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密談

 エリースの南は海、北は高い山脈、東には小国および不毛の大地が広がり、覇を争う国々は西にあった。西北のソーマンと西南のラードである。
 ラードの南、エリースから見れば西方にあるメノ川南岸地域は無数の領邦国家に分かれていたが、大きめの三国の情勢が地域全体の情勢を決める。エリースに近いほう(東)から、エストラ、ベラチェク、ウクポという。

 エリースの首都オーマ。
 王宮の小部屋で四人の男が机を囲んでいた。うち三人は五十~六十代と思われるが、一人は、真っ白な長い髭を生やし、七十を超えているように見える。老人に頭髪はほどんどなく、こめかみや後頭部下部にわずかに残っている程度。背が高く、座っていてもそびえている。
「ラードは日に日に弱っている」
「メノ川南岸諸国にも影響が出ているようですな」
 太った男が相槌を打った。この男も頭髪は薄い。
 エリースと覇を争ってきた西の大国ラードには昔日の栄光はもはやなく、その力は衰えるばかりだった。そのラードの南境をなすメノ川は東から西へと流れ海へと注ぐ。さらに南にメノ川とほぼ平行に走るフージン川があり、両河川に挟まれた東西に細長い地域にはいくつもの領邦国家があった。まとめてメノ川南岸地域と呼ばれている。いずれも親ラード政権の国々であったが、ラードの衰退・混乱の影響を受けて、これらの国々の政局も不安定になっていた。
 いかつい男がつぶやいた。
「ラードの首都シフォンでは打倒王政を掲げた抵抗運動が活発化している」
「その影響を受けてか、メノ川南岸地域の国々でも反政府運動が起こりつつあるようですね」
 四人目の男の声は緊張したようにうわずっていた。
 太った男は汗っかきなのか、しきりに額を布で拭いていた。
「エリースとしては、ラードが衰退するのはいいが、隣国の広い地域が不安定になるのは好ましくない。メノ川南岸地域の最も東にあるエストラはエリースとも境を接していることだし……」
「いい機会ではないか。メノ川南岸をわれらエリース陣営に引き入れればいい」
 白髪の老人は眉ひとつ動かさず、当然のように言った。
 他の三人は、互いの顔を見合わせながら、発言を躊躇していたが、老人は「どうかな、リトナ正大臣」と隣に座る恰幅のいい男に話を向けた。
 名差しされて、リトナは仕方なさそうに口を開いた。
「できるものならば、そう……ですな。メノ川南岸は伝統的に親ラードの地域ですが、衰退のラードからは、これまでのように援助や保護を得ることができないようで、すでにエリースを頼ってくる動きもちらほら見られます。そうだったね、マグネ副大臣」
 一人ではっきりとした態度を示したくないのか、同僚に意見を求めた。
 リトナの向かいには大柄なマグネ。肩幅が広く、骨太でがっちりした体格の男だった。丸々したリトナとは対照的に、肉づきが悪く、全体的にゴツゴツした印象である。
「ええ。革命運動に発展するのは時間の問題かと。そうだったね、カルシ君」
「はい。そんな動きがエリースに飛び火するようなことがあったら厄介ですぞ」
 カルシと呼ばれた男の声は甲高く、神経質そうだ。しきりに指先で袖口をつまんでいた。四人の中では一番若そうである。そして、この男だけは小柄だった。背の高い老人、お腹が膨れて前後左右に大きいリトナ、威圧感のある大柄なマグネの三人と同じ机を囲んでいると、子どものように見える。
 大なり小なりピリピリした三人と異なり、白髪の老人だけは余裕しゃくしゃく、したたかに笑みさえ浮かべていた。
「いや、その反政府運動とやら、逆に利用したらいい」
「といいますと?」
「けしかけて反乱を起こさせる」
「ラードに鎮圧されるのがオチでは?」
「我々が援助すれば持ちこたえるだろう」
「ふ~む、しかし……」
「各国には親エリース派もいる。これまで親ラード派に押されていたが、ラードが当てにならない昨今、エリース派が勢いづいていると聞く」
 マグネは上目遣いに老人を見つめ、「勢いづいているというより、どなたかが勢い《づけて》いるのでは?」
 シーン。
 一瞬の間が開いた。
 緊張の走ったこの場の空気をカルシが取り繕う。
「メノ川南岸がエリースの勢力圏に入れば、ラードは敵ではなくなります。都シフォンの対岸にわが軍を常駐させることもできるかもしれませんなあ」
 リトナは額にポンポンと布を当てながら、「それにメノ川が運行しやすくなる」
「取らぬ狸の皮算用ばかりしていてもいけない」と老人が言うと、
「では、まあ……まず狸を取っていただきましょう。よろしく頼みますよ。ハザー大神官長」
「我々が出てよろしいのかな。リトナ正大臣」
「まだ肝心のところはメリクに決めていただかないと」
 メリクとはエリース神殿の軍事を司る部門である。
 この場の四名はエリース神殿の長である大神官長ハザーと正大臣リトナ、副大臣マグネ、そして大臣補佐カルシというエリースの重鎮であった。

