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 子供の頃、何気なく祖父にこの森について尋ねたことがある。私の言葉を聞いた途端、祖父はたるんだ皺に包まれた顔を途端に強ばらせ、幼い自分の孫娘に平手打ちを喰らわせた。

「そんなこと、余所の人間には口が裂けても言うな!」

 真っ赤に腫れた頬を抑えて泣きじゃくる私に向かって、祖父は乱暴に言い捨てた。以来、私もそれについて、いわゆる「禁忌」であると幼心に理解したので、一切口に出さなかった。

 だが、亡くなった祖母から、この森に伝わる話を聞かされたことがある。

 この森は奈良時代の古文書にも記述があるぐらいの歴史を持っているのだという。名前は忘れたが、はるか昔の天皇に寵愛されていた娘がこの地で命を落としたことがきっかけで、今で言う「禁足地」の一つと定められたのが始まりらしい。

 それから何百年の間、この付近に神社が存在していたらしいが、これは平安時代に記された寺社録に名前が確認できるだけで、実在を証明する遺構等は全く見つ かってない。それより後の時代の史料からは神社の存在に関する記述が一切認められず、あたかも最初からなかったかのような扱われ方をしている。


 私達の先祖との関わりは、戦国時代に起きたある出来事から始まった。

 当時この地を拠点としていた二つの勢力があった。箕山氏と追川氏、互いに勢力は拮抗しており、永きに渡って争いを続けていたが、ある時起こった総力戦に箕山氏が勝利、一族や領民の助命と引き替えに、追川の当主は自害した。

 だが、日頃からの残忍な振る舞いで知られた箕山の当主はこの約束を破り、殲滅戦を開始。追川の一族郎党、そして民までもが皆撫で斬りにされ、女どもは年関係なく犯された後殺害された。

 戦火の中を必死で逃げおおせた当主の妻と娘は、やがてこの場所へとたどり着いた。だが、二人とも疲労でもう走ることができない。追っ手はすぐそこまで迫っていた。捕まえられればどうなるか、彼女らが一番よく知っている。

 運命を悟った母は、娘をこの神聖なる森の中へ逃がした。そしてそれを見届けた彼女は短刀で喉を突き、夫の後を追った。

 やがて追っ手がたどり着いた時、森の入り口には侵入者を阻むようにして倒れた女の亡骸と、夥しい血だまりができていた。


 娘を追うため、足軽の一人が血だまりに近づいたその時、足軽はにわかに苦しみだし、まるで狂犬のようにうなり声を上げ、周囲の仲間達に襲いかかり、何人かを食い殺した後、泡を吹いて狂い死にしてしまった。

 禁足地ゆえ焼き払うこともできず、足を踏み入れようとすれば必ず凶事が起きた。以来、この場所は天皇家の人間ですら足を踏み入れることのできない禁忌の地とされ、娘の行方もしれないのだという。

 我が家はその箕山方の武将の家系であり、代々この森を監視する役目を仰せつかったのだそうだ。

「あれに何かあったら、真っ先に逃げるんだよ」

 私が唯一心を許せた祖母は、多い茂った木立を眺める度にそのようなことを言っていた。

 その祖母も数年前、仏間で首を括り自ら命を絶った。

 涙一つ見せないどころか「腐る、はよどけんか」と駐在に向かって言い放った祖父のふてぶてしい顔は、今でも目に焼き付いている。

 そんな冷徹な祖父ですら、いや、だからこそなのか、代々の風習を欠かしたことはなかった。

 端から見れば奇っ怪な決まり事を、私達の家族、ひいては代々の先祖が長い間続けていた。


 今日のお供えは、高く盛った強飯に、芋の煮っ転がし、目刺しが四匹に、剥いたびわの実。いつもと同じ朱色の食器に用意されている。

 毎晩19時、家族の誰かがこれを森まで運ぶというのが、我が家代々の風習である。

 このお供えは、必ず家族の夕食とは別物でなければならず、毎日新しいものを作らなければならない。器や調理器具ですら特別のものを使うのだから、徹底している。

 そして出来上がったものを、一人で持って行かなければならない。街灯すらない真っ暗な道を、なんとか眼を慣らしながら進まなければいけない。懐中電灯も持ってはならない。

 舗装されていない野道は凹凸の段差が激しく、また大きな石もポツリポツリと転がっているので、下手に転倒して打ち所が悪ければ、そのまま死ぬ。実際、一族の中にもそういった事故が原因で亡くなった人がいるらしい。

 五歳の時から、私もこの仕事をさせられるようになった。大人は誰一人ついてきてくれない、町へ買い物すら行けないような女児を、彼らは真夜中の野道に放り出すのだ。


 最初の頃、夜道を歩くのがすごく怖くて、玄関の方に振り返って半べそを掻いている私を見た父はすごい剣幕で「さっさといかんか!」と怒鳴った。


両手でお供えの盆を抱え、冬の風に吹かれながら道を進んでいく。

 森の門の前にに供え物を置き、翌朝、空になった食器を取りに行く。大体の場合、器には野菜の茎やご飯粒を残して、何も残っていない。

 

 勿論、狸や野良猫が食べたに決まっている。彼らに餌をやっているのと同じだが、こんな意味もないことを何故、私達の家族は酷く恐れ敬っているのだろうか。

 我が家は近所づきあいというものがほとんどない。私の家族が皆不愛想というのもあるが、どうやら件の風習が原因で、向こうからも避けられているようだ。

 私は今年で15歳になるが、今まで友達というものが出来たことがない。苛められたこともないが、遊びの誘いを受けたこともない、まるで腫れ物のような扱いだ。

 ただ一人、現在の担任である杉浦先生は、他の生徒と同じように扱ってくれる。

 隣町から来た若い男性教諭は、村の「空気」に流されず、しばしば私を職員室に呼び出しては他の教師の鬱陶げな眼差しを余所に、悩み事の有無や勉強のことについて積極的に尋ねてくれる。



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