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入門

 その切り立った険しい姿から剣山(つるぎざん)と呼ばれる山の中腹に鳳凰会の幹部養成所である寺院、通称《剣山》はある。剣奉寺(けんぽうじ)というのが寺の正式名称であったが、みな剣山と呼ぶ。山と寺の区別をつけたいときには山のほうを《剣(つるぎ)の山》、剣山内部の者であれば、ただ《山》と言う。つまり《剣山》と言えば、ふつう山よりは寺とその教育課程を指す。


「剣山、よろしくね!」
 だれもいない門の前で、ラシャは山に挨拶した。
 プラチナブロンドの短く細い髪が風に揺れる。

 とうとうやってきた。

 門は刀をかたどった石が左右にひとつずつ置いてある。

 その石門を通ると、しばらく上りの坂道が続く。

 やがて、建物が見えてきた。
「とお~」「やあ~」
 などといったかけ声が聞こえる。
「あれが、道場か」
 稽古をしている修行者の声は聞こえたが、道場の中は見えない。

 さらに歩いていくと、修行者らしき数名が蒔き割りをしているのが見えた。一人が驚いたような顔をしてラシャのほうに歩み出しかけたが、もう一人がそれを制した。ラシャを見ながら何かヒソヒソと話しだした。

 彼らにかまわず、ラシャは奥へと進んだ。
 黒っぽい二階建ての木造建築が見えてきた。
「ここが、たぶん寮だ」
 剣山内の建物の配置は事前に聞いていた。特に幼いラシャの剣山を心配したカリンガは、もういいというのに懇切丁寧に何度も何度も教えてくれた。

 建物の引き戸を開けて中に入った。
 寮は古びて、黒光りした柱などがなかなか趣がある。
「だれもいないのかな……」
 ラシャが玄関でぼ~っとしていると、中から男の子が出てきた。タッタッタと駆け足で急いでいるようすだった。ラシャより少し大きいが、一見して子どもとわかる容貌と体格だった。

 男の子はラシャを見ると、
「ひょっとしてラシャさま?」
「そう」
「ごめんなさい。たった今聞いたところなので、お迎えに出るのがおそくなりました」
 剣山に検問所のようなものはないが、敷地内に入ってくる者、出ていく者をチェックする機構がある。寺にいながらにして人の出入りを察知できる能力のある者が不審者を感じ取ると警告を発する。ラシャの場合はその《レーダー》が、迎えをよこしたわけだ。

「僕はカミュ。よろしくお願いします」
「よろしく。でも敬語はいらないよ。上のほうには言ってあるんだけど、特別あつかいはしないで」
 カミュはコクッとうなずいて、
「部屋に案内するよ。僕と同じ部屋なんだよ」
 入門者は二人ずつ相部屋なのだった。

 カミュはそれまで別の相手と一緒の部屋だったが、ラシャの入門で部屋替えになったらしい。ラシャには年の近いカミュと同室にしてやるのがよかろうという剣山の配慮であった。
 歩きながら、カミュはにこやかに話しかけてきた。
「ラシャさまが入ってきて、よかった」
「どうして?」
「今まで僕が一番年下で、居心地悪くて……」
「意地悪されるの?」
「ううん。そうじゃないけど、子ども扱いされちゃうんだよね」
 カミュは年のわりにも童顔で、厳しい面立ちのラシャより年下に見えなくもない。
「カミュはいくつ?」
「十二歳」
「ふうん。じゃ、僕はもっとバカにされそうだな。まだ十歳だから」
「でも、ラシャさまは別じゃないかな……。会主さまの弟だもの。みんな友達になりたがると思う」
「そんなんで友達になってくれても迷惑だな」
「ははは。でも、そういうもんじゃない?」


 鳳凰会は各地に《寺》を建て、依頼されれば冠婚葬祭などの行事を執り行うが、主な活動は教育であって、教条的に説教する団体ではなかった。
 経典もない。少なくとも、まだない。
 そして、年少者が寺で教わるのは主に実学である。
 兵部上級者に向けても初代ジュートは武術に関する教えを書き残すということをしなかった。一般的教書としては主に先進国エリース発行書物の書写版が用いられ、鳳凰会兵部独自の教えは、すべて口伝である。
 また鳳凰会士は専業職ではない場合も多い。会士としての教育を受けたあと、寺に残る者もいるが、家業をつぐ者、新しい仕事に就く者、商売を始める者、芸術の道に進む者など進路はさまざまだった。鳳凰会の組織とは別個に私塾を開く者もいる。

