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R15 第一京浜国道

  昭和45年7月、18歳。高卒浪人の僕とストレートで三流大学に金で合格した友人と二人で、ケチケチ軽自動車旅行を敢行した。
資金は共に、友人の通っていた高校の同級生の父親の会社でバイトをして作った。
仕事は、建築現場で足場に使用するパイプを固定する接続金具。それに付属する使用済のボルト、ナットの汚れの洗浄。
網カゴに入れたそれらを油で洗い、金属ブラシで錆を取り、再生させる。
このバイトで、約1か月間で稼いだ金がおのおの5万円。
この持ち金で、どのくらいの期間と距離の旅ができるのかを試したかったのだ。
もちろん、頭の中は行く先々で、女をナンパして楽しくできたら、うれしいな、をイメージする。そんなエロい妄想でいっぱいだ。
夏なので、行く先は当然海水浴場だ。
浜辺で、お姉さんに声を掛けながら仲良くなりたい願望を抱きながら旅発った。
当時、爆発的人気のホンダN360という軽自動車に乗って、国道1号線を西下した。
この車、当時の軽自動車としては、抜群の加速力に加え、低燃費車として売れに売れ、現在のホンダ自動車の屋台骨を築いた。
自宅のある大森から、大阪経由の南紀白浜まで夜通し走った。
すでに、東名、名神高速道路は開通していたが、金のかかる有料道路は利用しない、とした。その分、他のものに使える金を使おうと約束した。
この結果、東名高速には一切乗ることをせずに、ただひたすら国道一号の箱根越えをした。
照明の乏しい箱根越えは、走りづらい。国道に設置されている、路線案内板の矢印を頼りに国道1号線を交代しながら、夜通しひたすら西下した。
当時は、東名高速に乗らないトラックが東上、西下とも意外に多かった。
このことは友人のある行為のおかげではっきりと記憶している。サルだ。
対向するトラックのライトに照らされて判明した友人の助手席の行為のことだが、名誉のため、ここでは触れない。
ホンダN360は、ガソリンを満タンにして、都内、大田区大森を夕方出発した。
川崎、横浜、藤沢、箱根越え、静岡の海岸線をひたすら走行した。
豊橋、名古屋を通過。どこまでも、国道1号線を西下すれば大阪に到着するという一心で、何しろ夜通しN360を転がす。
大雑把な目標が、とりあえず大阪なのだ。大阪に何の知識もないのだが、道路標識の通りに走行さえすれば、東京から大阪に間違いなく到着することが出来ることを我々は実証した。
加えて、ここで、道路名の国道1号は、終了である。
その先、神戸方面の標識は国道2号となっている。思わず、ビックリ。
国道2号の出現は、驚きである。
無知なガキにとって、知る由もない。東京から大阪までが国道1号線。
その先、九州を目指して瀬戸内を走行する一般国道の呼び名が、国道2号線である。
それは、新たな知の習得であり、現場に遭遇しなければ、きっといつまでも知ることはなかったであろう。
夏なので、海しかないのである。
十代の血の気の多い、若者に夏に行きたいところを質問しよう。
海と山を選択させたなら、間違いなく海の一択である。山にビキニはないからである。
登山中のお姉さんを見つけ「こんにちは」と、声をかける。
イケメンを除き、なかなかナンパに発展しない。
何故か。それは、皆が体力的にキツイ状況に置かれているからだ。自分の置かれている状況がきつい時に、色恋の沙汰をイメージできる状況ではないのだ。
つまり、人間は自分が置かれた状況が、安心が出切る状態にないと、決して、アバンチュールを楽しもうなど考えられないのだ。
だから、若者は、海なのだ。
暖かい夏の海には、自分の身に危険が及ぶような出来事が少ないのだ。
それだけに、夏の砂浜は、気が緩む。
女性も開放的になり、ナンパにも鷹揚に対応するようになるのだ。
さて、その当時の我らの認識として、関西地方の海水浴場と言って、知っているところといえば、紀伊の南紀白浜である。
彼の地の白砂ビーチをビキニ姿で闊歩するお姉さんを妄想する。
当時は、神戸の須磨海岸など知る由もなく結果、我々は、国道標識の和歌山方面、南紀白浜を一択した。
N360は、大阪湾岸を南下し、翌朝、南紀白浜海岸に到着した。
この辺りの記憶は、眠いままに走ったので定かではない。
東から太陽が昇り、眩しすぎる朝日に向かい走行した。このためのため、居眠り走行することもなく、夢想したパラダイス、南紀白浜ビーチに到着できた。
これは、今考えると幸いだった。

あれから44年が経過した。
売るほどあると思われた人生時間も、思えばあと少しとなった。
何に使ったのかわからないほど、ほんと、あっという間の62年間であった。無駄に使い、亡くした時間ほど口惜しい。
平成26年5月3日、東京地方の天候は、薄曇り。
車中温度は、エアコンを入れなくても走行できるくらい快適だ。
午前9時、東京、大田区大森をスタートする。
目指すは、静岡県静岡市葵区にある、おでん横丁と、自分の母親の生誕地の登録住所とされている所在を訪ねる旅だ。
こんなバカな旅の同行者はいない。だが、自分に対し、外せないルールを1つ課した。
東京、静岡の往復に際し、国道1号だけを使用する。
