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三題噺

お題:「晩夏」「羅列」「がらくた」

 今は、夏の終わり……。
 世間一般の常識に照らし合わせてみても、これほど凄惨な事件を私は他に知らない。
 しかし、事件は実際に起きてしまったのだ。

 そして部屋に集まった私を含む関係者を前に探偵は彼の推理を語り続けている。

 だが、私の目の前にいる探偵が紡ぎ出すその解答は私にとっては何の意味も無い単なる
言葉の羅列に過ぎなかった。
「……という訳なのです」
 ある女性は部屋いっぱいに立ちこめた血なまぐさい臭気に耐えられず部屋の隅に屈み込んでいる。
 その側で男性があからさまに気丈な様を演じて、女性に言葉をかけている。
「大丈夫かい?」
「ええ、何とか……」
 その女性は探偵に向かってこう尋ねた。
「しかし、一体そんながらくたを使って本当に殺人など可能なのですか?」
 彼女はとても探偵の言葉を信用出来ないといった様子だった。
「可能です。いえ、がらくたに見えるからこそ犯人はこの凶器を選んだのです」
 探偵は私の足下に転がっているそれを指して自信満々にそう答える。

 探偵の発言は間違っている。

 しかし私は身動き一つ取る事が出来ず探偵の言葉を聞くだけだ。
「では、犯人は一体誰なのですか?」
 探偵の雇い主でもある屋敷の主が尋ねた。
「ずばり犯人はこの部屋の中にいます」
 探偵はあっさりとそう言ってのけた。
 私を除く部屋にいる誰もが探偵のその言葉を聞いて息をのんだ。
 だがそんな周囲の様子には一切関心が無いといった様子で探偵は続ける。

 真犯人が一体誰であるのかをみんなに伝えるために。

「あらゆる観点を鑑みて犯人は……」
 私は知っている。
 彼がこれから名指しする人物は犯人では無い事を私は知っている。
 なぜなら私は真犯人を知っているからだ。

 この晩夏に起きた凄惨な事件は私の身に起きた事だから。
 
 しかし死んでしまった今の私には真相を伝える術が無い。

 部屋の中央で血だまりの中横たわったままの私に時折目をやりながら、
今まさに嘘の語り部はこの事件を強制的に解決しようとしている。

「「犯人はお前だ!」」


お題:「おもちゃ箱」「誰もいない」「ごめんなさい」

 僕は既視感にとらわれる。

 そう、これじゃまるであの時と同じだ。
 僕が小学生だった頃、部屋いっぱいにおもちゃ箱をひっくり返した時と全く同じじゃないか。しかし、あの当時と決定的に違う事は、今の僕を叱ってくれる人間は誰もいない事。
 僕は真っ暗な部屋で一人涙を流す。

「どうしてこんな事に……」
 僕は心の声を口にするが声にならない。

 よくよく考えてみれば、なんてことは無い話しなのに。
 普通のカップルなら笑って済ますであろう事なのに。

 でも、今日の僕にはそれが許容出来なかった。
 なぜなら僕はそれを、それだけを目標に今日まで頑張ってきたのだから。
 それなのに彼女はそれが何でも無いかのように、まるで当たり前だとでも言わんばかりに、あろうこうとか僕の目の前で……。

 結局、僕は我慢出来ずに激高してしまいアパートにあるものを洗いざらいぶちまけてしまった。小学生だったあの頃と同じように……。

 だから彼女は出て行ってしまった。
 そんな僕に呆れて出て行ってしまったのだ。
 そしてきっと彼女はもう戻っては来ないだろう。

 僕は失って初めてかけがえのないものが何であったか気づかされた。
 僕は真っ暗な部屋の真ん中でうなだれる。
 
「……」

『カチッ』

 スイッチの音と共に部屋に灯りがともる。
 僕は部屋の入り口に顔を向ける。


 そこには出て行ったはずの彼女が立っていた。

「ごめんなさい」

 彼女は小さな声で呟いた。

「え?」
 思わず僕は彼女の言葉に問い返す

「だから、ごめんなさい!」
「あ、うん」
 僕は彼女の言葉の真意を図りかねた。

「あなたが未だにクック先生に手こずっているとは思わなかったの」
「クック先生? イャンクックのこと?」
 イャンクックとはゲーム『モンスターハンター』に登場するボスキャラの事だ。僕はこいつを倒すべく今日まで睡眠時間を削って頑張ってきたのだ。彼女はそんな僕の見ている目の前であっさりと倒してしまったのだ。
「クック先生は初心者にとって最初の登竜門なの」
 彼女は一冊の本を僕に手渡した。
「こ、これは?」
「攻略本よ。一緒に倒しましょう……ね?」
 暖かい彼女の言葉に耳を傾けながら僕は安堵する。 
 もうゲームなんてどうでもいいんだ。
 だから、僕は心から感謝の気持ちを込めてこう言った。

