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「く、く、く、来るな! ば、化けもの!」

 声を出すことすらやっとのようだ。

 私はゆっくりと彼女に近づいていく。

「ひいい!」

 鋏が私の腹部に突き刺さった。だが、全く痛みは感じない。

 私は両手で母のこめかみを掴んだ。

「やめ、やめ、ややや」

 呂律の回らぬ口で命乞いするこの女の両目を親指で押さえ、ゆっくりと力を込めた。

 断末魔の悲鳴というのは、大体皆同じのようだ。屠殺される家畜のような、理性の感じられない弱者の叫びを上げる。そういえば、私も死ぬ時にこんな声を上げようとしていた気がする。そう考えると、なんだか恥ずかしい。

 眼窩から夥しい血の涙が溢れ、頭が波打つように震える。

 でも、もっとぐっぐっと押し込んでやる。そのうち奥まで達したようで、それ以上中に入らなくなった。

 それも構わず更に力を込めたら、半熟卵みたいに潰れてしまった。


 そして、この能無し女はぶっ壊れた。

 事切れたのか、それともゆっくり死んでいくのかは分からないけど、時々思い出したようにピクピク動くばかりで、とても生きているようには見えない。

 畳は母がひり出した黄茶色の液体に汚れてしまって、すごく見苦しい。

 ふと思い出して、お腹に刺さった鋏を抜く。裂けた傷口から、真っ黒な血がびゅっと噴き出た。

 側にあった姿見に目をやると、すっかり変わり果てた私が映っていた。

 顔は土気色で、その眼は光無く黒ずんでいる。喉笛の切傷は思った以上に深く、このまま首を後ろに強く倒せばそのまま取れてしまうんじゃないかというぐらいに 抉れていて、血管らしき赤い管や骨のような身体の一部が見え隠れしている。それを見てやっと、自分が死体なんだなって理解できた。

 今思い出したけど、そういえば私、服を着てなかったっけ。生みの親の血や肉片が、私の未熟な乳房や陰毛を朱に染め上げていて、何だか奇妙な照れくささを覚えた。


 手についた目玉の濁り汁を舐めてみる。味はないけど、何故か苦みがあるような、変な感じ。なんかウットリしてしまう。

 とっくに死んじゃってるのに、まだ動いてる私。ホラー映画みたいでちょっとかっこいいかも、自分。

 あ、そうだ。祖父のことを忘れていた。

 私は階段を上がり、二階へと向かった。途中、鼻歌を口ずさもうとするが、喉から空気が漏れてしまって上手くいかない。

 襖を開けた途端、右目に鋭い剣先が飛び込んできた。扉のすぐ近くで待ちかまえていた祖父が、家に伝わる神剣で私の右目を突き潰したのだ。

「追川の亡霊が! 死ねえ、死ねえ!」

 ぜんぜん痛くないけど、ちょっとイラッとした。

 慌てて刀を引き抜こうとする祖父の右手を掴んで、そのままひねり潰してやった。

 今まで一度も聞いたことのない、赤ちゃんみたいな声を出して、老人は悶え苦しみ出した。


 何重にもねじってやった、もう直るはずのない自分の右腕だったものを、なんとも哀れそうに見つめながら。

 クソジジイめ、悶え死ね。

 私は調子に乗って、右足を掴んで同じ目に遭わせてやった。おまけに左足、そして右手。

「ほれほれ、どうじゃどうじゃ! 凄まじい痛みであろう! 目すら開けていられんじゃろう!」

 自分の意志に関係なく、口から自然と言葉が出る。私は喉が破ちゃったからもう喋ることができないだろうし、そもそもこんな綺麗な声じゃない。

「うびゅびゅ、うびゅう!」

 四肢が壊れたバネみたいになって、黄色い液体を延々と吐いているこいつに向かって奪い取った宝剣で色んな箇所を突きながら、私は勝手に汚い言葉を浴びせ続ける。

「それ! もっと苦しめ! 苦しみ抜いて地獄へ落ちろ! そなたら一族の宿命じゃ!」


 そうだ、死んだ後に話しかけてくれたあの時の声だ。今、私の中にいるんだ。

 彼女に応えるつもりで、祖父の右腕に触れ、野菜みたいに引き抜いてやった。

「うば、ば!」

 老害の口から汚い血の泡が溢れる。どうやら舌を噛んでしまったらしい。

 私は一切遠慮することなく、干し雑巾のような彼の腕を、口の中につっこんでやった。

「ほほほ! うまいか! わらわがしっかり喰らわせてやるぞ!」

 ものすらロクに食えない老いぼれの腕を激し上下させて、もっと奥深くに突き入れる。

 その内、その喉は水風船のように醜く膨れ上がり、それに連れて顔の色がどんどん紫がかっていった。

 更に、左指で目玉を掻きだそうとぐちゅぐちゅ力一杯かき回してやると、びっと血管の千切れる音とともに、古ぼけた眼球がころりと畳に転げ落ちた。

 よっぽど苦しいのか、なにやら呻いているが、もはや声すら聞こえない。



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