有料道路を使わずに目的地に向う。また、帰りも同じルールに従う。これだけは守ろう。自分に対する取り決めを、一つ作った。
その意味合いは、高速道路料金をケチるということもあるが、一般道路を走行して、道路際や、その近くに所在する建築物の確認。地域による町の作られ方や、また、それらが変わっていく様をゆっくり走行しながら、見分することとである。
つまり、旅程の道中を、人の体に例えるとした場合、頭のテッペンから、足先まで形が少しずつ変化してゆく様をつぶさに見学したいのだ。
それぞれの市町村が、それぞれの曰くがあり成立し様を「そうなんだ」「成程ね」、と観察がしたいのである。
特に、古の神社仏閣にはそうした痕跡が残っているかもしれないので、特に興味を覚えるのだ。
それだけに、こんなわがままな旅、理解のない嫁など興味のないものの連れがいたのじゃ絶対に充実した旅とはならない。
ある意味、贅沢なヲタク旅だ。
高速道路を使用して目的地に行くことは、旅の目的地を、人体のパーツに例えると、頭からすぐに足に向かうようなもの。
その間にある股座にある景色をみのがしているようなもの。真に勿体ないのだ。
嫁さんと車を利用して旅行に行く際は、高速道路を利用する。
そうでないと、すぐに機嫌が悪くなる。過去にまで遡り、聞きたくない話を蒸し返される。
加えて、高速の渋滞さえもこっちのせいにされる。
今日ばかりは一人旅。思う存分、ユックリズムな走りを楽しもう。
国道15号、大田区の大森東交差点。環七交差より出発する。
ちょっと前に完成した環状八号線のアンダーパスを抜ける。
十数年前に、京急蒲田付近の総合再開発の大田区主催の説明会を、蒲田在住の同級生と聴きに行った。
完成するまで、お互い生きていることが果して出来るのかしらん。
この説明会の会場の中に、「必ず、再開発の完成を見ることなく、石の下に入っている人がいるよね」と、小声で自分が話す。
国道15号に面した大田区の施設ピオの講堂で二人して笑ったことを思い出す。
六郷神社を左に見て、六郷橋を通過。神奈川県に入る。
すぐ右側に、川崎稲毛神社。ここは、おおとり神社があり、熊手が買える。
今年の恵方が、南であったので、迷わず当地に出向いた。
浅草のそれと違い、押し合いへし合いしなくても熊手が購入できるところが良い。大混雑が苦手な人向きの神社である。
鶴見川を渡り、ほどなく行くと、右奥に、鶴見神社があるが、建物が密集しているため見えない。
パスして、国道15号を横浜方面へ南下。間もなく、路面の上部をJR鶴見線が横断。ここが、TBS-TVの華麗なる一族の駅ロケに使われた古風なアーチを構えた鶴見線「国道」という駅である。
改札口の前に「国道下」という小さな居酒屋がある。
年配夫婦の営むその店は、値段も安く良心的ではあるが、午後4時の開店と同時に入店しない限り、座れない。
7時までの3時間しか営業しないので、早く行ってオープンを待つのも一考である。
国道駅から、信号にして3個、4個ほど行ったあたりの右側が京急生麦駅である。
駅前は、小ぶりな碁盤状態の街区になっており、飲食店が密集。どの店も良心的で、一見で行ってもぼられることはない。
少し行って、信号の先の左側あたりが「生麦事件」が起こった場所。碑があるのでわかると思う。沿って、メジャーなビール工場。
この辺りの進行方向の左側は、昔はすぐに海であった。今は、埋め立てが進み、かなり先に大黒ふ頭がある。
大型貨物船の停泊所である。京浜地区の海運物流拠点の一つであるが、建物が林立して何も見通すことができない。
道路右側の奥の手には、小高い丘が進行方向と平行して南北に走る。
右側を並走する京急線の子安駅手前に、入江橋という右折専用のT字路があって、そこを曲がり、京急ガードをくぐり、2つめ信号を再度右折。
坂を上っていくとすぐのところに横浜一之宮神社がある。云われによると、その高台から、沖が見通せた。
また、船からは、神社が自分の位置を知ることのできるランドマークであった、としている。漁師や村人の安全を祈願して建てられたのだ。
車は、南下を続け、東神奈川を経て、横浜駅を通過。時刻は、午前9時40分。ここまでの走行距離、18km。
大多数の人間のゴールデンウイークの第2ラウンドは今日からである。
私と同じ考えの安、近、短の行動を選択した人間の多いこと。
高島町の交差点。国道1号はこれから右側に進路を変える。戸部、保土ヶ谷まではすこぶる順調に走行できた。
しかし、戸塚駅を通過後、混雑の名所、原宿の交差点では、目も当てられないほどのど渋滞にはまる。
目に入力された混雑情報に、腸が即座に反応する。強い便意をもよおしたのだ。
我慢の限界に近づいたとき、藤沢バイパスとR30(江の島方向)の分岐までたどり着く。この道が流れていたので、そちらを選択することにした。
無事、我慢の限界を迎える前に、坂下の遊行寺に逃げ込むこととした。
観光用に作られたトイレは、きれいで掃除が行き届き、満足な使用感であった。利用料は、賽銭でお支払する。
遊行寺にて、トイレ利用と、気分転換の休息、および、ミニ観光をする。
昔、ルートセールスの仕事の際に、時間調整で何度か昼寝をした場所だ。大木が陽光を遮り、昼寝にうってつけの場所であった。
