった。真実は残酷すぎるし、ここで気休めを言うこともできなかった。
「父さん、死んじゃうの?」
 周囲のあわただしさ、母や姉の悲痛な顔を見てラシャも悟るところがあったようだった。だが、意外にも落ち着いている。
 そんなラシャを見て、シエラは勇気をふりしぼって言った。
「わからないわ。でも……覚悟はしておいてちょうだい」
 と弟の手を強く握りしめた。



 八日後、ジュートは息を引き取った。
 遺体は神山の本寺前にて、会士らの見守る中、火葬された。
 その葬儀の席で、会主の座はとりあえず妻であるエリカが受け、後にシエラに引き継がれることが発表された。

 シエラは自分の今後のことよりもラシャが心配だった。会主の重責はとりあえず母が引き受けてくれるので、シエラには猶予期間がある。
 それよりも、動物が死んでも数週間の絶食状態に陥る繊細な弟が、愛する父を失ってどうなるのか、気が気でなかった。
 今のところ落ち着いている。あまりにもショックが大きすぎて放心しているのだろうか。
 だが、その目は爛々と燃えており、放心状態などでは決してない。ラシャにしては珍しい空気を漂わせていた。それは憤怒の炎を背負っているかのようであった。

 ラシャはしきりに周囲を気にすることが多くなった。
「どうしたの?」
「来ない」
「え? 誰が?」
「どうしてアシュは帰って来ないの?」
「……」
 シエラは言葉につまった。
「父さんが死んだのに、どうして来ないの?」
「きっと……、まだ、知らないのよ」
「そうかな……。そうだよね。きっと知らないんだ」
 ラシャの瞳から怒りの炎が消えたわけではなかったが、表情は少し和らいだ。 

 ラシャはアシュを待った。ずっと待ち続けた。
 いつも頼りになる兄だった。困ったときには必ず助けてくれた。こんなに家族が大変な思いをしているときに、帰ってこないはずはないのだ。
 しかし、アシュは帰って来なかった。何日たっても、何十日たっても。



 父の死後、ラシャは毎日、墓参りをした。この日はシエラも一緒だった。
 二人の吐く息が白い。墓石には白い雪がかぶっていた。
 熱心に祈るように手を合わせるラシャの頬に涙がつたっていた。トトが死んだときには声を上げて泣いていた。今、静かに泣くラシャは、それより哀れを誘う。
 人が声を上げて泣くのは、悲しみばかりでなく、慰めてもらいたいという甘えの一表現なのかもしれない。本当に悲しいとき、また、一人で泣くとき、声は出ないことが多い。
「ラシャ、そんなに悲しんでいると父さんが心配するわよ。墓参りも毎日しなくてもいいんじゃない?」
 ラシャは墓石をじっとみつめて言った。
「父さんを殺したのはあいつだろ?」
「え?」
「アシュがいなくなったから、死んじゃったんだ」
「ラシャ、そんなこと言うもんじゃないわ。父さんはね、昔、大けがをして、それが元で……」
 シエラの宥めの言葉も、怒りに震えるラシャの心には届かない。
「みんな言ってる。アシュがいたら、こんなに早く死ななかったって」
「でもね。アシュのせいじゃないの。昔の怪我のせいなのよ」
 懸命に弟をなだめようとしたが、ラシャはそんなシエラの言葉など聞いていない。
「もう二か月たつ。まだ来ないよ」
「ラシャ……」
「知らないと思う?」
「遠くにいるんじゃないかしら」

 アシュの正確な居場所はわからない。あちこち転々としていて住所不定なのだ。各地の会士からときどき報告が上がっていて、それによると鳳凰山とエリースの間をさまよっているらしい。
 遠くの町、近くの村……。
 もしアシュが始終鳳凰山情勢を気にしているようなら二ヶ月たっても情報が入らないということはないだろう。だが、すさんだ生活をしていると聞く。辺境の山の一組織の長が死んだところで、遠い異国で特別大きなニュースになるとは思えない。もし遠方にいれば、本当に知らないということも十分に考えられることだった。

 ラシャは墓石を見つめながら肩をふるわせていた。
「帰ってきたら、墓の前に土下座させてやる」
 このように怒りを露にするラシャを見るのは初めてだった。もの静かでおとなしい弟だった。従順で、家族を困らすようなことはめったになかった。優しくて、乱暴な言葉など使わない。まして人を呪ったり、悪態をついたりするようなことは決してなかった。

 アシュとシエラは喧嘩が絶えなかったが、年の離れた弟ラシャは兄とも姉とも仲がよく、その両方を慕っていた。強くたくましい兄アシュをラシャはいつも頼りにしていた。それが、無責任にも後継者の座を蹴って山を下り、父の死を早めたばかりか、その葬儀にも、墓参りにも来ない。

 父の死後、母と姉が忙しくなったことはラシャも肌で感じていた。そして、
「女の会主では……」
「アシュさまがいらしたら」
 そんな言葉が何度聞こえたことか。
 鳳凰山の大人たちは、エリカやシエラの前では言わないことも、ラシャの前では平気で口にした。ラシャがそこにいても、子どもだと油断して口が滑るのだ。
 また、ラシャは気配を消すのがうまかった。体の動きが動物的というのか、訓練を積んだ会士にすら、ラシャがそばにいることに気がつかない場合も多かった。

 アシュがいたら、こんなことを言われないのに……。母さんもシエラも余計な苦労をしなくてよかったのに……。

 そんな弟の怒りが日に日に増して行くのをシエラは感じていたが、アシュがなぜ帰ってこないのか、本当の理由は言えなかった。

 第一章 『三きょうだい』 完 

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