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男は私より背が高いし足が長い。身長多分175cm。私は全力で階段を駆け上がる。

「待て−!」

硬い靴底が金属の階段を踏み鳴らして、「カンカンカン!」と乾いた金属音が私を追いかけた。

三階のドアの前はスルーして、その上の踊り場を目指す。

「やだ、ちょっと、もー何っ」

私は呟く。

「あ……ごめん。何かつい黙っちゃってたね」

「違う違う、栞夏はだいじょーぶだから」

息が上がる。そうだよ、私は栞夏とお喋りしてるんだから!

錆色の踊り場へ爪先が着地。かりそめの目標地点へ達成。わたしは手摺りの隙間から男を見る。真っ黒な帽子の頭が二階と三階を結ぶ階段を上って来る。少しだけ余裕がある。今のうち、っと私は深呼吸をするとまた階段を駆け上がった。

「どうしたの? 友希、何か忙しい?」

「うっ、う〜ん……」

スニーカーのゴム底で階段を踏むとまたすぐに離陸、そして次の段を踏む。そんなことをなるべく高速で繰り返す。手摺りはしっかり握って。それが階段を早く上がるコツ!

「お〜う……」

だから栞夏に向かって言葉が出ない。気持ちはあるんだぜ、気持ちは!

「これ以上逃げても無駄だぞ! 覚悟するんだ!」

ひいっ。声にならない。一体私は何の犯人だと思われているんだろう。四階に着いた。たしかにこれ以上階段を逃げても無駄、っていうか、無理。 私はビルの中へ続く四階の扉を開く。

中へ入るとフロアは薄暗かった。所々電球が切れている上に、全体に埃っぽくて薄暗い。どうせあの男にここへ来た事はバレているのだろう。私はまた走る。空きテナント、シャッターの閉まった店、誰かの自宅のような雰囲気の喫茶店、古着と亀の置物を売っているお店などが視界を通り過ぎて行く。

同じビルでも8階とは大違いだ。

8階はどのテナントも生きてるし、照明の管理だってちゃんとしてる。

「ごめんね、友希……。こんな話ばっかじゃ、面白くないよね?」

「うっ、ううんっ、そんなこと……っおぉーっ!」と、ここで私はやっと閃く。エレベーターに乗ろう。

「どうしたの?」

「ごめん、今ちょっと。あ、でももう少ししたら、多分落ち着くから!」

エレベーターはフロアのだいたい真ん中で、たしかテナント10個分! 暇な時に館内案内見て数えたからねってか、感覚的にそろそろだ! と思った辺りで二つ並んだ銀色の扉が目に入る。上でも下でもいい〜! とにかく私を連れ去って♡♡ と私はボタンを二つ押した。

「大丈夫?」

「ん! だいじょぶそぉ〜!!」

妙にテンションが上がってる。

後の私は「この時ほど生きてる!って感じたことはなかったですね」などと語るのだろうかとか思ってニヤニヤしてたら、バーン!と扉が開いて騒々しい足音と「犯人〜!」という男の声、そしてもう一人分の足音と「待って下さいよぉ〜」という少女の声が響いた。

おっ、お〜い! 早く、早く来てぇぇぇ、と私は意味がないと知りつつもエレベーターの▲▼ボタンを連打する。バチバチバチッ。軽快な音が鳴って「タップダンス?」と栞夏が聞くけど「えへへー」と言うので精一杯で、上手い返しなんて出来ない。

エレベーターの現在地を表すランプが6階から7階に移る。ってこれダメなパターン! と私はもう一方のエレベーターを見ると、2階、3階、とランプが上がって来くるからひとまず安堵の息を漏らすが否や、4階を示して、銀色の扉が開く。

「おー……い! 待てぇー……」

男と少女はまだ古着と亀の店の辺りだった。二人はもう走っていない。早足だった。

エレベーターに飛び乗ると、私は急いで【▶◀】扉を閉める。

 