 会議の後、ハザーが去っても、大臣ら三人はしばらく部屋に残っていた。
「神殿主導というのが気に入りませんな」
 表立って反対しなかった三人だが、事を荒立てるのは好ましくないと思っていた。特にマグネは、強硬なハザーの提案に同意したような形なのが、納得いかない。
「まあ、まあ、メリクがやってくれるというのだから、お願いしようじゃないかね」
 リトナは政府内では最も位が高い正大臣だが、仲間内の争いごとを嫌い、結果的に声の大きい方に引きずられてしまいがちな性格の持ち主だった。この場合は神殿の最高位ハザーとあまりもめたくなかった。
 マグネは唇をかみ、苦々しそうである。
「メリク主導で《わが》軍が動くというのが……」
(筆者注:エリース軍の特殊性については鳳凰の舞3『放蕩のアシュ』参照)
「メリクも政府軍も、どっちもエリースの軍隊だ。それに、メリク主導なら、失敗したときもメリクの責任になる」
「成功したときはメリクの手柄です」
「まあ、そうなるが……。メノ川南岸は元はと言えば、ラードの一部。中央の支配が弱まってきた結果、地方が独立国のようになってきて現状にいたっている。いまだラードとは切っても切れない連合国家ないし連邦国家のようなもの。わが方へ転向させようとしても、そう、うまくはいくまい」
 マグネは不審そうにリトナを見た。
「正大臣、そのように見ておいでなら、なぜハザーを止めなかったのです」
「あのハザー大神官長に強く出られると、雰囲気に呑まれるというか……正面きっては逆らえん。マグネ君、そういう君も、反対意見など述べなかったじゃないか」
「私はメノ川南岸をエリース圏に取り込むことについては賛成なのです。ただ、神殿が出すぎている。イニシアチブは政府がとるべきです」
 二人の上役の顔色をうかがって黙っていたカルシが、か細い声で割って入った。
「で、でも、政府軍は、メリクなしには……」
「そうだ。癪にさわるが、タイミングも大事であるし、メノ川南岸各地に不満のくすぶっている今は確かに好機。今回は反対のしようがない」
 荒い鼻息をふかせ、憤慨しながらも怒りの矛先をどこへ向けたものかわからずフラストレーションがたまっているマグネの機嫌をとるように、カルシは両手を揉みながら、へらへらと笑いながら言った。
「また政府軍の若いのが思わぬところで活躍をしてくれるかもしれませんし」
「アシュのことか?」
「はい」

 アシュがエリースに居を定めてから約三年が過ぎようとしていた。
 メノ川南岸諸国のうち、まずエリースに最も近いエストラで反政府運動が盛り上がり、政権転覆と同時に親エリースへと方向転換した。ラード王宮政府は、いかなる政権であろうとメノ川南岸地域の親ラード路線は変わらないと考えていたため、エストラのあっけない「裏切り」を見て慌てた。ラードはエリースの策謀にようやく気がつき、脅威を感じて、ベラチェクの騒動・反乱には早々と出兵し、鎮圧していった。


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ベラチェク出兵

 首都オーマのエリース政府軍本部。
 司令官ナルセは机にひじをついて、遠くを見るような目をしていた。
「ベラチェクに救援を向ける」
 ナルセの前にはアシュが立っていた。
「出兵ですか?」バクー出兵以後も数々の功を立てていたアシュはナルセの片腕となって働いていた。今ではナルセから直接指示を受けている。
「そういうことだ」と椅子の背もたれに寄りかかるナルセは気難しい顔をしていた。
「あんまり、気が乗らないようですね」
 ナルセはアシュの言葉など聞いていないかのように
「今度はメリクから象部隊が出る」
「象?」
 アシュは象部隊の存在は聞いていたが、祭日のパレードなどで、きらびやかな衣装をつけて出てくる象およびその背に乗るメリク兵しか知らなかった。メリクが象をペットとして飼育しているはずはなく、戦闘用に違いないのだが、その象が実際に戦闘に参加するところなど見たことがない。
「バクーのときと違って、本気らしい」
 エリースが象部隊を出撃させるときは小競り合いではない大掛かりな戦闘を想定している。
 もっとも、戦場での象を見たことがないのは、アシュばかりではなく、しばらく大きな戦争のなかったエリースでは、象部隊の象も祭などを盛り上げる出し物としてしか人々の目に触れることはなくなっていた。

 象が群れをなして進むさまは壮観だ。そして、戦闘が始まると実戦慣れしていない象も威力を発揮した。
 ラードの兵馬は向かってくる巨大な象を見ただけで震え上がった。国境沿いや周辺地域での小さな戦闘はあっても、ラード軍とエリース軍が正面から戦闘を行ったことはここ数百年なかったのである。ラード側は、ベラチェクというラード影響圏内でエリース軍が《本気》で進軍してくるとは読んでいなかった。
 あたふたと敗走する兵が続く。そして、象が逃げ遅れた敵兵を蹴散らし踏み潰す様は目を覆いたくなる光景だった。
「うわっ、早く逃げろよ」
 アシュは敵ながら気の毒に思ってしまった。
 目をつぶったり、そむけたりしているアシュを見ながらナルセはつぶやいた。
「そういえば、お前、こういう戦場には慣れていないな」
 これまで功を上げているといっても、単独行動や救援活動のようなものが多かったのだ。

 会戦ではことごとくエリースが勝ち、戦況はエリース有利に展開した。
 だが、進軍するエリース軍を見る住民の目は冷ややかだった。ベラチェクの町や村では抵抗にこそ合わなかったが、歓迎ムードもない。窓も戸も閉まっていて、通りには人っ子一人いないという町もあった。そんな町で、たまにベラチェク人が通りかかるとエリース軍を見て、逃げる。
 エリースはベラチェクの反政府運動を支援していたが、ベラチェク住民のほとんどは政治運動とは関係ない人々だ。必ずしも王政府支持ではないが、反政府運動とも無縁であり、いきなり降って沸いたような戦争に戸惑いが見える。

 ナルセ率いるエリース軍は町や村を通り、荒野を越え、森を抜け、草原地帯に出た。遠くに町らしきものが見える。 
 アシュはナルセと並んで馬を進めていた。
「いよいよ都アルメノですね」
「ああ。だが、ここでも一戦交えなければならないようだ」
 都手前の平原にはラード・ベラチェク連合軍が待ち受けていた。