「ありがとう!」
 散らかった部屋で僕たちは抱き合った。

お題:「聖職者」「荘園」「貨幣」

 これは承久二年のお話。
「困った……」
 一見してそれなりの身分の男は部屋の中を行ったり来たりしながら呟いていた。
「実に困った……」
 同じ台詞を繰り返す男の様子を見かねて男の嫁がこう言った。
「お前様、何をそんなに困っているのです?」
 男は腕を組んだまま、難しい顔でこう答えた。
「実は先の戦の後、幕府からお達しがあったのだ」
 男の言う戦とは後に『承久の乱』などと呼ばれるようになる。
「戦の結果はお前も知っているだろ?」
「はいな」
「私がどちらについたかも知っているだろう?」
「はいな」
 男は上皇側についていた。
「まあ、結果として私の荘園は没収されることになってしまったのだよ」
 そう言うと男はガックリと肩を落とした。
「なんと! まぁ、それは大変ではありませんか!」
 この時代の嫁にしてみれば領地の没収はただ事では無い。それこそ身分の没落を意味する。
 嫁はしばらく考えた後、こう言った。
「町外れのお坊様に相談してみては?」
「ふむ?」
「あの方なら聖職者でいらっしゃる。きっと相談に乗って下さいますよ」
「それもそうか!」
 男はわずかばかりの金を包むとさっそくお坊様のところへと出かけた。

 まずはじめに男は坊様に金を握らせた。
 そして、蕩々と自分の身に迫った切実な状況を説明した。
「ふむふむ……」
 男の話を聞いた坊様は俯いたまま何度も頷いた。
「私はこれから一体どうすればよろしいですか?」
 男は坊様に尋ねる。
 すると坊様はこんな事を言った。
「この金は持って帰りなされ」
 坊様の意外な言葉に男は耳を疑った。
 少ないといえど現代の貨幣価値に照らし合わせてみれば一〇万円ほどにはなる。

「それを元手に一からやり直しなされ」
「ええ! そんなご無体な……」
 それなりの身分である男にとって坊様の言葉は酷だった。
「命があっただけでも有難い事ですぞ」
「そうかもしれませんが……」
 不満げな男の様子を見て坊様はこう断じた。
「全ては前世で犯した罪ゆえの結果なのです」
「……そ、そうですか……」
 聖職者にそう言われてしまっては男も返す言葉が無い。
 結局、男はトボトボと帰って行った。

 しかし男は知らなかった。
 坊様が幕府側に付いていた事を……。
 大勝した幕府から結果として大きな領地が与えられる事になった事を……。
 そしてその領地が敗者の荘園から分け与えられる事を……。

「これもまたワシが前世で為した善行のおかげかな。くっくっく……」
 一人含み笑いをする坊様。
 それからしばらくして、事実を知った男によって坊様は切られることになる。
 
 でも、それはまた別のお話。

お題:「宇宙人」「ロストテクノロジー」「晩夏」

 真っ暗な倉庫に二人の男性がいた。
「これが例のブツかね?」
 そのうちの一人、初老の男性が銀盤状の物体をしげしげと眺めながらそう呟いた。
「はい。大統領閣下」
 真っ黒なスーツに身を包んだもう一人の男性が答える。
「まさか本当に実在したとは思わなかったよ」
「はい。これが発掘された時、担当者は思わず絶句したそうです」
 その言葉を聞いた初老の男性は黙ったままそっと銀盤に触れる。
 無言のまま物体の感触を楽しむ。
「実に滑らかで見事な光沢を放っている……」
「はい」
 初老の男性は黒ずくめの男性に向かってこう訊いた。
「この物体が宇宙人によってもたらされた可能性は?」
「閣下。誠に遺憾ながら地球への地球外生物来訪の可能性は現在の科学によって完全に否定されております」
「ふむ、ということはこれはまさしくこれは旧世代の技術『ロストテクノロジー』ということかね?」
「仰るとおりです」
 黒ずくめの男性は仰々しく答える。
「まさか旧世代の人類にこれ程の技術力があったとは……」
 初老の男性は銀盤に目をやりながら少しばかり悔しそうに唇をかんだ。
 それを見た黒ずくめの男性は初老の男性に向かって語りかける。
「閣下。既にこの物体の解析は完了しております。私の手によって!」
「ふむ……?」
 初老の男性は疑わしい者を見るように尋ねる。
「現在の我々の科学レベルでこの物体を解析できたと言うのか?」
「ええ、完全にとは申し上げられませんが……、内容についてはおおよそ見当がついております」
「聞かせて貰おうか、その解析結果とやらを……」
「これです」
 黒ずくめの男性は銀盤をひっくり返した。
「キ、君! 何を!」
 驚く初老の男性。
 しかし黒ずくめの男性は動じる事無くひっくり返した銀盤のある場所を指さす。
「閣下、ここをご覧下さい」
「む?」
 黒ずくめの男が指さすそこには古びてボロボロになってはいるが確かに紙テープが貼られてあった。