 それで、鳳凰山およびその周辺地域の住人にとって、鳳凰会は信仰の対象というよりは質の良い教育を受けられる学校のような位置づけにあった。裕福な者は謝礼を多めに包んで子女を送り出したし、そうでない家でも子どもの一人を鳳凰会に入れようと工面した。入学金や学費のようなものはあるが、一律ではなかった。生産物で納める者が多かったからだ。それも成績優秀者は免除される場合もあった。そして、特に学齢期というものはない。学びたいものはその段階に応じて学ぶ。そのため、年齢の違う子ども(大人の場合もある)が机を並べていることもある。

 鳳凰会兵部の最高訓練機関である剣山入山の平均年齢は年々下がっていた。ラシャの(未来の)義兄トーマは十六で入門し、その当時はそれで一番若い入門者だったのだが、それから四~五年しか経っていないのに、今では十四~五歳での入山は珍しくない。それでも、ラシャのような十歳児は異例のことだった。これまでの最年少記録はカミュの十二歳である。彼が入ったときにも、こんな子どもをどう扱ったらいいのかと周囲は困惑した。それが意外と問題がなかったので、もう少し若いラシャでも大丈夫だろうということになったらしい。

 それでも当初はラシャとカミュが二人で一緒にいると、誤って剣山に迷い込んだ子どもと間違われて叱責を受け、追い出されそうになることがしばしばあった。しかし、そのうち剣山の修行者たちも《子ども二人組》に慣れて、何も言わなくなった。



 朝稽古を終えたラシャが食堂に向かおうとすると、カミュが呼び止めた。
「昼ご飯はあわてて先に行かないほうがいいんだ。汁物が多いんだけど、後のほうが出汁がきいてておいしいんだよ。量はたっぷりあるから、食事時間内であれば食いっぱぐれることはない」
「ふ~ん、でもそれなら、みんな遅れて行こうとするんじゃない?」
「それがそうでもない。それぞれ予定が違うから、早い時間に食べるしかない人も多いんだ。特に上級者。でも入門の僕らは遅い時間でも大丈夫!」
 カミュはラシャより数か月早く入門していた。剣山の規則や生活について、ラシャのガイド役をつとめてくれる。公式なオリエンテーションは師匠から受けるが、裏情報は仲間からもらうに限る。
「上級者になると食事がまずくなるってこと?」
「っていうか、上級者になると粗食に慣れて、そういうことに頓着しなくなるんだって」
「なるほどね」   

 剣山の稽古はラシャにとってもやはりハードだった。カミュはこうした生活情報だけでなくいろいろ親切に教えてくれてラシャは助かっていた。おそらくカミュ自身、苦労したのだろう。

 入門者は随時入山し、同じ組の仲間が一斉スタートするわけではない。特に新入生は自分だけが新入りで、日々の稽古に慣れた仲間とともに修行にはげまなければならないのだった。
 前もって全体像を知っているのと、ひとつのことを終えて「次はこうするんだよ」「次はここに行くんだよ」と言われるのとでは疲労感が違う。その点、ラシャはきめ細やかなカミュの配慮に助けられていた。
 それでも、一日の課題をこなすのがやっとだった。昼すぎにはもう疲れてくる。その日の稽古が終わる頃にはくたくただ。

 そんな疲れが出てくる稽古じまい間際のことだった。
「あうっ」
 相手の棍棒でラシャは左腕をたたかれた。
 ラシャがうずくまると、相手は済まなそうに寄ってきた。
「大丈夫?」
「このぐらい平気! 続けよう」
 しかし、相手は急に手を緩めて手加減しだした。一回り小さな子ども相手に、ガンガン打ち込む気にはなれない。
 入門組は十代半ばから上ぐらいの少年が多かった。そして、カミュ以外は体格だけはもうほとんど大人だ。
 同い年頃の子どもの中にあってはラシャは大きめで、たくましく見えた。こんな容赦や配慮を受けることはなかった。手加減していたのはいつもラシャのほうだった。それが、ここ剣山ではほかの修行者と比べて自分は一段と幼く、か細い。
 ラシャは悔しかった。打たれたことよりも、加減されることのほうが口惜しい。
 年上の相手を本気にさせるにはラシャが強く出るしかないと思った。
 ラシャのことを手負いの子どもと見た相手は隙だらけだった。そんな相手の腹にラシャは棒を思いっきりたたきつけた。
 相手の体がグラッと揺れ、次の瞬間にはバタッと倒れてしまった。
 見ていた仲間が駆け寄った。
「お、おい。大丈夫か?」
 気を失っているようで、応答がない。
 入門組師匠のゴンは意識不明の弟子の首や手首にふれ、様子を伺うと、
「医務方へ連れて行け」
「はい」
 怪我人はすぐに板張りの担架で運びだされた。
 ゴンはあっけにとられている他の弟子たちをたしなめた。
「見たか? 小柄な相手だと思って油断するとこういうことになるんだ。気をひきしめてかかれ!」
「はい!」
 ラシャに無用の手加減をする者は次第になくなっていった。
 会主の弟だから特別に入れてもらったのではない。それなりの実力を持っているのだということを周囲も徐々に認めていった。