改めて境内を参拝させてもらうと、その広さに圧倒される。そして、数十年前よりは一段と境内が整備されている。きっと、檀家衆がリッチなのだろう。
11時より、20分休憩で、出発。ここまでの走行距離、37km。
遊行寺下のR467を、右折。花の木交差点を左折して、無事国道1号線に復帰。正午、馬入川(相模川)通過、平塚市に入る。ここまでの走行距離、ジャスト、50km。
右手に平塚八幡宮を見ながら、高軌道、3車線の国道1号を走る。花水橋(花水川)を渡ると、ほどなくして右側に小高い高麗山(168m)が見える。古に、朝鮮半島の人々が当地に上陸をした証しなのだとか。その後、彼らは、埼玉県、群馬県方面へと勢力を拡大し、混血し、定住したとされている。
さて、ここまで走行すると、これまでと風景が全く違っていることが感じられる。
田園なのである。子供のころに感じた原風景が、まだそこに存在しているのである。
道路が舗装され、建物が近代化されたところで、河原や川や、そこに吹く風などが、遠い昔を感じ取らせてくれるのである。
どうしても、広重の描いた浮世絵がダブって見えてしまうのである。
出来れば、絵の中に入れてもらいたい。彼の作画の中から出てこられなくなっても、一向に構わない。
時代をさかのぼれるのならば、夕刻の品川宿の浜辺にキス釣り用の脚立を立て、上げ潮を待ち、絶滅した青ギス釣りがしてみたい。私が小学校の時に、図書室の図鑑で青ギスの絶滅を知った。ほんの少しのタイムラグで彼らに出会うことが出来たかもしれないと思うと、余計に口惜しい。
想像か妄想かがわからないまま、大磯駅前を12時20分に通過した。
自分の脳内は、今、確かに江戸時代の旅人のように楽しんでいるのだ。
この間、5km。助手席の窓を開け、そこから入る磯の香りと大海原を感じながら、走行する。
13時ちょうど。大磯より15kmを走行。小田原市の唐人町交差点まで到着。
大混雑だ。5月3日は、「小田原北條五代祭り」の初日。しかも、祭りは12時よりスタートしたばかりである。
戦国大名として約100年、栄華を極めた北條氏の祭りである。武者行列や神輿、まち衆隊などが小田原城の近辺に繰り出して賑わっている。
なんとか渋滞を切り抜け、小田原本町を右折することが出来た。左折すると伊豆半島方面に向かう早川口交差を箱根方向へと直進。
芦ノ湖を源流とする早川を左に見て、上流へと向かう。上り坂だ。今度は、右側に、箱根登山鉄道が旅の友をしてくれる。
緩い勾配を走ると、徐々にノロノロ運転となる。有名な、蒲鉾屋が右側に見える。
片側一車線の細い道路は、観光客が左右の土産物屋を目指して無理な横断をする。そのたび、車は停車する。
観光地ならではの風景だ。自分も旅人なので、そうした行為にも腹が立たない。右側が、箱根湯本駅だ。ずっと、上り坂のワインディングロードが続く。
塔ノ沢で、今度は、箱根登山鉄道が進行方向の左側に、2級河川、早川が右側に入れ換わる。箱根の地形の配置の妙である。
相変わらずの上り坂。やがて、案内板が見え宮下。この田舎くさいT字路の宮下を左折する。
直進すれば、ポーラ美術館もすぐ近く。かみさんとならば、仙石原か強羅あたりに宿をとり、東名を御殿場で降りて、箱根山を下るルートで観光地に入る。
左折をすると、道路はつづら折れが急になり、そのたびハンドルを左右に切ることが面倒くさくなってくる。
それでも、やがて箱根神社、小涌谷、精進池、元箱根、足の湯の看板が見えてくる。
午後2時ジャストに足の湯を通過。ここまでの走行距離、90km。
箱根峠からは、左右に視界が開け、下り坂となる。
今まで、上り坂のワインディンロードをまるで誰かに命令されて、前を走る車の轍の通り、付かず離れず、精神的に窮屈な運転を課せられてき。
そんな鬱積していた閉鎖的な気持ちが、下りのパノラマが開け、窓から入る風が心地よい。すこぶる、爽快な気分にしてくれる。
どこかで、昼飯を食いたいが、先にも進みたい。少しでも目的地の近くまで進み、安心がしたい。
でも、腹の中に何かを入れて、とりあえずホッとしたい。夜の計画もあることだし。
このジレンマは、車で遠出をすると起きるのである。仕事の時でもそうなので、きっと、気が小さいのだろう。
「三島」の文字が見え、もうそろそろ昼飯を食っておかないと、夜に計画が実行できない。
静岡のおでん横丁に行って、おかずの何品かは頼むことができないと格好がつかない。
自分に折り合いをつけて、三島市に入り、初めにあった、ファミレスに飛び込んだ。
午後2時40分。ようやくの食事休憩。元箱根足の湯から、23kmの距離を走行した。
カレーにコーヒーを注文。夜を意識して、カレーは半分を残す。2時55分。車に戻り、今夜の宿を探すこととする。
前夜、PCからインターネットで、静岡市内のビジネスホテルの住所と電話番号を検索しておいた。
このうちの、30軒ほどを一覧印刷。これだけあれば、どこか宿泊場所の確保はできるだろうと高をくくっていた。
一覧から何件も問い合わせをするが、すべて満室の返答。キャンセル待ちさえ望み薄と、返答される。
スマホは、どんどんと熱を帯び、印刷した3枚の用紙は、消込が増える。
リストの残り2件。車中泊が頭をよぎる中で、掛けた先のビジネスホテルの女性従業員の対応が神だった。
