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跳ぶ男

作:エンジン


 久しぶりの帰宅だ。ああ、本当に疲れた。会社での寝袋生活からのしばしの解放、清々しい。仕事はまだまだ終わらないが、それでもほんの少し休めるだけ、有り難いってもんだ。

 

 深夜の冷たい空気を思いっきり腹に吸い込むと、身体が軽くなったような気がした。家に帰ってから5時間、ふかふかの布団でゆっくり眠れるんだ。冷蔵庫の中にある飲み物を思い出しながら帰路に就いていると、何やら変なやつがいるのに気づいた。

 所々の髪が毟ったように禿げている、痩せたおっさん。季節はずれのYシャツに縞模様のトランクスを履いたそいつがピンと真っ直ぐ立って、その姿勢のまま小刻みにジャンプしてる。もう少し近づいてみると「ぴょん、ぴょん」って、小さな声でつぶやいてやがる。


 ちっ気分悪りぃ。こちとら上機嫌でお帰りの所によ、真夜中こんなのがいたら気味が悪くって仕方がねえだろうが。大体こういうノータリンは、親が責任持って管理しとくもんじゃねえのか?座敷牢にでもぶち込んどけってんだ、ったくよ。

 知恵遅れのせいで少々泥はついてしまったが、なあに大したことはない。俺は一週間ぶりマンション一二階の我が家へ帰り、ちゃんとお湯の出るシャワーとカキカキに冷えたビールで己を労った後、暖かい寝床へ飛び込んだ。すぐにまどろみがやってきた。先ほど出会った不快な人物のことなどは、仕事でのトラブルと一緒に綺麗さっぱりサラサラと溶けてなくなってしまうぐらいの、穏やかな眠りに入った。

 

 


――ぴょん、ぴょん

 近くで声が聞こえたので、俺は薄目を開いた。まだ日は差し込んでない、ざっと午前二時ぐらいってところか。

 ぴょん、ぴょん、ぴょん

 真っ暗な部屋の隅で、何かが跳ねている。ぼんやりとしか見えなかったが、それでもすぐに分かった。

 帰り道にいた、頭のおかしいぴょんぴょんオヤジだ。酒のせいか不思議と恐怖は感じなかったが、それでも驚きはした。試しに目をこすってみたが、ヤツは消えない。ぽかんと開いた口から舌を出して、楽しいのか苦しいのか読み取りにくい表情をでおかまいなしにジャンプし続けている。

 そういった事態が目の前で起きているのに、俺は立ち上がることができなかった。身体が異常にダルい、日々の疲れが原因だ。疲労のせいで異常なまでにリアルな幻覚を見るってのを聞いたことがある。だから目を閉じて、再び眠りについた。もう一度遭ったらぶん殴ってやる、と頭の中で毒突きながら……。


――雀の鳴き声で意識が戻った。

 目を閉じたまま、室内の雑音に注意するが、声は聞こえない。思い切って目を開くと、いつもの部屋の風景だった。やっぱり疲れが原因で変なものを見たんだな。

 駅までの道を歩くが、例のおっさんは見当たらない。

 

 そういえば、この仕事についてから朝晩何十回とこの道を通っているが、あんな奴は昨日初めて見たぞ。俺が会社に詰めている間に、引っ越してきたのか?まあいいや、ああいうのは出来るだけ遭わない方がいいんだ。やっぱりぶん殴ったら、後々問題になりそうだもんな。



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