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風変わりな同居人と私と

 

 私は、ついこの間までサラリーマンだった。今はもう辞めてしまったが決してサラリー生活も嫌いではなかった。なんていうのは嘘だ。

 

 大学卒業時に、いくつか就職試験を受けた中でたまたま受かったのが私の元の勤め先。そこでは、短気な上司に怒鳴られるのが私の毎朝の日課で、勤務時間は日の出前から終電を逃すまでが基本という労働基準法も真っ青なブルー企業であった。まともに睡眠時間を取れないせいで従業員はいつも睡眠不足で、頻繁にデスクワークの最中に机に突っ伏して、仮眠なのか、はたまた仮死なのか区別のつきにくい状態になっていた。そして、その仮死状態の従業員を叩き起こすのが上司の主な仕事内容だった。我々、従業員の月収もたかが知れた額であった。しかし、特に不満を漏らすことはなく私は働き続けた。

 そんな会社で2年と半年働いていた、ある日。会社に備え付けの自販機から飲むヨーグルトが忽然と姿を消し、代わりに桃の天然水になっていた。以前から人気のなかった飲むヨーグルトが桃の天然水に取って代わられた。ただそれだけのこと。特に飲むヨーグルトが好きなわけではないが、必要とされず、取り換えのきく存在が自画像と重なった。代わりなどいくらでもいるのだと思い知らされた。

 冗談じゃない!

忍耐力には定評のあると自負しているが、それにどうしても我慢できなかった私は上司に退職願を叩きつけたのだった。

 

 飲むヨーグルトを機に仕事を辞めてしまった私はただでさえ少ない貯蓄をすり減らしながら生活していたが、我が家計はメジャーリーガー投手のフォーク顔負けの鋭い落ち方をしていた。食費、光熱費、週3回のカラオケ代、wi-fiだってお金がかかる。

 中でも一番家計を圧迫していたのが、家賃だ。

家だけはなるべく良いところに住めという母上の教えにしたがい、駅が近く、スーパーも近い小奇麗なデザイナーズマンションに住んだのがいけなかった。無職には到底払えない家賃のマンション。

 というわけで引っ越すことにした。北千住のままではダメなのだ。

 

 ネットで色々な物件を探したが母からの教えが頭にチラつき次の住所は思うように決まらなかった。値段を抑えつつ、なるべく良い感じの家なんてそうそうない。そうして、これでもないそれでもないと探しているうちに行きついたのがシェアハウスだった。最近流行りのシェアハウス。

 シェアハウスといっても大人数でシェアするわけではなさそうだ。私が見つけたシェアハウスは先着が住んでいるようで、その人と相部屋という形になるらしい。そのシェアハウスは家具が備え付けてあって、家賃は相部屋の相手と折半、駅も近いしスーパーも近い、それにデザイナーズハウスだ。うん、悪くない。ここにしよう。

そうと決まれば管理人に電話してさっそく住ませてもらえるよう、見つけたその日にお願いした。電話口には女性がでた。

「お電話ありがとうございます、シェアハウス[ベイカー]の管理人です。ごようけんは?」

「あの、すみません。川上っていいます。おたくのシェアハウスに引っ越したいのですが。」

「あら、入居者さんね。実は今月はあなたで三人目だけど、みんなひと月もしないうちにに出て行っちゃうのよ。」

女性は少し砕けた口調で言った。

「あの、もしかしていわくつきの物件なんですか」

「とらえ方によってはそうかもね」

 

しかし、結局私はベイカーに住むことにした。これを逃したら次の家が見つかるのがいつになるかわからないし、金銭的にも次を待つ余裕なんてなかった。

 荷物は多い方ではない。家具も生きていくのに必要最低限のものしか置いてないので引っ越し作業はすんなりと終わった。かさばる荷物といえば趣味の読書で集めた本と漫画くらいだ。そして私は荷物を載せた愛車、CUBEに乗りこみ一人暮らしを始めて2年と半年お世話になったデザイナーズマンションをあとにした。

 北千住の街はクリスマスが近づくにつれ賑やかになっていった。所々でクリスマスソングが流れ、若いカップルがお互いのプレゼントを探しにお店へ出かけ、帰宅途中のサラリーマンたちはコートの下にセーターを着込み、老夫婦は公園のベンチで肩を寄せ合った。今年はホワイトクリスマスかもしれない。

 

 車での移動中、車内にはOasisのDon't go awayが流れていた。それを聞き流しながら、次の就職をどうしようか考えていた。ナビによるとシェアハウスは上野にあるらしい。衝動的に決めてしまったので何区になるのか今まで知らなかった。だいぶ近いな・・・。

近いだけに20分で着いた。現在、16時。221B番地。なんてことのない住宅街。12月の夕暮れどきはとても寒く、冷たい空気が肌を刺した。シェアハウスはこげ茶色の煉瓦のような材質の壁でできていて二階建て。パッと見、おしゃれなアパートにも見える。

 同居人、いったいどんな奴なんだろう。ひと月に2人も追い出すほどだから、よっぽどなのだろう。しかし、いまさら怖じけづいても仕方ない。玄関に立つと私は力強くチャイムを押した。

 

 ピンポーーン

 

ちょっと長めに鳴る変わったチャイム。さすがデザイナーズハウス。

しかし、なかなか出てこない先着。

「すみませーん。」

出ない。もう一度チャイム。

 

 ピンポーーン

 

するとドアが開き、落ち着いた色のカーディガンを羽織った60代くらいの女性が顔を出した。

 

「ごめんなさい、2階の掃除をしていて気が付かなかったの。」

「いえ、大丈夫です。今日からここでお世話になる川上です。」

「あら、あなたが川上さん?いらっしゃい、あたしはここの管理人のトメ子です。さあさ、中に入って。」

玄関を入り、そのまま階段を上がり二階へと通された。

「一階は私が使っていて、あなたたちは二階に住んでもらうのよ。」

 

2階にはテーブルに椅子、テレビにソファー、パソコンと隣に書類と本の山が積んである。部屋の雰囲気は全体敵に落ち着いた色を基調としている。が、それよりなによりすこぶる散らかっている。なぜ落ちている靴下はどれも片方しかないんだ。まるで素人の空き巣に入られたようだった。

「トメ子さん、相部屋の相手は?」

「今出かけてるわ、でもそろそろ帰ってくるんじゃないかしら。あなたの荷物もまだ届いてないし、手荷物だけでも部屋に置いといたら?分からないことがあったら聞いてちょうだい」

 

 私が使う個室に少ない荷物をおろしながら進撃の巨人の今後の展開に思いを馳せた。夕飯はどうしよう。フと我に返ると、さっきからリビングで怒ったような声が聞こえる。

「トメ子さん!何度も言ってるでしょう!これは散らかってるんじゃなくわざとこう配置してあるんだ!僕が出かけている間に勝手に掃除しないでくれ!あぁ、CDをわしづかみするなよ・・・」

「相原くん。こんな汚い所で暮らしてたらダメ人間になってしまうわよ。」

「もう手遅れだから放っておいてくれ。」

どうやら、とうとう相部屋の相手が帰ってきたようだ。自分の部屋を出てリビングに行くとトメ子さんが部屋を片付けようとするのを必死に防ぐ男がいた。

「相原くん、今日からここに住む川上さんよ。川上さん、こちら相原くん。」

「はじめまして、川上です。よろしく。」

「相原だ、よろしく。」

 

―――これが彼と初めて会ったときのことだ。そして、これが相原と私の冒険の始まりであり、今になって思えば終わりへの一歩でもあった。

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


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