 


「あー、わたし、友希くらいだなぁ。こんな話が出来る友達って」

「そうなんだ」

私は8階のボタンを押した。

エレベーターは私の身体を上へと運んでいく。曇った鏡に、頬を紅潮させた自分が映っている。私は乱れた前髪を直した。

「うん、だって、萌絵とかさー愚痴の内容が何かもう違うっていうか」

「あー」

「立場が違いすぎて慰められないって言うか」

「うーん、私からしたら、萌絵はあれでも楽してると思うけどね……」

「まぁ……友希はね……」

「でもさー、私のつらさと萌絵のつらさって別モノだから、何とも言えないけどね!」

「そうだね。なんかさー、学生時代の友達って、いつまでも仲良しでいられないのかなあ?」

「どうして?」

「うーん、なんか、嫌いって訳じゃなくて、もう生き方とかが違うからさぁ、余り深い話も出来ないし……」

「あぁ、この前本で読んだよ。『女は人生のステージが違うと話が合わなくなっちゃう』とか」

「そうなんだよね。だから無理して付き合い続ける必要ってないのかな? って思って」

「無理はしなくていいんじゃない?」

「まぁね」

「でも私もこの前似たようなこと考えてた。それでも友達で居ようと思うのって何でだろうって」

「?」

「あ、いやいや。悪い意味じゃなくてさ。人生観とか違うのに、仲良くしようと思うのってさ……」

「あぁ、何だろうね?」

「でね、考えたんだけど、やっぱこの人が……萌絵とか栞夏に限らずさ、他のみんなも、信用出来る人間だって知ってるからかなって思って。無防備に自分をさらけ出しても大丈夫、って信じられる相手って出来そうで出来ないじゃん。だからかな、って思って」

「なるほどね〜」

エレベーターが八階に着いた。扉が開く。

向かって右手はバイト先の雑貨屋だから、わたしは左手の方へ行く。休憩時間はまだあるし、もう少し栞夏と喋りたい。

とはいえ、何時あの黒スーツの男とその取り巻きっぽい少女が来るか分からないから、わたしはフロアから出てまた外階段の、8階と9階の間の踊り場で話すことにする。

移動する間、栞夏は友達にも共感できないけれど、それ以上に自分のことも分からないと言っていた。もっと自分を見つめ直したいと。その話を私は「そうだね、いいことだと思うよ」などと励ましていた。

8階と2分の1の場所からは、人々の頭は見えてもつむじまで見えない。面白くない。胸ポケットに入れていたサングラスを掛けた。私は急に、あの男に対して苛立ちが募る。何も悪いことをしてないんだから、逃げる必要はなかったんじゃないだろうか。

あの人たちは今頃8階を探しているだろうか。それとも7階か9階か。そうして疲れて諦めて帰って仕舞えばいいのに。一体私を何の犯人だと勘違いしているんだ。

「また二人で飲みたいね」

「一晩中、安いお酒でさ」

「そうそう。で、次の日はうどん」

いつ叶うかわからない約束に二人でへへへと笑うと、その時、ば〜ん!! と8階の扉が開いて、あの黒スーツの男が現れた。

「これ以上逃げても無駄だ! 覚悟しろ!」

男は私を見上げて、黒ぶち眼鏡の奥から睨む。その後ろには少女の陰が見え隠れしていた。

「ちょっ……さっきから、何なんですか! おかしいですよ!」

私は立ち上がる。

「どうしたの、友希?」

栞夏が不安そうな声を出す。

「あ……、ちょっとゴメン。今、外なんだけど、なんか変な人が居て……」

「なに独り言言ってるんだ!?」

男が言いながら、階段を一歩ずつ上ってくる。私もじりじりと上に逃げる。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。ちょっと落ち着いたらまた掛け直すわ。急でごめんね」