「自分が、個人的に知っているところがある」しかし、「ビジネスホテルではなく、一流ホテルのツインルームなので、グレードが上がる」
それでも良いのならばの条件で、「10分待て、聞いてあげる」となった。
折り返しの電話で、先方の了解が取れ、電話番号を教えてくれたのである。
後で、おでん横丁の親父から聞く話なのだが、取れた宿は、静岡市内で上位クラスを争う名門ホテルとのこと。
とりあえず、一安心。当初の目的地である、静岡県葵区安東町にカーナビをセットする。
車は、三島市内から沼津バイパスへ。道路幅をたっぷりと取ったバイパスは走りやすく、快適である。
都内の環状八号線など、交通流量の関係から、無理に3車線に作り変えたため車幅が狭く走りづらい。
このため、走行時に左右の車両に注意が欠かせずにストレスがたまる。時代の変化で、車両のサイズが大型化しているのである。
特に、右折レーンを設けていない交差点では、中央レーンを走行する直進車両は、多大な注意が必要だ。
右折のため信号待ちをしている車に格段の注意が必要となる。
若者が、車に興味を持たず、運転免許の取得人口も減少した。少子高齢化、人口減少化の時代となって、自動車の総稼働台数や、総走行台数もピーク時よりは確実に減少していると思う。
これは、日々、自分が自動車を使用する仕事に携わっているから、感じられることなのだ。
一昔前と比べて、道路が非常に走りやすいのだ。中には、今日、日曜日なのと思うくらい交通量が少ない日もあるのだ。
都内でもそんな風に思える日や、時間帯がかなりの頻度であるのだ。
そんな時代だから、もう、交通流量の総量を気にすることなく、走行レーンを3車線から、2車線に通行変更をするべきだと思う。そのほうが、並走する車両を気にすることが減り、たぶん右折車両がらみの事故は、減少することだろう。
国道1号線富士由比バイパスで、富士川を越える。左側に駿河湾が続いている。蒲原西の道路標識で、ジャスト4時となった。ここでも、浮世絵の雪の蒲原を夢想する。
休憩をした三島のファミレスから距離にして43キロ。1時間走ったので、時速43キロということとなる。
興津川を越え、清水区へ。ここからカーナビ嬢は、山側の国道1号の静清バイパスを走行しろと命令する。唐瀬ICで、降りなさいと言う。
続けてカーナビ嬢が、「その先一般道です、約1キロほどで目的地に到着」となる。
静岡県静岡市葵区安東町2丁目は、駿河駿府城跡の北1キロメートルほどのところであった。
母親の戸籍上の住所である。ただ、住所を手掛かりにその地がどんなところなのかを見ておきたかったのだ。
近くを2ブロックほど切り取ってグルッと1周してみた。何の変哲もない古びた区画の場所で、生活レベルでは、並みの住宅街といった感じであった。
ここでの収穫は、番地が表示されたプレートの写真を1枚撮影した。
まあ、本当は、爺さん、ばあさんが眠っている墓を探し出して、線香の1本でも手向けたかったのだが。
個人情報とやらの関係で、当の本人が訪ねても、役所は自分の直系の家族の情報以外は、教えてくれない。
それでも、この番地に来られただけでも、自分の当初の目的のいくらかは達成が出来たということか?
あとは、おでん横丁で、厄落としだ。
静岡パルコ横のホテルの到着したのは、午後5時45分。
走行距離にして、出発から175キロメートル。時間にして、6時間弱。頑張った。
ホテルの駐車場は建物に隣接するタワー式で、1泊800円なり。安くて助かる。
案内された部屋は8階のツインルームのため広い。早速、シャワーを浴びて、おでん横丁へと向かう。
取れた宿が一等地にあるためフロントで聞いても、「おでん横丁」は、かなり近い距離にあるらしい。
一人の行動であったため、人恋しく、道行く人、誰彼となく話しかけ、おでん横丁の場所を聞いて回る。
流行りのワインバーのドアを開け、「後で酔ってなければ飲みに来るので、おでん横丁って何処?」って、お姉さんに聞いてみた。すると、お兄さんがわざわざカウンターの中から出てきて、親切に教えてくれた。
「青葉おでん横丁」は、昭和通りと青葉通りの交差点のすぐ先にあった。
教えてもらったところから、徒歩5分もかからない。
見上げれば、青葉通り沿いに古ぼけたおでん横丁のアーチがかかっている。
30メートルほど歩くと行き止まりの凹型の飲食店街だ。左右に間口1軒~1.5軒の店舗が20~25軒ほど軒を連ねる。
まずは、偵察を行う。見知らぬ街の飲み屋を決める際の常とう手段だ。
これをおろそかにすると、その日の自分があらかじめ考えた行動手順が台無しになる。
いくらなんでも、入った店をないがしろには出来ないからだ。イメージの合わない店だとしても多少の飲み食いは必要で、ここでの飲食が、後で腹にこたえるのだ。
いくらか早足で、各店をチラ見する。
どこの飲食店街でもそうだが、混雑店と、閑古鳥店、ぼつぼつと客が入っている店が混在する。
どこに入るかは、その時の体調や心理状況によって大きく左右される。
つまり、それなりに美味いものを食したいときや、連れがいるときは、そうしたものを出してくれる店のほうを選ぶ。
ただし、そうした店でも繁盛店や、小さな個人経営店の場合は、長居をすることが難しい場合もある。