「君、これは?」
「ここには文字が記載されています!」
 ブルブルと震えながら初老の男性は尋ねる。
「君! ここには、一体何と書かれているのだね?!」

 それに対して黒ずくめはこう答えた。
「『晩夏(ひとりの季節)/荒井由実 作詞・作曲』です!」

 時は西暦二八四二年。
 これは人類が旧世代の遺物『コンパクトディスク』の解析に初めて成功した瞬間の物語である。


お題:「システムアナリスト」「絵日記」「安全地帯」

 大変だ!
 早く課長に知らせなくては!
 僕は転げそうになりながら課長のいる席へ向かう。
「課長、課長!」
「う、うん? 何だ、下北沢君……」
「大変です! 事件です!」
「ああ?」
 寝ぼけ眼の課長が僕に問い返す。
「轢き逃げですよ!」
「ふーん、でガイシャは?」
 事件だというのに何て興味のなさだ!
 同じ公僕として僕は恥ずかしい! そんな事を考えながら手帳をめくる。
「ガイシャは何でも外資系のIT企業に勤めるシステムアナリストだそうです」
 それを聞いた課長は目を見開いた。
「ん、システム……オナニストだと?!」 
 いやいやいや、間違ってるし!
 っていいうかどんな職業だよ、それ!
 僕はキッチリ訂正する。
「課長! アナリストです!」
「アナル人……なの?」
 分かってやってるのか? この人は。
「……もう良いです。」
 これで突っ込みを入れたら単なる駄洒落だ。
「ふん! で、ガイシャはどこで轢かれたんだ?」
 僕の回答に不服そうではあったけれど課長は僕の方を向いてくれた。
 急いで僕は手帳に記載した事件現場の住所を確認する。
「三丁目の長い横断報道の真ん中にある島です」
「あのね、下北沢君。そういう場所を交通法規上『安全地帯』と言うんだよ。君何年目だい?」
「はぁ、すみません」
 某有名バンドと勘違いされたら遺憾だと思ったから言い方を変えたまでだ。決して僕が交通法規に疎いわけではない。断じて違う。
「それで事件……っていうか事故みたいなそれはいつ起きたの?」
「昨晩です……」
「ええ?!」
 僕の言葉に課長はマジで驚いたらしい。

「君、昨晩って昨日の事件、今頃判明したの? この狭い町で?」
「はぁ、すみません……」
 何で僕が謝る必要があるんだ?
「目撃者はいるの?」
「ええ。ガイシャはオープンカーに轢かれたらしく、顔の特徴までバッチリ判明しています」
「いや、だからその目撃者は?」
「小学生二年生の男の子です!」
「うーん……」
 課長は頭を抱え込む。
「君、信頼にたる目撃情報はそれだけかい?」
「小学生は証拠品として自分の描いた絵日記を提出してくれました!」
「ふーん、じゃあ一応見せてくれる?」
「はい!」
 僕はその絵日記を課長に手渡した。
「ふむ、ふむ……」
 絵日記を受け取った課長は食い入るようにその中身を見ている。
 そしてこう言った。
「確かに、車に乗っている人間の特徴を的確に捉えているね」
「そうですよね!」
 ふぅ……と溜息をつくと課長は絵日記を僕に見えるように突き出した。
「君?」
「はい!」
「この絵日記の、この車に乗ってる男性は……、その……、僕だよね?」
「間違いありません!」

 僕は課長に思い切り『グー』で殴られた。


お題:「必要悪」「多数派」「船」

 世界中の多くの人々が堕落していた。
 いや堕落しきっていた。

 そして誰もかれもが預言者たる彼の言葉を信じようとはしなかった。
 後に彼は『旧約聖書』に預言者として名前を残す事になる。

 彼は仕方なく一隻の船を建造する事を決意する。
 彼は彼を含む家族と一緒に作業に着手した。
 彼はその日までに残された日数を計算しながら必死で作業を進める。

「審判の日は近いぞ、みんな頑張れ!」

 そん中ついにある朝、船は小高い丘の上に完成した。

 そして極めて少数ではあるけれど、彼らのひたむきな姿を目にした人々の中には悔い改める人間も現れたのだ。
 しかしそうした人々は結局堕落した多数派の迫害を受ける事になる。

 そしてついにその日はやってきた。
 預言通り多くの堕落した人々は流された。
 人だけで無くありとあらゆる者が水の中に還っていった。
 彼の家族を除いて……。

 四〇日に及ぶ大洪水を乗り切った彼とその家族はある山の中腹にたどり着く。
 長い航海の末にたどり着いた土地で彼は神について考える。

「果たして本当にこれで良かったのだろうか?」

 彼と彼の家族たちは救われた。
 しかし預言通りに失われた代償はあまりに大きかった。

「何をもって堕落と呼ぶのですか?」
 彼は船を降りるとそう呟いた。
 
 それに対して神はこう答えた。

「堕落した者は私を敬い信仰する事を忘れた。それ故に私は天罰を下したのだ」

「あまりに惨い!」
 思わず彼は叫んでしまった。
 神は答える。
「彼らもまた信なる者を選び出す上で必要不可欠な存在だったのだ」
「それでは彼らの存在は必要悪だったという事ですか?」
「……」
 素朴な疑問に神は沈黙する。
「神は悪を認めるというのですね?」 
「……」
 神は沈黙を持って解とした。