 エリース軍とラード・ベラチェク連合軍が正面衝突し、このときも連合側は多数の死傷者を出して敗走した。それでも、降参せず、アルメノは籠城の構えを見せた。
 ベラチェクの都アルメノはラードの都シフォンの斜め対岸にある。ここがエリース側に傾くとシフォンは常にエリースの脅威にさらされることになる。ラードが死守しようとするのも当然だった。
 馬上のアシュは味方の軍勢を一望しながらため息をついた。これまで一応、すべて勝ち戦だが、エリース側も多数の負傷者を抱えていた。補給も滞りがちだ。
「籠城戦はちょっと無理じゃないですか?」
 アシュが周囲に聞こえない程度にボソッとつぶやくと、ナルセはコックリうなずいた。
「そのとおりだ。だからアシュ、アルメノに入れ!」
 ナルセは、さも簡単な使いに出すように、そう指示を出した。
「え、俺が? 一人で?」
「元々、親ラードの地域柄だ。都を困窮させたり焼き払ったりしたのでは、勝って親エリース政権が立ったとしても、長持ちしない」
「それはそうですけど、でも、俺にどうやって籠城中のアルメノに入れと?」
「ハザーの使いであると言え」
「ハザー? 何ですか、それ?」
 アシュはそんな名前は聞いたことがなかった。大臣ではない。軍の上層部にもいない。機関名? そんな組織も知らない。
「知らんのか? 大神官長だ」
 大神官長とはエリース大神殿の最高位なのだが、権威に無頓着なアシュはただ、呆けたような声で、「ふ~ん」と言っただけ。
「王に伝えろ。話どおりに進めば兵を引く。異存はないかと」
「話どおり?」
 これまでエリース軍が戦った相手は主にラード兵だ。ベラチェク兵も混じっていたが少数だった。エリース軍がやってくる前にラードは反乱鎮圧のために多数のベラチェク人を殺しており、ベラチェクの人々の間には、いつになく反ラードの色が濃くなっていた。
 アシュは思った。
 今回の出兵は茶番だ。親エリース政権を作ることが目的であって、トップが王であろうが運動家であろうがエリースとしてはどちらでもいいのだ。
「抵抗運動を支援しつつ、しっかり王とも話をつけているんだ。さっすが大国エリース!」
 アシュの嫌味にもナルセは表情を変えない。
「ベラチェク王は迷っている」
「何を?」
「エリースにつくか、ラード側に残るか」
「これまで支援してくれたラードですからねえ。それに、今だって支援してもらっている。そのラードから王が離れるとは思えませんけど?」
「エストラは現に王朝が交代した。先王は殺され、その支持者たちも死罪や追放などの処罰を受けた。ラードは何もできなかった。それを見て、王は動揺している」
「なるほど、エストラは見せしめでしたか」
 ナルセはそれには答えず、
「お前の任務はそんなベラチェク王をエリース側に引き寄せることだ」
「俺にできますかね?」
 あまり気が乗らない任務だった。それに、気が乗る乗らない以前に、どう話を持っていったらいいのかわからない。王の説得など、もっと年配の使者を立てるべきではないのか?
「私も大いに疑問なのだが、ハザー大神官長がお前ならできるとおっしゃってな」
「は? また、何で? ハザーって人は俺のことを、よく知らないでしょう?」
 ハザーとは面識がない。アシュはハザーのことなど何も知らないし、ハザーにしてもアシュのことをよく知っているはずはない。
「きっと王の気に入られるだろうとおっしゃるのだが……」
 アシュは顔をゆがめて、少し馬を引いた。すすすっとナルセから離れて、
「俺……お稚児さんになる気はありませんよ」
 美男のアシュは男に言い寄られることもあった。ベラチェク王もその筋の男なのではないかと顔をしかめた。
 ナルセは軽く咳払いをした。「そういう意味ではない」
 アシュはほっと胸をなでおろした。
「安心するのは早いぞ。危険な任務ではある。王に気に入られなかったら、無事に帰ってこられないかもしれないぞ」
 ふざけたようなアシュの目に勝負師の光が差した。
「で、気に入られるにはどうしたらいいんですか?」
「王は剣技が好みらしい」
「なるほど。それなら自信があります」
 アシュはポンと手を叩いた。
「でも……、いくら何でも、剣士一人を気に入ったぐらいで同盟国を変えないでしょう?」
「私もそう思うのだがな……。ハザーさまの考えていることは、ときどきよくわからないことがある」
 ナルセはまた遠い目をした。
 この上司はときどきこんな目をする。今後の展開について考えているというよりは、アシュにはなぜか過去の思い出が去来しているように思えた。悪い思い出とも、いい思い出とも察しがつかない。きっと、両者がない交ぜになったような出来事が昔あったのだろう。聞いてみたいのは山々だったが、ナルセはいつもプライベートな過去についての問いかけを許さない雰囲気を漂わせていた。
 