営業効率を考え、食ったら早めに帰ってほしい的な反応を示す店もあるからだ。
したがって、一人で居酒屋を選択する基準に味の良い悪いは頓着しない。それよりも、せっかく入った店だ、少しの時間は座っていたい、つまりすわり心地を重視する。
この場合でも、つまみの味に期待が持てないかというと、決してそうとも言えない。
食べ物の好みは十人十色であり、評判が悪くても、自分が美味いと思えれば、それでよいのだ。
また、地雷を踏んだような料理でも、その面は捨てにかかり、店主や、居合わせた客と一時が楽しめれば、それでよいのだ。
これも一興なのである。酒の味は、銘柄で日本全国、同じなのである。
日本酒、焼酎、その他の総てのアルコールに至るまで、自分の舌が記憶をしている。何を選んでも、期待にたがわぬことがない。
自分の場合、止まり木に腰を掛け、酒が飲め、店主や居合わせた客と話が出来ればそれでよいのである。
そのために、ほんの少しのつまみが必要なだけだ。なので、つまみにこだわりはない。
自分が一番困るのは、注文した料理の量がなんでも多い店である。
座らせてもらった手前、つねに3品ほどは店に対する売上協力としても、料理の注文をしたい。
なので、出来上がってくる一皿の量が多い店は困るのだ。食べ残しの量が多くなるからだ。
青葉おでん横丁の偵察2往復目で、混雑している店の中から、「一つ席が空いたから、座りなさいよ」と、おばちゃんに声をかけられた。
夫婦で営業をしている店で、私がうろうろ偵察をしているのを暖簾越しに見られていたらしい。
旅行者とみて声をかけさせたという。そんな変人には見えないようなので、大将が、ママさんに声をかけさせたという次第。
間口1軒、奥行き1軒のその店は、L型のカウンターで詰めて客が10人座れる。
奥の客が出入りするときは、5人がいったん席を離れ店外へと出なくてはならない。
右側の入口の一番奥の席に、40歳台前後の風采の上がらない地元客が着席。
そして、船橋や大阪などから集まった高校が同窓であるという大学生3人組。そして、私が入口の角に着席。五人が座り、これで右側のカウンターは満席となった。
入り口正面のカウンターには四人が掛けられる。
私がコーナーなので左隣には、伊豆下田より来た、という年配のカップルが着席している。
60代後半男性と50代前半の女性のカップルで夫婦ものか。もうすでにかなりの飲食を楽しまれた様子。
その奥さんとみられるご婦人から、竹筒に入った地酒、本醸造の「喜平」を「一杯どうぞ」勧めてくれた。
酒は、50年近く飲んでいるが、日本酒の品評は難しい。ただ、「スッキリとして、うまいです」としか気の利いたコメントができない。
未だに、甘いか、甘くないか、スッキリ系か、ねっとり系かしかわからない。特に、冷やしてしまえばどれも飲み口がよく、違いはますます判らなくなる。
50年近く飲酒して、判ったこととしては、自分は醸造系の酒との相性が悪い。
多分に、アルコールの分解酵素の分解能力が低いのだろうと考える。
なので、よく悪酔いをする。60を過ぎた、今でも悪酔いをする。
遠征地では気が張っているのと、幾分酒量をセーブすることができるので、まず悪酔いになることはない。
だが、地元で飲んで、タクシーでワンメーターの料金で帰れる場所だと頭で判っているときは、かなりの割合で悪酔いをするのだ。
ここからなら、たとえ歩いてでも帰れる。そんな安心感が、「もう一杯、お替わり」となり、「あんたも飲めよ」と、隣客に勧め、ついつい深酒となってしまう。
とはいえ、飲み始めた時代は、銘柄を別にして日本酒は、1級、日本酒2級の選択肢しかなかった。
ビールは、キリンラガーの大瓶。アサヒやサッポロなど他メーカーのビールの注文は、まるで異端児の扱いか、むしろ、置いてないところのほうが多かった。
席を一つ空けて、壁際に呼び込みを行ったおかみさんが座る。その席から、客を見極め、呼び込みを行うのだという。
店主によると、おかみの席は営業上、良客と思えないものは座らせないために占有しているのだとか。
このため、良客が来たら、おかみはその席を空ける。そして、別の空いている席に座るか、満席の時は、立ち見となるそうだ。
典型的に観光客を相手に営業する店なのである。
呼び込まれた瞬間に自分の希望する店とは「ちがう」と感じた。
自分は偏屈な人間なので、店に媚を売ってまで飲み食いはしたいとは思はない。店と肌が合わないと思うともうそこで、くつろげないのだ。
完全に店主導で仕切るところは、今もって苦手である。心底相対ができないのである。
店主の切符なのだろうが、これが美味い、さあ食え、さあ飲め的な威圧を感じられる店は、どうも苦手である。
こうしたところに入店してしまった場合、すぐに考えることは、何品かそつなく頼み、早めに退散することを考える。
案の定、店主のトークのワンマンショーが始まる。
プロ野球のオープン戦や、リーグ戦でもたまに使用される草薙球場が近いことから、野球選手や元選手がよく来ること。
サッカー選手や、それに伴って芸能人も来店する店だとしゃべる。
客の皆が聞き役で、果たしてそんな話で満足をしているのか?
あるいは、観光客として、いい子ちゃんを気取っているのか?
はたまた、自分と同じで、和を乱すことなくただ頷いているのか?
