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瀕死のアシュ

 ベッドに横たわるアシュの前でブリューは眉を寄せていた。眉根が近い上がり眉なので、寄せると、つながってブーメランのようになる。
「シマ、ナルセは何て?」
「すぐに軍医をよこすと」
 シマは剣技(?)の間を去ると、すぐに援軍を呼びに走った。アシュが最後に聞いた足音はシマのよこした兵士たちだった。それで、アシュは殺されずにブリューらエリース派に保護されていた。
 その後、シマは城内の事件をナルセに伝えるよう使いに出され、帰ってきた。
「間に合うかしら?」
「……」
 シマは気休めの言える性質ではなかった。ビブの毒が回って助かった人間はいない。エリースの軍医とは、すなわちラテナンの医師なのであるが、それでも無理だろう。
 アシュは力なくうめいていた。ぜいぜい、はあはあと息が荒い、呼吸が不規則で、苦しそうだ。
「シエラ!」
 アシュが叫んだ。
「誰かしらね。さっきから、何度も呼んでるけど」
「クレア!」
「この名前もよく出てくるわね」
「ララ!」
「これは初めて」
「メイ!」
「いったい何人、女がいるのかしら?」
 ブリューのこめかみがヒクヒクしていた。

 籠城中のアルメノにエリース人医師を入れるのは一苦労。アシュのときのように、示し合わせてラード軍の目をかいくぐらないといけないので、すぐというわけにはいかず、なんとかアシュの診察にこぎつけたときには数日が経っていた。
 医師はアシュの診察をしながら、しきりに首をひねっていた。「本当にビブの毒ですか?」
「彼らはそう言ってたわ」ブリューの眉はこのときもブーメラン。
「それなら、手遅れです。回ってしまっては、私にもどうすることもできません。噛まれた直後なら毒抜き、少しあとでも切断という手段がありますが、数日経ってしまってはもう……」
「では、死ぬしかないと?」
「いやあ~、何と言うか、それなら、もうとっくに死んでいるはずなので……生きているということは、ビブの毒ではなかったのではないかと……。それが一縷の望みですね」
「じゃ、じゃあ……」
 ブリューは期待をこめて目を輝かせた。
「回復力を高めることしかできませんが」
 アシュの体を押したり、さすったりする医師の手当てを見つめていたブリューだが、その後も際限なく色々な女の名を呼び続けるアシュに嫌気がさしたか、そのうち部屋を出て行った。
 医師が到着してから一日目には、アシュの容態は良くもならないが、悪くもならず、小康状態を保った。だが、二日目から著しく快方へと向かっていった。

