閉じる


<<最初から読む

2 / 85ページ

試し読みできます

京周辺図


試し読みできます

洛中図(応仁時)


試し読みできます

関東図


試し読みできます

関東関係図


試し読みできます

     【冬のつぐみ】
 近江の国、琵琶湖を流れくだる川は一筋のみである。瀬田川と名づけられたその川は、瀬田の唐橋をくぐって南下し、西に折れて山城の国にはいる。山城の国からは宇治川と名を変えて宇治、淀へと流れてゆく。近江、山城のくにざかいは山々が浸食され急峻な渓谷となっている。土地の人たちが鹿跳谷と呼ぶその谷は往く人をさえぎり、迂回する道をとらせていた。
 今その道を七、八人の馬借が馬を引いて西に向かっていた。京に運ぶのだろう、馬の背には三俵ずつの米俵がくくりつけられていた。先月来、山科におこった徳政一揆を避けるため、山道に踏み入っているのだ。十二月にはいって雨こそ降っていないが、低い雲がたれこめ、風が乾いた音をたてていた。
「あの音は、宇治川の流れじゃないか?やっと山道もおしまいか。ここらで一服いれよう」
 親方らしい男が言った。男たちの体からは、冬だというのに湯気がたっていた。
「兵五、シロウをつれて水を汲んできてくれ」
「米俵を、下ろしましょうか?」
「ここじゃあ、狭すぎるわ。馬どもには辛抱してもらおう」
 二人が河原へ下りてゆくと、他の男たちは車座になって道端に座り込んだ。あたりを覆う雑木林は、山道から暖かい陽の光をうばっている。だが馬借たちのいる場所はわずかな陽だまりになっていた。このとき十間程はなれた藪の中に、七、八歳くらいの少年がひそんでいることに、誰も気付いていなかった。
 少年の手には細い紐が握られ、その紐は五、六間先の馬たちの足元に延びていた。馬たちは重い荷を背負ったままなので、繋がれてもいない。少年の持つ紐の先には、なにやら布のようなものが結びつけられており、一頭の馬が鼻先を近づけてきた。しきりに匂いを嗅いでいる。
(よし、食いついたぞ!)
 少年はゆっくり紐を引きはじめた。木々の合間から「キー、クワックワックワッ」と鳥の鳴き声が聞こえてくる。少年はその鳴き声に合わせるようにして紐を引く。すると布につられて、馬もゆっくりこちらに歩みはじめた。
(もうすこしだ)
 馬借の男たちを見ると、笑い声をたてながら、なにやらふざけあっている。
「キー、クワックワックワッ」
 もう馬は少年の手の届くところまでやってきた。少年はかたわらに置いてあった竹の棒をつかむと、ゆっくり馬が背負っている米俵に差し出した。竹棒は先端が斜めに切ってあり、少し押し込むと米俵に食い込んでいった。竹の節目が抜いてあるようで、さらさらと音をたてながら、少年の手元に米が落ちてきた。少年は急いで麻袋を当て、米を集めていった。
「キー、クワックワックワッ」
 男たちは相変わらず騒いでいる。
(もういいだろう)
 少年はゆっくり竹棒を抜いた。ふと、気がつくと鳥の鳴き声がやんでいる。はっとして男たちの方を見ると誰もいない。
「小僧、なかなかやるじゃないか」
 後ろから掛かる声に振り向きもせず、少年は横手に逃げようとしたが、大きな手に肩をつかまれ、派手に殴り倒された。 



読者登録

蒔田 尚之さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について