まあ、若い客たちは、店主のそれを土産話として楽しんでいるのかもしれない。
耳が疲れる。自分は、こうした店に長居をすることはできないタイプである。
金まで払って、一方的な店主の話に付き合わされるのはごめんだ。酒場では、話をする側が最後に金を払うもの、としているのが私の持論だ。
だから、たまたま、隣り合って会話が弾むお兄さんや、お姉さんには、一杯でも二杯でもごちそうする。
相手が、こっちの話にあまり食いつかない時は、そこで切り上げる。
どちらかというと、店主や客との会話の中から出た話題で、こちらから突っ込みを入れて会話が弾んでいくことが好きである。
会話のキャッチボールで話が盛り上がる。お替わりが増える、という論法。
店主の勧めで生サクラエビと、静岡おでんの黒ハンペン、その他おでん種を注文。
当地のおでんの特徴は、皿に汁なし、魚粉かけである。それらを瓶ビールで流し込む。〆鯖、蒲鉾を追加する。
飲み物を、店主出身の九州麦焼酎の静岡緑茶割にチェンジ。ククッと二杯を早飲みしてお会計。
生サクラエビと黒ハンペンの感想は、生サクラエビは、わさび醤油で食べろとのこと。食感は、ボタンエビのような味ではあるが、ひげや尻尾がのどにざらつく感じ。
黒ハンペンは、目当てで当地を訪問したので是非とも食してみたかった一品。
関東の人間からすると、九州のさつま揚げと関東のツミレと魚のスジのミックスのようなコリッとした感じ。これに魚粉と、好みで青のり、和からしをつけて食べる。
たぶん、鰯など小魚を丸ごと擦り身にしてそれを蒸して作られていると想像する。
このため、色が黒っぽく、食感は、小骨や鱗を想像するような感がある。
結局、店主が会話を仕切っている店なので、同席した客同士の会話はない。
連れ同士で話すだけなので、一通り、飲み食いが済むと退店となる。狭い店の回転率を考えれば、店主の作戦ということか?
一人、請われてその店を訪問した客には何か物足りなさが残る。そう思うのは、自分だけか。
勘定を終えて、外に出る。おでん街出入り口を右へ。交差点の信号を渡り終え、ふと右側を見やると、そこにも、おでん横丁があるのである。
そこも左右におでん屋さんがあるのだが、このブロックは、先の辻へ通り抜けができ構造になっている。
なので、何度も行き来をして自分好みの店を探すことにする。
前の店でもあまり食してないのだが、食べ物に関しては、あまり頓着がない。自分の胃袋には、食物よりも飲料のスペースがあれば満足だ。
つまり、飲んで人と話すことができればよいのだ。そして、何度もその20メートルほどの通路を巡回する。
候補の店が2軒。1軒は、70代くらいのばあさんが舟を漕いでいる店。もう1軒は、先客が1組、若者のアベックである。
他の店は、地元の客であろうか、複数の仲間で盛り上がり商売繁盛。入店したところで、とても仲間に加われそうな雰囲気ではない。
酔客同士のうるさいバカ話だけを聞かされる。加えて、一見ゆえに誰とも言葉を交わすことができなかったとなるとつらい。
喧噪の店内にあって、自分だけが誰とも話すことができないなんてつまらない。
酔った人間の話を聞きたくもないのに、聞かされてストレスが貯まるのはごめんだ。
わざわざ、当地まで来てそんなおもいはしたくない。自分が同じレベルまですでに酔っていれば別だが。
どの店に入るか。ほろ酔いの頭でも、こうしたチョイスをするときの我が古びた中央演算装置は、完璧に駆動する。
結果、誰もいないお茶引きばあさんの店を選択。薄暗い通路を引き返し、店の入り口まで来たとき、50代前後の夫婦者と思しき方々と遭遇した。
躊躇せず、二人に声を掛けると「どの店に入ろうかと迷っている」と、ダンナ。
そんなことで両名を誘い、目前のお茶引きばあさんの店に入店となった。
三名で入店をすると、それでもやる気のなさを感じさせる、ばあさん経営者。
客が居ないことをまるで達観しているのであろうその仕草。
我々の入店をさして嬉しがる風でもなく「あたしゃ、こんな風で何十年もやって来たんだよ」とでも、言いたげ。
その店は、間口が1軒、奥行きが2軒ほどのカウンター造り。向かって右側と手前側が客席となっており、先ほど行った店と同じ構造。こちらのほうが奥行にして、半間ほど長いのか。
誰もいない店なので、「好きなところにどうぞ」と、ばあさん店主。
入口のコーナーに私が着席。右角にダンナとその先に奥さんが陣取る。こうして、夜会の第二ラウンドがスタートと相成った。
自分が入口前に座ったのは、後から来る人への配慮。客がいることがわかることにより、後から来る客が入店しやすくなるからだ。
案の定、後から二組の年若いカップルが入店してきた。
あの舟をこぐしぐさのばあさん経営者だけを見たら、ほとんどスルーすることだろう。特に、若い客には入りづらい。
名古屋から来たというご夫婦は、ダンナ側の墓が静岡にあり、連休に合わせての墓参りをしに来たという。
年齢を聞くと、ダンナが56歳、奥さんが5つ下だという。
印刷関連の会社に勤めていたが、長年の過労がたたり心労を患い現在、休職中であるとのこと。
このため、奥さんがパートに出かけ生活を支えていること。長男は、30歳。独身で同居中とのこと。
なにしろ、この奥さんが明るい人で、夫婦で、とても微笑ましいのが印象的であった。二人して、紡いだだけの絆があると思った。なんだろう、この安心感。