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王城

 アシュは軍装を解き、長いマントに身をつつみ、旅人を装ってアルメノの市門前に立った。ラード兵がいないと聞いている南門だ。そして、叫んだ。
「開門!」
 門やぐらから声が返る。
「何だ、お前は? 今は特別な許可がない限り誰も市に入れないぞ。例外はなしだ」
 アシュは不安に思った。詳しいことは何も聞いていない。本当に通してくれるのだろうか、この一言で。
「ハザーの使いで来た」
 すると、門の内側で言い合う声が聞こえ、門がわずかに開いた。
「入れ!」
 本当に開いた……。
 半信半疑だったが、開門のきしみ音とともにアルメノ市内部が徐々に開けた。
 門には幅広の道路が続きその脇に家々が並んでいた。遠くに高く聳えているのは王城の塔。
 アルメノ入りしたアシュはヒューと口笛を吹くと、王城に向かって道路を進みかけた。しかし、すぐに呼び止められた。
「失礼……」
 慇懃な男がアシュの前にやってきて一礼した。上品な立ち居振る舞いで、兵士には見えない。「お預かりします」とアシュが身につけていた剣を取り、さらにアシュの体を軽く叩いたりさすったりして調べた。身体検査が終わると、再び一礼し、懐から布を取り出した。
「目隠し?」
「はい」
 男はアシュの目に布を当てて、後頭部でぎゅっと結んだ。それからアシュは籠に乗せられた。
 しばらくまっすぐ進んだが、そのうち下降する感じがした。
「坂?」
 さらに、空気がひんやりとしてきた。
「地下道にでも入ったのかな? 秘密の通路ってやつか」
 籠は何度も曲がりながら進んだ。
「ずいぶん入り組んだ通路だな。あっ、また坂だ」
 籠が再び上昇、空気も暖かくなった。アシュは目隠しのまま籠から下ろされ、しばらく歩かされた。平らな床、風をさえぎる壁……。すでに野外ではなく、建物の中であるということだ。
 ここでも、右に曲がったり、左に曲がったり、上がったり、下がったりしながら、進まされた。
 そして、やっと目隠しを外されたとき、そこは明るい部屋だった。中央には四角い机があり、壁には果物や野菜、さまざまな料理の絵が描かれている。食事の間であろうか。
「王城?」アシュは目をパチパチさせながらつぶやいた。答えを期待していたわけではなかったが、
「そうです」と男が答えた。アシュに目隠しをしたのも取ったのもこの男だった。二十代後半と思われる。礼儀正しく落ち着いた振る舞い、侍従の一人といったところであろうか。肩にかかるほどの黒髪は少し癖がある。ほとんどいつも頭を下げ、前かがみになっているので、顔がよく見えない。このときも長い前髪が垂れて片目が隠れていた。
 男は突然ひざまずいた。
「国王陛下ご夫妻のおなりです」
「え?」
 王と王妃らしき熟年の男女、そしてその後ろに若い女性が一人、入ってきた。先頭の男女に顔が似ている。おそらく王女。アシュの視線は、当然のことであるが、若い王女を追っていた。急角度の上がり眉のために、少々キツめの顔立ちだが、器量はいい。
 三人はアシュから数歩離れたところに並んで立ち止まった。
 アシュは軽く頭を下げた。こういう高位の人と向かい合ったときのエリースやラードの作法を知らなかったから、鳳凰山方式の挨拶をした。
 頭を少し下げて、ゆっくり上げる。そして右手を胸の辺りまであげた。普通はもう少し相手に近づいてする挨拶なのだが、いきなり王に近づいては怪しまれるような気がして、やめた。
 その辺の距離感もアシュは鳳凰山を下りてから学ばなければならなかった。鳳凰山では人と人の距離がわりと近かったのだ。エリースでは馴れ馴れしいと言われた。女性には誤解された。といっても、誤解した女性が、アシュに接近してくるケースもあり、そんなときは、そのまま口説けばよいので好都合だった。
 だが、この場の相手は異国の王だから失礼がないようにしないといけない。
「変わった挨拶だこと」王妃は軽く微笑んだ。
「エリース神官の挨拶だ」
 王は神官とも直接接したことがあるようだった。
「そ、そうです」
 鳳凰山の挨拶はエリース神官の挨拶と似ている。かつて母やシエラと神殿に入ったことがあり、そんな印象があった。しかし、そのとき自分たちは鳳凰山方式で通したし、後にエリース人になるなどとは思っていなかったから、神官たちの振舞いなど、よく見ていなかった。どんな挨拶だっただろう? ここ数年エリースの首都オーマに住んでいるが、アシュは、神殿を「公式訪問」していないので、神官たちの改まった席での挨拶など、記憶の彼方だ。
「しかし、意外だな。もっと年配の男が来ると思ったのだが」
 王は不思議そうにアシュを眺めた。
 やっぱりそうだよなあ……。
 アシュはひきつりながら、お愛想笑いを浮かべた。
「俺はただの使い走りです」
「謙遜をしなくてもいい。ハザーは大貴族にも匹敵する人物を送ると言ってよこした。しかも、剣を持っては、すこぶる腕が立つと」
 はあ??? 剣の腕はともかく、誰が大貴族?
「もっとも大貴族に《匹敵する》という言い方が気になったがね。大貴族ではないということだ。今はともかく将来の出世を約束されているという意味かもしれないな」
「は……ははははは」
 アシュはもう笑ってごまかすしかなかった。
 王が手を挙げて合図すると、広間の机に食事が運ばれてきた。
「どうぞお座りください」
 アシュの後ろに控えていた案内の男が席を勧めるので、アシュは戸惑いながらも礼を言って座った。
 四角いテーブルの一辺に王と王妃が隣り合って着座した。王女は国王夫妻の右手にあたる一辺に、アシュは左手の一辺つまり王女の真向かいにつき、小さな宴が始まった。広間は手すりのある上階から見下ろせるようになっており、そこでは楽師が音楽を奏でていた。最初は竪琴一台だったが、そのうち、笛や、リュートのような弦楽器、カスタネットのような小型の打楽器などが加わっていき、ちょっとした室内楽団になっていった。そして、食事が終わりに近づくとともに、まただんだんと楽器の数が少なくなった。
 アシュはお尻がむずがゆくなるような居心地の悪さを感じた。
 こいつら、何か、勘違いしてないか? 俺は本当にただの使者にすぎないのに……。
 食事が終わる頃、王は言った。
「今日はのちほど、試合を見せてもらおう」
 来た! 剣試合だ。
「はい。心得ました」
 肩の凝るお偉いさんとの食事より、剣技のほうがまだ気が楽だ。
 そのとき、正面から熱い視線を感じた。
 王女さまが俺のことを見ている!
 気は強そうだが、コケティッシュでかわいらしい顔立ち、軽やかなしぐさや指の動きが上品かつセクシーだったので、アシュも悪い気はしなかった。王はともかく、少なくとも王女にはすでに気に入ってもらえたように思った。
「お名前をうかがってなかったわ」
 そう。妙なことに今の今まで名前すら聞かれなかった。
「アシュ……です」
 正直に名乗った。
「私はブリュー。知ってるわね」
「はい」と一応返事をしておいたが、アシュは異国の王室の構成員をすべて諳んじているわけではない。実のところ、「言われれば、そんな名前があったなと」いう程度だった。
 王女は食事の間中ずっと意味ありげな目つきでアシュを眺め回していた。よく動くその瞳の色はポンペイアンレッド。
 アシュはベラチェクは初めてだった。エストラを通り過ぎ、ベラチェクを横断してきて思ったのだが、メノ南岸諸国では着ている衣服がみな似ていた。中~上層階級の人々はみな白い丸首半そでの長衣を身に着けている。男のそれは膝丈程度だが、女はくるぶしまである。ただ白無地である点においては王も王妃も、案内の者も、食事を持ってくる召使もみな同じだ。違いは肩からかける布の素材や色にあった。召使の者は細い紐状のもの、案内の男はやや幅のある布、そして王はたっぷりと重みのありそうな布を羽織っていた。男の羽織る布の色や柄は概して地味である。多くは白無地に縁模様がある程度。女性は薄くて軽いが派手な色の布を掛けている場合が多い。このとき王妃は紫、王女は赤い布を掛けていた。
 まるで制服のようだとアシュは思った。エリースで服装が決まっているのは軍人と神官ぐらいで、それ以外は何でもありだった。一般人の服は、形も色も長さもまちまち。強いて言えば、上層階級の人のほうが長い衣を着ているという傾向があるぐらいだ。
 
