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ぼくが半年も掛けて「行きつけのバー」を作ろうと思ったのは、これからはちゃんと楽しく暮らしていこうと決意したからで、何でそう思ったかというと、3年付き合った柚佳に二股を掛けられていたことが判明してその上、ぼくの方が浮気相手で、そして彼女の友人たちにぼくは陰で「みるくくん」って呼ばれていて、何でそんな萌え萌えしい名前かっていうと、ぼくが彼女にねだられて、たびたびMILKのカバンやアクセサリーをプレゼントしていたからで。

 

柚佳は「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだよ」「ユウキくんのこと好きだよ」「大事に思ってるよ」言ってたけど、それ以上付き合うことにぼくはもう耐えられず、自ら別れを告げた。

 

 表面上はぼくがフッた形式に納まったけれど、実質めちゃめちゃに傷つけられたのはぼくの方だ。

 

 つらい。

 ……つらい。

 ……つらたん。

 

そうして日々ののつらい思いを積み重ねてると、階段が出来たので、そこを駆け上がって、大空へ飛び立とうとしていた、まさにその瞬間、トラウマに触れられてぼくは墜落する。

 

 店を出たら、外は深夜で、冷ややかな空気がぼくを包んだ。

 

 いつの間にか電車は終わっていて、商店街を歩く人の姿はまばらだ。

 

 こんな気持ちで家に帰っても腐るだけだから、ぼくは街を闇雲に歩く。

 

 北口から三番街商店街へ抜けて、そこから踏切を渡って南口を一周すると高架上の連絡通路で線路をまたいで北口に戻って、雑貨屋のT字路を右に曲がった時にはもうぼくは、泣いていることを隠す気持ちがぶっ飛んでいて、「ひぐっ、うぇっ、あぁぁぅうぅぅ」と鼻水を啜りながら歩いていた。

 

 眼球が熱を帯びて頭が痛い。

 

 霜月終わりの冷たい空気じゃ、こんなの冷やせないよ。

 

 もう自分が酔っているのかどうかも分からない。

 

 ヘロヘロだった。


 そうして知らない路地ばかりを選んで、暗い道を何度も曲がっているうちに、大きな神社の前に出た。

 

 石造りの鳥居は立派で、中にはしめ縄の巻かれた太いご神木もある。

 

 こんな所に神社があったなんて。4年もこの町に住んでいるけど、全く知らなかった。それはぼくがよそ者だからだろうか? 

 

 まぁいい。ぼくは今年の初詣(1月3日)の時に、柚佳が言ってた「神社では隅っこを歩くんだよ。真ん中は神様の道なんだから」に何となく逆らえず、石畳の隅を選んで鳥居の中に入る。

 

 深夜の神社は何だか怖い。

 

 暗闇の中では在るものが見えず、静けさは何かが起きる前のタメみたいに感じた。

 

 凛とした空気が夜の中で鋭さを増し、こちらを狙っている気がする。 

 

 これが畏怖と云うことなのだろうか?

 

 普段ならこんな場所には絶対に入らないのだけど、今日はもうどうでもいい気分だった。

 

 もし神の怒りに触れて死ぬのなら、それも悪くない。

 

 闇夜の中を歩いて行くと、右手に手水場が見えた。けどやっぱりなんだか不気味で怖くていつもなら何とも思わない、石彫の龍が水を吐いているヤツですら、近寄りがたい神々しさを感じてしまって、多分被害妄想みたいなものだけど、でもやっぱり怖い物は怖い。ぼくは手水場をスルーする。

 

「あ〜っ! 神さまに会う前にちゃんと手をきれいにしなきゃダメなんだからねっ。しつれーだよっ!」

 

柚佳がいたらこう言うかな。

 

 そう思うが否やぼくの心はズキンと重たく脈打って、そのままストンと胃の中へ落ちた。衝撃でキリリとする。痛い。でもナイス瞬発力・オブ・マイハート♡

 

 ぼくは自分の心の傷の具合を確かめたくて、時々わざと柚佳のことを思い出す。

 

 まだ好きな訳じゃない。

 

 柚佳とはあれ以上一緒にいるのは無理だった。

 

 ぼくを苦しめているのは「上手く出来なかった」という思いだ。


 柚佳は明るくて、よく笑って、ヘンな本ばかり読んでるちょっと変わった女の子で、柚佳みたいな女の子はきっと他にもいるんだろうけど、そういう女の子でぼくが知っているのは柚佳だけで、ぼくは彼女に魅了されてしまった。

 

 柚佳より可愛い子なんて沢山居るし、それに美人って感じでもないからあいつの見た目で「萌え!」って思う所なんてほんと数える位しかなくて、でもその分、そういう所が強烈に愛おしかった。って思い出したらまたちょっと「ぅえぇぇぇ……ひぐっ」ってぶり返した。

 

 悲しみが真夜中の神社にビビってた気持ちを凌駕する。

 

 ぼくは上手くやれなかった。

 

 大好きだったから愛情を注いだ。

 

 でもダメだった。

 

 そのことがぼくに無力感を与える。

 

