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お題:「必要悪」「多数派」「船」

 世界中の多くの人々が堕落していた。
 いや堕落しきっていた。

 そして誰もかれもが預言者たる彼の言葉を信じようとはしなかった。
 後に彼は『旧約聖書』に預言者として名前を残す事になる。

 彼は仕方なく一隻の船を建造する事を決意する。
 彼は彼を含む家族と一緒に作業に着手した。
 彼はその日までに残された日数を計算しながら必死で作業を進める。

「審判の日は近いぞ、みんな頑張れ!」

 そん中ついにある朝、船は小高い丘の上に完成した。

 そして極めて少数ではあるけれど、彼らのひたむきな姿を目にした人々の中には悔い改める人間も現れたのだ。
 しかしそうした人々は結局堕落した多数派の迫害を受ける事になる。

 そしてついにその日はやってきた。
 預言通り多くの堕落した人々は流された。
 人だけで無くありとあらゆる者が水の中に還っていった。
 彼の家族を除いて……。

 四〇日に及ぶ大洪水を乗り切った彼とその家族はある山の中腹にたどり着く。
 長い航海の末にたどり着いた土地で彼は神について考える。

「果たして本当にこれで良かったのだろうか?」

 彼と彼の家族たちは救われた。
 しかし預言通りに失われた代償はあまりに大きかった。

「何をもって堕落と呼ぶのですか?」
 彼は船を降りるとそう呟いた。
 
 それに対して神はこう答えた。

「堕落した者は私を敬い信仰する事を忘れた。それ故に私は天罰を下したのだ」

「あまりに惨い!」
 思わず彼は叫んでしまった。
 神は答える。
「彼らもまた信なる者を選び出す上で必要不可欠な存在だったのだ」
「それでは彼らの存在は必要悪だったという事ですか?」
「……」
 素朴な疑問に神は沈黙する。
「神は悪を認めるというのですね?」 
「……」
 神は沈黙を持って解とした。

 しかしこのやり取りは神にとって不都合であったため、聖典はおろか偽典・外典からも削除され誰の目にも触れる事無く今日に至る。


お題:「サヴァン」「はじめて」「誘蛾灯」

「ふむ……」
 その男性はこの船の何かに納得したようにしきりに頷いている。
 そんな彼を不審に思った私はそっと彼に近づき声をかけた。
「お客様、何か?」
「ほう……」
 彼は何かに感心したようにこう言った。
「さすがだね」
「はぁ」
 何の事だろう?
「私の半径3メートル以内に存在しながら私の持つこの知覚過敏能力に反応しないとは……。さすがは原子力機関を守っている人間だけの事はある」
「はぁ?」
 この人は冷たい水を飲むと歯が痛むのだろうか?
 いずれにしても勝手にこんな場所まで入ってこられては、後で私が上司に叱られる。
 速やかにこの場から出て行って頂かなければ……。
「お客様、あのですね……」
 渋々説得を試みようとする私に向かって彼はこう言った。
「人は皆私の事をMr.Light Trapと呼ぶ」
「ミスターライト? トラップ?……ですか?」
 ん、邦訳すると誘蛾灯?
 カッコ悪!
「私が小学生の頃、クラスメイトから貰い受けた通り名だ!」
「ええ!?」
 クラスメイトに思い切り嫌われてるじゃん!
 絶対この人いじめられっ子だったんだよ!
「今も変わらず愛用している通り名だ」
 絶対やめた方が良いですよ!
「くっくっく……」
「はぁ? 何がおかしいのですか?」
「何も知らないというのは幸せな事でもあるが、同時に気の毒な事でもある」
 何を言っているのだろう、この人は。
 少なくとも私はこの人にだけは『気の毒』とか言われたくないし。
「まさに『無知の恥』だ!」
「『無知の知』ですね!」
 古代ギリシャの有名な哲学者の言葉を激しく間違って使ってるし。
 そりゃ苛められるわ。
「君とこれ以上話しをするつもりは毛頭ない!」
「私だってこれ以上あなたとお話するつもりはありませんよ!」
 すると男は私に居直ってこう言い放った。
「教えてやろう! この船こそ『原子力貨客船サヴァンナ』なのだ!」
「お客様……」
 あまりに気の毒なお客様に私は思わず言葉を失った。
「くっくっく。呆気に取られて返す言葉も無いか?」
 不敵に……いや不適にほくそ笑む男性。
 しかし伝えて差し上げなければ。
 なぜならこの場所には私しかいないのだから。誠に遺憾ではあるけれど……。
「お客様、誠に申し上げにくい事ではあるのですが……『サヴァンナ』は昨日出航致しました」
「?!」
「この船は旅客船『サうナ』です」
 男のゴクリという唾を飲む音が聞こえた。
「……マジで?」
 私はコクリと頷く。
「……」
 男は茫然自失といった雰囲気でしばらく立ちつくしていたが、
「マジ?」
 という最後の彼の問いかけに対して私ははっきりと答えて差し上げた。
「マジです」
 すると彼はおとなしくこの船を降りていった。
 悲しそうな背中を私に見せながら……。