 給仕に下げられる皿をアシュは残念そうに眺めていた。
 もっとリラックスできるところで、もう一度食べたいな……。
 食事は豪勢だったが、緊張して味わう余裕がなかった。
 せめてもの救いは王も王妃も静かで、あまり話さなかったことだった。いろいろ聞かれたら、変なことを答えてしまうかもしれない。
「では、試合を楽しみにしている」
 王と王妃は静かに立ち上がってゆっくりと退室し、それをアシュは起立して見送った。
 国王夫妻がいなくなると、ブリュー王女も立ち上がって、アシュに近づいてきた。
「じゃ、いらっしゃいよ」
「え? どこへ?」
「こっち!」
 そそと進むブリュー王女にアシュは三歩下がってついていった。さらに後ろには警備兵らしき屈強な男と、門前からアシュをつれてきた男がついてきた。
 食事の間を出ると、四人、長い廊下をまっすぐに進んだ。
 まもなく大きな扉の前で、王女は止まった。後ろのアシュは、王女が止まったのに気がつかなかったフリをして、歩き続け、王女に優しくぶつかってから、「失礼」と言って改めて下がった。
 ぶつかった時にわざとバランスをくずして、王女の肩をつかんだりしたので、振り向いた王女ブリューは険しい顔になっていた。
「城内にもラード兵がいるから、あまりあちこち案内したりできないの」
「それは構いません」アシュは軽く頭を下げた。
「試合まで、私のお部屋で控えていただくわ」
「姫の御座所に入れていただけるとは光栄に存じます」
 本当にそう思った。
 こんなかわいい王女さまの私室に入れてもらえるとは何てついているんだろう。 
 後ろにいた二人が前に出て、重そうな扉に手をかけ、左右に開いた。
 王女とアシュは部屋に入った。
 大きな窓から燦燦と日光が降り注いでいた。
 壁には大きな鏡や絵がかかっている。鏡はひとつだが、絵はたくさんある。風景画や人物だ。一枚の絵は家族の肖像。おそらく王と王妃とブリュー王女。描かれた大人の男女はさきほどアシュが見た現在の国王夫妻よりも格段に若々しく美しい姿で、本人と特定できない程度に違っていたが、眉のつりあがった勝気そうな女の子は間違いなくブリューだ。十年ぐらい前に描かれたものだろうか。
 成長著しい子どもでもはっきりと面影があるのに、大人のほうがわかりにくいというのは、国王夫妻のほうは、絵師がだいぶ美化して描いたのだろうとアシュは思った。
 
 絵を通り過ぎると、数々の調度品が目に入った。どれも装飾の凝った高価そうなものだった。垢抜けたシンメトリックな器の中に、土臭い陶器があった。アシュはなぜか懐かしい感じがした。模様のない茶色の分厚い陶器のうつわだった。非対称でゆがんだ曲線に味があった。
 アシュがじっと陶器を見ているとブリューが
「その器が気に入ったみたいね」
「ええ、まあ……。でも、この部屋には似合わないような気もします……」
「私もそうも思うんだけど……なぜかほっとするのよ。行商人が持ってきたの。遠く東の辺境で手に入れた品ですって」
 東の辺境……。ひょっとして鳳凰山? なるほど、懐かしく感じるわけだ。
 アシュは部屋の隅々を興味深そうに見て回った。
 部屋中を見て回った後も、まだきょろきょろしていた。
 金銀の縁取りのある机や椅子に近づいて、
「触ってもいいですか?」
「ええ。座ってもいいわよ」
「じゃ、遠慮なく」
 しかし、いったんは腰掛けたアシュもすぐにまた立ち上がった。あまり座り心地がよくなかったし、なにしろ王女が立ったままだ。
 奥に別室がある。さりげなく覗きこむと屋根つきのベッドが見えた。
 思わず、はあ~っと、ため息が漏れた。
 そんなアシュに王女は怪しむような視線を投げかけた。
「あなた、本当は何者なの?」
「え?」
「エリースの王族や大貴族なら、こんな部屋を見て驚いたりしないわ」
 うっ、しまった。早速ボロが出てしまった。
 取り繕ってもしかたがない。
「だから、俺はただの使い走りです」
 もっとも、アシュは最初から正直にそう言っているのだ。ベラチェク王家の人々がハザーとやらの言葉を真に受けて勘違いしているだけ。
「それも違うと思うわ」
「どうしてですか?」
「ハザーは真っ赤な嘘はつかないもの」
 ハザーというのはいったい何を考えているのだ?  大神官長ハザー、「大」がつくからには神殿の中でも偉い神官なのだろうが、なぜ俺のことをそんな風に言ったのだろう? それとも最初は違うヤツを使いに出す予定だったのか?
「でも、そんなことどうでもいいわ。あなた、きれいだし。でも、あまり強そうじゃないわね」
 王女は少し残念そうだった。
 マッチョなタイプが好きなのかな?
 アシュはわが身を眺め回した。筋肉質だったが、細身だ。それに甘いマスクがいっそう優男の印象を与えることは本人も気にしているところだった。
 部屋の大きな鏡に自らを写しながら、右腕を高く上げて力んでみせた。
「見かけより強いですよ」
「そう? じゃ、その強いところを見せてよ」
 王女はおもむろに机わきのレバーに手を当てると、引いた。
 アシュの足元の床が割れるように開いた。
「うわわあっ」
 しまった。落とし穴だ! 
 アシュは真っ逆さまに落ちていった。


