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 目の前から、不透明な人型の物体が迫ってきた。それに驚いて意識が目覚めた次の瞬間、私は入り口の前に立っていた。

 真冬の深夜なのに全く寒さを感じず、先ほどまでの苦痛がウソのように消えている。

 逆に、ふつふつと胸壊にどす黒いものが沸き上がってきた。

 喰らわなければ。

 私は自分の意志で、家に向かった。地面を踏む度、どこか実感が掴めない、宙に浮いたような感触がする。

 私は、どうなってしまったのだろうか。だが、それよりも、血が欲しい。恨めしいあいつらの血を喰らいたい。


 家に帰ると、玄関のすぐ側にある便所に灯りが点っていた。

 扉を開くと、父が間抜けな格好で便器に跨がり、用を足していた。

 何の価値も見出せぬクズ男は私の方を振り返り、愕然とした表情で怯え始めた。

「や、ややややや」


 命乞いのつもりだろうが、声が出ないようだ。逃げたくても右足が便器にはまってしまって抜けないらしい。

 私はその汚い首根っこを掴み、そのまま力を入れた。

 

 ぶぎゅっ!とネズミの断末魔のような声を挙げ、勢いよく血を吹き出し、私の顔に降りかかった。

 

 今まで味わったことのない、凄まじい快感が全身をかけめぐる。

 更に力をこめ、勢いよくこの屑野郎の首元を持ち上げた。ズッ!と音がして、細長い頸椎ごと首が抜けた。

 そうして、私の父であった便所虫は間抜けな表情のまま息絶えた。

 流れ落ちる血液を服が汚れるのもかまわず存分に味わっていると、ひいっ!と後ろで声が聞こえた。

 振り返ると、母が大慌てで居間へと逃げようとするところであった。

 ためらうことなく、私はそれを追った。走る度に、まるで何かが抜け落ちたような身体の軽さを感じる。

 母は居間の隅に、裁縫用の鋏をこちらに構えながら、へたり込んで震えていた。


「く、く、く、来るな! ば、化けもの!」

 声を出すことすらやっとのようだ。

 私はゆっくりと彼女に近づいていく。

「ひいい!」

 鋏が私の腹部に突き刺さった。だが、全く痛みは感じない。

 私は両手で母のこめかみを掴んだ。

「やめ、やめ、ややや」

 呂律の回らぬ口で命乞いするこの女の両目を親指で押さえ、ゆっくりと力を込めた。

 断末魔の悲鳴というのは、大体皆同じのようだ。屠殺される家畜のような、理性の感じられない弱者の叫びを上げる。そういえば、私も死ぬ時にこんな声を上げようとしていた気がする。そう考えると、なんだか恥ずかしい。

 眼窩から夥しい血の涙が溢れ、頭が波打つように震える。

 でも、もっとぐっぐっと押し込んでやる。そのうち奥まで達したようで、それ以上中に入らなくなった。

 それも構わず更に力を込めたら、半熟卵みたいに潰れてしまった。


 そして、この能無し女はぶっ壊れた。

 事切れたのか、それともゆっくり死んでいくのかは分からないけど、時々思い出したようにピクピク動くばかりで、とても生きているようには見えない。

 畳は母がひり出した黄茶色の液体に汚れてしまって、すごく見苦しい。

 ふと思い出して、お腹に刺さった鋏を抜く。裂けた傷口から、真っ黒な血がびゅっと噴き出た。

 側にあった姿見に目をやると、すっかり変わり果てた私が映っていた。

 顔は土気色で、その眼は光無く黒ずんでいる。喉笛の切傷は思った以上に深く、このまま首を後ろに強く倒せばそのまま取れてしまうんじゃないかというぐらいに 抉れていて、血管らしき赤い管や骨のような身体の一部が見え隠れしている。それを見てやっと、自分が死体なんだなって理解できた。

 今思い出したけど、そういえば私、服を着てなかったっけ。生みの親の血や肉片が、私の未熟な乳房や陰毛を朱に染め上げていて、何だか奇妙な照れくささを覚えた。


 手についた目玉の濁り汁を舐めてみる。味はないけど、何故か苦みがあるような、変な感じ。なんかウットリしてしまう。

 とっくに死んじゃってるのに、まだ動いてる私。ホラー映画みたいでちょっとかっこいいかも、自分。

 あ、そうだ。祖父のことを忘れていた。

 私は階段を上がり、二階へと向かった。途中、鼻歌を口ずさもうとするが、喉から空気が漏れてしまって上手くいかない。

 襖を開けた途端、右目に鋭い剣先が飛び込んできた。扉のすぐ近くで待ちかまえていた祖父が、家に伝わる神剣で私の右目を突き潰したのだ。

「追川の亡霊が! 死ねえ、死ねえ!」

 ぜんぜん痛くないけど、ちょっとイラッとした。

 慌てて刀を引き抜こうとする祖父の右手を掴んで、そのままひねり潰してやった。

 今まで一度も聞いたことのない、赤ちゃんみたいな声を出して、老人は悶え苦しみ出した。



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