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お題:「雨」「自転車」「階段」

『ザー……』という鳴り止まない音。
 それは降り止まない雨。

 こういう酷い雨の日には使い古したビニル傘を差して僕は『その場所』を訪れる。
『そこ』はビルとビルに挟まれた暗く細い路地の先。
 さらにその突き当たりにある階段を下りた地下に『その場所』はある。

 入り口の横にはチョークで丁寧に書かれた『喫茶 大原』という小さな看板が置いてある。
 僕はその看板に書かれた『今日のお勧めランチ』の文字に目をやりながら店の扉を開く。

『カランコロンッ』

 客が訪れた事を知らせる鈴の音が店内に響く。
 店内は薄暗くアンティークな雰囲気の内装が、僕たちのお気に入りだ。
 
 誰もいないカウンター。
 いつもの事だ。
 きっと店で出す軽食の素材を買いに行っているのだろう。
 ずっと昔から僕たちはマスターに不用心だと注意しているというのに……。

 僕は、僕たちがいつも使っている奥まったテーブル席に腰を下ろす。
 この席だと、もはや外の音も聞こえない。

「はぁ……」

 分かっているのに、僕の口からため息が零れる。
 そう、こんな場所を待ち合わせに選んできたばかりに『彼女』は悲劇に巻き込まれた。

 大切なモノは失ってはじめて気付くのだ。

「はぁ……」

 僕はもう一度溜息を吐いた。
 思い起こせば、僕が彼女を店の前に置き去りにしたのがいけなかったのだ。
 だから、あんな事になってしまった。

 僕はやるせない思いでいっぱいになった。だからこの店は嫌いなのだ。

『カランコロンッ』

 呼び鈴の音と共に唐突に店の扉が開く。
 僕は新しい客を確認するために振り返る。

「……待った?」

 彼女は僕に向かってそう言った。
 僕は大切な彼女に向かって優しくこう答える。
「いいや。今来たばかりだよ」
「そう! 良かった」
 満面の笑みを浮かべる彼女。
 しかし僕の大事にしていたもう一人の『彼女』は返って来るまい。
 そんな僕の心境を表情から察したのか、彼女は僕の対面の席に座りながらこう言った。
「いい加減に忘れたら?」
「……」
 思わず沈黙してしまう僕。

「たかが『自転車』を盗まれただけじゃない?」
 
 彼女の言葉は僕の心に鋭く突き刺さった。


お題:「玉繭」「少年時代」「夢」

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 私はふと『少年時代』の一節を思い出した。

 なぜなら今も昔もまさに詩が歌うその時期だったから。

 あの時、私は着物と帯をこれまでしてきたように丁寧に畳んで桐衣装箱に仕舞っていた。
 すると、久方ぶりに家に戻ってきている娘が私を見てこう言った。
「それ……、まだその帯使っているんだね」
「うん?」

 私は最初、娘の言葉の意味を理解できなかった。

「それ、私が小学生だった頃から着ているじゃない?」
「……そうかもしれないわね」
 娘の言うとおりだ。
 この玉糸で作られた帯は昔、私がお義母さんから譲り受けたものだ。
 着物こそ着古してダメになってしまったけれど、帯だけはいまもまだ大切に使っている。

「近いうちに、この帯はあなたにあげるつもりでいるのよ」
「ええ……、いいよ。別に……」
 娘は迷惑そうにそう言った。
 でも、この帯にはお義母さんの夢が込められている。
 玉糸の素材は玉繭。
 そしてそれは二匹以上の蚕が一緒になって初めて出来るもの。
 だから私はその事を娘に知っておいて欲しい。
「あのね、この帯は玉糸といって、二匹の蚕が一緒になって……」
「ああ、もういいよ。お母さん」

 娘は面倒くさそうに私の言葉を遮った。

「お母さんがそんなに言うなら遠慮無く貰うよ」
「ありがとうね」
 私は娘に礼を言う。
「どうしてお母さんがお礼を言うのよ」
「ふふふ、そうね。おかしいわね」

 私は娘の顔を見て微笑んだ。
 娘もまた私を見て微笑んだ。

 そう、私の娘はもうじき結婚する。

「幸せになってちょうだいね」
 私は小さく呟いた。
 すると、娘にはそれが聞こえていたのだろう。
「お母さんみたいになるよ」

 あの頃そう言ってくれた娘ももうじき母親になる。

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 この時期は私にとってもあの子にとっても一生忘れられない季節になるだろう。