「わかった。うん、ばいばい」

わたしは、通話の終わりは栞夏に任せて、イヤホンを外すと電話(iPhone5)を尻ポケットに突っ込んで一目散で9階に向かった。

 


9階のフロアへ繋がるドアを開いて中に逃げようと思ったけれど、男たちは私に近いところまで迫っていて、一度立ち止まるとすぐに掴まりそうだったから諦めた。私は屋上への階段を駆け上がる。屋上から中へ通じる階段でもあれば良いんだけど。繋がっているかどうか、私は知らない。

「諦めるんだ!」

「そうですよっ!」

男の声と少女の声が追いかける。階段を上りきった私は屋上へ着いた。

空模様は曇りだった。天気予報では20%だったのに。ひとタコ降りそうな天気だ。

屋上は2mほどの柵でぐるりと囲まれていた。一面コンクリートで、大きな給水タンクとエアコンの設備らしき大きな機械があるより他には何もなかった。アテが外れた。屋上とビルの内部は繋がって居ない。

「そこまでだ!」

振り返ると、スーツの男が、私にピンク色の水鉄砲を向けていた。

「おとなしくするんですっ!」

セーラー服の少女が男の半歩後ろから顔を覗かせる。

私はもう逃げることを諦めた。

「あの……さっきから何ですか? 私、犯人なんかじゃありませんよ」

「じゃぁ何故逃げる?」

男は私との距離が1mほどになった所で足を止める。

「いや、ヤバい人だと思って」

「そうだろう? それは心に疚しいことがあるからだ。犯人にとっての『ヤバい』人間は、探偵だと相場が決まっているからな」

「探偵なんですか?」

「そうだ」

「先生は名探偵なんですっ」少女が言う。

「人呼んで『囚われ探偵・トラウマ』とは俺のことさっ!」

男が爽やかな笑みを見せた。

よく分からないことについては、否定も肯定もしないよ、私は。

「……名探偵なら分かりますよね? 私が犯人じゃないってことくらい」

「分かるさ。お前が犯人だって事くらい」

「……何の犯人だと思ってるんですか?」

私は彼を睨んだ。生臭い風が頬を撫でる。

「お前はこの囚われ探偵トラウマを殺す犯人だ!」

「はぁ!?」

「戸惑うのも無理はない。お前はまだやってないんだからな。だが、これからやるのだ」

「そうですよ。この名探偵・トラウマの手に掛かれば、どんな人も犯行を犯さなくてはならなくなってしまうのです」

少女が得意気な顔をした。

不気味に感じた私が黙っていると、彼女は更に言葉を続ける。

「あなた、サングラスを掛けてますね。それが何よりの証拠です。犯人はサングラスを掛けているんですから!」

「そんな理由でっ!?」

妙な言いがかりを付けられちゃたまんない。腹が立ったのもあって、私はサングラスをバッと勢いよく外してコンクリートの床に叩き付けた。すると、同時に『恋愛運UP』をうたったパワーストーンのブレスレットも腕を抜け、ゴム紐が切れてピンクや白の石がばらばらになって飛び散った。サングラスのレンズも外れている。

めちゃくちゃだ。

「これが犯行のトリガーだ。この『恋愛運UP』のブレスレットが壊れたことで、恋愛に絶望した犯人は、持っていた紐状のモノで探偵の首を絞め……」

囚われ探偵が語り出す。

空が磯臭い。ポトッと私の頭に小さなものが当たって落ちた。足下を見ると、小さな赤いタコの足の切り身だった。

 


空を見ると、ぽつぽつと、タコの足の切り身が落ちてきている。

今日はたしか、降タコ確率20%だったのに。でも最近時々こうやって、ゲリラ降タコがあったりする。

「か、傘っ!!」

囚われ探偵トラウマがその場に膝を付いて崩れた。

「はいっ!!」

助手はトートバックの中から紺色の折りたたみ傘を出すと、大慌てで拡げて、探偵にパスをする。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