 しかしこのやり取りは神にとって不都合であったため、聖典はおろか偽典・外典からも削除され誰の目にも触れる事無く今日に至る。


お題:「サヴァン」「はじめて」「誘蛾灯」

「ふむ……」
 その男性はこの船の何かに納得したようにしきりに頷いている。
 そんな彼を不審に思った私はそっと彼に近づき声をかけた。
「お客様、何か?」
「ほう……」
 彼は何かに感心したようにこう言った。
「さすがだね」
「はぁ」
 何の事だろう?
「私の半径3メートル以内に存在しながら私の持つこの知覚過敏能力に反応しないとは……。さすがは原子力機関を守っている人間だけの事はある」
「はぁ?」
 この人は冷たい水を飲むと歯が痛むのだろうか?
 いずれにしても勝手にこんな場所まで入ってこられては、後で私が上司に叱られる。
 速やかにこの場から出て行って頂かなければ……。
「お客様、あのですね……」
 渋々説得を試みようとする私に向かって彼はこう言った。
「人は皆私の事をMr.Light Trapと呼ぶ」
「ミスターライト? トラップ?……ですか?」
 ん、邦訳すると誘蛾灯?
 カッコ悪!
「私が小学生の頃、クラスメイトから貰い受けた通り名だ!」
「ええ!?」
 クラスメイトに思い切り嫌われてるじゃん!
 絶対この人いじめられっ子だったんだよ!
「今も変わらず愛用している通り名だ」
 絶対やめた方が良いですよ!
「くっくっく……」
「はぁ? 何がおかしいのですか?」
「何も知らないというのは幸せな事でもあるが、同時に気の毒な事でもある」
 何を言っているのだろう、この人は。
 少なくとも私はこの人にだけは『気の毒』とか言われたくないし。
「まさに『無知の恥』だ!」
「『無知の知』ですね!」
 古代ギリシャの有名な哲学者の言葉を激しく間違って使ってるし。
 そりゃ苛められるわ。
「君とこれ以上話しをするつもりは毛頭ない!」
「私だってこれ以上あなたとお話するつもりはありませんよ!」
 すると男は私に居直ってこう言い放った。
「教えてやろう! この船こそ『原子力貨客船サヴァンナ』なのだ!」
「お客様……」
 あまりに気の毒なお客様に私は思わず言葉を失った。
「くっくっく。呆気に取られて返す言葉も無いか?」
 不敵に……いや不適にほくそ笑む男性。
 しかし伝えて差し上げなければ。
 なぜならこの場所には私しかいないのだから。誠に遺憾ではあるけれど……。
「お客様、誠に申し上げにくい事ではあるのですが……『サヴァンナ』は昨日出航致しました」
「?!」
「この船は旅客船『サうナ』です」
 男のゴクリという唾を飲む音が聞こえた。
「……マジで?」
 私はコクリと頷く。
「……」
 男は茫然自失といった雰囲気でしばらく立ちつくしていたが、
「マジ?」
 という最後の彼の問いかけに対して私ははっきりと答えて差し上げた。
「マジです」
 すると彼はおとなしくこの船を降りていった。
 悲しそうな背中を私に見せながら……。

 かくして世界で二番目に建造された、非軍事目的原子力動力船の初航行は守られたのだ。

 誰の手も借りずに。
 ちなみにミスターライトトラップの正体を未だに私は知らない。
 まあ、知る必要も無いのですけれどね!

お題:「雨」「自転車」「階段」

『ザー……』という鳴り止まない音。
 それは降り止まない雨。

 こういう酷い雨の日には使い古したビニル傘を差して僕は『その場所』を訪れる。
『そこ』はビルとビルに挟まれた暗く細い路地の先。
 さらにその突き当たりにある階段を下りた地下に『その場所』はある。

 入り口の横にはチョークで丁寧に書かれた『喫茶 大原』という小さな看板が置いてある。
 僕はその看板に書かれた『今日のお勧めランチ』の文字に目をやりながら店の扉を開く。

『カランコロンッ』

 客が訪れた事を知らせる鈴の音が店内に響く。
 店内は薄暗くアンティークな雰囲気の内装が、僕たちのお気に入りだ。
 
 誰もいないカウンター。
 いつもの事だ。
 きっと店で出す軽食の素材を買いに行っているのだろう。
 ずっと昔から僕たちはマスターに不用心だと注意しているというのに……。

 僕は、僕たちがいつも使っている奥まったテーブル席に腰を下ろす。
 この席だと、もはや外の音も聞こえない。

「はぁ……」

 分かっているのに、僕の口からため息が零れる。
 そう、こんな場所を待ち合わせに選んできたばかりに『彼女』は悲劇に巻き込まれた。

 大切なモノは失ってはじめて気付くのだ。

「はぁ……」

 僕はもう一度溜息を吐いた。
 思い起こせば、僕が彼女を店の前に置き去りにしたのがいけなかったのだ。
 だから、あんな事になってしまった。

 僕はやるせない思いでいっぱいになった。だからこの店は嫌いなのだ。

『カランコロンッ』

 呼び鈴の音と共に唐突に店の扉が開く。
 僕は新しい客を確認するために振り返る。

「……待った?」

 彼女は僕に向かってそう言った。
 僕は大切な彼女に向かって優しくこう答える。
「いいや。今来たばかりだよ」
「そう! 良かった」
 満面の笑みを浮かべる彼女。
 しかし僕の大事にしていたもう一人の『彼女』は返って来るまい。
 そんな僕の心境を表情から察したのか、彼女は僕の対面の席に座りながらこう言った。
「いい加減に忘れたら?」
「……」
 思わず沈黙してしまう僕。

「たかが『自転車』を盗まれただけじゃない?」
 
 彼女の言葉は僕の心に鋭く突き刺さった。


お題:「玉繭」「少年時代」「夢」

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 私はふと『少年時代』の一節を思い出した。

 なぜなら今も昔もまさに詩が歌うその時期だったから。

 あの時、私は着物と帯をこれまでしてきたように丁寧に畳んで桐衣装箱に仕舞っていた。
 すると、久方ぶりに家に戻ってきている娘が私を見てこう言った。
「それ……、まだその帯使っているんだね」
「うん?」

 私は最初、娘の言葉の意味を理解できなかった。

「それ、私が小学生だった頃から着ているじゃない?」
「……そうかもしれないわね」
 娘の言うとおりだ。
 この玉糸で作られた帯は昔、私がお義母さんから譲り受けたものだ。
 着物こそ着古してダメになってしまったけれど、帯だけはいまもまだ大切に使っている。