 夕方、アシュは静かに横になっていた。息も落ち着いている。だが、意識はまだ戻っていなかった。
 ブリューはアシュの額に触れた。
「何にも言わないで寝ていると、かわいいんだけど……」
「ブリュー……」
 アシュに名を呼ばれて王女はビクッとした。
「起きてるの?」
 答えはない。
「寝言? 私をその辺の女と一緒にしないでよね」とブリューはアシュの鼻をぎゅっとつまんだ。
「痛ててて」
 アシュが顔をしかめて、手を鼻にやった。
「う~ん……」
 目が薄く開いた。
 ブリューは前かがみになった。
「アシュ! 気がついた?」
「ここは……天国? でも、ブリュー王女がいるということは……」
「アルメノよ。お城の中!」
「ああ、そうだ。毒塗りの剣でやられて……、それから……う~ん。王女さまが助けてくださったんですか?」
「まあね。私の部屋に運び込んだけだけど」
 アシュは、意識を失う前にちらっと聞いた王や王女と兵士たちのやりとりを思い出した。城は割れている。エリース派とラード派に。
「いや、かくまってもらっただけで十分! でも、俺をかばったことで、王女さまの命が狙われるようなことは?」
「それが私たち王族の仕事よ。何をやっても敵がいるの」
「じゃあ、何もしないほうがいいですね」
「そうすると、ラードみたいになるのよ」
 ラードの現王は、お飾りにすぎず、実質的な権限は有力貴族が握っているとのもっぱらのうわさであった。
「でも、よかったわ。ビブの毒でなくて」
「違ったんですか?」
「ビブの毒が回って生き延びた人間なんていないわ」
「ふ~ん」
 アシュは目をくるくると回した。
 鳳凰会では会士に微量の毒を飲料ないし注入して免疫をつけることがある。もっとも、これには適正を見る。敏感な体質の者は免疫がつくどころか、弱ったり、死んでしまったりするから不適である。アシュは毒や異物に鈍感なほうだったので、かなりの毒の免疫をつけさせられた。
「ビブの毒もあの中に入ってたのか……」
「なに?」
「いえ、何でもありません……」
 ゆっくり半身を起こし、ベッドの脇に腰掛けた。大丈夫だ。そう思って、立ち上がるとぐらっときた。
「うわあああ」
 ブリューがなんとか支えて、アシュをベッドに戻した。
「病み上がりは、おとなしく寝てなさい」
 ちゃきちゃきしたブリュー、年はアシュと同じか、やや年上ぐらい。
 至近距離に近づくと、ふわっと、いい匂いがした。
 アシュは自分の胸を押すブリューの手を取って、その甲に口づけた。
「ありがとうございました」
 臣下が王女の手に口づけすることはままある。少し無遠慮だとは思ったが、ブリューは怒らなかった。
「こちらの不手際があったのだから当然だわ。あなたには無事に帰ってもらわないと困るのよ」
 しかし、アシュはブリューの手をいつまでも離さず、そのまま握ったり、さすったりしたので、ブリューも仕舞いには気分を害してしまった。
「いい加減にしなさい!」
 怒りに全身を震わせながら、ブーメラン眉のブリューだったが、アシュはかまわず王女に顔を近づけた。唇が唇に近づく。
 バッシーン
 ブリューの平手打ちがアシュの頬に飛んだ。
「な、何、考えてるのよ。ハザーの使いでなかったら、牢にぶちこんでやるところだわ」
「すみません。きれいな女性がそばにいると、つい。それに、手厚い看護のお礼を態度で示したくて」
「その元気があるのなら、もう大丈夫ね。起きなさい!」
 アシュは軽く動いて、体をほぐす。
「寝ろと言ったり、起きろと言ったり……」
「あなたが悪いんでしょ。病人ぶって、つけあがらないでよね」
「怒った顔も魅力的だ」
 ツンとしながらそっぽを向くブリューの背中を見るアシュはいたずら小僧のようにニッと笑っていた。
 部屋を出て行くブリューのほうも、怒ったような口ぶり、素ぶりではあっても、その表情は何故か満足気であった。

 ベラチェク王の使いとして、エリース軍の陣に入ったシマはナルセを前に頭を下げていた。
「お返事を致します。ハザーさまとのお約束は間違いなく実行いたします」
「そうか。で、アシュは?」
「お使者の方は丁重におもてなししております」シマは淡々と答えたが、ふと顔を上げ、城に目をやった。「王女がお引止めになって……」
「王女?」
 シマは無表情だが、少し困ったようにただ王城を見る。
 その様子から、ナルセはコトを察し、両手で顔を覆って拭くように上下した。
「あいつはまったく、こんなときに何をやってるんだ!!!」
「何ぶん、案内がなければあそこから出られませんから……王女のわがままです」
「いや、やつも絶対喜んで留まっているに違いない」
 シマは再び下を向いていて、その肩はヒクヒクと震えていた。笑いをこらえているようである。
「……そうかもしれませんね」