 逆に言えば、せっかく手加減してくれた相手に、恩を仇で返すようなことをしたものだから、ただでさえしんどい一日がさらに辛くなる。
 それでもラシャはあえて厳しさを自ら求めた。
 強烈な克己心がラシャを突き動かし、かつ、支えていた。
 はやく一人前になってシエラの片腕となる。
 また、早く兄アシュに追いつき追い越せの一心だった。
 山を捨て、家族を捨てた恩知らずのアシュには絶対に負けない。


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仲間

 ラシャはしきりに肩に手をやっていた。投げられたとき受け身に失敗したのだった。背後から、「大丈夫?」と静かで落ち着いた声がかかった。
 ラシャが見上げると、ストレートの長い黒髪を背中で束ねた青年が立っていた。
「うん」
「これをつけたらいい」
 すっと伸びてきた手には貝殻がのっていた。
 ラシャは貝を手に取り、蓋を開けた。すると、中には緑色の粘々したものが入っていた。
「何なの?」
「カチの実で作った軟膏だ。よく効くよ」
「ふ~ん。ありがとう」
 ラシャは匂いをかいだ。渋みのある、なかなかいい匂いだった。
 肩につけるとスッとした。
「私はジン」
「入門組の名前はだいたい覚えたよ。それに、あんたはここじゃリーダーだろ」
「一番年上ってだけだ」
 ジンは二十歳だった。ラシャが入門してから数日たつが、ジンとこうして向かい合って話すのは初めてだ。
 無駄口はきかないが、口を開けば正論という優等生タイプ。一見冷たそうにも見えるが、周囲への気配りは細やかだ。
 武闘の稽古に怪我はつきものだが、そんなとき真っ先に声をかけてくれるのも、仲のよいルームメイトのカミュでか、このジンだった。ラシャに対してだけでなく、グループのみんなに配慮があり、一同から一目置かれている。あれこれ指図するわけではないが、肝心なときに頼れる兄貴という感じ。
 細面の知的な顔立ちで、なぜか目を閉じていることが多かった。目を開けるときも、せいぜい薄目を開く程度だ。いずれにしてもじっとしていると眠っているのか起きているのかわからないぐらい、いつも瞼が下りていた。腰までかかる黒髪はつややかだった。稽古のときなどは首下でゆったりと束ねているが、そのまま垂らしていることも多い。 

「ラシャさんよ~。これ食うか?」
 食いしん坊のトールは、いつも食べ物を持っている。もちろん決まった食事時間以外の飲食は原則禁止だから規則違反だ。

 トールもジンほどではないが髪が長かった。こちらは伸ばし放題の赤茶けてごわごわした固い髪を無理やり頭のてっぺんにまとめて縛り上げたような髪形だった。基本的に「ポニーテール」だが、毛が跳ね上がって馬の尻尾というよりはハリネズミのようだ。
 眉が太く、顎が張っていて、体全体が大きくたくましい。いかにも豪傑といった青年だ。その髪型と体格がかつて剣山に仲間を集め、乱を起こしたマホガ(鳳凰の舞4『マホガの乱』参照)にやや似ているが、顔立ちはずっと男前である。

