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 駄目だ、追いつかれてはいけない。

 あれは、獣だ。

 心臓が破れるかというぐらい激しく痛み出したが、私はもっと足に力をこめた。

 荒い息づかいが一定の間隔で、近づいたり離れたりしている。

 私は足が速い方ではない。本来であれば、とっくに追いつかれているはずだ。

 多分、わざと追いつかないのだろう。楽しみ尽くした挙げ句、狩る。

 実の娘で、狩りを楽しんでいるんだ・・・!

 頭の中が絶望に包まれる。

 ふと、下半身の辺りが一瞬冷たくなって、足を液体が伝っていく。

 失禁してしまった・・・。

 ものすごく惨めだ。もう、嫌。

 でも、死にたくない!

 あいつらの獲物になりたくない!

 最後の希望を、駐在所に賭けて走った。


 ようやく、村の菩提寺へと続く道が見えた。駐在所はこの途中にある。

 助かった! と思った途端、ふいに前から何かがぶつかってきた。

 私の身体は押し倒されるようにして崩れ、土に頭がぶつかる。そして私の喉元に鈍く光る金属が思いっきり押しつけられ、そのまま横に強く引かれた。

 喉に感じた灼けるような苦痛とともに、そこから勢いよく鮮血が噴き出した。助けてと叫ぼうとしても、声が出ない。口から出た息はすべてひゅうひゅうと空を切るばかり。

 父が、私の喉元を鉈で切り裂いたのだ。おそらく、待ち伏せをしていたのだろう。

 私は、彼らの獲物になって狩られた。そしてこれから、死んでいくんだ。猟師にやられた、鹿や猪と同じ。

 すごく痛いし、哀しい。

 なにもかも、これで終わりなんだ。

 自然と目から涙が溢れて、頬を伝った。

 でも、私はなかなか死ななかった。喉は真っ赤に抉れて、息をしようとする度ごぼっごぼっと血のあぶくがそこから飛び散るのに、かろうじて生きていた。


 服を血に染めた両親は互いに顔を合わせて笑い、私の両手を持ってひきずりながら歩き始めた。

「あーあ、やっちゃったやっちゃった」

 二人の残忍な会話も、目の前に見える光景も、苦痛のあまりすべてどうでもよくなってくる。

 痛い、早く死にたい。

 

 その思いもむなしく、私はそのまま家へと運ばれた。


 焦点の合わない目の前の映像に、祖父の姿が映し出される。

「二人ともよくやった。これで家は安泰だ」

 祖父の労いの言葉に、二人は喜んだ。

「ちょっとドキドキしたけど、以外と楽しいもんですねえ」

「こんな儀式だったらいつでも大歓迎ですよ」

「しかしまあこの愚かもんが。何で素直に死のうと思わんのか」

「本当、私達の躾がなってなくて、ごめんなさいねえ」

「自分の役割も分からぬ馬鹿者めが」

 一方的な罵倒を受けながら、私は森まで運ばれた。

 

 そこで服を剥ぎ取られ全裸になった私の死にゆく身体は、血だまりの上にものでも扱うかのように落とされた。


「いやあ、我が娘ながらいい身体だなあ」

 父は私の未発達な肢体を見て舌なめずりしたが、祖父に睨まれて申し訳なさそうに首をすぼめた。

「ともかく、こうやってこの阿呆が死んでくれて余計な手間が省けた。これで家も安泰じゃ」

「いやまったく、ははは」

 祖父が皆を連れて帰り、私は寒空の中に死にかけのまま取り残された。血の冷たさも、風の辛さも、食い破られた喉の痛みすらも、全てがどうでもよいものに感じてきた。

 心臓の音が段々早くなり、そして弱々しくなっていくのが分かる。ようやく死ねるような気がしてきたと安心すると同時に、哀しくなった。

 曲がりなりにも家族として一緒に過ごしてきた人間が動物のように私を殺して、邪魔者として私を捨てた。

 憎しみにも似た、悲痛。

 私は何の為にこの家に生まれて、死んでいくのだろうか。

 ぼんやりと消えそうな意識の中でも、うっすらと涙が頬を伝うのが感じ取れた。

 悔しい。でも、もう何もできない。せめて、安らかに死なせて・・・。

 自分への慰めを込め、そっと目を閉じた。全てが闇に包まれていく。


(そなたは、恨めしくないのですか?)

 声が聞こえた。

(誰・・・?)

 透き通ってはいるが、どこか生気の感じられない冷たい囁きが、夜風に揺れる木々の中から聞こえてくる。

 身体がふわりと浮き上がるような感覚がして、目が自然に開いた。

 

 意志に足が動いて、私の身体は勝手に森の中へと入っていった。


 暗闇に包まれた樹林の集まりは、鬱蒼とした雰囲気を漂わせていた。

 見たこともないおどろおどろしい草花が我ばかりと不規則に伸び散らかし、ほとんどの樹には、毒々しい色の粘菌や苔がびっしりと貼り付いている。年を経て朽ち倒れた枯れ木を、片腕ほどの大きさもありそうなムカデが這い、そこで捕らえた蜥蜴の体液を啜っていた。

 私が歩いていく度に、身体のどこかが木の枝や伸びた雑草に触れる。



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