 数日後、ブリューとアシュは窓際に立ち、寄り添っていた。
 薄衣を纏った王女の腰にアシュは手を添えていた。アシュのほうはと言えば、丸裸。
 王女がアシュに寄りかかった。
 誘われているのかと思って、アシュが胸元に手を伸ばすと、ペシッとはたかれた。
「でも、まあまあ楽しかったわ」
「まあまあ……ですか?」
 しなだれかかる王女の髪にアシュは顔をうずめるように口を寄せた。肩下まで伸びるウォールナットブラウンの髪。前髪も後ろ髪もきれいにまっすぐそろった、さらさらヘアだった。
「いい匂いだ……」
「ケルの水よ」
「ケルの水?」
「知らないの? エリース南部にケルっていう町があるでしょう? そこで作っている香水なの」
「へえ~、知らなかった」
「エリースの商人が持ってくるの。きっとオーマでも手に入ると思うわ」
「そうかもしれませんね。今度うかがうときには土産に持参します。門番に追い払われなければ」
「忘れなければ通すように言っておくわ。急に立ち寄ったときには、私の名を言えば、運がよければ通れるんじゃないかしら」
 ブリューは少し背伸びして、アシュに口づけた。
「光栄に存じます」
「挨拶みたいなものよ。いい気にならないで」
「はいはい」
 アシュは両手を上げておどけてみせたそのすぐ後、ブリューを抱き寄せようとしたが、ブリューはぐいと押し戻した。
「またひっぱたかれたい?」
「いまさら、それはないでしょう?」
「私は男に抱かれるのは嫌いなのよ」
「え? じゃあ、いままでのは?」
「私が抱きたいの」
 ブリューはアシュを抱えるようにして、ギュッと胸を押しつけたかと思うと、ドンと突き放した。
「もう帰ってもいいわよ」
 変わったお姫様だけど、おもしろい。
 押しつけられたやわらかい胸の感触が残る。鎖骨のあたりには唇も感じた。
 もう少し……と思うこの感じがたまらない。
 もう一度、誘ってくれないかと、物ほしそうにちらちらとブリューに目をやりながら、ゆ~っくりと服を着るアシュであったが。ブリューはツンとすまして、窓の外を見ている。
 だめか……。
 アシュは深々とお辞儀をし、笑みをたたえながら部屋を下がった。
 扉の外側ではシマが待っていた。
「お帰りはこちらです」
 案内係、連絡係をつとめ、そして今、アシュを送り返す役を仰せつかっているようだった。
「あ~あ、お払い箱か……」
「お味方のところに戻りたくないのですか?」
「帰りたいけど、帰りたくない……って感じかな」
「……」
 シマはあきれたように半開きの目でアシュを見ていた。相変わらず物腰は丁寧だが、王城へ迎え入れたときのような慇懃さはもうない。ずっと顔が見えないほどに頭を下げていたシマが、アシュの前で頭を高く上げ、目を見るようになっていた。それは不遜というよりは親しみの表れのようにアシュには思われた。

 やっとエリースの陣に戻ってきたアシュは、腕組みをしたまま一言も発しないナルセの前で頭をかいていた。使いに出されてから十日ほど経っていた。
「あ~、毒を塗った剣で突き刺されたりとか色々ありまして。そのあとは、王女に引き止められて……」
「突き刺された? ただのかすり傷だろうが。大げさに言うな」
 アシュは軽く舌を出した。
「でも、毒入りは本当です」
「聞いている。たいした毒ではなかったこともな」
「でも、大変だったんですよ。意識を失って……」
 ナルセは咳払いをした。
「その意識が戻ってからなんだが……、あまり無責任な行動はとらなかったろうな」
 アシュは目を上下に動かした。
「俺のことを変に売り込むからこういうことになったんですよ」
「お前を売り込んだだと?」
「ハザーっていう人は俺のことを大貴族にも匹敵する人物と言ったそうです」
「大貴族にも匹敵……か」ナルセは改めてアシュに見入った。
「なんでそんなことを言ったんでしょうね?」
 あっけらかんとしたアシュ。考え込むようなナルセの表情を見て話題を変えた。
「ナルセさんはハザーさんに会ったことがあるんですか?」
「大神官長だ」
「それは聞きました」
 ナルセは「ハザーさん」ではなく「大神官長」と呼べという意味で言ったのだが、偉い神官の一人ぐらいにしか考えていないアシュにはどうでもいいことだった。そもそも自分と関係のない組織の面倒な肩書を覚える気がない。
  ナルセはあきらめたように首をふった。
「もちろん、会ったことがある。そのうちお前も会うことになるだろう」
「そうですか」
 ひょうひょうとしてこだわりのないアシュを見ながら、ナルセはこのときもアシュを透かしてさらに遠くを見るような目をしていた。その脳裏に浮かんでいたのは、プラチナブロンドの短髪、目つきが険しく、大柄で引き締まった体格の男、アシュの父ジュートの姿であった。