お題:「約束」「館」「人々」

 赤いホンダのビートは快調にスピードを増していく。
 運転席の彼は真正面を見据えたまま助手席の私に向かってこう言った。
「一体、何年ぶりだろうねぇ……」
「?」
 私は彼の言葉の意味を理解出来ずにいる。そんな私を気にするでも無く彼はこう続けた。
「あの館をもう一度訪れる事になるなんて想いもしなかったろ?」
「え?」
「ああ、あれは確か真理がまだ小さい頃の話だから覚えていないか」
 そう言いながら彼はカーブに対してハンドルを切る。
 ビートは運転手の指示通り絶妙の曲線を描きながら細い山道を上っていく。
「真理、あそこに見える館が僕たちの目的地だ」
「あの建物のことかしら?」
 彼が言うように古びた洋館が私たちの直ぐ先に見えてきた。
「そうだよ」
「あそこで何かあったの?」
「……」
 彼は私の問いには答えず、洋館の脇に車を駐めた。
「さぁ、降りてくれるかい?」
 彼はそういとエンジンを止め車を降りた。私も置いてけぼりを喰わないようにシートベルトを外すと彼の後を追いかけた。
 彼は洋館に入ろうと扉に手をかけたが、どうやら鍵が掛かっていたらしい。
「ふむ。中には入れないね」
「……」
 彼は一体洋館の中で何をしようとしていたのだろう?
「まあ、いいさ。別に洋館に入る必要は無い。重要な事は僕たちがここにいると言うことだ」
「あの、もう少し詳しい事情を教えてくれないかしら?」
 彼は洋館の入り口の階段に腰を下ろした。
 そして独り言のように語り始めた。
「かつてここには多くの人々が訪れていたのだよ」
「……」
「彼らの目的は一つ。とある儀式を遂行するためだった」
「儀式?」
「そうだ」
 日暮れが近づくなかで彼は言葉を選びながら続ける。


「大抵の宗教儀式というものは一般の人間には理解されないものだ。そしてそれ故に彼らはカルト教団などと呼ばれるようになったのだ」
「カルト……?」
「それは儀式の当日起きた。公安がまさにその日を狙ったかのように彼らの一斉摘発に乗り出したのだ」
「えっ?」
 薄暗いなか彼の瞳だけが爛々と光って見えた。
「結果として教団の儀式は中止を余儀なくされたのだ……無論教団は壊滅した」
「その儀式って……」
「幼き巫女を生け贄に捧げるというものだ」
「!?」
 彼はゆっくりと立ち上がり私に近づいた。
「あの時『僕』は司祭として本当は巫女を捧げることが出来たのだ……」
 私は震えながら彼から一歩離れる。
「だが、僕は情けのある司祭でね。彼女とある約束する事で儀式を中断したのさ」
「!?」
「彼女は言った『後10年命を伸ばしてくれれば、潔く生け贄になる』と……もう分かるね? 君がその子だよ」
 全く思い出せない。
「そしてまさしく今日がその約束の日なのだよ」
 逃げなければ! 
 ダメだ! 
 足がすくんで逃げられない!

 唐突に彼は笑った。
「はっはっは!! 冗談だよ」
「へっ?」
 私は呆気に取られる。
「ちょっとしたジョークだよ」
 私は心底怒った!
「やめてくださいよ、もう! 信じるところだったじゃ無いですか!」

「本当にすまなかったよ」
 しかし、この時私はまだ気づいていなかった。
 彼の後ろ手に隠し持った銀のナイフに……。


お題:「破綻」「オルゴール」「思い出」

 映画や小説でハッピーエンドを描いた物語をよく見かける。
 それらは決して破綻することがない。
 果たして僕たちは彼らと同じように艱難辛苦を乗り越えて、同じようにハッピーエンドを迎えることが出来るのだろうか?