「近いうちに、この帯はあなたにあげるつもりでいるのよ」
「ええ……、いいよ。別に……」
 娘は迷惑そうにそう言った。
 でも、この帯にはお義母さんの夢が込められている。
 玉糸の素材は玉繭。
 そしてそれは二匹以上の蚕が一緒になって初めて出来るもの。
 だから私はその事を娘に知っておいて欲しい。
「あのね、この帯は玉糸といって、二匹の蚕が一緒になって……」
「ああ、もういいよ。お母さん」

 娘は面倒くさそうに私の言葉を遮った。

「お母さんがそんなに言うなら遠慮無く貰うよ」
「ありがとうね」
 私は娘に礼を言う。
「どうしてお母さんがお礼を言うのよ」
「ふふふ、そうね。おかしいわね」

 私は娘の顔を見て微笑んだ。
 娘もまた私を見て微笑んだ。

 そう、私の娘はもうじき結婚する。

「幸せになってちょうだいね」
 私は小さく呟いた。
 すると、娘にはそれが聞こえていたのだろう。
「お母さんみたいになるよ」

 あの頃そう言ってくれた娘ももうじき母親になる。

 夏が過ぎ……、風あざみ……。
 この時期は私にとってもあの子にとっても一生忘れられない季節になるだろう。

お題:「約束」「館」「人々」

 赤いホンダのビートは快調にスピードを増していく。
 運転席の彼は真正面を見据えたまま助手席の私に向かってこう言った。
「一体、何年ぶりだろうねぇ……」
「?」
 私は彼の言葉の意味を理解出来ずにいる。そんな私を気にするでも無く彼はこう続けた。
「あの館をもう一度訪れる事になるなんて想いもしなかったろ?」
「え?」
「ああ、あれは確か真理がまだ小さい頃の話だから覚えていないか」
 そう言いながら彼はカーブに対してハンドルを切る。
 ビートは運転手の指示通り絶妙の曲線を描きながら細い山道を上っていく。
「真理、あそこに見える館が僕たちの目的地だ」
「あの建物のことかしら?」
 彼が言うように古びた洋館が私たちの直ぐ先に見えてきた。
「そうだよ」
「あそこで何かあったの?」
「……」
 彼は私の問いには答えず、洋館の脇に車を駐めた。
「さぁ、降りてくれるかい?」
 彼はそういとエンジンを止め車を降りた。私も置いてけぼりを喰わないようにシートベルトを外すと彼の後を追いかけた。
 彼は洋館に入ろうと扉に手をかけたが、どうやら鍵が掛かっていたらしい。
「ふむ。中には入れないね」
「……」
 彼は一体洋館の中で何をしようとしていたのだろう?
「まあ、いいさ。別に洋館に入る必要は無い。重要な事は僕たちがここにいると言うことだ」
「あの、もう少し詳しい事情を教えてくれないかしら?」
 彼は洋館の入り口の階段に腰を下ろした。
 そして独り言のように語り始めた。
「かつてここには多くの人々が訪れていたのだよ」
「……」
「彼らの目的は一つ。とある儀式を遂行するためだった」
「儀式?」
「そうだ」
 日暮れが近づくなかで彼は言葉を選びながら続ける。


「大抵の宗教儀式というものは一般の人間には理解されないものだ。そしてそれ故に彼らはカルト教団などと呼ばれるようになったのだ」
「カルト……?」
「それは儀式の当日起きた。公安がまさにその日を狙ったかのように彼らの一斉摘発に乗り出したのだ」
「えっ?」
 薄暗いなか彼の瞳だけが爛々と光って見えた。
「結果として教団の儀式は中止を余儀なくされたのだ……無論教団は壊滅した」
「その儀式って……」
「幼き巫女を生け贄に捧げるというものだ」
「!?」
 彼はゆっくりと立ち上がり私に近づいた。
「あの時『僕』は司祭として本当は巫女を捧げることが出来たのだ……」
 私は震えながら彼から一歩離れる。
「だが、僕は情けのある司祭でね。彼女とある約束する事で儀式を中断したのさ」
「!?」
「彼女は言った『後10年命を伸ばしてくれれば、潔く生け贄になる』と……もう分かるね? 君がその子だよ」
 全く思い出せない。
「そしてまさしく今日がその約束の日なのだよ」
 逃げなければ! 
 ダメだ! 
 足がすくんで逃げられない!

 唐突に彼は笑った。
「はっはっは!! 冗談だよ」
「へっ?」
 私は呆気に取られる。
「ちょっとしたジョークだよ」
 私は心底怒った!
「やめてくださいよ、もう! 信じるところだったじゃ無いですか!」

「本当にすまなかったよ」
 しかし、この時私はまだ気づいていなかった。
 彼の後ろ手に隠し持った銀のナイフに……。


お題:「破綻」「オルゴール」「思い出」

 映画や小説でハッピーエンドを描いた物語をよく見かける。
 それらは決して破綻することがない。
 果たして僕たちは彼らと同じように艱難辛苦を乗り越えて、同じようにハッピーエンドを迎えることが出来るのだろうか?