探偵は目を見開いて苦しそうに喘いでいたけれど、傘を手に再びゆっくりと立ち上がった。

「まさかタコが降ってくるとはな……。天気予報はいつだって嘘つきなのさ……」

「先生ッ、無理しないでっ!」

少女は傘を持っていない。まぁ、私だってタコ足くらいじゃあまり傘を差さないけれど。タコ足って言ったって、降ってくるのは茹でた状態のモノだからだ。

「真実から見付ければ、謎なんて生まれない! 犯人はお前だ!」

囚われ探偵トラウマが人差し指で私を差した。山高帽、黒縁眼鏡、髭、スーツ。この四つのアイコンは私の好みそのものなのに、こんなことされちゃこの先、眼鏡男子を愛せるかどうかわかんない。眼鏡男子を見る度に、名探偵トラウマのことを思い出しかねない。

なんてことしてくれるんだ。この人は。

私は黙っている。

探偵も何も言わない。

信者らしき少女も。

タコ足の切り身が探偵の肩に落ちる。

「うわっ」

探偵は顔を上げる。

「わーっ、あああああっ!」

傘には穴が開いていた。

暗雲が空に立ちこめて、タコの足がずだだだだと間断なく降り注ぐ。

生臭い。

探偵はその場に跪いた。手放した傘が、風に吹かれて飛んでいく。

「うっ、うぅっ……っ、えぇぇぇっ」

探偵が嗚咽する。

「何でっ、あぁぁぅぅうぅぅっ、もうちょッと、ってところで……また、うっうぅぅぅぅっ」

「先生、大丈夫ですよ。もう大丈夫です」

少女が探偵の背中をさする。

「おぇっ、うえぇぇえぇっ」

探偵が口元を抑えたけれど、間に合わなかったようで、口から何かの塊を吐き出した。

少し大きめのソーセージのようだった。

「うっ、うぅっ……まただよぉ……っ、また出てるよぉっ……」

少女は困ったような、悲しそうな顔付きでただ背中をさすっている。

「何で、もう……っうぅぅぅっ」

探偵がえづいて、ソーセージがまた一本出た。さっきのと繋がっている。

「こんなの、もう、嫌なのに……っ」

喉からソーセージを垂らして、探偵が泣きじゃくる。たこ足が彼の背中を叩いて、落ちた。

探偵はソーセージを掴むと、引っ張って繋がっているソーセージをずるずるずるっと4本ほど出した。

「無理しないで下さい」少女が言う。

「いや、俺は無理をするよ……」

彼は更にソーセージを引きだす。

「いい加減もうやめたいんだ……」

「でも、こんなのキリがありませんよっ! 切るか飲み込むかしないと、収まりません」

「うぅ……」

繋がったソーセージを出したまま、彼は肩を震わせる。

どうやら非常時らしくて、二人はもう私の事なんて忘れている様だ。

この隙に逃げようか、と私は後ずさりする。

すると、尻ポケットの電話がピコピコッと通知を告げた。

慌てて電話を出すと、繋がったままのイヤホンもずるるっと出てくる。

栞夏? と思って画面を見るけど、通知は、ゲリラ降タコを知らせる天気予報サービスからのものだった。

7年前から、雨の代わりに時々タコ足が降るようになっている。

理由は未だに解明されていない。

ニュースでは「異常気象」にカテゴライズしているけれど。

探偵は背中を丸めて嗚咽を上げている。

哀れな泣き声が降り注ぐタコ足の中に響いて、この人ラクになれないのかなあと思いながら、電話をまた尻ポケットに突っ込もうとしたところで、私は手の中のイヤホンに気付く。

『犯人は、持っていた紐状のモノで探偵の首を絞め……』

探偵の言葉が蘇る。

どうしよう。私はイヤホンの紐をぴんと伸ばして、考え込んでしまう。

 

 

おしまい


奥付


囚われ探偵トラウマ

2014/11/11 


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著者 : 蜂子
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