「それ、何?」
「ムクの実。俺の故郷で取れるんだ。甘くてうまいぞ」
 修行者には外の人間との接触は原則として禁じられているが、物財の送付は許されている。
 トールは卵ほどの大きさのオレンジ色をした実を投げてよこした。
 ラシャは眼前に構えた右手でパシッと受け取った。
「ありがとう」
 皮が分厚い果実だったが、トールが丸かじりしているので、ラシャも皮をむかずにかぶりついた。最初は変な味だと思ったが、噛んでいるうちに甘みが出てきた。それでいて後味はさっぱりしている。
「おいしい!」
「そうか」
 初めて食べたのに、どこか懐かしい。そんな味のする果物だった。
「故郷ってどこ?」
「ラード」
「へえ~。どんなところ?」
 ラシャも名前は聞いたことがある。エリースよりさらに西にある大きな国だ。しかし、ラシャはラードという国に行ったことがなく、何も知らない。
「昔の光いまいずこってところだ」
 かつて栄えた大国ラードだが、今はすっかり衰えていた。王朝打倒を叫ぶ抵抗運動も生まれている。領土はなんとか保っているが、国のまとまりはあまり良くない。崩壊寸前とのうわさもある。
「だからここに来たの?」
「まあな」
 鳳凰会に所属せずに剣山に入門することはできない。しかもそれなりの基礎ができていなければ剣山の入山許可は下りない。トールはラードの末寺にいて、そこから剣山に推薦されてきたのだった。十九歳になっていた。


 有能な人材を輩出する鳳凰会の教育システムには諸外国からも関心を寄せられていて、各地に寺を誘致する動きがある。特にラードは鳳凰会を積極的に受け入れており、主要都市には寺が続々と建てられている。

 鳳凰会およびその近郊の商人にとっても遠方とのつながりができるのは好ましいことである。ラシャの父、初代会主ジュートは鳳凰会を山の周辺地域以外の遠方に広げたくないようだったが、請われた場合には断らなかった。また、そんな周囲の声に乗って拡大路線を取りたがるナグールらをあえて抑えることもしなかった。自分は教育に徹し、会の運営はほとんど弟子、特に二大弟子のカリンガとナグールにまかせた。
 カリンガは地元に、ナグールは遠方に強いコネがあり、また二人とも組織を束ねる才があった。この二人がいなければ会の成長には限界があったと思われる。あるいは肥大した組織をまとめることができずにトーラス(かつてジュートは暴君として悪政を敷いていた。鳳凰の舞1 ~三きょうだい①~ 参照)の二の舞となっていたかもしれない。

 諸外国の中でも積極的に鳳凰会を受け入れているラードには、鳳凰山近郊ほどではないが、鳳凰会の寺が比較的多い。そのため、この鳳凰山にもラード出身の会士は少なくない。そして、遠方出身者がいずれは故郷に戻りたがるのに、ラード出身者は山にいつく傾向があった。ラシャはその理由が今わかったような気がした。

 しかし、トールはこうも言った。
「俺は剣山を修了したら故郷に帰る。ここ剣山へは鳳凰会で出世するために入って来たんじゃない」
 食べることしか考えていないヤツかと思っていたら、そうでもないらしい。ラシャは食いしん坊のトールを少し見直した。
 ラシャが不思議そうな顔をしていると、トールはふっと息をもらし、
「ラシャさんにこんなこと言ってもしょうがねえよなあ。忘れてくれ」
「ううん。またラードの話、聞かせてよ」
「ああ、興味があるなら、いつでも話すぜ」
 トールは、にっと笑うと、またムクの実をほおばった。

 十四~五歳の少年たちは皆、自分のことで手一杯で、若年者をかばったり、まして世話をしてやる余裕などなかったが、年長の二人ジンとトールはラシャやカミュをかわいがってくれた。彼らも若いが、もっと若い少年たちの中にあっては大人に見えたし、そういう状況では本人たちも大人になるものだ。


 しかし、入門組にいたのはラシャに好意的な仲間ばかりではなかった。
「はっ」
 カキーン
「えいっ」
 カンッ
 ラシャの振るう木剣はことごとく止められたり、かわされたりしていた。相手は入門組の中で最も優秀と目されている少年ケインだった。ジンとトールについで年長の十六歳。浅黒い肌、短く刈った黄褐色の髪に緑の目、その西域人独特の容貌で、どこにいても目立った。色黒の人間は東方にもいるが、その場合、髪も目も黒い。それに対して西域人は、肌色は褐色だが、髪や目の色が明るい。
「怪我をする前に降参なさったらいかがです? ラシャさま」
 言葉は丁寧だが、その分嫌味な言い方だった。
 剣山でもラシャは「さま」づきで呼ばれていた。例外はトールの「ラシャさん」だ。くだけた性格のトールにしては、それでも精いっぱいの敬称なのだろう。ただ、ラシャの名に《さま》をつけても、言葉尻はタメ口だったのに対して、このケインは「ラシャさま」の上に、全文敬語。しかし、冷たい口調からは敬いの気持ちなど微塵も感じられない。