 愚問だ。
 全くもってナンセンスだ。
 破綻の無いストーリーだって?
 そんなものこの世にはありはしない。

 世の中にある物事全てがいつかは無に帰るのだ。

 それが世の定め……。
 きっと誰にも変えることの出来ない定めなのだ。

 世の中が厭になると書いて『厭世』。

 まさに今の僕を一言で表現するならこの言葉をおいて他には無いだろう。
 荒んでしまったアパートの部屋で僕は一人自嘲気味に思い出に浸る。

 そういえば君の入院が決まった頃、僕は決して諦めようとはしなかったっけ。
 なぜなら当時の僕もまたハッピーエンドを夢見ていたから……。
 君と僕の二人のハッピーエンドを夢見ていたから……。

 なんて甘ったれだろう。
 馬鹿野郎だ。

 君と僕の物語もまたあの時からいつ破綻したとしてもおかしくはなかったというのに。

 今、僕は部屋の片隅においてある古い箱に目を向ける。
 古いけれど綺麗な箱。
 手作りの箱。
 大切な箱。

「これあげる」

 そういって病室のベッドの上の君が僕にくれた最後の贈り物。

「私がいなくなったら時々開けてね……」
 君は力なく……それでいてせい一杯優しくはにかみながら僕にそういったんだ。でも結局、そんな君に対して僕は気の利いた言葉一つかけてやれなかったっけ。
 
「ごめんな」
 一人きりの僕はポツリと呟く。
 もうこの世界からいなくなってしまった君を想いながら……。

 僕は静かにその箱を開く。

 君の願い通りに。
 
 たどたどしく流れ出す君と僕の好きな懐かしいあのメロディ。

 彼女がくれたオルゴール。

 そのメロディは今の僕にとって、思い出よりも少しだけ暖く感じられた。

お題:「写真集」「天井」「鬼」

「違うのよ、これはちょっとした誤解なの!」
 私は必死で彼を説得する。
「一体何が違うって言うんだ!」
「女の子なら誰だってする事なの!」
 そう私がした事は『大切な彼』がいる女性なら誰だってすること。
  だから私に負い目は無い。
「女なら誰だって……だと?」
 私の『大切な彼』は怒っている。
 何とかして宥めなければ……、適当な言い訳を考えなければ……。私は必死で考える。
「そう、そうよ。例えば、彼氏が大事に持っている写真集に昔の彼女の写真が残っていたなら、それを処分してしまいたくなるでしょう? それと同じ事なのよ……」
 私は彼に理解して貰うべくできる限り優しい言葉で語りかける。
 しかし鬼のような形相で彼は私ににじりよる。

「お前は何を言っているんだ!?」

 ああ、どうして彼は分かってくれないのだろう? 
 理解してくれないのだろう? 
 私はこんなにも『あなた』の事を大切に思っているというのに……。
 愛おしく思っているのに。

「俺の大切な陽子は!?」

 どうして、あなたはそんな昔の女の名前を持ち出すの?
 もう済んでしまったことでしょうに……。

「お前は俺の『大切な陽子』をどこへやった?! 質問に答えろ!」

 ああ、もう。そんなに大きな声を出したらアパートの隣の部屋の学生にまで聞こえてしまうじゃ無いの、仕方の無い人ね。
 でも、こんな状況なのに世間体を気にしている自分に私は思わず笑みが溢れてしまう。
「うふふ……」

「くっ! お、お前は、一体何がおかしいんだ!」


 私に詰め寄ろうとした彼はふと足を止めた。
 何かに気づいたらしい……。
 天井を見上げる彼。
 ああ、私だけを見ていてくれればいいのに……。

 さっき出来たばかりのあの憎たらしいシミと私の交互に目をやりながら彼は叫んだ。
「お、おい、あの天井の赤いシミは何だよ!」

 うふふ……。
 仕方の無い人ね。
 私はできる限り頑張ってはにかんでみせる。
 そう、あの時『笑顔が素敵だね』と褒めてくれた表情で……。

「陽子はどこへ行った! 陽子を何処へ隠したんだ!?」

 うふふ…………。

 私の『大切な彼』は、絶叫する。

「『お前』は一体誰なんだよ!!」

お題:「シュレディンガーの猫」「椅子」「振り子」

 やれやれ……。
 一体どうして僕がこんな誰にも知られていないようなド田舎までやって来たのか少し説明しておく必要があるだろう。

 先日久方ぶりに学時代の友人Yから連絡があったのだ。
 奴との付き合いは大学時代の物理学実験という講義で同じ班になった頃までさかのぼる。
 実験は振り子を使った重力加速度の検出という実に幼稚なものだった。しかし僕たちは学科史上ワースト5に入るほどの誤差を検出して見せた。そんなわけで彼とは当時から学友と言うより悪友という関係だった。
 そんな奴からの連絡は大学時代と変わらず同じメールアドレスから発信されていた。
 内容はこうだ。

『直ぐに俺のウチへ来て欲しい。出来るだけ早く……』

 たったのこれだけだった。
『出来るだけ早く』と言われても僕にだって仕事があるわけだ。しかも今Yが住んでいるのは山口県だ。メールを貰って二つ返事で行ける距離でも無い。結局僕はメールを貰ってから二日後に有休を取得し山口県のYが住むX村を訪ねたと、こういうわけだ。
 もっともあんな短いメールでここまでやって来る僕も酔狂な男だと言われたら返す言葉も無いが。

 それはともかく、Yの住むアパートは直ぐに見つかった。

 理由は簡単。他に民家が見当たらなかったのだ。Yのアパート自体Y以外に人が住んでいるようには見えない。
 久しぶりの再会と言うこともあって僕自身嬉しくなかったと言えば嘘になる。
 僕はインターフォンを押す。

『ピンポーン』

 一人暮らしの奴を呼び出すには十分な音量だった。
「……」
 待つこと5分。ようやくインターフォン越しにこんな返事が返ってきた。
「待っていた」
「こっちのセリフだ。さっさと開けろよ!」
 こんなド田舎くんだりまで人を呼びつけておいてこいつはまだ俺を待たせるつもりか?