二人の話を聞いていて思うことは、決して金銭的には恵まれた生活はしていないのだが、何か、ホットするような関係が見えるのである。
ちょっと、うらやましい気持ちを持ちながら、そのおでん屋の勘定を精算。夫婦とは、住所を交換の後、店頭にて解散。自分は、宿舎方面へと踵を返す。
道すがらスケベ心もあり、歓楽的な店舗前で呼び込みに誘われれば、入店を覚悟した。入店したことを呼び込みのせいにしたかったが、誰にも呼び止められることはなかった。こんな時は、誰かが背中さえ押してくれれば、久しく縁のなかった店に入店できたのに、と思う。
ほどなく、宿舎前まで戻ってきてしまった。
仕方なく、ホテル斜め前の、当地では有名とされるラーメン店に入店。
自分定番の、瓶ビールとオーソドックスの醤油ラーメンを注文する。
どのラーメン店でも、比較的にオーソドックスな醤油ラーメンは、味にたいした失敗がないからだ。
また、飲酒後なので、出てきたラーメンを最後まで食べ切れなくても、不満は残らない。
しかし、締めのラーメン店では、ビールは必ず注文する。意地汚いのだ。
このため、入店したラーメン店にビールがないとなると、退店する。
私の感覚では、ビール屋にラーメンが置いてあるというシュチーエーションなのだ。
それだけに、ビールは、胃がどんなに受け付けなくても、最後のコップ一杯までは飲むことにしている。
この、飲みすぎて、胃が受け付けなくなった時のビールの苦さが、なかなか良いのだ。これが、昔のキリンラガーの味なのだ。
頼んだビールは、ビール瓶には残さないことと、これまた自分ルールで決めている。
ルールを作り、実践を重ねると酔っても、それが当たり前のように出来るようになるのだ。
そんなこんなで、ラーメン店を切り上げ、ホテルに戻り、バタン、キュウの熟睡。
誰も私の背中を押してくれなかったことに感謝する。この飲酒の量ならば、二日酔いはない。
小心者の日常ゆえ、大きな問題を起こすこともなく目覚め、今日も生きている。
その老舗ホテルの、バイキング朝食会場へと向かう。
地階に設置された朝食会場は、ホテル側の説明の通り、広くゆったりとして、心地よい設定だ。
セルフサービスであるが、退席をした客の食器の後片付けやテーブルの清掃など、従業員がテキパキと働く。
それでいて、清潔感があり気持ち良い。なので、座ることに躊躇しない。自分が嫌いなのは、グラスのふちの汚れがついていることと、テーブル上に拭きムラがあることだ。クロス上に水分や、前客の食べ散らかしたソースなどの拭きムラに対して神経質になる。
和洋中の朝食メニューが揃い、その場で卵料理などを調理してくれるサービスまであり、コーヒーも旨く合格点だ。
最近は、家でも体重の維持のため朝食は取らないことにしている。指食は動くのだが、コーヒーを飲んで朝の食堂の雰囲気を楽しみ、満足する。
シャワーを浴び、フロントにて精算。5月4日の高速を使わない旅が始まる。
ホテルよりすぐのところに静岡浅間神社があるので、そこを観光。
「おせんげんさま」と、地元民から呼ばれ親しまれ神部神社、浅間神社、大蔵御祖神社の三社からなる。
一つの造りの社殿に、二社の神社が祀られている二社造り。向かって右側が神部神社(駿河の国の総社)。主祭神は、大国主命。左側が、浅間神社で、主祭神は、木之花咲耶姫。富士宮本宮の分霊として、延喜元年、当地に富士新宮として造営された。夫婦円満の神様とされている。
大蔵御祖社(奈吾屋大明神)は、主祭神が大蔵御祖命たなっており、静岡の守護神で商売繁盛の神様。
一通り見学の後、八千戎神社横に間口6軒ほどの登りの石段を発見。中央に、金属製の手すりが頂上まで施設されているのを確認。躊躇なく階上を目指す。
見上げて登ること、百段あまり。腿が上がらないが、頑張って踊り場に到着。踊り場の正面は、藪になっている。右折れして、さらに50段ほど登ると、正面に麗山神社(大山祇命が主神)の末社が現れる。
この一帯は、賤機山公園と呼ばれ小高い山となっており市民の散歩コースとなっている。史蹟、賤機山古墳で、6世紀頃の築造とされている。
いつの時代も、支配をする者は小高く安全な場所に住み、族長が死亡すると遺品を埋葬するので、古墳が出来る。
時代が過ぎて、そうした場所に、権力者が神社、仏閣を造営する。
結局、古墳の作られた場所は、小高く、見晴らしがよく、水辺に近い。下々を管理するにはもってこいの条件の揃った場所なのだ。
古墳が存在する場所は、その地の豪族が支配する一等地である。
今、賤機山公園より東側の静岡市内を俯瞰する。ここより、昔は見えたであろう豊饒な駿河湾を想像し、そう思う。
午前9時15分。静岡浅間神社に別れを告げ、帰路に着く。
カーナビが国道1号バイパスを案内するが、安倍街道を北上した昭府ICには入路がなく、2度トライして、安倍街道を南下。国道1号より帰路に着くこととした。清水市八幡西町の信号下地名板で赤振動停車。10時ジャスト。17キロ走行。
ここより右側に駿河湾。左手に富士山が見えたり隠れたり。10時30分には、道の駅「富士」に到着。10分の休憩。2階、展望スポット依藤さんがくっきりと見えるのだが、写メでとるとまったく物足りなく、富士山に申し訳ない。
やはり、望遠レンズは必要なのか。浅間神社より、ちょうど40キロの距離。
