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眼の話

作:エンジン


 その文書は、いつの間にか俺の部屋の郵便受けに入っていた。昨日、飲み過ぎで起床が正午になってしまい、気だるさとともにテレビをぼーっと眺めていたのだが、ふと朝刊の内容が気になり、玄関へと歩いた。その時、新聞に紛れていた手のひらサイズのメモ帳を見つけたのだ。

 

 配達員の忘れ物かと考えたが、丁度やることもなく、妙に使い込まれた感じのあるそれのページを開いてみると、こんなことが書かれていた。


――十九世紀初頭まで南アフリカに存在していたとある原住民族は、極めて独特な風習を持っていた。

 彼らは大体17歳ほどで大人と見なされ、他の民族と同じように通過儀礼を行わなければならない。こういった「成人の儀」は部族によって多種多様で、たとえば日本で一時期ブームになっったバンジージャンプなども、元はバヌアツ共和国の「ナゴール」という儀式だ。


 だが、この部族のそれは他と比較しても極めて異様なものである。

 まず、密林に生息しているテテパラという樹木の枝を折り、簡単な棒を作る。

 

 そして、儀式の対象者の眼の端にそれを差し込み、そのままてこの原理で眼球をえぐり取るのだ。
 

 勿論、両方である。

 

 その後、痛みで悶絶する対象者の両目を灰で止血し、儀式は完了。彼らはそのまま、両眼のない状態で一生を過ごすのである。この儀式は男女の区別なく行われる。

 「眼球に頼って世界を認識するのは未熟であり、成人しているとは言えないから」と言うのが彼らの考えであるらしい。

 最初に彼らの住処を訪れた調査団はその異様な姿に大変驚かされたのであるが、それ以上に驚愕すべきは、彼らの視覚認知能力が失われていないということである。つまり、彼らは眼球がないにも関わらず、目の前のものが見えるのだ。


  試しに、動向していた宣教師が彼らの眼前に一冊の聖書をかざしてみた時、彼らはそれに興味を示し、書かれている文章を指さしてこれが何なのかを質問し始めた。

 

 彼らは十九世紀の初めまで間違いなく存在していたのであるが、何が原因で滅び去ったのかは全く不明である。

 

 ある宣教師によれば、数ヶ月ぶりに彼らの住処を尋ねた時、そこは何年も放置されたとしか思えない無人の廃村があっただけだったという。

 



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