「まぁ、待て……」
「なんだよ?」
「お前は量子力学の講義を受けていたな?」
「ああ? まあ、な。もう記憶に無いけど」
 僕の回答を聞くなりYはこう言った。
「『シュレディンガーの猫』は知っているな?」
「ああ? まぁ有名だからな、名前くらいは覚えている」
 確かの蓋の閉じた箱の中にいる猫が生きているか死んでいるか開けるまで決定しないとかそんな話だったように思う。正確な内容まで覚えていない。
 するとYはこう言った。
「俺は大学を卒業してからずっとその実験を続けてきたのだ」
「はぁ?」
 唐突に何を言うんだ、こいつは。
「くっくっく……俺は、俺こそがシュレディンガーの猫なのだ」
 Yのただ事では無い様子はインターフォン越しからも理解出来た。
「おい! どうでもいいから、ここを開けろ!」
 僕は怒鳴った。
 すると彼は静かにこう答えた。
「開いているよ。上がりたまえ」
 僕は急いで扉を開けると部屋へ入った。

 うっ! なんだ? この異様な臭いは!
 薄暗い部屋。
 Yは一人椅子に座って真っ直ぐ僕を見据えていた。
「おい!」
 部屋がの灯りを付けるためスイッチをオンにする。

『パチ!パチ!』

 ダメだ!
 電気が付かない。
 僕はYに駈け寄った。

「おい!」
 Yの肩に手をかけた次の瞬間、僕は絶叫していた。

 Yは腐ってボロボロと崩れ落ちたのだ。

 ボロボロと崩れながら落ちながらYは僕ににじり寄った。
 目のあるべき所に既に目は無く、鼻のあるべき所に鼻の無いYはその顔を僕に近づけてこう言った。

「これが『シュレディンガーの猫』の解だよ……」

 気付いたときには僕は気を失っていった。
 気を失っている僕は近隣の農家のおやじさんに発見された。
 僕が発見されたときYの姿は既にそこになかったそうだ。

 だとすれば、僕が見たYは一体何だったのだろう?

お題:「しおり」「地図」「空」

 ポツリポツリとしか人の居ない駅。
 そこは屋根すら無い青空駅だった。
 少女はホームにあるベンチに腰をかけて、低学年向けの文庫本を読み初めて小一時間経った。
 そんな彼女は読みかけの文庫本にしおりを挟むとぱたりとそれを閉じ立ち上がった。
「ホンマにいつになったら来るんかなぁ?」
 そんな事を呟きながら電車の来る時刻を確認するために、駅員の元へ向かう。
「おっちゃん、おっちゃん。電車まだ、来えへんのん?」
 少女は無愛想な駅員に向かって尋ねる。
「……お嬢さんはどちらまで?」
 少女は背中に背負ったピンクのリュックサックを下ろすとゴソゴソと何かを探し始めた。
「あれー? 確かここにしまったはずやねんけどなぁ」
「……」
「ああ、あったわ! これ、ここ!」
「どれどれ?」
 駅員は少女の取り出したモノをのぞき込む。
「ここが行き先やねん!」
 少女が駅員に見せたのは地図だった。
「……お嬢さん、地図を見せて頂いても私にはどうすることも出来ません」
「そうなん?」
 少女は小首を傾げてそう言った。
「切符を拝見させて頂けますか?」
「うん! ええで!」
 少女はポケットから切符を取り出すと駅員に手渡した。
 駅員は少女から切符を受け取って、その行き先を確認する。
「お嬢さん」
「ん? なに?」
「お嬢さんの乗るべき電車はいくら待っても来ませんよ」
「なんでよ!」
「お嬢さんの乗るべき電車はあちらのホームに到着予定です」
 駅員はそう言って向こうのホームを指さした。
「ええ! そうなんや!」
 少女は元気よくリュックサックを背負う。
「駅員のおっちゃんありがとな!」
 そう言って駅員が指さした向こうのホームへ向かって走り出した。
「お嬢さん!」

「うん?」
「切符を忘れていますよ」
「ほんまや!」
 少女は駅員の元に戻ると照れくさそうに駅員から切符を受け取った。
「お気をつけて……」
 駅員は少女に声を掛けた。
「ありがとうなぁ! 駅員のおっちゃん!」
 少女はパタパタと走って行ってしまった。
 
「まだ幼いのにねぇ……」
 駅員の後ろのベンチに座っている老婆が呟く。
「ええ……」

 駅員は老婆の方に振り返ってこう言った。
「しかし、せめてもの救いはあの子の持っていた切符が『天国行き』だった事ですよ」

お題:「座敷童」「双子」「毬」

 女の子は鞠つきをして遊んでいた。
 いつもいつも女の子は一人ぼっちだった。
 女の子の家族は事故で父親を早くに亡くし、今は母親の細腕で一つで何とかその日をしのいでいた。
 女の子は幼いながらにその事を理解していたらしく誰にも不平一つ漏らすことは無かった。