 かくして世界で二番目に建造された、非軍事目的原子力動力船の初航行は守られたのだ。

 誰の手も借りずに。
 ちなみにミスターライトトラップの正体を未だに私は知らない。
 まあ、知る必要も無いのですけれどね!

お題:「雨」「自転車」「階段」

『ザー……』という鳴り止まない音。
 それは降り止まない雨。

 こういう酷い雨の日には使い古したビニル傘を差して僕は『その場所』を訪れる。
『そこ』はビルとビルに挟まれた暗く細い路地の先。
 さらにその突き当たりにある階段を下りた地下に『その場所』はある。

 入り口の横にはチョークで丁寧に書かれた『喫茶 大原』という小さな看板が置いてある。
 僕はその看板に書かれた『今日のお勧めランチ』の文字に目をやりながら店の扉を開く。

『カランコロンッ』

 客が訪れた事を知らせる鈴の音が店内に響く。
 店内は薄暗くアンティークな雰囲気の内装が、僕たちのお気に入りだ。
 
 誰もいないカウンター。
 いつもの事だ。
 きっと店で出す軽食の素材を買いに行っているのだろう。
 ずっと昔から僕たちはマスターに不用心だと注意しているというのに……。

 僕は、僕たちがいつも使っている奥まったテーブル席に腰を下ろす。
 この席だと、もはや外の音も聞こえない。

「はぁ……」

 分かっているのに、僕の口からため息が零れる。
 そう、こんな場所を待ち合わせに選んできたばかりに『彼女』は悲劇に巻き込まれた。

 大切なモノは失ってはじめて気付くのだ。

「はぁ……」

 僕はもう一度溜息を吐いた。
 思い起こせば、僕が彼女を店の前に置き去りにしたのがいけなかったのだ。
 だから、あんな事になってしまった。

 僕はやるせない思いでいっぱいになった。だからこの店は嫌いなのだ。

『カランコロンッ』

 呼び鈴の音と共に唐突に店の扉が開く。
 僕は新しい客を確認するために振り返る。

「……待った?」

 彼女は僕に向かってそう言った。
 僕は大切な彼女に向かって優しくこう答える。
「いいや。今来たばかりだよ」
「そう! 良かった」
 満面の笑みを浮かべる彼女。
 しかし僕の大事にしていたもう一人の『彼女』は返って来るまい。
 そんな僕の心境を表情から察したのか、彼女は僕の対面の席に座りながらこう言った。
「いい加減に忘れたら?」
「……」
 思わず沈黙してしまう僕。

「たかが『自転車』を盗まれただけじゃない?」
 
 彼女の言葉は僕の心に鋭く突き刺さった。


お題:「玉繭」「少年時代」「夢」

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 私はふと『少年時代』の一節を思い出した。

 なぜなら今も昔もまさに詩が歌うその時期だったから。

 あの時、私は着物と帯をこれまでしてきたように丁寧に畳んで桐衣装箱に仕舞っていた。
 すると、久方ぶりに家に戻ってきている娘が私を見てこう言った。
「それ……、まだその帯使っているんだね」
「うん?」

 私は最初、娘の言葉の意味を理解できなかった。

「それ、私が小学生だった頃から着ているじゃない?」
「……そうかもしれないわね」
 娘の言うとおりだ。
 この玉糸で作られた帯は昔、私がお義母さんから譲り受けたものだ。
 着物こそ着古してダメになってしまったけれど、帯だけはいまもまだ大切に使っている。

「近いうちに、この帯はあなたにあげるつもりでいるのよ」
「ええ……、いいよ。別に……」
 娘は迷惑そうにそう言った。
 でも、この帯にはお義母さんの夢が込められている。
 玉糸の素材は玉繭。
 そしてそれは二匹以上の蚕が一緒になって初めて出来るもの。
 だから私はその事を娘に知っておいて欲しい。
「あのね、この帯は玉糸といって、二匹の蚕が一緒になって……」
「ああ、もういいよ。お母さん」