 ラシャはこのケインとの稽古がある意味で楽しみだった。
 カミュの言うとおり、仲間たちは会主の弟であるラシャに対して敬意を持って接してくれた。当初のように、未熟な子どもだからと馬鹿にされることは少なくなったが、会主の弟であることによる《配慮》は、いまだに感じられる。
 だが、ケインだけは、いつもラシャを打ち負かすつもりでかかってくるのだ。この入門組でラシャがほぼ全敗しているのはこのケインだけだった。

 この日もケインに隙はなかった。ラシャは攻めに攻めて、結局攻めきれなかった。疲れてきた頃に下から斬り上げられた。真剣ならばバッサリ斬られている。木剣にも破壊力があるから、普通は相手に当てる前に止めるのだが、このときは本当に当てられた。激痛が走り、ラシャは床に沈み込んだ。
「どうもすみません。未熟なもので、止めることができませんでした」
 謝っているのは口先だけ。ケインの瞳は冷たかった。
 わざと止めなかったんだ……。
 ラシャはそう思ったが、
「いや、いいよ。未熟なのは僕のほうだ」
 当てられたところが赤くなった。皮膚がヒリヒリするだけでなく、体内にも鈍い痛みが残った。
「大丈夫ですか?」
 慇懃なケインの声はやはり冷たい。
「たいしたこと、ないよ」
 と答えながら、ラシャの額には脂汗が浮かんでいた。
「医務方においでになったらいかがです?」
「その必要はない……」
「歩けますか?」
 ラシャは胸を抑えながら立ち上がったが、グラッときた。
 ケインはラシャに手を差し伸べたが、冷たい微笑みがかえって不気味だ。ラシャはケインの手を取ることなく、ヨロヨロと壁に寄った。

 剣山に入る前にラシャはケインを見たことはなかった。うわさではトーラス生まれということだった。非常に珍しい。はるかなる西域トーラスに鳳凰会の末寺はないからだ。
 それにしても、この敵意は何だ?
 先ほどは、おそらく止められる太刀を止めずに、当てられた。
 実戦向けのいい練習とも言えるが、解せない感覚は残る。ラシャはケインから恨みを買う覚えはまったくなかった。


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ナグールとエノ

 剣山総長ナグールはこの日も日課の散歩に出た。このあたりに広く平坦な道はなく、ごつごつした細い道が急斜面になっている。
 だが、さすが剣山の総長、慣れたもので、それを長衣のまま、杖もつかずに軽々と上ったり下りたりする。

 途中、若い男が現れ、横に並んだ。
「父上、お呼びだと伺いまして」
 ナグールの生活リズムは規則正しく、散歩の時間と行程は決まっているのだ。そのため、息子エノは、用事があるときや、呼び出しを受けた場合には父の居場所を見計らってやってくる。
 修行者は隔離されているが、師匠や職員はその限りではない。外に出ることも、外部との接触も許されている。

 ナグールはふさふさした眉毛をなでながら、
「エノ、ラシャさまがトーマといい勝負をしたというのは本当なのか?」
「はい。何かご不審な点でも?」
「ラシャさまは確かに優秀だが、入門者に混じってのお稽古でもよく打たれていると聞く」
「わざと打たれてやっているのでは?」
「なぜ、そんなことをする必要がある?」
「年長者に気を使って……とか」
「それはない。むしろ、過ぎるほどに堂々としていらして、生意気であると反感をかっているぐらいだ。もっとも、面と向かってラシャさまにそう言う者はいないようだが」
「そうでしょうね。初代会主の御曹司なのですから」
「とにかく、あれは本当にやられている」
「じかにご覧になったのですか?」
「ん。何度か見に行った」

 エノは手を顎に当ててしばらく考えこんだようにしていたが、
「剣山にお入りになる前も、ラシャさまは普段の稽古で師匠を越えるような技をお見せになったことはありませんでした。だから、私もトーマとの試合を見て仰天したのです」
「まぐれか……」
「たぶん……」
「そうでなければ、やはりトーマが相当手加減したのではないのか?」
「そうでしょうか?」
 エノは納得がいかないようで、首をかしげていた。
 しかし、
「父上が見てそう見えるのなら、そうなのかもしれませんね」
 トーマとラシャの試合、エノはかなり遠くから見ていたから、錯覚もありうると思った。