 そんな女の子を見かねた近所に住むじいさまがある日女の子に話しかけた。
「お嬢ちゃん、偉いね」
「?」
「いっつも一人でお留守番じゃろ?」
「……」
 女の子はフルフルと首を横に振った。
「うちの家に来らば、お菓子もあるぞ?」
「……」
 女の子はわずかばかりの間考えた末に、やはり首横に振った。
「そうかい、そうかい」
 女の子はじいさまに軽く会釈をすると大事そうに鞠を抱えてその場から立ち去っていった。

 ところが、ある日を境にプツリと女の子は姿を見せなくなった。
 替わりに今まで見たこともなかった女の子によく似た男の遊ぶ姿を見かけるようになった。
 男の子は女の子と同じように一人ぼっちだったけれど、楽しそうに蹴鞠をして遊んでいた。
 だから近所の人たちはみんな双子だとおもうようになった。

 そんなある日、じいさまは男の子に話しかけた。
「坊ちゃん。偉いねぇ」
「?」
 不思議そうに男の子は小首をかしげる。
「一人でお留守番じゃろ?」
「そうだよ!」
 男の子は初めて口を開いた。
「ところで坊ちゃんはどこの子じゃ?」
「あそこ……」
 男の子が指さす先には女の子の家があった。
 そこで、じいさまはこう尋ねた。
「お嬢ちゃんは元気にしているのかいのう?」
「うーん……」

 男の子は困ったようにこう答えた。
「今は病気だけど……、もうじき元気になるよ!」
「そうかい」
 何とも可愛らしい返事だ、じいさまはそう思った。
「もしよかったらワシの家に遊びにこんか?」
「ええ?」
「お菓子もあるぞ」
「……」
 男の子はしばらく考えた末にこう答えた。
「僕はあのお家にいなければいけないんだ。ごめんなさい」
 男の子は軽く会釈をして帰って行った。

 ある日、じいさまは女の子と男の子の母親に会う機会があった。
 じいさまは労を労う意味をかねてこう言った。
「お嬢ちゃんが病気をしているそうですな」
「ええ、でも随分元気になりましたの。おかげさまで……」
 少し窶れてはいたが母親の顔色は悪くなかった。
「大変なようじゃったら、坊ちゃんだけでも預かりますぞ?」
「坊ちゃん?」
 母親は不思議そうに首をかしげる。
「どうしました?」
「うちの家には娘しかおりませんが……」
「!」
 じいさまは母親と話す中で初めて一家が元々四人家族であったことを知った。
 そして事故で亡くなったのが父親と女の子の双子の兄だった事を知った。

 じいさまがその話を聞いてから、誰も男の子を見かけることは無くなった。
 だからじいさまはこう理解している。
 女の子の双子の兄は死してなお、『座敷童』としてあの家に残って母親と妹を見守っているのだと。

お題:「仁」「乾燥機」「障子」

 梅雨のこの季節になると毎年のように思い出す。

「まったく毎日毎日お洋服を汚してきて!」
「だって、お外で遊ぶと汚れるんだもん……」
「この子はまたそんな言い訳をして!」
 私は手際よく息子のシャツとズボンを脱がせると洗濯機に放り込んだ。
 やれやれ……、さっき聴いたラジオの天気予報によれば今週はずっと雨らしい。
 この調子でいくといつまで経っても洗濯物を干すことが出来ない。
「はぁ……」
 思わずため息が溢れる。
「お母さん、どうしたの?」
 不思議そうに小首を傾げる息子。
 全く無邪気なモノだ。
「あのね。今週はずーっとお天気は雨なの。だから洗濯物を乾かすことが出来ないの」
「あの『ごぉーっていう機械』じゃだめなの?」
 息子が言っている『ごぉーっていう機械』とは乾燥機のことだ。
 ただし乾燥機は乾燥機でも布団乾燥機なのだ。
 無論、洗濯物を乾かすことが出来ないわけでは無いけれど、生乾きになることが多いので私はあまり好きでは無い。
 私が難しい顔していると、息子はこう言った。
「仁志君に頼もうか?」
「仁志君?」
 一体誰のことだろう。
 息子の新しく作った友達のことだろうか。
「お母さん、ちょっとこっちへ来て!」
 息子は私の服を引っ張ると隣の和室へ向かおうとする。
「こら! お隣のお部屋にはおばあちゃんが寝ているからダメって言ってるでしょう!」
「いいから、いいから!」
 私の言うことを聞こうともせずに息子は私を連れて、和室の障子を開く。
 和室には案の定お義母様が布団の上で横になっていた。
「おばあちゃん、仁志君貸して!」
「……うーん? ひとし君かい?」
 横になったままお義母様は穏やかに微笑みながら窓を指さしこう言った。
「ひとし君ならあそこにいるよ」


 お義母様の指さした先には可愛らしいてるてる坊主がぶら下がっていた。

「仁志君! お母さんが困っているので明日は天気にして下さい!」
 息子は窓にぶら下がったてるてる坊主に向かって懸命にお願いをしている。
「お義母様……」
「いいんだよ。それに意外とひとし君は頼み事を聞いてくれるものなんだよ……」
 お義母様はそう言ってお茶目にウィンクして見せてくれた。

 翌日の天気は晴れだった。


 和室にお義母様がいなくなった今でも仁志君は窓にぶら下げたままにしている。
 お義母様の代わりに仁志君が息子を見守っていてくれる……そんな風に感じたから……。