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腕試し

 下降しながら、今は亡き父ジュートの声が脳内に響いた。
「いついかなるときも警戒を怠るな!」「ぼけっとするな」「愚か者」「修行が足りん」
「わかった。わかった」頭の中の父を振り切るようにアシュはつぶやいた。
 落とし穴の仕掛けを見抜けずに落ちてしまったが、頃合をはかって一回転すると底にはスタッと見事に着地した。
「どうだい。父さん……ったって、この程度じゃ褒めてくれないよな」
 暗かったが鳳凰山の崖下り(崖落ち)より、着地は簡単だった。突き出た岩や木の幹や枝などの障害物もないし、自然のつくる地面と違って、床も平らだ。
 誰かいる。
 そのとき、いくつか窓が開いて、やや明るくなった。暗闇に目が慣れてきた頃だったので、わずかな光もまぶしい。手でひさしを作りながら、人の気配のするほうを見た。兵士が数名いるようだ。ラード兵ではない。おそらくベラチェク人。王城の警備兵か。鎧などは身に着けておらず、軽装だ。全部で十人ほど。武器を持った男もいる。
 アシュは王城に入るときに武器を預けてある(というより取られた)から丸腰だった。
 天井の高い大広間だった。アシュのいる階の扉はすべて閉まっていた。窓のあるのは上階だ。食事の間同様、上階にはぐるっと囲むように三辺あり、一人が手すりにもたれるようにして立っていた。
 王? いやこの細い影は王女だ。
「こいつらと力比べしろってことか? いきなり突き落として……荒っぽい王女さまだな。武闘好きは王じゃなくて、王女のほうかよ」
 アシュの正面には大男が立っていた。ぬ~っと動き出し、アシュに向かってきた。腕の太さがアシュの胴回りほどある。武器は持っていなかった。
「剣試合をするんじゃなかったっけ?」
「それは後だ。もっとも、その前にお前が伸びちまうだろうがな」
「そうかな?」
「ひょっとしたら、死んじまうかもな」
「物騒なことを言うなよ」
 アシュは王との交渉の難しさを悟った。ベラチェクは、やはりエリースにつく気などないのだ。
 上階をちらりと見る。
「あの王女さまは、こういう大男が好みなのかもな」
 大男はもう目の前に迫っていた。アシュにつかみかかろうとする。
 アシュがひらりとかわすと、大男はにや~っと笑いを浮かべた。
 大男の手が伸びてくれば、さっと逃げ、拳が飛んでくれば、右に左にと避けた。
 男は、力はありそうだったが、動きはあまり速くなかった。
 アシュがちょろちょろと逃げ回るので、しまいに大男はイライラしてきたようだった。野太い声でうなるように、「すばしっこいやつめ」
「お前が鈍いんだろ」アシュは大男を蹴飛ばした。
「あうっ」
 軽く蹴飛ばしたように見えたが、大男は痛そうに膝をさすった。
 周囲の兵士が動いた。それまで見ていただけの男達が二名、前に出てきた。
 アシュの相手は三人になった。
 加わった二人は最初の大男ほどの《体積》はなかったが、いずれも屈強な兵士だった。そして、大男より敏捷だった。
 避けてばかりもいられずに組み合いになる。
「しかたがない」
 アシュが相手の首筋に触れると、一人が倒れた。次の相手は、みぞおちに触れ、こちらもそれだけでパタッと倒れた。「殴った」「叩いた」というより「触れた」という感じだった。
「なに?」大男は目をむいた。
「あんたは頑丈そうだからなあ」
 アシュは少し考えてから走り出し、飛び上がって大男の額に手を当てた。そして、突き放すように飛び下がった。
 大男は、千鳥足になってしばらくふらついたかと思うと、ドタッと倒れた。
 残りの七名がざわついた。
 そのうちの一人がシャーっと剣を抜いた。
「おっ、やっと剣試合になるわけ? ……って、俺の剣は?」
 アシュは手を広げて前に出し、武器をくれと身振りで促したが、剣を渡しに来るものは誰もいない。
 剣士が向かってくる。
「丸腰の相手に武器を使うか?」
 答えはない。剣士は黙々と進み、アシュの眼前にやってきた。
 一振り、二振り、そして突き。
「おい、《突き》はなしだろ」
 重厚な直刀でブレード部分はあまり鋭利にできておらず、《切る》では一太刀で致命傷になることは少ないが、《突き》はとどめの技だった。「親善試合」なら、手前で止めるはずだ。だが、兵士は勢いよく突ききった。殺す気で来ている? 審判員のような者は見当たらない。「試合って、こういうイメージじゃなかったんだけどな……」
 アシュは、左右に体を振り、また飛び、避けに避けた。
 機を見て、相手の剣を持つ右手首を捕らえ、首筋に手を当てた。
 男が気を失うと「じゃ、もらうよ」と倒れた剣士の武器を手に取った。
 すると、残りの六名が一斉に剣を抜いてアシュに向かってきた。
「これは多いな」
 カーン、シュッ、キーン。
 次から次へと振り下ろされる剣をアシュは止め回らなければならなかった。
「きりがない。どうしよう……うっ」
 敵の剣がアシュの左上腕をかすった。右太腿も傷つけられた。
「殺さないというわけにはいきそうにない……か」
 それまで防御に徹していたが、アシュは攻撃の剣を振るった。一太刀振り回しただけだったが、剣が急に伸びたように見えたかと思うと、兵士の骨肉を切り刻み、三人がほぼ同時に倒れた。ラシャの刀のように黄金に光ったりはしなかったが、剣本来の切れ味が増しているようだった。 
 一瞬のうちに三人がやられ、その場に残る三人はひるんだようで、動きが止まり、向かってこなくなった。しかし、アシュと戦うことはおそらく命令なのだろう。しばらくすると、また、前に出てきた。そのとき、女の声が響いた。
「そこまで」
 いくつかある下階の扉の一つが開いて、ブリュー王女がしずしずと入ってきた。
「本当ね。見かけより強いわ」
「お認めくださいましたか」
「やっぱり、ただの使い走りじゃあないわね」
「恐れ入ります」
「恐れ入ったのはこちらのほうだわ。荒っぽいことしてごめんなさいね。でも、あなたが本当にハザーの使いかどうかはこうでもしないとわからないから」
「今ので終わりですよね? これから、もう一試合なんてことは……」
「ええ。もう十分。本当は素手の人たちが終わったところで止めてもよかったんだけど、つい好奇心に負けてしまったわ。臣下たちを殺さないでくれてありがとう」