 娘は面倒くさそうに私の言葉を遮った。

「お母さんがそんなに言うなら遠慮無く貰うよ」
「ありがとうね」
 私は娘に礼を言う。
「どうしてお母さんがお礼を言うのよ」
「ふふふ、そうね。おかしいわね」

 私は娘の顔を見て微笑んだ。
 娘もまた私を見て微笑んだ。

 そう、私の娘はもうじき結婚する。

「幸せになってちょうだいね」
 私は小さく呟いた。
 すると、娘にはそれが聞こえていたのだろう。
「お母さんみたいになるよ」

 あの頃そう言ってくれた娘ももうじき母親になる。

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 この時期は私にとってもあの子にとっても一生忘れられない季節になるだろう。

お題:「約束」「館」「人々」

 赤いホンダのビートは快調にスピードを増していく。
 運転席の彼は真正面を見据えたまま助手席の私に向かってこう言った。
「一体、何年ぶりだろうねぇ……」
「?」
 私は彼の言葉の意味を理解出来ずにいる。そんな私を気にするでも無く彼はこう続けた。
「あの館をもう一度訪れる事になるなんて想いもしなかったろ?」
「え?」
「ああ、あれは確か真理がまだ小さい頃の話だから覚えていないか」
 そう言いながら彼はカーブに対してハンドルを切る。
 ビートは運転手の指示通り絶妙の曲線を描きながら細い山道を上っていく。
「真理、あそこに見える館が僕たちの目的地だ」
「あの建物のことかしら?」
 彼が言うように古びた洋館が私たちの直ぐ先に見えてきた。
「そうだよ」
「あそこで何かあったの?」
「……」
 彼は私の問いには答えず、洋館の脇に車を駐めた。
「さぁ、降りてくれるかい?」
 彼はそういとエンジンを止め車を降りた。私も置いてけぼりを喰わないようにシートベルトを外すと彼の後を追いかけた。
 彼は洋館に入ろうと扉に手をかけたが、どうやら鍵が掛かっていたらしい。
「ふむ。中には入れないね」
「……」
 彼は一体洋館の中で何をしようとしていたのだろう?
「まあ、いいさ。別に洋館に入る必要は無い。重要な事は僕たちがここにいると言うことだ」
「あの、もう少し詳しい事情を教えてくれないかしら?」
 彼は洋館の入り口の階段に腰を下ろした。
 そして独り言のように語り始めた。
「かつてここには多くの人々が訪れていたのだよ」
「……」
「彼らの目的は一つ。とある儀式を遂行するためだった」
「儀式?」
「そうだ」
 日暮れが近づくなかで彼は言葉を選びながら続ける。


「大抵の宗教儀式というものは一般の人間には理解されないものだ。そしてそれ故に彼らはカルト教団などと呼ばれるようになったのだ」
「カルト……?」
「それは儀式の当日起きた。公安がまさにその日を狙ったかのように彼らの一斉摘発に乗り出したのだ」
「えっ?」
 薄暗いなか彼の瞳だけが爛々と光って見えた。
「結果として教団の儀式は中止を余儀なくされたのだ……無論教団は壊滅した」
「その儀式って……」
「幼き巫女を生け贄に捧げるというものだ」
「!?」
 彼はゆっくりと立ち上がり私に近づいた。
「あの時『僕』は司祭として本当は巫女を捧げることが出来たのだ……」
 私は震えながら彼から一歩離れる。
「だが、僕は情けのある司祭でね。彼女とある約束する事で儀式を中断したのさ」
「!?」
「彼女は言った『後10年命を伸ばしてくれれば、潔く生け贄になる』と……もう分かるね? 君がその子だよ」
 全く思い出せない。
「そしてまさしく今日がその約束の日なのだよ」
 逃げなければ! 
 ダメだ! 
 足がすくんで逃げられない!

 唐突に彼は笑った。
「はっはっは!! 冗談だよ」
「へっ?」
 私は呆気に取られる。
「ちょっとしたジョークだよ」
 私は心底怒った!
「やめてくださいよ、もう! 信じるところだったじゃ無いですか!」

「本当にすまなかったよ」
 しかし、この時私はまだ気づいていなかった。
 彼の後ろ手に隠し持った銀のナイフに……。



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