石畳の道を進んで行くと、階段の前に出た。ここまで来たら当然、とぼくは「いーちにーさーん」とクセで数えながら十三段を上りきると、息を吐いて顔を上げた。

 

 石床が3mほど続いた先に、木造の立派な本殿が姿を見せる。

 

 それは闇夜の中で圧倒的な存在感を持ってぼくを威圧する。けど負けない。鼻水を拭って賽銭箱に向かう。折角来たんだから祈ろう。願いを叶えてもらうんだ。苦しいときの神頼みだよ!! 涙がこぼれる。

 

 でも近くに行ったら判った。

 

 賽銭箱だと思っていた物は、三つ並んだ木箱だった。 

 

 そして箱の上には、赤い着物(べべ)着た金髪のおかっぱ頭の女の子が素足で寝転んでいる。

 

 おかっぱ頭×赤い着物×神社×深夜から、導き出される解は「こんなのまるで怪談じゃないか!」しかないから、ぼくは一応その言葉を心の中で繰り返し呟く。だけど棒読み。

 

理由は分かる。この子は何か怖くない。感情は直感の鏡で、ぼくの心が不安で波打たないのはきっとそういうことなのだ。そしてそんなことより、素足が寒そうなことの方がぼくは気になる。

 

 寒そうな女の子がいるんですよ〜。

 

 ぼくがそう思った瞬間、少女はガバッと起き上がると

 

「なーにー! やっちまったな!」

 

ヘリウムガスを吸ったような声で叫んだ。


 

驚いたぼくは何も言えずに、少しの間彼女と見詰め合う。だけどすぐに彼女は拳をぶんぶん振り上げて

 

「女は黙って愛されたい! 女は黙って愛されたい!」

 

と言って、また大きな瞳でぼくをじっと見る。

 

その表情は何か言葉を待っているようだった。

 

「え……っと、お、男だって愛されたいよ……?」

 

恐る恐るぼくは、その目に応じてみる。

 

すると彼女は「正解〜っ!」と言って、箱の上からぴょんと降りると「えへへー」と笑ってぼくを見上げた。背が低かった。小学5年生という感じだ。けれど顔付きは、10代にも見えたし、20代前半くらいにも見えた。頭にはリボンを幾つも着けている。

 

「何しに来たの?」

 

彼女はぺらぺらの声で言う。

 

「うーんと、お願いごとって言うの?」「あー」「だから、お賽銭、入れようと思って」

 

「あーなる」

 

あなると言ったことをツッコんでいいのか、でも言葉の上とはいえアナルにツッコむのってどうなのとぼくが逡巡したのも束の間、彼女は言葉を続ける。

 

「うち、そういうのやってないからね」

 

「えっ。何で?」

 

あーなる。ぼくは彼女の口振りから、ここの巫女さんなのか、と勝手に結論付ける。

 

「これ、見た?」

 

彼女は自分の背後にある、三つの木箱を指した。

 

よく見ると、箱にはそれぞれ

 

【疑うこと】【赦すこと】【愛すること】

 

と書いてあった。

 

「うちが集めてるのは、お賽銭じゃなくてこれ」

 

女の子は口角を上げて言う。

 

「どういうこと?」


「紙に書いて、この箱に入れるのよ。それでおしまい」

 

彼女はにこにこ笑顔でぼくを見詰めた。

 

「まだ判んない?」「うん」「疑うことと、赦すこと、それから愛することって生きるために必要なことなの」「うん」「でもね、そんなの人間が一人で全部やると大変でしょ?」「まぁそうかも……」「そうだよ。だって人間はすぐ死んじゃうのに、することが沢山あるんだからっ。おいしいご飯を食べたり、歌ったり踊ったり、ねっ?」

 

ぼくは黙る。そういえば柚佳も同じようなことを言っていた。

 

「疑うことも赦すことも愛することも、全部自分で背負い込むと、物凄い時間とエネルギーがかかるじゃん? こういうのって、本来は神様のお仕事なんだよっ」

 

赤い着物の裾を翻して、少女は彼女の背にある箱の裏から紙とペンを取り出した。

 

「今の人はね、みんな自分でなんとかしようとしすぎ。だからすぐ疲れちゃうんだよ。そんなの全部神様に任せて、楽しいことだけすればいいのに」

 

少女は「はい」とぼくに、紙とペンを渡すと「任せたいことを書いて、あとは神様に頼めば良いから」と言う。

 

「うーんそうだね」

 

ぼくは箱に書かれた文字を見る。疑うこと、赦すこと、愛すること……。それはぼくが囚われている事だ。

 

「でも、急に言われても難しいね」「そお? じゃあ何で泣いてたの?」「……見てた?」「聞こえた」「そっか」「何で泣いてたの?」「うーん……。トラウマってやつだよ」「何? トラウマって」「心の傷的な……」「じゃなくて、キミのトラウマの話!」「あー。……付き合ってた子がいたんだけど」「振られた」「違う。一応ぼくが振った」「じゃあなんでトラウマなの?」「二股掛けられてたんだよ」「あー」「しかもぼくが浮気相手の方」「それは別れて正解」

 

「……そうなんだけどね」

 

ぼくは俯く。彼女の小さな足と真っ赤なペディキュアが目に入った。



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