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ベラチェクの転向

 エリース軍はアルメノ包囲を解き、ベラチェクから撤退した。敵の脅威がなくなったのでラード軍もまた国へ戻った。しかし、その後のベラチェクの対応にラード王宮政府は震撼した。王も政権も変わらなかったが、手のひらを返したようにラードとの同盟関係を破棄、親エリースへと方向転換を図ったのだ。
 そして、反ラードの気運が高まっていたベラチェクの人々の間にはエリース側につくことに対する抵抗があまりなかった。また、反乱は元々エリースの援助を受けていたから、エリースが引けば政権が同じでも反政府運動はおとなしくなる。
 ラードとベラチェクとは長年寄り添って信頼関係も強かった。ベラチェク、特に都アルメノはラードの首都シフォンの対岸にある。ここがエリースの影響圏に入ったとあっては心臓に刃物を突き付けられているようなものであった。
 ラードは再び出兵を考えたが、そのころにはアルメノから引き上げたはずのエリース軍がいつのまにか再び入りこんでいて、もはや奪回の見込みはなかった。

 ベラチェクの親エリース路線への転向はアシュによる《交渉》の功績とされた。しかし、アシュ本人は褒章されてもあまりうれしくなかった。自分が王を説得したわけではない。王女の気を引くことはできたのだが、娘の口ぞえで父王がエリースに鞍替え? 考えにくい。気持ち悪さの残るベラチェク遠征であった。

 ところで、王がエリース支持を表明する前にベラチェクの一地方都市モスで地震があった。建物がほぼ全壊し、多数の死傷者が出た。人々は祟りと恐れ、ラードが反乱鎮圧時に寺社を破壊したり、信仰を集めていた大木が傷つけられたためと、もっぱらのうわさであった。うわさは全国的な広がりをみせた。ラード兵士が傷をつけた御神木ほか聖なるものは各地にあったので、恐れおののく住民が祟りを避けるには冒涜者と手を組んでいてはいけないと王にラード離れを促す集会が各地でもたれた。中には暴動に発展するところもあった。内戦を恐れる王は再度反乱を起こさせないために、ラード圏から離れることを宣言した。
 エリースへの転向の表向きの経緯は以上であったが、これにはさらに裏があった。

 ベラチェク王は城の居室の窓から外を眺めていた。城からはメノ側をはさんだ対岸のラードが見える。じっと川向こうを眺めていた。憂いに満ちた王の目は寂しそうであった。 
「ハザーは大地をも揺らすことができるのか?」
 王の背後にはターシュ。
「信じがたいことですが、あくまでもラードに信を尽くすというのであれば、次はアルメノであると彼が警告してきたことは事実です」
「この都を破壊するわけにはいかない」
「王……。ご無念、お察しします。いずれ、いずれはまた……」
「エリースでもラードでも、どちらでもいいのだ。ただ、ベラチェクに栄えあれ……と、そう祈るばかり」
「御意」
 王は窓に背を向け、部屋の内側にいるターシュに向き直ると、
「ターシュ、リントはどうしている?」
「利発なお子でいらっしゃいます。もう字を覚え始めにおなりです」
「そうか」
 王子の成長を思いながら、王の表情が少し和らいだのもつかの間、すぐにまた暗く沈んだ。
「あの子が大きくなる頃、このベラチェクはどうなっていることであろうなあ」
「王、私どもの力が至りませんで……」
「いや、力不足はこの身である。ブリューのほうが、よほどやり手かもしれんな」
 ターシュは息を呑んだ。
「王、ご退位などお考えではありますまいな」
「心配するな。ブリューはまだ若すぎる」
 ターシュはほっと胸をなでおろした。
「リント王子もすくすくとお育ちになっていらっしゃいます。早まったことはなさいませんよう!」
「うむ。ところで、地震のあったモスの町にはエリースが早速救援を送ってくれていると聞いた」
「壊しておいて、善人面で救援というのが、厚顔無恥というか、何と言うか……あきれたものです。でも、人身掌握術はラードのはるかに上をいっておりますな」
「まったくだ」

   第七章 『ベラチェク』 完


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奥付



鳳凰の舞8 ~ベラチェク~


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著者 : 慈鈴(じりん)
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