 愚問だ。
 全くもってナンセンスだ。
 破綻の無いストーリーだって?
 そんなものこの世にはありはしない。

 世の中にある物事全てがいつかは無に帰るのだ。

 それが世の定め……。
 きっと誰にも変えることの出来ない定めなのだ。

 世の中が厭になると書いて『厭世』。

 まさに今の僕を一言で表現するならこの言葉をおいて他には無いだろう。
 荒んでしまったアパートの部屋で僕は一人自嘲気味に思い出に浸る。

 そういえば君の入院が決まった頃、僕は決して諦めようとはしなかったっけ。
 なぜなら当時の僕もまたハッピーエンドを夢見ていたから……。
 君と僕の二人のハッピーエンドを夢見ていたから……。

 なんて甘ったれだろう。
 馬鹿野郎だ。

 君と僕の物語もまたあの時からいつ破綻したとしてもおかしくはなかったというのに。

 今、僕は部屋の片隅においてある古い箱に目を向ける。
 古いけれど綺麗な箱。
 手作りの箱。
 大切な箱。

「これあげる」

 そういって病室のベッドの上の君が僕にくれた最後の贈り物。

「私がいなくなったら時々開けてね……」
 君は力なく……それでいてせい一杯優しくはにかみながら僕にそういったんだ。でも結局、そんな君に対して僕は気の利いた言葉一つかけてやれなかったっけ。
 
「ごめんな」
 一人きりの僕はポツリと呟く。
 もうこの世界からいなくなってしまった君を想いながら……。

 僕は静かにその箱を開く。

 君の願い通りに。
 
 たどたどしく流れ出す君と僕の好きな懐かしいあのメロディ。

 彼女がくれたオルゴール。

 そのメロディは今の僕にとって、思い出よりも少しだけ暖く感じられた。

お題:「写真集」「天井」「鬼」

「違うのよ、これはちょっとした誤解なの!」
 私は必死で彼を説得する。
「一体何が違うって言うんだ!」
「女の子なら誰だってする事なの!」
 そう私がした事は『大切な彼』がいる女性なら誰だってすること。
  だから私に負い目は無い。
「女なら誰だって……だと?」
 私の『大切な彼』は怒っている。
 何とかして宥めなければ……、適当な言い訳を考えなければ……。私は必死で考える。
「そう、そうよ。例えば、彼氏が大事に持っている写真集に昔の彼女の写真が残っていたなら、それを処分してしまいたくなるでしょう? それと同じ事なのよ……」
 私は彼に理解して貰うべくできる限り優しい言葉で語りかける。
 しかし鬼のような形相で彼は私ににじりよる。

「お前は何を言っているんだ!?」

 ああ、どうして彼は分かってくれないのだろう? 
 理解してくれないのだろう? 
 私はこんなにも『あなた』の事を大切に思っているというのに……。
 愛おしく思っているのに。

「俺の大切な陽子は!?」

 どうして、あなたはそんな昔の女の名前を持ち出すの?
 もう済んでしまったことでしょうに……。

「お前は俺の『大切な陽子』をどこへやった?! 質問に答えろ!」

 ああ、もう。そんなに大きな声を出したらアパートの隣の部屋の学生にまで聞こえてしまうじゃ無いの、仕方の無い人ね。
 でも、こんな状況なのに世間体を気にしている自分に私は思わず笑みが溢れてしまう。
「うふふ……」

「くっ! お、お前は、一体何がおかしいんだ!」


 私に詰め寄ろうとした彼はふと足を止めた。
 何かに気づいたらしい……。
 天井を見上げる彼。
 ああ、私だけを見ていてくれればいいのに……。

 さっき出来たばかりのあの憎たらしいシミと私の交互に目をやりながら彼は叫んだ。
「お、おい、あの天井の赤いシミは何だよ!」

 うふふ……。
 仕方の無い人ね。
 私はできる限り頑張ってはにかんでみせる。
 そう、あの時『笑顔が素敵だね』と褒めてくれた表情で……。

「陽子はどこへ行った! 陽子を何処へ隠したんだ!?」

 うふふ…………。

 私の『大切な彼』は、絶叫する。

「『お前』は一体誰なんだよ!!」


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