この間、心残りといえば、久能山、東照大権現に寄れなかったことか。
まあ、今回行けなかったということは、きっと近いうちにそこに行けるチャンスが発生するという裏返しと思い、その日を待とう。
11時ちょうど、沼津市立病院前交差点を通過。58キロの距離を1時間35分で走った。
11時35分、「箱根エコパーキング」に到着。5分の休憩。ここまで、83キロを走行。
12時ちょうどに、芦ノ湖畔、12時20分、箱根神社、関所跡着。
連休のため渋滞発生。この原因は、片側1車線の道路で、自分勝手に駐車場をめざしてとにかく、前方を見ずに右左折をするため。
後の車が上り、下り車線とも直進できずに、渋滞が発生する。まったく、我良ければの人間が多すぎる。
午後1時。塔ノ沢。ここまで102キロ。1時30分に小田原市内に到着。110キロを走破。昼休み休憩とする。
市内は、昨日からの祭りが引き続きき行われ、活況を呈している。
本日は、町内神輿のようで、市内の辻には威勢の良い掛け声があちらこちらで響いている。
駅、東口近くの商店街のすし屋でランチ。ドアを開けると右側がカウンター。空いている奥より2人目の席に座る。一番奥のおっさんも、右隣りのおっさんも、昼からビール。
奥のおっさんは、真っ赤な顔でビールから、焼酎にチェンジした。
こちらは、上にぎりにお茶の組み合わせ。寿司はそれなりにうまいのだが、両隣のスチエーションがこれではたまらない。真っ赤な顔に、酒の吐息とくれば、私にとっては拷問のほか何物でもない。
車の移動で残念なことは、昼飯に酒が飲めないこと。なので、頭の中は帰宅後、どの店で始めの一杯を飲むかを想像することで、自分の置かれた悲惨な現状を耐え忍ぶ。
パーキングに止める前に、小田原に市内をほんの少し走ってみた。海側の有名な蒲鉾店や、古のつくりの建築物をゆっくりと走りながらの見物となる。
小田原駅東側の一角は、碁盤上の街造りがされており、分かり易い。このわかりやすいという意味は、右でも左でも、4回曲がれば元の位置の戻れるということ。男にとって、夜になればなんか楽しそうな一帯だ。
結局、食事休憩は40分取った。時刻は午後2時10分。夕方の一杯をイメージしながらも、安全運転に徹して、走行再開。
昨日西下した国道1号を、40分くらい東上する。
大磯の大地を超えると、左に大磯六社神社の看板が見える。
ここ六社神社は、相模国に建立された一の宮、二宮など四社に平塚八幡宮を加えた近在五社を合祀、それらの総社として創建された。主祭神は、各社の主祭が仲良く祀られている。
そこから、五分、一〇分のところに平塚春日神社がある。安産、旅の安全を願う人々が訪れるとされている。
午後三時ちょうどに当地を通過。ここまでの本日の走行距離は一三〇キロ。静岡浅間神社を出発してから、休憩を含めて、六時間弱が経過した。
午後四時。東戸塚駅入口を通過。ここまで一五七キロを走行。この辺からは、いつもの見慣れた風景で、走っていても安心する。
これまで、多分、百回近くはこの道を走行している。なので、走っていても体が地形を覚えているので、他車の危ない運転にも十分に対応できる。
スムーズな走りで、平沼橋を超え横浜駅を通過。海側の国道一五号線へ。
本来ならば、こちらが正当な国道一号線なのである。
古くは、フランク永井も、桜田門から横浜までを「第二国道」と、唄っている。
午後四時二五分、京浜急行神奈川新町の駅近くで、トイレ休憩。駅脇の小公園にトイレがあり事なきを得る。
四時三〇分、エンジンスタート。ここまで、一六七キロ。さあ、残りあと少し、安全運転で。交通事故の多くは、走り始めと、もう少しで目的地に到着する時に起こることが多いとされている。
自分も、軽自動車の運転免許の取得から数えて、四六年の運転キャリアである。その間、運転を媒介とした仕事が多く、ほとんど毎日車に乗っている。
そして、思うことだが、自動車事故は、本当に気を抜いたときに起こるものなのだ。本当に走りなれた道でも、もうすぐ、自宅に到着するというときは気を引き締めて運転をするようにしている。
昨日の午前に通過した、京急、生麦駅近くの飲み屋や、JR鶴見線、国道駅前の飲み屋を夕方に飲めずに通過するのは辛いことだ。しかし、ここさえ耐え切ることができれば後は酒池肉林だ。肉はないけど。
午後五時、丁度。月極め駐車場に無事到着した。トリップメーターは七八五キロメーター。出発時の四七五キロメーターから差し引くと二日間の総走行距離は、三一〇キロメートルとなった。
今回は、出発時点での満タン給油で出かけることとした。帰宅後の給油は、一刻も早く酒が飲みたいこともあり、翌日となった。行きつけのスタンドにて給油。
満タン給油にて計測すると、14.6Lが給油された。
三一〇キロメートル走行で14.6Lの給油なので1Lあたりの走行距離は、21.23キロメートルとなった。
L換算が158円なので、今回の往復にかかったガソリン代は2307円であった。ちなみに、使用した車両は、9年物のプリウスである。
安く済んだガソリン代は、自分の燃料代とする。こちらは、燃費が悪いので、いつでも燃料代の支払いに、頭を悩ませられるのである。(了)

 

 


この本の内容は以上です。


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