「殺してはいませんが、打ち所が悪かった場合、何の症状も残らないとは保証いたしかねます。それに、あの三人は……」
 切った三人には、致命傷ではないかもしれないが、浅くない傷を負わせていた。
「おたくのラテナンから優秀な医師を送ってもらうわ」
「それがいいでしょう」
 エリース大神殿の医療部門を司るラテナンの医術は諸外国でも高く評価されていた。
「王は見ていらっしゃったのですか?」
「ええ」
 ブリューは上階を見上げた。
 アシュもブリューの視線を追うように上を見たが、そこは壁。誰もいない。
「壁の後ろからも見えるようになっているのよ。私は近くでよく見たかったから、出ていたけれど」
 そのうち王が上階の見えるところに姿を現した。手すりに手をかけ、アシュとブリューを見下ろしながら、ためらうように咳払いをした。
「ら、乱暴をして済まなかった」
 王女と違って、王は喜んでいるようには見えない。こころなしか震えていて、何かを恐れているようでもある。
「合格ですか?」
「う……ああ」
「《例》の件は?」
「それも……まあ、前向きに考えることにしよう。しばらく、アルメノでゆっくりしていくがいい」
 ゆっくりしている場合ではない。すぐに外のナルセに知らせたい。
「いえ、私はこれにて……」と帰ろうとしたところが、アシュは王女にも引き留められた。
「ゆっくりしてらっしゃいよ。父もそう言っているし」
「しかし、私は使いですので、陛下のお返事を早く味方に伝えませんと……」
「それはシマにやらせるわ」
「シマ?」
「私のことです」アシュを門から食事の間へ案内してきた男だった。この広間でも目立たない場所に控えていた。
「それでは、早速、行って参ります」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はどうなる? いつ帰してもらえるんだよ」
 シマはアシュには直接答えず、問いかけるように王女を見た。
「そうねえ。二~三日したら帰してあげるわ」
 王女のにんまりとした笑いが不気味だった。
「で、二~三日……私はここで何をしたらいいんでしょう?」
 アシュも笑っていたが、その顔は少し引きつっていた。こんなお化け屋敷みたいなところで何をされるかわかったものではない。
「さあ、それはこれから考えるわ」と王女は微笑んだ。
 かわいい! 
 女性には弱いアシュであった。人物評価も甘くなる。
 アシュは体がふらついたように感じた。
 おいおい。しっかりしろ。ちょっといい女を見たからって……。いや、違う。本当に頭がクラクラする。
 急によろけるアシュを見ながら、ブリューは
「どうしたの?」
「これはやられましたね。毒を使うとは……」
「毒?」
 アシュは切られた左腕と右腿に手を当てた。傷は浅かったが、左腕と右足の感覚が鈍くなっていた。それに、全身がだるい。
 みるみる青ざめていくアシュを見ながらブリューはあわてた。
「違うわ。これは……私がやったんじゃない。父上!」
 ブリューは階上の父を見上げた。
「ブリュー、その男から離れなさい」
「父上、エリースと結ぶのではなかったの?」
「ブリュー、城内のラード派は根強い」
 三人の剣士が再びアシュに向かってきた。
 ブリューはアシュの前に両手を広げて立ちはだかった。
「やめなさい」
 剣士の一人が王女に手を差し伸べた。
「ブリュー王女、その男から離れてください」
 しかし、ブリューは剣士をにらみつけ、「命令です。やめなさい」
 剣士たちは顔を見合わせ、指示を仰ぐように階上の王を見上げた。
 王もまた青ざめていた。そして、「……誰の命令だ?」と問うた。
 兵士たちは口ごもった。「それは……」
 アシュは震えながら、なんとか立っていた。汗をかき、視界がだんだんぼやけていく。
 兵士たちが武器に毒を塗ったのは、王の命令ではなかった?
 王は兵士の答えを待たず、
「まあいい。こんなことを指示する者の見当はつく。何を使った?」
「ビブの毒です」
 ブリューは大きく目を見開き、口に手を当てた。
「一噛みで象をも死に至らしめるという毒蛇のビブ?」
 王はため息をついた。
「それでは、もう助かるまい。そこまでしてしまったなら仕方がない。楽に死なせてやれ。だが、その前にブリューをその男から引き離せ」
「はっ」
 王が引き上げ、その姿が見えなくなると、兵士三人がアシュに近づいた。
 うち一人が王女の腕を取った。「失礼します」
「何をするの?」
「ここは、お引取りを!」
「ちょっと……、その男を殺せば、エリースとの糸が切れてしまうわ。今のベラチェクには……、それにラードにもエリースと対抗する力はないのよ。あなたたちにはそれがわからないの?」
 ブリューの叫びはむなしく、兵士に引かれて、その声はどんどん遠のいていった。
 一人が王女を連れて出て行ったので、残る兵士は二人だ。
「王様一人を説得したところで、ベラチェクが親エリース路線に転換するわけじゃないってことだね……」
 アシュは震える手で剣を構えた。
「こいつ、まだ動けるのか?」
「来るな! 来るなよ」アシュは後ずさりしていた。足元がガクガクしている。
 兵士はアシュが離れるだけ、詰めてくる。
「一思いに俺たちの剣にかかったほうが楽になれるぞ」
「そうかな?」
 下がるに下がったアシュの動きが止まった。後ろは壁。もう下がることはできない。
「立っているのがやっとだろう?」
 その通り。アシュは壁を支えにしてなんとか立っていた。
 兵士二人が同時に切りかかってきた。「やああああっ」
 しかし、アシュは一人の剣を打ち払い、もう一人をばっさり切った。
「う、うそだろ?」
 一人残った兵士はアシュの剣筋が乱れるどころか冴えわたっているのが信じられない。一人になってしまった最後の兵士は、すっかり動揺して狂ったように剣を振り回した。
 アシュはすっと腕を伸ばした。兵士の胸を刃が貫き、串刺しになった兵士は突き刺さった剣ごとバッタリと床に倒れた。
 アシュもまた膝をついた。手足から力が抜けていく。もはや意識もはっきりしない。ただ、遠くから近づいてくる足音が聞こえていた。
 すっかり毒がまわってしまった。もう戦えない。
 周囲がぐるぐる回って見えた。薄らぐ意識の中で、まず思い浮かんだのはクレア、そして鳳凰山を思った。シエラ、ラシャ……。これで本当にもうお前たちに会うことはない。 