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解錠術

「う~ん、うまくできないなあ」
 カミュは開かない錠に笄(こうがい:細く先が尖った小道具。装身具や目立たない武器としても携帯できる)を差し込んで、ガチャガチャしていた。横のラシャをちらりと見る。
「ラシャさまも錠は苦手そうだね」
「うん」
 解錠術の時間なのだが、剣山入山前には解錠術の講座などなかったので、入門してから日が浅いラシャは不得手だった。カミュもあまり得意ではない。
 課題は八つの錠を壊さずに開けること。簡単な錠から難しいものへとランクアップしていく。だが、ラシャもカミュも簡単なほうの錠でつまづいていた。全部解錠した者から昼食にしていいと言われて、その場の仲間はひとりまたひとりと減っていった。

 手先の器用なジンやケインは早々に解錠に成功。ケインはさっさと一人で食堂に行き、ジンはトールを待っていた。トールは不器用で、細かな作業はあまり得意ではないが、昼飯というモチベーションに促されて、入門組の真ん中よりは早く解錠にこぎつけた。ジンとトールの二人は、課題の進まないカミュとラシャに「がんばれよ」と声をかけると食堂に向かった。

 ラシャは開かない錠を放り出した。
「逃げることより捕まらないほうが大事だ」
 ラシャは小声でつぶやいただけだったが、ゴン師匠にはしっかり聞こえていて、つかつかとラシャのほうにやってきた。
「自分が捕まったときももちろんだが、捕えられた味方を助けだすときなどに必要な方法だ。しっかり身につけるように」
 師匠はラシャ一人に向かってではなく、残っている全員を諭すように言った。
「は~い」
 ラシャは口を尖らせながら、錠を手に取って解錠に取り組むフリをした。師匠に言われるまでもなく、できたら役に立つに違いないと思う。それでもなぜか、気がのらない。
 結局、カミュとラシャの二人だけが最後まで残っていた。
 これ以上できなかったら食堂が閉まってしまうという時間になって、やっと放免された。
 カミュはあとひとつ、ラシャは約半分もの課題が残っていた。


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ハラス

 そのうち入門者グループにはケイン派とラシャ派とも呼べる派閥ができ始めた。年長のジンとトールは別格だったが、他の少年たちは二派のどちらかに属する形となっていった。

 ケイン派は実力者が多かった。ケインは日ごろから、実力主義を主張していた。鳳凰山も血筋ではなく実力あるものがその頂点に立つべきであると言ってはばからなかった。鳳凰山幹部のシエラ派、ラシャ派(鳳凰の舞2『三きょうだい②』参照)とは次元の異なる話で、どちらも認めないのだ。

 鳳凰山は比較的実力がものをいう世界であったが、会主シエラは血筋で選ばれたのであるし、開山以来の弟子とその縁者はやはり優遇されていた。
 そして、入門組におけるラシャ派にはカミュ以外は能力的に自信がなく《会主の弟》に取り入ろうとする者が集まる傾向にあった。そうでなければ四つも五つも年下のラシャを立てたりしないのだ。そして、そんな取り巻き連中に対するラシャの態度は横柄だった。
 元々ラシャが派閥を作ったわけではない。用事もないのに寄ってこられても、うるさいだけで迷惑である。自分に親切にしてくれるのは保身のため、そう見抜いたラシャは彼らに侮蔑さえも感じてしまう。

「あわっ!」
 大きな少年だったが二回りも小さなラシャに投げ飛ばされていた。相手は足をかかえて、痛そうにしている。
「ハラス、手加減しなくていいよ」
 ラシャは冷たく言い放つ。
「て、手加減なんて……」
「そうなの? 本気でそんなに弱いんなら、やめたほうがいいんじゃない? 見込みないよ」
「そんなあ……」
 ハラスは、悔しそうに唇をかんだ。
 カミュがラシャに寄って、そっとささやいた。
「ラシャさま、言い過ぎだよ」
「本当のことを言っただけだよ。やめるなら早い方がいい」
 ラシャはくるりと背を向けて稽古場を去った。

