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 この家が嫌いだし、家族もこの風習も大嫌いだが、何よりあの森が一番憎い。祖父や両親はあの不気味な場を心から畏れ崇めているようだが、私は違う。

 そんな得体の知れない場所なんて、焼いてしまえばいい。私を束縛するものの正体は、結局はこの森なのだ。恨みこそすれど、崇拝などするものか。


 森へとたどり着いた時、最初はそれが水たまりか何かだと思っていた。昨日も強い雨が降っていたからだ。

 でも、近づいてみて、その強烈な臭いが鼻をよぎって、分かった。

 血だまりだ。入り口を塞ぐかのように、濃い血液が地面を染めていた。

 気づいた瞬間、すぐ家へと走った。駆けている間、ずっと背後に誰かが追いかけてきているかのような気配を感じ、とにかく追いつかれないよう、必死になった。


 玄関に着いた時はすっかり息が上がっていて、それに扉を勢いよく開いて音を立てたのも相まって、家族が皆揃って駆けつけてきた。

 台所でコップ一杯の水を一気に飲み干した後、私先ほどの異変を興奮気味に語った。

 ひょっとしたら、誰か死んでるのかもしれない、どこかから逃げてきた殺人犯が、あそこに隠れているのかもしれない。

 全部は覚えていないが、思いつく限りの事をとにかく口に出し、危険を必死に訴えた。

 母も父も、そして祖父も私の話を黙って聞いていた。だが話し終えてからしばらくすると、祖父が何か考え込んでいるような表情で仏間の方へ歩いていった。

「・・・ねえ、警察に通報しないと」

 立ったまま祖父を待っている両親に、私は焦る気持ちを感じていた。

「馬鹿言え」

「でも・・・」

「家のことだぞ? 余所もんに言えるか。お祖父ちゃんが許さんって
分からんか」

 父親は侮蔑するような顔で私を睨んだ。

「全くこの子はいい年して、そんなことも分からんのかねえ」

 母も同様だ。


 30分程経った後、祖父が檜でできた手桶のようなものを持って戻ってきた。おそらくかなりの年代物なのだろう、すっかり黒ずんでいて、取手の部分は所々がかけて今にも外れそうだった。

「今から森に行く、ついてこい」

 

その言葉を聞いて、愕然とさせられた。警察にも連絡しないばかりか、もう一度戻るだなんて。

「何渋ってるの、家の役割ぐらいちゃんとしてよ?」

 なんとも鬱陶しそうな目で、母が私を睨む。この時、まるで一瞬のうちにして自分が生きてきた今までの生活から切り離されたような、ぞっとするような感覚を覚えた。

「家の為に動けんというのか?」

 ぐずる私に、祖父が嫌悪感を露わにしている。

 昔から皆、「家」が第一なのだ。怒られる時、必ずと言ってよいほど、こう言われた。

――家の女として恥ずかしくないのか

――家の子として見られたくないようなことをするな

 得体の知れない家という概念に縛られ、その下に行動を定める。私の家族は異常なんだと、改めて思う。


 だが、私もまた黙々とそれに従わざるを得なかった。

 それでも、自殺した祖母を除いて、私は家族の誰からも可愛がられなかった。まるで産まれてきたことそれ自体が悪であるかのように、蔑まれ、見下され、今日まで生きてきたのだ。


 月も出ていない真夜中の道、祖父の背中について歩く。

 正直、あの人に遊んでもらった記憶なんて、ほとんどない。いつも偉そうにしていて、常に不服そうな目つきをしている80歳の陰気な老人。精神的に成長していくに連れ、彼の印象はどんどん悪くなっていく。

 数分歩いて、森に着いた。

 祖父は特に動揺もせずに血だまりを眺めていたが、しばらくすると手にした桶でその血を掬った。その光景を見て、て言いようのないを悪寒を覚えた。

 

 家に帰り、桶の縁から垂れる血をよく見てみたが、紅色というより濃い紫色で、人間のものとは思えなかった。

 祖父は居間に皆を集め、ちゃぶ台に先ほどの桶を載せた後、しばらく席を外していた。父も母も、桶を見つめたまま黙っている。


 時間が経つに連れ、血の臭いが部屋中に充満し、不快な気分になる。とても耐えきれず、外に避難しようと扉に近づいた時、祖父がぬっと姿を現した。

「どこいくつもりだ、座れ」

 渋々私が席についたのを見計らい、祖父は手に持ったぼろぼろの書物を開き、家族皆に言い聞かせるようにつぶやき始めた。

「追川の森、之もし何かしらの凶事あれば、必ずや森の口に鮮血流るなり。然るに、番頭の者、その血を以て一族皆喉を潤すべし。さすれば皆獣の如き様態なりて互 いに喰らい合わんとす。しかるに一族の内一人斃れたる者、森の口に捧げるべし。さすれば災い去りぬ、もし之儀果たさざれば、追川の姫封ずる場より出でて、 一族皆喰らわぬなり」

「つ、つまりどういうことなんですか」

 父が恐る恐る尋ねる。私の前では威張り散らす癖に、祖父の前ではこの調子だ。

「森に血が流れているのは、凶事の予兆やっちゅうことだ。このままほうっておけば、『追川の姫』なる亡者が現れ、我々を皆喰い殺す」



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