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忠臣ターシュ

 王城の小ぢんまりとした一室。王の前には中肉中背で眼光が鋭い男が立っていた。
「ターシュ、お前か?」
「何のことでしょうか?」
「エリースからの使者を亡き者にしようとした」
「もはや亡き者です」
「ビブの毒で死なない人間などいない……か。エリースに対抗して勝ち目があるのか?」
「これまで長年良好な関係にあったラードとの関係を断ち切るというのは、あまりに節操がありません」
「節操を守って国が滅びたのでは元も子もない。それに民衆はラードの弾圧にあって、反ラードの機運が高まっている」
「あの民衆運動はエリースに率いられているのです。元々、この国は親ラードの土壌。エリースを追い払えば収まります」
「エリースを迎え入れれば収まるとも言えるぞ」
「王……」
「ラードの衰退は今に始まったことではない。これからも、急に上向きに変わることはないだろう。エリースは豊かで安定している。国力の差は明らかだ」
「腐ってもラードです。あのラードがこのまま衰退していくとは、私には信じられません。そして、ラードが盛り返したとき、ここベラチェクがエリース圏であれば、真っ先に狙われれるのがわが国なのですぞ」
「だから、決心がつきかねるのだ。エリース派は増えてきている。その一方で、ラード派は根強い。このままでは……、最悪、内戦になってしまう」
 王は頭を抱えた。
「だからこそ、だからこそ王にはしっかりしていただかねばならないのです!」
 ターシュは王につめよった。
「ああ。とにかく、お前の策のおかげで、エリースと結ぶ線は消えてしまった。ラードに頼るしかなくなったというわけだ」
 王が非難するようにターシュを一瞥したとき、部屋の扉が叩かれた。
「入れ!」
 そそくさと入ってきた臣下は「失礼します」と王に寄ると、耳打ちした。
「わかった」
 耳打ちした臣下は王に頭を下げると、すぐに部屋から出て行った。
 怪訝な顔で首をかしげるターシュに王は言った。
「ターシュ、これまでの功績に免じて今回の責は問わない。だが、今後、私に何の相談もなく出すぎたことをすれば、私も黙ってはいない。わかったな」
「王、私はこの国のためを思って……」
「ターシュ」
 王はターシュをさえぎった。
「リントを頼む」
 リントとは、ブリューの弟、まだ三歳の幼い王子であった。ターシュは王子リントの養育係でもあった。基本的に王の信が厚い臣下であるから今回のようなことも、堂々とできるのだ。
「はは~」
 ターシュは王に一礼して、下がった。
 王にたしなめられてもターシュの信念はゆるがなかった。
 私は間違っていない。すべては王の意を汲んで行ったこと。ああおっしゃっても、王はご理解くださっている。独断で事に及んだ私に罰を与えるどころか、引き続き王子を託すとおしゃったのが何よりの証拠。やはり、王も本当はラードとのつながりを重く見ていらっしゃるのだ。
 王は窓に寄り、つぶやいた。
「あの男、二人の兵士を倒したか。だが、ビブの毒が回っては……助かるまいなあ」



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