 カミュはいたわるようにハラスに声をかけた。
「だ、大丈夫?」
 だが、ハラスはぶっきらぼうに「平気さ!」と言って、カミュを押しのけるようにして立ち上がり、足をひきずりながら悔しそうに道場の隅に寄った。
 足首が痛いようで、しゃがんでさすっている。

 カミュはラシャの後を駆け足で追った。バタバタバタドタッと廊下を全力疾走。
 すると、
「こらあ~っ、廊下を走るな」
 と遠くから怒鳴られた。
「すっ、すみませ~ん」
 カミュはしばらく歩いたが、また走りだした。今度は音を立てないようにテテテッと。

 ラシャの背中が見えてきた。
「待ってよ!」
 早足で廊下を進んでいたラシャがピタッと止まって振り返ったので、飛ぶように走ってきたカミュとぶつかりそうになった。
「きゃあああっ」
 カミュは両手を挙げて、つんのめり、転んだ。
 ラシャは体をそらせ、
「何やってんだよ」
「ごめん、ラシャさまが急に止まるから」
「君が待てと言ったからじゃないか」
「そ、そうだけど……」
 起き上がったカミュに、ラシャはつぶやいた。
「冷たいと思ってるんだろ?」
「え? あ、うん。あれはちょっとひどいよ」
 うなずくカミュは非難するというより心配そうだった。
 ラシャは入門組の半分には嫌われている。この上、表面的にでも慕ってくる者まで敵にまわすことはないのではないか。

 ラシャはため息をつきながら下を向くと、上目遣いにカミュを見た。
「このままここにいたら、彼はあぶないことになると思うんだ」
「危ないこと?」
 ラシャとしても言い分があるのだ。
「中途半端な修行による《症状》はいろいろあるけど、そんな仲間を増やしたくない」

 修行の副作用(?)については入門前に諭される。魔境に落ちて《こちら》の世界へ帰って来られなかった者や落伍者の数奇な運命について語られ、最悪の場合の覚悟があるかどうか問われる。
 また、ラシャはエリースでのアシュの醜聞についても聞いていた。女に見境がなく、それは修行を途中放棄した弊害であるという。もっとも、アシュのケースは若い修行者には、あまり知られていない。
 自己制御ができず社会の迷惑になると判断された場合はその症状が治まるまで剣山を出ることが許されない。そんな彼らには剣山はいわば牢獄と化す。

「下手をすると剣山から出られない。それはそれで本人にとって不幸だ」
「でも……もうちょっと言い方があるんじゃない?」
「僕が言ったら、どう言ったって同じさ」
 年少者に不合格印を押されるという事実に変わりはない。優しく言うほうがかえって嫌味になることもある。
 だが、ラシャはカミュの肩にそっと手を置いた。
「心配かけて悪かったね」
「え?」
「僕がこんなだからさ。いつもカミュに気まずい思いをさせてしまう」
「そんなこと……」
 本当はいい子なんだから、もっとみんなに優しくすればいいのに。
 カミュはそう思いながら、ラシャが自分にだけ信頼を寄せてくれていることがうれしかった。
 その一方、カミュは急に不安になった。
 肩をすぼめ、小声でつぶやいた。
「僕は大丈夫かな? 入門組の中でも僕はできる方には入らない」

 まがりなりにも剣山に入ってくるからには外では優秀だったはずだ。しかも、カミュはラシャがその記録を塗り替えるまで、最年少の入門者だった。しかし、ここ剣山ではより大きく強い仲間に囲まれて、すっかり自信をなくしてしまっているようだった。《鶏口となるも牛後となるなかれ》の典型例だ。

 ラシャは、らしくないほがらかな笑顔をたたえ、
「カミュはきっと大丈夫だよ」
「でも、さっきラシャさまが投げたハラスより弱いよ」
「完成するかどうかは体力や筋力の問題じゃない。むしろ精神力だ」
「う……うん」
 それは師匠たちが繰り返し言っていることだった。ただ抽象的すぎて具体的にどういうことなのかが、カミュをはじめ多くの者にはよくわからない。ラシャに知ったかぶりで言われても納得はできないというところ。ただ、ラシャは気休めを言う性質(たち)ではないし、その声は確信に満ちていた。
「カミュは純真だから、変なことにはならないよ」
 カミュは照れたように笑った。
「へへ、純真かあ……。ラシャさまに言われると、褒められている気がしないなあ。バカってこと?」
「カミュのことは友達だと思ってるよ。ほかの連中とは違う」
「ありがとう」
 ラシャにとって、カミュだけが心の許せる友達だった。同室のよしみもあったが、初めから馬が合った。カミュの優しさや親切には計算がない。

