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洛中図(応仁時)


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関東図


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関東関係図


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     【冬のつぐみ】
 近江の国、琵琶湖を流れくだる川は一筋のみである。瀬田川と名づけられたその川は、瀬田の唐橋をくぐって南下し、西に折れて山城の国にはいる。山城の国からは宇治川と名を変えて宇治、淀へと流れてゆく。近江、山城のくにざかいは山々が浸食され急峻な渓谷となっている。土地の人たちが鹿跳谷と呼ぶその谷は往く人をさえぎり、迂回する道をとらせていた。
 今その道を七、八人の馬借が馬を引いて西に向かっていた。京に運ぶのだろう、馬の背には三俵ずつの米俵がくくりつけられていた。先月来、山科におこった徳政一揆を避けるため、山道に踏み入っているのだ。十二月にはいって雨こそ降っていないが、低い雲がたれこめ、風が乾いた音をたてていた。
「あの音は、宇治川の流れじゃないか?やっと山道もおしまいか。ここらで一服いれよう」
 親方らしい男が言った。男たちの体からは、冬だというのに湯気がたっていた。
「兵五、シロウをつれて水を汲んできてくれ」
「米俵を、下ろしましょうか?」
「ここじゃあ、狭すぎるわ。馬どもには辛抱してもらおう」
 二人が河原へ下りてゆくと、他の男たちは車座になって道端に座り込んだ。あたりを覆う雑木林は、山道から暖かい陽の光をうばっている。だが馬借たちのいる場所はわずかな陽だまりになっていた。このとき十間程はなれた藪の中に、七、八歳くらいの少年がひそんでいることに、誰も気付いていなかった。
 少年の手には細い紐が握られ、その紐は五、六間先の馬たちの足元に延びていた。馬たちは重い荷を背負ったままなので、繋がれてもいない。少年の持つ紐の先には、なにやら布のようなものが結びつけられており、一頭の馬が鼻先を近づけてきた。しきりに匂いを嗅いでいる。
(よし、食いついたぞ!)
 少年はゆっくり紐を引きはじめた。木々の合間から「キー、クワックワックワッ」と鳥の鳴き声が聞こえてくる。少年はその鳴き声に合わせるようにして紐を引く。すると布につられて、馬もゆっくりこちらに歩みはじめた。
(もうすこしだ)
 馬借の男たちを見ると、笑い声をたてながら、なにやらふざけあっている。
「キー、クワックワックワッ」
 もう馬は少年の手の届くところまでやってきた。少年はかたわらに置いてあった竹の棒をつかむと、ゆっくり馬が背負っている米俵に差し出した。竹棒は先端が斜めに切ってあり、少し押し込むと米俵に食い込んでいった。竹の節目が抜いてあるようで、さらさらと音をたてながら、少年の手元に米が落ちてきた。少年は急いで麻袋を当て、米を集めていった。
「キー、クワックワックワッ」
 男たちは相変わらず騒いでいる。
(もういいだろう)
 少年はゆっくり竹棒を抜いた。ふと、気がつくと鳥の鳴き声がやんでいる。はっとして男たちの方を見ると誰もいない。
「小僧、なかなかやるじゃないか」
 後ろから掛かる声に振り向きもせず、少年は横手に逃げようとしたが、大きな手に肩をつかまれ、派手に殴り倒された。 


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 少年は、腰に縄をつけられ馬借たちと歩いていた。縄の先はシロウと呼ばれた二つ三つ年嵩の少年が握っている。
「ひとりで、こんな手管を思いつくなんて、とんでもない悪ガキだ」
「まさか、牝馬の尿をしみこませた布きれで、牡馬を呼び込むとはなあ」
「兵衛ノ尉が一緒でなきゃ、してやられてたかも知れねえ」
 馬借は全部で七人、さすがに屈強な男が多い。
「苦労して集めた米を、かすめ取ろうとしやがって。あとで八つ裂きにしてくれるわ」
 目付きの悪い男が言った。寅三というこの男は、少年を力任せになぐったヤツだ。
「盗っ人はおまえ達だ。土百姓が命がけで育てた米を、年貢だとか言って盗んだんじゃないか」
 少年が言い返すと、また殴られた。
「そういやあ、キンヤの又のところでもいつだったか、米のカサが足りねえって騒ぎがあったらしいぞ。米俵の中身が、抜き取られてたそうだ。こいつの仕業に違えねえ」
「今日はちょうどキンヤの又に荷を渡すところだ。てめえもついでに渡してやらあ。どうなるか楽しみだぜ。」

 

 シロウはいろいろよくしゃべる。少年はあまり答えず、馬借たちの隙をうかがっていた。なんとかして逃げなければならない。「キンヤの又」とやらに引き渡されたら、生きてはいられないだろう。
(腕のたつのは、三人。オレを殴った寅三と親方、それに図体のでかい兵五という男だ。三人はさいわい先頭とシンガリに分かれている。あとの四人はマヌケ面だ。横の薮に飛び込めば、逃げ切れる)
 シロウがよそ見した隙に、少年は前を歩く馬の尻に石をぶつけた。馬は驚いて暴れる。
「あぶねえ!」
 シロウは持っていた縄を放して、馬を押さえにかかった。荷の米俵も落ちそうだ。少年の方は気配を消しながら、薮の方に後ずさりする。そして、みなが暴れ馬に気をとられているのを確認して、身をひるがえそうとした。だが後を向いた途端、目の前に男が立っていたので、立ちすくんでしまった。
「こっちは、道が違うぞ」
 少年は驚いて、言葉もない。
「どうした、兵衛ノ尉」
 親方から声がかかる。寅三も少年をにらみつけていた。
「いや、こいつが道を間違えそうになったのでな」
(この男は何だ。どうなってるんだ)
 こんな男がいる限りムリだ。逃げることは、諦めざるを得なかった。
 もう一人、おかしな男がいる。この時代、男は必ず烏帽子をかぶっており、身分をあらわすシルシにもなっていたのだが、この男は公家のシルシである立烏帽子をかぶっていたのだ。だが、ひょこひょこと歩く姿は、みずぼらしい。
(タメ殿という名らしいが、ホントに公家かな。うす汚い水干を着てるし、顔つきも貧乏くさい)
 陽が西から薄く差してきて、川音がすぐそばに聞こえるようになると、あたりが開けてきた。しばらく聞こえなかった鳥の鳴き声がまた聞こえてきた。
(さっきの鳥かな。つぐみだろうか、冬だっていうのに)
「もうすぐ宇治だぜ。あっ、まんじゅう売りだ」
 シロウが指さした街道の向こうから、籠のついた天秤をかついだ男がやってきた。
「ちがうな。あれは、かわらけ売りだ。背中の小旗に『かわらけ』って書いてある」
「小僧!おまえ字が読めるのか」
 ふりかえるとタメ殿がこわい顔でにらんでいた。
「かあちゃんが、寺の娘だったから」
 少年は、うつむきながら小さな声で答えた。
 川沿いにはいくつもの水車が並んでいる。町屋が増えてきて大きな寺の門前を過ぎると、一行はとうとう宇治橋に着いてしまった。 



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