 微笑をたたえていたラシャの顔が急に曇った。
「むしろ僕のほうが危ないな」
「え?」
「いや、何でもない」
 他人を非難する言葉は、えてして言っている本人にこそ当てはまっていたりする。それに気づかない人も多いが、ラシャには自分も見えていた。ハラスのことも、ある意味でわが身を見るようで辛い。見たくない。そんな感情が相手に冷たく当たってしまう理由のひとつでもあった。



 だが、きついことを言われた本人は面白くないに決まっている。
 ハラスは池のほとりに立っていた。口をへの字に曲げ、しばらくじっと水面を見つめていたが、石を拾って、脇から掬うように水面に投げた。いつもなら、水面上を何度も飛び跳ねるのに、今日の石は一度も跳ねずにドボンと落ち、池に沈んだ。
「畜生!」
 石にも馬鹿にされたような気がした。
 後ろで、サクッと足音がした。誰とも話をしたくないハラスはその場を離れようとしたが、
「あいつ生意気だよなあ」
 という背後からの声に立ち止まった。
「ケインか……」
 ハラスは水面を見つめたまま、振り返らなかった。
 だが、ケインがハラスの横に並んだ。

 目を合わすことなく、二人はしばらく池に向かって立っていた。
「いくら会主の弟だからって天狗になるにもほどがある」
「まったくだ」
 ハラスは自分が思っていてもなかなか言えないことをケインが代弁してくれて、少し気分がよくなった。
「今からあれじゃあ、剣山を出たらどうなるかわからないよな」
「そうだな。ますます鼻持ちならない奴になるだろうな」
 ケインはほくそ笑みながら、ハラスの背中に手を当てた。
「一度、おしおきしてやらないか?」 
「おしおき?」
 ハラスとケインの視線が合った。
 やれるものならやってやりたいところだ。でも、そんなこと……。いや、一人ではできないが、ケインとなら……。
 ケインはにやっと笑い、「氷室(ひむろ)に閉じ込めるってのはどうだ?」

 剣山はその地下倉に氷を保存していた。倉に続く地下洞窟は風洞をなし、冷気が夏でも氷を保っていた。氷室内の温度が低いことももちろんだが、風があるため体感温度は凍えるようである。
「そんなことできるのか? どうやっておびき出すんだよ。それに後がヤバイじゃないか」
 ハラスは及び腰だったが、ケインは落ち着いている。
「気づかれなきゃいいんだ。やつに氷室の番が回ってきたときに入り口をふさぐ」
 氷室の番は入門~初級の者が交代で受け持っていた。
「あんな戸なんか簡単に蹴り破れるだろうが」
 氷室の地上の入り口は木造の小屋だった。その扉は特に頑丈にできているわけではなかった。体当たりなり蹴り飛ばすなりすれば開きそうだ。
「そこじゃない。もっと奥の岩戸だ」
「そんなもんがあるのか?」
 氷室にはハラスもすでに何度か入ったことがあるが、岩戸があったという覚えはない。
「岩戸は重いから、いつも開いている。だから、気づかない者が多いんだ。あれは一人では動かせない」
「俺たち二人で動くか?」
「あそこは大昔、牢獄として使われていたことがあるらしい」
「へえ~、そうなんだ。物知りだね」
「岩戸はそのときの名残さ。中からはなかなか開けられないしくみになっているが、外から動かすのは比較的簡単だ。それでも一人で動かすのはきつい。でも、二人ならなんとか動かせると思う」
 ハラスの瞳に力がこもった。「やるか?」
 ケインが右手を出すと、ハラスはその手をつかむように取った。空中で腕相撲でもするかのように、がっしりと組み合いながら、二人は不敵な笑みを浮かべた。

 ハラスは何か思いついたように、ふっと上を見上げた。
「でもあんなところにずっといたら死んじゃうよなあ。牢獄っていうより刑場じゃないのか?」
「そのとおりさ。みな耐えられなくなって出口をさがす」
「あるのか、出口なんて?」
「さあ」 
 ハラスは背筋が寒くなった。しかし、ケインが笑っているので、ひきつりながらも一緒に笑っておいた。
 頃合を見計らって出してやればいい。ケインだってそう思ってるんだ。
 ハラスは無理やり自分を納得させた。



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